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東京地方裁判所 昭和33年(ワ)6448号 判決 1960年4月19日

三井銀行堀留支店

事実

原告上園万吉は昭和三十二年十二月三十日午後三時頃被告株式会社三井銀行の堀留支店の預金受入窓口係員に対し金額五百万円、期間六月、利息年五分五厘の無記名定期預金契約の申入をなし、同支店行員の差し出した預金者印鑑用紙に所持していた自分の印鑑を自分で押捺し、これと共に現金百十万円と被告銀行渋谷支店振出し自己宛小切手三葉(金額合計三百九十万円)の合計金五百万円を同時に定期預金のため同行員に交付し、同行員はこれを受け取り定期預金契約を締結した。そして約一時間位後に堀留支店の案内係員に案内されて同店応接室に招かれ、そこで同店次長川本省吾と記載した名刺の所持人より、記号特いあ、番号第一三五号、金額五百万円、期間六月、期日昭和三十三年六月三十日、株式会社三井銀行堀留支店長代理清村春雄、無記名殿と記載してある特別定期預金証書と題するもの一通の交付を受けて帰宅した。ところが、昭和三十三年二月十九日に至り、原告は予て取引のある被告銀行渋谷支店より電話をもつて、堀留支店発行名義の定期預金証書に偽造のものがあるらしいが、原告には関係がないかどうかという注意を受けたので調査したところ、原告所持の前記預金証書が偽造であり、且つ堀留支店の預金台帳に原告の届け出た印鑑によつて預金されている金額は金三十万円であり、預金当日原告が堀留支店の預金受入係員に手交した金五百万円は右三十万円のほか訴外明川周作名義の通知預金又は堀留支店発行の預金小切手等として取り扱われていることが判明した。原告は右奇怪なる行為が何人により如何なる方法をもつて行なわれたか全く知らないが、仮りに堀留支店においてこのようなことが行なわれても、これによつて前記預金契約の効力に消長を来す筈はないから、原告は昭和三十二年十二月三十日原被告間に成立した金額五百万円、期間六月、利息年五分五厘の無記名定期預金契約に基いて、その元金、利息及び期限後の損害金の支払を求める、と主張した。

被告株式会社三井銀行は答弁として、本件は明川、井田らが共謀して原告を欺罔し、原告名義の預金をするように原告に装つて巧みに五百万円の現金、小切手を原告から騙取したものと思われる(因みに、明川、井田は本件詐欺被告人として東京地裁刑事部にて審理されている)が、被告銀行に対する関係では終始明川が預金者となつていたものであり、且つ被告銀行では右明川を預金者として取り扱うについて何ら過失もなかつたのである。畢竟被告銀行と原告間には原告主張のような預金契約は全く存在していないのみならず、且又原告は、被告銀行に全然その事実のないいわゆる導入預金を訴外小林加奈子より使嗾され、謝礼金三十万円に眩惑されて明川及び井田の詐欺にかかる定期預金証書を取得したものと断ずるほかはないから、原被告間に預金契約の成立していない本件において、その払戻請求をなす原告の主張は全く失当である、と争つた。

理由

昭和三十二年十二月三十日原告の持参した金五百万円が、被告銀行堀留支店において訴外明川と被告の行員清村春雄によつて金三十万円の特別(無記名)定期預金一口、金百九十万円の明川周作名義の通知預金一口、金百九十万円と金三十万円の堀留支店振出の預金小切手各一通(合計四百四十万円)に換えられ、訴外明川が清村からその通帳及び小切手を受領し、原告は明川から被告銀行名義の金額五百万円の偽造の定期預金証書をつかまされたことは、弁論の全趣旨に徴し当事者間に争がないものと認められる。

そこで問題は、原告がその主張するように五百万円につき正規の預金手続をふみ、八番の窓口に本件五百万円とその印鑑簿を差し出し、被告行員がこれを受領して原告と預金契約を結びながら、何らかの事情で右の預金が原告の預金として取り扱われずに前記のように四口合計四百四十万円の明川の預金等として処理されたものなのか、それとも、被告銀行のいうように原告は明川や井田に騙されて五百万円を詐取されたものなのかという点に集約されるが、結論を先に示せば、当裁判所は、本訴にあらわれた証拠の関係からみて、被告の主張するところが事実の真相に合致するものであると認める、その理由は次のとおりである。

