東京地方裁判所 昭和33年(ワ)8558号 判決 1961年4月27日
原告(反訴被告) 株式会社小薬印刷所
被告(反訴原告) 村田信二 外一名
主文
被告(反訴原告)らが原告(反訴被告)に対しその従業員としての雇用関係を有しないことを確認する。
反訴原告(被告)らの請求を棄却する。
訴訟費用は、本訴および反訴に関するものとも被告(反訴原告)らの連帯負担とする。
事実
第一当事者双方の求める裁判
一 原告(反訴被告)は、本訴につき主文第一項と同旨および訴訟費用は被告らの負担とするとの判決を、反訴につき「反訴原告らの請求を棄却する。」との判決を求めた。
二 被告(反訴原告)らは本訴につき「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を、反訴につき「反訴被告は昭和三三年八月二六日以降本判決の確定にいたるまで、反訴原告村田信二に対し一ケ月金二万二九五一円、同佐藤精二に対し一ケ月金二万五七九五円を各当該月の末日以降完済にいたるまで年五分の割合による金員とともに支払え。」との判決および仮執行の宣言を求めた。
第二本訴請求の原因
一 原告(反訴被告。以下原告という。)は、印刷業を営むものであるところ、昭和二七年五月五日以来被告(反訴原告)村田(以下被告村田という。)を、昭和二九年一月二六日以来被告(反訴原告)佐藤(以下被告佐藤という。)をそれぞれ文撰工として雇用していたものである。
二 原告は、昭和三三年八月一三日東京都教育庁から「勤務評定に関する質疑応答集」と題する冊子の印刷の注文をうけたのであるが、その納期を同月一六日おそくとも同月一八日午前と指定されていたところから、直ちにその印刷に着手すべく、まず文撰職長の大久保神左衛門より文撰工たる被告ら両名と堀口博に対し、緊急の仕事であるから他に優先して各自で三分の一ずつ分担のうえ文撰をするよう命じたところ、
1 被告佐藤は、勤務評定に関係のある仕事はしたくないと言つて渡された原稿を文撰のケース棚の上に置いたまま振向こうともせず、大久保職長の再三にわたる作業命令を最後まで拒否し、
2 被告村田は、大久保職長から命ぜられた文撰の仕事に従事したことはしたのであるが、その分担した原稿中本文の第一頁における「勤務評定はなぜ実施するか。」という諮問に対する回答として「答およそ人事は公務員にあつても云々」とある部分の文章の文撰にあたり、その冒頭に「日米独占資本のためである。」という一句の活字を勝手に挿入した。
三 被告らが教職員に関する勤務評定制度に反対するの余り、原告の従業員として命ぜられた仕事を怠ることは、もとより絶対に許されないものであるところ、前述のとおり、被告佐藤が大久保職長からいいつけられた文撰の作業を故なく拒否し、被告村田が文撰にあたり原稿にない、しかも教職員の勤務評定に反対する自らの政治的見解を表明したものとみられる文言をほしいままに挿入したことは、原告に雇用される工員としての義務に著しく違反したものといわなければならない。そして被告佐藤の右作業拒否のため、原告は、東京都教育庁からの注文にかかる前記印刷を指定の期間内に完了することができず、昭和三三年八月一八日の午後に漸く納入をすませることができたのであり、また被告村田が無断で文撰した前示不要活字は、幸い植字の段階で発見されて取除かれたけれども、作業の全過程において誰にも気付かれずに見過されてそのまま印刷に付されて注文主に納入され、原告の信用を失墜せしめる事態を招来するにいたつたことも、事情のいかんによつては十分に考えられるところである。
そこで原告は、叙上のような行為のあつた被告らを、原告の就業規則第三四条所定の従業員に対する懲戒の事由中「素行不良で会社の秩序を紊した者」(第四号)および「其の他不都合の行為のあつたとき」(第六号)に該当するものとして、右就業規則第三六条の規定により必要とされる従業員側との協議のために、昭和三三年八月一九日労使経営協議会の議を経て、即日被告らに対しそれぞれ懲戒解雇の意思表示をした。
四 かくして原告と被告らとの間の雇用契約は、右解雇の意思表示により右同日限り終了するにいたつたにかかわらず、被告らにおいて右懲戒解雇の意思表示の効力を争い、原告と被告らとの間に依然雇用関係が存続していると主張するので、その不存在についての確認を求めるため本訴請求に及んだ次第である。
第三本訴請求の原因に対する認否および被告らの主張
一 原告の主張する本訴請求の原因中一記載の事実、同二記載の事実のうち、原告が東京都教育庁から昭和三三年八月一三日その主張のような印刷の注文をうけ、直ちに文撰職長の大久保神左衛門から被告ら両名と堀口博とに対し原告主張のように文撰の作業が命ぜられたこと、被告佐藤が大久保職長よりの命令にかかる仕事をしなかつたこと、被告村田が原告主張のように原稿にない文字を文撰の際に挿入したこと、同三記載の事実のうち、被告村田の文撰した右文字が植字の段階で取除かれ、原告の受注にかかる印刷物が同年同月一八日中に注文主に納入されたこと、原告が被告らを原告主張の就業規則第三四条第四号および第六号に該当するものとして懲戒解雇するため同月一九日に労使経営協議会を開催したうえ(就業規則に規定するところに従つて被告らの懲戒解雇につき右協議会の議を経たものといえないことは、後述するとおりである。)、同日被告らに対し懲戒解雇の意思表示をしたことおよび同四記載の事実中被告らが原告よりうけた懲戒解雇の意思表示の効力を争つていることは認めるけれども、その余の事実は否認する。
