東京地方裁判所 昭和33年(むのイ)114号 判決 1958年2月22日
被疑者 松本美夫 外一名
決 定
(被疑者・申立人氏名)(略)
頭書被疑者等に対する各私文書偽造行使被疑事件について東京地方裁判所裁判官が昭和三十三年二月二十日になした勾留請求却下の各裁判に対し、申立人から適法な準抗告の申立があつたので、当裁判所は併合審理の上次のとおり決定する。
主文
原裁判はいずれもこれを取り消す。
理由
一、本件準抗告申立の理由は、別紙東京地方検察庁検事塩野宜慶作成名義の「勾留却下の裁判に対する準抗告申立並びに同裁判の執行停止申立書」と題する書面及び「勾留却下の裁判に対する準抗告申立理由追加書」と題する書面に記載してあるとおりであるから、ここにこれを引用する(別紙一)。
二、原裁判は、検察官の勾留請求を却下し、その理由として、「本件各勾留請求の事実は松本については昭和三二年二月一〇日付廬については同年同月七日付各勾留状記載の事実と科刑上一罪の関係にあるによる」と説明して居り、その趣旨は同一の犯罪事実ないし科刑上の一罪の関係にある犯罪事実については一旦勾留等の強制処分を伴う捜査を行えば再び勾留等の強制処分を請求することはできないとする見解であると解されるので、まづこの点について審究する。
強制処分を伴う捜査は刑事訴訟法に特別の定ある場合でなければこれをすることができないことは刑事訴訟法(以下法と略称)一九七条一項但書の明定するところであり、検察官が裁判官に逮捕状並びに勾留状の発布を請求しうる条件は法一九九条、二〇四条、二〇五条に定められている。而して法一九九条三項によれば「検察官は第一項の逮捕状を請求する場合において同一の犯罪事実についてその被疑者に対し前に逮捕状の請求又はその発布があつたときはその旨を裁判所に通知しなければならない」と規定して居り、この条章より勘案すると、検察官は前に逮捕状を請求し又はその発布をうけていても同一の犯罪事実について更らに逮捕状の請求をなしうるものであることが明らかであり、その請求により逮捕状の発布をうけた場合これに基く被疑者の逮捕並びに逮捕後の手続は前に発布された逮捕状の場合と同様法二〇一条以下の規定に準拠すべきものであることは法律上両者の取扱について別個の定がないことに徴し多言を要しない。然らば検察官がその逮捕状により自ら逮捕し又は逮捕状により逮捕された被疑者を受け取つた場合に遵守すべき手続は法二〇四条、二〇五条に従うべきものであつて、検察官は被疑者に対し、弁解の機会を与え、留置の必要がないと思料するときは直ちにこれを釈放し、留置の必要があると思料するときは被疑者が身体を拘束された時から所定時間以内に裁判官に被疑者の勾留を請求しうるものと解するのが相当である。
右の見解に対しては、(一) 逮捕状の請求については法一九九条三項の規定が存するも、勾留状については同様の規定が存しないから、勾留の請求は逮捕状の請求と異りこれをなし得ないとの論なきを保し難いが、法二〇四条、二〇五条は被疑者を逮捕した場合留置の必要がないときは直ちにこれを釈放し、留置の必要があると思料するときは裁判官に被疑者の勾留を請求しなければならないと定めて居り、これと刑事訴訟法が被疑者の身柄に対する強制処分について定めている条章とを綜合すれば、逮捕は勾留の前置手続ともいうべきものであつて、両者は被疑者の身柄に対する強制処分として相関連した関係に立ち、留置の必要ある事件において逮捕は認められるが勾留は認められないというがごとく両者を切離した制度としてみることは相当でない。然らば逮捕状について再度の請求をなすことが認められ、これによつて発布された逮捕状に基く逮捕が法二〇四条、二〇五条により処理されて同条所定の要件が具備する場合には、これが勾留請求に発展することは法の認容しているところといわねばならない。
(二) 次に法二〇八条が被疑者を勾留した場合その勾留期間を定め、やむを得ない事由があつても二十日を超える期間勾留をなし得ないと定めている趣旨に鑑みると、同一の犯罪事実について再度の勾留を認めるときは逮捕勾留が反覆され、勾留期間を制限した法の精神に反するのではないかという疑が存するも、強制捜査を行つても必ずしも公訴の提起をなしうるに十分な証拠を蒐集しうるものではなく、場合によつては相当の嫌疑があるに拘らず捜査を一時中止する等のことも容易に推測しうるところであつて、この場合後日新たに資料を発見して被疑者の犯罪容疑が一層濃厚となつた際、任意捜査による外その取調はできないとすることは、犯罪が国家の治安に及ぼす影響等を考えると、必ずしも公共の福祉を達する所以ではない。法一九九条三項はこの公共の福祉と法二〇八条が企図している人権の保障との統一調和を図り、同一の犯罪事実について前に逮捕状の請求又はその発布があつても逮捕状の請求を認めるとともにこの場合にはその旨を裁判所に通知せしめ、裁判官をして、その逮捕状の請求並びに逮捕に引続く勾留請求(規一四八条参照)が逮捕、勾留の不当な反覆であるかどうかを検討の上慎重に請求を許否させることとしているものと解するのが相当である。
