東京地方裁判所 昭和33年(ワ)9429号 判決 1961年6月27日
原告 時安政富 外一八五名
被告 国
訴訟代理人 長野潔 外三名
主文
原告らの各請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
原告の申立及び主張
第一、請求の趣旨
被告は各原告に対し、それぞれ金五〇、〇〇〇円およびこれに対する本件訴状送達の翌日(別紙目録(一)の原告につき昭和三二年一二月二八日同(二)の原告につき昭和三三年三月二〇日)から完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
との判決ならびにこれが仮執行の宣言を求める。
第二、請求の原因
一、事件の経過
(一) 第六回世界青年学生平和友好祭(以下平和友好祭という)が昭和三二年七月二八日から同年八月一一日までの間ソヴィエット社会主義共和国連邦モスクワ市で開催されることになつた。平和友好祭は思想、宗教、民族、国籍の如何を問わず全世界の青年が相互に知識経験を交流し、相互の理解を深めることによつて固く提携しようとする平和と友清の祭典であるので、平和友好祭国際準備委員会の呼びかけに応じ我が国でも国内における平和友好運動を展開し平和友好祭への代表派遣を推進するため、日本青年団協議会ほか四五団体および佐賀、熊本、宮崎、大分の各県を除いた四三都道府県の各平和友好祭実行委員会によつて、同年四月六日第六回平和友好祭実行委員会(以下これを実行委という)が結成された。
なおこの実行委の法的性格は、右各諸団体によつて構成された連合体たる社団であつて、実行委の機関は次のとおりであつた。
代表委員 平沢英一、吉田正志、吉野秀俊
常任委員 加藤一成(事務局長)、谷木たかし、福田隆一、滝沢哲比古、藤本洋、菊間利通、末山亮一
(二) 同年六月三日実行委は国際委から平和友好祭に日本代表五〇〇名を招待する旨の正式交書を受取つたので直ちにこれを受諾し、広く全国の青年諸団体を通じ、原告等を含めて、平和友好祭に参加する日本代表五〇〇名の人選を了え、旅券発給の申請その他必要な手続をしようとしたところ、外務省移住局渡航課外務事務官河内達夫が旅券の発給を受けようとする五〇〇名についてまず渡航申請者名簿を提出することを再三要請したので、同月一〇日右五〇〇名の渡航申請者名簿を渡航目的と旅券給付の申請の趣旨を附記し、招待状を添えて外務省に提出した。
(三) 同月二〇日外務省移住局長内田藤雄は、実行委代表に対して関係各省と協議した結果、日本代表は五〇名に制限すると回答した。この回答は全く真意を理解するに苦しむ不合理なものであつたので、実行委では同月二二日実行委代表平沢栄一名義をもつて、外務大臣岸信介に宛て、憲法の保証する渡航の自由制限をした法律的根拠につき具体的理由を明示することを求めて質問書を提出したが右についての回答は得られなかつた。
(四) 実行委は前記五〇〇名全員の渡航を実現させるため、連日外務省当局と交渉を続け、また渡航者を制限する根拠を明らかにするよう要求したところ、同月二二日および二四月内田移住局長は実行委に対し五〇名に制限する法律的根拠は旅券法第一三条第一項第五号であると言明し、同二六日にも外務政務次官井上清一、内田移住局長らが同様趣旨を表明し、五〇名に制限することは我が国の外交上の地位、いわゆる自由主義諸国に対する外交方針、自由主義諸国における平和友好祭参加人員との比較および平和友好祭がソ連の共産主義運動に利用される可能性が強いなどの事情から導かれた結論であると述べた。
また実行委は同年七月三日井上政務次官と会見し、重ねて外務大臣岸信介宛の旅券交付申入書を提出し同月五日までに文書をもつて正式に回答されることを求めたが、井上政務次官が実行委に対し単に五〇〇名の参加は認めないと答えただけで五日まで正式の回答はなされなかつた。
(五) 一方前記五〇〇名は各推選青年団体および各地方一般民衆の大きな期待と強い支援に送られて、七月にはいるや続々と東京に集まり同月五日日本代表団結成式を挙げ、平和友好祭参加の準備は旅券の発給を除いて全く完了し、また派遣ソ連船の新潟港の出航は同月一六日と予定されており、早急に旅券の発給を受ける必要に迫まられたが、同月一一日井上政務次官、内田移庄局長らは実行委があくまで五〇〇名全員について旅券の発給を求めるならば、旅券法第一三条第一項第五号を適用し全員に対する旅券の発給を拒否する旨を再び言明し、同月一二日新たに外務大臣に就任した藤山愛一郎は、渡航人員の制限は前外務大臣の決定した方針であるから今更これを変更することはできないと記者会見において語り、同日井上政務次官、内田移住局長らは実行委に対し、一五〇名に限つて旅券の発給を認めると通告してきた。
(六) 実行委は右の通告は理由のない制限であるとして、藤山外務大臣に対し、あくまで五〇〇名全員に対する旅券の発給を申入れる一方、前記派遣船の出航を同月一八日まで延期するよう国際委に要請し、なお外務省当局と折衝を重ねたが、藤山外務大臣らは、かたくなにその態度を変えようとせず、一五〇名の枠を固執し、それ以上の旅券の発給を拒否し続けたので、ソ連船出航の前日である一七日に至つても原告らを含む三四五名(同日旅券の発給に際して通訳医療関係者ら五名が増員された)は旅券の発給を受けることが出来ず、結局平和友好祭参加のためソ連に渡航することは出来なかつた。
二、被告の損害賠償責任
(一) 岸前外務大臣、藤山外務大臣、井上政務次官および内田移住局長らは原告らが平和友好祭に参加するため、外務省に旅券発給の申請その他渡航に必要な手続をししようとした際、いずれも外務省における右旅券発給等の行政事務を司る公務員であるが、この公権力の行使に当り、互に連絡協議の上、前述のように、(イ)本友好祭は平和と友情のための祭典と称するが、実際はソ連の共産主義宣伝の場である。(ロ)我が国が国際社会において、自由主義国家群に属している以上、これと対立関係にある共産主義国に渡航するに際しては、自由主義諸国に対する影響を考えなければならないから、本友好祭に参加する自由主義国の参加人員と比較衝量の上決定しなければならない。(ハ)何としても五〇〇名の渡航は多すぎ若き青年達をして共産主義に染ましめるおそれが充分あり、これは国内治安の上からも芳しくない。(ニ)五〇〇名の渡航には二〇、〇〇〇、〇〇〇円に上る外貨が必要で、我が国の外貨事情からして右の如き巨額の外貨割当は無理である。などのことを理由とし、かゝる場合旅券法第一三条第一項第五号により、渡航を制限し、または渡航人員を制限し得る、と主張して、原告らの旅券発給申請を妨害し、原告らの外国に渡航する権利を侵害した。
