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東京地方裁判所 昭和32年(ワ)8909号 判決 1960年4月11日

原告 鈴木秀吉

被告 国

訴訟代理人 矢代利則 外三名

主文

一、原告の第一次的請求を棄却する。

二、被告は原告に対し、金二千百十一万六千六百七十九円四十七銭、およびこれに対する昭和三十二年十一月十五日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三、訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、第一次的請求として、被告は原告に対し金二千百十一万六千六百七十九円四十七銭およびこれに対する昭和三十三年四月十日以降完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え、第二次的請求として主文同旨の判決を求め、請求原因として次のとおり述べた。

第一次的請求の原因

一、第二次世界大戦の終戦当時満洲国に駐留していた被告国の軍隊第九三三一部隊滝川隊の分任資金前渡官吏陸軍主計中尉高松澄男は、昭和二十年八月二十日、金額二千百十一万六千六百七十九円四十七銭、振出地および支払地満洲国奉天市、支払人日本銀行奉天代理店とする持参人払小切手一通を振出し、これを満洲土木建築公会(満洲土木建築公会法に基いて設立された満洲国の公法人)奉天支部長星村伍次郎に交付し、同人は右小切手を日本銀行奉天代理店に呈示しようとしたが、同代理店は同日午後五時頃、占領ソ聯軍の命により強制的に閉鎖されたためこれをなし得ず、したがつて適法に拒絶証書の作成を受け、または同代理店からこれと同一の効力を有する宣言を得ることは全然不可能となつた。

二、原告は右小切手を同年九月中右星村伍次郎から譲渡を受けてこれが所持人となり、昭和二十一年十二月八日満洲から引揚げ帰国したが、右小切手は昭和二十年勅令第五百七十八号、大蔵省令第八十八号の定めるところにより、税関において保管すべきものであつたので、横浜税関に提出して同庁がこれを保管し、昭和二十九年一月六日に至り、同税関から原告に返還された。そこで原告は、同年二月中右小切手を日本銀行国庫局に呈示したところ、同局より大蔵省と交渉すべき旨指示され、同省理材局外債課と折衝したが遂に被告から右小切手金の支払はされなかつた。

三、ところで右小切手の呈示期間は昭和二十年八月三十日までであるが、前記のとおり終戦にともなう支払人日本銀行奉天代理店の閉鎖、およびその後の法律上の禁制により、その呈示は不可能となつた。これは終戦および広義の法令による禁制であるから、いわゆる不可抗力であつて、呈示期間は不可抗力の終るまで伸長される。そしてこの避くべからざる障碍は、その後日本銀行奉天代理店の再開がないので現に継続しており、しかもその期間は十五日を超えるものであるから、満洲国小切手法第四十七条の趣旨により、原告は右小切手の所持人として未だ遡求権を有するものである。なお原告は右不可抗力につき、右小切手の振出人にこれが通知をしていないが、不可抗力の通知は支払拒絶の通知と同様、遡求権保全または行使の条件ではないから、右通知の手続を欠いたことによつて本件遡求権は消滅しない。

四、よつて原告は右小切手の所持人として遡求権を行使し、被告国に対し、同小切手金と、これに対する本件訴状訂正書到達の翌日である昭和三十三年四月十日以降完済に至るまで、満洲国小切手法所定年六分の割合による利息の支払を求める。

五、被告は、本訴請求の債権は外国貿易外国為替管理法第二十八条に該当し、大蔵大臣の許可がなければ請求し得ない旨主張する。

(一)  しかし右抗弁は時機に後れた抗弁であるから、民事訴訟法第百三十九条により却下さるべきである。

(二)  また原告主張の債権は右法条に該当しない。殊に国が債務者である場合に、大蔵大臣の許可を訴訟条件とするが如きは、個人の権利を不当に制限し、その債務を免れるもので、憲法第二十九条に違反し、規定自体がその範囲で無効である。

(三)  本件訴訟は、その提起前に大蔵省、厚生省等と折衝し、訴を提起するよう大蔵省より示唆されて提起したもので、大蔵当局はこれを許可したというべきである。

六、被告はまた原告主張の遡求権が時効により消滅したと主張するが、日本銀行奉天代理店は今に至るも再開されないので、避くべからざる障碍は依然継続し、呈示期間はそのため未だ伸長されており、したがつて遡求権が時効により消滅する筈はない。

第二次的請求の原因として、

一、仮に第一次的請求における償還請求権が手続の欠缺により消滅しているものとすれば、原告は被告に対し、右小切手より生じた権利の消滅により被告の受けた利得の償還を請求する。

