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東京地方裁判所 昭和33年(ワ)2976号 判決 1961年4月27日

原告 のぶ事小野のふ 外七名

被告 大陸交通株式会社 外一名

主文

被告等は各自原告小野のふに対し金十万円、原告小野はつ乃、同小野博、同小野進、同小野敏夫、同小野健、同小野勤及び同小野八重子に対し各金五万円並びに右各金員に対する昭和三十三年五月二十日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告等の負担とする。

本判決は原告小野のふにおいて各被告等のため各金二万円、その他の原告等においてそれぞれ各被告のため各金一万円ずつの担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

原告等訴訟代理人は主文第一、二項同旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、請求原因として

一、原告小野のふは亡小野三郎の妻であり、その他の原告等はいずれも同人の嫡出子である。被告大陸交通株式会社はいわゆるドライブクラブの一種であつて、その事業は自動車賃貸を業とし、車輛番号五す第六七四一号小型自動四輪車を所有しており、昭和三十二年九月二十九日被告小林雄史にこれを賃貸し、以つて自己のため運行の用に供していたものであり、被告小林雄史は昭和三十二年九月二十九日右被告会社から前記自動車を借受け、自らこれを運転して自己のため運行の用に供していたものであるところ、

二、被告小林雄史は同日午後八時四十分頃、前記自動車を運転操縦して、時速約五十粁の速度で群馬県前橋市曲輪町百二番地先路上を西進中、同所を同方向に歩行中の前記小野三郎(当六十八年)に右自動車を衝突させて、同人を路上に顛倒せしめ、因つて同人を頭蓋骨々折等の創傷により同日午後九時四十五分同市紅雲町二百七十七番地群馬中央病院において死亡せしめた。

三、原告小野のふは亡小野三郎の妻として、同人と多年に亘り円満な家庭を営み、その他の原告等は右亡三郎の子として、同人より多年に亘る愛育を受けて来たものであつて、いずれも亡三郎に対する恩愛の絆も一方ならないところ、右不慮の惨害により、突然夫或いは父を失うに至り、このため蒙つた精神的損害は測り知れないものがある。従つて被告等はそれぞれ前記自動車を自己のため運行の用に供していたものとして自動車損害賠償保障法第三条の定めるところに基き、右自動車事故により蒙つた原告等の損害に対し、これを賠償すべき義務があるものである。そして原告小野のふに対する慰藉料は金二十万円その他の原告等に対する慰藉料は各金十万円を以つて相当とするから、右慰藉料中から原告小野のふは金十万円、その他の原告は各金五万円並びに右各金員に対する本件訴状が各被告に送達された日の後である昭和三十三年五月二十日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を各自支払うよう請求する。

四、若し原告等の被告等に対する慰藉料が本訴において請求する限度に満たない場合には、右亡小野三郎は当時国民金庫公庫前橋支所職員でありその月収本俸金一万七千四百円、扶養手当金六百円、勤務地手当金二千七百円、以上合計金二万七百円、控除額所得税金四百五十円、社会保険料金七百十一円以上合計金一千百六十一円、その差引手取月額金一万九千五百三十九円を得ていたが、同人の月間生活費は年令、職業地位等を勘考すれば、月間金五千円と見積るを相当とするから月間純益は右収入から右生活費を控除した金一万四千四百三十九円、これを年間純益として計算すれば金十七万四千四百六十八円となる。更に同人は賞与として一年に四回合計金七万三千四十七円控除分所得税合計金一万四千四百円、差引手取金五万八千七百四十円を得ていたので同人の一年間における純収益は以上合計金二十三万三千二百八円である。ところで同人は明治二十二年七月二十九日生れであるから、昭和二十九年七月厚生省発表の第九回日本人平均余命表によると、なお九・五三年の余命があり、従つて右期間中の亡三郎が得べかりし利益総額は合計金二百二十二万二千四百七十二円となるところ、右事故により同人の得べかりし右利益を喪失せしめられ、同額の損害を蒙るに至つたものである。しかしていまこれを一時に請求するとすれば、ホフマン式計算法により前示金二百二十二万二千四百七十二円から法定利率年五分の割合により計算した中間利息を控除した金百五十万五千二百二十九円となる。原告等は右亡小野三郎の遺産相続人として右損害賠償債権を相続したものであるから、原告小野のふの取得分は法定相続分である三分の一の割合により計算した金五十万一千七百四十三円であり、その他の原告等の取得分はいずれもその法定相続分である二十一分の二の割合により計算した金十四万三千三百五十四円である。