原告が東京都教育庁から注文をうけた印刷物の納期は、昭和三三年八月一八日中と指定されていたところ、被告佐藤は大久保職長からその文撰を命ぜられた当時、文撰工の高野幸位の手が空いていたこともあつて、勤務評定に関係のある仕事はやりたくないので、他の人に分担させてもらえないかと尋ねたまでであつて、大久保職長の命令を拒否したわけではない。しかもそのとき被告村田より、同人と堀口博との二人で文撰にあたれば十分納期に間に合う旨の申出があり、大久保職長もそれを了承したのであるから、一旦大久保職長から被告佐藤に対して発せられた作業命令は、ここにおいて少くとも黙示的に撤回されるにいたつたものとみるべきである。そもそも文撰は、文撰工一人々々の孤立した仕事ではなく、文撰職場全体によつて統合して行なわれるものであるから、原告が東京都教育庁より受注した前記印刷についての文撰の仕事を被告村田と堀口博の両名が滞りなく完了し、原告において所定の納期までに注文主に対し印刷物の納入をすませることができたものである以上、被告佐藤が右印刷に関する文撰の仕事を分担しなかつたからといつて、そのために原告の業務の正常な運営が妨げられたというにはあたらない。
更に被告村田の前記行為によつて原告の業務に支障を生じたことのないことは明らかであるのみならず、被告村田には、もともとそのような意図はなかつたのである。すなわち、一般に文撰工が原稿にない余計な活字を拾つた場合においても、植字または校正の段階で必ずその誤りは訂正されるものであるのみならず、原告が東京都教育庁より注文をうけた「勤務評定質疑応答集」の印刷は、かつて原告が印刷したものの再版であつたところ、このように活字印刷の原稿をもとにして再版を組む場合には、文撰における誤りは植字の段階で極めて容易に発見されて修正されるし、もし万一それが看過されたとしても、官公庁から注文された印刷については、受注者においてその信用保持のため特に慎重を期して内校(印刷者自らの行なう校正を意味する。)にあたるのが当然である。現に被告村田の挿入した不要活字は、原告も自認するとおり、すでに植字の際に見付けられて削除されたのである。被告村田も、その文撰した活字が植字または内校の段階で取除かれないで、そのまま印刷に付されるようなことはありえないことを十分に承知のうえ、後述するごとき動機から上述のような不要活字を文撰したのである。
二 原告の被告らに対する懲戒解雇の意思表示は、次の理由によつて無効である。
1 被告らには、原告が懲戒解雇の理由としたような、就業規則第三四条第四号および第六号所定の事由に該当する事実はなかつたのであるから、原告の被告らに対する懲戒解雇の意思表示は、虚無の事実を理由とするものであつて、無効である。
2 原告の就業規則第三六条の規定によると、原告がその従業員に対して懲戒処分を行なう場合には、従業員側と協議しなければならないことになつているのであるが、右規定にいわゆる協議とは、特定の従業員に就業規則第三四条に定めるいずれかの懲戒事由に該当する事実があるかどうか、もしその事実があるとするならば同規則第三五条所定の懲戒処分中いずれを選択するのが妥当であるかという二点についてなされるべきものである。しかるに被告らに対する懲戒解雇に関しては、昭和三三年八月一九日労使経営協議会が招集されはしたものの、この協議会においては、前示いずれの点についてもなんらの協議がなされなかつたのであるから、かような違法の手続にもとづく被告らに対する懲戒解雇の意思表示は、もし真に相当な理由があつたとしても無効である。
3 仮に1および2の主張が認められないとしても、原告が被告らに対する懲戒の方法として解雇を選んだのは苛酷に失するものであり、その意思表示は権利の濫用に亘るものとして無効である。すなわち、原告の就業規則第三五条においては、従業員に対する懲戒として、譴責、減給および解雇の三種類が規定されており、そのうち最後のものが懲戒処分として最も重いものであることは疑いの余地のないところである。ところで被告らの懲戒解雇の理由とされた行為が原告の経営になんらの実害をもたらしたものでないことは既述のとおりであるのみならず、従来原告に雇用される文撰工が命令に反して作業を拒否したり、原稿にない余計な活字を文撰したりした事例は稀ではなく、このようなことは広く文撰工の間で普通一般に行なわれているところであり、原告においても、その文撰工に右のような行為があつた場合に原告の業務に格別の支障を来さなかつた以上、これに対してかつて懲戒の措置をとつたことは一度もなかつたのである。しかるに原告がひとり被告らに対する場合に限つて、前叙のような情状ないしは事情を一切斟酌することなく、就業規則所定の懲戒のうち最も重い解雇処分をもつて臨んだことは、懲戒権の濫用にほかならないのであつて、その意思表示は無効である。
4 たとえ叙上のように解されないとしても、原告の被告らに対する懲戒雇の意思表示は、労働組合法第七条第一号に掲げる不当労働行為にあたるものとして無効である。その根拠は左のとおりである。
