東京地方裁判所 昭和34年(ワ)8967号 判決 1962年6月30日
判 決
栃木県足利市大町一丁目四百九十九番地
原告
平井和夫
右訴訟代理人弁護士
旦良弘
東京都江戸川区東小松川三丁目三千五百七十七番地
被告
佐久間保治
右訴訟代理人弁護士
宍道進
右訴訟復代理人弁護士
柿沼映二
同
松村正康
右当事者間の昭和三四年(ワ)第八、九六七号損害賠償等請求事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。
主文
被告は、原告に対し、金四十三万四千七百九十七円六十銭、および、うち金十五万円については昭和三十三年十一月十六日から、うち金二万円については昭和三十四年十二月二十四日から、その余については昭和三十四年十一月十六日から、それぞれ支払ずみに至るまで、年五分の割合による金員の支払いをせよ。
原告のその余の請求は、棄却する。
訴訟費用は、これを三分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
この判決は、第一項に限り、仮りに執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
原告訴訟代理人は、「一 被告は、原告に対し、金五十九万一千二百四十八円、および、これに対する昭和三十四年十一月十六日から支払すみに至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。二 被告は、原告に対し、別紙第一目録記載の謝罪広告を各一回掲載せよ。三 訴訟費用は、被告の負担とする。」この判決および、第一項につき仮執行の宣言を求め、右第二項に対する予備的請求として、「被告は、原告に対し、金二十万円、および、これに対する昭和三十三年十一月十六日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。」この判決を求め、被告訴訟代理人は、「原告の請求は、棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」この判決を求めた。
第二 当事者の主張
(請求の原因)
原告訴訟代理人は、請求の原因等として、次のとおり述べた。
一 原告は、足利市内において、盛大に、家庭台所用品である金属器具の製造販売を営んでおり、昭和三十三年一月当時、別紙第二目録記載の鍋敷を製造販売していた。
二 被告は、原告の製造販売していた右鍋敷(以下「本件鍋敷」という。)の意匠が、被告の有する登録意匠第一一〇七四四号の意匠(以下「本件登録意匠」といい、類似一号、同二号を含めて「本件各登録意匠」という。)、同号の類似一号、同二号の意匠に類似するとして、本件登録意匠権に基く差止請求権を被保全権利とし、原告を債務者として、宇都宮地方裁判所足利支部に仮処分命令の申請をし(同庁昭和三十三年(ヨ)第二号意匠権侵害仮処分事件、以下「本件仮処分」という。)、昭和三十三年一月二十七日原告が製造販売中の前記鍋敷の製造、販売、領布を禁止し、原告の占有する右鍋敷を執行吏保管に移す旨の仮処分命令を得、右命令は同日原告に送達されたが、被告は、即日右命令に基き、原告の占有する前記鍋敷百九十四個について、これを執行吏の保管に移す旨の仮処分の執行をした。
三 しかしながら、本件鍋敷の意匠は、被告の有する本件各登録意匠に類似するものではなく、このことは、次のとおり確定し、もはや、これを覆すべき何等の法的手段もないのである。すなわちち、
(一) 被告は、昭和三十三年四月二十二日、特許庁に、原告の前記鍋敷が本件登録意匠の類似二号の権利範囲に属する旨の確認審判を求めた(昭和三三年審判第一六八号)が、特許庁は、昭和三十四年九月三十日、被告の申立は成り立たない旨の審決をし、この審決は同年十一月十一日確定した。
(二) 原告は、昭和三十一年三月三十日登録にかかる意匠第一一九二五六号の権利者であるが、本件鍋敷の意匠は、右登録意匠に類似するものであり、このことは、本件鍋敷の意匠が、昭和三十二年十二月三十日の出願に基き、昭和三十三年四月二十八日右意匠第一一九二五六号の類似一号として、また、昭和三十三年三月二十九日の出願に基き、昭和三十四年二月二日、同じく類似二号としてそれぞれ登録されたことからも明らかである。