よつてそれら各金額中より本訴請求の全額に満つるまで補足して、被告等に対し原告小野のふは金十万円、その他の原告は各金五万円を各自支払うよう請求する。

と述べ、被告小林雄史主張の抗弁事実を否認する。と答え、立証として、甲第一号証の一ないし二十、同第二ないし第十号証を提出し、原告小野敏夫、被告会社代表社員羽鳥貞吉及び被告小林雄史の本人尋問の結果を援用した。

被告大陸交通株式会社代表者は、原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする。との判決を求め、答弁として、原告等主張の一の事実中原告等の身分関係の点は知らないが、その他の点は認める。二の事実中被告小林雄史が原告主張の自動車を操縦し、原告主張の日時にその主張の場所で小野三郎と衝突し、小野三郎が群馬中央病院において死亡するに至つた点は認めるが、その他の点は否認する。三及び四の事実は否認する。と述べ、甲第一号証の一ないし二十、同第三号証及び同第九、十号証の成立を認める。その余の甲号各証の成立は知らない。と述べた。

被告小林雄史訴訟代理人は原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする。との判決を求め、答弁として原告主張の一の事実中被告小林雄史に関する点は認めるが、その余の点は知らない。二の事実中同被告が原告主張の自動車を操縦し、原告主張の日時にその主張の場所で小野三郎に衝突したこと、小野三郎が群馬中央病院において死亡するに至つたことは認めるが、その他の点は否認する。三及び四の事実は争う。と述べ、抗弁として、

一、被告小林雄史は原告主張の時刻に前橋市県庁前通りを東より西に向つて時速四十粁の速度で進行していたのであるが、その頃は豪雨がどしや降りの上に暗夜のため視界がきかなかつた。そうして同市曲輪町百二番地先十字路交叉点(いずれも幅員八米の道路)に差しかかつたので、速力を落して「ロー」となし、ブレーキを踏んで左右を見、安全であることを確認し、なお警笛を三回吹鳴した上、ブレーキを解放して速力を出すためアクセルを踏んで「セコンド」に切替え、進行したとき前方七、八米の左側より洋傘をさし、上半身をすつぽり覆うようにして北側(右側)に向つて走り出た人を認めたので、とつさに急停車の措置をすると共に、ハンドルを右に一杯に切り、同人を避けようとしたが、近距離であつたのと、被害者が走つていたのとで、遂に道路の中央辺において衝突したものであつて、被告小林雄史としては万全の策を講じたが、これを避けることのできない不可抗力の事故であつた。

二、仮りに被告小林雄史に幾分かの過失があつたとしても、被害者において、豪雨中といえども、自動車の前照燈を相当遠方より発見し得るはずであり、警笛も交叉点で三回鳴らしたのだから、少しく注意を払うにおいては、自動車の接近を発見し得べかりしにかかわらず、全然これを顧慮することなく、雨を避けるために洋傘で上半身をすつぽり覆うようにして、走つて道路を横断しようとしたものであつて、かくの如きことは被害者にこそ重大な過失があり、この過失が禍を招いたものであるから、同被告の損害賠償額を定めるにつき、右過失は相当斟酌せられべきものである。と述べ、立証として被告本人尋問の結果を援用し、甲第一号証の一ないし二十、同第三号証及び同第九、十号証の各成立を認め、その余の甲号各証の成立は知らない。と述べた。

