東京地方裁判所 昭和35年(ワ)387号 判決 1961年4月11日
原告 多摩中央運送株式会社
被告 国
訴訟代理人 川本権祐
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者双方の求める裁判
原告は
「東京労働基準局長が昭和三四年一〇月一七日原告に対して請求した労働者災害補償保険法第二〇条に基く金八一四、六七一円の損害賠償債務の存在しないことを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」
との判決を求め、
被告は
「主文同旨」
の判決を求めた。
第二原告の請求原因
一 国の機関である東京労働基準局長は昭和三四年一〇月一七日原告に対し、「原告の使用人長田豊が昭和三二年六月二八日東京都南多摩郡日野町日野橋上において株式会社青木鉄工所(以下、青木鉄工所という。)従業員中村長次に対し自動車事故により負傷させたことについて、国が労働者災害補償保険法に基いて中村長次に対し保険金八一四、六七一円(内訳療養補償費金六六、五七九円、休業補償費金一三五、〇八四円、障害補償費金六一三、〇〇八円)を給付したので、同法第二〇条により右中村の原告に対する損害賠償請求権を取得した。」として右給付額と同額の金員の請求をして来た。
二 しかしながら、原告はかかる債務を負担する理由がないから、被告に対しその不存在確認を求める。
第三被告の答弁
一 原告の請求原因第一項の事実は認める。
二 抗弁
1 原告は貨物自動車による物品運送を営むものである。
2 中村長次は、青木鉄工所の従業員であつたが、同人は昭和三二年六月二八日午後二時三〇分頃同社の製品を日野ヂーゼル株式会社に納入するため、原告が右営業のために所有する自動三輪車の補助席に同乗し、原告の従業員長田豊がこれを運転して東京都南多摩郡日野町日野橋にさしかかつたところ、長田は右自動車の車体を日野橋左側欄干の主柱に接触させたため、中村長次は左前腕開放粉砕骨折等の重傷を受けた。
3 右事故により中村の受けた損害は次のとおりである。
(一) 療養費六六、五七九円
中村は右負傷後直ちに非現業共済組合連合会立川病院に入院し、別表療養給付欄のとおり合計六六、五七九円に相当する療養を受けた。
(二) 休業による損害二五二、五一〇円
中村は右負傷のため、負傷の翌日から負傷の治癒した日である昭和三三年三月三一日まで二七七日の間雇用主である青木鉄工所に労務を提供することができず、従つてその間の賃金を受けられなかつた。
これによる損害は、中村の平均賃金九一五円二〇銭の二七七日分の二五二、五一〇円に相当する。
(三) 得べかりし利益の喪失による損害一、〇四五、二八〇円
中村は明治四〇年六月生れで、尋常高等小学校を卒業し、一六歳で立川町所在の立川製作所に仕上工として就職し、以来昭和二〇年八月まで約二三年間にわたり機械工作に従事し、昭和三一年七月二五日青木鉄工所に仕上工として入社し、その技倆を認められて職長となり、工程管理、専門技術を要する故障機械の修理、欠勤労務者の代替作業等を担当し、本件負傷以前は月平均二八、〇六六円の賃金を受けていた。
しかし中村は前記負傷の結果治癒時において(イ)左肩胛関節は前方挙上八〇度、後方挙上三〇度、運動領域一一〇度に制限され、(ロ)左肘関節は伸展一五〇度、屈曲七五度、運動領域七五度に制限され、(ハ)左腕関節は常屈背屈共に一七五度、運動領域一〇度に制限され、(ニ)左拇指、示指、中指、薬指、小指の掌指関節の運動領域はいずれも二〇度以内で、(イ)(ロ)(ハ)は用廃、(ニ)は全指用廃となり、結局一上肢全廃の身体障害を残し、従前の労務に服することができなくなつたので昭和三三年五月二七日青木鉄工所を退職するの止むなきに至つた。
その後も前腕中央部より末梢にわたり頑固な神経痛が起り、軽易な労務に服することさえ困難であつたため、自費で温泉療養などをしていたが、もともと学歴に乏しく、機械工としての経験しかないのに手先仕事が不能となつたため、機械工として不適格者となつたし、その上老年の域に近ずき、夜警番として就職することもできなかつたので、実兄中村仙太郎に請うて昭和三四年四月一日同人が社長をしている中村建設株式会社に現場監督の職名で入社し、工事現場における盗難防止のための留守居役を兼ね、資材の検収、故障機械の点検等の軽労働に服し、同年四月から四ケ月間は月一万円、同年八月からの八ケ月間は月一四、〇〇〇円、昭和三五年四月以降現在まで月一五、〇〇〇円の給与を受けている。
