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東京地方裁判所 昭和34年(ワ)5144号 判決 1961年3月06日

原告 石出文五郎

被告 石出かよ 外三名

主文

一、原告の請求をいずれも棄却する。

二、訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一、当事者の申立

(原告の申立)

一、別紙目録記載の各土地が、いずれも原告の所有であることを確認する。

二、被告らは、右土地のうち、別紙目録記載のとおり、登記簿上自己に所有名義のあるものにつき、原告に対し、それぞれ所有権移転の登記手続をせよ。

三、訴訟費用は、被告らの負担とする。

との判決を求める。

(被告らの申立)

主文第一、二項同旨の判決を求める。

第二、当事者の主張および答弁

(請求の原因)

一、被告石出かよは、原告の三男亡石出吉蔵の妻であり、その余の被告らは同人と被告石出かよとの間に生まれた子である。

二、別紙目録記載の土地(以下本件土地という)は、昭和二三年三月二日自作農創設特別措置法(昭和二一年法律第四三号)(以下自創法という)第一六条によつて、原告が政府から売渡を受けたものであるが、売渡の際の手違によつて、石出吉蔵のために右一六条による売渡の所有権保存登記(以下売渡登記という)がなされていた。

三、石出吉蔵は、昭和三三年六月二四日死亡したが、被告らは、相続によつて本件土地の所有権を取得したとして、昭和三四年六月一日付をもつて、別紙目録記載のとおり、それぞれの土地につき、その旨の登記手続をし、原告の本件土地に対する所有権を否認している。

四、よつて、原告は本訴において、本件土地の所有権の確認を求めるとともに、被告らに対して、本件土地のうち、各被告ら名義のものにつき、それぞれ所有権移転登記手続を求めるものである。

(被告らの答弁ならびに主張)

一、原告主張事実のうち、第一項は認める。

第二項のうち、本件土地が原告主張の日、自創法第一六条によつて、政府から売り渡され(ただし売渡を受けたものは、原告ではない)、石出吉蔵のために、売渡登記がなされたことは認めるが、その余の事実は否認する。

第三項は、これを認める。

二、本件土地は、石出吉蔵が売渡を受けたものである。すなわち本件土地の売渡通知は、昭和二三年頃葛飾区農地委員会から原告宛になされたが、当時原告の長男はすでに死亡し、次男も身体障害者であつて、原告のあとは吉蔵が中心となつて、本件土地を耕作しなければならなかつたので、原告と吉蔵は協議のうえ、右農地委員会に対して、同人の名義で売渡が行なわれ、かつ、その名義をもつて売渡登記がなされるように陳情し、同委員会もこれを諒承して、吉蔵に対して売渡をなし、その旨の登記がなされた。

三、かりに、本件土地の売渡が原告に対してなされたものであるとしても、原告は売渡通知書受領後、吉蔵に対して本件土地を贈与したものであり、売渡登記は直接石出吉蔵のためになされたものである。

(被告らの主張に対する原告の答弁)

原告が、本件土地を、石出吉蔵に贈与したという被告らの主張事実は、これを否認する。

本件土地の売渡登記が石出吉蔵のためになされたのは、同人が、本件土地の売渡当時、葛飾区農地委員会の事務補助をした際、原告に無断で、同委員会に対し、本件土地の所有権が原告から石出吉蔵に移転された旨申し入れた結果、同委員会が原告の真意を確めることなく、その旨手続したためである。

第三、証拠関係

(原告の証拠等)

甲第一号証、第二号証の一ないし二九、第三、第四号証、第五第六号証の各一、二、第七号証の一ないし四、第八号証の一ないし三、第九号証の一ないし四、第一〇号証の一、二、第一一号証の一ないし三および第一二号証の一ないし五提出。

証人福岡喜代子および同石出己之吉の各証言ならびに原告本人尋問の結果援用。

乙第一号証の一ないし四、および第二号証の一、二の成立は不知、その余の乙号各証の成立は認める。

(被告らの証拠等)