(二) しかしながら、前記外務大臣らの右行為は次の理由により違法である。
(1) まず旅券法第一三条第一項第五号は憲法に違反する規定であるから、凡そ同法条により旅券の発給をしない行為、或いは同条により旅券の発給申請を妨げる行為は違憲、違法である。
すなわち日本国憲法はその前文において「日本国民は恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存とを保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と従属、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う」と謳い、諸国民と、正義と信頼に基いた友好関係を維持し、促進することをもつて我が国の基本原則となすものであり、憲法第二二条第二項は、その目的達成のために外国への渡航の自由を保障したものである。憲法第二二条第一項において、居住、移転および職業選択の自由が、公共の福祉による制約を受けているのに反し、同条第二項には、何らその旨の規定をおいていないことを併せ考えでも、外国への渡航の自由はいかなる口実をもつてするも、これを抑制し得ないものである。したがつて、本来旅券法は憲法の右趣旨にそい、渡航の自由を円滑に実現するための手続的規定にとどまるべきであり、かえつてこれを制限するが如きものであつてはならない。しかるに旅券法第一三条第一項第五号は、外務大臣は、一般旅券の発給を受けようとする者が、著しく且つ直接に我が国の利益を害する行為を行う虞れがあると認めるに足りる相当の理由がある者に当ると判断した場合には旅券を発給しないことができると定めているから、かゝる制約は当然憲法の趣旨に反する。加えて、その規定の仕方は、抽衆的でその内容は甚だ漠然としており、旅券発給拒否の客観的標準を定めることができず、時の権力者たる政府の恣意によつて政治的に悪用される虞があり、又かかる悪用を防止する保障のない旅券法では、国民の渡航の自由はいつ政府の専断によつて制限されるかも知れない危険にさらされているという外はない。したがつて、右法条は憲法の前記条規に反する無効の規定である。
したがつて国はこの違憲の法規に籍口して、渡航のための旅券発給申請を却下し得ないばかりでなく、旅券発給申請手続自体を妨害するなどして憲法に規定する渡航の権利を侵害し得ないことはいうまでもない。
(2) 前記外務大臣らが明言したとおり自由主義国家群と共産主義国家群というような特定の政治的立場に立つてのみ可能な国家の分類を前提とし、既に国交を回復しているソ連への渡航を何ら具体的根拠もない臆測と政治的偏見によつて差別することは憲法第一四条に違反する。
すなわち日ソ両国は昭和三一年一〇月二〇日モスクワにおいて、一一年間の戦争状態を正式に終結するため国交回復に関する共同宣言と通商航海に関する議定書の調印を終え、同年一二月一二日右共同宣言および議定書はいずれも批准書の交換によつて発効し、ここに両国の平和と善隣の関係は確立され、しかも同日国際連合安全保障理事会は全会一致日本の国際連合加盟を決議し、ついで同月一九日国際連合総会において右加盟は七七国の出席する全会一致によつて可決され、我国は国際社会の一員として完全な活動をなし得る地位を確保した。日ソの国交回復と国際連合への加盟によつて、我国は恒久の平和のため、世界諸国家との正義と信頼に基いた友好関係を維持促進することを基本原則とする憲法の精神に則り、世界のあらゆる国との平和と友好を深めることを国是とし単に特定国家との思想的、政治的な提携を排し、国際社会における直に名誉ある地位を占めるための道を進むこととなつた。
かかる状況のもとで外務省当局が日本国は所謂自由主義国家群に属するとなし、あたかも所謂共産主義国家群なる諸国家と排他的関係に立つかの如き特定の政治的立場をとること自体憲法の尊重と擁護とを義務づけられた国家機関のあるべき姿ではない。しかし前記外務大臣らは、かゝる憲法上何らの正当性を有しない誤つた政治的判断と、自由主義国家との協調なる特定の政治的目的のため、敢て原告ら日本国民の渡航の権利という基本的人権の行使に干渉し、その結果としてその人権の侵害を招来したのである。
しかしてその際右外務大臣らは平和友交祭は共産主義宣伝の場に利用される恐れが多いとし、このことをもつて原告らの渡航制限の理由とした。このことはとりもなおさず原告らが渡航することによつて原告らが共産主義の宣伝を受けること、それによつて原告らが共産主義思想を抱き、あるいはその確信を深めることを国が恐れたことを意味するにほかならない。
然るに日本国民が如何なる思想信条を有し、あるいは欲するも、それはいうまでもなく日本国憲法の保障するところである。原告らが渡航を欲する場合、その渡航の結果生ずるかも知れない思想的影響の如何は、国民たる原告各自の意思判断にまかさるべきであつて、国が国民の意思に反してその結果を臆測し自からの希望によつて国民の権利を制限し妨害することは憲法の認めざるところである。即ち共産主義という一つの信条の影響から原告らを隔離するという目的により本件原告らの渡航を妨害したことによつて、原告らが共産主義思想に如何に対応するかの自由を侵害したものである。換言すれば国は明らかに原告に対し「信条により」「政治的社会関係において」差別することにより本件渡航を妨げたものである。
(3) 次に旅券法第一三条第一項第五号が、仮に適憲であるとしても、同規定は同項第一ないし四号の規定の仕方から推して、疑いの余地なく旅券の発給を受けようとする者各個人についての欠格事由を定めているものである。したがつてこれを前記のごとく、概括的な人員制限の法的根拠とすることが許されないこと、法文上から明らかである。しかるに本件においで、前記外務大臣らが、渡航人員を制限し、その結果原告らに対し旅券を発給しなかつた根拠としては右法条だけがその理由とされており、それ以外に何らの法的根拠もない。しかも制限人員の枠外として旅券発給を受けなかつた原告らが同法第五条に該当するという具体的理由の明示もなく且つ原告らには同号所定のような虞れは全く存在しないのである。
したがつて、右法条を理由として、前記外務大臣らが、原告らに対し旅券を発給しなかつたことは、形式的にも実質的にも、右法条の解釈を誤つた違法な行為である。