以上のとおり、中村の昭和三四年四月一日から昭和三五年七月までの一六ケ月間の月の平均収入は一三、二五〇円であるが、今後若干の増収が見込まれるとしても、せいぜい月一五、〇〇〇円と考えられるから労働能力減退による得べかりし利益の喪失額は少くとも月一三、〇六六円となる。
そしてこの種の労働に従事する者の就労可能年数は満六〇年とすることが適当であるから、中村の昭和三四年四月一日以降の残存可働労働年数は一〇年と見るのを相当とする。
従つて一〇年間の得べかりし利益の喪失額は一、五六七、九二〇円となるので、これから弁済期を一〇年後とした計算により年五分の中間利息を控除すると金一、〇四五、二八〇円となる。
(四) 従つて中村は前記事故により右(一)、(二)、(三)の合計一、三六四、三六九円の損害を受けたわけであるから、自動車損害賠償保障法により長田の運転した自動車を運行の用に供した原告に対し同額の損害賠償請求権を有したものである。
4 被告は労災法により中村の受けた業務上の負傷による損害の補償として同人に対し次の保険給付をした。
(一) 療養給付六六、五七九円
被告は別表療養給付欄のとおり、中村の立川病院における療養費六六、五七九円を支払つた。
(二) 休業補償費一三五、〇八四円
被告は中村に対し別表休業補償費欄のとおり、昭和三二年六月二八日から治癒の日である昭和三三年三月三一日まで中村の平均賃金九一五円二〇銭の六割に相当する一三五、〇八四円を支払つた。
(三) 障害補償費六一三、〇〇八円
中村の治癒時に残存した身体障害は、労災法施行規則別表第一身体障害等級表に定める五級四号「一上肢の用を全廃したもの」に該当するので、被告は同法第二〇条第二項を適用して、右障害に対する法定の補償額七二三、〇〇八円から、中村が長田から受領した一一万円を控除した残額六一三、〇〇八円を昭和三三年五月一八日中村に交付した。
5 そこで被告は労災法第二〇条第一項により被告が中村に支給した4の(一)、(二)、(三)の合計八一四、六七一円の限度において中村の原告に対する前記損害賠償請求権を取得したものである。
6 従つて国の機関である東京労働基準局長は昭和三四年一〇月一七日原告に対し八一四、六七一円の損害賠償を請求したものであつて、原告は右債務を負担するものである。
第四原告の被告の抗弁に対する認否、再抗弁
一 抗弁事実の認否
1 被告の抗弁1は認める。
2 被告の抗弁2のうち長田豊が被告主張の日時場所で青木鉄工所の従業員であつた中村長次を原告所有の自動三輪車の補助席に同乗させて青木鉄工所の製品を日野自動車株式会社に納入するため運転中右三輪車の車体を日野橋左側欄干の主柱に接触させ、そのため中村がその左腕に負傷したことは認める。
3 被告の抗弁3の(一)のうち中村が立川病院において六六、五七九円に相当する療養を受けたことは認める。
同3の(二)、(三)の事実は知らない。
4 被告の抗弁4の(一)のうち被告が立川病院に中村の療養費として合計六六、五七九円の支出をしたことは認める。
その余の(一)の事実と(二)、(三)の事実は知らない。
5 被告の抗弁5は争う。
被告が労災法第二〇条第一項により取得する損害賠償請求権は被災労働者に直接不法行為をした者に対する請求権に限られるものである。同条項によれは、「補償の原因である事故が第三者の行為に因つて生じた場合」に「補償を受けた者が第三者に対して有する損害賠償請求権を取得する」とあるから、同条にいう第三者とは直接に不法行為をした者に限られるからである。
二 再抗弁
1 本件事故に際して、長田には自動車の運行に関し過失がなく、また中村の負傷は同人の過失によるものであつて、更に長田の運転していた自動車には構造上の欠陥又はブレーキの故障などの機能障害はなかつた。
右事故は、当時長田の運転する車の前を先行していた車が急に減速したため、長田は追突を避けるためハンドルを左に切り、急停車の措置をとつたところ、雨のため車道がぬれていたためスリツプし、右三輪車の車体が欄干の主柱に接触したことによるものである。従つて長田にとつては不可抗力ともいうべき事情によるものであつて、長田には何らの過失もない。