(一) 被告村田は、その加入する全印総連東京地方連合会中央地区協議会小薬印刷労働組合(以下組合という。)において昭和二七年一〇月委員に、ついで昭和二八年四月書記長に選出されたのであるが、それから以後も常に書記長もしくは委員長の職を歴任し、原告から懲戒解雇の意思表示をうけた当時には委員長の地位にあつた。この間被告村田は、終始組合員の生活向上と組合の強化を目指して活動したほか、組合の上部団体との連絡を緊密にし、その方針を忠実に守つて組合の指導にあたり、労使間の経営協議会においては常に積極的に組合の立場を主張し続けて来たので、かねてから原告より注目されていた。右のような被告村田の努力によつて組合は次第に強化され、昭和三二年一二月原告に対して行なつた越年手当の要求に際しては、結成以来初めてスト権を確立したのみならず、従来における労使間の交渉方式である経営協議会によらないで組合の上部団体の役員をも交えた団体交渉によりその要求を原告に容れさせるほどの実力を備えるまでになつたのである。
被告佐藤は、その加入する組合において昭和三〇年四月以来引き続き青年婦人部の幹事、副部長または部長の職にあり、若い世代の組合員の育成指導にあたつていたものであつて、原告から懲戒解雇の意思表示をうけた頃には、副部長とはいうものの後輩の部長を助けて実質的には青年婦人部のリーダーであつたばかりでなく、同じ地域の若い層の労働者の連携を深めることについて組合の中心人物として活躍していた。
(二) 組合が昭和三二年暮の越年手当要求当時に上述のような勢力を確立するにいたつて以来、原告の組合対策はにわかに硬化した。例えば、組合の上部団体からの離間を策したこと、昭和三三年一月には組合員中の有力者であつた斉藤春雄、大久保神左衛門、渡辺晃宏および黒田忠に働きかけて同人らを組合から脱追させ、ほかにも組合員に酒食を供してその懐柔を図つたこと、同年七月に組合が夏季手当の要求についてスト権確立の投票しようとした直前に、前述のとおり先に組合から脱退した斉藤春雄をしてストライキ反対の気運を醸成するための運動を行なわせたこと、その他同年二月には組合員の結成していた登山の会を解散させたりして組合の文化活動に干渉したことなどは、その表われにほかならないのである。
(三) 叙上のような諸般の情況にかんがみるときは、原告が被告らに対して懲戒解雇の意思表示をしたのは、原告が組合役員として活発な活動を続けていた被告らを嫌悪し、これを企業外に排除して組合の組織を崩壊させようとしたものとみるほかないのである。
第四本件懲戒解雇の意思表示の無効原因に関する被告らの主張に対する原告の反論
一 原告が被告らに対してした懲戒解雇の意思表示が原告の就業規則所定の理由を備え、かつ、同規則の定める手続を経てなされたところの適法で有効なものであることは、すでに本訴請求の原因として詳述したところであり、これに反する被告らの独自の見解を基礎として、右懲戒解雇の意思表示が虚無の事実を根拠とするものであるとか、あるいは従業員側との協議手続を経由しないものであるとかという理由によつて無効であるという被告らの主張は、そもそもその前提自体から誤まりである。
二 被告らの懲戒解雇の理由となつた行為の重大性にかんがみ、かつ、事後における被告らの無反省の態度を合わせ考えるときは、原告が被告らに対する懲戒のため解雇を選んだことは、もとより相当な処置であり、これを権利の濫用であるとする被告らの主張はいわれのないものである。
三 原告の不当労働行為を云々する被告らの主張も失当である。この点に関する被告らの主張事実中、被告村田が組合においてその主張のような役職を歴任したことのあること、昭和三二年一二月組合の原告に対する越年手当の要求に関する団体交渉が妥結したことおよび昭和三三年一月斉藤春雄その他被告ら主張の四名の者が組合を脱追したことは認めるけれども、被告佐藤が組合のいかなる役職に就いたことがあるかおよび被告らが果してどのような組合活動を行なつたことがあるかについては知らないし、その余の事実は否認する。なお、原告は、かねて経営協議会または団体交渉による組合との話合いを通じて組合の協力を得つつ業務の発展を図つて来たのであるから、被告らをその組合活動の故に嫌悪したり差別待遇しようというような意思を抱いたりしたことは元来ありうべからざるところであり、斉藤春雄ら四名の者は、いずれも職長であつて、その部下の工員に対して監督的立場にあり、もともと組合に加入しているに適しないものであつたところ、昭和三三年一月に原告が職別制度を確立し、組合の了解を得て職長を非組合員とすることにしたのに伴つて、右四名の者は組合から脱退するにいたつたものである。
第五反訴請求の原因
本訴における被告らの主張によつて明らかにしたとおり、原告の被告らに対する解雇の意思表示は無効であるから、原告と被告らとの間には依然として雇用関係が存続しているにもかかわらず、原告は、これを否認し、前示解雇の意思表示をした以後被告らから労務の提供をうけることを拒絶している。しかしながら被告らが右解雇の意思表示の翌日である昭和三三年八月二〇日以降においても原告との雇用契約にもとづいて原告に対し賃金の支払をうける権利を失うものでないことは当然であるところ、被告らが原告から解雇の意思表示をうけた時より前三ケ月分すなわち昭和三三年五月分から七月分までの賃金として原告から支払われたものの一ケ月分平均額は、被告村田について金二万二九五一円、同佐藤について金二万五七九五円であり、原告の従業員に対する賃金は毎月末日限り前月二六日から当月二五日までの分を一ケ月分として支払われる定である。よつて反訴請求の趣旨記載のとおりの賃金およびこれに対する民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるものである。
