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東京地方裁判所 昭和34年(ワ)6022号 判決 1962年5月26日

主文

被告は、原告小林ハツに対し金一九三、六一三円原告小林秋太郎に対し金二〇六、六六六円その余の原告らに対し金一一三、五六三円ならびに原告小林秋太郎に対する右金員のうちの金一一六、六六六円とその余の原告らに対する右各金員に対しては昭和三三年一一月二二日以降、原告小林秋太郎に対する金九〇、〇〇〇円に対しては昭和三四年八月八日以降それぞれ右各金員完済まで年五分の割合による各金員の支払をせよ。

原告ハツ、同秋太郎のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は原告ら勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

原告ら訴訟代理人は、「被告は、原告小林ハツに対し金二八三、九〇四円原告小林秋太郎に対し金二六一、八四四円その余の原告らに対し金一一三、五六三円ならびに原告小林秋太郎に対する金一一三、五六二円とその余の原告らに対する右各金員に対しては昭和三三年一一月二二日以降、原告小林秋太郎に対するその余の金一四八、二八二円に対しては昭和三四年八月八日以降それぞれ右各金員完済まで年五分の割合による各金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

一、被告は建築材料の販売を業とするものであつて、その商品を運搬するために浦島義博を自動車運転者として使用していたところ、浦島は右営業のため巾員一〇、二メートルの県道上を世田谷方面から町田方面に向かつて自家用貨物自動車(車輛番号一す三九五九号)を時速五、六〇粁で運転し、昭和三三年一一月二一日午前八時二〇分頃、川崎市登戸一七二三番地小林留造宅先に差しかかつた際、折から川崎市生田一五三九番地所在株式会社登戸給油所に赴くため自転車に乗つて右県道と右貨物自動車進路左側に直角に交叉している農道から右県道に出てその左側を町田方面に向かつて数尺位進行していた小林源治を四、五米の至近距離で発見しあわててハンドルを右に切りその右側を通過しようとしたが及ばず貨物自動車の荷台左前角を源治の右乳嘴突起部(耳の後の凸骨)に突き当て同人をその場に転倒させ同部分に縦一〇センチメートルの切創を伴う粉砕骨折、脳実質脱出の致命傷の頭蓋骨折を与え即死させた。

二、ところで、右県道は事故発生地点から世田谷方面寄りに高い陸橋があり、該陸橋から町田方面に数一〇メートルの下り勾配を経て同方面に一直線に走りアスフアルト舗装の平坦で見透の利く道路であり、源治が自転車を操縦して出てきた農道と右県道とが交叉する点の東北側(貨物自動車の進路左側)には一五、七メートルに亘つて建物など前方透視を妨げる障害物は全然ないのであるから、浦島が自動車運転者として遵守すべき前方注視義務を尽しかつ危険の際には何時でも制動を掛け得る状況で運転していたら、源治が農道から県道に出て進路を遮る危険の状況を数一〇メートル手前で認めることができ直ちに急制動を掛けるなど事故発生を防止するために適切な措置を採り得た筈である。しかも源治は浦島運転の貨物自動車を認めたので県道の左端を進行していたのである。しかるに浦島は前方注視を怠り漫然時速五〇粁の速度のまま運転を継続し僅か四、五メートル手前で漸く源治を発見したため周章狼狽し源治の右側を追越そうとはんどるを右に切つたが時既に遅く右のように貨物自動車を源治に衝突させて源治を道路左側に転倒させ、急停車の措置をとらなかつたのでそのまま県道を右斜に驀進し、前記小林留造の家屋の前部に衝突損壊し更に同家の庭と生垣を越えて麦畑に突入して右事故地点から約三〇メートルの箇所で漸く停車したものである。

三、しかして、(一)被告は浦島を自動車運転者として使用し本件貨物自動車をその営業のために運行の用に供していた者であるのでその運行中に生じた本件事故について、自動車損害賠償法第三条に基き源治の死による損害を賠償する責任がある。