(三) 被告は、原告の有する右登録意匠第一一九、二五六号について、これが本件登録意匠に類似するとの理由で、昭和三十三年四月二十二日、特許庁に、原告の右意匠の登録を無効とする旨の審決を求める申立をした(昭和三十三年審判第一六九号)が、特許庁は、昭和三十四年九月三十日、被告の申立は成り立たない旨の審決をし、この審決は、同年十一月十一日確定した。
(四) 被告は、原告に対し、昭和三十三年四月三十日、宇都宮地方裁判所足利支部に、本件仮処分につき本案の訴を提起(宇都宮地方裁判所足利支部昭和三三年(ワ)第五八号)したが、昭和三十六年五月二十日、右訴を取り下げた。
(五) 原告は、本件仮処分命令に対し、昭和三十三年二月六日、同支部に異議の申立をし(同庁昭和三三年(モ)第一五号仮処分異議事件)、同裁判所は、同年五月六日、本件仮処分命令を取り消し、被告の申請を却下する旨の判決を言い渡したところ、被告は、右判決に対し、東京高等裁判所に控訴の申立をした(同庁昭和三三年(ネ)第九六号仮処分異議控訴事件)が、昭和三十三年十二月二十日、控訴棄却の判決があり、この判決は昭和三十四年一月七日確定した。
しかして、本件仮処分の被保全権利は、本件鍋敷の意匠が本件各登録意匠に類似することを前提とする差止請求権であるから、結局、被告は、被保全権利なくして仮処分の申請をし、その執行をしたものであり、本件仮処分の執行は違法といわなければならない。
四 被告は、本件鍋敷の意匠が本件登録意匠に類似せず、したがつて、差止請求権が存在しないことを知り、したがつて、本件仮処分が違法であることを認識していたか、少くとも、過失によつてこれを知らず、本件仮処分をしたものである。すなわち、被告は、本件仮処分申請にさきだち、昭和三十二年十二月二十三日付内容証明郵便をもつて、原告に対し、権利侵害を理由として製造中止および損害賠償の要求をしてきたので、原告は弁理士早川潔に鑑定を求めたうえ、同人を代理人として、同年十二月二十八日付内容証明郵便をもつて、本件鍋敷が原告の有する登録意匠第一一九、二五六号の権利の実施品であり、本件登録意匠第一一〇、七四四号に類似しない旨の回答をしたのであるから、被告としては本件鍋敷の意匠が本件各登録意匠に類似しないこの認識を得るに至つたか、あるいは少くとも類似するか否かについて、この種意匠に関する登録類例、審決例および判決例等により、さらに、調査研究すべき注意義務を負うに至つたにかかわらず、被告はその鑑定を依頼した弁理士の意見を過信し、右注意義務を果さすに、本件仮処分に及んだものである。
五 原告は、本件仮処分の執行により、昭和三十三年一月二十七日から、その執行が解放された昭和三十三年六月三日まで、本件鍋敷の製造販売をすることができなかつたが、原告は、昭和三十二年十一月に千九百五十六個、同十二月に二千六百四十個、昭和三十三年一月には二十七日までに千百十個の本件鍋敷を製造販売していたものであり、その後は従来より多量に販売する計画であつたから、もし本件仮処分がなければ、同年二月一日から五月三十一日までには、少くとも、前年十二月の製造販売量の四倍、すなわち、一万五百六十個を製造販売できた筈であり、さらに、本件鍋敷には大型、中型、小型の三種があり、その販売単価、原価および販売利益は別表(一)のとおりであるが、販売価格が一番低くしたがつて利益も少ない小型についてみても、販売価格は一個につき金九十円、利益は金三十七円五銭であり、これによつて計算すれば、一万五百六十個では少くとも合計金三十九万一千二百四十八円の利益をあげうべかりしところ、被告の本件仮処分によりこの得べかりし利益を失つたものであるから、損害賠償として、同額の金員、および、これに対する不法行為の後である昭和三十四年十一月十六日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
六 被告は、前記のとおり、本件鍋敷の意匠が本件各登録意匠に類似しないことを知り、または、過失によりこれを知らずして、本件仮処分命令の申請ならびに、前記三(一)および(三)の審判申立をし、これら各手続において原告を攻撃したので、原告は、これらに応ずるため、別表(二)のとおりの出費を余儀なくされたが、右出費は、被告の違法な仮処分申請、審判申立およびその手続における攻撃によるものであるから、被告に対し、右出費の総計金額二十万円、および、これに対する不法行為の後である昭和三十四年十一月十六日から支払ずみに至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