前記三十万円の無記名定期預金の印鑑簿の印影が原告の印章によるものであることは当事者間に争がない。そして甲第二ないし第六号各証(井田実、小林加奈子、佐藤清一郎、江原茂十郎、上原勘吉に対する検事聴取書)、甲第七号証(刑事公判における原告本人、佐藤信一郎、江原茂十郎の証人尋問調書)にはそれぞれ原告の主張に副い、又はこれに符合する関係人の供述記載がある。これらの各資料からすれば、原告の主張事実を肯認せざるを得ないように見えるが、かく認定するについては次のような障碍ないしは疑点があつて、本訴にあらわれた証拠関係の下では、原告の全立証によつてもこれらの障碍ないしは疑点を払拭せしめるに足りないものと判断せざるを得ない。

(1)  まず、裏利の支払関係を検討してみる。原告が堀留支店に預金に行つた際に井田実に対して裏利の三十万円を事前に支払うように強く要求し、もし払わなければ預金をしないでこのまま帰るといい出し、原告側と井田との間がもめたことは証人佐藤信一郎及び原告本人の供述によつて明らかである。そして、これらの供述によると、原告は結局、井田が預金をしてくれれば直ぐ裏利を支払えるように手配ができたからというので、それを信用し、印鑑簿に押印してこれに前記の五百万円を添えて六月の無記名定期にして貰いたいといつて八番窓口に差出して預金をし、その後に井田が銀行の事務室へ入つて行つて三十万円の現金を持つてきて客溜りでこれを原告に渡したものであるということになつている。しかし、これらの供述のうち五百万円の預金をした後で三十万円の裏利の支払を受けたという点は証人井田実及び明川仁の証言に対比して措信できず、かえつてこれらの証拠によれば、原告は客溜りで事前に裏利三十万円の先払を受けていることが認められる。原告は、本人尋問の際の供述によつても明らかなように、三十万円の裏利をも取得するために堀留支店に出向いたのであるから、裏利の授受は本件預金の眼目でなければならず、従つて裏利の授受が預金後に後払いされたのか、預金前に先払いされたのかという点は、原告はじめその場に居合せた関係者殊に直接井田に対してその交渉に当つた佐藤清一郎には判然した記憶があつて然るべき筈である。しかるに、この点に関する佐藤信一郎と原告本人の供述が前認定のように事実と相違すると認められることは、原告にとつて最も有力な資料の一である同人等の供述の信憑性を痛く疑わしめるに足るものといわざるを得ない。

(2)  次に預金契約の成否そのものを検討する。明川仁に対する検事聴取書(甲第一号証)によれば、当日、明川は偽造の五百万円の定期預金証書を用意して堀留支店に赴き、事務室内の支店長席の側の丸テーブルで行員と雑談しながら井田が預金者を連れてくるのを待つていたものであるが、一方井田は明川や川井某とぐるになつて原告からその預金を取り込むことを計画していたものであることが認められる。そして他の証拠によると、堀留支店振出の前記預金小切手二通は間もなく換金され、明川名義の通知預金は同じく同人名義の普通預金に振り返えられた上で二回に亘つて合計百六十万円が払い戻されていることが認められ、これらの換金及び払戻は何れも原告とは無関係に明川等によつてなされたものであると認められる。

右の事実からすれば、明川や井田は原告から預金名義で金員を騙取することを計画していたものと認めざるを得ない。そうだとすれば、もし原告が自己の印章を押捺した印鑑簿とその所持金を窓口に差出して正規の預金手続をすれば、井田等の計画は画餅に帰するので、同人等としては、何らかの手段を弄して表面は原告の正規の預金になつたように見せかけて実際はそうでなくするような術策を用いたに違いないと思われる。そして、不幸にもそれが成功し、井田が何らかの口実を設けて原告を誤信させ、原告の印鑑簿と裏利を差引いた前記の四百七十万円を窓口を通さずに銀行の事務室内に持ち込み、居合せた明川がこれを自己の預金として処理してしまつたのではないかと推量されるのである。けだし、このように見ないと本件預金が明川名義になつていて同人等が勝手にこれを引き出している点や原告に偽造の預金証書をつかませて原告を騙している点などが合理的に開明できなくなるし、また、本訴にあらわれた証拠のうちには次に述べるようにこうした推認を裏付けるに足る資料が揃つているからである。すなわち。

