東京地方裁判所 昭和33年(レ)372号 判決 1958年12月23日
第三七二号事件控訴人 舘野正盛
第三五七号事件被控訴人 斉藤光民
右両名代理人弁護士 岩村滝夫
第三五七号事件復代理人弁護士 重松蕃
第三七二号事件被控訴人 第三五七号事件控訴人 橋本得二
右代理人弁護士 松本包寿
主文
第三七二号事件の控訴を棄却する。
第三五七号事件の原判決を取消す。
第三五七号事件の被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は、第三七二号事件に関する控訴費用は控訴人舘野の負担とし、第三五七号事件に関するものは第一、第二審とも被控訴人斉藤の負担とする。
事実
≪省略≫
理由
第一、第三七二号事件に対する判断
控訴人舘野は、東京都大田区今泉町二八番地所在の岡福商店は被控訴人橋本と訴外城所平助の共同経営に係るものであつて、右被控訴人は同商店の代表者であるとともに資金面の責任者であるが、控訴人は昭和三一年九月七日と同年一〇月一日の二回に被控訴人橋本に対し合計五万九、九五〇円相当の鉄製品を売渡し、内金二万円の支払をうけたが、残金三万九、九五〇円についてはその支払がないので、右残金の支払を求めると主張する。そこで、まず岡福商店の実体から判断することにする。
成立に争ない甲第五号証の一、二(斉藤光民の証人調書、書証の表示は第三七二号事件のそれによる。以下同じ)及び同第一一号証(舘野正盛の本人調書)には岡福商店の実体に関し控訴人の右主張に副う記載が散見し、また、舘野正盛及び斉藤光民は当審における当事者尋問の際それぞれ右主張に合うような陳述をしているが、これらの陳述は、陳述全般の趣旨からみて、訴外城所が同人等に対し営業資金は橋本得二から出してもらつていると云つていたことと、橋本の息子が一時城所の商売を手伝つていたことがあつたことから出た同人等の主観的な推量にすぎず、別に確たる根拠にもとづくものとは認められないので、これらを証拠として控訴人の主張事実を認めるわけにはゆかない。当裁判所は、当審における証人中島藤夫及び橋本得二本人の供述及び成立に争ない乙第二号証、同第三号証の一、二、同第一号証の一ないし三、甲第一二号証の一、二を綜合して次のように事実関係を認定する。
訴外城所平助は訴外中島藤夫から同人所有に係る前記今泉町二八番地所在の家屋を買受けて、同所でスクラツプ等の商売をしたいと思い、中島に交渉したが、中島は城所に信用がないのでこれを断つた。そこで、城所は親戚にあたる被控訴人橋本得二に援助を求めた。橋本は中島から右家屋を買受け、これを城所に賃貸することにし、昭和三一年七月二三日に中島と家屋売買契約を結んだ。橋本は買受代金の一部を支払つたが、残金は中島の要求により東京都内の銀行に小切手口座を設けて小切手で支払うことになり、城所に現金五〇万円と自分の印鑑を渡し、五〇万円を自分名義で銀行に預入れ、これを資金にして自分名義の小切手を振出して中島に残代金を支払うように依頼し、その手続一切を城所にまかせた。城所は東調布信用金庫長原支店に岡福商店橋本得二名義の口座を設け、昭和二三年七月二四日から同年一一月二七日までの間に小切手枚数五一枚(中島払のものは四千円一枚で、他は自己払や電話局払や取引先払である)、金額合計五八万九、三五〇円の小切手取引をしたが、商売に失敗して同年一二月他に逃亡した。橋本は国鉄の職員で商売などしたことがなく、昭和三一年八月二〇日頃から同年一〇月末頃までの間息子の行雄に城所の商売を手伝わせたことはあるが、橋本自身は城所の商売には全く関係せず、城所が前記のように岡福商店橋本得二名義の小切手口座を設けたことも知らず、また、城所に対して前記残代金の支払以外の目的で橋本名義の小切手を振出すことを許していた事実もない。岡福商店は城所個人の営業であつて、城所が岡福商店の商号でスクラツプや灰皿等の取引をしていたものである。なお、城所が橋本から賃借りした前記今泉町二八番地の家屋には「岡福商店橋本得二」の看板などは勿論のこと、橋本得二の表札もでていなかつた。
このように認められるのであつて、当審における舘野正盛及び斉藤光民の当事者尋問における陳述及び前記甲第五号証の一、二、同第一一号証の記載のうち右の認定に牴触する部分はにわかに措信できないし、他にこの認定を左右するに足る証拠はなにもあらわれていない。