しかも、中村の負傷は同人の過失によるものである。すなわち、中村は前記自動三輪車の補助席に同乗していたのであるが、かかる場合には身体の一部でも車外に出すことのないように注意するのが当然であるのにかかわらず、同人は左腕を車外に出していたので、前記接触の際欄干の主柱と車体との間に左腕を挟まれ、負傷したものである。
2 中村は被告より保険給付を受ける前である昭和三三年三月一〇日原告に対し中村の原告に対して有する損害賠償請求権を放棄したものである。
原告、長田、中村の三者は同日(イ)長田は中村に対し療養費、慰藉料、見舞金として金一一万円を支払うこと、(ロ)右金員は現実には原告が出損すること、(ハ)中村は右以外に原告および長田に対し何らの損害賠償請求をしないことの示談が成立し、原告は右契約に基いて中村に金一一万円を支払つた。
従つて、被告が中村に保険給付をしたとしても、被告が労災法第二〇条によつて取得すべき中村の損害賠償請求権は放棄により消滅したものである。
3 仮に原告が本件事故について損害賠償責任があるとしても、中村には前記のとおり左腕を車外に出していた過失があり、むしろ同人の負傷はその過失に基因することが大きいのであるから、その損害額の算定において、同人の過失も斟酌されて然るべきものである。
第五被告の原告の再抗弁に対する認否、主張
一 原告の再抗弁13のうち中村に原告主張の過失があつたことは否認する。
長田は前記日時前記自動車を運転して前掲日野橋にさしかかつた際、先行の車に追突することを避けるためハンドルを左に切り、急停車の措置をとつたところ、ハンドルを切り損じ、しかも右車のブレーキが故障していたため、制動がきかず、結局右自動車の車体を日野橋欄干の主柱に接触させるに至つたものである。従つて中村の負傷は運転者長田に運転上の過失があつたことと原告の自動車のブレーキに機能障害があつたことに因るものである。
二 原告の再抗弁のうち昭和三三年三月一〇日長田中村間において長田が中村に療養費、慰藉料、見舞金として金一一万円を支払うことを内容とする示談が成立し、右金員の授受があつたことは認めるが、その余の事実は否認する。なお、右示談が成立したのは、中村が保険給付を受ける前ではなく、保険給付の継続中である。
三 仮に原告主張の内容の示談が成立したとしても、原告は中村の損害賠償請求権の放棄をもつて、第三者たる被告に対抗し得ないものである。
すなわち、労災保険制度は、国が使用者に代つて業務上災害を受けた労働者に対する補償を保険給付の形式で行い、使用者の無資力、不誠意から労働者が災害の補償を受けられないことのないようにし、かつ、使用者に対しても不測の損害を免れしめんとするものである。
ところで災害を受けた労働者が補償を受けたといい得るためには、損害が現実に填補されなければならないのは当然であるから、労働者が不法行為者から現実に金銭によつて損害の賠償を受けたことを条件として、被告はその価額の限度で被災労働者に対する災害補償の義務を免れるが、同労働者が現実にその受けた損害の填補を受けない限り被告は被災労働者に対する補償の義務を免れないのである。
そして被告が被災労働者に対して現実に補償をした以上、その限度において右労働者が第三者に対して有する損害賠償請求権を取得し、第三者に対し求償権を行使できるのである。
このことは被災労働者と不法行為者との間に損害賠償請求権放棄の合意がなされた場合でも同様であると解すべきである。
けだし、この損害賠償請求権は、国が補償義務を履行することにより、法律上当然に被告に帰属すべきものと定められたものであるから、かかる請求権を勝手に放棄し得ると解すると、被告の正当な法律上の期待権を侵害し、これに損害を生ぜしめる結果を招来するのであつて、かようにある権利について第三者が正当な法律上の利益を有する場合には、この第三者の意思を無視して当該権利を放棄することは許されず、たといこれを放棄しても、これをもつて被告に対抗し得ないものと解すべきであるからである。もしそうでないとすれば、加害者と被害者が通謀しあるいは加害者が被害者の無知に乗じて被告の取得すべき被害者の加害者に対する損害賠償請求権を消滅させることができるのにかかわらず、被告は被災労働者に対する補償をしなければならないこととなり、保険者である国に不測の損害を来し、労災保険制度の経済的基礎を不安定ならしめるものである。
