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東京地方裁判所 昭和34年(むのイ)607号 決定 1959年11月17日

被告人 根本文雄

決  定

(被告人氏名略)

右の者に対する傷害被告事件につき、昭和三十四年七月三十日の公判期日において東京地方裁判所刑事第十八部裁判官内田武文に対し主任弁護人坂本修から忌避の申立がなされ、これに対し同裁判官が同公判廷においてなした刑事訴訟法第二十四条による却下裁判に対し右被告人から準抗告の申立があつたので、当裁判所は次のとおり決定する。

主文

本件申立を棄却する。

理由

第一  本件準抗告の申立の理由は、別紙「準抗告の申立」と題する書面のとおりであるからここにこれを引用する。なお補充書面として準抗告理由補充書及び上申書が提出されている。

第二(一)  昭和三十四年七月三十日の公判期日で示された忌避の原因

本件忌避の申立が如何なる忌避原因を示してなされたか。本件被告人の傷害被告事件記録(以下記録と略称)によると、主任弁護人はその原因として「裁判官は弁護人の弁護権を一方的に奪つた」旨を述べている。しかしてその具体的事実は詳細には述べられていないが、公判の経過に徴すると、証人牧野音市に対する被告人の反対尋問中裁判官が重複尋問としてその尋問を禁止したことから、その処置をめぐつて弁護人側と意見が対立し曲折を経た後、松本弁護人(主任弁護人以外の弁護人)より右尋問禁止につき異議の申立をなすため刑事訴訟規則第二十五条第二項による裁判官の許可を求めたところ、これが許可されず忌避申立に発展したものであつて、この間すなわち尋問禁止処分以降忌避の申立のあるまでの間において裁判官のとつた一連の処置をもつて忌避の原因として主張したものであることは十分看取できる。しかし申立人が「準抗告の申立」と題する書面中申立の理由の二の(二)の(2)の<1><2><3>で主張しているところも右と同趣旨である。(もつとも、主任弁護人以外の弁護人の発言許可の問題については、この公判期日の当初松本弁護人より裁判官に対しこれは予め全面的に許可すべきものであると申立て、かなり激しい論争が行われているのであるけれども(三七丁裏―五三丁表)、結局松本弁護人は発言を許可されて居り(五三丁表)、その外には右問題のいわゆる重複尋問が起るまで主任弁護人以外の弁護人の発言で禁止されたものは認められないから、この間の裁判官の措置は問題とされているものではないといわねばならない。)

(二)  申立人の主張について

(1)  申立人は、原裁判が本件忌避申立を「訴訟を遅延させる目的のみでなされたことが明らかなもの」として簡易却下したのは違法であると主張する。

(い) 裁判官より被告人に対して重複尋問として発問禁止後主任弁護人より忌避の申立のあるまでの間に起つた右申立をめぐる諸事情

(イ) 重複尋問禁止並びに裁判官の不当発言について

(A) (重複尋問禁止の問題)

前記記録(二五五丁)によると、問題の重複尋問禁止は

被告人 あんたうしろから僕をけとばしたようなことはなかつた。

証人  だけどけつとばしたりなぐつたりと言うけれども、僕なぐる権利ないでしよう。藤尾さんなり、全然顔わからないし、会社側かそうでないかわからないというのになぐつたというのは。

被告人 なぐられたからなぐつたといつている。

裁判官 その点について尋問許しませんほかのこと。

被告人 絶対間違いないのだから、あのときあんたしかおらなかつたわけだな、ほかに。

裁判官 重複尋問。

という経過で行われたものであつて、これに引続き

被告人 あのときなぐらなかつたらもう一人証人がいなければならない。だからあのとき二人おつたらその人、ほかの人がなぐつたかもしれないでしよう。そのことをいつているのですよ。

との発言が行われている。

凡そ発言の趣旨は、ひとり表現された言葉だけではなく、発言者の語調、態度、発言の経過等を綜合して了解されるものである。しかして被告人より問題の発問すなわち「絶対間違いないのだから、あのときあんたしかおらなかつたわけだな、ほかに」という発言がなされた際、被告人の語調、態度がどんなものであつたかは、速記録だけによつては、正確に把握し難いが、その語調、態度の如何によつては、右発言中「絶対間違いないのだから」の後の発言は「絶対間違いないのだから」の理由として発言されたとも解し得るし、「絶対間違いないのだから」とは独立した発言としても解釈し得るようである。

そこで、右発言にして若し前者であつたとすれば、証人の被告人に対する暴行の有無であつて、その趣旨においての尋問は、検察官の主尋問中二四四丁表、上条弁護人の反対尋問中二四九丁表、裏、被告人の反対尋問中二四九丁裏―二五〇丁裏、二五五丁表と数回にわたつて尋問が行われていることが認められるのであるから、被告人の該尋問が重複尋問に該るものであることは極めて明らかなところといわなければならない。

