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東京地方裁判所 昭和32年(ワ)5893号 判決 1960年12月24日

原告 林歌子 外二名

被告 株式会社日出味噌醸造元 外二名

主文

被告会社及び被告望月は各自、原告歌子に対しては金百五十六万五千五百五十四円及びこれに対する昭和三二年三月五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告寛、原告美佐子に対してはそれぞれに金百四十一万五千五百五十四円及びこれに対する昭和三二年三月五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らの、被告会社及び被告望月に対するその余の請求並びに被告綿貫に対する請求をいずれも棄却する。

訴訟費用のうち、原告らと被告綿貫との間に生じた部分はこれを原告らの負担とし、その余の部分はこれを五分し、その一を原告らの、その余を被告会社及び被告望月の負担とする。

この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、原告らにおいてそれぞれ、各被告に対し各金四十万円の担保を供するときは、それぞれ仮に執行することができる。

事実

原告ら訴訟代理人は、「被告らは各自、原告らに対しそれぞれ金二百万円及びこれに対する昭和三二年三月五日から完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、その請求の原因及び被告らの主張に対する答弁として次のとおり述べた。

一、原告林歌子は訴外亡林常太郎の妻であり、原告林寛、同林美佐子はいずれも亡常太郎の養子である。

二、右常太郎は、昭和三二年三月五日午後二時一〇分頃、東京都港区芝二本榎所在の、東英建設株式会社から、同社々員後藤幾の運転する一九五五年型シボレー大型自家用乗用車の後部座席に乗車して、同都目黒区本郷町の、目黒駅方面から柿の木坂方面東西に通ずる道路(以下これをA道という)を東から西に向け進行中、午後二時二五分頃、右道路が碑文谷公園方面から自由ケ丘方面へ南北に通ずる道路(以下これをB道という)と交さする目黒区本郷町七二番地先の十字路(以下本件交さ点という)において、右B道を北から南に向け疾走してきた被告望月喬雄が運転し被告綿貫俊彦が助手として同乗する被告会社の四屯半積大型貨物自動車が、その前部を右乗用車のフエンダー後方に衝突させたため、乗用車はその衝撃で本件交さ点の西南隅附近に投げつけられ、同所にあつた電柱に衝突してそれを折り、その反動でさらに進行方向右斜め前方にいたりようやく停車した。そして常太郎は、貨物自動車との右衝突で、車内鉄骨部に頭部を強打し内出血を起して失神し、さらに電柱との衝突の際の勢で道路上に抛り出され、その後直ちに救急車により附近の目黒区中根町二八八番地本田病院に運ばれ手当をうけたが、意識を回復することなく同日午後四時三五分頭部内出血及び頭蓋骨骨折により死亡した。

三、右事故は、被告望月、同綿貫の過失によつて惹起されたものである。

(一)  事故現場の状況

当日事故発生時刻頃は、みぞれが少々降つていたが、視界は比較的良好であつて、道路面の状態も普通であつた。本件交さ点附近は住宅街であつて交通量はさほど多くなく、とくにB道からの車馬交通はA道のそれよりも少なく、道路の幅員はA道が約七米、B道が約六米であり、交通整理は行われていなかつたけれども、B道からの車馬は本件交さ点で一時停車すべき旨の標識柱が二ケ所に存在していた。交さ点附近の視界は、いずれも塀又は家屋にさえぎられて良好でない。

(二)  被告両名の過失

(1)  本件交さ点は交通整理の行われていない個所であるから、この交さ点に入ろうとするときは、既にA道から先に交さ点に入つていた乗用車の進行を妨げてはならないのにこれを怠り漫然進行した(道路交通取締法第一七条第一項)

(2)  被告らの進行してきたB道には、公安委員会が交さ点の状況により特に必要があると認めて施した一時停車の標識があつたのであるから、一時停車して左右の道路に走行中の車馬が存しないかどうかを確認しなければならないのにこれを怠つた(同法第一八項第二項)

(3)  見とおしのきかない交さ点を進行するときは、警笛を吹鳴する等の合図をして徐行しなければならないのに、これらの合図、徐行をまつたくしなかつた(同法施行令第二九条)

(4)  前方注視の注意義務を怠り、乗用車の進路に漫然進入してこれと衝突した。

(三)  被告綿貫は助手であるけれども、運転手とともに自動車の運行に従事する者であるから、ともに運転者として被告望月と共同の過失を免れない。なお被告望月は、本件事故につき一時停車の義務を怠つた過失ありとして、渋谷簡易裁判所において罰金五万円に処せられ、右刑は確定し、また東京都公安委員会から六〇日間の運転免許停止の処分をうけたものである。

