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東京地方裁判所 昭和35年(ワ)4016号 判決 1962年11月02日

判   決

原告

伊藤みゑ

右訴訟代理人弁護士

伊藤武

被告

安西房江

右訴訟代理人弁護士

兼藤栄

合谷幸男

主文

1  被告は、原告に対し金一五万円およびこれに対する昭和三五年五月二八日以降右支払ずみにいたるまでの年五分の割合の金員を支払え。

2  訴訟費用は三分し、その一を原告の負担とし、その二を被告の負担とする。

理由

一、昭和三三年七月一五日午後四時頃原告が東京都大田区馬込町東二丁目九六三番地青旗屋こと大谷包の店先の道路を横断歩行し、同所一三八二番地八百梅こと渡辺兼吉の店先に達しようとした際、該路上で訴外安西文武が操縦する自転車に接触したことは当事者間に事がなく、この接触事故により原告が左大腿骨頸部骨折の傷害をうけたことは、原告本人尋問の結果およびこれによつて成立を認める甲第一号証の一、二の記載によつて認めることができ、反対の証拠はない。

二、右本件事故の発生について、原告はこれを訴外安西文武の自転車操縦の際の前方注視義務懈怠、左側通行違反であると主張するのに対し、被告はこれを争うので、まずこの点について判断するに、当裁判所の検証の結果に証人安西文武同阿部いのゑの各証言および原告の本人尋問の結果(但し後記措信しない部分を除く)を合せ考えれば、原告は事故前下宿人等の食事の準備のため小高肉屋へ買物に出かけその帰途で本件事故に遭つたものであること、その時青旗屋の前あたりには中型のトラツク一台が青旗屋寄りに駐車していたこと、原告は右トラツク直前を通つて八百梅前に道路を横断しようとしたのであつたが、折しも第二京浜国道の方からこの通りを左側寄りに自転車で進行してきた安西文武は青旗屋前に中型トラツク一台が駐車しているのをその手前約三五米のあたりで認めその手前二、三米の地点でそのトラツクをさけるため稍右寄りに進路をかえ、トラツクの右側を一・五米位の地点で原告が横断進行してくるのを認め急ぎブレーキをかけたが及ばず、出合がしらにその操縦する自転車を原告に接触せしめ、本件事故をひき起すに至つたことを認めることができる。この点について、原告は駐車していたトラツクが動き出した後、したがつてその後方を横断したものである旨供述しているけれども、該供述部分は、前記認定の資料に供した各証拠に照して措信することができないし、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

当裁判所の検証の結果及び成立に争のない甲第七号証の一ないし八によれば、本件事故現場は、北方約五〇米、南方約六、七〇米にわたつて直線でよく見透しのきく場所であるが、午後四時三〇分頃には人または自動車等車輛の往来が相当頻繁であるにもかかわらず、格別横断信号機の設置その他横断のための設備がないことが認められるので、通行人は互に自己の交通の安全を期するとともに他人の交通についても注意するところがなければならない。この見地にたつて本件事故の発生をみるに、原告が横断について万全の注意を払つたといえるか否かはともかくとして、訴外安西文武は、駐車中のトラツクの陰になる前方を左から右に出てくるかも知れない横断歩行者のために何時でも進行を停止して接触をさけることができるよう事前の注意を払うべきであつたにもかかわらず、二、三米手前で原告の横断を発見し、急停車の処置をとつたけれども、余りにも接近していたので及ばなかつたということになり本件事故の発生について過失の責を免れえないものといわなければならない。

三、そこで本件事故によつて原告がこうむつた損害の額について判断する。

1  (証拠―省略)を綜合すれば、名倉堂横本接骨院(接骨師横本伊勢吉)に治療費合計二六、五〇〇円を支払い、大森日赤病院に診察料五五〇円、治療費二〇〇円を支払い、通院のため、バス代四〇〇円を支出し、治療中家政婦として雇入れた佐藤ときに賃銀及び車代として合計三一、六四〇円を支払つたことを認めることができ、これに反する証拠はない。