(1)  ところで、右営業はもと被告の父高田角蔵が代表取締役となり昭和二七年一二月同一営業を目的とする有限会社高田商店を設立し、被告の営業所において同種の営業を営み昭和二九年九月一五日これを組織変更し株式会社高田建材店としたが、同会社は手形不渡を出しその取引先銀行の東京都民銀行小山支店との当座預金取引を解約されたため昭和三一年四月一七日解散し、ついで角蔵は役員に加わらず昭和三一年六月二三日被告の兄高田仁を代表取締役とする右同様の営業目的の株式会社高田誠商店が設立されたけれども、同会社も取引先である芝信用金庫西小山支店から昭和三二年一〇月二六日手形不渡のため取引停止処分となり、その営業は休止するに至り、翌三三年六月に所轄目黒税務署にその旨休業届を提出した。そして被告は昭和三一年一月以来同信用金庫西小山支店と当座預金契約をなし、取引代金は被告振出の手形および被告の口座で決済し右高田誠商店の営業中も自己の計算において同商店と同一の営業を営んできたものであるが、同商店の休業後はその営業をも承継して被告個人で砂利その他の建築材料の販売を営み、その営業のため浦島を運転者として使用し本件貨物自動車を運行していたものであり、かつ浦島は右業務遂行中に本件事故を生ぜしめたのである。

被告は、事故発生当時二六歳で、昭和三二年八月本件貨物自動車の買入れについては右誠商店のため連帯保証人となり(乙第一号証)、昭和三三年九月一〇日右貨物自動車の自動車損害賠償責任保険契約申込者を被告に改めており、かつ対外的にも自己が営業担当者であることを表示し(甲第四四号証)、高田誠商店の店舗は被告の所有であり(甲第四五号証)、昭和三三年四月二八日肩書住所地に二階建倉庫兼共同住宅一棟を建築所有し(甲第四六号証)、同住宅に被用人浦島を宿泊させていたのであつて、これらの事実からみても、少くとも昭和三三年六月税務署に休業届を出した後は、被告の個人営業に移行したことが推測されるのである。

(2)  本件貨物自動車には自動車損害賠償責任保険証明書が備付けられており、その保険証明書には保険契約者および車輛使用主の名が被告とされているところ、自動車所有者ないし保有者がその保険に加入することおよび保険証明書を自動車に備付けることがいずれも法律により強制されているのであり、従つて道路運送車輛法関係の行政庁およびその他の関係公務員はその証明書を備付けてあるが故にかつその証明書記載の事実を信頼してその運行を許し、その記載どおりに事柄を処理しているわけであり、また一般取引上も右記載するところに信頼がおかれるものであるから、此の記載と異る事実を主張することは自動車損害賠償保障法の立法精神或いは債権法上の信義誠実の原則、禁反言の法理から許されないところである。いずれにしても被告は同法第三条の責任を免れることはできない。

(二) つぎに、被告は右のように自己の営業のために使用していた浦島がその事業の執行中に運転上の過失によつて小林を死に至らしめたものであるから、その使用者として民法第七一五条第一項による損害賠償責任も負担すべきものである。

かりに、事故当時の営業者および浦島の使用者が被告ではなく株式会社誠商店であるとしても、右(一)(1)記載の事情のもとにおいては、被告は同商店が税務署に休業届をする以前およびその以後を通じて使用者たる同商店に代つてその事業である砂利採取運搬販売を監督していた者とみるべきであるから、同条第二項による損害賠償責任があるといわなければならない。

四、源治の死による損害は次のとおりである。

(一)  源治の得べかりし利益喪失による損害

(1)  源治の死亡当時における一年間の勤労収入

(イ) 恩給 一二九、三三六円

(ロ) 安田火災海上保険代理店手数料 二四、八八八円

(但し、うち必要経費九、九五五円を含む)

(ハ) 斎藤スレート株式会社取締役報酬 九一、〇〇〇円

(ニ) 株式会社登戸給油所取締役手当 五九、八〇〇円

合計 三〇五、〇二四円

(2)  右勤労収入に対する所得税額

(イ) 所得金額 四〇四、二二一円

右(1)の勤労収入二九五、〇六九円(すなわち(1)の(ハ)と(ニ)の諸給与合計一五〇、八〇〇円と(イ)の恩給一二九、三三六円および(ロ)の代理店手数料二四、八八八円中の必要経費九、九五五円を差引いた一四、九三三円との合計額と事故当時の年間不動産収入一八一、九二〇円から必要経費を控除した一〇九、一五二円を合算したものである。

(ロ) 所得控除

社会保険料控除 三、三四五円

簡易保険料控除 一五、三〇〇円

扶養控除 五〇、〇〇〇円

基礎控除 九〇、〇〇〇円

合計 一五八、六四五円

(ハ) 課税される所得税額

右(イ)から(ロ)を控除した差引所得金額は二四五、五七六円となり、これに対する所得税額は三四、一一五円であるところ、妻ハツにつき不具者控除五、〇〇〇円が適用されるからこれを差引くと、所得金額四〇四、二二一円に課税される所得税額は二九、一一五円である。