果して然らば、本件においては、原裁判が説示しているとおり検察官が本件において勾留を請求した私文書偽造同行使の被疑事実(別紙二)と科刑上の一罪の関係に立つ公文書偽造同行使詐欺の被疑事実(別紙三)について昭和三二年二月一〇日及び同月七日勾留状が発布されその執行があつたとしても、この一事では検察官の勾留請求が直ちにその理由がないとは断定し難く、進んで(一)検察官の勾留請求は逮捕勾留の不当なくりかえしであるかどうか、(二)検察官が勾留請求に当り主張している法六〇条所定の事実が存するかどうかについて審究しなければならない。
三、よつてまづ(一)について審究するに、検察官提出の一件資料によれば、準抗告申立書記載(別紙一)の第一(一)にあるごとき事情が看取される。かような多数の者が関与する事件で、重要な関係人が逃走等のため先の勾留期間中に十分な証拠蒐集が不能に帰し、釈放せざるを得なくなつた場合において、その後相当の月日を経過してから、重要な証拠が新たに発見されたときには、再び逮捕及び勾留を請求することは、逮捕、勾留の不当なくりかえしを目的とするものとはいい難く、従つて同一事実についての再勾留の請求であるということのみをもつて、本件請求を却下することは相当ではない、といわなければならない。
(二)次に進んで、本件勾留請求が法六〇条の要件を具備するか否かを判断する。一件資料によれば、被疑者等が勾留請求書記載の被疑事実を犯したと疑うに足りる相当の理由があると認められるのみならず、準抗告申立書記載(別紙一)の第一(二)(三)にあるごとき事情も認められかつ事件の内容及び前記の経過等を綜合すれば、被疑者等において罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由もあると考えられる。
(三)以上によれば、本件被疑者両名に対する勾留請求は、罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があり、かつ勾留の必要性も存すると認め得る場合にあたるというべく、従つて本件勾留請求却下の裁判は失当であり、本件準抗告申立は理由がある。
よつて刑事訴訟法第四三二条、第四二六条第二項に則り、主文のとおり決定する。
(裁判官 八島三郎 西村宏一 田中永司)
(別紙一)
第一準抗告申立書記載の理由
一、本件勾留請求の事実は、被疑者等は、共謀の上林松星等が外数名と共謀して岩動道行所有の東京都渋谷区原宿二丁目一七〇番地所在宅地百五十八坪余の登記済権利書、岩動道行名義の白紙委任状、印鑑証明等を偽造し、これを使用して他から金員を騙取するに当り相手方に対して真実岩動本人が右宅地の処分をする如く装うため右岩動の名刺を偽造し、これを使用して右宅地の処分に際して受領証にしようと企て、かねて川上正勝等において偽造の前記岩動道行名義の名刺一枚を使用し昭和三十二年一月二十六日頃同都渋谷区代官山町六番地司法書士高梨繁三方事務所において行使の目的で右名刺一枚に被疑者盧舜洪においてその裏面に右宅地に対する売買代金三百三十三万壱千四百四十円也を受領した旨記載し、もつて右岩動道行作成名義の受領書一枚を偽造し即時同所において右宅地の買受人たる渡辺薫に交付して行使したものであるというにあるが
(一) 本件被疑者松本美夫、同盧舜洪は、昭和三十二年二月四日、本件容疑事実により渋谷警察署に逮捕、其の頃勾留されて取調を受けたものであるが、其の際被疑者等は、本件権利証等一件書類は羅明修、後藤某(頼天宝)等より青柳峡、緒形顕宗、川上正勝等を経由して受取りたるものにして偽造文書である事は知らなかつた旨弁解したが、其の頃羅明修、後藤某等は逃走し所在不明にして勾留期間中に取調不可能の儘釈放となつたものであるが、同三十二年九月十五日羅明修が逮捕されるに及び、羅明修、青柳峡、緒方顕宗、川上正勝と順次逮捕取調を続け、被疑者等が本件関係書類が偽造文書であることを知悉していた事情が新たなる証拠として出たので再度本件について逮捕勾留の上、事案の真相を究明する必要がある。
(二) 本件相被疑者たる青柳峡、緒方顕宗、川上正勝は昭和三十二年十二月二十八日本件により起訴されたが、右緒方顕宗は保釈となつたので本件容疑事実につき被疑者等と通謀し、罪証隠滅の虞は充分であり勾留の上取調の必要がある。
