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東京地方裁判所 昭和33年(ワ)4040号 判決 1960年4月05日

原告 新井与次右衛門

被告 国

訴訟代理人 岡本元夫 外三名

主文

被告は原告に対して金四五万八、〇三〇円及びこれに対する昭和三三年六月四日から支払済みまで年五分の割合による金銭を支払うこと。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを四分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

事実

(双方の申立)

原告は、被告は原告に対して金三一三万五、二〇〇円及びこれに対する訴状送達の翌日(昭和三三年六月四日)から支払済みまで年五分の割合による金銭を支払うべし、訴訟費用は被告の負担とするとの判決及び仮執行の宣言を求め、

被告は、原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求めた。

(原告の請求原因)

(一)、原告先代新井与七は埼玉県大里郡岡部村大字岡字伊勢林一四五二番所在の地目山林一反七畝二三歩及び同村大字岡字流作四五七番の二所在の地目山林四畝二八歩の二筆の土地を所有していた。

右二筆の土地は地目は山林になつていたが、実際は与七において開墾し農地として使用していたものである。しかるに岡部村農地委員会はこれを未墾地と誤認して昭和二二年六月二五日自作農創設特別措置法にもとづき未墾地買収計画を樹て、同年八月一五日埼玉県農地委員会がこの計画を承認し、この承認に基いて埼玉県知事は即日買収令書を交付して未墾地買収処分をした。このため本件二筆の土地は昭和二三年五月から原告側において使用収益することができなくなつた。

右買収処分は未墾地を農地と誤認してなされたもので無効なものであるから、原告先代与七は昭和二三年一〇月六日浦和地方裁判所に対して前記の埼玉県農地委員会の与えた承認及び埼玉県知事のなした買収処分の無効確認の訴を提起した。その結果、第一審では原告側が敗訴したが、東京高等裁判所の控訴審では第一審判決が取消されて原告側勝訴の判決があり、被告が上告したが昭和三二年四月一一日上告棄却の判決があつて東京高裁の前記勝訴判決が確定した。そして、同年一一月二七日に原告は被告から本件二筆の土地の返還をうけた。

被告のなした前記買収処分は既墾農地を未墾地と誤認してなした点に重大な過失があるから、被告はこれによつて生じたすべての損害を賠償する義務がある。しかして、先代与七は昭和二四年一〇月一二日死亡し、原告が唯一の相続人として同人の権利義務一切を承継し、現に前記無効確認訴訟の控訴審では与七の訴訟承継人として訴訟の当事者になつていた者であるから、被告は原告に対して本件買収処分によつて与七及び原告が蒙つたすべての損害を賠償する義務がある。

(二)、原告側の蒙つた損害は次のとおりである。

(1)  本件土地の使用収益を妨げられたことによる得べかりし利益の喪失

原告及び先代与七は、前記のとおり、昭和二三年五月から昭和三二年一一月二七日まで本件土地の使用収益を妨げられた。本件土地は好適な農地であるから、もし原告側においてこれを使用して農耕していたとすれば、伊勢林の農地については一年に一一万八、八〇〇円づつ、流作の農地については一年に五万四、〇〇〇円づつの純益を収めることができた筈であるから、合計一五五万五、二〇〇円の得べかりし利益を失い、これと同額の損害を蒙つたことになる。

(2)  慰藉料

原告及び先代与七は前記買収処分によつて不法に農地を取り上げられ、多大の精神上の苦痛を蒙つた。殊に与七は昭和二四年三月二女ナカを他家に嫁せしめたが、本件農地の使用収益を妨げられていたため手許が苦しく婚姻費用の手当をするため所有山林九反二畝余の売却を余儀なくされ、心労の余り昭和二四年一〇月一二日病死するに至つたものであるから、その慰藉料は四〇万円をもつて相当とする。原告は右の慰藉料請求権を相続しているので、これと原告固有の慰藉料一〇万円を合せて合計五〇万円の支払を請求する。

(3)  弁護士費用

原告及び先代与七は弁護士山下東太郎を訴訟代理人に選任して前記買収処分無効確認訴訟の遂行を依頼し、その報酬として合計一〇八万円を支払つている。この費用は被告の違法な買収処分によつて支出を余儀なくされた損害であるから、本訴においてこれが賠償を求める。