さて、控訴人舘野は、前記のように、岡福商店の共同経営者で、しかもその代表者である被控訴人橋本に対して鉄製品を売渡したものであるというが、橋本個人に売渡したものであることを認めるに足る証拠はなにもないし、岡福商店は前記のように城所個人の営業であつて、橋本と城所の共同事業ではないのだから、控訴人の右主張は全く理由がない。しかも、控訴人舘野本人の当審における陳述によつてその成立を認めることのできる甲第一ないし第四号証によれば、本件売買の納品書には明らかに「城所様」と記載されていて取引の相手方が城所であることを推認するに足るものがある。もつとも、この点に関し舘野本人は従来から「城所」と呼びなれているので、つい「城所様」と書いたにすぎないと弁疏しているが、この弁疏はたやすく措信できない。
また、控訴人舘野は被控訴人橋本が城所に対して自己の氏名又は商号を使用して営業をなすことを許諾していたから名板貸の責任があるとか、本件売買契約に関して城所に代理権を与えていたとか、代理権授与の表示があつたから橋本に代金支払の義務があるとか主張するが、こうした事実を認めるに足る確証はなにもないし、その然らざること前段認定のとおりであるから、これらの主張も亦その理由がない。
次に、控訴人舘野の権限ゆ越による表見代理の主張(原判決事実欄六)について判断する。
表見代理が成立するためには、まずもつて代理行為が成立していなければならないが、訴外城所が被控訴人橋本の代理人として控訴人舘野との間に本件売買契約をとり結んだものであることについてはこれを認めるに足る確証がなく、かえつて、控訴人舘野は前段認定のように城所本人と本件取引をしたものと認めるのが相当であるから、控訴人の右主張は爾余の判断をするまでもなく失当である。
仮りに、城所が被控訴人橋本の代理人として本件取引をしたものであるとしても、控訴人舘野には城所に代理権ありと信ずべき正当の事由があつたものとみることはできない。被控訴人橋本が城所に対して前記今泉町二八番地の店舗を賃貸し、その息子行雄をして一時城所の商売を手伝わせていたことは前段認定のとおりであるが、こうした事実があつたからといつて直ぐに代理権ありと信ずべき正当の事由があつたといえないことは勿論だろう。また、被控訴人橋本が城所に対して訴外中島藤夫に対する家屋買受残代金支払のために自己名義の小切手を振出す権限を与えてその印鑑を預けていたことも前段認定のとおりであつて、前記甲第一一号証と同第一二号証の一、二及び当審における舘野本人の陳述を綜合すれば、控訴人舘野は本件以外にも岡福商店と取引をし、昭和三一年八月一六日に岡福商店橋本得二名義の小切手で代金五、五〇〇円の支払をうけている事実が認められる。この事実はいわゆる権限ありと信ずべき正当の事由となるようにみえないでもないが、控訴人舘野は前示のように城所から岡福商店の営業資金は被控訴人橋本から出してもらつていると告げられていたのであるから、右の事実は資金の出所に関する城所の言明の真実性を裏付ける事実にすぎず、舘野にとつてもかかる意味をもつ事実として受取られたにすぎないとみるのが相当であつて、売買取引に関し城所に代理権のあることを示す事実ではないのだから、これを本件取引に関する正当事由とすることはできない。その他控訴人舘野が正当事由として主張する事実は、前段認定のように、いずれもその証明がないものばかりであるから、控訴人の前記表見代理の主張も採用できない。
右のとおりで、控訴人舘野の請求はすべてその理由がない。
第二、第三五七号事件に対する判断
控訴人橋本は、本件小切手にはいずれも「振出地東京都」と記載してあつて、最小行政区画の記載がないから無効である。被控訴人斉藤は振出地の記載を「東京都大田区」と補充したが、右補充は時効期間満了後になさたものであれるからこれ亦無効であると主張する。しかしながら、振出地を東京都と記載した場合と東京都何々区と記載した場合とでそこに実質的な差異が生ずるとも思われないし、いずれの記載によつても準拠法の決定に支障をきたすようなこともないのであるから、単に振出地を東京都と記載し区名をいれなかつたというだけの理由で本件小切手を無効とすることは相当でないと考える。
