東京地方裁判所 昭和34年(刑わ)685号 判決 1960年3月08日
被告人
高岡忠洋
主文
被告人を懲役四月に処する。
但し、この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用のうち証人倉林徳夫、同本田銀次に支給した分は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
東京都世田谷区玉川瀬田町四百番地所在の財団法人日産厚生会玉川病院では、昭和三十三年五月上旬、看護婦大滝照等の配置転換を発令したことに端を発し、同病院労働組合との間に紛争を生じ、同労働組合は、その上部団体である東京地方医療労働組合協議会に対し病院当局との団体交渉を委任する一方、東京都地方労働委員会に斡旋を依頼したが不調に終り、病院側は同月下旬右大滝照に対し解雇の通告をした。玉川労組は、六月上旬世田谷地区労働組合協議会にも団体交渉を委任し、次で同月下旬以上三団体および東京地方労働組合評議会等をもつて結成された右斗争支援のための共同斗争会議に対しても前記大滝問題等についての団体交渉を委任した。しかし、右共斗会議との団体交渉は病院側において応じなかつた。
被告人は、当時、前記東京地評傘下の全国一般合同東京地連世田谷合同労働組合の組合員であつて、右共斗会議の連絡員に選ばれ、東京地評からの団交要員の一人となつていたものであるが、同年七月七日午前九時頃、前記玉川病院労働組合が行う時限ストライキを支援し、かつ病院当局と団体交渉をなす目的のもとに、ほか百数十名の支援団体員と共に前記玉川病院正門に至つたところ、同病院構内への立入りは、病院建造物の管理者である当時の病院長(現副院長)小尾雅夫によつて拒否されていたにも拘らず、施錠をした正門を押し開けて病院構内に立入り、もつて人の看守する建造物に故なく侵入したものである。
(証拠の標目)(略)
(弁護人の主張に対する判断)
弁護人主張の要旨は、
(一) 玉川病院正門から、同病院正面玄関前広場に至る区域は、区道であり、それに続く裏門に至る区域は私道であつて、いずれも玉川病院の建物だけに附属する敷地ではないから、刑法第百三十条にいう「人の看守する建造物」の囲繞地ではない。従つて同区域内に立入る行為は建造物侵入の罪に該らない。
(二) 当時の病院長小尾雅夫のなした立入拒否の措置は、
(イ) 同区域内に居住する者の権利を侵害し
(ロ) 正当な団体交渉を拒否する目的のもとに行われ
(ハ) ロツクアウトの一環としてなされたものであるが、労働関係調整法第三十七条による予告を行つていない
等の諸点において違法な行為である。
(三) 被告人らの立入行為は団体交渉を目的とする正当な組合活動であつて違法性を有しない
から、住居侵入の点については、被告人は無罪であると云うにある。
よつて以下順次判断する。
(一) 前掲証人小尾、同倉林、同本田の各証言、当裁判所の検証調書を綜合すると、玉川病院の現に使用する敷地は、判示被告人等の立入場所を含む広大な地域であつて裏門のある東側の一部は道路に接し、南側は敷地にそつて小川が流れ、正門付近両側隣地との境界には高さ約五十糎巾約一米、上に茶の木など小灌木を植えた土手を設け、その外側にそって有剌鉄線を囲らし、その他の個所にあつても隣接地との境界に有剌鉄線を張り囲らしており、この状態は判示当時も変りなかつたこと、而して右の如く区劃囲繞されている地域が同病院建造物に附属する敷地構内として、責任者たる同病院長の管理に属し、守衛をして監視させていたものであることが明らかであるから、該区域は、無用の者のみだりに出入することを禁止している場所であつて、刑法第百三十条にいわゆる「人の看守する建造物」の囲繞地たること明白である。弁護人主張の正門から正面玄関前広場に至る道が区道であるとの点については、証人佐藤、同大滝等がこれに添う供述をしているけれども、これらの証言によつて、該地域が区道であることを肯認することはできないし、他にこれを確認するに足る証拠がない。