乙第一号証の一ないし四、第二号証の一、二および第三ないし第一二号証提出。

証人持田誠一、同鈴木喜三郎および同木下治郎の各証言ならびに被告石出かよの本人尋問の結果援用。

甲第三、第四号証の成立は否認、第六号証の一、二第七号証の一ないし四および第八号証の一ないし三の成立は不知、その余の甲号各証の成立は、いずれもこれを認める。

理由

一、原告と被告らとの関係等について

被告石出かよが、原告の三男亡石出吉蔵の妻であり、その余の被告らが石出吉蔵と被告石出かよとの間に生まれた子であること、石出吉蔵が昭和三三年六月二四日死亡し、被告らが、別紙目録記載のとおり、本件各土地につき、昭和三四年六月一日各相続による所有権取得登記手続をしたことは、いずれも当事者間に争いがない。

二、本件土地の売渡を受けたものについて

本件土地が、昭和二三年三月二日自創法第一六条によつて、政府から売り渡されたことは、当事者間に争いなく、いずれも公文書であるから真正に成立したこと認める甲第三、第四号証、第六号証の一、二および第七号証の一ないし四、成立に争いのない甲第一〇号証の二、ならびに証人福岡喜代子の証言および原告本人の供述によつて真正に成立したと認める甲第八号証の一ないし三の各記載、証人福岡喜代子、同鈴木喜三郎、および同石出已之吉の各証言ならびに原告本人の供述を総合すると、原告は本件土地が自創法によつて政府に買収せられた当時、訴外柴田吉松らから、それを賃借して耕作していたので、同法第一七条にもとづき、葛飾区農地委員会に対して、買受申込をしたこと、同委員会は、本件土地を原告に売り渡す計画を立て、昭和二三年三月三〇日付および同年八月一四日付書面をもつて、原告にその旨通知したこと、次いで、東京都知事は、本件土地を原告に対して売渡す旨の記載のある、昭和二四年二月二〇日付売渡通知書(甲第三号証)を原告に交付し、原告はこれにもとづき、同年三月二八日本件土地の買受代金を、右農地委員会に支払つたことが認められる。

そして自創法第一八条および第二一条によると、買収農地の売渡を受けうるものは、買収時の小作農で、買受の申込をしたものであり、農地の所有権は、売渡通知書に記載されたものに移転することが明らかであるから、本件土地はいずれも、原告が政府から売渡を受けて、その所有権を取得したものといわなければならない。この認定に反する被告石出かよの供述は措信しがたく、成立に争いのない甲第九号証の二ないし四、同第一一号証の二、三、同第一二号証の二ないし五、乙第一、第二号証の各一および同第三、第四号証の各記載のうち、売渡を受けたものを石出吉蔵とする部分は、後に明らかにするように、前記売渡後に、訂正もしくは記載されたものであるから、これらの各記載は、さきの認定を覆すものではない。

三、本件土地の贈与について

(一)  本件土地に対する売渡登記が石出吉蔵のためになされたことは当事者間に争いなく、前顕乙第一、第二号証の各一、同第三、第四号証甲第九号証の二ないし四、同第一一号証の二、三および同第一二号証の二ないし五の各記載、証人鈴木喜三郎、同木下治郎(ただしこれら証言のうち後記採用しない部分を除く)および同持田誠一の各証言ならびに弁論の全趣旨を総合すると、昭和二三年頃自創法にもとづいて農地の売渡を受けたものの中には、すでに年老いているため、遠からずその耕作を子に譲らざるを得ないと考えるものもあり、さようなものは、自己に売り渡された農地の所有名義を子のそれにして貰いたいと農地委員会に申し出たこと、この申出は農地委員を通じて、農地委員会に対してなされたが、農地委員会も、さような申出に対しては、委員会にはかつたうえ、子が自作農として農業にいそしむものであつて、自創法の精神に反しないと認められるかぎり、あたかも子が売渡を受けたもののようにして、子のための売渡登記がなされるべく、とり運んだこと、本件土地についても、その売渡がなされた後、石出吉蔵から、葛飾区農地委員の木下治郎を通じて、同区農地委員会に対し、「原告と協議のうえ、本件土地の売渡登記を石出吉蔵のためにして貰うこととしたからよろしく頼む。」と申出があつたので、同委員会はこの申出を相当と認め農地売渡計画書(甲第九号証の二ないし四)ならびにすでに作成されていた売渡登記の嘱託に関する書類(甲第一一号証の二、三、同第一二号証の三ないし五および乙第一、第二の各一等)のうち、売渡を受ける者として表示せられた原告名を、石出吉蔵と訂正し、新たに作成する書面(甲第一〇号証の二)には、それを石出吉蔵と記載して処理し、結局東京都知事は昭和二五年三月二〇日付をもつて、同人のため、売渡登記の嘱託をなしたものであることが、認められ、証人鈴木喜三郎および同木下治郎の各証言のうち、農地の売渡名義を子に変更する場合、委員会にはからなかつたという部分は採用しない。

