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東京地方裁判所 昭和34年(行)1号 判決 1960年12月19日

原告 長尾数好

被告 総理府恩給局長

訴訟代理人 鰍沢健三 外三名

主文

原告の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は「被告が昭和三二年一二月二〇日にした原告の昭和三二年八月二二日付傷病年金請求を棄却する旨の裁定はこれを取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告は、主文と同旨の判決を求めた。

原告は、請求の原因として次のとおり述べた。

一  原告は、昭和二四年五月三一日から法務教官として名古屋少年保護鑑別所に勤務していたものであるが、昭和二五年一月一日、同所において保護少年の看視勤務に従事中、保護少年の李成竜、尹奉春、金三竜の三名が逃走をはかつたのでこれを制止しようとしたところ、右三名は原告の頸部を絞め、さらに右顔面を殴打した。その結果原告は右上奥歯四本並びに右下奥歯三本脱落、耳部打僕傷の傷害を受けたが、右傷害のために同年三四月頃から耳鳴りが甚しくなるとともに聴力が著しく減退しはじめ、ついに右耳は〇、五メートル以上離れては普通の話声がきこえなくなつた。さらに昭和二六、七年頃から屡々神経障害(神経衰弱)を起し、歯牙の脱落のため胃の障害をも起すにいたり、現在は身体障害者六級の2に該当するものとして身体障害者手帳の交付を受けている。

二  そこで原告は、昭和三二年八月二二日、法務大臣を経由して被告に対し、昭和二八年法律第一五五号による改正前の恩給法(以下旧恩給法という。)第四六条の二第二項により同法第四九条の三各款のいずれかの機能障害を生じたことを理由として傷病年金の請求をしたが、被告は同年一二月二〇日、原告の機能障害の程度は同法第四九条の三に定める第四款症のいずれにも達しないとして右原告の請求を棄却する旨の裁定をし、その頃原告にその旨通知した。

三  しかし、原告は前述のとおり公務のため同法第四九条の三所定の機能障害を受けたのであるから、被告の右裁定は違法であり、その取消を求める。

被告指定代理人は、請求の原因に対する答弁及び被告の主張として次のとおり述べた。

一  請求原因事実のうち、原告がその主張の日に名古屋少年鑑別所において勤務中、逃走をはかつた収容中の李成竜外二名から顔面を殴打されて傷害を受けたこと(但し傷害の部位、程度は知らない。)、昭和三二年八月二二日付書類で被告に対し公務傷病による恩給の請求をしたこと、被告は同年一二月二〇日付で原告の機能障害は改正前の恩給法第四九条の三に規定する第四款症の程度に達していないものと認めて原告の右請求を棄却する旨の裁定をしたこと、原告がその主張のような身体障害者手帳の交付を受けていることはいずれも認めるが、その余の事実は争う。

二  原告が傷病年金を受けるべき傷病として主張する聴力の喪失、耳鳴り、歯牙の脱落等は、いずれも傷病年金支給の対象となる程度の傷病に達していないか、傷病年金を支給する事由にあたらないかのいずれかである。

(一)  聴力の喪失について、

原告の左右両耳に聴力の損失があるとしても、それは尋常の話声を〇、五メートル以上離れては理解できない程度に達していないので、旧恩給法別表第一号表の五の第四款症には該当しない。恩給法における聴力損失の度合は会話音をどの程度の距離から解しうるかが標準とされる。近時オージオ・メーターにより音響に対する聴力の損失を測定してその度合をデシベルで表示し、これを会話音に対する聴力の損失の度合と対比している。たとえば〇、五メートル以上では尋常話声を解し得ない者は大体六〇デシベルに該当するといわれているが、この比較はおおよそのところにすぎないのであつて、個人によつて、相当の差異が存在する。したがつてオージオ・メーター検査による測定値のみをもつて絶対的なものとはいえない。被告は原告が提出したすべての資料を綜合して前記のとおり認定したものである。

(二)  耳鳴りについて、

耳鳴りは聴力障害に附随して派生するのを例とするから、聴力の損失について傷病年金を支給する場合はそれに伴う耳鳴りのための身体的作業能力の低下はもとより含まれている。いいかえれば聴力の損失の度合が傷病年金を支給する程度に達していない場合には、それに伴う耳鳴りのための身体的作業能力の低下はそれだけを抽出してみてもいまだ傷病年金を支給すべき事由とはならない。

(三)  歯牙の脱落について、

歯牙の脱落は傷病年金支給の事由とはならない。別表第一号表の四に「咀嚼」または「言語機能」の障害をもつて不具廃疾の場合としてかかげていることに徴すれば、この機能障害の原因はその主要な原因である歯牙の脱落以外の第二次的な原因、例えば頬舌、軟硬両口蓋、顎骨、下顎関節等の障害を指すものであることが判る。したがつて、もし「咀嚼」または「言語機能」の障害の主要なる原因である歯牙の脱落をも傷病年金支給の事由とするのであれば別表第一号表の五のいずれかに掲記してしかるべきであるのに、これを掲記していないことからすれば歯牙の脱落は傷病年金支給の事由とならないと解すべきである。