次に、右発言にして若し後者であつたとすれば、その発言は許さるべきものであろうか、将又禁止されても已むを得ないものであろうか。まず該質問がなされるまでの間に行われた証人牧野音市の証言を通観するに、その趣旨とするところは、証人は昭和三十四年四月下旬の日曜日に太陽印刷にカメラをとりに行くため千代田区西神田一丁目五番地先を通りかかつた際、カメラを持つた人(藤尾)とカメラを持たぬ人(被告人)とが手を握りあつて組み合うという斗争状態にあつたので仲裁に入り、手をかけたが離れなかつたので、その侭にして太陽印刷に行き、直ちに引帰す途中一人の人が自動車に乗つて神田公園の方に行くのを見たというのであつて、これによると、証人が前記仲裁に入りこれを離れるまでの間現場(仲裁)にいた者はカメラを持つた人とカメラを持たぬ人と証人との合計三人であつたことがその証言を通じ十分看取できる。すでに斯る証言の行われた状態の下でなされた被告人の右質問は一見いわゆる「念を押した」質問ともみられるが、同質問の前後の状況殊にその発問前にこれに近接して「なぐられたからなぐつたといつている」とか「絶対間違いないのだから」という発言が行われている経過に徴すると、右質問は単に「念を押す」に止まらず、これを理由として再び証人の暴行の有無についての発言が繰り返されるべき状況にあつたと認められる。しかして右発問があるまでの間に行われた尋問供述は、いわゆる現場(仲裁)には被告人と藤尾と証人の三人だけがいた状態での出来事として、すなわち被告人が右の念を押した上で聞かんとする状況と同じ状況の下で、証人が暴行を行つたか否かについて前掲指摘の如く再三尋問が行われているのである。これ等のことを勘案すると、右質問は重複尋問とも認められ、又これを禁止しても被告人の本質的権利を害するものとはいえない。然らば、内田裁判官の措置は適法であつて、これをもつて違法なものとはいえない。

(B) (不当発言の問題)

前記記録の証人牧野音市に関する速記録によると、右速記録は東京速記事務所所属の速記者大門福子及び後藤節子の作成したもので、同速記録には申立人主張の如き不当発言の記載は存しないことが認められる。

しかし右公判調書に対しては坂本主任弁護人より調書の正確性に関する異議の申立があり、昭和三十四年九月二十六日付異議申立調書によると、右申立において右速記録には申立人主張の不当発言につき不正確な記事や脱落が存する旨の申立がなされているが、当審証人大門福子の証言によると、前記速記録は同証人並びに後藤節子が昭和三十四年七月三十日の公判期日に右公判廷において採録した各速記原文に基きこれを忠実に反訳して作成したものであり、右速記原文によると申立人主張のような発言は速記せられていないことが認められる。

しかして同証人の証言によれば同証人は裁判官と弁護人とのやりとり中に一部速記できなかつた個所の存したことが認められるが、それが本件の問題の発言部分であるということは考え難い。なんとなれば同証人は右記録に明らかなように証人調以外の部分についても詳細な速記をとつて居り、且つ同証人の証言によれば同証人は終始速記の筆を休めてはいないのであつて、若し被告人並びに裁判官が申立人主張のとおり発言をしたとせば、斯様にまとまつた発言の全部が速記できないということはなかつたと認められるからである。すなわち、前記調書の正確性異議に関する異議申立書によると、そのとき発言があつて速記録より脱落しているという個所は

被告人 重複していないんでしよう。いちいち反対尋問をとめられては聞けなくなるからやめてもらいたいです。

裁判官 規則も何も知らないくせに何いつてやがるんだい。

というのであるが、この両者が同時に発言されたとしてもそのいずれの発言の片言隻句も速記できなかつたということは同証人の証言するところ並びにその経験、技術等からいつても容易に考えられないところであり、又右事件速記録を通覧するに裁判官始め証人、訴訟関係人の発言は逐一克明に速記されている点からみてもこの部分だけ全部脱落しその一部分も速記されなかつたとは遽に考え難いところである。