(4) なお渡航に要する外貨の点について一言するに、実行委と外務省との交渉の当初、所要外貨の話が出たので、実行委が本友好祭に参加するための旅費は邦貨払であつて、外貨は一人三〇ドル五〇〇名全員で一五〇〇〇ドル(五四〇〇、〇〇〇円)に過ぎないと説明して以来外貨のことは問題とならなかつた。しかし仮りに外貨問題が交渉の焦点の一つであつたとしても、外貨割当は外務省の所管事項でなく外貨に関する審議会が別個の立場で決定すべき事項で、外務省が我が国の外貨事情に藉口し旅券発給の拒諾を云々することは法律上できない筈である。法律上は渡航希望者が旅券を得てから、外貨審議会で所要の外貨割当を受けるようになつている。
(5) また本平和友好祭への諸外国の参加人員の点については、前に述べたように所謂自由主義諸国からの参加人員と比較しなければ、日本独自の参加数を決定できないとのこと自体奇怪なことであるが、そのことを別としても実行委が外務省と前記交渉の当時入手していた各国の友好祭参加人員の予定人員は、イタリヤ二、〇〇〇人、イギリス二、〇〇〇人、ドイツ一、三〇〇人、ルーマニヤ一、〇〇〇人、チエッコ七〇〇人、ベルギー六〇〇人、チリ二〇〇人、フランス二、〇〇〇人、フインランド二、〇〇〇人、ポーランド一、二〇〇人、中国三、〇〇〇人、アメリカ七〇〇人、エヂプト六五〇人、ノルウエー四〇〇人、オーストラリヤ一五〇人、日本五〇〇人、ソ連一二、〇〇〇人、であつて、それらと比較考慮しても日本の参加人員は決して多くはなかつた。
(三) なお、被告は、被告国が原告らからの旅券発給申請を受けたことはない。それ故これらに対し違法な処分をする筈がない。原告らは旅券の発給申請をしようと思えばできた筈で、被告国がこれを妨害したことはない旨主張する。
しかしながら本件の経過として既に述べたところから、明らかなとおり、外務省当局は、実行委に対し、本件渡航交渉の最初にあたり「共産圏渡航については関係各省との協議その他の手続を要し、且つかかる多数の団体渡航について審査に相当日数がかかると思われるから、旅券法に定める旅券発給申請に先だち、とりあえず渡航目的、使用外貨、旅行日程とともに一行のリストを提出されたい」旨要求したので、これに応じ原告ら全員を含む五〇〇名の名簿を提出したところ、その以後の交渉において前記外務大臣らは終始渡航人員の枠のみを云々してその制限を図ろうとし、実行委が五〇〇名全員の渡航を要求すれば全員の渡航をも許さないなどと暴言しその間かゝる人員の枠に関する交渉と別個に旅券の発は申請をなす余地を全くなからしめていたのである。以上のことは前記外務大臣らがその違法な行為により、原告らの旅券発給申請を妨げたことを含め、原告らの旅券の発給を受けて渡航する権利を侵害したというに充分である。
(四) 仮に前記外務大臣らが原告らの旅券の発給申請を妨害したとの事実が認められない場合、原告は予備的に、原告らは一般旅券の発給申請をなしたが、これに対し前記外務大臣らは違法に発給拒否の処分をし、もつて前記のように原告らの基本的人権たる渡航の権利を侵害したものである、と主張する。
原告らは既に述べたとおり、実行委代表委員平沢栄一名義で外務大臣岸信介に宛、本件渡航名簿を「名簿記載の五〇〇名をソヴィエット社会主義其和国連邦に左の目的と理由により渡航いたせたく別紙必要書類添付のうえ申請致します。」との旅券発給申請の意思を表示して提出しているが、同名簿ならびに添付書類の提出はこれをもつて旅券法第三条第一項の旅券発給申請がなされたものと言うべきである。蓋し、同条第一項各号に定める要件のうち、第二ないし六号に定めるものを除き他の要件は悉く前記名簿ならびに添付書類に記載されているところ、同項第二、三、五、六、号の各要件は同条第二項に定める場合には特に提出することを要しない趣旨に鑑み旅券発給申請の必要的記載要件ではないと解され、また第四号に定める申請者の写真二葉の提出も、事物の性質上当然形式的要件と考えられ、したがつて右名簿および添付書類の提出によつて旅券発給の申請の意思が表示され且つ法の定める申請手続要件を充しているからである。
従来外務省においても、国交未回復の外国に渡航しようとするものに対し、渡航者名簿または渡航趣意書等の提出を求め、これに対し旅券法第一三条第一項第五号により旅券発給拒否処分をなし、第一四条にしたがいその決定を書面をもつて通知する取扱がなされ、本件の如き名簿提出をもつて旅券発給申請と解されていたのであつて、本件についてのみその処置を異にする理由は全くない。
しかして、右の如く原告らの旅券発給申請があつたのに拘らず外務省は原告らに対し旅券を発給しなかつたのであるから、その違法であることは前記二の(一)ないし(三)に述べたとおり明らかである。
(五)(1) 而して平和友好祭は何等特定の政治的意図を含まず真に平和と友好の祭典であつて、原告らの渡航の目的は全世界の青年と文化の相互交流を通じてその友愛を深めんとする以外にはないのである。前記外務大臣らは右目的を明記した原告らの渡航申請者名簿を受領し、以後実行委との交渉過程において原告らの渡航目的および平和友好祭の趣旨を熟知していたものである。したがつて、同人らが我が国多数の青年の期待と願望を無視し、故意に憲法および旅券法を歪曲して前記の如き違法な行為を敢てし、これによつて原告らの旅券法発給申請を抑圧して渡航する権利を妨げ、不可侵の基本的人権を侵害したものである。原告らは右不法行為により甚大なる物質的損害および精神的損害を蒙つた。
(2) 原告らはいずれも、平和友好祭に栄誉ある日本代表として参加するため、各種青年団体によつて推せんまたは選出され、全国多数の青年および一般市民から多大の精神的支援を受けたばかりでなく、渡航費用として多額の寄付金を贈られ、且つ自らも少なかざる出捐をなし、本件渡航を阻まれようとは全く予想しなかつたものである。而して勇躍して東京に集結し、代表団を結成したうえ、渡航の準備を完了し、外務省当局へ誠意をもつて交渉し来つたものであつて、前記外務大臣らの行為によつて、その渡航を果し得なかつたため、予期しない計画の挫折による物質的損害はいうまでもなく、失望と憤激を抑えることができず、それによる精神的苦痛は甚大である。被告国は右物質的精神的損害の金額につきこれが賠償の責に任ずべきことは当然であるが、原告らは本訴において右損害中精神的苦痛に対する慰藉料の一部としてそれぞれ金五万円およびこれに対する訴状送達の翌日である請求の趣旨表示の日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるものである。