二、右小切手振出の事情は次のとおりである。

(一)  満洲国駐在の第三方面軍司令部第九三三一部隊は、終戦前満洲国において、諸種の土木建築工事を直轄し自ら施工しており、そのため満人、朝鮮人、日本人等六・七万人を使役していたが、終戦後の残務処理にあたり、これら労務者を解散帰郷させるため、未払労賃および旅費等を支給することとなり、右部隊経理部長陸軍主計少将滝川保之助が同経理課長陸軍主計少佐高松繁夫および工務課長遠藤文也に対し、速やかにこれを実行すべき旨を命じた。

(二)  しかし複雑な支払金額の算出に日時を徒過するうち、昭和二十年八月十七日遂にソ聯部隊が進駐し、日本軍関係者は旅行の自由を奪われ、前記賃金等を軍自ら労務者に支払うことは不可能となつた。しかしこれを放置すれば労務者が暴動を起す危険があり、やむを得ず臨機の措置として前記満洲土木建築公会奉天支部に対し、軍に代つて前記労務者に対する賃金、帰郷手当等の支払方を委託し、その資金に当てるため、現金交付に代えて、昭和二十年八月二十日右部隊分任資金前渡官吏陸軍主計中尉高松澄男が右小切手を振出し、これを右支部長星村伍次郎に交付した。

(三)  なお、右小切手は既述のとおり支払人からの支払が得られなかつたが、右支部は軍の委託の趣旨を諒し、且つ後日小切手金の支払を受けられるものと確信し、右支部を構成する各請負業者らの手持現金をもつて、同年十一月までの間にその支払を完了した。その立替金額は右小切手金額と殆ど同額で僅かにこれを超えるものであつた。

三、以上のとおり右小切手は、被告国の軍が、満洲土木建築公会奉天支部に対する、前記労務者への支払委託による資金支払に代えて振出したもので、被告国は、同小切手上の権利の消滅により、その支払を免れた結果、その原因関係上の債務の支払を免れ、右小切手金額と同額の利得をした。

四、よつて原告は右小切手の所持人として、被告に対し、金二千百十一万六千六百七十九円四十七銭およびこれに対する本訴状送達の翌日である昭和三十二年十一月十五日以降完済に至るまで年五分の割合による損害金の支払を求める。

五、被告は本訴請求につき、第一次的請求に対すると同様外国為替外国貿易管理法に基く主張をするが、これに対する原告の主張および答弁は第一次的請求におけると同一である。

六、次に被告は本件小切手上の原因関係上の債権が時効または戦時補償特別措置法によつて消滅し、利得償還請求権は発生しないと主張するが、これは右小切手の原因債務が請負契約上の代金債務であることを前提とするもので当を得ない。

被告指定代理人は、原告の請求をいずれも棄却する、訴訟費用は原告の負担とする、との判決を求め次のとおり答弁した。

第一次的請求につき、

一、同請求原因一の事実中、原告主張の小切手がその主張の日に主張の者によつて振出されたことは認め、その余は争う。同二の事実は認める。同三の事実中右小切手の呈示期間の点を認めその余は争う。

二、原告の本訴において請求する債権は、外国為替外国貿易管理法(昭和二十四年法律第二百二十八号)第二十八条、外国為替管理令(昭和二十五年政令第二百三号)第十一条により、大蔵大臣の許可がなければ支払えないものであるから、右許可を得た上で請求すべきであるが、原告はその許可を受けていないから、本訴請求は爾余の点に立入るまでもなく失当というべきである。

三、次に、本件小切手による遡求権の行使には、旧満洲国小切手法第二十九条第一項、第三十九条により、支払地において右小切手の呈示をなし、拒絶証書またはこれと同一の効力を有する宣言を受ける必要があり、昭和二十年八月三十日当時旧満洲国内の治安が相当乱れていたことは想像されるが、右小切手の所持人であつた訴外星村伍次郎が、その頃奉天市所在日本銀行奉天代理店満洲中央銀行奉天支店長から、右小切手の支払不能証明を得ている事実に徴すれば、右小切手につき前記の手続を経ることは可能であつたと認められるのに、この手続がなされていないから、原告はもはや遡求権を行使し得ない。

四、仮に右小切手の呈示が、不可抗力により不可能であつたとすれば、同小切手の振出人に対する遡求権を保全するためには、その所持人が振出人にその旨通知し、かつ右小切手上にその旨を記載し、日附を附してこれに署名しなければならないが、その手続がなされていないから、既に遡求権は消滅した。