第六証拠
原告は
甲第一ないし第四号証を提出し
証人長田豊の証言を援用し
「乙第一号証、乙第二号証の一ないし七、乙第三号証の一ないし八、乙第四号証の一、二の成立は認める。乙第五号証添付の写真に関する被告の主張事実のうち撮影年月日は知らないが、その余は認める。その余の同号証の成立は知らない。乙第六ないし第一二号証の各成立は知らない。乙第一三号証の成立は認める。」と述べた。
被告は
乙第一号証、乙第二号証の一ないし七、乙第三号証の一ないし八、乙第四号証の一、二、乙第五ないし第一三号証を提出し
証人中村長次、同藤本武敏の各証言を援用し
「乙第五号証添付の写真は昭和三五年二月二日撮影した事故現場の写真(一枚は立川方面から、一枚は八王子方面から撮影)と中村長次の事故当時の乗車位置を示した写真である。甲第一、二、三号証の成立を認める。甲第四号証の成立は知らない。」と述べた。
理由
一 当事者間争ない事実
原告は貨物自動車による物品運送を営むものであるが、原告の従業員長田豊が昭和三二年六月二八日午後二時三〇分頃原告の営業のためその所有の自動三輪車に青木鉄工所の製品を日野自動車株式会社に納入する用務についていた青木鉄工所の従業員中村長次を同乗させて運転し、東京都南多摩郡日野町日野橋上にさしかかつた際、右車体を日野橋左側欄干の主柱と接触させ、そのため補助席に同乗していた中村はその左腕に負傷をしたことは当事者間に争がない。
二 原告の長田の無過失、車の無故障、中村の過失の抗弁等について
1 原告は右事故について運転者長田には過失がなく、また当時原告の自動三輪車には何の故障もなかつたというが、これを認めるに足りる証拠がない。
証人藤本武敏の証言により真正に成立したものと認める乙第五号証、乙第八号証と証人長田豊の証言によれば、長田は当日午後原告から自動三輪車に乗務を命ぜられたが、ブレーキその他を十分点検しないまま出発し、時速約三五キロくらいで現場近くにさしかかつたところ、約二〇メートル程前方を先行する乗用車が徐行しながら左折しかかつたのを見てブレーキを沓んだがきかず、あわてて二度目のブレーキを沓んだが、これまたきかず、先行車に追突しそうになつたので、左にハンドルをきつたところ、雨天のためスリツプしたせいもあつて橋の欄干の主柱に車体を接触させるに至つたことが認められ、他に右認定を左右することのできる証拠はない。
以上によれば、本件事故は長田の運転した原告所有の自動三輪車の制動装置に機能障害があつたこと、長田の出発前の車の点検の不十分なことによるものと認めるのが相当である。
2 原告は被害者中村にも左腕を車外に出していた点で過失があるという。
中村の事故当時の乗車位置を示したものであることに争がなく、証人長田豊の証言により事故当時の中村の姿勢と同一と認められる乙第五号証添附の写真(最初の二枚のうち下の一枚)と証人藤本武敏の証言により真正に成立したものと認める乙第六号証、証人中村長次の証言を綜合すれば、中村は前記事故当時前記自動三輪車のドアーのない運転台の補助席に坐り、左腕を坐席左側の鉄枠にかけて外に出し、左手でその鉄枠の垂直の部分を握つていたところ、右車は前認定のとおりブレーキがきかず、先行車に追突しそうになつたので長田が急に左にハンドルを切つたため、中村は体もぐらつき、そのため左手を鉄枠から離すどころではなく、夢中でこれをつかんでいたことが認められ、他に右認定を左右することのできる証拠はない。
一般に自動三輪車のドアーのない運転台傍の補助席に同乗するものは、その左側にある鉄枠を握つて、車がバウンドなどしても身体が車外に投げ出されることのないようにするのが通常なのであるから、中村が前記事故当時前認定の姿勢をとつていたことが過失とは認められない。
三 中村の受けた損害
以上の事実関係によれば、原告は「自己のために自動車を運行の用に供する者」として、自動車損害賠償補障法第三条に基き、中村に対し右事故により受けた損害を賠償すべきものである。成立に争がない乙第二号証の一、七、乙第四号証の一、二、証人中村長次の証言によれば、中村は右事故のため左両前腕骨骨幹部骨折(開放粉骨折)、前腕屈筋挫滅創、左上腕挫創、左側胸部打撲の傷害を受け、昭和三二年六月二八日非現業共済組合連合会立川病院に入院し、翌三三年三月三一日治癒当時被告主張の身体障害を残したことが認められる。