そして、所得金額四〇四、二二一円中不動産収入一〇九、一五二円と勤労収入二九五、〇六九円との比は二七一対七二九であるから、税額二九、一一五円のうち勤労収入に課される所得税は二一、二二四円となる。

(3)  源治の生活費

同人は、自己所有の住宅に居住し、従来から所有する被服を着用し、自転者で勤務先に通勤し、その生活費は一般の標準よりはるかに低額であつたが、これを統計(日本統計年鑑昭和三五年度版三七一頁)によつて算出すると次のとおりである。

昭和三四年度の全国平均世帯一ケ月間の消費支出は、世帯員四、五六人で

食糧費 一二、二六〇円

住居費 二、六〇〇円

光熱費 一、三九六円

被服費 三、三七六円

雑費 九、二七〇円

合計 二八、九〇二円

であるから、その一人当りは六、三三八円となるが、右のとおり自己所有の住宅に居住していたので一人当りの住居費五七〇円を差引くと五、七六八円となり、一年間の生活費は六九、二一六円である。

(4)  源治の得べかりし利益喪失による損害賠償債権の相続

源治は明治二六年九月二四日生で事故当時六五年二ケ月の身体壮健の男子であつたから、事故がなければなお一一、九一年の平均余命があり(前記年鑑三四頁の昭和三四年度の平均余命表)、従つてその間一年間につき前記(1)の三〇五、〇二四円から(2)(ハ)の二一、二二四円と(3)の六九、二一六円を差引いた二一四、五八四円の割合による合計二、五五五、六九五円四四銭を得べかりしであつたので、本件事故により、右金額からホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して計算した一、六〇一、八一四円の損害を被つたことになる。

そして、原告小林ハツは源治の配偶者であり、その余の原告らは源治の子であるところ、原告らにおいて自動車損害賠償保障法に基く源治に対する保険金三〇〇、〇〇〇円を受領しているので、右損害額からこれを控除した残額一、三〇一、八一四円の損害賠償債権につき、原告ハツはその三分の一の四三三、九三八円を、その余の原告らはその一五分の二の各一七三、五七五円をそれぞれ相続したものである。

(二)  原告秋太郎の葬儀費用支出による損害

同原告は源治の死によりその葬儀費として三三一、一二〇円を出捐し同額の損害を被つた。

(三)  原告らの慰藉料

原告らは源治の配偶者或いは子としてその死によりいずれも重大な精神的苦痛を受けたのであるから、これを金銭をもつて償うとすれば、原告ハツに対しては二〇〇、〇〇〇円、その余の原告らに対しては各八〇、〇〇〇円をもつて相当とする。

五、よつて、被告に対し、原告ハツは相続によつて取得した四三三、九三八円および慰藉料二〇〇、〇〇〇円の合計六三三、九三八円の損害賠償債権中二八三、九〇四円を、原告秋太郎は相続によつて取得した一七三、五七五円と葬儀費三三一、一〇二円および慰藉料八〇、〇〇〇円との合計五八四、六七七円の損害賠償債権中二六一、八四四円(うち葬儀費分一四八、二八二円)を、その余の原告らは相続によつて取得した各一七三、五七五円と慰藉料各八〇、〇〇〇円を合計した各二五三、五七五円の損害賠償債権中各一一三、五六三円をそれぞれ請求し(但し、原告秋太郎については、葬儀費のうちの一四八、二八二円を求めるほか、その余の請求額一一三、五六二円についてはまず相続債権をもつてその理由のないときは慰藉料をもつてこれに充つるまで請求するものであり、その余の原告については、各自の請求額に充つるまでまず相続債権をもつてその理由のないときは慰藉料を順次請求する)、かつ原告秋太郎はその請求額中葬儀費分を除く一一三、五六二円については損害発生の日の翌日である昭和三三年一一月二二日以降葬儀費分一四八、二八二円に対しては本件訴状送達の翌日である昭和三四年八月八日以降、その余の原告らは各請求金額に対する右昭和三三年一一月二二日以降それぞれ完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を併せ請求する。

と述べ、被告の抗弁五記載の事実を否認し、

もし浦島運転の貨物自動車と源治塔乗の自転車の進行方向が互に直角をなしていたとすれば自輪車の前輪は貨物自動車の下敷きになる筈であるのにかかる事実のないこと、前記のような両者の接触部位、源治の握つていた自転車のハンドルが約四五度左に旋回していることおよび源治が倒れた自転車の下に転倒していることからみて判るように、源治は農道からそのまま県道を横断しようとしたのでなく、源治が浦島運転の貨物自動車の進行を認めて県道左端を貨物自動車と略同一方向を進んでいたところを貨物自動車が後方から衝突してきたものであるから、源治には過失はない、と付陳し、