七 原告は、本件仮処分命令の執行によつて、次のように、その名誉、信用を毀損されたが、これによる精神的苦痛は、経営者としての原告にとつて、甚だ大きく、金銭で償いえないものである。
(一) 突然の仮処分執行による出荷停止のため、得意先からの種々の抗議が持ち込まれ、原告の信用は著しく失墜した。
(二) 仮処分の結果として、仮処分前取引をしていた主な取引先十六店のうち、カクヨシ商店、平沢商店の二店を除くすべての取引先との取引が停止され、今日に及んでいる。
(三) 原告の工員、従業員に対する経営者としての権威を失墜させられた。
(四) 仮処分の執行を受けたことにより、近隣の居住者に、原告に対する悪印象を与えた。
(五) 原告が研究の結果考案した登録意匠第一一九、二五六号の実施としての本件鍋敷の製造販売を意し止められたことにより、右研究における精神的労苦を水泡に帰せしめられた。
(六) 右のほか、仮処分執行により本件鍋敷の製造、販売ができないでいた期間中、原告は、筆舌に尽せない苦労をした。
(七) しかして、被告は仮処分執行後、原告が販売することができないため各店舗が需要を満しきれず困却しているのを奇貨として、原告と従来取引のあつた佐藤商店、丸木金物株式会社、株式会社杉下商店、中沢商店等に、被告製造の鍋敷を売り込んで今日に及んでいる。
よつて、原告は、その名誉、信用を回復するため、請求の趣旨第二項の謝罪広告の掲載を求める。
八 右謝罪広告の請求が理由がない場合は、原告は、予備的に、本件仮処分によつて原告の蒙つた精神的損害の賠償を求めるものであるが、その額は前記原告の経歴、地位、職業、および、本件仮処分に伴う前記諸事情からみて金百万円を相当とするので、内金二十万円およびこれに対する不法行為の後である昭和三十三年十一月十六日から支払すみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
九 なお、電話加入権、失業保険届出人、事業税の納入者等の名義人がいずれも被告主張のとおりであることは争わないが、電話加入権は、原告が実質的権利者であり、各税金は原告が実質的に負担しているものであり、原告が営業者である。
(答弁および被告の主張)
被告訴訟代理人は、答弁等として、次のとおり述べた。
一 請求の原因第一項の事実は否認する。原告の肩書地で家庭台所用品である金属器具の製造、販売を営んでいる者は、原告ではなく、原告の父平井伊吉である。このことは、次の各事実により明らかである。
(一) 右営業に供されている電話足利二、八〇七番の電話加入権は平井伊吉に属し、同人の名義となつていること。
(二) 平井伊吉は、足利公共職業安定所に対し、昭和三十五年十一月二十一日付で、営業上必要な失業保険届出をしているが、原告は失業保険届出をしていないこと。
(三) 平井伊吉は、昭和三十四年八月付で、営業上必要な労災保険適用届をしているが、原告は右届をしていないこと。
(四) 平井伊吉は、所得税、固定資産税、および、前記営業に関する事業税を納入しているが、原告は、名義上も実質上も、この種の税金を負担していないこと。
二 請求の原因第二項の事実中、原告が本件鍋敷を製造、販売していたことは否認し、その余は認める。
三 同第三項の事実中、(一)、(三)および(五)の各事実、(二)のうち、原告が、登録第一一九二五六号ならびに、同号類似一号、および同二号の意匠権を有すること、ならびに、(四)のうち、原告主張のとおり本案の訴を提起したことは、いずれも認めるが、その余の事実は否認する。
右(一)の確認審判における審決は、なんら裁判所を拘束する力をもたないから、右審決があつたからといつて、本件鍋敷が原告の有する登録第一一九、二五六号の意匠の範囲に属することにはならない。また、(三)の無効審判の対象となつたのは、登録第一一九、二五六号意匠の類似一号についての登録無効であり、本件鍋敷とは、なんらの関係もない。さらに、(五)の仮処分異議控訴事件についての判決も、本件について、なんらの拘束力を持つものではない。
四 請求原因第四項の事実中、被告が原告に原告主張のとおりの内容証明郵便を出したこと、および、原告から被告に、原告主張の日付の内容証明郵便が送達されたことは認める(内容は除く。)が、その余の事実は否認する。
