東京地方裁判所 昭和32年(刑わ)4049号 判決 1958年5月07日
被告人 市原宏祥 外二名
主文
被告人等を各懲役八月に処する。
未決勾留日数中被告人市原に対しては十五日、同野村に対しては五十日、同柳田に対しては六十日を右各本刑に算入する。
訴訟費用中証人長谷川博志、同長沼政治老に支給した分は被告人市原の負担、鑑定人兼証人武井重雄、証人山本嘉長、同落合忠治に支給した分は被告人等の平等負担とする。
理由
被告人市原は、露天商をしていた者、被告人野村、同柳田は、被告人市原のもとに身を寄せていた者であるところ、
第一、被告人野村は、
(一) 昭和三十二年十月二十四日午前九時五十分頃東京都台東区上野山下町一番地国鉄上野駅構内十三番線ホームに停車中の列車客車内において、名古屋市中村区志摩町金物商蓼沼信孝(当時五十二年)に対し、古い機械を使用した、きわめて粗悪な、しかし一見外国製品のようにみえる金色メッキの男物腕時計一個を示し、あたかもそれが、真の高級品であるかのように装い、「一ヶ月前に買つた時計で一万円位するものだが、北海道へ帰る汽車賃がなくて困つているので買つてもらいたい。五千円でもよい。」等と虚構の事実を申向け、その旨同人を誤信させた上、その場で同人から右時計と引きかえに現金五千円の交付を受けてこれを騙取し、
(二) 昭和三十三年三月三日午後七時頃前記上野駅十一番線ホームに停車中の列車客室内において、郡山市南町電気工長尾市郎(当時三十四年)に対し、前同様の腕時計一個を示して前同様に装い、「この時計は二万円で買つたものだが、あづけた荷物が盗難にあい、旅費がなくて困つているので、三千五百円位で買つてもらえないか。あなたの腕時計と交換でもよい。」等と虚構の事実を申向け、その旨同人を誤信させた上、その場で同人から右時計と引かえに同人所有のオリエント男物腕時計一個(時価三千円相当)および現金千円の交付を受けてこれを騙取し、
第二、被告人柳田は、
(一) 昭和三十二年十月二十四日午後八時二十分頃前記上野駅構内十一番線ホームにおいて、弘前市大字十面沢農業佐藤石蔵(当時五十年)に対し、前同様の男物腕時計一個を示して前同様に装い、「一ヶ月前に三万円で買つた時計だが、昨夜吉原で遊び大阪へ帰る汽車賃がなくて困つているので、三千円でいいから買つてもらいたい。」等と虚構の事実を申向け、その旨同人を誤信させ売却名下に金員を騙取しようとしたが、警察官に発見されたためその目的を遂げず、
(二) 昭和三十三年二月二十八日午後十時十分頃東京都台東区上車坂町三十八番地先路上において、私服で歩行中の警視庁巡査水谷昭(当時三十一年)に対し、前同様の腕時計一個を示して前同様に装い、「だんな、金がなくて困つているので、これを三千円で買つてくれませんか。これは高級時計で一万円以上するものです。」等と虚構の事実を申向け、金員を騙取しようとしたが、同人に粗悪品であることを看破られてその目的を遂げず、
第三、被告人市原は、
(一) 自己のもとに身を寄せていた長谷川博志が、昭和三十二年十月十六日午後三時二十分頃前記上野駅構内三番線ホームに停車中の列車客室内において、乗客長沼政治老(当時四十八年)に対し、前同様の腕時計一個を示して前同様に装い、「一万数千円で買つた時計だが、青森へ行く旅費が足りないから、これを二千五百円で買つてもらいたい。」等と虚構の事実を申向け、その旨同人を誤信させて、同人から金員を騙取しようとしたところ、鉄道公安官に発見されたためその目的を遂げなかつたが、右犯行に先だち同日朝同区万年町二丁目六十番地の自宅において、右長谷川から頼まれ、同人が他から金員を騙取する具に供するであろうことを察知しながら、代金千七百円、後払いの約束で右腕時計一個を同人に譲渡し、同人の右詐欺行為を容易ならしめてこれを幇助し、
(二) 同年同月二十二日頃前記自宅において、被告人野村に対し、同人が他から金員を騙取する具に供するであろうことを察知しながら、第一の(一)記載の腕時計一個を代金千五百円で同人に売渡し、もつて第一の(一)の詐欺行為を容易ならしめてこれを幇助し
(三) 同月二十四日午前八時頃前記自宅において、被告人柳田に対し、同人が他から金員を騙取する具に供するであろうことを察知しながら、第二の(一)記載の腕時計一個を代金千五百円で同人に売渡し、もつて第二の(一)の詐欺行為を容易ならしめてこれを幇助し
