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東京地方裁判所 昭和32年(ワ)4199号 判決 1958年11月20日

原告 名取晴子

被告 松栄利明

主文

被告は、原告に対し、東京都大田区新井宿二丁目一千七百四十二番地、家屋番号同町一、七四二番の八、木造瓦葺平家建居宅一棟、建坪十四坪七合五勺を明け渡し、かつ、昭和三十一年七月一日から右明渡しずみまで一ケ月金二万円の割合による金員を支払え。

訴訟費用は、被告の負担とする。

この判決は、金員支払を命ずる部分に限り、原告において金十万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、主文第一、二項同旨の判決ならびに仮執行の宣言を求め、請求の原因として、

(一)  主文第一項掲記の建物(以下、「本件建物」という。)は、原告が昭和二十八年十二月頃建築し、所有するものであるところ、原告は、昭和三十一年三月頃被告に対し本件建物を、賃料は一ケ月金二万円、毎月二十八日限り持参払の約定で期間の定めなく賃貸した。

(二)  ところが、被告は、昭和三十一年五月分からの賃料の支払をしないので、原告は、被告に対し昭和三十二年二月十五日到達の内容証明郵便をもつて、昭和三十一年五月から昭和三十二年一月までの九ケ月分の延滞賃料計金十八万円を右到達後五日内に支払うよう催告するとともに、右期間内に右延滞賃料を支払わないときは、賃貸借契約を解除する旨の条件付契約解除の意思表示をした。

(三)  しかるに、被告は、右催告期間の終期である昭和三十二年二月二十日を徒過したので、同日限り、本件建物に関する原被告間の賃貸借契約は解除された。しかるに、原告は、依然として本件建物を占有使用し、原告の本件建物に対する所有権を侵害している。

(四)  そこで、被告に対し、契約解除に基ずく原状回復義務の履行として本件建物の明渡し及び一ケ月金二万円の割合による昭和三十一年七月一日から昭和三十二年二月二十日までの延滞賃料、その翌日から本件建物明渡しずみまで右賃料相当額の損害金の支払を求めるため本訴請求に及んだ。

と述べ、被告の抗弁事実に対し、

(一)  原告が、被告の賃料支払について期限の猶予を与えたとの点は否認する。

(二)(イ)  被告が、本件建物につき、原告の同意をえて施したと主張する別表(六)乃至(九)の造作のうち、(六)の物件は、原告において施設したものであり、(七)の畳は、医師である原告が将来診療室として使用する予定の板張洋室に敷いたもので、造作とはいえないし、(八)のカーテンも同様造作に当らないものである。

仮に造作に当るとしても、被告がこれらの物件を本件建物に施設するにつき、原告がこれに同意を与えたことはない。また、もともと原告は、本訴において被告の賃料不払という債務不履行を理由とする賃貸借の終了を主張しているものであつて、かような場合には、造作買取請求権は認められない筋合である。

仮に、認められるとしても被告がその造作を留置するは格別本件建物自体を留置する権利はない。

(ロ)  被告が本件建物の改良費として出捐をしたとして有益費の償還請求を主張している別表(一)乃至(五)、(九)乃至(十七)のうち、(三)の下駄箱、(十三)のガレージ兼住宅、(十五)のコンクリート道路が被告によつて設置または建築されたものであることは認めるが、その余のものは、すべて原告が本件建物を建築した当時施工したものである。而して、(三)の下駄箱は玄関に作り付のものでなく、本件建物と別個独立のものであり、(十三)のガレージ兼住宅も本件建物とは関連のないもので、また、本件建物明渡しの際には、自費をもつて無条件で収去する約定のあつたものであり、(十五)のコンクリート道路も被告の自家用車をガレージに入れるため作つたもので、本件建物とは全く関係のないものである。

仮に、被告が本件建物に何らかの有益費を投下していたとしても、原、被告間には、被告は本件建物を現状のまま使用し、原告の承諾なくして造作等を変更しないこと。もし変更したときは、明渡しの際に、自費をもつて取毀し原状に復するは勿論、必要費、有益費等の償還請求を一切しない旨の特約があつたもので、原告には、被告の償還請求に応ずる義務はない。

(三)  最後に、仮に、被告が何らかの造作買取請求権または有益費償還請求権を有し、本件建物につき、留置権を行使できるとしても、被告は、原告の承諾なくして本件建物を占有使用しており、また、右使用は留置物である本件建物の保存上必要な使用とはいえないから、原告は民法第二百九十八条第二項、第三項により留置権の消滅を請求する。

従つて、いずれにしても、被告の抗弁は失当である。

と述べ、

立証として、甲第一号証、甲第二号証の一ならびに二、及び甲第三号証の一乃至十二を提出し、甲第三号証の一乃至十二は、昭和三十二年十二月十三日名取明徳が各表示の場所において撮影したものであると述べ、証人名取明徳、同黒崎幸治の各証言ならびに検証の結果を援用した。

被告訴訟代理人は、「原告の請求は棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、

原告主張の(一)、(二)の事実、被告の本件建物占有の事実は認めるが、原告主張の賃貸借契約解除の意思表示が効力を生じたとの点は争う、と述べ、抗弁として、

(一)  被告は、賃料の支払につき、原告から昭和三十一年三月頃期限の猶予をえたから、賃料不払を理由とする原告の契約解除の意思表示は効力を生じない。

(二)  仮に、期限の猶予があつたことは認められず、契約解除が有効であるとしても、被告は、本件建物につき、

(イ)  原告の同意をえて、別表(六)乃至(八)の造作を施しているから、その時価による買取を求め、かつ、

(ロ)  別表(一)乃至(五)及び(九)乃至(十七)の有益費の支出をし、本件建物の価額の増加が現存しているので、各該当「出費額」欄記載の金員又は各現存増加価額の償還を求め、

