東京地方裁判所 昭和34年(ワ)2284号 判決 1960年4月15日
原告 瀬戸口文彦 外八二名
被告 東京都
主文
被告は、原告らに対し、別表請求金額欄の各金員、およびこれに対する昭和三三年一一月一三日からその支払をすませる日まで年五分の割合による金員を、それぞれ支払うべし。
訴訟費用は、被告の負担とする。
事実
原告ら訴訟代理人は、主文と同旨の仮執行宣言つき判決を求め、その請求原因、ならびに被告の抗弁に対する反論として、次のとおり述べた。
原告らは、いずれも別表のと東京都内の公立学校の教員であるが、その給与は、市町村立学校職員給与負担法第一条により、被告が負担することになつていて、毎月一二日に被告からその月分の支払(その金額は各原告につきそれぞれ別表本給欄のとおり。)がなされることになつている。
被告は、原告らに対し、昭和三三年一一月分の給与を同月一二日に支払うにあたり、原告らの給与から別表請求金額欄の金額をそれぞれ減額して支払い、今日まで右減額分の支払をしない。
よつて原告らは被告に対し、それぞれ右給与未払分(別表請求金額欄の金額)、およびこれに対する支払日の翌日である昭和三三年一一月一三日からその支払をすませる日まで民法に定められた年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
原告らが、被告の教育委員会からあらかじめ平常のとおり勤務するように命じられていたにもかかわらず、平常勤務日である昭和三三年九月一五日に早退したことは認める。ところで原告らの右早退が無断早退にあたるとしてその分の給与を減額するには、同年九月分の給与からすべきであり、同月分の給与をすでに全額支払つてしまつたからといつて、勝手に同年一一月分の給与から減額することは許されない。なぜなら、学校職員の給与に関する条例(昭和三一年九月二九日東京都条例第六八号。以下単に「給与条例」という。)第九条には、「1、給料は、月の一日から一五日まで、および月の一六日から末日までの各期間につき、給料月額の半額を支給する。ただし必要があるときは、教育委員会は期間をわけないで月一回にその全額を支給することができる。2、給料の支払日は前項本文の場合には同項の各期間のうち教育委員会の定める日とし、同項但書の規定により月一回に支給する場合にはその月のうち教育委員会の定める日とする。」旨また第一〇条には「1、新たに職員となつた者に対しては、その日から給料を支給し、昇給等により給料額に異動を生じた者に対しては、その日から新たに定められた給料を支給する。ただし離職した職員が、即日他の職に任命されたときは、その日の翌日から給料を支給する。2、職員が離職し、または死亡したときは、その日まで給料を支給する。3、前二項の規定により給料を支給する場合であつて、前条第一項に規定する期間(月一回支給するときは月)の初日から支給するとき以外のとき、またはその期間の末日まで支給するとき以外のときは、その給料額は、その期間の現日数から勤務を要しない日の日数を差し引いた日数を基礎として日割によつて計算する。」旨を規定しており、これを見ると、毎月一回日を定めて原告らに支払われる給与は、その月の勤務に対する給与であることが明らかである。したがつて、本件の場合、昭和三三年一一月一二日に支払われる給与は同年一一月分の勤務に対する給与なのだから、同年一一月中の原告らの勤務に対して全額支払われなければならないことは当然である。そうだとすると、原告らの同年一一月分の給与債権が、同年九月一五日の早退分の給与を減額した残額についてだけしか発生していないという被告の主張は、単なる言葉のあやであつて、一たん発生した給与債権の減額以外の何ものでもなく、これは労働基準法第二四条第一項により禁止されているところである。また原告らに対する同年九月分の給与が、同月一五日の早退分を減額しないまま同月一二日に支払われてしまつておりその分が過払となつている関係から、右のような減額が、右早退分の給与の返還債権を自働債権とし、同年一一月分の給与債権を受働債権とする相殺の性質をもつものとしても、やはり同様に、同条項により禁止されているとみるべきである。
なお「給与条例」第一六条第一項は、減額することのできる場合と、その減額の計算方法とを定めているだけで、翌月以降の給与から減額してもよい旨を定めているのではないから、労働基準法第二四条第一項の原則に対する特例の根拠規定となりうるものではないのである。