三、被告の仮定的主張に対する答弁およびこれに関する主張
(一) 被告の原告らが旅券の発給申請を取下げたとの主張および損害賠償請求権を放棄したとの仮定的主張はいずれも否認する。
(二) 被告主張の覚書(乙第一号証)が提出された経緯は次のとおりである。
前記のように実行委の度重なる折衝にも拘らず外務当局は一五〇名の枠を固執し、それ以上の旅券発給を拒否し続けたため、派遣ソ連船の新潟出港を眼前にした昭和三二年七月一七日実行委はやむを得ず船の出航その他の条件からとりあえず一五〇名の代表を送ることとし、残りの代表の派遣が不可能になつたときは訴訟をもつて争う態度を決め、その旨内田移住局長に通知した。これに対し内田局長は本件渡航に関する事務上の処理を明らかにし、これを上司に報告するため一五〇名について旅券の発給を受けることを確認する旨の覚書を差出すよう申入れてきた。ところが外務当局は、その後外務当局の態度を一方的に認容するよう文案を示し、実行委から外務大臣への誓約書を提出するよう要求した。右文案は到底これにしたがうことができないものであつたため、実行委はわれわれは不満ながら出港その他の諸条件により止むを得ず一五〇名を送る旨の覚書を作成して内田局長に提出したところ、同局長は右覚書に不満を表明してその受領を拒否し、交渉は再び決裂した。しかし同日午後五時に至り、外務当局は旅券の作成は終えるが覚書を差出さないかぎり旅券は絶対に発給しない旨強く覚書を要求して来たため、実行委は一名の参加さえもできない最悪の事態を避けるべく万やむを得ず、乙一号証の覚書を内田局長に提出することを余儀なくされた。
(三) 右の経過から明らかなように、実行委の提出した覚書は、その当時において一五〇名について旅券を発給することを相互に確認することだけを内容とするものであり、原告らを含める残留組三四五名の代表について何らかの取りきめを意図したものでは決してない。勿論原告らの旅券発給申請を取下げたのでも、また原告らの損害賠償請求権を放棄したのでない。
(四) 次に実行委には原告らの旅券発給申請を取下げたり、損害賠償請求権を放棄する権限はない。実行委の法的性格は既に述べたとおりであるが、実行委は国際委の呼びかけに応じ、わが国の青年学生の平和友好運動を展開し、平和友好祭への代表派遣を推進するために結成された団体であり、その活動として日本代表招待の受諾、代表五〇〇名の人選等に関与し、また、決定された代表五〇〇名の渡航を実現するために、右五〇〇名から旅券の発給を受けるに必要な手続上の諸事務の委任を受けていたものである。したがつて旅券発給を受けるために必要な諸手続や外務当局との交渉には原告らを代理してこれに当つたが、原告らの旅券の発給を受けて渡航する権利を処分し得る代理権のないことは勿論、その権利を侵害されたことによる損害賠償請求権を放棄し得る代理権限を有するものでもない。その様な授権行為は如何なる形においても存在しない。
(五) 仮に右覚書の提出によつて、原告らが損害賠償請求権を放棄したものであるとしても、その意思表示は無効である。
(1) 右覚書は前記経緯に明らかなように、実行委が一名の参加すら不可能となり、世界の平和友好運動への貢献の機会を全く失うかも知れない立場に追込まれ、その窮迫に乗じて提出を強制されたものであつて、実行委はその放棄の意思表示が真意でないのにこれをなし、内田局長もその真意でないことを当然知つていた筈であるから民法第九三条但書にいう心裡留保として無効である。
(2) 原告らが繰返し強調するとおり、渡航の自由は憲法の保障する基本的人権であり、旅券の発給は本来これを制限し得ないものである。本件において外務当局は違法にその権利の行使を妨害したばかりか、覚書を提出しなければ一名の旅券をも発給しないと強制して実行委を極めて窮迫した事態に陥れたのであるから、覚書の提出を求める行為自体憲法秩序に違反し、その動機手段において著しく正義の観念に反し、無効のものと言わねばならない。とすればかゝる無効の行為を契機とし、本来不法な内容をもつて賠償請求権放棄の意思表示をしてもその法律行為は有効なものとなり得ない。右放棄の意思表示は民法第九〇条にいう公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為に該り無効である。
被告の答弁ならびに主張
第一、請求に対する答弁
原告らの請求を棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
第二、請求原因に対する答弁
一、事件の経過につき、
(一) 平和友好祭が原告主張の日時にモスクワ市で開催されることになつたこと、実行委の結成の目的および機関の点は認めるその他は不知。
(二) 原告主張の実行委が国際委から平和友好祭の招待を受諾し、日本代表五〇〇名の人選をしたこと、実行委代表に河合事務官が渡航申請者名簿を提出することを要請したこと。および同年六月一〇日主張のような記載のある名簿が招待状とともに提出されたことは認める。その余の事実は不知。
(三) 外務大臣岸信介にあて、原告主張の質問書を提出されたことは認める。その余の事実不知。
(四) 事実に食違いがあると思われる。交渉の経過に関する主張は後に述べるとおりである。
(五) 派遣ソ連船の出航予定旧および井上政務次官内田移住局長が一五〇名に限つて旅券の発給を認めると通告したことは認める。原告らの内部事情は不知。交渉の経過については前項のとおり。
(六) 一五〇名の旅券発給が理由がないとの主張の点を除きその余の事実は認める。
二、被告の損害賠償の主張に対し、
(一)につき
岸前外務大臣、藤山外務大臣、井上政務次官、内田移住局長らがいずれも公権力の公使に当る公務員であつて、同人らと原告主張の実行委との折衝行為がかゝる公務員としての地位における行為であること、および実行委との折衝の際主張の(イ)ないし(ニ)のことを制限の事由としたことは認める(但し制限した根拠は異なる)。その余の点は否認する。
(二)につき
(1) 否認する。
(2) 原告主張のうち日ソ国交回復、および日本の国際連合加明に関する事実は争はない。その余は否認する。
(3) 否認する。
(4) 不知
(三)につき
原告主張のように渡航者名簿の提出を求めたこと、その名簿の提出のあつたことは認める。その余は否認する。
(四)につき
原告主張のとおり記載のある渡航者名簿の提出されたことは認める。その余の点は否認する。
(五)につき
(1) 否認する。
(2) 被告の損害賠償義務の点は否認する。その余は不知