第六反訴請求の原因に対する答弁
反訴請求の理由のないことは、本訴に関する原告の主張からして明らかである。なお被告らの主張するその三ケ月分の賃金の一ケ月分平均額および原告の従業員に対する賃金の支払が被告主張のとおりになされる定であることは認める。
第七証拠<省略>
理由
一 原告が印刷業を営むものであり、被告村田信二を昭和二七年五月五日以来、同佐藤精二を昭和二九年一月二六日以来それぞれ文撰工として雇用していたところ、昭和三三年八月一九日被告らを原告の就業規則第三四条第四号および第六号所定の懲戒事由すなわち「素行不良で会社の秩序を紊した者」および「其の他不都合の行為のあつたとき」に該当するものとして懲戒解雇する旨の意思表示を被告らに対してしたことは、当事者間に争いがない。
二 そこで以下において右懲戒解雇の意思表示の効力の有無について検討する。
(一) まず被告らに原告の主張するごとき懲戒解雇の事由に価するような行為が存したかどうかについて調べてみる。
原告が昭和三三年八月一三日東京都教育庁から「勤務評定に関する質疑応答集」と題する冊子の印刷の注文をうけ、同日直ちにその印刷に着手すべく、まず文撰職長の大久保神左衛門より文撰工たる被告ら両名と堀口博に対し、緊急の仕事であるから他に優先して各自で三分の一ずつ分担のうえ文撰をするように命じたにもかかわらず、被告佐藤がその仕事をせず、被告村田がその分担にかかる原稿中本文の第一頁における「勤務評定はなぜ実施するか。」との設問に対する回答として「答およそ人事は公務員にあつても云々」とある部分の文章の冒頭に「日米独占資本のためである。」という一句の活字を勝手に挿入して文撰をしたことは、当事者間に争いのないところである。
(イ) 証人大久保神左衛門の証言によれば、被告佐藤は、前述のとおり大久保職長から文撰の作業を命ぜられたにもかかわらず、そのような仕事はやりたくないといつて文撰場の拾いずみ棚の上に原稿を放り乗せたまま、同職長から引き続き三回にわたり急いで作業に着手するようにと促されたけれども、遂にこれに応じなかつたことが認められ、被告佐藤精二本人尋問の結果によると、同被告が右に認定したとおり大久保職長から命ぜられた文撰の仕事をやらなかつたのは、教職員に対する勤務評定の実施に反対の意見を抱いていたところから、その実施を是認するような趣旨の前記冊子の印刷の仕事には関係したくないという気持が強く動いたからにほかならなかつたものであることが認められるし、当時被告佐藤が組合に加入していたことは当事者間に争いがない(被告佐藤がその頃組合の青年婦人部の幹部の一人であつたことは後段で認定するとおりである。)ところ、証人木村信雄の証言によると、組合は、その上部団体の全印総連が昭和三三年七月の大会で決定し、加盟労働組合に指令したところに従つて勤務評定制度に賛成する趣旨の出版物の印刷業務に従事することを拒否する方針を立てていたことが認められる。
してみると被告佐藤は、大久保職長から命ぜられたその本来の職務に属する仕事に従事することを意識的に拒絶したものであつて、そのことにより企業経営の秩序を紊したものというべきは当然である。被告佐藤が教職員に関する勤務評定制度に不賛成の立場から右のような作業拒否の挙に出たことは、原告に雇用されるものとしての同被告の当該行為を正当づけるには足りないのである。
被告佐藤は、大久保職長よりの作業命令を拒否したことを争い、当該作業を他の文撰工に担当させてもらえないかと申入れたところ、同職長もこれを了承したので、右作業命令は結局少くとも黙示的に撤回された旨主張し、被告佐藤精二、同村田信二各本人尋問の結果(後者はその第二回)および証人高野幸位の証言中に右主張に副うような趣旨の供述があるけれども措信するに足りず、証人大久保神左衛門および同斉藤春雄の各証言によると、大久保職長と被告村田との話合いの結果被告佐藤の拒否した仕事は、被告村田と堀口博の両名で手別けして仕上げるということになつたので、大久保職長としては被告佐藤に対しそれ以上督促をしたり注意を与えたりするようなことはしなかつたけれども、被告佐藤の作業拒否を不問に付するとが黙認するとかいうような挙措に出たことは絶対になく、かえつて問題を重大視して直ちに上司にその旨の報告をしたことが認められるので、被告佐藤の前記主張は失当である。さらに被告佐藤は、文撰の仕事に関する文撰工の職場の一体性ということを揚言して、被告佐藤が分担を命ぜられた仕事が被告村田と堀口博の両名によつて滞りなく遂行され、原告が東京都教育庁より受注した印刷物の期間内納入に支障を生じなかつた以上、被告佐藤において就業規則違反を理由に原告から懲戒解雇されるべき筋合いはないと主張する。しかしながら原告が被告佐藤を懲戒解雇すべきものとした理由は、まさしく同被告が大久保職長の作業命令を拒否したこと自体に求められたものであることは、原告の主張からして疑いのないところであり(被告佐藤の右行為によつて原告の東京都教育庁に対する受注印刷物の納入が期日に間に合わなかつたということを、原告が主張しているのは、単に情状として述べているに止まるものであることが明かである。)、もし当該行為が原告の就業規則所定の懲戒解雇の事由に該当するものである以上は、単に被告佐藤の主張するような文撰職場の一体性というような根拠だけから、原告の被告佐藤に対する懲戒に関する責任の追及を阻止するには足りないものといわなければならない。被告佐藤の右主張は、精々原告の被告佐藤に対する懲戒解雇が苛酷に失し、その意思表示が権利の濫用として無効であると解すべきかどうかという後段で論及する争点の関係において斟酌されれば足りるものというべきである。