理由

一、原告等主張の第一の事実中原告等の身分関係の点を除くその余の点は本件当事者間に争がない。

成立に争がない甲第十号証によれば、原告のふは小野三郎の配偶者、同はつ乃は同人の長女、同博は同人の長男、同進は同人の二男、同敏夫は同人の三男、同健は同人の四男、同勤は同人の五男、同八重子は同人の三女として、共にその嫡出子であることが明かである。

二、原告ら主張の第二の事実中被告小林が被告会社から借り受けた車輛番号五す第六七四一号小型自動四輪車を自ら操縦運転中昭和三十二年九月二十九日午後八時四十分頃前橋市曲輪町百二番地先道路上で右自動車を右小野三郎に衝突させて、同人をその場に顛倒させたこと、右小野三郎が同市紅雲町二百七十七番地群馬中央病院で死亡したことは本件当事者間に争がない。

成立に争がない甲第一号証の十三及び二十一によれば右小野三郎の死因は、右自動車事故によつて蒙つた頭蓋骨骨折であり、その死亡の時期は昭和三十二年九月二十九日午後九時四十五分であることが認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

三、前記認定によれば被告会社は自動車を賃貸することをその業とし、これを賃貸することにより自己のために自動車を運行の用に供する者であつて、右日時にその業として被告小林に被告会社所有の車輛番号五す第六七四一号小型自動四輪車を賃貸し、被告小林が同自動車を運行することにより、自己のために該自動車を運行の用に供したものであり、被告小林は右認定のとおり右自動車を被告会社から借り受けて右自動車を使用する権利を有する者で自己のために右自動車を運行の用に供したものである。

さて一つの自動車について、二人以上の自動車の保有者が併存する場合、その保有者としての責任を負う者は誰か、ということについて考えて見るに、自動車損害賠償保障法には特別の定めがないし、事の性質から見ても、いずれか一者に限らねばならない理由もないと思われるので、保有者全員が各自その責任を負うべきである。と解するのが相当である。従つて本件の場合においては前示認定のとおり被告等はその運行によつて右小野三郎の生命を害したのであるから自動車損害賠償保障法第三条の定めるところにより、被告等が自動車の運行に関し注意を怠らなかつたこと被害者又は運転者以外の第三者に故意又は過失があつたこと並びに自動車に構造上の欠陥又は機能の障害がなかつたことを証明しない限り、被害者小野三郎の配偶者である原告小野のふ並びに各嫡出子であるその他の原告等に対し各自同人の生命を害したことによつて生じた損害を賠償する責に任じなければならない。