五、仮に手続の欠缺により遡求権が消滅したと認められないとすれば、右小切手に基く遡求権の行使は、原告が右小切手を横浜税関から返還された昭和二十九年一月六日以後これをなし得たものであるところ、旧満洲国小切手法第五十一条によりその消滅時効は六ケ月であるから、その経過をもつて右小切手の遡求権は時効により消滅した。

よつていずれの点からしても原告の第一次的請求は棄却されるべきである。

第二次的請求につき、

一、同請求原因二(一)の事実中原告主張の部隊が終戦処理の業務を実施したこと、原告主張の訴外滝川、高松、遠藤がその主張の官職にあつたことは認めるが、その余は争う。同二(二)事実中原告主張の小切手が右高松によつて振出され訴外星村に交付されたことは認めるが、その余は争う。同二(三)事実中右小切手金が支払人から支払われなかつた点を認め、その余は争う。同三の被告に利得償還義務があるとの主張を否認する。

二、本訴請求にかゝる債権は、第一次的請求の債権と同様外国為替外国貿易管理法第二十八条、外国為替管理令第十一条により、大蔵大臣の許可がなければ支払えないところ、その許可を得ていないから、本訴請求は失当である。

三、本件小切手振出に関する原告の主張は事実と異なる。前記第三方面軍は終戦前各種の軍事施設の建設工事をしていたが、これは軍自ら施工していたのでなく、土木建築請負業者に請負せていたものである。そして終戦とともに右各工事の必要がなくなつたので、軍の残務処理機関において、終戦当時における各請負工事の出来高に応じ、それぞれの請負業者に工事代金を支払うこととし、その支払確保のため、本件小切手を振出し、これを右請負業者の代表者である満洲土木建築公会奉天支部長星村伍次郎に交付したものである。

四、ところで以上の如く、原因関係上の債務の支払を確保するため小切手が振出された場合には、原因関係上の債権が消滅の後小切手上の権利が消滅し、または小切手上の権利が消滅の後に原因関係上の権利が消滅すれば、利得償還請求権は発生しないところ、本件小切手振出の原因関係は前記のとおり満洲国における請負契約上の代金の支払にあつて、同債権は同国民法第百五十五条により五年の消滅時効にかゝり、右各請負業者が終戦時の不可抗力により、日本に引揚げるまでは右請負代金の請求ができなかつたとしても、引揚げの後には請求できた筈であつて、右各請負業者は昭和二十四年十月頃までに全員帰国しているから、右小切手振出の原因関係上の債権は、昭和二十九年十月の経過をもつてすべて時効により消滅した。したがつて被告は右請負業者らが右小切手振出の原因関係上の債権を行使しなかつた結果、その債務を免れたが、右小切手金の償還を免れたことによつては別段利得を得ていないし、原告に利得償還請求権は発生しない。

五、また右小切手振出の原因関係上の債権は、前記のとおり昭和二十年八月十五日以前に発生した請負契約による債権であるから、右は正しく戦時補償特別措置法第一条、同法別表一の六、七に該当する債権である。そして右債権については同法第十条第十二項、十三項、同法施行規則第十八条、第八条により、在外資産としてその全額を課税価格として戦時補償特別税が賦課され、これについては同施行規則第二十七条第二項、同法第十七条により債権者の申告を要せず、昭和二十一年十一月三十日の経過とともに戦時補償特別税の納付があつたとみなされ、同時にかゝる債権は消滅する。

したがつて被告は右小切手金の支払を免れたことによつて償還すべき利得を得ていない。

以上のとおり原告の第二次的請求も理由がないから棄却さるべきである。

証拠

原告訴訟代理人は、甲第一、二、三号証第四号証の一、二(訴外古屋要が関東軍より土木建築公会に交付した書類を写したもの)、第五号証(右古屋要が甲第四号証の一、二に基き作成したもの)、第六および七号証の各一、二、第八号証、第九号証の一、二、第十、十一、十二号証を提出し、証人滝川保之助、同田中宇吉の各証言および原告本人尋問の結果を援用し、被告指定代理人は、証人谷村光春、同脇谷醇の各証言を援用し、甲第一号証につき表面および裏面の高松の作成部分の成立を認めその余不知、甲第二、三号証、第八号証、第九号証の一、二、第十、十一、十二号証の成立を認め、その余の甲号各証は不知と述べた。

理由

一、被告は、原告の本訴請求債権はいずれも外国為替外国貿易管理法第二十八条、外国為替管理令第十一条により、大蔵大臣の許可を得なければ支払えない債権であるから、この許可を得ないで提起した本件訴訟はいずれも不適法である旨主張するので、この点につき判断する。

