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東京地方裁判所 昭和34年(ワ)10156号 判決 1962年2月16日

原告 千葉金属株式会社

右代表者代表取締役 平野五郎

原告 相沢行雄

右両名訴訟代理人弁護士 松井清吉

松井清旭

被告 株式会社白木商店

右代表者代表取締役 白木良章

被告 白木三郎

右両名訴訟代理人弁護士 宮森弥之介

中島大智

主文

一、被告らは、原告株式会社に対し、各自二二〇、六九八円及びこれに対する、昭和三六年一月一日から、支払すみに至る迄、年五分の金員の支払をせよ。

二、被告らは、原告相沢行雄に対し、各自五四四、二八五円、及びこれに対する、昭和三六年一月一日から支払ずみに至る迄年五分の金員の支払をせよ。

三、原告相沢行雄のその余の各請求を棄却する。

四、訴訟費用中、原告株式会社に生じたものは、全部被告らの連帯負担、原告相沢行雄に生じたものは、これを三分しその二を原告相沢行雄その余を被告らの連帯負担とする。

五、この判決は原告ら勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

原告行雄が、昭和三四年九月一六日午後二時三〇分頃、オートバイを運転し、原告らの主張の場所に於て、ルノーと接触したことは、当事者間に争がない。

成立に争のない甲第一四号証、第一七ないし第二〇号証、第二三ないし第二五号証、乙第五、第六号証、第一三号証、第一五号証の各記載、原告行雄本人尋問の結果(第二回)、及びその結果により、真正に成立したと認める、甲第二号証、四号証、第一〇号証、第二八号証の各記載、弁論の全趣旨により真正に成立したと認める甲第二号証の記載、証人小林三郎、同菊池寬四郎、同中川裕康の各証言、原告行雄本人尋問の結果(第一回)によれば、次の事実が認められる。即ち原告行雄が運転した前記オートバイは、種別メグロふ第〇一三二号。道路運送車輛法施行規則第二条により定めた別表第一号中の軽自動車に該当するものであること。同原告は、前記日時、市川市に於て、原告株式会社の集金をすませた後、葛飾区本田広小路方面から、新四ツ木橋(幅員一七米)を、墨田区向島方面に向い、同区本田渋江町一、〇二四番地先橋上の車道(幅員一一米)車道の中心線から、左側一米三〇糎から、二米位の線を時速約三二粁で進行して来た。被告三郎は、同時刻頃に、向島方面から、本田広小路方面に向つて、ルノーを時速三五粁で運転進行して来たが、自分の進行方向に諸車が二列をなしてふくそうし、かつ除行していたので(従つて原告行雄は、車道の中央線を越えて、右側に入ることができなかつた。)被告三郎は、前面の諸車を追越そうとして、ハンドルを右に切り、約五〇糎ないし七〇糎程、車道の中心線をこえて、反対側(右側)車道へ、オートバイの直前四―五米前方に、乗り入れた。その結果、原告行雄はそれを避けようとして、ハンドルを急に左に切り、被告三郎もハンドルを左に切つたが、間に合わず、被告三郎は、ルノーを、オートバイの右側車体に激突せしめた。これが為、オートバイの右側バンバーは曲り、同原告の右下脚部は、それと右側チエンジレバー及びキツクレバーとの間に強圧され、同原告は、衝突箇所から、約三―四米前進した箇所で、右半身を下にして顛倒した。被告三郎は、現場に駈けつけた警察官深尾幸次郎、速水良久に対し「センターラインを右側に越して申訳ない。」と謝つた。衝突地点には、硝子や泥が落ちていたし、被告三郎自身が、そこを指示した。これが為、同原告は、右脛骨複雑骨切、右下腿足関節部挫創、右股部、右膝関節部、右前腕打撲擦過傷を蒙り、オートバイは破損した。そして同原告は、即日墨田区吾嬬町西八丁目五八番地加藤病院に於て、銅線牽引を施行し、同年一一月一一日脛骨骨切、視血手術を施し、ギブス包帯をなした。板橋日本大学病院は、昭和三六年二月一六日、同原告を右下腿骨折、右下肢は、左下肢より二糎短く、右足関節は、伸展屈曲ともに、軽度の制限が認められると診断した。以上の認定に反する部分の乙第五号証中の証人広仲文治の供述記載、乙第六号証中の証人小林三郎の供述記載乙第七号証中証人高橋健治の供述記載乙第一八号証中、被疑者白木三郎の供述記載、被告白木三郎本人尋問の結果は、当裁判所の採用しないところである。当裁判所は、以上認定の事実に照らし、前記衝突の原因は、被告三郎が、前方注視義務を道路交通取締法施行令第二四条第二項にいわゆる、安全確認義務を尽さなかつたことのみにあり、原告行雄には、何ら過失がなかつたと、判断する。