しかし一方裁判官と主任弁護人との間では裁判官の措置について問答が取り交わされていることなどからみて、仮に裁判官において何らかの発言をしたとしても、裁判官のオリジナルの発言は前段認定の事実で明らかなとおり速記原文には採録されておらず、その表現自体は確定できない。しかし右速記録中坂本主任弁護人の発言記載によると、同弁護人は「……いま規則を知らないのに何をいつているかと確か言いましたね……」と発言している。この記載に対しては同弁護人がなした前記調書の正確性に関する異議申立書において右記載は不正確で「……いま規則も何も知らんくせに何いつてやがるんだいと確かに言いましたね……」というのが正確な表現である旨申立ているが、当審証人大門福子の証言に徴し認め得る右当日問題の証言等の速記に従事した速記者二名の速記者としての経験年数及び技術並びに右速記録が右問題の個所以外は事実に即したものとして関係者により正確性が承認されている事実等に鑑みると、右速記録の原文は事実に即し忠実に採録されたものと推認され、これによると弁護人自身の右問題の発言は速記録に表現されているような発言であると認むるの外はない。弁護人の発言にして前段認定のとおりとしても、この表現が裁判官のオリジナルの発言をその侭正確に表現しているとは断定し得ないところであり、又前記認定の事実によると、仮に裁判官の発言があつたとしてもその表現が少くとも申立人主張の如き「規則も何も知らんくせに何いつていやがるんだい」というものでないことは推認できる。しかして弁護人において裁判官が行つたという右発言も、速記録(二五六丁裏から二五九丁裏まで)により窺知し得る裁判官が弁護人と取り交わしている発言などを彼此綜合すると、問題の重複尋問禁止は規則(刑事訴訟法第二百九十五条)に基いたものであつていささかも恣意に出ているものではない、然るに被告人が斯様な規則のあることも知らないで裁判官の措置を非難するのは当らないという趣旨を指摘したに過ぎないと推測される。(記録―六九丁裏―によると、被告人は問題の尋問に関してではないが、「重複するかしないか、そんなことはいいじやないですか」と述べている。)

(ロ) 主任弁護人以外の弁護人の発言の不許可について

主任弁護人以外の弁護人が申立をなす場合裁判官の許可を要することは刑事訴訟規則第二十五条第二項に明定されているところで、その許否は専ら裁判官の訴訟指揮権の範囲内に属するものであつて、裁判官は必ずこれを許可しなければならないものではなく、時宜に応じて許否いずれとも裁量によつて決し得るものである。但し弁護人の異議権は被告人の権利を保障する上において重要なものであるから、申立としての発言の許否に当つては、これを十分尊重して処置しなければならないことは勿論である。

ところで、本件においては、記録によると、松本弁護人より裁判官が前記第二の(一)で摘記の経過で被告人の質問を重複尋問として禁止したことについて異議を申立てるため刑事訴訟規則第二十五条第二項に基き裁判官の許可を求める趣旨をも含め「異議を申立てます」と発言したところ、裁判官は「発言を許しません」と裁決している。しかし、松本弁護人の右発言のみをもつてしては同弁護人の異議申立が何についてなされるのか明白でないから、裁判官が直ちに不許可にしたのは妥当ではないが、右記録によると、直ちに右弁護人よりその処分に対する異議の申立があり、裁判官は「理由を言つて下さい」と発言し、弁護人の主張を聴いており、その主張で「裁判官が何もきかぬうちに異議を申立てることを許さないとしたのは弁護権の不当な制限である、弁護人において許可を得た上異議を申立てたいと思つていることは裁判官が被告人の質問を重複尋問として禁止したことに対するものである」ことが明らかにされている。そして両者間に二、三発言の後裁判官は「主任から異議を申立てなさい」「あなたからはだめです」と裁決していることが認められる。(この裁決にある異議はこの場合問題となつている重複尋問禁止に関連する異議一般―弁護人よりの―を指すものと解する。)弁護人は右裁決後裁判官が弁護人より異議の内容すなわち裁判官が重複尋問として被告人の質問を禁止したその不当性を構成する事実についてこれを聴かずに申立の発言許否の裁決をしたのは不法である旨論難しているが、刑事訴訟規則第二十五条第二項によりいわゆる主任弁護人以外の弁護人よりする申立の発言の許可を求める場合、異議に関して陳述すべきことは、弁護人が許可後に申立をする予定の異議の対象を明らかにすることをもつて足り、許可後に申立として発言すべき右不当性を構成する事実はこの段階では陳述すべきものではないから、内田裁判官がこの点に関する陳述を聴取せず右程度の発言を聴いた上再裁決したのは相当であつて何ら不法はない。しかして前記認定事実によると、裁判官の右措置は右重複尋問の禁止に対する弁護人側の異議申立を全面的に禁止するというのではなく、異議があれば主任弁護人よりこれをなすべきことを慫慂しているのであつて、しかもこのときは間髪を容れず異議の申立をしなければ違法な訴訟行為が行われてしまうというが如く逼迫した状況ではなく、主任弁護人においてもその経過からみて適切な申立をなし以て十分対処し得る環境にあつたことが認められる。この場合の訴訟指揮については、或は裁判官によつてその処理の方式においてニユアンスの差があるとしても、結局は当該裁判官の良識に任されたところであつて、本件においては、前記認定の事実によるも、裁判官の右措置により被告人の防禦権が著しく困難になつたとはいい難く、従つて内田裁判官の措置をもつて違法とはいい難い。(なお記録殊に三八丁表、四〇丁裏、四三丁裏によると、内田裁判官が本件の如き数人の弁護人が附しられている場合裁判所に対する申立等は原則的に主任弁護人においてまとめて統一的な弁護活動をすることを期待していることは明らかであるが、さればといつて申立等について主任弁護人以外の弁護人の弁護活動をすべて全面的に不許可としその発言を許さない意思をもつているものでないこと―時宜に応じて不許可のあることは別として―は十分窺知し得るところである。)