まず原告は被告の右主張は時機に後れた抗弁であるから却下さるべき旨申立てるところ、右主張が本訴訟の最終口頭弁論期日になされたことは本件記録上明らかであるが、裁判所において職権をもつて調査すべき訴訟条件に関し、且つ既に審理された事実を前提とする法律上の主張であるから、これがため訴訟の完結を遅延せしむべきものとは認められないので、原告の右申立は理由がない。

ところで、本訴請求はいずれも、後記認定のとおり、旧満洲国における被告国に対する利益の提供に関連して、本邦に居住する原告が被告国に対し、本邦において、代償の支払を求めるものであつて、外国為替外国貿易管理法第二十八条の文理からすると、被告が右支払をするについては外国為替管理令第十一条に規定する大蔵大臣の許可を要する如く見える。しかし、右法条は、かかる代償を支払う場合につき、許可を要する旨定めたのに止まり、支払の請求自体を規制の対象とするものではないから、右の許可が、代償請求債権の執行の要件となることは別として、これを欠いても訴の提起自体は何ら違法ではない。のみならず、国が右代償請求の債務者である場合、この支払に大蔵大臣の許可を要するとすることは、行政処分の給付を訴求し得ない訴訟法の立前からして、国が右債務の存否を争う場合、個人の財産権の行使を不当に制限することにもなり、また同法が右許可を受けない支払人に刑罰をもつて臨んでいる趣旨に照らしても、同法第二十八条は国が債務者である場合には適用がない、と解するのを相当とする。されば被告の右主張は理由がない。

二、よつて第一次的請求について判断するに、原告主張の小切手が、昭和二十年八月二十日旧満洲国奉天市において、被告国の軍隊の分任資金前渡官吏によつて振出され、訴外星村伍次郎に交付されたこと、原告が同人から譲渡を受けて、現在その所持人であること、原告が右小切手を所持して昭和二十一年十二月日本に引揚げ帰国したが、昭和二十年勅令第五百七十八号大蔵省令第八十八号の規定により右小切手を横浜税関に提出し、昭和二十九年一月六日同庁より原告に返還されたことは当事者間に争がない。

ところで右小切手の支払地は旧満洲国奉天市であるから、その呈示期間は小切手法第八十条第二号、旧満洲国小切手法第二十九条により、昭和二十年八月三十日までであるが、成立に争のない甲第二号証、証人田中宇吉の証言および原告本人尋問の結果によると、奉天市は同月十七日頃ソ聯軍によつて占領され、右小切手の支払人日本銀行奉天代理店の所在する満洲中央銀行奉天支店は同月二十日夕刻より右ソ聯軍によつて閉鎖されて、右呈示期間中における呈示は不可能であり、その状態は原告の帰国するときまで継続していたことが認められ(この認定に反する証拠はない)、また原告帰国に際し、右小切手の輸入が前記法令によつて規制されたため、同小切手がその頃から昭和二十九年一月六日原告に返還されるまで、横浜税関によつて保管されていたことは前示のとおりである。されば右小切手はその呈示が戦争および法令の禁制による不可抗力によつて妨げられ、呈示期間が右同日まで伸長されたものといわねばならない。ところで原告は、右小切手の支払人である日本銀行奉天代理店がその後再開されないので、現在に至るも同小切手を呈示することができないから、未だ右不可抗力は継続していると主張し、旧満洲国が現在中国の一部であつて、日本国民が自由に渡航することが許されず、また右日本銀行奉天代理店が終戦とともに閉鎖されその後現在に至るまで再開されないので右小切手をその記載にしたがつて呈示し得ないことは明白であるが、かかる場合は右代理店の閉鎖によりその業務を引継いだと解せられる日本銀行本店が右小切手の支払人となり、支払地が同銀行の所在地に変更され、右小切手は日本銀行本店に呈示し得られるし、また呈示すべきものと解するのを相当とする。

したがつて、右小切手は原告がこれを横浜税関から返還されたときからこれを呈示し得たのであるから、そのときに前記不可抗力の状態は終了し、原告は右小切手をその後遅滞なく日本銀行本店に呈示して支払を求め、その支払がないときは、遡求権保全のため所定の手続を履践すべきであつたところ、原告がその手続をとらなかつたことはその主張自体から明らかであるから、右小切手上の権利は手続の欠缺によつて消滅したものというべく、したがつて原告の本訴第一次的請求は理由がない。

三、次に本訴第二次的請求について判断するに、前示のとおり本件小切手を被告が振出し、原告がこれを所持することは当事者間に争がなく、同小切手上の権利が手続の欠缺により消滅したことは前認定のとおりである。