仮りに、本件鍋敷が本件意匠の範囲に属しないとしても、被告は、本件仮処分申請以前に、弁理士野呂英一、同笠井保、同長谷部福治、および、同優美に対し、それぞれ、鑑定を求め、そのいずれからも、本件鍋敷は本件意匠の範囲に属するとの鑑定を得ており、右鑑定者はいずれも弁理士として三十年以上の経験を有し、とくに、弁理士は工業所有権、意匠ならびに商標に関する理論および実務の権威者であつたため、その鑑定に誤りはなく、したがつて、本件鍋敷は本件意匠に類似するとの確信を持つて本件仮処分に及んだものであり、被告が右のように確信するに至つたこと、したがつて、本件仮処分をしたことについて、なんらの過失もなかつたものである。
五 請求の原因第五項の事実中、仮処分の執行が解放されたことは認めるが、その余は否認する。
六 同第六項から第八項の事実は、いずれも否認する。
第三 証拠関係(省略)
理由
(営業主体について)
一 (証拠)を綜合すれば、原告の父平井伊吉は、埼玉県羽生市において、金物の行商を営んでいたが、昭和二十九年頃、病気のため営業を継続できなくなつたところ、たまたま大学を卒業した原告が、二人の弟の世話をするに足る収入を得る必要もあつて、他に就職せずに、父の仕事を継いでみずから同種の営業をすることとし、営業のための土地建物も、原自身が物色して肩書地のものに定め、父伊吉の支出した資金により右土地建物を購入し、爾来、同所において、数人の雇人を使用し、家庭台所用品である金属器具の製造、販売を行い、昭和三十二年秋頃からは本件鍋敷をも製造、販売していたものであり、営業に関する取引の折衝、使用人への賃金払い等は一切原告が行い、父伊吉を含めて家族全部の生活費は原告が支出し、取引先にも原告が営業主として通つており、一方父伊吉は、病弱のためまつたく右営業には関与しておらず、したがつて、右営業は原告が行つていたものであることが認められる。もつとも、右営業に使用している電話の加入権者、営業上必要な失業保険届出人、同じく労災保険届出人、ならびに、所得税、固定資産税、および、事業税の納入者が、いずれも、父伊吉の名義となつていることは当事者間に争いがないが、前掲各証拠によれば、伊吉はすでに前記土地建物を原告に贈与したものであり、また、原告は、近く株式会社を設立してこれに営業上の諸名義を移すつもりでいる関係もあつて前記各名義を父伊吉のままにしていることが認められるので、この名義の点は前記認定と両立しえないものではなく、他に前記認定を覆すに足る証拠はない。(このように、原告が営業主体であればこそ、被告も、原告に対して、後記のとおり本件仮処分をし、原告もそれによつて製造、販売を差し止められたのであるといえよう。)
(本件仮処分の申請、執行等について)
二 被告が、本件鍋敷の意匠が被告の有する本件各登録意匠に類似するとして本件登録意匠権に基く差止請求権を被保全権利とし、原告を債務者として、宇都宮地方裁判所足利支部に本件仮処分命令の申請をし、昭和三十三年一月二十七日、原告に対し、本件鍋敷の製造、販売を禁止し、原告の占有する本件鍋敷を執行吏保管に移す旨の仮処分命令を得同日右命令は原告に送達され、さらに即日、右命令に基き、原告の占有する右鍋敷百九十四個について執行吏の保管に移す仮処分の執行をしたことは、本件当事者間に争いがない。
(意匠の類否等について)
三 次の各事実は、本件当事者間に争いがない。
(一) 被告は、昭和三十三年四月二十二日、特許庁に、本件鍋敷が本件登録意匠の類似二号の権利範囲に属する旨の確認審判を求めた(昭和三三年審判第一六八号)が、特許庁は、右昭和三十四年九月三十日、被告の申立は成り立たない旨の審決をし、この審決は確定したこと。
(二) 原告は、昭和三十一年三月三十日登録にかかる意匠第一一九、二五六号、同三十二年十二月三十日出願、同三十三年四月二十八日登録にかかる右意匠の類似一号意匠、および、同年三月二十九日出願、同三十四年二月二日登録にかかる同じく類似二号意匠の権利者であること。
(三) 被告は、原告の有する右登録意匠第一一九、二五六号について、これが本件登録意匠に類似するとの理由で、昭和三十三年四月二十二日、特許庁に、原告の右意匠の登録を無効とする旨の審決を求める申立をした(昭和三十三年審判第一六九号)が、特許庁は、昭和三十四年九月三十日、被告の申立は成り立たない旨の審決をし、この審決は確定したこと。
(四) 被告は、原告に対し、昭和三十三年四月三十日、宇都宮地方裁判所足利支部に、本件仮処分につき、本案の訴を提起(宇都宮地方裁判所足利支部昭和三三年(ワ)第五八号)したこと。