以下中村の受けた損害の額を検討する。
1 療養費
中村が右立川病院において金六六、五七九円に相当する療養を要したことは当事者間に争がない。
2 労務提供不能による損害
証人藤本武敏の証言により真正に成立したものと認める乙第一一第一二号証成立に争がない乙第一三号証と右証言および証人中村長次の証言によれば、中村は昭和三一年頃青木鉄工所に仕上工として入社したが、間もなく職長となり、事故前は基本賃金、残業手当、皆勤手当、残業手当の給与(労働基準法第一二条による平均賃金は九一五円二〇銭)を受けていたが、本件事故にあつてからは昭和三三年三月三一日治療を打ち切るまで青木鉄工所から月一万円の手当(前記平均賃金の四割未満)だけしか受けられなかつたことが認められる。
以上によれば、他に別段に解すべき事由のない本件においては、中村は前記負傷をしなければ、昭和三二年六月二八日から翌三三年三月三一日まで少くとも一日当り九一五円二〇銭に当る給与を受けられる筈であつたのに右負傷のためその四割未満の給与しか受けられず、そのため少くとも一日当り平均賃金の六割(五四九円一二銭)に相当する損害を受けたものと認めるのが相当である。
そして右期間の日数は二七五日であるから、右五四九円一二銭に右二七五を乗じて得られる一五一、〇〇八円が中村の喪失した賃金額というべきである。
3 労働能力の減退による損害
証人藤本武敏の証言により真正に成立したものと認める乙第九ないし乙第一一号証、成立に争がない乙第一三号証と証人藤本武敏、同中村長次の各証言によれば、次の事実が認められる。
(一) 中村は明治四〇年六月二三日生れで一六才頃から仕上工として各所に勤務して仕上工としては長い経験を有し、負傷当時まず何所へ行つても一ケ月二八、〇〇〇円程度の収入の得られる伎倆を持つていたこと。
(二) 中村は青木鉄工所に勤務中給与として昭和三二年三月分二九、五六二円、四月分二五、三四九円、五月分二九、二八八円、平均一ケ月二八、〇六六円の収入を得ていたこと。
(三) 中村は前記負傷のため前認定の身体障害を残し、左の手先を使うことができなくなつたので、手先の仕事である仕上工の仕事はもとより留守番程度の仕事しかできなくなつたこと。
(四) そのため、中村は昭和三三年五月二七日青木鉄工所を退職し、同年一一月頃実兄の中村仙太郎が社長をしている中村建設株式会社に雇用され、当初一ケ月一万円、その後昇給して一ケ月一五、〇〇〇円の給与を受け工事現場において材料などの番をしたり、機械の故障を見つけたりする仕事に従事していること。以上のように認められ、他に右認定を左右することのできる証拠はない。
以上によれば、中村は前記負傷がなければ、仕上工として少くとも月二八、〇六六円の収入が得られる筈であつたのに、右負傷のため多年の経験を積んだ仕上工としての能力を失い、月一五、〇〇〇円の収入しか得ることができなくなり(同人の年令、身体障害の程度等から、将来も月一五、〇〇〇円の収入に留まるものと認めるのが相当である。)、一月におけるその差額一三、〇六六円は結局前記労働能力の減退による損害というべきである。前掲乙第一一、一二号証と証人藤本武敏の証言によれば、中村は昭和三三年四月一日当時五〇才で通常ならば同日から一〇年間は仕上工として勤務できるものと認められるから、結局中村は同日より一〇年間毎月一三、〇六六円の得べかりし利益を失つたものというべきである。
従つて一〇年間の右合計額は一、五六七、九二〇円となるので、これから弁済期までの年五分の中間利息を控除した額が現在の損害額となるわけである。被告は一〇年後に全額の弁済期が到来するものとして原告に有利な計算をしているので、この方法によつて計算すれば一、〇四五、二八〇円となる。
4 以上のとおり中村は本件事故により右1、2、3の合計額一、二六二、八六七円に相当する損害を受けたわけである。
なお、原告は中村にも過失があつたのであるから、これを損害額の算定上斟酌すべきであると主張するが、前認定のとおり中村に過失があつたことを肯定できる証拠がないから、原告のこの点の主張は採用できない。
四 労災法に基く被告の中村に対する保険給付