(四)  後藤運転手に過失はない。

(1)  本件交さ点に先に進入したのは、被告らの貨物自道車ではなく、後藤運転手の乗用車である。このことは、双方の自動車の衝突部位に徴して明らかである。

(2)  後藤運転手は、本件交さ点の手前一五米ないし二〇米の地点から警笛を吹鳴し、かつ徐行した。

(3)  乗用車は、道路の中央部よりやゝ左寄りを進行した。

被告は、後藤運転手が時速四〇粁位の高速度で進行してきたと主張するが、同運転手は制限時速三五粁のところを時速二〇粁前後に減速して進行したものである。このことは捜査当局作成の検証調書によれば乗用車のスリツプ痕跡が約四、五米存したとのことであるので、これを時速に逆算すると、時速二〇粁ないし二三粁となることからも明らかである。しかして同運転手は、本件交さ点が左右に見とおしがきかなかつたため、その約二米手前に至つてようやく、被告の貨物自動車が右手のB道から進行してくるのを発見し得たのであるが、その際同車の位置は、右手B道上の約二〇米離れた地点にあつたところから、B道には一時停車の標識があることでもあり、当然同車は交さ点手前で一時停車するものと判断したが、案に相違してそのまま交さ点に進入してきたので、とつさに危険を感じ、さしせまつた衝突の危険を避けるため急ぎ交さ点を通過しようとしたが及ばず、同運転手の乗用車後部に貨物自動車の前部を衝突せしめられたのである。

本件交さ点での左右の見とおしが悪く、右手B道上の約二〇米離れた地点から進行してくる自動車は、これを交さ点の手前約二米に至つてようやく発見できる程度のものであることからして、被告貨物自動車が一時停車せずそのまゝ交さ点に進入してくる以上、後藤運転手としては、本件衝突事故を避け得たためにはおそらく時速一〇粁以下の速度で走行してこなければならなかつたであろう。なぜなら、交さ点の手前二米で相手方を発見急制動をかけた場合、時速一〇粁でも計算上交さ点内に二、三米位進入して急停車しうるにすぎないからである。しかし、時速一〇粁以下で走行せよということは、すなわちいわゆるローギヤ(低速ギヤ)で走行せよということであるが、かくては道路の交通を混乱させ、かえつて交通事故を誘発することとなるものといわねばならない。だからこそ本件交さ点には、右のような状況からとくに必要があるものと認められて、B道に(交通量はA道の方が多く、幅員も広い。A道はB道と異なりバス道路でもある。)一時停車の標識が施されているのである。

これを要するに、高速度交通機関の発達した今日、本件交さ点のように明確に優先順位のある道路においては、横道路より飛出す者に備えて横丁あるごとに即時急停車をなしうる程度に徐行すべき一般的義務はないというべきである。ただ、右の優先通行権ないし高速度交通機関としてこの有用性も、さし迫つた危険があり、事故発生が確実に予見される場合においては、これを主張することが許されないであろうが、本件においては前記のとおり、いかに前方注視義務をつくしても、交さ点の直前に至らなければ相手方自動車を発見しえなかつたのであるから、後藤運転手にとつては、このときに始めて右さし迫つた具体的危険が存在するに至つたわけであるところ、前記のとおり、すでにこの地点においては、時速一〇粁以下の速度で走行してきた場合でないかぎり、いかに急制動をかけても、同運転手としては本件衝突を避えなかつたと考うべきであるから、結局同運転手に過失の責を帰することはできないわけである。

(五)  後藤運転手が渋谷簡易裁判所から罰金四万円に処する旨の略式命令をうけたこと、東京都公安委員会から二〇日間の運転免許停止の処分をうけたことは、被告主張のとおりであるが、右略式命令については正武裁判の申立をなし目下審理中であるので未だ確定したものではないし、運転免許停止処分についても目下その取消の訴願申立中である。なお、右停止処分は、過失がなくても場合によつてはなされることがあり、過失の存否及び過失ありとすればいかなる点に過失があつたかの処分の理由は明らかにされたのであるから、停止処分に付されたからといつて直ちに同運転手にも過失があつたものとすることはできない。

四、被告らには損害賠償の義務がある。

本件事故は、被告会社の被用者である被告望月、同綿貫が、それぞれ運転手及び助手として、被告会社のためにその自動車を運転中(被告会社の商品である味噌の配達に従事中)、共同の過失によつて惹起したものであるから、被告会社は、第一次的には自動車損害賠償保障法第三条により、第二次的には民法第七一五条、第七〇九条により、原告らに生じた損害を賠償する義務があり、被告望月、同綿貫は、民法第七〇九条、第七一九条により、連帯して右損害を賠償する義務がある。

なお、亡林常太郎は東英建設株式会社の代表取締役として後藤運転手の使用者の地位にあつたが、かりに本件事故発生につき同運転手にも過失があつたものとしても、その過失は、事故発生に与えた原因力という点から、被告望月、同綿貫の過失と比較すれば、極めて小さいものというべきであるし、また、常太郎には後藤運転手の選任監督につき過失はなかつたから、同運転手の過失は、本件損害賠償額の算定にあたり斜酌されるべきものでない。

五、原告らの蒙つた損害は次のとおりである。

(一)  亡常太郎の得べかりし利益の喪失

常太郎は、前記のように東英建設株式会社の代表取締役として、同会社から月九万円の給与及び半期十五万円の賞与(いずれも手取額)の支給をうけていたが、同人の一ケ月の生活費は約五万円であつたから、一ケ月の純収益は約四万円であり、右賞与を加算すると年間約七十八万円の純収入があつた。同人は明治一七年九月一八日生れの極めて健康体で死亡当時満七二歳であつたから、厚生省の昭和二九年七月発表にかかる第九回生命表によると、なお、七・六三年間の余命があり、本件事故がなければ同人はなお右年間は前記会社に勤務し、前記純収入を得ることができた筈である。よつて右年間に得べかりし利益の合計は、五百九十五万一千四百円に達し、その金額からホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除した金額四百四十万四千百円は、常太郎が本件事故によつて蒙つた損害であるが、原告らは前記第一項記載のような身分関係に基き、各相続分に応じ各自三分の一ずつ損害賠償請求権を相続したから、原告らにはそれぞれ百四十六万八千三十三円ずつの請求権がある。