第三、被告の主張
一、第六回世界青年学生平和友好祭日本実行委員会と被告との交渉経緯。
(一) 昭和三二年五月二〇日頃実行委代表から同年七月二八日から一五日間モスクワで開かれる第六回世界青年学生平和友好祭に我が国青年学生(三五才以下)代表五〇〇名を参加させたいから手続を進められたい旨外務省へ申出があつた。
(二) そこで同省係官は邦人の共産圏渡航については自由主義諸国との協調関係から、関係各省との協議その他の手続を要し、且つかかる多数の団体渡航について審査に相当日数を要すると思われるから、旅券法に定める旅券発給申請に先だち取敢ず渡航目的、使用外貨、旅行日程とともに一行のリストを提出されたい旨伝えたところ、同年六月一一日に至り漸く原告主張どおり渡航目的を附記し、招待状をつけて五〇〇名の名簿が提出された。
(三) よつて外務省は関係各省と協議打合せの結果(1) 本友好祭は表面世界各国の青年が平和と友情とを高揚するため各種の催を行うことになつているが、裏から見れば右祭典は共産主義宣伝の場に利用される恐れが多い、(2) 我が国はサンフランシスコ平和条約が示すとおり、自由主義国家諸国に属し、これら諸国との提携協力を外交政策の基調としているので、我が代表参加についても関係諸国の態度とにらみ合せ考える必要がある。(3) 当時の我が国の外貨事情から五〇〇人の渡航費として二〇、〇〇〇、〇〇〇円に近い外貨割当を行う余裕はない等の理由で参加人員を最少限度に止めるべきであるとの意見の一致をみた。
(四) 一方政府上層部においては、参加人員をせいぜい五〇名程度に制限すべしとの意見が強く、これら諸種の意見を綜合して、同年六月二〇日内田移住局長から実行委代表に対し、五〇〇名全員の渡航を認めることは不可能である旨表明し、相手方の質間に対し五〇名程度ならばよいであろうとの見透を述べた。
(五) 六月二四日本件処時につき各省事務次官会議に付議の結果、参加を五〇名程度に制限することとなり、次で二七日の次官会議で参加人員を最少限度に止め、この中に公務員、学生等を含ませないとの方針を決定した。
(六) 内田移住局長は引続き実行委代表と交渉し、説明につとめたが代表はあくまで全員渡航を固執し、渡航人員制限の根拠についてしばしば双方の間に押問答が繰返され、その間同局長は「政府としては外交上、内政上の見地から五〇名程度が妥当と認めた次第であり、実行委があくまで五〇〇名全員渡航を固執すれば政府はこれを認めるわけにはゆかない」との趣旨を述べた。かくて日時の経過にともない、出発予定日が切迫するに及んで代表らの態度は益々尖鋭化し、連日多数の代表を繰出し局長次官、大臣らへ波状陳情を行ない参加希望者数百名も集団会見を申込み、警察官に阻止されるたびに外務省門前に座込戦術を行い、更に社会党議員を動かし外務大臣に直接陳情を試みさせるなど収拾の見通は全く立たず完全な政治問題と化した。
(七) ここにおいて、政府は混乱を恐れ、事態を話合により円満に解決するため種々の対策を考えた結果、この際劇舞踊等文化的催に参加する者一五〇名の約半数、各地方代表二三〇名の中約七〇名および事務要員一〇名程度の渡航を認めるも止むなしとの方針を定め、同年七月一二日内田局長よりこの旨実行委代表に伝えた。
(八) これにより漸く打開の機運が開け、前記示威運動および外務大臣への陳情は相変らず行われたが、実行委の大勢は円満妥決の方向に傾き、実行委代表から、一五〇名のほかに医療関係者旅行世話人等五名を加えた一五五人の渡航を認めること、およびその人選については実行委に一任されたいとの申出があつたので、内田局長においてこれを了承し、同年七月一七日実行委代表平沢栄一から、本件解決した旨の覚書(乙第一号証)を内田局長へ提出した。
(九) よつて本件は解決し、実行委代表は自から選任した一五五名の旅券発給申請をなし外務省はこれを許可し翌一八日深更までに旅券の作成および交付を了した。
これが本件旅券発給に関する経緯である。
二、被告の主張
(一) 原告らは、被告が原告らが旅券の発給申請を妨害したと主張するがその事実はない。
外務当局が実行委と交渉した事実はあるが、原告らの旅券の発給を受けることを妨害してはいない。
原告らは旅券発給申請かしようと思えば出来た筈である。そしてその申請後拒否されるか否かは、全く別個の問題である。また旅券発給申請に先だち、申請の場合を考慮し、調査資料の提出を求めることが、発給申請を妨げることにはならない。
更にまた外務当局が実行委との交渉において、渡航人員を制限すると述べたのは、前記経緯において述べたとおり、日本国の立場に立つて最善の処置と信じて執つた措置であり、違法な行為ではない。
なお日本国の友好参加人員一五五名はアメリカ一四一名、カナダ一九六名に比較して少な過ぎるものではない。
(二) 原告は予備的に、原告らは一般旅券の発給申請を行つたと主張するがその事実はない。
一般旅券発給申請には、旅券法第三条第一項第一号に規定する一般旅券発給申請書と二号以下に規定する添付書類を提出すべきであり、特に申請書には同法第二二条に基き制定されている「旅券の申請様式に関する省令(昭和三〇年八月一六日外務省令第四号)」に定められた様式に則つた申請書の提出が必要であつて、(乙二号証の一、二、三)渡航名簿の提出その他によつてこれに代えることはできないと解すべきである。
(三) 仮に原告が右渡航者名簿等の提出により、一般旅券発給申請があつたと解されるとしても、原告らはこの申請を取下げたものである。
原告らおよび渡航者計五〇〇名は旅券発給申請の交渉をすべて実行委に委任していたのであるが、昭和三二年七月一七日実行委代表平沢栄一は内田移住局長宛に本件は解決したとの覚書(乙一号証)を提出し、その後は渡航した一五五名のみが正式に旅券発給の手続を進めている。このことはたとえ原告ら主張のとおり当初一般旅券の発給申請をしていたものと仮定しても、同日右覚書の提出により申請を取下げたものと解するに充分である。原告らは法定の一般旅券の発給申請書を提出した事実がないのであるから、形式的な取下げを問題とする余地はないからである。
(四) 仮に以上の主張が認められないとしても、原告らは損害賠償等の請求を放棄したものである。
(1) 原告らは本件旅費発給の手続をすべて実行委の名で進めていたが、昭和三二年七月一七日実行委代表平沢栄一の名義で渡航人員一五〇名とし、本件は全部解決した旨の覚書(乙第一号証)を提出した。このことは爾後に問題を残さず損害賠償の請求もしないという趣旨も含まれていると解する。
