東京地方裁判所 昭和33年(ワ)8985号 判決 1963年3月27日
原告 ウイリアム・カウズンズ 外一名
被告 国 外一名
訴訟代理人 宇佐美初男 外三名
主文
原告等の請求はいずれもこれを棄却する。
訴訟費用は原告等の負担とする。
事 実 <省略>
理由
昭和三三年七月一九日午後八時三〇分頃、原告アキコが羽田国際空港ビル内の、二階待合室から一階の東京税関旅具検査場に通ずる階段上の踊り場の手摺りの間から約四米直下の右旅具検査場の床に転落して負傷したこと右事故のあつた場所を被告国が管理していたことは当事者間に争がない。
そこで、先づ右転落事故が踊り場の手摺りにかしがあつたことによるものといえるかどうかについて考えてみる。
右事故現場附近の客観的状況、右手摺りの形状・構造が別紙見取図に示すとおりであることは当事者間に争がなく、右手摺りが設置された主たる目的が、踊り場と階下との間を区劃し転落等の危険を防止するにあることは自明のことであるから、右手摺りにかしがあるかどうかは、右のような目的を果すために社会通念上必要とされる程度の性能・効用を具備しているかによつて定まるわけである。そこで当裁判所は右争のない事件と検証の結果並びに証人松井勝吾、坂本俊男の各証言により、次のように判断する。
本件手摺りは原告の指摘するように子供の身体がくぐり抜けられる程度の比較的広い空間があるとはいえ、踊り場の端を区劃する機能は充分に果しているもので、(手摺の台石は高さ一三糎幅三三糎で空間は台石の上、高さ六七糎)たとえ幼児であつても四囲の状況に対する注意判断の能力を多少なりとも具えかつわき見などせずに正常に歩行する限り、右手摺りが存在するに拘らずその向う側を通路や階段と見誤るおそれはないと認められる。そして右手摺りの設置された場所は、税関その他関係官庁の係員や航空会社、空港ビルの従業員で特に許可を受けた者のほかには国際航空路線を利用する海外旅行者が通行するだけで、見送人その他の一般人は立入ることを許されないというのであるから、自ら危険を弁識できないようなごく年少の幼児が独り歩きしたりするようなことは考えられず、そのような幼児が通行する場合には常に保護者が同行しているであろうし、まして子供が遊び戯れて危険を忘れるようなことの予想される場所でないことは明らかである。現に本件では、原告アキコは待合室と踊り場の境の柵のところで見送つていた祖父の小川儀八の方を向いて「バイバイ」と言つて手を振りながら手摺りの方へ後退し、母ヒロコがアキコより先に歩いていてこれに気づかず制止しなかつたため、遂に手摺りの台石につまずいて倒れ、そのまゝ階下に落下したものであることは証人小川儀八の証言(第一回)によつて明らかなところであつて、全く予測を絶するとまでは言えないが、かなり異例の事態である。この種の異例をも予想し、手摺りの空間部を狭くしておくことは万全を期するという意味で望ましいことには違いないが、本件現場の前記のような場所的条件からすれば、そのような配慮が社会通念上当然に要請されているとは必ずしも言い難いと考えられる。つまり、本件手摺にかしがあつたとは言えない。
そうすると、被告国に対する原告等の請求は、既にこの点において理由がない。
次に被告日航に対する請求について考えるに、原告アキコと被告日航との間に東京・シカゴ間の航空旅客運送契約が締結され、原告アキコは右契約に基いて被告日航の運航する航空機に乗るために羽田空港に来て、塔乗前に必要な出国手続をするため空港ビルの二階待合室から階下に向う途中で転落負傷したものであることは当事者間に争がなく、原告は、被告日航が右運送契約に基き、本件現場が子供にとつて危険な場所であることを警告したり、安全に歩行するよう誘導したりすべき義務を負うに拘らず、これを履行しなかつた結果、転落事故を惹起したものであるから、運送契約の不履行による損害賠償責任があるというのであるが、航空旅客運送人が右のような契約上の義務を負うという主張自体もにわかに左祖し難い(ワルソー条約第一七条は被告日航主張のように解すべきものと思われる。)のみならず、既に被告国に対する関係で考察したように、本件事故現場は、普通の注意をもつて通行しさえすれば格別危険があるわけではないから、これにつき警告したりする義務の如きは到底認める余地はなく、被告日航に対する原告アキコの請求も理由のないことが明らかである。
以上のような次第で、原告等の請求は損害額等その余の争点につき審按するまでもなく、すべて失当であるから、これを棄却し、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 地京武人 富川秀秋 藤井登葵夫)