東京地方裁判所 昭和34年(ワ)8684号 判決 1961年5月12日
原告 西沢義輔
原告 西沢せん
右両名訴訟代理人弁護士 平井良雄
被告 五十嵐貿易株式会社
右代表者代表取締役 五十嵐義昌
被告 日比谷株式会社
右代表者代表取締役 日比谷平左衛門
右両名訴訟代理人弁護士 釣木於用
主文
原告等の請求を棄却する。
訴訟費用は原告等の負担とする。
事実
≪省略≫
理由
(争のない主要事実)
原告等が本件土地の所有者であつて、被告五十嵐貿易に対して右土地を建物所有の目的で賃料月額八、九二〇円で賃貸し、同被告が右地上に本件建物を所有し、被告日比谷が右建物を占有使用していることは当事者間に争なく、また、原告等と被告五十嵐貿易との本件土地の賃貸借に関し、本件建物の所有権が第三者に移転したときは右の賃貸借は当然失効し、また、被告五十嵐貿易が無断で賃借権を他に譲渡、転貸したときは無催告で賃貸借を解除され、直ちに本件土地を明渡すべき旨の特約の存することも当事者間に争がない。
(被告五十嵐貿易と訴外横浜地所及び帝国人絹間の本件建物の所有権移転関係について)
(1) 証人亀本久次郎、被告五十嵐貿易代表者五十嵐義昌の各供述及びこれらによつてその成立を認めることのできる乙第五号証の一、二、同第一ないし第四号各証を綜合すると、被告五十嵐貿易は訴外横浜銀行に対し一億数千万円の負債があつたので、右銀行の要求により同銀行の子会社であつて実質上同銀行の不動産部にあたる訴外横浜地所に対し、昭和二八年八月二八日本件建物及びその敷地たる本件土地の賃借権を代金四三五万八、七〇〇円と定めて買戻条件附で売渡し、右代金と対当額において負債の一部を決済し、同月三一日本件建物につき売買による単純な所有権移転登記をなし(この登記の点は当事者間に争がない)、昭和三三年六月一二日に一部内入額を差引き代金三七〇万円でこれを買戻したものであること、被告五十嵐貿易は本件建物及び敷地賃借権を横浜地所に売渡した後も従前どうり本件建物を自から使用し、昭和三三年三月以降は被告日比谷に本件建物の一部を賃貸して自からその賃料を収受し、建物の修繕も自からの負担においてこれを行い、その敷地たる本件土地の地代についても昭和二九年四月から三二年四月までの間に四回にわたつて原告義輔と自から値上げの協定を結んでこれを支払つている(この点は当事者間に争がない)ものであつて、横浜地所は前記買受後も本件土地建物を全然使用せず、被告五十嵐貿易から前記売買代金四三五万八、七〇〇円に対する利息として合計一九八万三、二〇八円を収受し、かつ本件建物に対する固定資産税、都市計画税及び火災保険料については被告五十嵐貿易をしてこれを自己に償還せしめていたものであることが認められ、
(2) また証人亀本久次郎、田宮潔、被告五十嵐貿易代表者五十嵐義昌の各供述及びこれらによつてその成立を認めることのできる乙第九号証の一ないし三、同第六号証、同第五号証の二を綜合すると、被告五十嵐貿易は訴外帝国人絹に対して昭和三三年八月一日七、七七七万七、一〇九円の債務のあることを確認し、右債務の一部決済にあてるため横浜地所から買戻した本件建物及び本件土地の賃借権を神戸市所在の土地建物とともに買戻条件付で代金合計一、八五一万五、〇五〇円で売渡し、中間省略の方法により横浜地所から直接帝国人絹へ本件建物の所有権移転登記(この登記が単純な所有権移転登記であることは弁論の全趣旨により明らかである)をし、昭和三五年二月一七日本件建物及び本件土地の賃借権を代金一、二五二万一、八〇〇円で買戻し、同月二四日被告五十嵐貿易において所有権移転登記をうけた(この点は当事者間に争がない)ものであることが認められ、また、前記両証人と被告会社代表者の供述によれば、訴外帝国人絹は本件土地及び建物を全然使用せず、専ら被告五十嵐貿易においてこれを使用収益し、本件土地の地代も従前どうり同被告において支払つてきたものであることが認められる。