(2) 原告らは、実行委は旅券の発給を受けるために必要な諸手続や外務当局との交渉には原告らを代理していたが、損害賠償請求権を放棄する代理権は有しないと主張する。
しかしながら原告らと実行委との関係は、それが代理であろうと代表であろうと、いずれにしても実行委は本件旅券発給交渉に関しすべての権限を有していたと解すべきである。即ち、原告ら主張の如く実行委は国際委の呼びかけに応じてわが国内における青年学生の平和友好運動を展開し、平和友好祭への代表派遣を推進する目的をもつて結成されたものであり、日本代表招待の受諾、代表五〇〇名の人選などを行なつて来ている。しかも前記覚書を提出するときは、和解が成立した一五〇名の人選も委かせることを申出ている。このように渡航人員の人選決定はすべて実行委で行つており、その他原告らの本件旅券発給問題について行動したのは実行委のみである。かゝる状態において原告らが実行委には手続上の事務のみしか委任していないと主張することは全くナンセンスである。
以上のとおり実行委代表委員平沢栄一が実行委を代表して前記覚書を提出したことにより原告らは損害賠償の請求を放棄したと解する。
(五) 仮に原告主張のとおり、原告らが損害賠償の請求を放棄したものでないとしても、原告らが本件請求をなすことは信義則に反し、権利の濫用である。
原告らは本件に関しては、実行委が昭和三二年五月二〇日頃旅券発給の手続を進めてくれと申出てから、渡航者名簿の提出も質問書の提出も旅券交付の申入も、その他の交渉すべて実行委の名でその代表らが行つている。よつて外務当局は原告らの本件旅券発給問題については、実行委がすべて委せられているものと信じ、実行委もそのような態度であつたので、実行委とのみ交渉して来た。そして前記覚書により、実行委との間に一切の解決がつき、外務当局も、実行委代表も、今後に問題を残さないことは確認していたのであり、当時この話合には原告ら渡航できなかつた人々も含まれていたことは外務当局も実行委代表も疑わなかつたところである。しかるに今回原告らは右話合を無視し、覚書は原告らに関係なしとして本件請求をして来た。これは明らかに信義誠実の原則に違反し、権利の濫用であり本訴は棄却さるべきである。
(六) 原告らは予備的に損害賠償請求権の放棄の意思表示は民法第九三条但書或いは九〇条によつて無効であると主張するが、この点はいずれも否認する。
(1) 、原告らは、右覚書の提出が窮迫に乗じて提出を強制されたものであり、実行委および内田局長はその真意でないことを知つていたと主張するが、これは事実に反する。
当時出発予定日が迫るにしたがい実行委の態度は益々尖鋭化し、波状陳情、集団会見座込み戦術、社会党議員の動員等あらゆる手段を用いて、外務当局に旅券発給を迫つたのであつて一五〇名にしろ旅券発給を認めるよう強制されたのはむしろ外務当局である。実行委が覚書を提出したときは、一五〇名とその他五名の渡航を外務当局が認め、実行委がその人選を一任されて完全な合意が成立したのである。実行委の意思表示は真意であり、内田局長もそう信じていたのである。
(2) 、右放棄の意思表示が民法九〇条にいう公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為に該り無効というが、本件は単なる私権の放棄であつて完全に有効であると信ずる。
(七) 以上いずれの点からするも原告ら請求は失当であつて棄却さるべきである。
証拠関係<省略>
理由
一、第六回世界青年学生平和友好祭が昭和三二年七月二二日から同年八月一一日までの間ソヴイエツト社会主義共和国連邦モスクワ市で開催されたこと、同友好祭開催のため設立された平和友好祭国際準備委員会の呼びかけに応じ同年四月我が国において平和友好祭に代表を派遣する等の目的をもつて第六回平和友好祭実行委員会が結成されたこと、同年六月三日実行委は右国際委から平和友好祭に日本代表五〇〇名を招待する旨の文書を受取つたのでこれを受諾し、全国の各種青年団体を通じこれに参加さすべき原告らを含む五〇〇名の日本代表を選出し、同月一〇日外務省の要請に基づき右五〇〇名の渡航申請者名簿を作成しこれに渡航目的と一般旅券発給申請の趣旨を附記し招待状を添えて外務省に提出したこと、これに対し外務省より政府の方針として右友好祭に参加する人員を制限したい旨の意向が示され、その後実行委と外務省との間で種々の折衝が行われたが、結局右五〇〇名のうち一五五名に対し一般旅券が発給され原告らを含む三四五名に対してはその発給がなされなかつたことは当事者間に争がなく、成立に争のない甲第三、一〇、一一、二〇、三四号、乙第一号証第二号証の一、二、三、証人内田藤雄、同小林一成、同平沢栄一、同吉田正志、同松本儀郎の各証言、原告菊間利通本人尋問の結果および右争のない事実ならびに弁論の全趣旨を綜合すると次の事実が認められる。
二、世界青年学生平和友好祭は世界各国青年の平和と友情の祭典を標榜し、第二次世界大戦後主としていわゆる共産圏諸国が中心となり世界各国の青年学生に参集を呼びかける形式で、その第一回友好祭が昭和二二年にプラーハで開かれてより以後隔年に右諸国の首都で開催されてきたが、昭和三二年七月末からのモスクワで第六回友好祭が開催されることとなり、同年四月右友好祭国際準備委員会から日ソ漁業親善協会を通じ日本青年に対し右友好祭への参加が呼びかけられ、同月我が国内において日本青年団協議会、全日本学生自治会総連合、国鉄労働組合青年婦人部四五団体および全国都道府県(佐賀、熊本、宮崎、大分の各県を除く)の各種青年団体が集まり、右友好祭参加のため第六回平和友好祭日本実行委員会を結成し、その機関として代表委員平沢栄一ら三名、常任委員加藤一成ら七名を選出した。そして右実行委は同年五月末右国際委から第六回友好祭に日本代表五〇〇名を招待する旨の電報を受け翌六月三日五〇〇名の招待状を受け取つたので、右代表委員らが外務省に赴き、実行委として右友好祭に五〇〇名の日本代表を送りたい旨の申入を行つた。すると外務省より外務事務官河内達夫を通じ、渡航人員が多数であり且つ渡航先がいわゆる共産圏内であることから、一般旅券発給要件の審査等発給事務の円滑をはかるため、所定の申請書の提出に先だちまず渡航者名簿を提出するよう要請された。そこで実行委は直ちに右諸団体を通じ参加代表の人選を始め、文化芸術関係代表一〇〇名中央組織労組および学生の代表一三〇名、各府県の地方代表二三五名、通訳および事務局員三五名、合計五〇〇名の参加者を決定し、同月一〇日頃右要請にしたがい参加者の氏名、生年月日、本籍、現住所、職業等を記載した名簿を作成し、これに招待状を添え、代表委員平沢栄一名義をもつて岸外務大臣に宛て、名簿記載の五〇〇名の者を第六回平和友好祭に参加させるためソヴイエツト社会主義共和国に渡航いたさせたく申請する旨表記して外務省に提出した。