2  原告は、賄附下宿人を置いて月約一五、〇〇〇円以上の利益をえていたが、本件事故による傷害の後遺として歩行困難な跛となつた結果、下宿人の賄をすることができなくなり、下宿は間貸のみとなり、一ケ月約七、〇〇〇円を下らない収入減少となつた旨を主張し(証拠―省略)によれば、本件事故の結果、治療を完了した現在、仍左下肢が約二糎半短縮し、歩行に多少不自由を感じていることが認められる。被告は、原告は十年位前に足か腰を痛めて跛行していたので、この機能障害が本件事故によるものといえない旨主張するけれども、これを認めるに足る証拠はない。したがつて、原告が家庭内の労働に従事する際多少の労働減殺の結果を生ずることは容易に了解することができるけれども、他面原告の本人尋問の結果によれば下宿の用に供する家屋の改造による部屋の模様替、部屋代の値上げ等によつて原告の収入は減少しないでいることが認められるから、結局この点については損害の額について立証がないことになるのである。

3  よつて、本件事故による傷害によつて原告がこうむつた精神的苦痛に対する慰謝料額について判断するに、原告の本人尋問の結果によれば、原告は、七四歳の老女であつて夫伊藤熊次郎は戦前繊維製品の貿易に従事し、原告は夫とともに外国生活をしたこともあつたが、戦後は、息子夫婦または娘夫婦と同居し、生活の一助とするため下宿人をおいてきたものであることを認めることができ、証人安西文武の証言によれば、加害者安西文武は格別資産のない馬込東中学校三年に在学する一中学生にすぎない者であつたことを認めることができる。

これらの事実に前認定の傷害の部位、程度を参酌して認められる本件事故によつてうけた原告の相当深刻な精神的苦痛を合せ考えれば、その慰謝料の額は金一五万円をもつて相当と認める。

4  したがつて、本件事故によつて原告がうけた損害は、物的なものと精神的なものとを合せて総額二〇九、二九〇円となるわけである。

5 しかしながら、前認定から容易に推論することができることは、原告が駐車していたトラツクの前方を横切つて道路を横断するにあたつては、そのトラツクの陰から自動車、自転車等が疾走してきて衝突の事態を惹き起すことがないかどうかを考慮すべきであり、それをさける為にはトラツクの左側の見透しがきく地点まで進行したときに特に右方を注意し、そのおそれのないことを確認したうえでなければ進行を再開すべきでないのに、原告においてそうした点に注意を払つたことの形跡が全く認められないことである。原告のこうした注意の欠如は本件事故の発生について訴外安西文武の前認定の過失に比べ、まさるとも劣らない重要なものであるといわなければならない。したがつて、本件事故による原告の損害にして加害者側が賠償すべき額を算定するにあたつては、いわゆる過失相殺として、この事情を十分に参酌すべきである。かくて、当裁判所は、原告がうけるべき賠償の額は金一五万円をもつて相当と認めるのである。

四、成立に争のない甲第六号証によれば、加害者たる安西文武は昭和一八年八月二三日亡安西禧男を父とし、被告房江を母として生れたものであることを認めることができるから、その年齢は、本件事故当時満一四年一一月であつて、一中学生にすぎなかつたものというべく、かくてはとうてい本件事故の結果について法律上の不法行為責任を弁識するに足るべき知能を具えたものとはいえない。すなわち、加害者安西文武は本件不法行為の当時未成年者であつて、本件事故について責任無能力者であるというべく、したがつて、被告は親権者として法定の監督義務を負う者といわなければならない。

被告は、訴外木曽志津江に文武の養育並びに監督の一切を委せていたのであるから、同訴外人が監督責任を負うならばともかく、もはや被告には監督責任がない旨主張する。しかし代理監督者をおいたというだけで親権者の法定の監督責任が免脱されるとはとうてい考えられない。けだし、親権者は、代理監督者をおいた場合であつても、何時でも法定の監護教育の権利を自ら行使しうるべき者であるからである。そして被告の主張にもかかわらず、本件事故が親権者たる被告及び代理監督者たる木曽志津江の監督上の注意をもつてもさけえなかつたものであることを認めるに足る証拠は全く存在しないところであるから、被告は、文武の本件事故についての責任を免れることができないといわなければならない。

五、以上のしだいであるから、原告の本訴請求は、右に説示した限度において正当というべく、したがつて金一五万円とこれに対し本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明かな昭和三五年五月二八日以降右支払いずみにいたるまでの民法所定の年五分の遅延損害金の支払を求める部分を認容し、その余の部分を失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九二条の規定を適用して主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第二七部

裁判官 小 川 善 吉

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