(二)  次に成立に争いのない甲第五号証の二の記載、証人石出已之吉および同福岡喜代子の各証言ならびに原告本人尋問の結果の各一部、被告石出かよの本人尋問の結果および弁論の全趣旨を総合すると、原告に対して本件土地の売渡の通知がなされた昭和二三年頃、原告の家には石出吉蔵のほか長男仁助と五男敏雄の三人の男子があつたが、仁助は脳を患つたうえ、足が不自由であり、敏雄は八才位であつたこと、吉蔵は昭和二二年二月中旬頃復員し、一時はマラリアに悩まされたこともあつたが、昭和二三年のはじめ頃には回復し、農業に専従していたこと、原告はその当時五五才位であつたが、長らく眼を病んだうえ、初等教育も受けていなかつたので文字を読むこともできず、葛飾区農地委員会に提出した前記本件土地の買受申込書(甲第八号証の一ないし三)をしたためたりまたは、同農地委員会から原告宛に来た文書等を読んだりすることは、すべて吉蔵に頼らなければならなかつたこと、吉蔵は、昭和二四年四月三〇日頃被告石出かよと結婚した(その届出は同年八月三一日)が、その後本件土地を耕作するものは、原告を除いては、吉蔵夫婦だけであつたこと、原告は本件土地の売渡登記がなされた後、前記農地委員木下治郎から受領した本件土地の登記済権利証(乙第一号証の一ないし四、同第二号証の一、二および同第三、第四号証)を、吉蔵に交付し「これはお前達のものだからしまつておけ」といつたこと、また原告は、その後本件土地に対する租税を、みずから納めに行つたこともあること、吉蔵夫婦と原告との間は円満であり、吉蔵が死んだ昭和三三年六月二四日以後も、原告と被告石出かよとの間に、いさかいなどはなかつたが、出稼ぎしていた原告の三女よし子が戻つた翌三四年四、五月頃から、急に争いごとが生じるようになつたこと、その頃まで、本件土地に関する問題はなんら起らなかつたが、同年五月頃、被告かよは、よし子から、理由も告げられないで、白紙に印鑑を押捺するように強いられたり、税務署から、本件土地の登記簿上の吉蔵の所有名義を、原告のそれに変更するように催告されているから、その手続をするための印鑑を押捺せよといわれたりし、原告からも右名義を原告に変更せよといわれたこと、および、その後被告石出かよは、右よし子から、何かにつけて意地悪くされ、食事や睡眼も十分にとれなくなつたので、やむなく原告方を離れ、実家に帰つてしばらくは本件土地を耕作していたことがそれぞれ認められ、証人石出已之吉および同福岡喜代子の証言ならびに原告本人の供述のうち、右認定にていしよくする部分は、にわかに措信しがたい。

(三)  右各事実によると、原告は政府から本件土地の売渡を受けた後、将来は、本件土地が石出吉蔵によつて耕作されることを見越して、これを同人に贈与することとし、同人をして、葛飾区農地委員会に対して本件土地の売渡登記が同人のためになされるように申し出させたものと見るのが相当であり、石出吉蔵のために売渡登記がなされたのは、いわゆる中間省略の方法によつたものというべきである。

そして農地調整法(昭和一三年法律第六七号、ただし昭和二一年法律第四二号による改正後のもの)第四条によると、農地の所有権の移転については、都道府県知事の許可または市町村農地委員会の承認を要するものとされていたが、本件の場合は、さきに認定したとおり、葛飾区農地委員会が、石出吉蔵の申出を相当と認め、そのための売渡登記がなされるべくとり運んだのであるから、その承認があつたものというべきであり、右贈与は有効といわなければならない。

四、結語

以上みてきたとおりであるから、本件土地に自己の所有権があることを前提とする原告の本訴請求は、失当として棄却を免がれない。

よつて訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 飯原一乗)

別紙

土地目録

(所在地は、いずれも東京都葛飾区水元猿町)表<省略>

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