ところで外務省は日本とソ連との国交回復後始めて開かれる友好祭ではあるが、本件は多数の青年がソ連に渡航する特異な事例で政治上問題があるとし、これにつき大蔵省、公安調査庁、法務省出入国管理局、警察庁等と協議しまた各省事務次官会議および次官会議に付議したところ、これらの協議において、平和友好祭は世界青年の平和と友情の祭典を旗印としてはいるがいままで共産圏諸国の首都でかわるがわる開催され共産主義宣伝の場に利用される恐れが多く、また我が国はいわゆる自由主義国家群に属しておりソ連に多数の参加者を送ることはこれら諸国との外交政策上好ましくないこと、五〇〇人の渡航費として二、〇〇〇万円に近い外貨の割当を行う余裕がないこと、などの理由から参加人員を五〇名以下に制限しかつ学生および公務員は参加さすべきでないとの方針が打出されたので、外務省は大臣、次官らが協議の結果右方針にしたがうこととし、同月二〇日内田移住局長より実行委の代表に対し、政府の方針として右の如き理由から五〇〇名全員に対する旅券発給はできないから参加人員を五〇名程度に縮少されたい旨表明した。これに対し実行委は平和友好祭にはいわゆる自由諸国からも多数の青年が参加しその名のとおり国境、人種、思想の差異を超えた平和と友情の祭典で政治的色彩はないこと、日本とソ連は既に国交が回復し渡航の自由が制限されるいわれのないこと、渡航費用は邦貨払で多額の外貨を必要としないこと等を説明して、五〇〇名全員に対し旅券を発給するよう強く要求し、その頃から連日代表委員らを外務省に派し、代表委員平沢栄一名義をもつて当時の外務大臣岸信介宛に渡航人員制限の法的根拠に関する質問書或いは旅券交付申入書を提出するなどして五〇〇名全員の渡航を実現させるべくこれと折衝を繰返した。ところで外務省として主にこの折衝にたずさわつた内田移住局長は、政府の方針が前記のように既に定められていたことから、米ソ相対立する世界情勢下における日本の立場を説明し、或いは量は質をかえるという如く渡航人員が非常に多数の場合そのことが国の利益を著しく害し旅券法第一三条第一項第五号に当る場合もあるなど説いて実行委が渡航希望者を制限するよう説得を続けたが、七月五日頃までに既に選ばれた五〇〇名が続々と上京し、右代表委らの折衝に加え、これらの者が連日外務省に陳情を繰返し更に社会党の国会議員が政府与党の首脳に働きかけることなどもあつて友好祭参加のことは次第に重大な政治問題となり政府が従来の方針を固執する限り事案の解決が困難であることをさとり、これまでの折衝において実行委が説明した参加人の選出ならびにその構成などを検討の上、地方代表を各都道府県につき一名ないし二名で約七〇名、文化芸術関係代表約七〇名、事務局員約一〇名合計一五〇名程度の参加者を送ることにするならば、実行委もその主張する友好祭参加の目的が一応達せられ、この程度で妥結するであろうとの予測のもとに、外務大臣らに対し政府も右程度に譲歩することにより事態を収拾すべく説いて政府部内にその機運を造成し、同月一二日政府は藤山外務大臣が新たに就任したのを機に一五〇名の渡航を認めることに決定し、同日内田局長から実行委の代表に対し右の方針及び一五〇名と定めた事情を説明した上、右の線で妥結してはどうかとの申入がなされた。一方これまで外務省との折衝に当つてきた実行委の代表委員らも、日本の参加者を迎えるべくソ連から派遣された船の新潟出港が目前に迫り旅券申請手続を早急に進める必要があり、また政府が五〇名から一五〇名に譲歩したのは不満足ながらこれまでの折衝の成果でありこれは内田局長のその立場からする努力に負うところも多いことを察知していたことなどから、同局長の説得に傾き、この程度で妥結するも止むを得ないとする気運が生じ、同局長に一五〇名でまとめるよう努力すると約束し、実行委員会や参加者の会合において妥結すべく説得が、実行委全体としてはあくまで全員渡航の交渉を続けるべきだとの意見が強く、再び外務省に五〇〇名全員の渡航を要求しその都度同局長の説得を受けてまた渡航人員の縮少を約束するなどのことを繰返し、七月一六日に予定された出航を一八日に変更してこのような交渉が続けられた。しかしその後事態の進展をみないまま七月一六日となつて、実行委としては政府の認める一五〇名についても未だ旅券の発給を受けていないのでこれ以上事案の解決を遷延させると友好祭の日程からして一名の参加も不可能となる事態に立ち至り、代表委員平沢栄一らにおいてともかく一応外務省の案を呑むこととし同日における内田局長との折衝に際し右代表委員から、さらに通訳および医療関係者五名を加えて一五五名としその人選は一切実行委に委せるということで政府案を容れる旨の申出がなされ、同局長がこれに対しその申入にしたがい出航に間に合うよう旅券発給手続をとるようにするから、本件渡航問題はこれで解決した旨の一札を代表委員平沢栄一名義で入れて貰いたいとの要求がなされ、右代表委員らがこれを承諾し、ここにようやく連日繰返された平和友好祭参加のための旅券発給に関する交渉に終止符が打たれるに至つた、しかし同夜開かれた参加代表者の総会においては右妥結に対する不満が強く、代表委員らが前示の事態において一五五名の線で外務省と妥結したのは止むを得ないが、今後の方針として残留者についてはなお旅券発給のため交渉を続けこれが得られたら航空機等でできるだけ参加すべく、旅券が得られない場合は法廷闘争を行うなどの決議がなされた。そして翌一七日実行委が前記五〇〇名のうちから一五五名を人選し、これらの者は同日外務省に対し旅券法および旅券の申請様式に関する省令に定める適式な一般旅券発給申請書等を提出してその申請手続をし、なお外務省から実行委に前示の一札を持参するまで旅券の交付をしないとの催促があつてこれを差入れる等のこともあつたが、同日夜までに一五五名全員に対し一般旅券の発給がなされ、これら一五五名は第六回平和友好祭に参加した。
しかし前記名簿に記載された五〇〇名のうち前示参加者の人選にもれた原告ら三四五名については、引続き旅券発給の交渉をするとの決議がなされたものの、右妥結により外務省と実行委との折衝はすでに打切られ、実行委が更に折衝の機会を求めなかつたし、また原告ら自らが適式な発給申請手続をとることもなく日時を経過したため、原告らは遂に第六回平和友好祭に参加できなかつたことか認められる。