たものである。
(被告人市原が長谷川博志と共謀のうえ第三の(一)の行為をしたという主たる訴因は認めることができない。)
(証拠)(略)
(前科)(略)
(法律の適用)(略)
(弁護人の主張に対する判断)
(一) 本件時計の販売は詐欺罪を構成しないという主張について。
弁護人は、「本件は、安物の時計を高く売つた事案である。現在の社会においては、値段が安いからといつて売れるとはかぎらない。品物によつては、高い値段をつけることによつて、かえつて売行のよくなる例も珍しくない。たとえば、相当大きなデパートでネクタイ一本を三百円で特売場に出したが売れなかつたので、一本千五百円から二千円の高級品の中にいれて売り出したところ売れたという事実がある。また取引には、かけひきが必要である。被告人等が本件において用いた程度のかけひきでは、詐欺罪の成立に必要な欺罔の行為があつたとはいえない。仮に本件が詐欺罪になるとしても、被告人等には犯意がない。なぜなら被告人等は、詐欺になると知つていれば本件犯行に出なかつたであろうと認められるからである。」と主張する。
弁護人主張のとおり、品物によつては、高めの値段をつけることによつてかえつて売行がよくなること、および取引にかけひきが必要であることは、否定しがたい事実である。それは、自由競争を基本とする現在の取引社会においては、ある程度当然のことである。ただ高値に販売すること、あるいはかけひきを用いることも、取引社会の常軌を逸することは許されない。なぜならかような行為を無制限に放置することは、取引社会の秩序を乱しひいて国民の経済生活をおびやかす虞れがあるからである。物価統制令において「不当ニ高価ナル額ヲ以テ」する契約等に対し相当重い刑罰を科する旨を明らかにし(同令第九条の二、第三十四条)、軽犯罪法において虚偽の広告を処罰する旨を定め(同法第一条34号)ているのは、このためであると思われる。而してこれらの行為が更に右の限度をこえ一層強度の反社会性をおびるに至るときは、刑法上の詐欺罪に問われるものと解される。(もちろん詐欺罪の構成要件を充足する場合にかぎられる。)被告人等は、「本件が物価統制令あるいは軽犯罪法にふれることは知つていたが、詐欺罪になるとは思つていなかつた。実際これまでは、物価統制令で罰金を科せられるか、軽犯罪法で検挙されるにとどまつていたのである。」と弁解する。そこで次に、本件が単に前記の法令にふれる程度のものか、それとも刑法上の詐欺罪を構成するかを判断する。前掲の各鑑定書によると、本件の時計はいずれも原価せいぜい五、六百円の粗悪品で、ほとんど使用価値のないものである。ところが被告人等は、これを高級品であるように装い、種々の虚言を弄して二千五百円ないし五千円で売りつけまたは売りつけようとしたのである。しかも注目しなければならないのは、(1)虚言の内容が、時計の価格、性能等だけに関するものでなく、それ以外のことにも及んでおり、むしろ後者に重点があつたとみられること、(2)公衆の面前で宣伝し、その購買欲をそそつたものでなく、特定の個人、特に田舎から上京してきた金のありそうな商人や農夫をえらびこれに売りつけようとしたものであることである。右に述べた諸点を前記法令の各目的、刑法の規定等に照して考えると、本件は、単なる不当高価販売あるいは虚偽広告の限度をはるかにこえたもので、まさに刑法上の詐欺罪を構成するものといわなければならない。被告人等がこれまで同種の行為について物価統制令違反等として処罰されたにすぎなかつたことは、問題の本質に全くかかわりのないことである。なお被告人等において、仮に自己の行為が詐欺罪になると思つていなかつたとしても、それは、結局法律の不知に帰するのであつて、何ら犯意を阻却するものではない(刑法第三十八条第三項参照)。被告人等において本件の時計が安物であることを知りながら高級品であるかのように装い、前記のような虚言を弄して販売しようとしたものである(前掲各証拠参照)以上、詐欺罪の成立に必要な犯意を欠くとはいえないのである。従つて弁護人の右の主張は、いずれも採用することができない。
(二) 被告人市原の行為は、詐欺幇助にならないという主張について。