成立に争のない甲第二七号証、第三〇号証乙第七号証の各記載によれば被告三郎の運転したルノーに同乗した高橋健治は、被告株式会社の本店所在地と、同所同番地に住所を有して、住民登録をなし、昭和三三年五月三〇日、その取締役に就任した。同人は、前記日時、千葉市に所用があつた為、被告株式会社の代表者白木良幸が同人を、千葉市迄往復させるべく、三男被告三郎に鍵を渡して、ルノーを倉庫から出させ、同被告に運転を命じて、同乗せしめたことが認められる。

以上認定の事実によれば、被告株式会社は、自己の取締役高橋健治を、千葉市迄往復せしめるべく被告三郎に命じて、ルノーに同乗せしめたものであるから、被告株式会社は、自動車損害賠償保障法第三条にいわゆる「自己のために、自動車を運行の用に供する者」として、民法第七一五条第一項にいわゆる「事業の執行のために、他人を使用する者」として、被用者被告三郎が、原告らに蒙らしめた、各損害を賠償すべき義務があるといわなければならない。かような義務の存在を肯定するには、被告株式会社と被告三郎との間に、雇傭関係が存在すること、被告株式会社の被告三郎に対する指揮監督の関係が、継続的であることを要せず、高橋健治が千葉市に赴く用件が、同人の私用であるか、被告株式会社の用件であるかをせんさくすることは必要でないと解するを相当とする。況んや、前記甲第一七、第一八号証の各記載によれば、被告三郎は、事故発生直後、取調警察官深尾幸次郎同速水良久に対し、「自分は、先を急いでいたので、追越す為に、事故を起して済まない。」と供述し、高橋健治が千葉市に赴く用件は、同人の私用ではないように、推察せられるに於ておや。

原告株式会社の蒙つた損害につき判断する。

成立に争のない乙第一五号証の記載、原告株式会社代表者本人尋問の結果、及びその結果により真正に成立したと認める甲第八号証の一、二≪省略≫によれば、オートバイは右衝突の結果、右下側のチエージレバー・ステツブマフラー、キツクレバー及びホークの部分が破損し、前方のバンパーは潰れたこと。原告株式会社は、

(一)  昭和三四年九月二〇日北区神谷町一丁目一三番地有限会社康陽自動車に、破損されたオートバイの修繕を請負わせ、同年一〇月五日、同有限会社に対し、修理費用として、二七、八〇〇円を支払つたこと。

(二)  原告が負傷し休業した為、原告株式会社の業務を遂行できなかつたに拘らず、昭和三四年九月一七日から、昭和三五年七月末日迄、一〇ヵ月一四日分の給料として、一ヵ月一三、〇〇〇円の割合により、合計一三六、〇六六円、同年八月分から、同年一〇月分の給料として合計三〇、五〇〇円、昭和三四年一二月末日迄の賞与として三、〇〇〇円、昭和三五年六月末日迄の賞与として一三、〇〇〇円、同年一〇月末日迄の賞与として一〇、三三二円、以上総計一九二、八九八円を支払つたことが認められる。

弁論の全趣旨によれば、右給与並びに賞与は、原告行雄の勤務の有無に拘らず、使用者たる原告株式会社が、同原告の生活を支持するに必要欠くべからざるものとして給与したものであることが認められるから、原告株式会社が、被告らに対し、(一)(二)の合計二二〇、六九八円及びこれに対する、右損害の発生した日の後である、昭和三六年一月一日から、支払ずみに至る迄、民法所定の年五分の遅延損害金の連帯支払を求める各請求は、すべて正当であるからこれを認容する。