かりに被告の主張するいずれかの理由により、給与の過払分をその後の月の給与から減額することができるとしても、それは減額事由の発生した時期に接着した支払期に支払うべき給与から減額することができるにとどまる。労働省も「前月分の過払賃金を翌月分で精算する程度は、賃金それ自体の計算に関するものであるから、労働基準法第二四条の違反とは認められない。」(昭和二三年九月一四日基発第一三五七号通達)といつており、いかなる時期の賃金からでも減額することを許すとすれば、使用者の一方的判断によつて労働者が不測の時期に労働の対価を全額受取れないことになるからである。したがつて、原告らの右早退を理由とする減額は、せめて同年一〇月分の給与からすべきであつて、同年一一月分から減額することはとうてい許されるべきことではない。この場合、勤務しなかつたことが明白であるというようなことは、同年一一月分からの減額を正当づける理由にはならない。なぜなら、もともと労働基準法第二四条第一項の趣旨は、使用者が労働者に支払を請求できることが明白なものについても、協約、協定なくしては控除できないことを定めたもの(労働省昭和二七年九月二〇日基発第六七号通達。)だからである。
被告指定代理人は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は、原告らの負担とする。」との判決を求め、「原告らが請求原因として主張する事実は、すべて認める。」と述べて、次のとおり抗弁した。
原告らは、被告の教育委員会からあらかじめ平常のとおり勤務するように命じられていたのにもかかわらず、平常勤務日である昭和三三年九月一五日に、この命令を無視して早退した。そこで被告は、「給与条例」第一六条第一項、および第二〇条の規定にもとずいて、原告らが右の早退によつて勤務しなかつた時間相当分の給与(別表請求金額欄のとおり。)を減額することにしたが、同月分の給与はすでに同月一二日に原告らに支払ずみであつたため、同年一一月分の給与から減額して、その残額を原告らに全額支払つたのである。
原告らが主張している原告らの給与は、特段の事由のない限り毎月支払われるべき基準給与額のことであつて、毎月実際に支給される給与というのは、ことのいかんにかかわらず一定しているというものではなく、右基準給与額から本件のような減額すべき事由にもとずく減額がなされた残りの金額こそ、その月に発生する給与債権なのである。そうしてその減額は、減額をなすべき事由の発生したその月の給与から必ずしなければならないものではなく、ある月の過払分を他の月から減額することも、それが給料と給料との間のことであり、かつ減額が過払の月と合理的に許される程度に接着した月になされる限りは、単なる過不足を調整するための合理的手段として許されるのである。そうして本件の減額は、昭和三三年九月一五日の早退が原告らを含め二、〇四八名の多きに達していたのでその事務処理に大いに努力を払つたにもかかわらず結局同年一一月分の給与の支払の際に行うことにならざるを得なかつた事情を考えるならば、減額事由の発生した時期と合理的に許される程度に接着した時期になされたものというべきであり、なんら不法な減額ではない。したがつて原告らに対する昭和三三年一一月分の給与は、発生した債権全額につき支払ずみであつて、未払部分は少しもないのである。
かりに右主張が容れられず、原告らの同年一一月分の給与債権が原告ら主張の全額について発生したとしても、これから同年九月一五日の早退分の給与を減額することは、右と同様の理由により、労働者の賃金の確保を目的とする労働基準法第二四条第一項本文の規定の趣旨には反しないから、正当である。そうしてこのことは、もし右のような減額が早退分の給与の返還債権と、同年一一月分の給与債権との相殺になるとしても、同様に言えることである。
かりに右のような減額ないしは相殺が、労働基準法第二四条第一項本文に反するとしても、この減額ないし相殺は、法令の一つである「給与条例」第一六条第一項にもとずいてされたものであるから、労働基準法第二四条第一項但書によつて許される正当なものである。右条例の同条項は、減額事由の発生した翌月以降の給与から減額することができるとまでは明言していないけれども、同時に減額事由の発生したその月の給与からしか減額できないとの制約を規定しているわけでもない。もしその月から減額しなければならない旨を規定したものと解釈すると、本件のように減額事由の発生するよりも前にその月分の給与が支払われてしまつているようなときには、減額することが不能となる。そのような不能を強いる規定と解すべきではないから、結局同条項は、減額事由の発生したときには、その月またはその翌月以降の、合理的に許される程度に接着した期間内であればいつの月の給与からでも減額できることを定めたものと解すべきである。現に国家公務員については、右条項と同内容のことを規定している一般職の職員の給与に関する法律第一五条の運営方針として、人事院が、「………減額すべき給与額は、………その次の給与期間以降の俸給および暫定手当から差し引く。………」と指令しているのであつて、このことも右条項を解釈するにあたつて一つの基準を示すものといえる。そうして本件の減額は、前に述べたように、減額事由の発生した時期と合理的に許される程度に接着した時期に支払われるべき給与からされたものというべきであるから、法令にもとずいた正当な減額であるといわなければならない。
理由