証拠(省略)

被告は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、答弁として

一、請求原因一記載の事実中、浦島が巾員一〇、二メートルの県道上を世田谷方面から町田方面に向かつて自家用貨物自動車(車輛番号一す三九五九号)を時速四〇キロメートルで運転中その主張の日時場所において県道と直角に交叉している農道から県道にでてきた小林源治の搭乗する自転車と接触して源治が死亡したことは認める。

浦島が貨物自動車の荷台左前角を源治の右乳嘴突起部に突き当てたことは否認する。源治の自転車が農道から県道を横切るように出てきて、その前輪と浦島の貨物自動車の前輪とが衝突したのである。その他の事実は認めない。

二、同二記載の事実中、その県道が前方の見透しの利く直線道路であることおよび接触後貨物自動車が停車するまでの経過は認めるが、その他は争う。

三、同三(一)の(1)記載の事実中、被告の父高田角蔵が代表取締役となり昭和二七年一二月有限会社高田商店を設立しついで組織変更により株式会社となりこれが解散し、株式会社高田誠商店が設立されたが取引停止となり税務署に休業届を提出したこと、被告名義で芝信用金庫西小山支店と当座予金契約がなされていたことおよび被告の年令、被告が高田誠商店の貨物自動車買入れについて連帯保証人となつたこと、同会社の店舗が被告の所有であり同会社がその一部分を使用していたこと、被告がその共同住宅一棟を建築所有したことはいずれも認めるが、その他は争う。

右各会社の営業は父の角蔵、兄の仁、勉らがこれを担当していたものであるし、また高田誠商店が昭和三一年一〇月頃営業を休止してからは仁が同じ営業をなしてきたのであつて、被告はそのいずれの営業にも関与せず、ただ仁が昭和三四年四月右の個人営業を廃止したので、被告はその頃から同じ営業場所で被告を代表者とする大恵興業株式会社を設立し建築資材の販売および機械の製作販売を行つてきているにすぎない。従つて、浦島の使用者および本件貨物自動車の運行者は株式会社高田誠商店ないし角蔵、仁、勉らであつて、被告が浦島を使用していたとか本件貨物自動車を自己の営業のために運行に供していたことは全くないのである。

被告名義の芝信用金庫西小山支店との当座取引契約は角蔵、仁、勉らが被告に無断で被告の名義を使用してなしていたものであるし、かりにこのことが被告の営業関与を推測される一資料となるとしても、被告名義の右取引契約は高田誠商店の設立よりも約半年前の昭和三一年一月に開始され本件事故発生の約半年前の昭和三三年五月に解約されているのであるから、いずれにしても右被告名義の取引契約は事故当時被告が営業に関与していたことを認めるべき資料とはなし難い。

同(一)の(2)記載の事実中、本件貨物自動車に自動車損害賠償責任保険証明書が備付けられていて、同証明書には保険契約者および車輛使用主が被告とされていることおよび本件貨物自動車につき被告名義で保険契約が締結されていることは認めるが、いずれも本件事故後被告に判明したところであつて、右は角蔵が被告名義を冒用して締結したり、保険証明書の備付をなしたものと推測され、これらの事実は被告の全く与り知らないところである。

自動車の運行に関し保険契約の締結、保険証明書の備付が法律上強制されてはいるけれども、契約締結者、自動車保有者又はその表示が真実に合致しているかどうかは特に詮索されないで済むものであるし、またかりにこれが真実に反するものであれば、その契約の効力ないし刑事責任が問題となるだけであつて、信義誠実の原則とか禁反言の法理を援用して被告に責任を問う原告の主張はなんら根拠がなく失当である。

同(二)記載の事実は争う。

四、請求原因四(一)記載の事実中、源治の生年月日および原告らが源治に対する賠償金三〇〇、〇〇〇円を受領したことは認める。源治と原告らとの続柄および源治の所得の点は知らない。その他は争う。

かりに恩給所得があつたとしても、その損失を算定するについては配偶者ハツにその生存中その半額の遺族扶助料が支給される点を勘案しなければならない。

またその主張のように取締役等の給与を得ているとしても、株式会社におけるその任期が原則として一年ないし二年であることに徴し、特段の事情がなければ平均余命中その就任に基く給与等を得るとは断じ難い。