右のとおり、原告は合計三一三万五、二〇〇円相当の損害を受けているので、右損害と訴状送達の翌日(昭和三三年六月四日)から支払済みまで年五分の割合による損害金の支払を求めるものである。

(被告の答弁)

(認否)

(一)の事実は、本件二筆の土地が農地であつたこと、被告のなした買収処分に過失があつたことは否認するが、その他の事実はすべて認める。

(二)の事実は、原告等が本件買収処分のため昭和二三年五月から昭和三二年一一月二七日まで本件土地の使用収益を妨げられたこと及び弁護士山下東太郎が原告等の委任をうけて原告主張の行政訴訟の原告側の訴訟代理人になつたことは認めるが、その他の事実はすべて争う。

(主張)

(1)本件二筆の土地に対する買収計画にはなんら違法な点がなかつたし、また、その計画に対する埼玉県農地委員会の承認および埼玉県知事のなした買収処分にもなんら故意過失はなかつた。

本件二筆の土地は買収計画樹立当時はまだ開墾されておらず、従つて農地ではなく未墾地であつたから、岡部村農地委員会が未墾地として買収計画を樹てたのは適法であり、従つてまた埼玉県農地委員会がこの計画を承認し、埼玉県知事が買収処分をしたことは適法であつて、この点についてなんら故意過失はない。

(2)本件土地の買収処分により原告が精神上の損害を被る筈はない。

原告は本件土地が買収されこれが第三者に売り渡されたことによつて本件土地を使用収益できなかつたことによる損害を蒙るだけであつて、特段の事情がない限り、買収処分により精神上の損害を被る筈はない。従つて、この損害の賠償を請求するのは失当である。

(3)原告が買収処分によつて本件土地を使用収益できなかつた損害については、本訴提起の日より三年以前に生じたものは時効によつてその賠償請求権が消滅しているから、被告にはその損害を賠償する義務はない。

(証拠関係)

原告は甲第一号証、第二号証の一ないし四、第三、第四号証の各一、二、第五号証の一ないし三、第六号証の一ないし一三を提出し、証人新井徳仁、山下東太郎及び原告本人並びに鑑定人伊藤勇、荻山虎雄の尋問を求め、乙号各証の成立を認め、

被告は乙第一号証の一ないし三、第二、第三号証の各一、二、第四号証を提出し、証人山口正一、鎌田祐次、武藤郷一、加藤八郎、今井春市の尋問を求め、甲号各証はすべてその成立を認めた。

理由

本件二筆の土地は原告先代与七の所有であつたが、原告主張のような経過で昭和二二年八月一五日埼玉県知事によつて自作農創設特別措置法によつて未墾地として買収されたこと、右買収処分は与七の提訴によつて農地を未墾地と誤認してなされた無効の処分であることが確認され、この無効確認判決は昭和三二年四月一一日上告棄却の判決によつて確定したこと、与七が昭和二四年一〇月一二日死亡し、原告が単独相続人としてその遺産を相続したことはいづれも当事者間に争がない。

そして、成立に争のない甲第二号証の一、二及び三、同第三、第四号証の各一、二、同第五号証の一及び三を綜合すると、岡部村農地委員会が本件土地につき未墾地買収計画を樹立した昭和二二年六月二五日当時の本件土地の状況はすでに農地になつていて未墾地ではなかつたこと、すなわち、本件伊勢林の土地については昭和二二年一月頃はまだ未墾地であつたが、先代与七が訴外早野利男にその開墾を依頼し、早野が他数名の者とともに同年二月頃からこれが開墾に着手し、同年三月末に大体の荒起しを完了して与七に引渡し、与七は整地の上同年五月中旬にはすでに陸稲の蒔きつけを終つていたことが認められ、また、本件流作の土地については昭和二一年一月頃は地上の雑木などが伐採されたままで大小の根株が残つていてまだ未墾地であつたが、その頃訴外田島三郎が与七の承諾を得て開墾に着手し、同年三月下旬頃には土崩れの危険のある個所を除いて全部開墾を終えてこれを与七に引渡し、与七はその直後に馬鈴薯を植えつけ、続いて同年中に大豆や小麦等を作付してそれぞれ収獲をあげていた事実が認められる成立に争のない乙第二号証の一、二、同第三号証の二の記載及び証人山口正一、鎌田祐次、武藤郷一、加藤八郎、今井春市の証言のうち右認定に反する部分はにわかに採容できず、他にこの認定を左右するに足る確証はない。従つて本件の買収処分は農地を未墾地と誤認してなされた違法な処分であつて、特別の事情につき何んら主張立証のない本件においては右の買収手続に関与した被告の公務員に少くとも農地を未墾地と誤認して買収手続を進めた点に過失があつたものと推認せざるを得ない。従つて、また、被告は原告に対して原告及び先代与七が本件買収処分によつて蒙つた損害を賠償する義務がある。