(二)  原告らの精神上の苦痛

常太郎は、明治四一年麻布飯倉町に個人経営にて林工務店を開設し、土木、建設及びセメント工業等全般の設計施行に従事していたが、その後右工務店を改組し、昭和二三年一一月東英建設株式会社を設立してその代表取締役に就任し、自ら陣頭に立つて、七名の常勤社員及び約九〇名の大工その他の専属雇員を指揮し、会社の営業に尽力してきた。右会社は、会社組織ではあるが、常太郎の個人出資にかかり、かつ同人の約五〇年間にわたる信用によつて維持運営されてきたものである。なお同人は約二五年間の長きにわたり、方面委員及び民生委員の職にあつて、その信望も厚かつた。

他方被告会社は、味噌の醸造、販売及び不動産の賃貸等を目的とする資本金八百万円の会社で、従業員約八五名を使用しており、全国味噌醸造業界において、つとに重きをなしている一流会社である(昭和三〇年度半期売上高は約二億五百万円に達する)。

原告歌子が常太郎の妻であり、原告寛、同美佐子が養子であることは前記のとおりであるが、原告歌子はその実母とともに常太郎と同居してその扶養をうけていたものであり、原告らは、右のような地位にあつた常太郎の急死により多大の精神的苦痛をうけた。右精神的損害に対する慰藉料は、前記諸事情を考慮し、各自五十万円をもつて相当と考える。

(三)  葬式費用

原告らは、常太郎の死亡によつて次のとおり葬式費用の支出をし、同額の損害をうけた。なお、常太郎の死亡当時、原告林寛がたまたま外国出張中であつたので、とりあえず密葬をなし、同人の帰国をまつて本葬をなしたものであるが、それぞれの費用の内訳は左に示すとおりである。

表<省略>

原告らは右五十五万二千三百十円を各自三分の一ずつ支出したものであるから、結局各自十八万四千百三円三十三銭の損害賠償請求権を有する。

(四)  本件乗用車の修理代

本件事故による乗用車の破損個所の修理代として十五万七千九百円を原告らが各自三分の一ずつ負担支出したから、これにより原告らは各自五万二千六百三十三円三十三銭の損害賠償請求権を取得した。

六、本件事故に関し、被告主張の頃、その主張のように自動車損害賠償責任保険の保険金三十万円をうけとつたことは認めるが右金額のうち十万円は被害者常太郎の実父である訴外林覚太郎に対し支給されたものであり、原告らにはその余の二十万円が支給されたものであるところ、原告らの現実に蒙つた損害額は、本訴で請求する額を合計約六十一万円上廻つているから、右保険給付額二十万円を控除してもなお損害額は本訴請求額を超えるわけである。したがつて、被告主張のように本訴請求額から右保険給付額を控除すべきいわれはない。

七、そこで被告に対し、原告らが各自有する損害賠償請求権のうち、被害者常太郎の得べかりし利益の喪失金のうち各自百三十七万円、慰藉料のうち各自四十万円、葬式費用及び自動車修理代のうち各自二十三万円、以上合計各自二百万円、及び右金額に対する本件不法行為の日である昭和三二年三月五日から完済にいたるまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

被告ら訴訟代理人は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、答弁及び被告らの主張として次のとおり述べた。

一、請求原因第一項の事実は認める。同第二項の事実中、原告主張の日時頃、その主張のような両自動車が本件交さ点で接触したこと、電柱が折れたこと、林常太郎が車外に抛り出されたこと及び同人がその後直ちに病院に運ばれ手当をうけたが、原告主張のようにして死亡したことは認めるが、その余の事実は争う。同第三項(一)の事実は、道路の幅員に関する点を否認し、その余の事実を認める。同(二)の事実は否認する。同(三)のうち、被告望月が原告主張のように罰金刑に処せられ該刑が確定した事実は認める。(四)(五)の主張は争う。同第四項中、被告望月、同綿貫が本件事故発生当時被告会社の被用者で、原告主張のように被告会社の業務の執行にあたつていた事実は認めるが、その余の主張は争う。同第五項の事実中、林常太郎が死亡当時東英建設株式会社の代表取締役であつたこと、被告会社が資本金八百万円で、味噌の醸造及び販売、不動産の賃貸借を目的とする会社であることは認めるが、その余の事実は全部争う。

二、本件事故は後藤運転手の過失に基くものである。

(一)  貨物自動車の運転手被告望月は、本件交さ点にさしかかつた際交通標識にしたがつて、一時停車したが、運転台にある同被告の位置と車体の先端との距離が相当あり、該停車位置では左右の見通しがきかないため、左右の状況を確認する目的で徐々に該自動車を進めて交さ点に入り、交さ点の中心の手前に停車しようとしたものであるが、その際原告側の乗用車は時速四〇粁以上の速度で突如左側A道より、該道路の中央部を進行してきたので、同被告は急ブレーキをかけたが間に合わず、乗用車の右側後部と貨物自動車の先端部とが衝突する結果を招いたものである。右衝突に基く本件事故に関しては、左の諸点において原告側の乗用車の後藤運転手に過失がある。