よつて被告の利得の有無について判断するに、成立に争のない甲第九号証の一、二、第十号証、第十二号証、原告本人尋問の結果によつて真正に成立したと認められる甲第四号証の一、二、第五号証、第七号証の一、二、証人滝川保之助、同田中宇吉の各証言および原告本人尋問の結果を綜合すると、旧満洲国に駐留した被告の軍隊関東軍第三方面司令部(第九三三一部隊)は、満洲奉天市附近およびそれ以西の地域で、奉天糧秣廠、被服廠増築工事、錦洲燃料廠新築工事、金州病院新築工事等各種軍事施設工事を、当初は満洲在住の土木建築請負業者らに請負せてこれを施工していたが、戦況の緊迫にともない業者ら民間人では労務者の雇入、資材の購入など不可能となつて、昭和十八年頃より、右各工事に要する資材の殆ど全部を軍が購入し、労務者も軍が満洲国政府に要請し同国の国家総動員法に基いて同国各地区から徴用した満洲人らを直接雇入れるようになり、右各工事の外形は請負であるが実質上請負の性格を失ない、右請負業者らは軍属的な立場となつて右労務者を管理しまた技術上の指導をして工事の施工に当るに過ぎなくなつた。

ところで昭和二十年八月十五日の終戦により、軍は残務処理の一つとして、右工事のため各地から集めた徴用労務者を、これらに対する未払賃料と帰郷費用を支給して解散させることが必要となり、同月十六日、右軍の経理部長滝川保之助において、同部経営課長高松繁雄らにその支払を命じ、右高松らは、同月十九日までの間に各工事の出来高を支払額の限度として右費用の支払計画書(甲第四号証の一、二、第五号証)を作成したが、その間同月十七日にソ聯軍が奉天に進駐し、日本軍関係者は自由に旅行することができなくなつて、軍が自から前記労務者に対し右費用等を交付することが不可能となつた。

しかしこれが支払をしないときは右労務者が暴動を起す恐れがあつたので、軍は、前記各工事の請負業者によつて構成される満洲国公法人満洲土木建築公会奉天支部に対し、軍が支出する金員を、傘下各業者を通じてその管理下にある各労務者に支払うよう委託し、同月二十日前記支払計画書により算出した額を小切手金額とし、現金の交付に代えて本件小切手を振り出し交付した。

同支部は翌二十一日これを日本銀行奉天代理店に呈示して現金化しようとしたところ、同店は前示のとおり既にソ聯軍によつて閉鎖されて支払を得られなかつたが、右委託の趣旨に副い労務者の混乱を妨ぐため、軍から与えられた前記支払計画に基き、本件小切手金額を超える金銭を傘下各業者の手持金をもつて立替え、その支払を完了した事実が認められる。

被告は、前記各工事は軍が請負業者に請負せていたもので、その請負代金支払のため本件小切手が振出された旨主張し、証人谷村光春、同脇谷醇の各証言中にはこれに副う部分もあるが、右各証言は前掲各証拠に照らし措信し得ない。また甲第四号証の一、二、および第五号証にも右主張に副う如き記載があるが、これら各証拠は、前掲甲第九号証の一、二、第十号証、および証人滝川保之助の証言に照らして考えると、前記各工事の当初が請負契約であつてその外形が残存していたこと、各工事には予算が定められていたため、帰郷費等の支出にもその範囲内でする必要があつたこと、右費用の支払額を出来高を規準として算出したこと、などの理由から、請負代金支払と解せられる如き記載がなされたのであつて、必ずしも前認定に反するものでないことが認められる。しかして以上のほか前認定に反する証拠はない。

されば、被告は本件小切手振出の原因関係において、前記満洲土木建築公会奉天支部に対する前記労務者への支払委託金の支払を免れたことにより、同支部が立替払をした本件小切手金額と同額の金二千百十一万六千六百七十九円四十七銭の利得をしたものといわねばならない。

なお、被告は本件小切手振出の原因関係上の債務が、時効または戦時補償特別措置法により消滅したから右小切手に関する利得償還請求権は発生しない旨主張するが、これらは右原因関係が請負代金支払のためであることを前提とするもので、その認められないことは既に認定したとおりであるから採用し得ない。

されば被告は本件小切手の所持人である原告に対し、前記利得に相当する金二千百十一万六千六百七十九円四十七銭を償還する義務があり、被告に対し同金員とこれに対する本件訴状送達の翌日であることが本件記録上明らかな昭和三十二年十一月十五日以降民法所定年五分の割合による損害金の支払を求める、本訴第二次的請求は正当である。

よつて民事訴訟法第九十二条但書第八十九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 福島逸雄 松永信和 野口喜藏)

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