弁護人は、「仮に被告人野村、柳田等の行為が詐欺罪に問われるとしても、被告人市原には何ら責任はない。被告人市原は、問題の時計を被告人野村、柳田等に売却したにすぎないのであつて、同被告人等がそれをいかなる方法で他に転売するかは知らなかつた。従つて、被告人市原の行為は、詐欺罪の幇助にならない。」と主張し、被告人市原自身も、「私は、本件の時計を中山時計店から一個九百円で仕入れ、これを野村、柳田には一個千五百円で、長谷川には一個千七百円で売つたにすぎない。同人等が起訴状記載のようなことをいつて他に売却したかどうかは、私の関知しないところである。私は、同人等の行為について一々責任を負うことはできない。」と弁解している。右の主張あるいは弁解は、いずれも、事実認定に関することであり、すでに証拠をあげて判断したところであるが、弁護人および被告人が極力争つている点なので、簡単に補足説明する。幇助とは、実行々為以外の行為をもつて正犯の実行を容易ならしめることをいうが、正犯の実行々為の内容を逐一具体的に予見する必要はないと解する。従つて、本件においては、先に判示したとおり、本件の時計が金員騙取の具に供されるであろうことを察知していれば、詐欺幇助の意思があると認めるのに充分である。被告人市原が右のことを察知していたことは、被告人等の当公廷における各供述並びに被告人等の司法警察員および検察官に対する各供述調書を綜合して認められる次の事実、すなわち、(1)被告人野村、柳田等が被告人市原のもとに身を寄せていたこと(2)本件の時計は被告人市原が中山時計店から一個九百円の割合で仕入れていたものであること(3)被告人市原が、被告人野村、柳田等に本件の時計を一個千五百円で売つていたこと(4)売るのは大抵一個づつであつたこと(5)被告人野村、柳田等がその買いうけた時計をいわゆる「けいちやん売り」していたことを被告人市原も知つていたこと(6)被告人市原と長谷川博志との関係も、右とほぼ同様であつたこと等によつて認められる。再言すると、被告人市原は、職業柄いわゆる「けいちやん売り」がどういうものであるかをある程度知つていたと認められるばかりでなく、同居し絶えず接触していた野村、柳田等から更にその内容を具体的に聴く機会があつたと認められる。更に被告人市原としては、本件の時計が粗悪品であることを熟知していた関係上、これを千五百円以上で売るためには通常の手段では不可能であること、すなわち、詐欺的手段を用いるほかないことを充分察知していたと思われる。(特に一個づつ売り渡していた点から考えると、被告人市原は一個少くも二千円以上に売られるであろうことを知つていたと認められる。)
以上の理由で、この点に関する弁護人の主張も排斥するほかはない。
(刑の量定の事情)
被告人市原は、被告人野村、柳田等を指導監督する立場にあつたのにかかわらず、かえつて問題の時計を同被告人等に売却し、本件犯行の端緒をつくつたのであつて、その責任は重大である。また前刑を受け終つて出所後間もなく罪を重ねるに至つたことも遺憾である。ただ犯行の動機に若干同情すべき点があること、被告人市原の行為が法律的には結局幇助にすぎないこと、同被告人の法廷における態度が比較的真面目であり、二度とかような犯行をくり返さないことを誓つていること等は、同被告人のため有利に斟酌されなければならない。被告人野村は、年も若く、いわゆる前科もない。のみならず、被害者に対しては、弁償している。従つて、通常ならば、同被告人に対し、刑の執行を猶予することが考慮される。しかし、同被告人は、昭和三十一年中だけでも同種の行為で罰金に処せられること三回、そのほか、昭和三十二年中にも同種の行為で何回となく検挙されている(水戸地方検察庁作成の同被告人に関する前科調書および警視庁作成の同被告人に関する通知票と題する書面参照)。更に同被告人は、本件審理中にさえも、保釈中であるのを奇貨とし、同種の犯行に出ているのである。同被告人には反省の色なく、相当高度の常習性があると断ずるほかはない。これらの諸点にかんがみ、同被告人に対しては、この際実刑を科し強くその過去を反省させる必要があると考える。被告人柳田は、前科ある身であるにかかわらず重ねて本件犯行に出たのであつて、その責任は、右の両名に劣らず重大である。特に被告人野村と同様保釈中同種の犯行を重ねたことは、まことによくない。ただ同被告人の行為は、いずれも未遂に終つており、この点は有利に考慮される。
以上の理由で、被告人等を各懲役八月に処することとしたわけである。
そこで、主文のとおり判決する。
(裁判官 横川敏雄)