以上判示したところからすれば被告佐藤が文撰職長大久保神左衛門の作業命令を拒否し、命令にかかる文撰の仕事をしなかつたのは、少くとも、原告の就業規則第三四条第六号所定の懲戒事由すなわち「(其の他)不都合な行為のあつたとき」に該当するものと解せられる(叙上のような行動のあつたことから直ちに被告佐藤を右就業規則第三四条第四号にいわゆる「素行不良で会社の秩序を紊した者」にあたるものとは認めがたい。)。
(ロ) 被告村田が上述のとおり大久保職長より命ぜられた文撰の作業において原稿にない活字を勝手に拾込んだことについて、同被告は、そのような文撰の誤りは植字もしくは校正の段階で容易に発見されるのが一般であり、現に被告村田の挿入した不要活字は植字の段階で取除かれたのであるから、被告村田の右行為によつて原告の業務に支障を生じたようなこともなかつたし、そもそも被告村田にはそのような意図もなかつたとして、前記行為によつて被告村田が原告より懲戒の責任を問われる理由はないと主張する。被告村田が文撰に際して挿入した不要の活字が植字の段階において発見されて取除かれたことは、当事者間に争いのないところであるから、その意味だけからいえば、被告村田の当該行為は原告の営業に実害を及ぼしたものとみられないかも知れないけれども、原告が被告村田に対する懲戒の対象としたのは、原告の主張するような被告村田の文撰工としての専擅行為であつたのであるから、当該行為にもとづく原告に対する実害の発生の有無を、被告村田に関する懲戒事由の成否について云々することは、そもそも的を失したものと評さざるをないのである。ただ当該行為によつて前示のような意味において現実の損害を原告に蒙らしめることのなかつた被告村田に対して、どの程度の懲戒を科するのが相当であるかという情状論は、自ら別問題であり、この点については後に論及する。
ところで被告村田が前記行為当時組合の委員長であつたことは、当事者間に争いがなく、この事実と被告村田信二本人尋問(第一回)の結果および先に認定したとおり、当時全印総連が大会の決議にもとづく勤務評定反対闘争を傘下の労働組合に指令していた事情を総合するときは、被告村田の前示行為は右のような闘争を支持し展開する意図のもとになされたものであることが認められる。そうすると被告村田の右所為は単なる不注意による作業上の過ちなどとみられるべき性質のものではもちろんなく、被告村田は故意にそのような行為に及ぶことによつて文撰工としての職務に違背し、経営の秩序を紊したものといわなければならないのであり、そのために原告の就業規則中懲戒事由に関する規定の適用について被告佐藤の場合と同一の評価をうけてもやむをえないものと解すべきである。
してみれば被告らにはいずれも原告の就業規則に定められている懲戒の事由に相当する事実が存在したもののと認められるのである。
(二)(イ) さすれば原告の被告らに対する懲戒解雇の意思表示が虚無の事実に依拠したものであるから無効であるとする被告らの主張は理由がない。
(ロ) 被告らは、さらに、原告が被告らに対して懲戒解雇の意思表示をすることを決するにあたつて、就業規則第三六条に定められた従業員側との協議の手続をしていないから、右意思表示は無効であると主張する。
原告がその従業員を懲戒しようとする場合には従業員側と協議しなければならないことに、原告の就業規則第三六条において定められていることは、当事者間に争いがないところ、証人小薬忠昭(第一回)、同大久保神左衛門、同斉藤春雄および同渡辺晃宏の各証言ならびに被告村田信二および同佐藤精二各本人尋問の結果(前者はその第一回。なお、右各本人尋問の結果中後掲措信しない部分を除く。)によれば、原告は、昭和三三年八月十八日に社長小薬政吉、専務取締役小薬忠昭および各職長の出席のもとに開かれた幹部会における討議の結果、上述のような行為のあつた被告らに対しては懲戒を加えるべきものであるとして、そのことに関して被告らの所属する組合と協議するため、同月一九日労使経営協議会が開催され、原告側からは社長、専務取締役および各職長が、組合側からは委員長たる被告村田および副委員長の鈴木曄が出席し、ほかに被告佐藤もその席に呼ばれて事実関係について質問されたのであるが、経営者側では被告ら両名に対し懲戒の措置を講ずべきであると主張したのに対して、組合側からは被告らの所為は懲戒に値しないとしてその弁明や反駁がなされたのみならず、被告佐藤は今後においてもいわゆる勤評関係の仕事をする意思はないと言明し、被告村田も、組合として原告に対しこの種の仕事を受注しないよう要求するつもりであると主張する有様で、労使の意見が真向から対立したまま右協議会は一旦閉会となつたが、原告は、その直後幹部会を開いて、被告ら両名には全くその所為について反省のあともないので、これを懲戒解雇すべきものであるとの態度を決定し、引き続いて再開した労使経営協議会においてその旨を伝え、その場で被告ら両名に対し懲戒解雇の意思表示をしたことが認められる。