(1)  貨物自動車は徐行しながらも既に交さ点に入つていたものであるから、後に交さ点に入ろうとした乗用車は、貨物自動車の進行を妨げてならないのに同運転手はこれに違反した(道路交通取締法第一七条第一項)。

(2)  本件事故現場のような見とおしのきかない交さ点を通行する自動車は、警音機、掛声その他の合図をして徐行しなければならないのに、同運転手は、右所定の合図をしなかつたし、また徐行をもしなかつた(同法施行令第二九条)

(3)  本件事故現場のような歩道と車道との区別のない道路においては、前方から進行してくる歩行者の通行を妨げない範囲内で、できるだけ道路の左側を通行をしなければならないのに、乗用車はA道の中央部を進行してきた点に同運転手の過失がある(同施行令第一一条)

(4)  乗用車が電柱に衝突したのは同運転手の操縦の誤りによるものであつて、貨物自動車との接触の衝突に基くものではない。

(二)  本件事故に関し後藤運転手は、その過失のため、東京都公安委員会から二〇日間の運転免許停止の処分をうけ、渋谷簡易裁判所から罰金四万円に処する旨の略式命令をうけた。この事実により同運転手に過失があつたことは明白である。

三、被告綿貫はいわゆる助手であつて、運転上の責任を有するものではないし、本件事故に関し同被告にはなんらの過失も無いものであるから、損害賠償の義務はない。したがつて同被告に対する本訴請求は失当である。

四、葬式費用は、自動車損害賠償保障法及び民法不法行為の規定により賠償を義務づけられた損害の範囲に含まれない。右の損害とはその責任原因事実があつたがためにのみ起る損害をいうのであつて、その原因事実の有無にかかわらず必然に起る損害は、右にいう損害ではない。なんとなれば、かかる損害についてもなお加害者に賠償を命ずることは、著しく衡平の観念に反するからである。葬式費用は人の死に伴つて生ずる出費であり、人の死が避けられないものである以上、葬式費用はその遺族にとつて遅がれ早かれいずれは負担しなければならぬ必然の出費である。かりに、事故がなかつたとしても、遺族にとつてはその負担から免れ得ない費用である。それであるのに、たまたま事故死であるが故にその負担が加害者に転嫁されて、遺族は全然その負担から免れるとすることは、損害の衡平なる分担という理念から考えて甚だ不合理である。よつて原告の本件葬式費用の請求は失当である。

五、原告は、本件事故に対し、自動車損害賠償責任保険の損害賠償額金三十万円を、昭和三二年七月一七日東京海上火災保険株式会社から受領したので、右金額は本件賠償額から控除されるべきである。

六、本件事故に関し、後藤運転手に過失があつたことは前記のとおりである。よつて、かりに原告主張のように被告望月にも過失があつたとしても、被告は、本件損害賠償額を定めるにつき後藤運転手の右過失を斟酌すべきことを求める。

民法第七二二条第二項の過失相殺の認められた趣旨は、民事責任法の根本理念たる「損害の衡平なる分担」という立場から、加害者に不当な負担をなさしめないために、被害者側に責むべき点があつて、これが損害に対してなんらかの影響を与えていると認められるときには、賠償額を算定するにつきこれを斟酌せんとするものであつて、同条項にいわゆる被害者とは常に必ずしも損害賠償請求権の主体たる者のみに限らず、ひろく被害者側という意味に解するを相当とする。そして本件において、後藤運転手は被害者林常太郎の信任を厚うし、常に被害者から運転上の注意をうけながら、常時本件乗用車を運転して被害者とその行動をともにしていたものであるから、右後藤の過失は被害者側の過失として、過失相殺の理論を適用し、賠償額を定めるについて当然斟酌されるべきである。

立証として、原告ら訴訟代理人は、甲第一号証ないし第三号証第四号証の一ないし一〇、第五号証、第六号証、第七号証の一ないし五〇、第八号証ないし第一〇号証を提出し、証人後藤茂、同平瀬文子、同井上広海、同鈴木関太郎、同合田和子の各証言及び検証の結果並びに鑑定人平瀬和一の鑑定の結果及び尋問の結果を援用し、被告ら訴訟代理人は、検証の結果、並びに被告望月喬雄及び同綿貫俊彦の各本人尋問の結果を援用し、甲第一号証、第五号証、第八号証はいずれも成立を認める。第四号証の一ないし一〇は、原告主張の日に、その主張のようなものを撮影した写真であることを認め、利益に援用する、その余の甲号証の成立はいずれも知らない、と述べた。