また右に続く裏門に至る区域が私道として一般に開放されて来たというが、仮に一般通行人の表門から裏門への通り抜けが頻繁に行われていたとしても、これは、本来病院が多数外来者の出入する場所であるところから、管理者において、あえてこれを咎めずに許容していたに過ぎないものと解されるのであるから、このことあるが故に、この区域が私道であつて病院の建造物のみに附属するものではないとすることはできない。また、正門、裏門が平常は夜間でも閉鎖されることがなかつたとか、守衛が二人で一日交替の勤務であつたから敷地全体の監視ができない筈であるとかの主張があるが、仮にその通り正門も裏門も平素は閉じられたことがなく、また守衛による監視も充分でなかつたとしても、これらの事実は、前記病院の敷地構内が刑法第百三十条にいう建造物の囲繞地たることを妨げるものではない。弁護人(一)の主張は採用できない。
(二)(イ) 前掲証拠によれば、右区域内に看護婦寮、職員寮等の建物が存在することは明らかであるが、これらの建物は同病院の事業遂行の必要上または従業員の厚生施設として設置されたものであつて、それらを含む病院全体の建造物の管理権は勿論同病院長に属するのであるから、たとへ右看護婦寮の住居者等が、被告人等外部団体の者が判示の如き目的のもとに構内へ立入ることに同意を与えたとしても、病院長において、病院管理の必要からこれが立入りを拒否しうることは当然であつて、これを目して敷地内多数居住者の権利を侵害するものとは言えない。
(ロ) また被告人が全国一般合同東京地連世田谷労働組合の組合員であり、右合同労組が東京地方労働組合総評議会に加盟し、右総評議会が、昭和三十三年六月中旬玉川病院労働組合の労働争議支援のため結成された共同斗争会議の一構成団体であつたこと、玉川病院労働組合が右共斗会議に団体交渉を委任し、被告人がその交渉団の一員に選任されていたことは判示の通りであり、従つて被告人が判示紛争に関し病院当局との団体交渉をなす正当の権限を有していた一人であることは、これを是認することができるけれども、団体交渉は、予め交渉の日時、場所を定め、或は相手方の納得のもとに、平穏裡に行わるべきものであることは多言を俟たないところであつて、判示の如く百数十名の多数者を背後に、宣伝力ーまで動員し、多衆の威力を示して団体交渉を強要することは、到底正当な権利の行使とは言えないのであつて、これを拒否することは何等不当労働行為とは認められない。
(ハ) また、弁護人は本件立入拒否は違法な争議行為だと主張するが、病院当局が、正門を閉ざし、これに施錠をなし、守衛を配置したのは、同所に掲げた制札に表示してあつた通り、専ら外部団体の立入りを拒否したものであつて、これは、七月六日、病院当局において、翌七日早朝外部団体の者多数が押しかけて来るとの情報を得たので、前月下旬来被告人等外部団体の者多数によつて数次にわたる長時間の坐りこみが正面玄関等で行われ、病院内の静ひつを害され平穏な業務の遂行に支障を来たした経緯にかんがみ、予めこれを防ぐため、右の如き立入拒否の挙に出たものであり、また、外来患者の来診を断つたのも、多数者がちん入してデモ集会等が持たれた場合、平常通りの医療業務を行い得ない虞れがあり、却つて外来者に迷惑を及ぼすことあるを慮つたにほかならないものであることは証人小尾、同倉林、同本田等の証言に徴し十分これを認めうとるころである。従つてこれを指してロツクアウトの一環としてなした違法な争議行為となすを得ないこと勿論である。
弁護人(二)の主張も理由がない。
(三) 更に弁護人は被告人等の本件立入り行為は、正当な組合活動である旨主張する。しかし、如何に病院当局が、看護婦等職員の組合運動に無理解であつて、これを弾圧しようと試みたものであるとしても、また被告人等が病院当局と団体交渉をする正当の権限を有し、しかもそれまで数回にわたる団交申入れを拒否されていたとしても、管理権者たる病院長において被告人等外部団体の者の立入りを拒否するために、閉鎖した正門をこぢあけてちん入した行為は、内部組合の支援目的であろうと団体交渉のためであろうと、到底正当な組合活動とは認められない。
(三)の主張も採用できない。
以上説明の通り被告人の判示玉川病院構内への侵入行為は建造物侵入罪を構成すること明白である。
(法律の適用)