前掲証人小林一成、同平沢栄一、同吉田正志の各証言中には右認定特に妥結の経過等につきこれに反する部分もあるがこれらは乙第一号証および証人内田藤雄、同松本儀郎の証言に照らし措信し難く、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。
三、ところで原告らはまず、外務大臣らが旅券法第一三条第一項第五号を適用し原告らの旅券発給申請を妨げたとし同法条の違憲およびこれが適用の違法を主張する。しかし一般旅券発給申請は私人が外務大臣に対し旅券法および旅券の申請様式に関する政令(昭和三〇年八月一六日外務省令第四号)に規定する申請書その他特定の書類を提出することによつて一般旅券の発給処分を求める様式行為で、旅券法第一三条はかかる適式な申請がなされた場合にその発給を拒否し得る要件を定めたものであるが、本件は前示のとおり第六回平和友好祭日本実行委員会が同友好祭の日本参加者として原告ら五〇〇名を人選して、外務大臣に対し右五〇〇名を右友好祭に参加させるため一般旅券の発給を申入れ、その旨を記載した名簿を提出したが、右渡航希望者が適式な旅券発給申請をする以前の段階において、全員渡航を要望する実行委とその人員の制限を説く外務省との間で、渡航人員の枠につき、あたかも私企業における経営者と労働組合との団体交渉とその妥結に類似する特異な方式がとられ、その結果枠から外された原告らは適式な旅券発給申請をしていないのであつて、旅券法第一三条第一項第五号を適用して原告らの一般旅券発給申請に対する発給を拒否し或いはその申請の受理を拒否した事案ではないから、右法条が違憲か否かは本件に直接の関係はないし、またその適用が違法か否かは本件の問題となり得ない。
次に原告らは、外務大臣らは原告らに対し「信条により」「政治的社会的関係において」差別することによりモスクワへの渡航を妨げた旨主張する。なるほどすでに認定のとおり、実行委が外務省に赴き最初に第六回平和友好祭に日本代表五〇〇名を送りたい旨申入れた際、外務省からこれら渡航希望者の名簿を提出するよう要求した理由は渡航先が共産主義国のモスクワで且つ渡航者が多数であるということにあり、また実行委の右申入に対し政府が渡航者を五〇名以内に制限すべきであると方針を定めた理由およびその後における実行委と外務省との折衝において内田移住局長らから示された説得の根拠が、主にいわゆる自由主義諸国と共産主義諸国との区別およびその対立を前提とし日本からモスクワで開催される平和友好祭に多数の参加者を送ることは外交ならびに内政上好ましくないということにあつて、このことは政府が右友好祭に日本から多数の参加者を送ることにつき特殊の政治的見解をとりこれに基き右実行委の申入を処理したといえる。しかしながら、仮に原告らから適式な一般旅券発給申請書が提出された場合外務大臣が右の政治的理由によりその受理を拒否し得ないことはいうまでもないが、外国への渡航は憲法の保障する自由権の一つであるけれども、事柄の性質上国際関係あるいは国内治安に影響するところが多いことから特別の制限を受けることは認められなければならないし、殊に本件の如く実行委が友好祭への参加希望者に対し旅券の発給を求める旨申入れたのみで未だこれら希望者から適式な申請手続のなされる以前の段階において、外務省が前示の如き政治的理由により名簿の提出を要請し、またその後の実行委の要望に対し政府の政治的立場を説明して渡航希望者数の縮少を説得すること自体は、事案の合目的的な処理をなす行政庁として当然なし得ることで何ら違法ではない。もつとも海外渡航の権利が国際関係ないし国内治安の見地から制限し得るということはかゝる趣旨の法律を制限しても違憲ではないということであつて、旅券発給の拒否処分は法規に基き適正な手続により行われなければならないから、適式な旅券発給申請のなされた場合に前示の如き政治的理由によりその受理を拒否し或いは受理された申請の撤回を強制することが違法となることは疑いないが本件において原告らの適式な申請が拒否されているわけではない。もつとも、前掲の甲第一〇号証および証人平沢栄一、同小林一成の証言によると、実行委は前示渡航者名簿の提出をもつて適式な一般旅券発給申請がなされたものと解していたことが窺えるが、前示のように一般旅券発給申請は様式行為でありかつ申請書に申請本人の署名を必要とすることからすると元来代理に親しまない行為と解すべく、したがつて実行委の外務省に対する前示の申入は、実行委としての要望であり、また重ねられた折衝はその要望を実現させるために行われた政治的な意味の折衝と解するほかなく、そしてかゝる折衝において実行委は右要望につき、外務省から実行委の人選する一五五名につき旅券を発給するという確約を得ることによりある程度の成果を得て妥結し、これにより最初に渡航させるべく要望した五〇〇名のうち原告らについてはその要望を撤回したのであるから、これをもつて外務大臣らが原告の旅券発給申請を妨げたとはいい得ない。
なお右折衝に際し内田移住局長が、平和友好祭に参加のため五〇〇名もの多数の者がモスクワへ渡航するとすれば、そのこと自体が著しく且つ直接に日本国の利益を害すると解せられ、名簿記載の五〇〇名全員が旅券発給申請をするならば旅券法第一三条第一項第五号により発給を拒否するであろうと述べ、これを説得の一つの根拠にしたことは証人内田藤雄の証言から窺え同条項につきかゝる解釈がなし得るか否かは疑問があるが、前示の如き折衝の段階でかゝる意見を述べることは、その当否は別として違法とはいえないし、外務省からかる見解が表明されたとしても原告らにおいて旅券発給申請をすることは妨げられるべきものではなく、実行委の名簿提出により申請がなされたものと誤解したためであろうが、結局自から法の定める手続を践んでいない以上、その救済を求め得ないのもまたやむを得ない。
次に原告らは、前示名簿の提出により適式な一般旅券発給申請がなされ、外務大臣が違法に発給を拒否した旨主張するが、右名簿の提出をもつて適式な申請と解し得ないことはすでに認定のとおりであるから、右主張は採用できない。
四、さればその余の点について判断するまでもなく原告らの請求は失当としてこれを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条本文を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 福島逸雄 江尻義雄一 野口喜蔵)
別紙目録(一)(二)<省略>