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東京地方裁判所 昭和34年(ワ)1883号 判決 1960年4月26日

原告 山本澄重

被告 西山幾三郎

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

当庁昭和三四年(モ)第三〇四三号強制執行停止決定はこれを取消す。

前項に限り仮りに執行できる。

事実

(双方の申立)

原告は、東京法務局所属公証人西川精開作成の昭和三三年第一八四三号債務弁済契約公正証書にもとづく強制執行はこれを許さない、訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、被告は主文第一、二項同旨の判決を求めた。

(原告の請求原因)

申立欄記載の公正証書には、訴外椎名愛子が被告に対し昭和三三年七月二七日から同年八月二九日までに借受けた金三五八万五、五〇〇円を同年九月二九日までに弁済することを約し、原告が椎名愛子の連帯保証人となり、且つ、債務不履行の場合は直ちに強制執行を受けても異議ないことを認諾する旨が記載されている。

右公正証書は被告の妻の訴外西山シマが原告の代理人となつて作成を嘱託したものであるが、原告は椎名愛子の被告に対する本件債務について連帯保証をしたこともないし、西山シマに対して原告の代理人となつて公正証書を作成するように委託したこともない。思うに、原告は新宿で歯科医を開業している者であるが、椎名愛子はその患者として親しく出入しているうちに原告が常に実印を携行しているのを知つてこれを盗用し、原告の委任状や印鑑証明書などを偽造し、これを流用して本件公正証書を作成したものと考えられる。

右のとおりで、前記公正証書は原告に対してその効力がないものであるから、その執行力の排除を求める。なお、本訴においては椎名愛子の被告に対する債務はこれを争わない。

(被告の答弁)

原告主張のような公正証書が存在すること、右公正証書は被告の妻の西山シマが原告の代理人として作成したものであること、原告が歯科医であつて椎名愛子がその患者であることは認めるが、その他の事実はすべて否認する。

椎名愛子は原告の妾で白百合洋装店を経営し原告と同棲していた者であつて、原告は愛子のためにその連帯保証人となり、さらに愛子を介して本件公正証書の作成嘱託方を西山シマに委託したものである。そして、原告は被告に対して愛子の債務については自分が全責任を負うと言明していたものであるから、原告の請求は失当である。

(証拠関係)

原告は甲第一ないし第四号証、第五号証の一、二を提出し、証人椎名愛子、原告本人の尋問を求め、甲第四号証の原告名下の印影が真正のものであることは認めるが、右は椎名愛子の偽造に係るものであると述べ、乙第三八号証の成立を認め、その他の乙号証の成立は知らないと述べ、

被告は乙第一ないし第三八号証を提出し、証人浅見伊重郎、西山シマ、伊沢コン、被告本人の尋問を求め、甲第四号証が偽造文書であることを否認し、その他の甲号証はすべてその成立を認めた。

理由

原告主張のような執行認諾条項のある公正証書のあること、右公正証書が訴外西山シマが原告の代理人としてその作成を嘱託したものであることは当事者間に争がない。

請求異議の訴において、本件の場合のように、問題になつている公正証書が公証人によつて作成されたものであることについては争がなく、債務者の代理人としてその作成を嘱託した者の代理権限の有無と証書に表示されている債権そのものの成否が争われている場合には代理権の欠缺の点については債務者たる原告に立証責任があり、債権成立の点については債権者たる被告に立証の責任があるものと解する。蓋し、強制執行の認諾は訴訟上の行為であつて公正証書はこれにより執行力を附与されることになるのであるから、上告や再審の場合に準じて、代理権の欠缺はこれを主張する原告の側に立証の責任があるものというべく、また、公正証書は判決のように実体的な権利関係を確定するものではなく、当事者の嘱託にもとづいて法律行為その他私権に関する事実を公証人において公証するものにすぎないのであるから、証書記載の債権の成立そのものが争われている場合には一般の場合と同様に債権者の側においてその成立を証明する責任があるものと解するのが相当だからである。