被告人の判示所為は、刑法第百三十条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、その刑期範囲内において被告人を懲役四月に処し、諸般の事情を考慮し、刑法第二十五条を適用し、本裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文に則り主文末項の通り被告人に負担させることとする。
本件公訴事実のうち傷害の点の要旨は、「被告人は、判示日時場所において、被告人等の侵入を阻止した玉川病院守衛倉林徳夫に対し、その両手首を両手で掴んで押し倒し、よつて同人に対し加療四日間を要する左肘部外側打撲および左耳前部小擦過傷を負わせたものである。」というにある。
よつて証拠について検討すると、証人倉林、同古川、同松原の各証言、古川医師の診断書、領置にかかる診療録一枚(昭和三十四年証第一一六三号の一)によれば、同病院守衛倉林徳夫が判示被告人等病院構内侵入の際右の如き傷害を負つたことは明白であり、倉林は、「門があくと同時に自分は両手をひろげて侵入を阻止したかすぐ両手をとられて、土手の方へ倒された土手の上が背中のちよつと下あたりになるようなところで、尻の方が土手の下、背中の方が土手の上という形の倒れ方であるその際左肘外側と左の耳(耳たぶ)に怪我をしたが、それは土手の木柱に腕をぶつけ、有剌鉄線で耳を切つたのかと思う。自分を土手のところへ押し倒したのは被告人である。その場所は、正門の線から一米ちよつと入つたところの病院に向つて右側の土手のところである」旨証言している。
しかし、(一)弁護人提出の写真とこれに付記の説明文(昭和三十三年八月十六日、玉川病院が同病院労働組合委員長佐藤利江ほか三名を懲戒処分に付したことに対する不当労働行為の申立につき、東京都労働委員会のなした審問手続において、病院側より提出したもの)、当裁判所の検証調書、証人小島、同加藤の各証言を綜合すると、判示日時、玉川病院構内に侵入した外部団体の者と倉林守衛等との間に争いが起つたのは、正門より六、七米以上も進んだ後のことであることが明白であつて、被告人が正門侵入後右の間までに倉林に対して暴行を加えたものとは認められない。(二)正門から正面玄関への道の両側の土手は、前記の通り高さ約五十糎、巾約一米のもので、その外側にそつて約二米間隔に木柱が立ち有剌鉄線が張られており、倉林の証言するように、この土手の下部に尻をつき、土手の上が背中のちよつと下あたり「土手の上が腰のバンドのすこし上に来た」とも表現している。)に来るというような形となつて倒れた場合には、肘が右の木柱に当ることは物理的にあり得ないのであり、また、耳の部分が有剌鉄線に触れることも起り得ないことが明白である(倉林も、耳が有剌鉄線にふれたという記憶はないと供述している。)。しかも、この倒された時の体の位置、形などについての倉林の供述はあれこれ変り明確を欠いている。更に、(三)証人倉林、同加藤、同小島等の証言によると、倉林は宣伝カーが十米以上も構内に入つてから、そのバンバーの前に立ちふさがつて車の進行を阻止しようとしたが、二、三人の者に手足をとられ病院に向つて右側土手の辺に投げ出された事実が認められるのであつて、この際前記打撲傷等を受ける可能性が十分考えられる。倉林は、この時は、身体の右側を下にして投げ出された旨証言しているが全服の信を措き難い。そして右の「二、三人」のうちに被告人が加わつていたとの証拠はない。以上の諸点を綜合して考えると、倉林の受けた傷は、被告人等の判示病院構内侵入後の争いの際生じたものであることは明らかであつても、何時、何処で、誰の暴行によつて負つた傷であるか明白でないと言わねばならないし、倉林に対し被告人が公訴事実にあるような暴行を加えたかどうかも、他に一人の目撃者もなく、前述の通り不合理な点のある倉林の証言以外に証拠がないので、証明十分とはなし難い。従つて傷害の点については、被告人は無罪であるが、右は判示住居侵入の罪と手段結果の関係ありとして起訴せられたものと解されるので、特に主文において無罪の言渡はしない。
よつて主文の通り判決する。
(裁判官 海部安昌)