三  原告の主張する傷病は公務に起因するものとみることはできない。すなわち、原告が昭和二五年一月一日に名古屋少年保護鑑別所において勤務中、同所に収容されていた三名の少年によつて右顔面を殴打されたことは前述のとおり争わないが、受傷の部位、程度については右事故の直後に原告を見た同保護鑑別所の職員は、原告のこうむつた傷害について、上顎の前歯の義歯二本が折れ、口控より少量の血が出て交つていた程度であつたといつていること、右暴行少年に対する刑事判決も原告は右顎部内面下方径二センチメートルの暗紫色をなせる皮下出血と上顎義歯二本脱落の傷害を与えたものと認定していること、原告は右事故後も平常とかわりなく勤務を続けたことなどをあわせ考えると、現在の原告の聴力の喪失、耳鳴り、歯牙の脱落が右事故に起因するものとは到底認められないし、その外にこれらの傷害が原告の公務に起因したものとみるべき何らの根拠もない。

四  以上のとおりであるから、被告が原告の公務傷病による恩給請求を棄却する旨の裁定をしたことは何ら違法でない。

(証拠省略)

理由

一  昭和二五年一月一日、原告が法務教官として名古屋少年保護鑑別所において看視勤務に従事中李成竜外二名の保護少年が逃走をしようとするのを制止して同人らから顔面を殴打され傷害を受けたこと、原告が昭和三二年八月二二日付で被告に対し公務傷病による恩給の請求をしたところ、被告は同年一二月二〇日付で原告の機能障害は改正前の恩給法(旧恩給法)第四九条の三の別表第一号表の五に定める第四款症の程度に達していないものと認めて原告の右請求を棄却する旨の裁定(以下本件裁定という。)をしたことは当事者間に争がない。