(三) 被疑者等は現在でも本件権利証等一件書類の偽造文書である事を知らない旨弁解しているが相被疑者青柳峻、緒方顕宗、川上正勝等の各供述により、被疑者等が本件権利証等一件書類を偽造文書であることを知悉していたと認められる新たなる証拠が発見され、被疑者等の嫌疑は充分に認められ、尚継続して捜査する必要がある。以上の点よりして本件被疑者等については勾留の必要大であり勾留の必要がないとして勾留請求を却下した裁判は全く不当であるから取消を求める。
第二準抗告申立理由追加書記載の理由
本件準抗告申立の理由については準抗告申立書記載の通りであるが、本件勾留請求却下の裁判が同一事実についての再勾留は絶対に許されないと云う前提の下に立つてなされたものの如くうかがわれるのでこの点について更に申立理由を詳細に説明する。
刑事訴訟法上起訴前の勾留が原則として十日間、延長を認められた場合に更に十日間(特別の場合は更に五日間)と定められていることは、人権保障の建前から捜査のための勾留期間は右の限度に限ることを明らかにしたものであつて、右の法定の期間勾留の上捜査した後、更に同一事実について再び勾留して捜査を行うことが原則として許されないものであることは申すまでもない。
然しながら捜査は時間の経過とともにその情況が変化するものであつて、本件の如く偽造文書行使詐欺罪の嫌疑により逮捕勾留した被疑者等が偽造文書について知情の点を否認し、偽造本犯及び偽造文書が被疑者等の手に渡るまでの中間の行使者が所在不明で取り調べることができなかつたため、公訴を提起するに足りる証拠を得ることができなかつた事件について、その後半年余を経過した後、たまたま別件の文書偽造罪により拘束した者の供述により前記偽造文書の偽造並びに行使の経過が明らかとなり、関係被疑者が順次逮捕され、これ等の新たな証拠により本件被疑者等の嫌疑が改めて濃厚となり、しかも多数の共犯関係のある事件で身体を拘束して取り調べなければ事案の真相を明らかにし公訴を提起するに足りる証拠を揃えることができない場合においてもなお許されないと解すべきものではない。
もとより前記の如く同一事実についての再度の勾留は原則として許さるべきものではなく捜査官としては事前の捜査に十分な努力をつくし、被疑者を勾留した場合には法定の期間内にその処理をなし得るよう万全の措置をとるべきは勿論であるが、本件の如き情況にある事案についてまで勾留の基礎となるべき事実が先の勾留事実と同一であるから勾留できないとの理由のみを以て勾留請求を却下することは法律の解釈を誤つたものと云わざるを得ない。
しかも本件は準抗告申立書の記載及び一件記録によつて明らかな通り勾留の理由及びその必要性のあることは明白な事案であるので原裁判を取り消し被疑者等を勾留されたく請求する次第である。
(別紙二)
犯罪事実
被疑者らは共謀の上、林松星等が外数名と共謀して岩動道行所有の東京都渋谷区原宿二丁目一七〇番地所在宅地百五十八坪余の登記済権利書、岩動道行名義の白紙委任状、印鑑証明等を偽造し、これを使用して他から金員を騙取するに当り相手方に対して真実岩動本人が右宅地の処分をする如く装うため右岩動の名刺を偽造しこれを使用して右宅地の処分に際して受領証にしようと企て、かねて川上正勝等において偽造の前記岩動道行名義の名刺一枚を使用し、昭和三十二年一月二十六日頃同都渋谷区代官山町六番地司法書士高梨繁三方事務所において行使の目的で右名刺一枚に被疑者盧舜洪においてその裏面に右宅地に対する売買代金参百参拾参万壱千四百四拾円也を受領した旨記載し、もつて右岩動道行作成名義の領収書一枚を偽造し即時同所において右宅地の買受人たる渡辺薫に交付して行使したものである。
(別紙三)
犯罪事実
被疑者は外数名と共謀し他人名義の土地に関する文書を偽造しこれを売買名下に行使して金員を騙取せんことを企て、東京都渋谷区原宿二丁目一七〇番地岩動道行所有にかゝる同番地所在宅地一五八坪六合四勺の昭和二十七年八月十六日附東京法務局渋谷出張所に登記済同人名義の権利書及同人に対する昭和三十二年一月十九日附渋谷区長の発行せる印鑑証明書並に同人の委任状を都内某所に於て偽造し
昭和三十二年一月二十六日午後一時三十分頃東京都渋谷区代官山町六番地司法書士高梨繁三方事務所に於て東京都渋谷区神宮通り二の三六無職渡辺薫当三十七才に対して偽造せる権利書、印鑑証明書、委任状を恰かも真正に作成されたるものの如く装ひてこれを行使し同人をして真正なるものと誤信せしめ売買契約名下に同日同所に於て同人より現金参百参拾参万円を交付せしめ之を騙取したものである。