ところで、原告は、右の公正証書は椎名愛子が原告の実印を盗用して委任状や印鑑証明書を偽造し、これを流用して擅に作成を嘱託したものであるという。そして、証人椎名愛子は、自分は西山シマから債権額も百万円を越えたから原告を保証人にして公正証書を作つておきたいといわれたので、原告の診療所の控室へ行つてそこにおいてあつた原告の鞄の中から原告の印章を取り出して自宅へもどり、シマに「これ、全然、先生知らないのよ。だまつて持つてきたのよ」というと、シマは「仮りだからいいのよ。だまつていればいいのよ」といつて、自分が甲第四号証(活版刷りの公正証書作成方嘱託の白紙委任状)の末尾に書いた原告の名下にその印章を押して原告名義の委任状を作成したもので、自分はその日のうちに印章を原告の鞄のなかへ戻しておいたのである。自分は原告とは親密な間柄で原告がいつも鞄のなかへ実印を入れておくことはよく知つていたし、シマとも親しい間柄なので、負債を返えせばそれで済むことだと思い、原告には無断で印章を持ち出しシマがこれを押したもので、全然原告の関知しないことであると証言している。

しかしながら、(1) 、証人椎名愛子と原告本人の供述によると、愛子は原告の曽つての二号さんで、洋裁店とバーを経営していたが、原告もよくそのバーに通つていたことが認められる、右両名は特殊関係はすでに解消済みであるというが、証人浅見伊重郎、西山シマ及び伊沢コンの証言によると、右両名はその後も引きつづき特殊な関係を持続していた間柄であることが推認される。そして、(2) 、椎名証人と原告本人の供述を綜合すると、原告は愛子のために愛子が数個所の信用金庫や相互銀行から借入れていた合計六八〇万円位の債務についてその保証人になつてやり、その取引に必要な印鑑証明書は愛子に自分の印鑑を渡して愛子の手でその交付を受けさせており、現に本件公正証書の作成の際に使用された原告の印鑑証明書も愛子がこうして手に入れて持つていたものであることが明らかである。

右に認定した事実から推量すると、愛子が原告の診療所の控室に置いてあつた原告の鞄のなかから原告の印章を持ち出して無断で使用し、これをその日のうちに再び鞄のなかへ戻しておいたという愛子の前記証言は、特別の事情について格別の主張立証のない本件の場合には如何にも不自然であつて、他の証拠と対比するまでもなく、遽かに信を措きがたいところであるとするの外はない。そして、この点に関する原告本人の陳述は椎名証人からの伝聞に係るものであるからこれ亦排斥を免かれず、この外には印鑑盗用の原告主張事実を肯証せしめるに足る資料は何もあらわれていない。そうだとすれば、印鑑盗用を前提とする原告の主張はその根底において崩れ去つたものという外はない。また、原告本人は本件の連帯保証をしたこともないし、何人に対しても本件公正証書の作成嘱託方を委託したこともないと述べているが、この陳述も前記認定の事実と証人西山シマ、浅見伊重郎、伊沢コン及び被告本人の供述に対比すると遽かに措信し難く、右の各証拠と前記甲第四号証の不動文字の記載を綜合すると、原告は愛子のために愛子が被告に対して負担する本件債務(この点については当事者間に争がない)について連帯保証人になることを承諾していたものであることが推認できるし、また、西山シマが原告及び愛子の代理人となつて本件公正証書の作成を嘱託する点もこれを諒承していたものと推認することができる。なお、本件において最も重要な証人である西山証人の証言のうちには愛子から前記甲第四号証の交付をうけた時期について記憶ちがいがあつたりして、必ずしもその証言に細大もらさず全幅の信をおくわけにはゆかないが、これらの点を十分に考慮しても前記の心証には影響のないものあることを附記しておく。

右のとおり、本訴においては代理権の欠缺の点についてはその証明があることに帰するので、原告の請求はその理由がないものとしてこれを棄却し、民事訴訟法第八九条、第五四八条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石井良三)

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