右金員の弁済を受けるまで本件家屋につき留置権を主張する

と述べ、

立証として、証人小林孝俊、同児玉春次の各証言及び被告本人尋問の結果、検証の結果を援用し、甲第一号証、甲第二号証の一、二の各成立を認め、甲第三号証の一乃至十二が、原告主張のような写真であることは認めて利益に援用すると述べた。

理由

(一)  本件建物が昭和二十八年十二月頃建築され、原告の所有に属すること、原被告間に昭和三十一年三月頃本件建物につき、賃料は一ケ月金二万円、毎月二十八日限り持参払いの約定による賃貸借契約が締結されたこと、被告が、昭和三十一年五月分から右賃料の支払いをしないので、原告が被告に対し、昭和三十二年二月十五日到達の内容証明郵便をもつて、原告主張のような延滞賃料支払の催告ならびに条件付契約解除の意思表示を発したこと、被告が原告主張のように、本件建物を占有使用していることは、当事者間に争いない。

(二)  被告は、右賃料の支払について昭和三十一年三月頃、原告から期限の猶予をえたから、原告の賃料不払を理由とする契約解除の意思表示は効力を生じないと主張するけれども、具体的な猶予期限について明確な主張がないばかりでなく、被告本人の供述中、右主張にそうような部分は証人名取明徳の証言にてらして措信し難く、むしろ同証言によれば、原告が賃料支払期限の猶予をしたことはなかつたことが認められるので、被告のこの点に関する抗弁は失当である。

してみれば、他に特段の事情の主張立証のない本件では、原告主張の本件建物についての契約解除の意思表示は、その効力を生じ、本件賃貸借契約は、原告主張の催告期間の終期である昭和三十二年二月二十日の経過とともに、解除されたものというべきである。

(三)  次に、被告は、本件家屋につき原告の同意をえて別表(六)乃至(八)の造作を施しているからその買取を求め、時価による代金の支払を受けるまで、本件建物につき留置権を行使すると主張するが、右認定のように、本件賃貸借契約は、被告の賃料不払という債務不履行を理由とする契約解除によつて終了したものであるから、本来賃貸借終了につき賃借人に何らの過失のない場合(例えば、賃貸期間の満了または合意による解除等)に限つて賃借人を保護する規定である借家法第五条は、その適用なく、被告には造作買取請求権が認められない筋合であつて、右権利のあることを前提とする被告の主張は、その他の点の判断をするまでもなく、失当として排斥を免れない。

(四)  次に、被告は、本件建物につき、別表(一)乃至(五)、(九)乃至(十七)の有益費の支出をし、本件建物の価額の増加が現存しているので、各該当「出費額」欄記載の金員または現存増加価額の償還を求め、その支払を受けるまで本件建物につき留置権を行使すると主張するので、この点につき判断する。

元来、家屋の賃貸人が賃貸借終了の際、賃借人から賃借家屋につき有益費を支出したとして、その償還請求を受けたときには、必要費支出の場合と異なり、常に実際の支出額の償還を要するものではなく、償還義務の履行につきこれと現在増加価額のいずれかを選沢することが許されている。従つて、賃借家屋に対する留置権主張の前提として右償還請求をする賃借人としては、賃貸人をして右選沢をなさしめるために、費用支出の項目、価額増加の項目のほか、右の二つの額の主張立証を要すると解するのが相当である。債権は、その給付の内容が将来確定しうれば足りるものとして、特に増加額についてその確定を要しないとする考え方もありえないではないが、賃貸人が償還義務を履行するに由ない段階にあるのに、賃借人からその不履行の故をもつて賃借家屋の留置権を対抗せられる結果となるのは、有益費償還につき期限の許与を認める民法の趣旨から推しても、不当といわなければならない。

而して、本件においては、有益費として被告の主張するもののうち、別表(十七)については、その実際の支出額についても、何らの主張なく、その余のものについては、弁論の全趣旨により、原告において各該当「出費額」記載の各支出額を争つているものと認むべきところ、被告の全立証をもつてするも、その各主張額またはその他の確定額を認めるに由ない次第である。すなわち、この点に関する証人児玉春次の証言、被告本人尋問の結果は、項目毎に支出額を確定するに足るだけの特定性を欠いているのみならず、弁論の全趣旨にてらし、措信するに足らないものである。次に、現存増加価額については、単にその旨の主張がなされているだけで、確定した額の主張、立証もない。

以上の次第であつて、被告の有益費償還請求の主張は、既に主張自体においても不十分であるといいうるものであり、その他の点について更に判断をするまでもなく、失当である。

これを要するに、被告の主張する留置権は成立しないことになる。

(五)  従つて、本件建物の賃貸借契約解除後は、被告は本件建物占有につき何ら正当権原がないことは明らかであるから、原告に対しこれを明渡すべき義務があるといわなければならない。

次に、本件建物が昭和二十八年十二月頃の建築にかかるもので、その賃料が一ケ月二万円であつたこと、被告が少くとも昭和三十一年七月分からの賃料を支払つていないことは、当事者間に争いない。そうだとすれば、被告は原告に対し昭和三十一年七月一日から昭和三十二年二月二十日までの右割合による延滞賃料、前記契約解除の日である同月二十一日から本件建物明渡しずみまで右と同額の割合による賃料相当の損害金を支払うべき義務があることも明らかである。

よつて、原告の本訴請求は正当として認容すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、金銭支払を命ずる部分の仮執行宣言につき同法第百九十六条を各適用し、家屋明渡を命ずる部分の仮執行宣言は、相当でないと認め右申立は却下することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤井一雄)

(別表)<省略>

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