理由

一、原告ら主張の日時頃、本件交さ点において、被告会社の事業の執行のためにいずれもその被用者たる被告望月喬雄が運転し、被告綿貫俊彦が助手として同乗する被告会社所有の貨物自動車が、訴外後藤茂の運転する乗用者と衝突(接触)したこと、その際右乗用者の後部座席に同乗していた訴外亡林常太郎が車外路上に抛り出され、その後直ちに附近の本田病院に運ばれ手当をうけたが、意識を回復することなく、原告ら主張の時刻頃、頭部内出血及び頭蓋骨骨折により死亡したこと、及び右後藤は、右常太郎がその代表取締役である東英建設株式会社の社員として、同人の被用者の地位にあつたこと、はいずれも当事者間に争いがない。

二、ところで、検証の結果に、証人後藤茂の証言及び被告望月喬雄本人の供述を合わせると、本件事故現場の交さ点は、いずれも幅員六米余の東西(A道)及び南北(B道)に通ずるアスフアルト舖装道路がほぼ直角に交さする十字路であるが、附近は住宅街であつて、住家の石垣や土堤が道路をはさんでめぐらされているため、いずれの方向からこの十字路に進入する場合も、左右の見とおしはほとんどきかないこと、交通量はもともと多くないが、比較すればA道を往来する交通量の方が、B道のそれよりも多く、A道はバス道路であること、交通整理は行われていないが、交さ点手前のB道上には、一時停車すべき旨の標識柱が施されていること、本件事故発生時頃は、みぞれが少々降つていたが、これがために前方の視界が妨げられるようなことはなかつたこと、が認められる。右のような状況のもとにおいて、自動車を運転して右交さ点に入ろうとする場合、B道を進行する運転者としては、標識に従い確実に一時停車し、左右を注視してA道を進行してくる車馬の有無を確かめ、もし進行中の車馬があれば、その進行速度と距離とを比較したうえ、事情により、それが完全に交さ点を通過した後同所に進入するか、又はそれが自己の自動車と接触衝突することのないことを見定めて初めて始動し、充分注意しながらA道を横断する等、交さ点通過の安全を確認したうえで進行し、もつて事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるものといわなければならないことはもちろんであるが、他方A道を進行する運転者としても、本件交さ点のように見とおしのほとんどきかない交さ点にさしかかつた際には、一時停車の義務に違反して左右の道路から漫然進出してくる車馬がないとは保証しがたいところであるから、これに備えて、予め警笛を吹鳴する等の合図をするのはもちろん、さらに急停車をなすことにより衝突等を避けうる程度に減速徐行し、もつて事故の発生を未然に防止し、或いは少くとも、その被害を最少限度に止めるべき注意義務があるものと考えるのが相当である。

そして、いずれも原告主張の頃本件乗用車を撮影した写真であることについて争いのない甲第四号証の一ないし九、いずれも成立に争いのない甲第八号証、同第五号証、証人後藤茂、同井上広海の各証言、(但し証人後藤についてはその一部)被告望月喬雄、同綿貫俊彦の各本人尋問の結果(但しいずれもその一部)、鑑定人平瀬和一の鑑定の結果及び尋問の結果に、検証の結果並びに本件口頭弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。すなわち、被告望月は、被告会社所有の貨物自動車に被告綿貫を助手として同乗させたうえこれを運転し、被告会社の商品である味噌一〇貫目入り四〇本位を積んで鶴見方面へ配達に向う途中、本件B道を北から南に向け時速三〇粁を超える速度で進行し、一方訴外後藤は、本件乗用車の後部座席に亡常太郎を乗せ、同人の命により駒沢方面へ向う途中、本件A道を東から西に向け時速二五粁以上の速度で進行し、それぞれ本件交さ点にさしかかつたのであるが、その際被告望月運転手は、交さ点手前で一時停車の標識を認めたにかかわらず、漫然と、左右の見とおしの良くきく交さ点中央部に到つてから安全を確認しようと考え、一時停車をすることなく、また警笛も鳴らさず、単に若干減速しただけでそのまま交さ点に進入したため、左手A道から少し早くに交さ点に入つていた相手方乗用車を発見し、とつさに急停車の措置をとつたときはすでに遅く、相手方後藤運転手において、衝突を避けるための臨機の措置として、急ぎ速力を増し、やや左廻りに速やかに交さ点を通り過ぎようと試みたのも甲斐なく、交さ点中央部やや南寄りで、貨物自動車前部を相手方乗用事の後部右側に衡突せしめ、その衝撃と、後藤運転手の右臨機の措置としてなしたハンドル操作とにより、乗用車は進行方向左前方の交さ点西南隅附近に追いやられ、同所にあつた電柱に後部左側部分を衝突させ、これらの衝撃によつて常太郎は乗用車内部で頭部を強打し、かつ右電柱との衝突の際、路上に抛り出されたという次第であるが、後藤運転手としては、交さ点手前二〇米位から警笛を数回鳴らし道路中央部よりやや左側を進行しながらも、B道からの車馬は標識に従つて必ず一時停車するものと漫然期待し、その方面に特段の注意を払わず、速度を心もち減速した程度で交さ点に進入したため、右手B道から交さ点寸前の位置に迫つていた相手方自動車を発見し得たときはすでに、急停車の措置をもつてしては衝突を避け得ず、むしろ急遽交さ点を通り過ぎるほかはないととつさに判断するの余儀なきに至り、前記のようにその措置に出たものである。被告望月、同綿貫各本人の供述及び証人後藤の証言中、右の認定に反する部分はいずれも採用しない。