よつて、損害の額について判断する。

(消極損害について)

証人新井徳仁及び原告本人の供述によれば、原告家は代々の農家であつて、農繁期には労務者二名を使用し、昭和三〇年からは年ぎめ労務者一人を使つて農業に従事しているものであることが認められる。そして、本件買収処分のため原告及びその先代が昭和二三年五月から昭和三二年一一月二七日まで本件土地の使用収益を妨げられたことは当事者間に争がない。そして、鑑定人伊藤勇の鑑定の結果によれば、もし与七及び原告において右の期間中本件土地を耕作できたとすれば合計二六万八、〇三〇円の純益を収めることができたものであることが認められるので、被告は原告に対して右の損害を賠償する義務がある。被告はこの点について短期消滅時効を援用し、本訴提起の日から三年以前に発生した損害については消滅時効が完成しているというが、原被告間に本件買収処分の効力をめぐつて法的紛争があり、原被告間の買収処分無効確認訴訟が昭和三二年四月一一日上告棄却の判決によつてようやく終局し、これによつてはじめて本件買収処分の無効が確定したものであることは当事者間に争のない事実であるから、被告の右抗弁は採容できない。

蓋し、民法第七二四条に「損害及ヒ加害者ヲ知リタル時ヨリ・・・」というのは単に損害発生の事実と加害者が何人であるかを知つた時の意味ではなく、同時に当該の加害行為が不法行為を構成するものであることをも確知した時の意味に解すべきものであるから、行政処分の有効無効が訴訟で争われている場合には、少くとも、それが判決によつて無効の処分であることが確定するまでは同条の短期消滅時効は進行をはじめないものと解しなければならないからである。

(慰藉料について)

原告及び先代与七が本件の買収処分によつて精神上の苦痛を蒙つたことは容易に推量できる。しかしながら、すでに本件買収処分の無効が確定し、これにもとずいて昭和三二年一一月二七日被告から原告に対して本件農地が返還されたことは当事者間に争がないのであるから、原告はすでに処分前の原状を回復したものというべく、従つて格別の事情の認め難い本件の場合には原告はもはや慰藉料請求権を有しないものと解するのが相当である。いわゆる慰藉料は口頭弁論終結の時を基準としてそれまでに生起した各般の事情を参酌して社会的標準によつてその支払の要否及び数額を決すべきものである。この標準からすると、一般に財産権を侵害する不法行為の場合には、相手方に精神上の打撃を加えることを目的としてことさらに当該不法行為がなされたとか、その物が被害者にとつて特別の価値を有する特殊の物であるとかというような特別の事情のない限り、被害者がすでに財産上の損害を完全に回復し得た場合には、もはや、被害者の側に加害者に対して慰藉料の支払を命じてまでも回復せしめなければならないほどのとりたてた精神上の損害ないし苦痛はなくなつているものと解するのが相当であるからである。本件の被害物件は農地であつて原告及びその先代にとつて特別の主観的価値のある物とも思われないし、原告はすでに当該農地の返還をうけており、その使用収益を妨げられたことによる損害の賠償をも受けることができるのであるから、被告に対してこの上さらに慰藉料の支払を命ずる必要があるとは考えられない。そして、このことは債務不履行(この場合にも債権者の精神的苦痛は十分これを察することができる)や財産上の不法行為を原因とする損害賠償の請求訴訟で実務上慰藉料が問題とされていないのが一般であることからも十分に首肯できるだろう。もつとも、本件の場合には先代与七は前記訴訟中に死亡し、買収処分の無効確定とこれに基く農地返還の結果をみずに他界しているのであるから(この点は当事者間に争がない)、同人の取得した慰藉料請求権は爾余の事情に影響されることなくそのまま相続によつて原告に承継取得されたものとみる余地もないではないが、かかる見方は余りに技巧に過ぎたものであつて、むしろ前段の説明から自から諒解されるように、財産権に対する不法行為によつて生ずる精神上の損害なるものは特別の事情のない限り財産上の損害の回復によつて解消し去るべき性質のものと解するのが相当であるから、原告がすでに財産上の損害を回復した以上、先代与七の損害もこれを一体的にみて、この損害についてもすでに請求できなくなつたものと解するのが相当であると考える。