(五) 原告は、本件仮処分命令に対し、昭和三十二年二月六日、同支部に異議の申立をし(同庁昭和三三年(モ)第一五号)、同支部は、同年五月六日、本件仮処分命令を取り消し、被告の申請を却下する旨の判決を言い渡したところ、被告は、右判決に対し、東京高等裁判所に控訴の申立をした(同庁昭和三三年(ネ)第九六号)が、昭和三十三年十二月二十日、控訴棄却の判決があり、この判決が確定したこと。
しかして、成立に争いのない甲第十一号証(登録意匠第一一九、二五六号の類似一号の意匠公報)、および同第十二号証(同号の類似二号の意匠公報)によれば、原告の有する前記(二)の登録意匠第一一九、二五六号の類似一号、同類似二号の各意匠と本件鍋敷の意匠とは、その形状、模様がほぼ同一であることが認められ、また、被告が、前記の本案の訴を取り下げたことは、弁論の全趣旨により明らかである。
以上の各事実、ならびに、いずれもその成立に争いのない甲第六号証、同第八号証から第十号証、同第十八号証および、乙第一号証添付の特許公報二通によれば、本件登録意匠は、これを現わすべき物品である鍋敷の性質上、普通一般人の目に触れる部分であり、かつ本件意匠において、最も観者の注意を引くように構成されている支杆の点に、その要部があり、その部分は内輪と外輪とを細長い数個の剣菱形で放射状に連結された形状、模様をしていて、尖鋭な感覚を与えるものであり、右部分に当るところが内輪と外輪とを半卵円形三個で連絡した形状、模様をしていて軟い感覚を与える本件鍋敷とは、他の部分において共通部分はあるにしても、全体としての意匠効果を異にし、したがつて、本件鍋敷の意匠は本件各登録意匠に類似しないものと断定せざるをえず、これと異る趣旨の乙第一号証から第四号証、および、第五号証の見解は採用しがたく、他に右判断を覆すに足る証拠はない。
(被告の故意、過失について)
四 被告が、本件鍋敷の意匠が本件各登録意匠に類似しないことを知りながら、あえて、本件仮処分をしたとの点については、これを認むべきなんらの証拠がない。
そこで、進んで、過失の有無について判断するに、前説示のとおり、本件各鍋敷の意匠は本件各登録意匠に類似しないものであるから、これが類似することを前提とし本件意匠権に基く差止請求権を被保全権利として本件仮処分をした被告は、特段の事情の認められない限り、過失によつて右仮処分の挙に出たものと推定すべきところ、証人野呂英一の証言、および、被告本人尋問の結果によれば、被告は、原告が本件鍋敷を製造、販売していることを知り、これが本件各登録意匠に類似するか否かについての鑑定を弁理士野呂英一に依頼したところ、同人は一応類似すると思うが、他の専門家にも相談してみるといつて、さらに笠井、長谷部、優美の三弁理士に相談した結果、いずれも抵触するとの意見を得て、その旨を被告に伝えた事実が認められるが、一方、被告から原告に対する権利侵害を理由とする製造中止等の通告に対し、本件仮処分前に、昭和三十二年十二月二十八日付内容証明郵便が原告から被告に到達したことは本件当事者間に争いがなく(証拠)によれば、右内容証明郵便により、原告の代理人である弁理士早川潔は、本件鍋敷が原告の有する登録意匠第一一九、二五六号の権利の実施品であり、本件登録意匠の類似二号に抵触しない旨の回答を被告にしたことが認められ、これに対し、被告において、前認定の事実以外に、さらに問題の意匠の類否につき調査、研究したことを認めるに足る証拠はないのであるから、右認定の事実のみをもつてはいまだ被告の過失を否定しうべき符別事情ありとすることはできず、したがつて、被告は過失により、違法に本件仮処分をしたものといわざるをえない。
(損害賠償―得べかりし利益―の請求について)
五 本件仮処分命令による執行吏保管の執行がなされ、右命令が送達されたことを前記のとおりであるが、これにより、原告は昭和三十三年一月二十七日から、少くとも、本件仮処分の執行が解放された日であることについて当事者間に争いのない昭和三十三年六月三日まで本件鍋敷の製造、販売ができないでいたことは、各各事実および弁論の全趣旨によつて認められる。もつとも、成立に争いのない甲第六号証、および同第七号証によれば、本件仮処分の命令は、昭和三十三年五月六日言い渡された異議の判決により取り消されたが右判決には仮執行宣言が附されておらず、原告の申立により、同年六月二日付の更止決定で仮執行宣言が附せられた関係にあることが認められるが右決定の効力等については疑問なしとせず、したがつて、本件仮処分の内容である不作為命令の効力を何時まで継続していたかについては、必ずしも明らかではないが、いずれにせよ右更正決定の日以前に効力が失われることはなく、また、解放の後は、原告自身が仮処分命令の拘束を脱したとして製造、販売を始めたとみるべきであるから、それ以後は、本件仮処分による損害は考慮されなくてよい筋合である。したがつて、昭和三十三年二月から同年五月までの製造、販売による得べかりし利益を求める原告の請求は右期間の点に関する限りは理由がある。