被控訴人斉藤は、本件小切手三通はスクラツプの売買代金支払のために振出をうけたものであつて、スクラツプの買主は前記今泉町二八番地の岡福商店の共同経営者である控訴人橋本と訴外城所で、右三通の小切手はいずれも城所が橋本の許諾の下に橋本の署名を代書し、その印章を押して振出したものであるから橋本には振出人としての責任があるし、仮りにそうでないとしても、橋本は城所に対して自己の氏名又は商号を使用して営業をなすことを許諾していたのであるから名板貸の責任があるというが、こうした事実を認めるに足る証拠はない。岡福商店は城所の単独営業であつて、橋本はこれに関係がなく、城所に対して岡福商店の取引上の債務を決済するために自己名義の小初手を振出すことを認めていた事実もなく、また城所に対して自己の氏名又は商号を使用して営業をなすことを許諾していた事実もないことは、すでに、前記第一に判断したとおりである。のみならず、当審における被控訴人斉藤本人の陳述及び前記甲第五号証の一、二によれば、斉藤は城所個人に対してスクラツプを売渡したのもであることが明らかであるから、被控訴人の右主張は益々もつて採用の限りでないといわなければならない。
次に、被控訴人斉藤の表見代理の主張(原判決事実欄第三項の(4))について判断する。
控訴人橋本が城所に対して家屋買受残代金支払のために小切手振出の権限を与え、城所が本件小切手以外にも岡福商店橋本得二名義の小切手を多数振出し、これらの小切手が支障なく支払われていたことは前記第一に判示したとおりである。したがつて一見すると、本件小切手の振出についても城所に権限ありと信ずべき正当の事由があつたもののようにみえないでもない。しかしながら、右の各事実はあくまで客観的な事実にすぎず、被控訴人斉藤がこうした事実を認識し、諒知して、その上にたつて本件小切手の振出をうけたものではないのである。すなわち、当審における被控訴人斉藤本人の陳述によれば、斉藤は城所本人には信用を置かなかつたが、城所が控訴人橋本から資金の援助をうけていると聞いていたので城所個人に対してスクラツプを売渡し、城所から右スクラツプ代金支払のために本件小切手を受領したものであつて、右小切手はその要件は城所が記載したものであつても橋本得二名下の印影は橋本が自から押印したもの、すなわち、橋本自身が振出した小切手としてこれを受取つたものであることが認められ、また、本件小切手以外には岡福商店橋本得二名義の小切手を取得した事実もないことが認められる。もし被控訴人斉藤が本件以前にも岡福商店橋本得二名義の小切手を取得してその支払をうけたことがあるとか、城所が他にも岡福商店橋本得二名義の小切手を多数振出していて、それらの小切手がいずれも支障なく決済されているという事実を知つて本件小切手の振出をうけたものであるとすれば、本件小切手の振出について表見代理の成立することはおそらく疑のないところだろうが、こうした事情はなにもなく、斉藤は橋本が城所の資金援助者として本件小切手を振出してくれたものと誤信して――橋本が本件小切手を振出したものでないことは控訴人橋本本人の当審における陳述によつて明らかである――これを受領したにすぎないのであるから、いわば振出人についての錯誤があるだけのことであつて、そこに表見代理の成立する余地は全くないといわなければならない。
右のとおりであるから、被控訴人斉藤の請求もすべて理由がない。
なお、附言すると、被控訴人斉藤は金額一万五千円の本件二通の小切手について利得償還の請求をしているが、右小切手がスクラツプ代金支払のために振出されたものであることは被控訴人の自陳するところであり、右のスクラツプ代金債権が本件小切手の振出によつて消滅したことについては被控訴人から何等の主張立証がないのであるから、被控訴人の右の請求も理由がない。
第三、むすび
右に判示したとおりであるから、第三七二号事件について控訴人舘野の請求を棄却した原判決は相当であるが、第三五七号事件について被控訴人斉藤の請求を認容した原判決は不当である。よつて、民事訴訟法第三八四条、第三八六条、第九五条、第九六条及び第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 石井良三 裁判官 立岡安正 渡辺均)