同(二)および(三)記載の事実は争う。

葬儀費用は、これを損害とみることを争わないが、その算定については、人は事故がなくとも必ず死亡することを考慮して額を定めるのが相当であるし、かつ実際に支出した費用中源治および葬儀を営む者の地位資産等に相応しい額に限定すべきである。

またその主張の葬儀費三四一、一〇二円のうち一七四、四〇〇円は香典等の収入によつて賄われているのでこの分を損害とするのは失当である。

五、かりに、被告に損害賠償責任があるとすれば、源治は県道を横断しようとして、農道から県道に進出したのであるが、かかる際には県道上の車輛の有無を注意し衝突の危険のないことを確めて横断すべきであるのに拘らず、これを怠り、進出したため本件事故が発生したのであるから源治にも重大な過失がある。よつて右過失を斟酌して損害額が算定されるべきである。

と述べた。

証拠(省略)

理由

一、衝突事故発生

浦島義博が巾員一〇、二メートルの県道通称世田ケ谷町田線(道路の呼称は成立に争いがない甲第四号証により認められる。)を世田谷方面から町田方面に向かつて自家用貨物自動車(車輛番号一す三九五九号)を運転し、昭和三三年一一月二一日午前八時二〇分頃、川崎市登戸一七二三番地小林留造宅前付近に差しかかつた際右県道と右貨物自動車進路左側に直角に交叉している農道から県道に出てきた小林源治に右貨物自動車を接触させ、これがため源治を転倒させ、同人が即死したことおよび浦島は急停車をしなかつたので自動車は県道上を斜めに驀進し右小林留造の家の一部に接触損壊し同家の庭と生垣とを越え麦畑に突入して右衝突地点から約三〇メートルの地点に停車したことは当事者間に争いがない。

そして右事実と右甲第四号証、成立に争いがない甲第五号証ないし第七号証、同第九号証、同第一一号証ないし第一八号証および証人浦島義博の証言によれば、浦島は右県道上の中央線から車体右端まで約六〇センチメートル(車体中心までは約一、七メートル)の箇所を法定制限速度である時速約五〇キロメートルで右貨物自動車を運転していたところ、折から小林源治が所用で川崎市登戸一七三七番地所在の自宅から出て自転車に乗つて同市登戸一四一五番地所在の長念寺に赴くため巾員約二メートルの右農道から県道に進入するに際して右自動車の進行に気付かずそのまま秒速約二メートルの速さで右県道に進入し右貨物自動車の進路を遮つたこと、浦島は自動車の進路上に進出した源治を約四・五メートル手前で始めて発見し、突嗟に警笛を二度吹鳴して右にハンドルを切つたが間に合わず、源治が県道上に約四メートル余進入した地点で貨物自動車の左側車体を源治の自転車の前車輪と同人の右耳に衝突させて同人を自転車と共に右接触地点から貨物自動車進路左斜前方約五メートルの箇所に転倒させたため、同人は頭蓋底骨折による脳挫傷ならびにシヨツクによつて即死したことが認められる。

原告らは、自転車が貨物自動車の下敷となつていないこと、荷台前角と源治の右耳の接触、自転車は源治の握つていたハンドルが約四五度左に旋回した状態で倒れており、源治がその下に転倒していることから推測すれば源治が県道の左端を町田方向に向かつて数尺位進行していたところを浦島が後方から衝突させたものであると主張するけれども、その主張のような事実から源治が県道の左端を町田方面に向かつて数尺位進行していた事実を推認するにたりないし他に右事実を認むべき証拠はない。なお源治は県道を横断することはあり得ない趣旨の右主張に副うが如き原告秋太郎の供述は当時の源治の行動を推測する域を出ないものであつて事実の認識に基くものではない。

右認定を妨げるにたりる証拠は存在しない。

二、浦島義博の自動車運転上の過失

一般に自動車運転者は、運転中その進路上を注視し衝突の危険を未然に防止すべきであると共に進路付近をも注意し横道から進路上に進出するものの有無及びその者の態勢を確認すべき注意義務を負うものであるから、進路を遮ぎり衝突の危険のある者を発見し機宜に応じて急停車等衝突の危険を避ける措置をなし得る態勢に置きもつて事故の発生を未然に防止すべきである。ところで本件事故発生の現場は見透良好な直線道路であつて、農道から十数米手前には障害物がないので相当距離の手前から農道を見透し得る筈であり、かつ前記のように源治が県道にでてからさらに秒速二メートル位で約四メートル進行した地点で接触していることおよび貨物自動車の速度が秒速約一四メートルであることからみると浦島は少くとも二〇数メートル手前で源治が県道上に進入して来るのを発見できたものということができるから、浦島が衝突現場付近を注視していたならば急停車の措置を講ずる等により衝突の危険を避け得たことは推測するに難くない。しかるに浦島は進路上に進出している源治を四、五米の至近距離で始めて発見したことは、前記のとおりであるから前方の注視を怠つたことは明らかである。