原告らが、いずれも別表のとおり東京都内の公立学校の教員であり、その給与は市町村立学校職員給与負担法第一条により被告が負担することになつていて、毎月一二日に被告からその月分の支払(その金額は、各原告につきそれぞれ、別表本給欄のとおり。)がなされることになつていること、被告が原告らに対し、昭和三三年一一月分の給与を同月一二日に支払うにあたり、原告らの給与から別表請求金額欄の金額をそれぞれ減額して支払つたことは、当事者間に争いがない。
被告は、原告らの昭和三三年一一月分の給与を右のように減額して支払つたのは、原告らが同年九月一五日に無断で早退したため、すでにその前に支払ずみの同月分の給与中、過払となつた分を同年一一月分の給与から減額することにしたことによるものであると主張するので、はたしてそのような減額が正当であるかどうかについて判断するる。
原告らが、被告の教育委員会から平常のとおり勤務するようにあらかじめ命じられていたにもかかわらず、平常勤務日である昭和三三年九月一五日に早退したことは、当事者間に争いがない。そして地方公務員法第二五条第一項によると、地方公務員の給与は条例にもとずいて支給されなければならないものであるところ「給与条例」第一六条第一項には、「職員が勤務しないときは、その勤務しないことにつき教育委員会の承認のあつた場合を除くほか、その勤務しない一時間につき、第二〇条に規定する勤務一時間当りの給与額を減額して給与を支給する。」旨が定められており、原告らの前記早退に被告の教育委員会の承認があつたことについて原告らはとくに争つていないので、被告が原告らの同年九月分の給与から同月一五日の早退分の給与を減額して支払うことのできることは、いうまでもない。そうして、その場合には、減額された残りの金額についてその月分の給与債権が発生することも被告の主張するとおりである。けれどもその減額を、減額すべき事由の発生した同年九月分の給与からしないで、その後の月に支払うべき給与からすることができるかどうかということは、地方公務員である原告らにも地方公務員法第五八条第二項により適用されるべき労働基準法第二四条の規定との関係上、また別個に考えていかなければならない。労働基準法第二四条に規定する賃金の支払に関する諸原則のうち全額払の原則の趣旨は、労働者が賃金の支払を一部保留されることにより使用者から人身を拘束される結果になることを防ぐとともに、同条が定めている賃金の直接払、毎月一定期日払等の他の原則と相まつて、労働者が使用者からいろいろな名目で賃金を差し引かれ(たとえば使用者が積立金や貯金などの名目ではじめから賃金の一部を支払わずに保留したり、労働者に対する貸付金や立替金、あるいは損害賠償債権をもつて賃金債権を相殺するなどの方法による差引を含む。)、そのため思わぬときに僅かな額の賃金しか手に入らず、生活が経済的におびやかされる結果になるのを防ぐためである。たゞこの原則を貫くとなると、使用者は労働者に支払う賃金については、一切控除をすることができなくなり、まことにわずらわしくまた実情にそわない場合もおこつて来かねないところから、同条第一項本文において賃金全額払の原則を規定しながらも同項但書ではその例外として、法令に別段の定めがある場合、あるいは所定のような協定がある場合に限つて、賃金の一部を控除、すなわち減額して支払うことができる旨を規定しているのである。そうだとすると、法令または右のような協定に特別の定めがない限り、たとい使用者がどんなにわずらわしく、また不便を感ずることがあつても、一たん発生した賃金債権は、その金額が労働者に支払われるべきものなのである。ところで原告らの給与は、前に判示したとおり毎月一二日にその月分の給与が支払われることになつており、「給与条例」第九条、第一〇条には原告ら主張のよう条項があるので、これによると、ある月分の給与とはその月の勤務に対する給与であることが明らかである。したがつて、原告らの昭和三三年一一月分の給与債権は、同月中に給与減額事由があつた場合を除き、原告らの同月中の勤務に対して給与額の全額につき発生するものであり、原告らの同月分の給与債権が、同年九月中に行われた早退分の給与を減額した残額についてだけしか発生していない、と被告が主張するのは全く根拠にとぼしい議論であつて、これこそ同年一一月分の給与の一部控除が行われたことを表明する以外の何ものでもないのである。そうしてその一部控除が、単なる金額の差引であるか、それとも無断早退による同年九月分の給与の一部についての返還債権と、同年一一月分の給与債権との相殺になるかという点はしばらくおくとして、そのいずれにあたるにしろ、またたといそれが被告の主張するとおり減額事由の発生した時期に接着した月になされた給与の過不足の調整するための合理的手段であるにしても、このような減額は労働基準法第二四条第一項但書の場合でない限り、同項本文に規定する賃金全額払の原則に違反するものとして許されないのである。
そこで本件の場合について、賃金全額払の原則の適用を排除すべき理由があるかどうかを判断することにする。