前掲被告ら各本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信するに足りない。さて原告の就業規則第三六条所定の協議がどんな組織によりどのような手続のもとに行なわれるべきものとされているかについては何ら主張立証されるところがないのであるが、右規定の趣旨とするところは、要するに、懲戒に関しては従業員側の意見を十分に聞き懲戒権の行使が専擅にわたることを避けようとするにあるものと解すべきであり、このような見地に立つて考えるに、原告が被告らに対して懲戒解雇の意思表示をするにあつて、前述のように労使経営協議会なるものを開催のうえ叙上のような審査討論を経たものである以上、前示就業規則所定の協議の手続を尽くしたものと認めるべきであり、もとよりその際に、被告らの主張するように被告らの行為が原告の就業規則に定められているいずれの懲戒事由に該当し、かつ、いずれの懲戒処分を選ぶのが相当であるかということについて、原告において従業員側と逐一協議しなければならないものと解すべき根拠は見出されない。
従つて原告の被告らに対する懲戒解雇の意思表示が就業規則中のいわゆる協議約款に違反するものとして無効であるという被告らの主張は採用しえない。
(ハ) 被告らはまた、原告が被告らに対する懲戒のために最も苛酷な解雇を選んだのは、権利を濫用するものであつて、その意思表示は無効であると主張する。
成立に争いのない甲第四号証によると、原告の就業規則第三五条において、原告がその従業員に対して科ししうる懲戒の方法を譴責、減給および解雇の三種類とする旨が規定されていることが認められるところ、右のうちで解雇が懲戒の方法として最も重いものであることは多言の要をみないのであるが、元来使用者がその雇用する労働者に対して懲戒権を発動する場合において、当該労働者に対して所定の懲戒の方法のうちいずれをもつて臨むかは使用者の自由な裁量に委ねられているところであつて、当該使用者のこの点に関する判断が裁量の限界を著しく逸脱して客観的に妥当性を欠くものと認められる場合でない限り、従業員に対する懲戒についての権利が濫用されたものとは解されないのである。そこで以下において、右のような立場から、原告が被告らに対して懲戒解雇の意思表示をしたについて果して権利の濫用があつたかどうかについて考える。
まず被告らの主張するような被告らのために酌量されるべき情状ないしは事情が存したかどうかを調べてみみる。
(1) 被告らに対する懲戒解雇の理由となつた行為によつて原告の営業にはなんらの損害も生じなかつたものであろうか。証人小薬忠昭(第一回)、同大久保神左衛門および同斉藤春雄の各証言によれば、原告が東京都教育庁より印刷の注文をうけた冊子は昭和三三年八月一八日の午後に会議の資料として利用するはずのものであるため、遅くとも同日の午前中までに納入すべきものと定められていたところ、その期限には間に合わないで右同日の午後になつてから納入をすませることができたこと、このように納入が遅れたについては一つには、被告佐藤が大久保文撰職長から分担を命ぜられた作業を拒否し、その仕事を被告村田と堀口博の両名が各自担当の文撰を終えてから仕上げたという事情が与つていたことが認められる。しかしながら原告が東京都教育庁に対して当初の約定どおりの期限までに、注文にかかる印刷物の納入ができなかつたことによつて、当該印刷物がその使途に用いられなくなり注文主からその点を咎められたとかその他なんらかの損害または不利益を原告が蒙つたということについては、これを認めうるなんらの証拠も見出されない。さらにまた証人斉藤春雄および同鈴木曄の各証言によると、原告が東京都教育庁から受注したのは「勤務評定に関する質疑応答集」と題する冊子の再版の印刷であつたところ、一般に再版の場合には、活字印刷になる初版の出版物が原稿に使用されるため、これとの照合によつて文撰の誤りを発見することは相当容易であり、おおむね植字の段階でその誤りは訂正されてしまうのが通例であり、殊に被告村田がしたように、文撰にあつて、原稿にない一二字にも及ぶ文章が挿入されたようなときに、それが見過されたまま印刷に付されてしまうというがごときことはまずまず考えられないことが認められる(前示冊子の本文第一頁の冒頭における問答中答の部分に被告村田が文撰の際に挿入した余分の文章が存在するか否かによつて活字の配列状況にどのような異同が生ずるか明らかにするためのものであるとして提出された乙第四号証の二と三とを比照すれば、上記認定が一そう裏付けられる。なお、証人小薬忠昭(第一回)および同渡辺晃宏の各証言中には右認定に牴触するような趣旨のものがみられるけれども採用するに足りない。)。現に前掲各証言のほか証人加藤林之助の証言によると、被告村田の挿入した余計な活字は植字課の野上悟郎によつて直ちに気付かれて取除かれたことが認められる(右活字が植字の段階において発見され除去されたこと自体は、当事者間に争いがない。)ところ、被告村田信二本人尋問の結果(第一回)に徴すると、被告村田は、原告の従業員中いわゆる勤評制度に対し労働者としての意識の低調なもの、特に被告村田の行なつた文撰についての植字を担当するはずであつた野上悟郎(同人はかつては組合の指導者であつた。)を啓蒙しようという意図から前記のような行為に及んだものであることが窺い知られるのである。