三、被告の損害賠償責任

被告の父角蔵が代表取締役となり昭和二七年一二月建築材料販売を営業目的とする有限会社高田商店を設立したこと、以後原告ら主張の経緯で昭和三一年六月二三日株式会社高田誠商店が設立されたけれども同会社も昭和三二年一〇月二六日手形不渡を出して取引先の芝信用金庫西小山支店との取引を停止され、その頃から高田誠商店としての営業は休止となり、昭和三三年六月には所轄税務署にその旨休業届を出したこと、しかし高田誠商店が営業を休止した後も同一営業所において同種の営業が継続され、その営業に浦島および本件貨物自動車が使用されていたことは当事者間に争いがない。

そして、甲第五一号証の四、五の被告名下の印影は本件記録中の被告宛書証写副本の送達報告書および訴訟代理権委任状の被告名下の印影と近似していることと右の印が被告の父角蔵によつて押捺された趣旨の被告の主張に鑑み右の印は被告の印によつて押捺されたものと認めるべきであり従つて被告作成部分について正しく作成されたものと推定される右第五一号証の四、五(右印が無断で押捺された趣旨の被告本人の供述は措信し難い。なお同五のその余の部分については成立に争いがない)、成立に争いがない同第五〇、第五一号証の各一ないし三によれば被告は自己の名義で芝信用金庫西小山支店と昭和三二年三月から昭和三三年五月一二日まで手形取引契約を結び手形による決済をなしたことが認められるのでこの事実および成立に争のない甲第四四号証ないし第四九号証、第五二号証の一ないし四、乙第一、第三、第四号各証および原告本人小林秋太郎の供述によつて真正に成立したことが認められる同第四三号証の記載と同供述によれば、昭和三二年一〇月高田誠商店が手形不渡のため同会社と同支店との取引が停止され同会社としての営業を休止した後は被告はその営業を引き継いで個人営業としその責任者となつたことが認められる。また甲第二〇号証の被告名下の印影は被告本人の供述によれば被告の父角蔵の印であると認められるが、これと被告が営業の責任者である事実を総合すれば、角蔵は被告を代理し昭和三三年九月一〇日本件貨物自動車に関する自動車損害賠償責任保険契約を締結したと認めるのが相当である。

右事実によれば被告は本件事故当時営業の責任者であつて本件貨物自動車を右営業のために使用しその運転者として浦島を使用し、したがつて浦島は事故当時被告の営業の遂行として右貨物自動車を運転していたものと推認するのが相当である。

右認定に反する証人浦島、被告本人の供述、甲第五、第六、第一一号証の記載は措信し難いところであり他に右認定を左右すべき証拠はない。

なお被告と芝信用金庫との前記当座取引契約は昭和三三年五月一二日に解約された一事をもつて前記認定を覆えし本件事故当時の営業が被告のものでないことを認むべき資料とするに足りない。

してみれば被告は自動車損害賠償保障法第三条に基き源治の死によつて発生した損害を賠償する責任があるものというべきである。

四、損害額

(一)  源治の得べかりし利益喪失による損害

成立に争いがない甲第二一、第二五、第二六号各証、同第五三号証ないし第五五号証、原告秋太郎の供述によつて成立の真正が認められる甲第二二号証ないし第二四号証、同第二七号証ないし第三一号証、同第三三号証ないし第三五号証、同第三六号証の一ないし七および同供述によれば次の事実が認定できる。

(1)  源治の死亡当時の年間勤労収入

(イ) 普通恩給 一二九、三三六円

(ロ) 安田火災海上保険代理店報酬 一四、九三三円

右は総収入二四、八八八円から必要経費九、九五五円を控除した額である。原告は、税額算定についてのみ右必要経費を控除しているのであるが、得べかりし利益算出については実収入を基礎とすべきであるから、右経費は控除さるべきである。

