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東京地方裁判所 昭和34年(ワ)2895号 判決 1960年12月16日

原告 岡田政照

右訴訟代理人弁護士 松本乃武雄

被告 菅原清次郎

右訴訟代理人弁護士 吉原歓吉

右訴訟復代理人弁護士 小野田六二

主文

被告は原告に対し金二〇万円及びこれに対する昭和三四年三月二八日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は原告において金七万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

証人小尾基、同坂野俊男の各証言及び同証人等の各証言により真正に成立したと認められる甲第一号証の一の表面の記載によれば、訴外アルス薬品株式会社が、原告主張の如き約束手形を振出したことが認められ、右認定を覆すに足る証拠がない。

しこうして、右約束手形の受取人として有限会社菅原紙工所と記載され、有限会社菅原紙工所代表者菅原清次郎名義で拒絶証書の作成義務を免除して裏書がなされていることは甲第一号証の一により明らかであるところ、原告は有限会社菅原紙工所なるものは実存しないから、右記載はいずれも被告の表示である旨主張し、被告は有限会社菅原紙工所の実在しないことは認めるが、右は被告が代表取締役である訴外有限会社菅原商店の通称であるから、本件約束手形につき被告は責任を負わない旨主張するので、まずこの点につき判断する。

約束手形の形式的要件としての受取人の記載は、一般に自然人又は法人の名称と認められるものの記載があれば足ると解すべきで、受取人として表示された自然人又は法人が実在するか否かは、約束手形の形式的効力とは無関係であるから、受取人として有限会社菅原紙工所なる記載がある本件約束手形は、その形式的要件に欠けるところなく、右会社が実在しないからといつて、本件約束手形が無効なものということはできない。

原告は前記の受取人及び裏書人の記載は有限会社菅原紙工所なるものが実在しない以上、結局被告個人を表示したものであると主張するが、手形の記載事項の解釈は、その文面に表わされた記載のみによつてなすべきで、文面に表われていない事実関係によつて判断をなすべきではないから、前記受取人及び裏書人の記載をもつて、被告個人の表示であると認めることは到底できず、本件約束手形の受取人は訴外有限会社菅原紙工所であり、同会社がこれを裏書したものと認めるべきである。もつとも、手形授受の当事者間において、前記の如き記載をもつて授者個人を表示するものであると互いに理解されていた場合には、この当事者間に限つてそういう主張をすることは許されるが、原、被告間に前記記載をもつて被告個人を表示するものであると互いに認識されていたと認むべき証拠は何ら存在しないのであるから、前記記載をもつて被告個人を表示したものと主張することは許されない。

しかしながら、裏書人が訴外有限会社菅原紙工所であるといつても同会社は実在しないのであるから、同会社が手形上の責任を負わないことは明らかである。かかる場合、実在しない法人の代表者として手形に署名した者は何ら手形上の責任を負わないものであるかは別個の考察を必要とする。

手形法七七条第二項によつて約束手形に準用される同法第八条前段は、代理権を有しない者が代理人として手形に署名したときは、自らその手形により義務を負担すべき旨を規定し、この規定が法人の代表者として手形行為をなした者に代表権限がない場合にも適用されることは明らかであるが、代理行為の本人に当る訴外有限会社菅原紙工所が実在しない本件にあつては、右規定を直接適用することはできない。しかし、前記規定の趣旨は手形行為の無権代理人、無権代表者に対し、自らその手形による義務を負担すべきものとしてその担保責任を問い、善意の手形取得者を保護し、流通証券としての手形の信用を確保せんとするものであるから、実在しない法人の代表者として手形行為をした者に対しても、この手形法第八条の規定が準用され、その法人が実在すれば負担すべき責任と同一の責任を、実在しない法人の代表者として手形に署名した者は負担すると解するのが相当である。

被告は有限会社菅原紙工所は、被告が代表取締役である訴外有限会社菅原商店の通称であるから、被告は責任を負わない旨主張し、証人井上四郎、同坂野俊男の各証言によれば、訴外有限会社菅原商店が有限会社菅原紙工所の名称で商品取引をしていたことは認められ、右認定を覆えすに足る証拠は存在しない。しこうして、手形の署名を通称をもつてなすことは認められ、その署名が通称であるからといつて手形行為が無効になるものではないと解することはできるが、手形の記載が真の名称と別異の通称であることを知らない者に対して、通称を用いた者がその記載が通称であると主張することは許されないと解するのが相当である。原告が有限会社菅原紙工所なる名称が、訴外有限会社菅原商店の通称であることを知つていたとの主張も立証も何ら存在しない本件にあつては、被告は実在しない訴外有限会社菅原紙工所の代表者として裏書をした者として、本件約束手形の責任を負担しなければならない。

次に被告は、本件約束手形の裏書は被告の妻が何らの権限なくしてなしたものである旨主張するが、右主張にそう証人菅原緑の証言及び被告本人尋問の結果はいずれも措信し難く他に右事実を認むるに足る証拠がないばかりでなく、かえつて証人小尾基、同坂野俊男の各証言によれば、本件約束手形の裏書は、被告の妻が被告の指図に従つて、被告の機関としてなしたものと認めることができる。

次に被告は、本件手形の裏書は、被告の妻が訴外アルス薬品株式会社のために訴外有限会社菅原商店が裏書をなす義務があると誤信してなしたものであるから要素の錯誤があつて無効である旨主張するが、仮に被告主張の如き事実があたつとしても、手形の裏書は、手形であることを認識し、これに裏書をする意思で裏書をなしたものであれば足り、その実質関係に錯誤があつたとしてもそれは縁由の錯誤に過ぎないと解すべきであるから、被告主張の如き錯誤は縁由の錯誤に止るのであつて、裏書行為を無効とする要素の錯誤と解することができず、被告の主張自体理由がないばかりでなく、既に認定したとおり、被告の妻は、被告の指図に従い、被告の機関として本件約束手形に裏書をなしたのであり、また被告に錯誤があつたとの主張及び立証はないのであるから、被告の主張は理由がない。次に被告は原告との間に何らの原因関係がない旨主張し、原告は被告は訴外アルス薬品株式会社の保証のための裏書をなしたものであると主張するので、この点につき判断するに、証人井上四郎、同小尾基、同坂野俊男の各証言によれば、訴外アルス薬品株式会社が約束手形により原告から金融を受けその支払を延期するため、手形の書替を為すに当り、被告はその保証の趣旨で本件裏書をなしたものと認められ、右認定に反する証人菅原緑の証言及び被告本人尋問の結果は措信し難く、他に右認定を覆えすに足る証拠は存在しない。従つて原因関係が存しない旨の被告の主張も理由がない。

以上の次第であるから、被告に対し金二〇万円の手形金とこれに対する満期である昭和三四年三月二八日から完済まで手形法所定の年六分の割合による利息金の支払を求める原告の本訴請求は正当としてこれを認容し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を、仮執行の宣言については同法第一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 福島逸雄)

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