上来判示したところからするときは、原告が東京都教育庁から注文をうけた印刷の仕事は、その作業の過程中に既述のような被告らの行為があつたにもかかわらず、ともかくも完成されたうえ、いくらか納期を過ぎたとはいえ格別の支障もなく納入ずみとなつたのであつて、その意味だけからすれば、被告らの行為によつて原告の営業には実害が生じなかつたといえなくはないけれども、被告らの右行為が原告の業務の正常な運営に全然なんらの影響をも及ぼさなかつたとはとうてい解されないのである。しかも被告らが本件で問題とされているような行為に出たのは決して偶発的なことではなく、むしろ教職員に関する勤務評定制度に対して反対斗争を展開しようとする労働組合員としての信念にもとづくものであり、かつ、またその旨が被告らに対する懲戒問題の審議のために開催された労使経営協議会において被告ら自身からも強調されたことは、前述したとおりであり、証人小薬忠昭の証言(第一回)によると、かくては原告としては被告らを引き続き従業員として雇用し、企業組織の中に留めて置くことに多大の不安と危険を感ぜざるをえないとして、被告らに対し懲戒解雇の処置をとるべきことを決意するに至つたものであることが認められるのであつて、前叙のような諸般の情況から考えるときは、原告が被告らに対する懲戒につき右のように判断したとしてもも、まことにやむをえなかつたものと解すべきである。
従つて被告らの行為が原告に実害を蒙らせなかつたとして、原告の被告らに対する懲戒解雇が苛酷に失するという論は当らないものと評さざるをえないのである。
(2) 被告らの行なつたようなことは、一般に文撰工にはありがちのことであり、被告ら以外の原告の従業員に従来被告らと同程度の所為のあつた場合においても、かつて懲戒の対象とされたことはなかつたのであろうか。
証人近藤英男は、原告の従業員にかかわる非違行為に関する事件であると称して、種々の実例を挙げたうえ、その当該各本人に対しては原告から懲戒はもとよりその他いかなる責任追及の措置もとられるところがなかつた旨証言しているのであるが、この証言にはそのまま直ちに信用を措きがたい。
すなわち、これを証人小薬忠昭の証言(第二回)と対比すると、証人近藤英男の挙示する事例は、あるいは果して実際にあつた事柄であるかどうかがきわめて疑わしいもの、あるいは実在した事件に関するものであつてもその真相を全く異にし、被告らの場合とはとうてい同日に談ずることをえないものばかりであることが知られるからであり、証人小薬忠昭の上掲証言によると、前示事例中原告から懲戒その他の処分が行なわれなかつたものについては、それ相当の理由の存したことが認められるのである。そのほか証人鈴木曄と同加藤林之助の証言中にも、原告の経営する印刷工場において、かねがね文撰工が植字工に対する連絡のための文言を余分に文撰したり、または俳句好きの文撰工が自作の句を同好の植字工に見せるべく、これを文撰の中に挿入したりすることが行なわれ来ているが、職長もこれに気付きながら放任し、かつて問題となつたことはないとの趣旨のものがあるけれども、証人小薬忠昭の証言(第二回)によれば、上述のような文撰工の行為が原告によつて明示的にはもとより黙示的にもせよ承認されていたような事跡は皆無であることが認められるのであるから、上記両証言はいずれも措信するに足りないのみならず、そもそも被告らの所為は、右証言にかかるような行為とは根本的にその性格を異にするものであつて、決して同一には評価されえないものと断ぜるをえないのである。
そうだとすると原告が被告らに対して懲戒解雇の意思表示をしたのは前例にもない過重な処分であるという被告らの主張も排斥を免れがたいのである。
叙上これを要するに、原告が被告らに対して科すべき懲戒の種類を決定するにあたつて、被告らのためになされるべき情状の酌量その他諸般の事情の斟酌を怠つたものとは認めがたいのである。
そして既述のような被告らの行為の性質ならびにその動機および事後における被告らの態度を合わせ考えると、原告が被告らに対する懲戒の方法として就業規則所定のもののうち最も重い解雇を選んだことは、決して苛酷に失するものとはいえないのであつて、右懲戒解雇の意思表示が権利の濫用として無効であるという被告らの主張には賛同できない。
(ニ) 最後に原告の被告らに対する懲戒解雇の意思表示が労働組合法第七条第一号に掲げる不当労働行為にあたるものとして無効であるとの被告らの主張について検討する。