(イ)  明川仁に対する検事聴取書によると、明川は検事に対して、堀留支店の支店長代理清村が自分の座つていた丸テーブルに来て、「今預金入りました。これをどういう具合に預金しておきませうか」というので、自分は窓口から五百万円入つたものと思い、百九十万円と六十万円を預金小切手にし、三十万円を無記名定期にして残金は通知預金にして下さいと頼んだ。暫くして清村がまた自分の席へやつて来たが、そこへ井田が来て、「裏利の方を現金で用意して下さいよ」というので、自分は「困るなあ、さつき預手として六十万円頼んだばかりだ」というと、井田は「どうしても現金三十万円欲しい、預金者の方で三十万円の裏利を差引いて四百七十万円しか預金していませんよ」といつたので、自分はこのとき始めて四百七十万円しか銀行の窓口に入つていないことがわかつた。このことを傍で清村も聞いていたので、清村に預手の六十万円を三十万円にして現金で三十万円用意してくれるように頼み、清村から現金三十万円、百九十万円と三十万円の預金小切手、同じく百九十万円の通知預金証書と三十万円の無記名定期の証書を受け取つたと述べている。この供述記載によれば、清村は情を知つて明川、井田等に加担していたものと認めざるを得ないが、清村にこうした事跡があつたことは他にこれを認めるに足る資料が何一つなく、かえつて本件の五百万円の定期預金証書が偽造のものであることが発覚された経緯が被告主張のとおりであつたこと(清村は積極的に被告銀行渋谷支店に対し、明川が堀留支店へ預金した渋谷支店振出の預金小切手の発行依頼人を照会したりしている)から推せば、清村が井田や明川とぐるになつていたということは到底考えられない。従つて右の供述記載のうち、清村が裏利に使う現金三十万円を差引いて残金を前記のように処理してくれたという部分は、清村がぐるになつていたことを前提とするものであるから、到底措信できない。

(ロ)  井田実に対する検事聴取書によると、井田は検事に対して、自分は本件の導入預金のことも、偽造の定期預金証書のことも銀行の内部に話が通じているものと考えていた。窓口を通して預金をすればすべて銀行の責任になるものと考えて八番窓口から預金をさせたもので、原告が八番窓口へ印鑑簿と現金等を差出して預金をしたことは間違いない、原告は銀行員でもない自分に金を渡すような男ではない、と供述している。しかしながら、被告銀行が導入預金を扱つていたとか、本件偽造預金証書の発行について銀行内部とあらかじめ諒解が成立していたとかいう点はこれを肯認するに足る確証が何もないし、さらに、井田実は昭和三十三年五月八日検事とともに堀留支店に赴いて現場検証をした際、預金をしたときに八番の窓口にいた係員は当時の八番窓口の担当者であつた卯水甫とは別の男であると供述しているのである。この供述は容易に看過できない点であつて、証人卯水甫の証言によれば、当日同人は終日八番窓口にいたのであるから、もし八番窓口で預金されたとすれば、その預金を取り扱つた行員が卯木甫と別人であつたということはあり得ないことなのであるから、井田がこうした供述を敢てしていることはその供述の真否を多分に疑わしめるに足るといわなければならない。

(ハ)  証人清村春雄の証言によると、同人は当時堀留支店の預金係長であつたが、昭和三十二年十一月末頃から明川を知るようになり、明川から仏性寺鉱業株式会社の設立の話を聞き、資金が動くようになつたら銀行取引をして貰いたいという申出を受けていたが、同年十二月三十日に明川が来店し、出資者が見つかつたから今日預金に来た、ここで出資者が来るのを待つている、という話があつたので、清村は支店長席の横の丸テーブルで明川と雑談をしたり、自席に戻つて事務をとつたりしていたが、その際井田を仏性寺鉱業の者だといつて明川から紹介された。井田は丸テーブルから一、二回裏出入口の方へ立つて行つたりしていたが、暫くしてから「来た」というようなことをいつて丸テーブルから立つて行つたので、清村は出資者が来たものと思い、ちよつと丸テーブルで待つていたが、井田がなかなか戻つて来ないので、また自席に行つて事務を執つていた。暫くして井田が丸テーブルに戻つて来たので、清村も金が入つたものと思つて明川の席へ戻ると、丸テーブルの上に小切手と現金が置いてあつたので、「どういう預金にするのですか」と明川に聞いて、その申出どおりに処理したもので、他の行員から右の小切手を受け取つたものではないことが認められる。

右に判示した事実と、弁論の全趣旨から推すと、直接の資料は何もないが、恐らく井田が原告に対して裏利の三十万円を差引いて四百七十万円入れても五百万円の預金として扱うことに清村との間に諒解がついたからなどと巧みに原告を欺いてその旨誤信させ、原告から原告の押印した前記印鑑簿と四百七十万円を受け取つて、窓口を通さずこれを丸テーブルへ持つて行つて明川の預金として処理させたものと推認するのが相当であると思料される。

当裁判所は、以上の理由から原告主張の五百万円の預金契約は成立していないものと認めるから、右契約の成立を前提とする原告の請求は失当である。

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