原告行雄の蒙つた損害につき、判断する。

原告行雄本人尋問の結果(第一、二回)、その結果によつて真正に成立したと認める甲第五号証の一、二、≪省略≫によれば、原告行雄は、前記九(3)記載のように

(A)  昭和三四年一〇月二八日から、昭和三五年六月二六日迄の間に、加藤病院に対し、治療費及び入院費として、合計二〇七、二八〇円

(B)  昭和三四年九月二五日から、昭和三五年六月二七日迄の間に、附添人郡司登美子に対し、附添費用として合計一七五、〇五〇円

を支払つたことが認められる。

次に前記甲第二一号証第二九号証の各記載、証人岡田実の証言によれば、原告株式会社は、原告行雄に対し、給与として前記九、(4)記載のように、合計八四、五〇〇円の支払をしたが、原告株式会社に於ては、一般社員を、年一回昇給せしめ、更に賞与として年二回、各一ヵ月分の給与相当額を支給していること。原告株式会社は、原告行雄の受傷による労働力低下を理由に、別表(二)記載のように、一般社員との間に、昇給と賞与との差額をつけ、又将来つけようとしていることが、認められる。

しかしながら、原告株式会社が、全く原告行雄の過失に基かない事故により、同原告に対し、定年(満五〇年)迄、他の一般社員との間に、給与及び賞与に、格差を設けようとすることは、同原告に対し、甚だ酷に過ぎる嫌いなしとせず、又一般社会観念上穏当な措置ではないと考えられる。当裁判所としては、原告株式会社が他の社員との間に、右のような格差を設けることは、最高五ヵ年が相当であり、それ以上は、不相当であると判断する。原告株式会社は、六年以後は、直接原告行雄の労働力を用いない他の職域(例えば内勤)に、同原告を転用し、かつ、一般社員と同等の給与及び賞与を支給するのが、社会観念上妥当であると考える。してみれば、原告の昭和三五年昭和三六年度の給与及び賞与の差額合計五九、五〇〇円と、

昭和三七年ないし昭和三九年の右差額合計一六八、〇〇〇円(以上いずれも別表(二)参照)をN、年数三年をA、Zを年五分とし、右三ヵ年の給与及び賞与の差額(X)を、ホフマン式計算方法により算出すれば

となる。従つて原告行雄は、被告らに対し、得べかりし給与及賞与の喪失による損害として、昭和三五年昭和三六年の五九、五〇〇円と、昭和三七年ないし昭和三九年度の一四六、〇八七円との合計二〇五、五八七円を請求し得るが、その余の請求は、失当であると謂わなければならぬ。

原告行雄の慰藉料の請求につき判断する。

原告行雄(第一回)及び原告株式会社代表者各本人尋問の結果によれ、原告行雄及び父忠雄は、前記九(2)記載の学歴、経歴、資産、職業を有し、(1)記載の年令であること原告行雄は、原告株式会社で真面目に働いていたこと、忠雄は中流以上の生活をしていることが認められる。同被告が蒙つた傷害が、前段判定のように、相当の重症であり、原告行雄本人の尋問の結果(第二回)により、同原告の右下肢のレントゲン写真であることが認められる甲第一、第三号証前記甲第二号証の記載によれば、同原告は受傷直後、右下腿下1/3の前面に、約一六糎の創傷、中央前面に約一糎の創傷を蒙り、レントゲン写真によれば、その部分に、かなりの脛骨の転移及び小骨片が認められたこと前段判示の左右両下肢の約二糎の長短は、一生不治のものであることが認められる。これ等の事実と、被告三郎の前記過失に、一点の斟酌すべき事情が存在しないことと鑑み、原告行雄に与うべき慰藉料は、一〇万円を以て相当と判断する。

被告らの(一)の過失相殺の抗弁は、原告行雄には、既に判示したように、何ら過失がないから、理由がない。

(二)の抗弁は、被告株式会社が、被告三郎の責任監督に、相当の注意を払つた事実を認めるに足りる、的確な証拠資料がないから、これを採用することができない。

(三)の相殺の抗弁は、原告行雄に何らの過失がない以上、採用する余地がない。

これを要するに、原告行雄が、被告らに対し、前記治療費、入院費、附添費用合計三八二、三三〇円から、自ら控除する前記保険金一〇万円、支払を免れた食費四三、六三八円、合計一四三、六三八円を差引いた残額二三八、六九八円、

給与と賞与の他の社員のそれとの差額二〇五、五八七円

慰藉料一〇〇、〇〇〇円。以上合計五四四、二八五円、及びこれに対する、前記各損害の発生した後である、昭和三六年一月一日から、支払ずみに至る迄の期間法定の年五分の遅延損害金の連帯支払を求める部分の各請求は、正当であるから、これを認容し、その他はすべて失当であるから、これを棄却する。

訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条本文、第九三条第一項但書、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項を適用して、主文の通り、判決する。

(裁判官 鉅鹿義明)

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