以上の事実によつて考えれば、本件衝突事故は、被告望月運転手の過失(主として一時停車義務違反)が主たる原因をなして惹起されたものというべきことは明らかであるが、他方後藤運転手にもまた過失なしとはいいきれず、これが本件衝突事故発生ないし少くとも被害者常太郎死亡の一因となつたものといわざるをえない。けだし原告らは、自動車の高速度交通機関としての有用性が認められている今日、本件交さ点のように明確に優先順位のある道路においては、横道路より飛出す者に備えて横丁あるごとに即時急停車をなしうる程度に徐行すべき義務はない旨主張するが、横道路でない物蔭から突然飛出してきたとか、横道路であつても飛出してくることを前もつて予知しうる地形になかつたとかの場合ならともかく、本件B道のように、見とおし悪くそのため一時停車の標識が施されているとはいえ、幅員においてA道とほとんど甲乙のない横道路に対しては、たとえそれが相手方の不当な運転によるものであるにせよ、該道路から漫然進出してくる車馬のありうることを考え、これに備えて、衝突を未然に防止し得る程度の減速徐行をA道の運転者に要求することは、いやしくも乗客運搬という人命を荷つて運転の業務に従事している者である以上、酷に失するものといいきることはできないからである。もつとも本件の場合、A道の後藤運転手としては、たとえ減速して本件交さ点に臨んだとしても、相手方自動車を発見し得るのは交さ点寸前に到つてからであるから、直ちに急停車の措置を講じても、なお交さ点内にいくらか進入して停車し得るにすぎず、したがつて相手方自動車がそのまま漫然進出してくる限り、結局衝突は避けられなかつたであろうことは、原告らの主張するとおりと考えざるをえないけれども、後藤運転手の減速徐行が本件交さ点の状況にふさわしい程度のものであつたなら、たとえ衝突は避けられないまでも、これによる被害を最少限度に喰止め、常太郎の死亡という結果までは惹起さずにすんだのではないかということもこれまた充分考えられるところであるから、結局、後藤運転手には、横道路からの不当な運転者に備えて、これに相応じ得る程度の減速徐行をしなかつた点に過失があり、ひいてはこれが被害者死亡の一因となつたものといわざるを得ない。

そして、左のような事情にある被告望月運転手と後藤運転手とのそれぞれの過失の程度を、割合をもつて示すなら、当事者間に争いない事実である本件事故につき被告望月は六〇日間の、後藤茂は二〇日間の、各運転免許停止処分をうけたこと等をも合わせ考慮し、それぞれ三対一の割合であると認めるのが相当である。

なお、原告らは、被告綿貫は助手であるけれども運転手とともに自動車運行に従事する者であるから、ともに運転者として被告望月と共同の過失を免れない旨主張する。しかし、自動車運転助手は、自動車の運転に際し運転手に協力して事故発生の防止につとめるべき業務上の注意義務ある者であるが、本件の場合、事故発生を避けるためには、標識に従つた一時停車が絶対に必要であること前記のとおりであり、しかも自動車を停車せしめることは運転手の職責であつて、助手はこれをなし得ず、単に運転手がそういう状況に気づかないでいる場合にこれを運転手に告げて右措置を促がすこと以上の職責を有するものではないと解すべきところ、本件交さ点にさしかかるに際し、運転手たる被告望月において、一時停車の標識を認識していたことは前記認定のとおりであるから、被告綿貫としては、その場合重ねて被告望月に対し、一時停車の措置を促がすべき注意義務を有したものと認めることはできず、他に被告綿貫の過失を認めるに足りる証拠はないから、原告らの右主張は採用できない。

三、以上によつて、被告会社は本件貨物自動車を自己のために運行の用に供する者として、被害者常太郎が本件事故の結果生命を害せられたことによつて同人ないし原告ら(被害者との身分関係については後述)の蒙つた損害については自動車損害賠償保障法第三条により、その余の損害については民法第七一五条により、それぞれこれが賠償の義務があり、被告望月は、右全損害につき民法第七〇九条により賠償の義務があるといわなければならないが、被告綿貫については損害賠償義務を認めることができない。そして、被害者常太郎の死亡の結果発生については、同人の被用者である後藤運転手にも過失があつたと認めるべきことは前記のとおりであるから、その過失は信義則上被害者の過失と実質的に同視すべく、したがつてそれは、右死亡による損害賠償額を定めるについては斟酌さるべきものである。この点につき原告らは、常太郎には後藤運転手の選任監督につき過失がなかつたから、同運転手の過失をもつて過失相殺することは許されない旨主張するが、民法第七二二条第二項の趣旨は、損害の公平なる分担という見地から、被害者側にも責むべき点があつて、それが損害に対して影響を与えていると認められるときには、賠償額を定めるにつきこれを斟酌しようとするものであつて、したがつて、同条項にいう「被害者」とは、必ずしも損害賠償請求権の主体たる者に限らず、ひろく被害者側という意味に解するのが相当であり、また同条項にいう「過失」も、不法行為の成立要件としての過失とは異なり、右過失の前提となる注意義務よりは軽度の、単なる不注意を意味するものにすぎないと解すべきものであるから、いわゆる過失相殺については、民法第七一五条の不法行為の成否を考える場合に問題となる被用者の選任監督についての過失を論ずる余地はないものというべきで、したがつて原告らの右主張は採用することができない。