二  原告が傷病年金支給の対象となる傷病として主張するもののうち、まず本件裁定当時原告に果して傷病年金支給の対象となるような聴力の損失があつたかどうかについて検討する。原告は前記の暴行を受けたために両耳の聴力が著しく減退し、右耳は〇、五メートル以上離れては普通の会話音が聴えなくなつた旨主張する。証人檜学の証言と成立に争のない乙第一号証の一三によると、昭和三二年八月に岐阜県立医科大学附属病院において医師檜学がオージオ・メーターを用いて原告の両耳の聴力を測定した結果は左耳は五〇〇サイクルで四〇デシベル、一、〇〇〇サイクルで二五デシベル、二、〇〇〇サイクルで二五デシベルであり、右耳は五〇〇サイクルで八五デシベル以上、一、〇〇〇サイクルで七五デシベル、一、〇〇〇サイクルで八五デシベル以上であつたこと、さらに文書の体裁によつて成立を認めうる甲第七号証によると、昭和三四年五月に名古屋大学医学部附属病院において医師加藤寿作が同じくオージオ・メーターを用いて測定した際には左耳平均四〇デシベル以上、右耳平均九〇デシベル以上という結果が出たことが認められる。しかして、証人檜学の証言並びに鑑定の結果によるとオージオ・メーターによる聴力の損失値が平均八〇デシベル以上である場合には耳介に近接して大声話が発せられたとき始めて聴取できることが認められるから、原告の右耳の聴力損失はもし前記オージオ・メーターによる測定の結果現われた数値が正確であるとすれば旧恩給法第四九条の三別表第一号表の五第四款症の「一耳ノ聴力カ尋常ノ話声ヲ〇、五メートル以上ニテハ解シ得サルモノ」に該当するのはもちろん、第三款症中の「一耳ノ聴力カ〇、〇五メートル以上ニテハ大声ヲ解シ得サルモノ」にも該当することとなる。しかしながら証人日比野典男の証言と成立に争のない甲第一四号証によると、昭和三二年九月に岐阜県立多治見病院において医師日比野典男が行つたオージオ・メーターによらない通常の会話音による聴力検査の際には右耳は一、五メートル以内でないと会話音を聴取し得ない(すなわち一、五メートルを超えない距離であればこれを聴取できる。)し、左耳は三メートル以上六メートル以内ならば会話音を聴取できるという結果が出ている。ところで証人檜学、同日比野典男の各証言によると、オージオ・メーターによる聴力の測定方法は現在では最も信用のできる科学的な方法とされているけれども、なお被検者がオージオ・メーターによる検査に慣れていない場合には聴取し得べき音も適格に聴取できないこともあり、被検者の健康状態にもある程度左右されるのみならず、被検者が故意に難聴を装う場合にはこれを看取することは非常に困難であるので必ずしも正確とはいいがたいことが認められ、現に原告の左耳の聴力について前記檜医師によつて行われた測定の結果と鑑定の結果と比較しても、五〇〇サイクル、一、〇〇〇サイクル、二〇〇〇サイクルの場合の平均が前者では三〇デシベル、後者では二〇デシベルと相当の差異を示している。又鑑定の結果によると原告は鑑定人河村正三がオージオ・メーターを用いて原告の右耳の聴力を測定せんとした際故意に聴取できる音も聴取できないと訴えたために測定が不可能に終つたことがうかがわれるのであつて、このような点から考えると前記檜医師あるいは加藤医師による聴力測定の際にも原告は同じく故意に聴力の損失を誇大に訴えたのではないかという疑いも存する。以上のことを綜合すると本件裁定当時原告の聴力の損失が前記第四款症にいう「一耳ノ聴力カ尋常ノ話声ヲ〇、五メートル以上ニテハ解シ得サルモノ」の程度に達していたものと認定するには結局において証拠が十分でないといわざるを得ない。なお、仮りに原告の聴力損失が右第四款症に該当するとしても、それが原告の公務のために生じたものであることは次のような理由によりやはりこれを断定するに足る証拠が乏しいといわなければならない。すなわち、証人有賀徹の証言と成立に争のない乙第一号証の八によると、原告は前記保護少年らによる暴行のために右頬部内面下方皮下出血並びに上顎義歯二本脱落の傷害を受けたことが認められるけれども、他方証人竹中茂助、同大島隆、同久保政一、同有賀徹の各証言によると、原告は右傷害を受けた直後において同僚上司から怪我の程度を尋ねられた際に耳についてはとくに苦痛を訴えておらず、又同日又は翌日原告が診断書の交付を受けるために医師有賀徹の診察をうけた際にも耳痛あるいは耳鳴りについては何ら自覚症状を訴えなかつたことが認められ、原告が初めて耳鳴りを医師に訴えたのは早くとも前記受傷から二年以上を経過した昭和二七年になつてからである。(原告本人尋問の結果と成立に争のない乙第六号証によつてうかがわれる。)しかして、証人檜学、同日比野典男の各証言によると、側頭部の打撲による鼓膜の裂傷ないし内耳の故障を基因として聴力の損失が惹起される場合には多くの場合受傷の際激痛があり、あるいは受傷後直ちに難聴が始まるのが通常であり、したがつて側頭部を殴打されてもその際には苦痛はなく、相当日時を経過してから難聴を生じたような場合には、その原因を直ちに右殴打を受けたことに求めることは必ずしも当らないことが認められる。以上のことと聴力の損失は打撲を原因とする外色々の理由、たとえば老衰や脚気(前掲乙第六号証によると原告は当時脚気の症状を有していた。)などによつても生じ得ることをあわせ考慮すれば、原告の聴力損失と原告が前記保護少年から受けた暴行、したがつて原告の公務との間に因果関係が存在することを肯定するのは困難であるといわなければならない。

つぎに原告の耳鳴り及び歯牙の脱落について検討するに、証人日比野典男の証言、原告本人尋問の結果と成立に争のない乙第七号証の一、二によると、本件裁定当時原告に神経性耳鳴りの症状があつたことが認められる。しかして耳鳴りはそれ自体前記一号表の五に掲げられていないが、傷病年金の対象となる傷病は必ずしも厳格に右第一号表の五の各款に明示されているものにのみ限定されないと解されるから、原告の具体的な傷病が果して右第一号表の五第一款症ないし第四款症に明示されている各傷病に匹敵するものであるかどうかを一応検討してみる必要がある。しかし、前記各証拠によつて認められる原告の右耳鳴りは、第一ないし第三款症の各傷病に匹敵すると認めがたいのはもちろん、第四款症として掲記されている「一眼ノ視力カ〇、一ニ満タサルモノ」その他の傷病に匹敵する程度の傷病とも認めがたい。また成立に争のない乙第一号証の一二によると原告の右奥歯上三本が本件裁定当時脱落していたことが認められるが、前記第一号表の五には歯牙の脱落は傷病年金支給の対象となる傷病として掲記されておらず、証人村上元孝の証言に照らしても右の程度ではまだ同表第四款症に掲記されている各傷病の程度に匹敵するとは認められない。

三  以上のとおり原告に傷病年金支給の対象とされる傷病が存したことを認むべき証拠は十分ではなかつたのであるから、被告が原告の公務傷病による恩給の請求を棄却する旨の本件裁定をしたことは違法ではない。したがつて本件裁定を違法としてその取消を求める原告の本訴請求は結局において理由がなく棄却を免れないものといわなければならない。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 浅沼武 中村治朗 小中信幸)

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