もつとも、成立に争のない甲第五号証、同第八、第三、第四号証の各一、二及び乙第一〇号証と原告西沢義輔、証人田宮潔及び被告五十嵐貿易代表者五十嵐義昌の各供述を綜合すると、被告五十嵐貿易は昭和三三年八月頃原告義輔に対して本件建物を帝国人絹に売渡すことにつき地主としての承諾を求めたがその承諾を得られなかつたこと、原告義輔はその後登記所で調査の結果本件建物が売買により被告五十嵐貿易から横浜地所へ、横浜地所から帝国人絹へ順次所有権移転の登記がなされていることを発見し、本件土地の賃貸借は冒頭掲記の特約により横浜地所への所有権移転によつて既に失効したものとして被告五十嵐貿易に対してその不信を責め、同被告からは地代の増額と帝国人絹からの買戻によつて事態を解決したい旨の申入れがあつたがこれを容れず、昭和三四年八月被告五十嵐貿易に対し昭和二八年八月末日以降の地代は錯誤によつて地代として受領したものであるからこれを損害金に充当する旨を通知し、訴外帝国人絹に対しては建物収去による土地明渡を求め、次いで本訴を提起したので、帝国人絹は被告五十嵐貿易の再建を援助するため借替の方法によつて本件建物及び賃借権を前記のとおり同被告に売戻したものであつて、被告五十嵐貿易はその後も約定の地代を提供していることが認められる。
他に右の認定を左右するに足る資料はない。
右に認定したところからすれば、本件建物は原告等の主張するように被告五十嵐貿易から横浜地所へ、横浜地所から帝国人絹へ帝国人絹から再び被告五十嵐貿易へ順次単純に売渡されたものではなく、被告五十嵐貿易が買戻条件付で横浜地所へ売渡し、横浜地所からこれを買戻して同じく買戻条件付で帝国人絹へ売渡し、さらにこれを買戻したものであつて、本件土地の賃借権も本件建物の所有権に随伴して転々譲渡されたものであるが、本件土地建物は終始被告五十嵐貿易において使用収益し、横浜地所や帝国人絹がこれを使用したことはなく、地代も同被告において支払つていたものであつて、本件土地の賃貸借については賃借権が譲渡されていたにもかかわらず事実上の面においては譲渡以前と少しも差異のない状態で経過し、すでに今日においては旧状に復しているものといつて差支えない。そして、これらの事実から推せば、前記二つの買戻条件付売買は亀本、田宮両証人の証言及び被告五十嵐貿易代表者の陳述にあるように専ら債権担保の目的をもつてなされたものであると認めるのが相当であり、本件建物の所有権も本件土地の賃借権も外部的にはそれぞれ横浜地所と帝国人絹に移転したが内部関係においては依然として被告五十嵐貿易に保有されていたものと解するのが相当である。
(原告等の主張の当否について)
原告等と被告五十嵐貿易との本件土地の賃貸借については被告において本件建物の所有権を第三者に移転したときは賃貸借は当然に失効し、被告が賃借権を他に譲渡した場合は催告を要せずにこれを解除できる旨の特約があることは冒頭認定のとおりである。そして、原告等は右特約によつて本件賃貸借はすでに失効し、仮りに失効しないとしてもこれを解除できるものであるという。よつて、前段認定の事実関係をもとにして原告等の主張の当否を検討する。