(ハ) 休廷について

裁判官が当事者から休廷の申出があつた場合これを許可するか否かは、全く裁判官の訴訟指揮権の範囲に属するものである。しかして本件の場合にはその公判の経過に照し休廷の申出に応じなかつたからといつて不当な措置ということはできない。(その巧拙については多少の批判の余地はあるとしても。)

(ろ) 訴訟を遅延させる目的の有無について

本件忌避の申立は、以上認定の如き公判経過すなわち第二の(一)で判示の重複尋問禁止を「きつかけ」に第二の(二)の(1)の(い)の(イ)、(ロ)、(ハ)で摘記したような発言が順次行われた後になされたものである。しかしてこれらのことはすべて公判廷における証人調中に起つた事柄で事実関係は明白であり、且つ裁判の公平、不公平以前の問題としてのその法的評価はすでに判断したとおりである。

斯る経過において第二の(一)で摘記した事実を事由として忌避の申立があつた場合には之を目して「訴訟を遅延させる目的のみでなされたことの明らかな」ものとみることには相当の根拠があり、これは相当といわなければならない。もつとも本件の訴訟状況が申立人主張の如く被告人の認否等が第一回の公判期日になされ、第二回公判期日より証拠調に入り、忌避の申立がなされた当時すでに証人三人の尋問が終り、証人牧野に対する尋問も被告人の反対尋問の段階に至つていたことは一件記録に徴し明らかであるが、これ等の事情を斟酌しても右結論は左右しない。

(2) 申立人は、内田裁判官は原裁判をなすに当つて十分に理由(原因)を申立人等に述べさせ、可能である限り文書で原因を明らかにさすべきであるに拘らず、理由(原因)を聴くことを拒否して裁判をした違法が存する旨主張する。

記録(二七〇丁裏から二七一丁裏まで)によると主任弁護人が忌避原因として前記第二の(一)の忌避原因で記載の如く述べたのに対し、裁判官より「結論をまず言つて下さい」と言つたところ、同弁護人は不公平な裁判をする虞があり、その理由は書面で提出する旨述べたことは認められるが、裁判官が申立人主張の如く原因を聴くことを全く拒否したような事実は全然認められない。そして右記録によれば、裁判官はその後で検察官の意見を聴いた上裁判をしたことが認められる。そこでこの裁判官の処置について考察するに、刑事訴訟規則第九条第二項によれば、忌避の申立は必ず原因を示さなければならないものであることが定められて居り、従つて忌避の原因は申立において即座にこれを示して明らかにすべきであり、これに反した場合は前記規則に違反するものとして却下さるべきものである(刑事訴訟法第二十四条第一項)。ところで、本件においては、前記認定事実に照らしても、裁判官が主任弁護人よりする忌避原因の陳述についてその発言を禁止したことは認め難く、又主任弁護人のなした右発言によつてその理由とするところが前記第二の(一)記載の如きものであることは公判の経過に徴すれば当時としても十分看取し得るところである。しかしてこれらのことはいずれも公判の進行中起きた事柄で事実関係は明白である。然らば、前記裁判官の措置には申立人主張の如き違法は存しない。

(3) 申立人は、原裁判には理由を附さない違法が存する旨主張する。

裁判には理由を附しなければならないことは刑事訴訟法第四十四条第一項の定めるところである。これを本件においてみるに、記録(二三七丁裏)によると、裁判官は決定に際し本件忌避の申立は「今の証人尋問の段階をいちじるしく遅延させることだけを目的としてなされたもの」であるとして刑事訴訟法第二十四条に基き却下するものであることを宣明したことが明らかであり、これにより刑事訴訟法第二十四条による裁判としては適法の最少限度ではあるが理由は附しられているものと言うべきである。然らば原裁判には申立人主張のような違法は存しない。

第三、以上の理由により本件準抗告の申立は理由がないから刑事訴訟法第四百三十二条第四百二十六条第一項によりこれを棄却すべきものとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 八島三郎 西川豊長 新谷一信)

(準抗告申立理由略)

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