(ハ) 斎藤スレート株式会社および株式会社登戸給油所の各取締役手当

一五〇、八〇〇円

合計 二九五、〇六九円

(2)  右勤労収入に対する所得税額

右(1)の収入のほかに家屋賃貸による不動産収入年間一〇九、一五二円の所得があるので源治の総所得は合計四〇四、二二一円となるところ、請求原因四(1)の(ロ)記載のとおり合計一五八、六四五円の所得控除があるのでこれを差引くと二四五、五七六円となり、この金額につき昭和三三年分所得税簡易税額表により税額を求めると三六、一〇〇円となる(所得税法第一五条。)原告は税額を三四、一一五円と主張するが、その係数は算定方法の誤りにつき採用できない)。そして配偶者の原告ハツにつき不具者控除五、〇〇〇円の税額控除の適用があるのでこれを差引くと、結局総所得四〇四、二二一円に対して課税される所得税額は三一、一〇〇円である。

そこで右税額を基準として総所得金額四〇四、二二一円中の勤労収入二九五、〇六九円に対する税額を計算すると、二二、七〇二円(銭以下切捨)となる。

(3)  源治の生活費

総理府統計局編集の日本統計年鑑(昭和三五年版三七一頁)記載の昭和三四年度全同平均世帯一ケ月間の消費支出によると、請求原因四(一)の(3)記載のとおり、世帯人員四、五六人当りの生活費(うち住居費二、六〇〇円)は二八、九〇二円であるから一人当りでは六、三三八円(銭以下切捨)となるところ、源治が自己所有家屋に居住していることを考慮して一人当りの住居費五七〇円(銭以下切捨)を差引くと、推計による源治の一ケ月平均生活費は五、七六八円で、平均年間生活費は六九、二一六円と推認できる。

そして、右推計を不当とするにたりる証拠はなにもないから、源治の年間生活費は右のとおり認める外はない。

(4)  源治の損害賠償債権

源治は明治二六年九月二四日生(この点は当事者間に争いがない)で事故当時普通健康体の男子であつたから、経験則上なお一一、九一年間の平均余命があつたものと推定できる。そして、斎藤ストート株式会社、株式会社登戸給油所はいずれも源治らが設立したいわば同族会社であつて、その功績および所有株式等からして、その生存中は取締役等に在任しそれによる報酬手当等を得ることが確実視され、かつ特段の事情のない本件では安田火災海上代理店の報酬ならびに源治所有家屋の賃貸による不動産収入を得るものと推定すべきであるから、源治が右平均余命期間中、一年間につき右(1)の勤労収入二九五、〇六九円から(2)の税金二二、七〇二円と(3)の生活費六九、二一六円を控除した二〇三、一五一円を、従つて合計二、四一九、五二八円(銭以下切捨)を得べかりしものであつたと推認するのが相当である。

そこで、これをホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除して一時払額に換算した一、五一六、四七〇円(銭以下切捨)が本件事故により源治が喪失した損害というべきところ、他方原告らは自動車損害賠償保障法に基き源治に対する賠償金三〇〇、〇〇〇円を受領している(これは当事者間に争いのない事実である)ので、右損害額はこれを控除した一、二一六、四七〇円となる。

ところで、自転車に乗り狭い農道から幹線である県道に進入するに当つては県道の交通状態に注意し車輛との衝突の危険を避けるべき義務を負うものというべきところ、前記認定事実によると源治が農道から県道に出る際に本件自動車の進行に注意を尽した形跡が窺えず農道から漫然県道に進出し右自動車の進路を遮つたものと認めるべきであるので、この過失が本件事故の重大な基因となつているというべく、したがつて、損害額算定については右の過失が斟酌さるべきである。

よつて源治の右過失を参酌し被告の賠償すべき額は五〇〇、〇〇〇円に減額するのを相当とする。

(5)  損害賠償債権の相続

原告らと源治との身分関係は原告本人小林秋太郎の供述と弁論の趣旨によつて認められる。

ところで源治の損害賠償債権中には普通恩給の喪失によるそれが含まれているところ、一方原告ハツは配偶者としてその一〇分の五に相当する遺族扶助料(恩給法第七五条一号)の支給を受けているのでこの点を考慮する必要がある。すなわち、普通恩給は本人の公務員としての一定期間の勤務を要件とするものであり、いずれもその実質において本人の労働能力の減損ないし喪失に対する補償としてこれに生計を依存した者の生活保障を目的とするものであると共に他方恩給は法律上本人に支給されるが、実質上は本人ならびにその労働力に頼る家族の生活をも保障するものであることも無視できないので、この点では遺族扶助料とその目的性質を一にしているものとみられるから、遺族扶助料受領者である原告ハツに関する限り、源治の恩給金額の損失を前提として単純に損害賠償債権の相続取得の算定をするにおいては、右恩給喪失分中遺族扶助料で填補される範囲のものは二重に利得する結果となるわけであるから、同原告につき源治の損害賠償債権の相続取得を計算するに当つては、右損害賠償債権に含まれている恩給喪失相当分の損害賠償債権のうちの同原告が相続すべき額が同原告の受領する遺族扶助料によつて補填される分だけはその相続分から控除するのを相当と考える。