つぎに右期間内に原告の販売しうべかりし数量について判断するに、原告本人尋問の結果ならびに、同結果によりその成立を認めうべき甲第十六号証の一から十四、同第十七号証の一から六、同第三十号証(商業帳簿であることは争いない。)の一から五十一、および、同第三十一号証の一から八十三によれば、原告は、本件鍋敷を、昭和三十二年十一月中に大型、中型、および小型合計(以下同じ。)千九百五十六個、同十二月中に二千六百四十個、昭和三三年一月には二十七日までに千百十個、それぞれ製造、販売したことが認められ、右に反する証拠はない。しかしながら、原告の主張するように、昭和三十三年二月から原告はより多量に製造、販売をする意図を有していたこと、あるいは、その販売の可能性があつたことについては、これを認めるに足る証拠もなく、かえつて、被告本人尋問の結果によれば、被告の製造にかかる鍋敷についてみても、その売上数は九月から十二月にかけて上昇し、一月以降は下降するものであり、また、昭和三十三年頃からは一般的に下降して来ていたこと、および、被告の鍋敷は、昭和三十二年十月から十二月までは毎月七、八千個の売上があつたが、昭和三十三年一月の売上は二、三千個に過ぎなかつたことが認められ(売上数のこのような傾向は、前認定の原告の売上数によつてもこれをうかがうことができる。すなわち、原告の昭和三十三年一月の売上数は二十七日までに千百十個であり、これを三十一日間に換算しても約千二百六十三個にすぎず、これを、前年十二月の売上数に比較すると約四割八分弱に当るからである。)これらの各事実をあわせ考えれば、昭和三十三年二月一日から同年五月三十一日までに原告の販売し得たであろう本件鍋敷の数は原告主張のように、昭和三十二年十二月の売上数の四倍である一万五百六十個にまで達するものとは到底認めることはできず、右期間を平均して一か月当り右十二月の売上の四割にあたる千五十六個、期間中の合計数は四千二百二十四個と認めるのが相当である。
しかして、右数量の販売による利益については、原告本人尋問の結果、ならびに、同結果によりその成立を認めうべき甲第二十四号証および、前掲甲第三十一号証の一から八十三によれば、本件鍋敷には大、中、小の三種があり、これらの販売価格および型代、営業費を除く原価は別表(一)のとおりであり、販売利益は一個当り、大型は金六十三円三十九銭、中型は金四十八円七十四銭、小型は金三十六円十五銭であることが、それぞれ認められ、右に反する証拠はない。
以上の事実によれば、昭和三十三年二月一日から同年五月三十一日までに、原告が失つた得べかりし利益は、(大型、中型および、小型の各販売数量の主張がない以上、小型を標準として計算せざるをえないから、)金三十六円十五銭に前認定の販売総数を乗じた金十五万二千六百九十七円六十銭となるから、原告のこの点に関する請求は、右金額およびこれに対する不法行為の後である昭和三十四年十一月十六日から支払ずみに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があり、その余の部分は失当というほかない。
(損害賠償―弁護士報酬等―の請求について)
六 被告が、本件仮処分の申請をして仮処分命令を得てこれを執行し原告が右命令に対し異議申立をした結果、右命令を取り消す旨の判決があり、被告が右判決に対し控訴したこと、被告が原告を被請求人として、特許庁に、前記三の(一)のいわゆる確認審判および同(三)のいわゆる無効審判を請求したこと、ならびに、右仮処分申請および各審判請求は、いずれも、本件鍋敷が本件登録意匠またはその類似意匠に類似することをその理由の前提としていることは、本件当事者間に争いがない。
次に、本件鍋敷の意匠が本件各登録意匠に類似しないこと、および、被告が過失によつてこれを知らなかつたことは前説示のとおりであるから、被告は、本件仮処分および異議判決に対する控訴申立と同様、その過失により違法に前記各審判請求をしたものというべきである。