四、そこで次に損害賠償の額について考える。

(一)  被害者常太郎の得べかりし利益の賠償

原告歌子が常太郎の妻であり、原告寛、同美佐子がいずれも常太郎の養子であることは当事者間に争いないところ、成立に争いない甲第一号証、証人鈴木関太郎の証言及びそれにより成立を認める甲第二号証、証人合田和子の証言及びそれにより成立を認める甲第六号証、証人平瀬文子の証言並びに弁論の全趣旨を綜合すれば、常太郎は明治一七年九月一八日生れで、明治四一年頃麻布飯倉町に個人経営にて林工務店を開設し、土木、建築及びセメント工業等全般の設計施行を行い、その後右工務店を改組し、昭和二三年一一月頃東英建設株式会社を設立、その代表取締役社長に就任し、爾来その職にあつたこと、右会社は、会社組織ではあるが、その実体は常太郎の個人出資にかかり、かつ同人の右林工務店開設以来の信用により維持運営されてきたもので、同人は常時自ら陣頭に立つて、常勤社員及び専属雇員等を指揮して会社の運営に精励してきたこと、同人は、本件事故当時右会社より、いずれも手取額で月額九万円の給与と半期十五万円の賞与の支給をうけ、その収入で、同居にかかる妻歌子(明治三二年生れ)及び同女の実毋を扶養していたこと、及び同人は、外見的にも年令よりはるかに若々しく見え、極めて健康体の持主であつたこと、を認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。

右のとおり常太郎には、年額にして百三十八万円(月額にすれば十一万五千円)の収入があつたものであり、同人は死亡当時満七二才に達していたが、その推定余命は、厚生省発表にかかる第九回生命表によると七・六三年であり、同人が右認定のように極めて健康体の持主であつたことからすれば、右平均余命期間はなお右と同様の地位にあつて少なくとも右と同程度の収入を得ることができたものと推測される。なお、常太郎本人のいわゆる生活費については、原告らはこれを月額五万円と主張するが、これに関する立証は別段ないので、前記認定の扶養家族構成と各自の年令を基準とし、死亡当時の消費単位指数を、常太郎一・〇、妻歌子〇・九、妻の母〇・六とし、常太郎本人の指数と扶養家族の指数合計とによつて、前記百三十八万円を按分して算出すれば、常太郎の生活費は年額五十五万二千円(月額にすれば四万六千円)となる(ただし、この計算は、常太郎において収入額から生活費を控除した剰余-貯金等-を有したことの立証がないので、収入全部を一家の生活費に消費し、剰余がまつたくなかつたものとしてなしたものである)。結局常太郎は、向後七・六三年間にわたり、一ケ年につき前記百三十八万円の収入額から五十五万二千円の生活費を控除した八十二万八千円の割合による純利益合計六百三十一万七千六百四十円を喪失したものであつて、右年金的利益に対してホフマン式計算法により民法所定の年五分の割合による中間利息を控除した現在価格を算出すると五百二十四万一千五百四十三円(円未満の端数を切捨計算。以下の計算においても同じ)となる(なお、この計算は、向後七・六三年間の中間利息を一括して差引く方法でなく、一年ごとの純利益について、別々に中間利息を差引く方法によつたものである)。そして、前記認定のような後藤運転手の過失に関する事情を斟酌すれば、結局常太郎は、本件事故により死亡し得べかりし利益を喪失したことにより、三百九十三万一千百五十七円の損害賠償請求権を取得したものとするのが相当であり、原告ら三名は各自の相続分に応じて右金額の三分の一である百三十一万三百八十五円の損害賠償請求権を相続したものというべきである。

(二)  葬式費用の賠償

原告らが、常太郎死亡のために、治療費、屍体引取運搬費、葬式費用及び葬式に附随する費用等として、その主張のような内訳で合計五十五万二千三百十円の支出を余儀なくされたこと、右支出は常太郎の社会的地位、職業等からして相当のものであつたこと、なお、右金員は原告らがこれを各自三分の一ずつ負担支出したものであること、は証人合田和子の証言及びそれにより成立を認める甲第七号証の一ないし四九、証人鈴木関太郎の証言並びに弁論の全趣旨によつてこれを認めることができるから、原告らはこれにより右同額の損害をうけたわけである。しかし、原告らも主張するように、右金額のうち二十四万二千百六十五円(葬儀屋に支払つた葬儀代十六万六千円は、密葬、本葬へ各半額ずつ充てられたものと推認できる)は、本葬に関する費用であり、右鈴木証言によれば、常太郎死亡当時、原告寛がたまたま外国出張中であつたので、止むをえず、とりあえず密葬をなし、同人の帰国をまつて改めて本葬をなした次第であることを認めることができるが、このようにして支出された本葬関係の費用は、いわゆる特別事情による損害にあたるものというべきところ、被告らにおいて当時右のような事情を予見し、又は予見し得たことについては原告からなんら主張立証がないから、被告らに対し右部分の損害賠償を請求することは許されない。したがつて原告らとしては、その祭の密葬関係の支出額合計三十一万百四十五円についてのみ賠償を請求しうるものであるが、前記認定の被害者側の過失に関する事情を斟酌すれば、右損害賠償の額は、二十三万二千六百八円をもつて相当とし、結局原告らは、葬式費用を支出したことにより各自右金額の三分の一である七万七千五百三十六円の損害賠償請求権を取得したものというべきである。