被告五十嵐貿易が本件建物の所有権を第三者に移転したときは本件賃貸借は当然に失効する旨の特約は、被告五十嵐貿易が右建物を第三者に譲渡し、その第三者が所有者として右建物を使用収益するに至つた場合を予定した条項であると解するのが相当である。被告等は右特約は賃借権の存続期間を定めた借地法第二条の規定に反するものであつて同法一一条によつて無効であるというが、この特約は直接に存続期間の定めを排除するものではないし土地の賃借人がその所有に係る地上建物を他に譲渡し、第三者が代つてこれを使用収益するに至つた場合は建物の所有を目的とする土地の賃貸借はその目的が失われることになるし、しかも敷地の賃借権も第三者に譲渡されることになるので、当事者がかかる場合に備えて前記の特約を結ぶことは十分合理的根拠のあることであつて、借地法が存続期間を法定した趣旨に反するものではないからこれを無効と解すべき理由は少しもない。ただ、土地の賃借人が地上建物の取毀や移築を目的としてこれを他に譲渡したような異例の場合には前記特約はその適用がないものと解しなければならない。蓋し、この場合には賃借人は引続いて建物所有の目的で土地を使用できる関係にあるし、敷地賃借権の譲渡も生じないからである。ところで、本件の場合には、前段認定のように被告五十嵐貿易は債権担保の目的で買戻条件付で本件建物を横浜地所と帝国人絹に売渡し、内部関係においてはその所有権を留保して自からこれを使用収益し、しかも買戻権を行使して何時にても、その所有権を回復し得る地位にあつたのである。地主たる原告等はいわゆる第三者として外部関係に立つ者であるから、原告等に対する関係では本件建物が第三者に移転した場合にあたること勿論であるが、右の買戻条件付売買はその実質において抵当権を設定した場合とさして択ぶところのないものであるから、これを前記特約にいう建物所有権の移転にあたるとすることは相当でない。仮りに所有権の移転にあたると観るとしても、被告五十嵐貿易はすでにこれを買戻しているのであるから、この場合にもなお前記特約による賃貸借の失効を主張して建物収去土地明渡を求めることは、前段認定の事実に徴し、信義則に反し権利の濫用にあたるものとしなければならない。
また、原告等は被告五十嵐貿易は原告等に無断で本件土地の賃借権を横浜地所と帝国人絹に譲渡したから本件土地の賃貸借を解除するというが、この点に関する判断もほぼ右と同断である。建物譲渡の場合と同様に、原告等に対する関係では賃借権の無断譲渡があつたと観なければならないが、内部関係においては賃借権は被告五十嵐貿易に留保されていて、同被告において引き続き本件土地建物を使用し、その地代を支払つていたのであるから、本件土地の賃貸借は事実上従前のそれと差異がなく、しかも買戻によつて賃借権はすでに被告五十嵐貿易に復帰しているのであるから、右の賃借権の譲渡をもつて解除原因を構成する不信行為に該当するとみることは相当でない。
原告等は、買戻の点については登記がないから被告等は買戻条件付売買なることをもつて原告等に対抗できないというが、原告等は敷地の賃貸人であるに止まり、本件建物については取引関係に立つ者ではないから登記の欠缺を主張できる地位にある者ではない。よつて、右の主張も採用できない。
なお、被告等は買戻権は解除権の留保であつて、買戻権が行使された場合には売買契約なかりし原状に当然復帰するのであるから、被告五十嵐貿易が買戻権を行使した以上、原告等は本件建物の売買を理由として賃貸借の失効を主張したり、その解除を主張することはできないというが、買戻条件付売買にもさまざまな態容のものがあるし、それが債権担保の目的でなされた場合でも、買主が所有者として長期間にわたり買受建物の使用収益を継続した後に売主がこれを買戻したような場合には賃貸人に対して特約にもとづく失効の主張を制限したり、解除権の行使を禁じたりする理由はないと考えられるので、被告等の右主張はいちがいにこれを採用できないものであることを附記しておく。
(むすび)
右のとおり、原告等と被告五十嵐貿易との本件土地の賃貸借が終了したことを理由とする原告等の本訴請求は爾余の判断をするまでもなく失当なので、これを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 石井良三 裁判官 立岡安正 三好清一)