しかして、(証拠)を総合すれば、原告は、被告によつてなされた本件仮処分、および、その控訴、ならびに前記各審判請求に対処するため別表(二)の(1)から(17)の各出費をしたが、右出費が被告の前記行為に応ずるため、真にやむを得ないものであり、また、それぞれその支出の当時として相当の金額であつたことが認められ、これに反する証拠はない。しかしながら、別表(18)の出費については、これを認めるに足る証拠ではない。
以上のとおりであるから、原告のこの点に関する各請求は、前記別表(二)の(1)から(17)までの合計額金十八万二千百円、および、そのうち、(1)から(15)までの合計額金十六万二千百円に対する不法行為の後である昭和三十四年十一月十六日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める部分は理由があり、同(16)および(17)の出費合計金二万円についての右遅延損害金の請求は特段の事情も認められないので支出による損害発生の日である昭和三十四年十二月二十四日以降支払いずみに至るまでの期間の限度で理由があるというべきであり、その余は失当というべきものである。
(謝罪広告の請求について)
七 (証拠)ならびに、弁論の全趣旨を総合すれば、本件仮処分による突然の出荷停止のため、その当時得意先に原告に対する相当程度の不信の念を抱かせるに至つたこと、仮処分以前の取引先のうち仮処分の解放後も取引を再開していないものが若干あること、原告は、仮処分以前には都内の多くの百貨店に本件鍋敷を相当数納入していたが、現在では高島屋一軒にのみであり、その数量も僅少であること、本件鍋敷の全体の売上も仮処分前に比し非常に少ないこと、仮処分を受けたことにより近隣の者の噂の対象とされ、ある場合には、原告の雇人が直接侮蔑的言辞を受けたこともあること、および、原告の考案した登録意匠第一一九、二五六号の実施品としての本件鍋敷を販売できないことのため、右考案に要した精神的苦労がむくいられなかつたことが認められ、右に反する証拠はない。しかしながら、被告本人尋問の結果によれば、本件鍋敷のような鍋敷の売上高は、本件仮処分当時、すでに下り坂にあつたものであることが認められるから原告の取引先、売上高の減少は、一概に、本件仮処分の結果とも断定できず、また、本件仮処分を受け出荷停止をしたことによる得意先の原告に対する不信については、その範囲、程度を明らかにする証拠がない。さらに、意匠考案の苦労がむくいられなかつたこと、近隣の者から白眼視されたこと、および雇人に対する権威の失墜(このことは、前記各事実から推認するに難くない。)等による名誉、信用の失墜は、その回復措置として新聞紙上における謝罪広告による謝罪を相当とよるものとは認めがたいものであるから、結局、原告の本件謝罪広告の請求は失当たるをまぬがれない。
(予備的損害賠償の請求について)
八 前項において認定した各事実によれば、原告は、前記のように、謝罪広告を求めることは適当でないにしても、本件仮処分によつて、その名誉、信用を害されたことは明らかである。しかして、前認定の原告の経歴、地位、職業、および、本件仮処分前後の事情に照らして考えれば、この名誉、信用の毀損によつて原告の蒙つた精神的苦痛に対する慰籍料額は、金十五万円を相当とするから、この点に関する原告の請求は、右金額および、これに対する不法行為の後である昭和三十三年十一月十六日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の遅延損害金を求める限度で理由があるがその余は失当というべきである。
(むすび)
九 よつて、原告の本訴請求は主文第一項掲記の限度内では理由があるものとして認容すべきも、原告のその余は失当といわざるをえないから、これを架却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九十二条本文を、仮執行の宣言について同法第百九十六条を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第二十九部
裁判長裁判官 三 宅 正 雄
裁判官 楠 賢 二
裁判官 竹 田 国 雄
第一目録
第二目録1―10(いずれも省略)
別表(省略) 別表(一)(二)