なお被告らは、葬式費用は人の死に伴つて生ずる出費であり、その死が不可避である以上、葬式費用はその遺族にとつて早晩負担しなければならぬ必然の出費であるがら、たまたま事故死であるが故に遺族はその負担から全く免れるとするのは不合理である旨主張するが、被害者がまさに死期の迫つた病人であつたというような特別の事情のある場合ならともかく、死が不可避であるということから直ちに、将来親ないし失の葬式費用を必ず子供ないし妻が支出するものと速断することはできない(一般に、子ないし妻が親ないし夫より永生きするとは限らない)から、事故死により支出された葬式費用は、結局該事故により生じた損害にほかならないといわざるをえず、したがつて右主張は採用することができない。

(三)  慰藉料

成立に争いない甲第一号証、証人鈴木関太郎、同後藤茂の各証言及び弁論の全趣旨によると、常太郎は、明治四一年頃二〇才余のとき郷里鹿児島県からいわゆる裸一貫で上京し、前記のように林工務店を開設して以来、努力してその地位と信用をかち得たいわば立志伝中の人物で、責任感が非常に強い反面人情味篤く、また二〇数年間民主委員等として社会的にも人望を厚うしてきたこと、孝心深く、同人の突然の死亡により実父覚太郎は少なからず気を落し、同人を追うようにして間もなく死去したこと、妻である原告歌子はその実母とともに常太郎と同居して扶養をうけ、原告寛及び美佐子は、ともに常太郎の養子であるが、寛は大正四年生れ、美佐子は大正一〇年生れの夫婦で、常太郎ないし母歌子とは同居していなかつたこと、が認められる。右のような常太郎の不慮の死亡によつて原告らが多大の精神的苦痛を蒙つたであろうことは当然である。そして、これらの原告側の事情と、弁論の全趣旨及びそれによつて真正に成立したものと認める甲第三号証からうかがえる被告会社の資産、営業状態、被告望月の本人尋問の結果からうかがえる同人の年令、職業、社会的地位、及び前記認定のような本件事故発生についての同人の過失の程度等の被告側の事情とを合わせ考え、さらに前記認定の被害者側の過失に関する事情その他本時にあらわれた諸般の事情を斟酌するときは、原告らの精神的損害に対する慰藉料としては、原告歌子に対し二十万円、原告寛、同美佐子に対しいずれも五万円とするのが相当であると認める。

(四)  乗用車修理代の賠償

証人合田和子の証言により成立を認める甲第七号証の五〇、証人後藤茂の証言に弁論の全趣旨を合わせると、本件乗用車は本件衝突事故によつて破損し、これを修理するために十五万七千九百円を要したが、これを原告らが各自三分の一ずつ負担支出したものであることが認められるから、これにより原告らは各自五万二千六百三十三円の損害賠償請求権を取得したものというべきである。

五、以上によつて、原告歌子は、前項(一)ないし(四)の合計百六十四万五百五十四円の、原告寛、同美佐子は各店合計百四十九万五百五十四円の、各損害賠償請求権を有するところ、原告らが、本件事故につき自動車損害賠償保障法に基き、保険会社より三十万円の損害賠償額の支払いをうけたことは、原告らの自認するところであるが、原告らは、右三十万円のうち十万円は常太郎の実父覚太郎に対し支払われた分である旨主張するので考えてみるに、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認めうる甲第九号証、同第一〇号証によれば、右三十万円はその全額が原告らに対する分として支払われたものでなく、その一部は実父覚太郎に対する慰藉料、被扶養権侵害に対する損害賠償等として支払われたものであることがうかがえるが、右三十万円のうちなにほどの額がこれに宛てられたものかは明らかでなく、他にこの点を認めうる証拠もないので、右三十万円は、原告ら及び右覚太郎の計四名が平等の割合で支給をうけたものと解するほかはない。そうすると、原告らとしては各自七万五千円ずつ損害賠償額の支払いをうけたことになるから、結局被告ら(被告会社及び被告望月)は各店、原告歌子に対しては前記百六十四万五百五十四円から右金額を控除した残額百五十六万五千五百五十四円について、原告寛、同美佐子に対しては、それぞれ前記百四十九万五百五十四円から右金額を控除した残額百四十一万五千五百五十四円について、及び右各金員に対する本件不法行為の日である昭和三二年三月五日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金について、それぞれ賠償義務があるが、その余の部分についてはその義務がないといわなければならない。

六、よつて原告らの本訴請求中、被告会社及び被告望月に対し、原告歌子については百五十六万五千五百五十四円とこれに対する昭和三二年三月五日から支払いずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める部分、原告寛、同美佐子については各自につき百四十一万五千五百五十四円とこれに対する昭和三二年三月五日から支払いずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める部分は、いずれも正当としてこれを認容するが、その余の部分及び被告綿貫に対する請求は理由がないからいずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条本文、第九三条第一項本文、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石田哲一 下門祥人 桜井敏雄)

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