右のとおりであるから、原告の慰藉料請求はこれを認容しない。

(弁護士費用について)

不法行為の被害者が不法行為を原因とする訴訟-本件の場合には前記の買収処分無効確認訴訟がこれに当る-において支出した弁護士費用を別訴で当該不法行為による損害として賠償を請求できるかどうかについては学説上も争があり裁判例も一致していないが、当裁判所はこれを肯定すべきものと考える。弁護士費用は不法行為から直接に生じた損害ではなく、損害の賠償を求めるために支出を余儀なくされた費用で、不法行為との関係ではいわば第二次的な間接損害であるからこれを不法行為によつて通常生ずべき損害であるとみることはおそらく無理だろう。しかしながら、不法行為が行われた場合に円満な解決が得られないときは被害者は加害者に対して訴を提起してその損害の賠償を求めるのが一般であり、この場合、弁護士費用は提訴によつて通常生ずべき損害に外ならないのであるから、それが不法行為によつて通常生ずべき損害ではなく特別の事情によつて生じた損害であるとみても、現在の社会事情からすれば加害者は当然これを予見しうべき筈のものであるから、加害者は被害者に対して被害者が権利実行のため負担を余儀なくされた弁護士費用のうち諸般の事情からみて相当と認められる範囲の額を賠償する義務があると解するのが相当である。もつとも、こうした見地にたてば、不法行為を原因とする訴訟において支出された弁護士費用と債務不履行を原因とする訴訟におけるそれとを区別する必要はないことになるから、被害者は不法行為を原因とする訴訟において支出した弁護士費用の賠償を別訴で請求し、さらにその別訴における弁護士費用の賠償を新たな別訴で請求することができることになつて止まるところを知らない結果になるという難点が予想される。しかし、この点は、頭のなかで考えるとそうゆう難点がでてくるというだけのことであつて、実際問題としては自づから落着くべきところに落着くものと思われるし、現に論者が問題としているような健訟濫訴の幣があらわれているわけでもないのであるから、この点をさして気にする必要はないと考える。もし、予想され得る健訟濫訴の幣をあらかじめ断ち切つておく必要があるとするならば、事前に適当な立法措置を講じておくべきものだろう。立法措置の欠缺に由来する健訟濫訴の影におびえて本来肯定すべき弁護士費用の賠償請求を拒否するが如きはむしろ本来を逆にするものであつて、当裁判所の同調できないところである。

そして、原告及び先代与七が弁護士山下東太郎を訴訟代理人に選任して被告に対して前記無効確認訴訟を提起し、勝訴の確定判決を得たことは当事者間に争なく、成立に争のない甲第六号証の一ないし一三と証人山下東太郎の証言によれば、原告及び先代与七は山下弁護士に対して前記訴訟事件の実費及び報酬をふくめて合計四〇万三千円を支払い、内金二〇万円は純然たる報酬として昭和三二年六月五日これを支払つていることが認められる。証人新井徳仁及び原告本人の供述のうちこの認定に反する部分は採容できず、他に右認定を左右するに足る資料はない。そして、取寄に係る前記無効確認訴訟事件の訴訟記録によつて認められる訴訟の経過と鑑定人荻山虎雄の鑑定の結果に徴すれば、被告の賠償すべき弁護士費用は金一九万円をもつて相当とするものと認められる。

右の次第で、被告は原告に対して消極損害二六万八、〇三〇円及び弁護士費用一九万円、合計四五万八、〇三〇円及びこれに対する訴状送達の翌日なること記録上明らかな昭和三三年六月四日から支払済みまで年五分の割合による損害金を支払う義務がある原告の請求は右の限度において理由があるのでこれを認容し、その余はこれを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条を適用し、主文のとおり判決する。なお、仮執行の宣言はその必要がないものと認めるのでこれを附さないことにする。

(裁判官 石井良三)

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