四、被告小林は、本件自動車事故の直前前記自動車を操縦運転して時速四十粁の速度で事故現場に差しかかつたところ、折柄豪雨の上に暗夜のため視界がきかなかつたので、速力を落し、ブレーキを踏んで、左右を見て安全であることを確認し、なお警笛を三回吹鳴した上ブレーキを解放し、速力を出すためアクセルを踏んで「セコンド」に切替え、進行したとき、前方七、八米の、左側より洋傘をさし、上半身をすつぽり覆うようにして右側(北側)に向つて走り出た人を認めたので、とつさに急停車の措置をすると共にハンドルを右に一杯に切り、避けようとしたが、近距離であつたのと、被害者が走つていたのとで、遂に道路の中央辺で衝突したものであつて、被告小林としては万全の策を構じたが、本件事故を避けることができなかつたのであるから、本件事故は不可抗力によるものである。旨主張するので、この点を審按するに、成立に争のない甲第一号証の十二(被告小林の司法警察員に対する供述調書)及び同号証の二十(被告小林の検察官に対する供述調書)には右主張に添うような供述記載があり、被告小林雄史の本人尋問の結果によれば右主張事実に符合するような供述があるけれども、前記各証拠の一部、いずれも成立に争のない甲第一号証の七(司法警察員作成の実況見分調書)、同号証の十四(福田操の司法警察員に対する供述調書)、同号証の十五(中島公次の司法警察員に対する供述調書)及び原告小野敏夫の本人尋問の結果の一部を綜合して検討すると、被告小林が右被害者小野三郎に対する前記自動車事故を起した場所は幅員八米の前橋安中線県道と同幅員の市道が十字に交叉しているところであつて、被告小林は同日午後七時頃同行の中島公次及び福田操と前橋市榎町の金馬車と称する店にてビール三本を飲み、次いで同市紺屋町通りのシヤルマンと称するバーに立寄つて右二名と共にビール一本を飲み、相当酔つていながら前記自動車の運転席に右二名の者を同乗させて運転操縦し、折柄の降雨と、自動車の前照灯が雨に濡れた道路面に反射するため、視界が遮ぎられる中を時速四十キロないし五十キロの速力を出して、右県道のほぼ中央を東から西に向けて進行し、右十字路に気付いたのでやや速力をゆるめ、警笛を鳴らして、同所に差しかかつたとき、ようやく前方数米の地点を北に向つて横断しようとしていた小野三郎を発見し、事故発生の危険を感じたが、急停車の措置を構じないで、とつさにハンドルを右に切り衝突を避けようとしたが却つて小野三郎が進む方行にハンドルを切つたため間に合わず、自動車を小野三郎に衝突させ、その地点から二十二米余進んだ地点で漸く停車した事実を認めることができるので、この事実に照らして考えると、前記書証における被告小林の供述記載及び同被告本人尋問における供述はたやすく措信できないし、その他に被告小林が自動車の運行に関し注意を怠らなかつたこと、或は同被告のいうように不可抗力の事故であつたことを認めるに足りる証拠はないから、同被告のこの抗弁は認容できない。又被告大陸交通株式会社は自己が自動車の運行に関し注意を怠らなかつたこと、被害者又は運転者以外の第三者に故意又は過失があつたこと並びに自動車に構造上の欠陥又は機能の障害がなかつたことを証明しない。

五、被告小林は仮に同被告に過失があつたとしても、被害者小野三郎において豪雨中といえども自動車の前照灯を相当遠方より発見し得るはずであり、警笛も交叉点で三回鳴らしたのだから、少しく注意を払うにおいては自動車の接近を発見し得べかりしにかかわらず、全然これを顧慮することなく、雨を避けるために洋傘で上半身をすつぽり覆うようにして、走つて道路を横断しようとしたもので、かくのごときことは被害者にこそ重大な過失があり、この過失が禍を招いたものであるから、被告の損害賠償額を定めるにつき、被害者の右過失は相当斟酌せられべきものである旨主張するけれども、被告小林の全立証によるも被害者小野三郎に右のような過失があつたことを認めるに足りる資料はないから、この抗弁も認容することはできない。

六、原告等が夫であり、或いは父である小野三郎の死亡により精神上の苦痛を蒙つたことは経験則上明かなところであり、成立に争のない甲第一号証の十三、原告小野敏夫の本人尋問の結果によれば、被害者小野三郎は本件事故前には国民金融公庫前橋支所に庶務係として勤務し、月収約金二万円を得て、原告のふ、三男敏夫、五男勤及び三女八重子等と同居して、同人等を扶養していたものであることが認められ、これによれば小野三郎は原告等一家の中心的存在であつたものと思料される。右認定にかかる事実その他諸般の事情を考慮して原告等が前示自動車事故による小野三郎の死亡のために蒙つた精神的苦痛に対する慰藉料としては原告のふについては金二十万円、その他の原告等についてはそれぞれ金十万円を以つて相当と認める。

よつて原告等の予備的請求について判断するまでもなく、原告小野のふの被告等に対し各自金十万円及びこれに対する本件訴状が被告等に送達せられた日の後であること本件記録によつて明かな昭和三十三年五月二十日から完済まで民法所定の年五分の割合による損害金及びその他の原告等の被告等に対する各自金五万円ずつ及びこれに対する右昭和三十三年五月二十日から完済まで民法所定の年五分の割合による損害金の支払を求める本訴請求は正当であるから、いずれもこれを認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条第九十三条、仮執行の宣言について同法第百九十六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 田中宗雄)

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