被告村田がその所属の組合において、昭和二七年一〇月委員に、ついで昭和二八年四月書記長に選出され、爾来常に書記長もしくは委員長の職を歴任し、原告から懲戒解雇の意思表示をうけた頃には委員長の地位にあつたことは、当事者間に争いのないところであり、証人鈴木曄および同木村信雄の各証言ならびに被告村田信二本人尋問(第一、二回)の結果によれば、被告村田が上述のとおり昭和二八年四月に組合の書記長に就任してからは、それまでとかく消極的、退嬰的であつた組合の活動は、被告村田の指導のもとにとみに強化され活発となつたこと、例えば従来組合の原告に対する諸要求は労使双方の代表からなる経営協議会において話合われ、組合の要求というよりむしろ懇請というに近いものであつたところ、組合は昭和三二年末に原告に対し越年手当の要求を行なうについて、右のような従来の交渉方式を排し、スト権を確立したうえ上部団体の役員をも加えて始めて労使対等の立場に立つた団体交渉を行なえるようになり(この団体交渉が妥結したことは当事者間に争いがない。)また昭和二八年から同三二年までの間に三度にわたり原告から労働協約改訂の申入れがなされたのに対して、組合は既得権を侵害し、組合の力を弱めるものであるとして反対してこれを阻止したことなどは、その顕著な事例であり、いずれの場合にも被告村田の活躍に負うところが多大であつたこと、叙上のほかに、被告村田は、組合の機関紙の発刊についても奔走し、全印総連東京出版印刷製本産業労働組合(東京印労)所属の労働者の提携の強化にも力を尽していたことが認められ、また証人吉田末吉および同渡辺清次郎の各証言ならびに被告佐藤精二本人尋問の結果によれば、被告佐藤は、組合の青年婦人部の幹事、副部長または部長等として青年層の組合員の労働条件の向上、文化活動の振興、機関紙の編集等に活躍してきたほか、中央地区印刷出版青年婦人部の結成およびその活動に努力を続けていたことが認められる。
しかしながら原告が被告らをその組合活動の故に嫌悪し、そのために前叙のとおり被告らに対して懲戒解雇の意思表示をしたこと証明するに足りる直接の証拠は存在しない。
被告らは、右懲戒解雇に関して原告の不当労働行為意思を推測すべきことについての理由づけとして、原告のかねての行動、すなわち(1)組合の上部団体からの離間を策したこと、(2)組合員中の有力者の組合からの脱退または組合員の懐柔をはかつたこと、(3)昭和三三年七月に組合が夏季手当の要求をするについてスト権を確立しようとするのを阻止せんとしたことおよび(4)組合内の登山の会を解散させる等組合の文化活動に干渉したこと等をあげている。けれども(1)については、その事実を認めるに足りる証拠がない。(2)について、昭和三三年一月に組合員の斉藤春雄、渡辺晃宏、大久保神左衛門および黒田忠が組合を脱退したことは当事者間に争いがないが、成立に争いのない乙第二号証中に引用されている右四名の作成名義にかかる組合脱退届書の文面ならびに証人小薬忠昭(第一回)、斉藤春雄および渡辺晃宏の各証言によれば、右四名はいずれも職長の地位にあつて、その職掌上部下工員に関する人事その他労務管理に関与するため、組合に加入していることについてかねて疑問を感じて職長の非組合員化を望んでいたので、原告もこの希望に副うべく昭和三三年一月労使経営協議会にこれを提案し、組合の承認を得たので、その結果として右四名の職長の組合からの脱退が実現したものであることが認められる(右認定に反する証人鈴木曄の証言および被告村田信二本人尋問(第一回)の結果は措信できない。)し、昭和三二年の暮に組合の越年闘争が行なわれている最中に、原告の専務取締役小薬忠昭が組合員の吉田末吉と佐藤文夫の両名に酒食を供してこれを懐柔しようとしたことがある旨の証人吉田末吉の証言は措信することができない。(3)について、証人鈴木曄の証言中、昭和三三年の夏季手当要求闘争において組合がスト権確立のために投票を行なおうとした当日に、職長の斉藤春雄が野上悟郎はストライキに反対している旨工員に触れ廻つたとの趣旨のものがあるところ、その真否はともかくとして、右証人の証言中、斉藤職長の右行為が組合の闘争を切崩そうとする原告の意図にもとづいたものであるという部分は措信しがたく、他に原告が組合のスト権確立を阻止しようとしたという事実を認めうる証拠はない。(4)について、証人小薬忠昭(第一回)、同吉田末吉および同鈴木曄の各証言ならびに被告佐藤精二本人尋問の結果によれば、昭和三二年秋頃原告の専務取締役小薬忠昭からなされた組合の青年婦人部のサークル活動に属する登山の会への参加申出を認めるかどうかについて会員の意見が二分したことが切つかけとなつて、昭和三三年初め頃同会は自然消滅してしまつたことが認められるが、小薬専務取締役の右参加申出が特に組合の文化活動を弱めようとする目的のもとになされたものであることを認めさせる証拠はない。
してみると原告が被告らに対して上述のとおり懲戒解雇の意思表示をしたことが、被告らの抗争するように不当労働行為にあたるものと解すべき根拠は少しもないものといわなければならない。
叙上これを要するに原告の被告らに対する懲戒解雇の意思表示は、原告の就業規則の規定に照らして適法正当になされたものであつて、もとよりその効力を認めるべきである。従つて原告と被告らとの間の雇用関係は、原告が被告らに対し昭和三三年八月一九日にした懲戒解雇の意思表示によつて直ちに終了したものというべきである。
三 してみると原告と被告らとの間に現に雇用関係の存在しないことについての確認を求める原告の本訴請求は正当として認容すべきであるが、前記懲戒解雇の意思表示の無効であることを前提として原告に対し各自賃金の支払を求める被告らの反訴請求はその余の判断を待つまでもなく理由のないものとして棄却を免れない。
よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条および第九三条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 桑原正憲 西山俊彦 北川弘治)