前掲乙第一二号証と証人中村長次の証言によれば、青木鉄工所は昭和三二年当時常時五〇人程を使用して自動車の部品を製造するものであることが認められ、そして中村が青木鉄工所の業務上負傷をしたことは当事者間に争がないから、被告は労災法に基き中村に保険給付すべきものであつた。
1 療養給付
成立に争がない乙第二号証の一ないし七によれば、被告は別表療養給付欄のとおり中村のため前記立川病院に中村の療養費として合計六六、五七九円を支払つたことが認められる。(右六六、五七九円の支払の点は、総額においては当事者間に争がない。)
2 休業補償費
成立に争ない乙第三号証の一ないし八、成立に争がない乙第一三号証証人藤本武敏の証言によれば、被告は別表休業補償費欄のとおり中村長次に対し昭和三二年六月二八日から昭和三三年三月三一日までの間の二四六日間分の中村の平均賃金の六割に相当する一三五、〇八四円を支払つたことが認められる。
3 障害補償費
成立に争がない乙第四号証の一、二によれば、被告は昭和三三年五月一四日中村に対し労災法施行規則別表第一身体障害等級表の第五級第四号に該当する障害補償費七二三、〇〇八円(中村の平均賃金九一五円二〇銭の七九〇日分)から中村が加害者側から受領した金一一万円を控除した残額六一三、〇〇八円を支払つたことが認められる。
五 被告の労災法第二〇条第一項による求償権の取得
1 被告は以上の中村に対する保険給付をした価格の限度で労災法第二〇条第一項に基き、中村が原告に対して有する損害賠償請求権を取得するものというべきである。
原告は同条項にいう第三者とは被災労働者に対し直接不法行為を行つた者に限定されるというけれども、かかる解釈を採用すべき根拠はない。
同条によれば、右の第三者とは被災労働者との間に労災保険関係のない者で被災労働者に対して不法行為等により損害賠償責任を負う者と解するのが相当であるから、民法第七一五条により使用者として責任を負う者ないし本件のように自動車損害賠償保障法第三条により「自己のために自動車を運行の用に供する者」として責任を負う者をも包含するものというべきである。
2 次に原告は、中村は被告から保険給付を受ける前に原告に対し損害賠償請求権を放棄したものと主張する。
成立に争がない甲第三号証、第三者作成にかかり真正に成立したものと認める甲第四号証と証人長田豊、同中村長次の各証言を綜合すれば、中村は前記負傷後原告や長田豊から示談の申込を受けていたが、青木鉄工所の職員などより労災保険から六〇万円程の金が貰えるそうだと聞かされ、自分の負傷の方は労災保険の金に頼つて何とかやれるから、原告や長田に対しては示談ですましてもよいと考え、昭和三三年三月一〇日原告および長田と(イ)右両名は本件事故による中村の負傷の損害賠償として中村へ金一一万円を支払うこと、(ロ)中村は右負傷について右以上の請求をしないことを約定し、その後原告から数回にわたつて合計金一一万円の支払を受けたことが認められる。
しかしながら、中村が昭和三三年三月一〇日までに被告から保険給付を受けた限度において中村の原告に対する損害賠償請求権は被告に帰属しているから、中村がこれを放棄し得ないことは当然である。
なお、中村は被告から法の定める労災保険の全額の給付を受ける意思であつたことは前認定のとおりであるが、このように労災保険制度を利用して保険給付を受けようとする者は、この保険制度利用に伴う公法上の制約を受くべきことは当然である。労災法第二〇条第一項によれば、同法は労災保険の給付を受けようとする被災労働者に対し、現在は同人に帰属しているが、被告から保険給付を受けて、その結果被告に帰属することとなるべき第三者に対する損害賠償請求権を保全する公法上の義務を課しているものというべきであるから、被災労働者がこの公法上の義務に違背して第三者に対する損害賠償請求権を放棄しても、これをもつて被告に対抗することができないものといわなければならない。
従つて、原告と中村との前記契約によつて、被告が中村の原告に対する損害賠償請求権を取得することを妨げることはできないから、原告のこの点に関する再抗弁は理由がない。
六結論
以上のとおり、原告は被告に対し東京労働基準局長が請求した原告の請求原因第一項掲記の債務を負担しているのであるから、その不存在確認を求める原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 大塚正夫)
表<省略>