被告は、右の減額は、「給与条例」第一六条第一項にもとずいてされたものであるから、法令に別段の定めがある場合として許されるところである、と主張するが、前にも判示したとおり、「給与条例」の第一六条第一項は、「職員が勤務しないときは、その勤務しないことにつき教育委員会の承認のあつた場合を除くほかその勤務しない一時間につき、第二〇条に規定する勤務一時間当りの給与額を減額して給与を支給する。」と規定し、職員に対し給与を減額することのできる場合と、その減額についての計算方法を定めているだけで、どの月分の給与から減額すべきであるかということまでも規定しているのではないのである。してみると、「給与条例」の右規定は、被告が原告らに支払うべき昭和三三年一一月分の給与の一部を減額したことを正当づけるについての根拠を提供するものとは、とうてい解することができない。この点につき被告は、もし右規定を被告の主張するように解釈できないとなると、本件のように原告らが早退した日の前にすでにその月分の給与が支払われてしまつているような場合には、これからの減額ということはもとはや不可能であるということを被告の前示主張の論拠としている。前に判示したところから明らかなように、原告らの昭和三三年九月分の給与は、同月一五日の早退による減額ということが考えられないまま同月一二日に前払により支払われてしまつているのであるから、被告の主張するとおり、事実上それから減額することのできないのは当然である。しかし前に判示したように、被告に原告らの無断早退分の給与を支払う義務がない以上、もはや減額の方法による調整の手段がないにしても、その分の給与は原告らに対して過払となつているわけであり、原告らに対し法律上その返還を求めうる途は残されているのである。たゞ減額の方法をとることができれば便利だというだけのことである。すなわち、原告らに対する同年九月分の給与中過払分を事後において減額することができれば、被告にとつてまことに簡便な回収方法であるにはちがいないが、そのためには、労働基準法第二四条第一項但書に規定するような措置があらかじめ明確に講ぜられていることが必要であり、そのような措置もしないでおいて、たゞ過不足を調整するにすぎないのだから合理的に接着した時期であればいつの給与から減額してもかまわない、という安易な考え方のもとに減額を行うことは、前に判示したような労働基準法第二四条第一項本文の規定の趣旨にてらして、許されないのである。したがつて、被告のいうように減額の不可能な場合が起りうるというようなことは、「給与条例」第一六条第一項を解釈するについて、特に考慮にあたいするほどのことがらではない。また、国家公務員について、一般職の職員の給与に関する法律第一五条が、「給与条例」第一六条第一項と同内容のことを規定しており、人事院が同法第二条第一号の規定によつて同法の実施および技術的解釈に必要な規則、指令を発する権限を与えられていることは明らかであつて、人事院が同法第一五条の運用方針として、「……減額すべき給与額は……その次の給与期間以降の俸給および暫定手当から差し引く。」旨を指令していることが被告の主張するとおりであるとしても、一般職に属する国家公務員に対しては、国家公務員法の第一次改正法律すなわち昭和二三年法律第二二二号の附則第三条により労働基準法が制限された範囲で準用されるにすぎないのに対し、地方公務員に対しては、地方公務員法第五八条により労働基準法がいくつかの条項を除き原則として適用されることになつている(労働基準法第二四条は適用を除外されていない。)というように、法律上の取扱方にも差異があるところからいつても、人事院の前記指令がそのまま「給与条例」第一六条第一項を解釈する基準として援用されるものということはできない。
以上述べたところから明らかなように、「給与条例」を根拠として、原告らの昭和三三年一一月分の給与を減額したことが正当であるとする被告の主張は容れることができない。ほかに被告は労働基準法第二四条第一項但書にいう法令、または協定を根拠として原告らの給与を減額したことをなにも主張していない。
このように、いずれの点からみても、被告が原告らの昭和三三年一一月分の給与を減額したことは正当でなく、労働基準法第二四条第一項に違反する許されない行為であることが明らかであるから、被告が原告らの同年一一月分の給与中、右のように減額した分(すなわち別表請求金額欄の金額。)につき、原告らは被告に対し、その支払を請求し得べき債権をもつているといわなければならない。
よつて原告らが被告に対し、昭和三三年一一月分の給与未払分として、各別表請求金額欄の金員、およびこれに対する支払日の翌日である昭和三三年一一月一三日からその支払をすませる日まで民法に定められた年五分の割合による遅延損害金の支払を求める本訴請求は、理由があるからこれを認容することにし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し、なお仮執行の宣言をつけるのは適当でないからその申立を却下することにして、主文のとおり判決する。
(裁判官 桑原正憲 石田穰一 半谷恭一)
(別紙省略)