従つて、原告ハツは配偶者として源治の損害賠償債権五〇〇、〇〇〇円に対する三分の一の一六六、六六六円の債権を相続することになるところ、右一六六、六六六円中に包含されている恩給喪失分の債権額を前記勤労収入二九五、〇六九円とその収入中の恩給一二九、三三六円との比率を基準として計算すると、七三、〇五三円(銭以下切捨)であるが、同原告は右七三、〇五三円に相当するだけの遺族扶助料によりその損失が補填されるから、同原告の相続分一六六、六六六円からこの額を差引けば九三、六一三円となり、これが同原告において相続取得による損害賠償債権として主張できる額であると解するのが妥当である。

その余の原告らは、いずれも源治の子として前記五〇〇、〇〇〇円の各一五分の二の六六、六六六円(銭以下切捨)の各損害賠償債権を相続したことは当然である。

(二)  原告秋太郎の葬儀費出捐による損害

同原告は葬儀費用として三三一、一〇二円を支出したと主張し、前出甲第三〇号証、同原告の供述により成立の真正が認められる甲第三二号証と同供述に徴すれば、同原告は香奠返しとしての出費一〇〇、〇〇〇円および葬儀料その他葬儀に通常必要とされる費用二四一、一〇二円を支出したことが認められ、これを左右するにたりる証拠は存しない。

ところで、香奠は死亡による損害を填補する趣旨のものでないから、損害と利得との間に相当因果関係を認め難い。従つてかかる香奠の受預に対してなされる香奠返しもまた事故に基く損害とみることはできない。それ故同原告の葬儀費出捐による損害は右の葬儀料等の二四一、一〇二円と認めるべきである。

被告は源治および原告らの地位相当の葬儀費に限定すべきであるというが、源治の前記地位収入等からみれば右程度の葬儀費用は社会通念上当然の出捐と考えられる。

しかしながら、源治には前認定のような過失があるから、これを斟酌するときは被告の賠償すべき額としては九〇、〇〇〇円とみるのが相当である。

(三)  原告らの慰藉料

原告ハツは配偶者としてその夫を、その余の原告らは子として父を失つて精神的苦痛を受けたことは想像するに難くないところ、源治の死につき被告は香奠一、〇〇〇円を供えたのみで他に特段慰藉の途を講じてはいないことが前掲甲第四七号証と被告本人の供述によつて認められ、しかしその経済状態に関しては被告は多額の債務を負担しその経営ないし生活は余裕のないことが前掲甲第五二号証の一ないし四と同供述で推測されるので、この事実と本件事故の態様、浦島と源治の過失の程度その他本件口頭弁論に顕われた諸般の事情を勘案し、原告らの苦痛を慰藉するには、原告ハツに対し一〇〇、〇〇〇円、その余の原告らに対してはいずれも各五〇、〇〇〇円を賠償するのが至当である。

五、してみると、被告は、原告ハツに対し相続取得の九三、六一三円と慰藉料一〇、〇〇〇円とを合計した一九三、六一三円と原告秋太郎に対し相続取得の六六、六六六円と葬儀費九〇、〇〇〇円および慰藉料五〇、〇〇〇円との合計二〇六、六六六円と、その余の原告らに対し相続取得の六六、六六六円と慰藉料五〇、〇〇〇円を合算した各一一六、六六六円ならびに右各合計金員(但し、原告秋太郎の分については葬儀費九〇、〇〇〇円を除く一一六、六六六円)に対する損害発生の日の翌日である昭和三三年一一月二二日以降、原告秋太郎の右葬儀費九〇、〇〇〇円については訴状送達の翌日であることが記録により明らかな昭和三四年八月八日以降それぞれ支払済みまで民事法定利率年五分の割合による各遅延損害金をそれぞれ併せ支払う義務があるといわなければならない。

よつて、原告ハツ、同秋太郎の各請求は右の各限度では理由があるからこの限度ではそれぞれ正当として認容し、その余は失当としてこれを棄却すべきものとし、その余の原告らの各請求は全部理由があるのでこれを正当として認容し、訴訟費用について民事訴訟法第八九条第九二条を適用して、主文のとおり判決する。

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