東京地方裁判所 昭和35年(ワ)4828号 判決 1962年6月25日
参加人 矢野友秋
原告(脱退) 矢野貞子
被告 松本英子
主文
被告は参加人に対し金四十五万円およびこれに対する昭和三七年四月三日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
参加人のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを三分し、その一を被告の負担とし、その余を参加人の負担とする。
事実
第一申立および主張
参加人代理人および被告代理人において陳述した当事者双方の申立および主張はそれぞれ別紙要約書のとおりである。
第二証拠関係<省略>
理由
一、参加人が昭和三三年四月二三日被告から本件建物を本件敷地の借地権と共に代金百五十五万円で買受け、同月三〇日その旨の登記手続を了えたこと、右売買契約の締結にあたつて、被告は参加人に対し、借地権の譲渡について被告の責任と負担において地主の承諾を受けることを約束したこと、当時本件敷地を含む本件土地は財団法人生和会の所有名義で登記されていたこと、被告は財団法人生和会から賃料一ケ月金五百十九円で普通建物所有の目的で本件敷地を賃借していたところ、右土地について昭和三四年八月七日生和会から訴外ハリマヤ運動用品株式会社(以下ハリマヤと呼ぶ)へ所有権移転登記がなされたことはいずれも当事者間に争いがない。
二、(一) 被告は、参加人に対する借地権の譲渡につき、当時本件敷地の所有者であつた財団法人生和会の承諾を得た旨主張するけれども、被告の全立証その他本件各証拠によつても、そのような事実は認められない。
(二) かえつて証人村重嘉勝、同稲枝豊彦の各証言、参加人本人、被告本人(ただしその一部)各尋問の結果を総合すると、
(1) 被告は前示一のようにその負担と責任において借地権譲渡につき地主の承諾を得べき債務を負つたので、その頃お茶の水女子大学附属高校の事務官で生和会名義で本件敷地の地代の収納事務を担当していた稲枝豊彦および同附属中学の教員で、同P・T・Aの役員でもある村重嘉勝に面会し、本件建物を売却するので借地権の譲渡につき承諾を得たい旨を申し入れたけれども、稲枝、村重とも諾否の確答を与えず態度を濁していたこと、
(2) 他方参加人およびその妻貞子(脱退原告)も同年五月から七月にかけて合計四、五回にわたり稲枝または村重に面会し、借地権を譲受けたので地代を支払いたいと申し入れ相応の金員を提供したけれども、その都度、本件土地の所有者は実はお茶の水女子大学附属高校、同中学両P・T・Aでありその会議にかけて議決されるまでは確答できない等と口実を構えられ、地代の受領を拒まれ、結局借地権の譲渡についての承認をも得られなかつたことがそれぞれ認定できる。而して証人村重嘉勝の証言によれば当時すでに本件土地は売却する方針で実質的な所有者である前記両T・A・Tにおいて買主を物色し、訴外ハリマヤ運動用品株式会社との間でその交渉が始つていたので、村重等は借地権の譲渡を承認する意向は全くなく、ただ被告や参加人にはその態度を濁していたものと推認される。被告本人尋問の結果のうち以上の認定に反する部分は措信しない。
(三) それ故、稲枝(村重も含めても)が被告に借地権の譲渡について承諾を与えたことを前提とする被告の各表見代理の主張はその前提たる事実を認め得ないから、その余の点につき判断するまでもなく失当である。
(四) また被告は、稲枝を介して生和会の默示の承認があつた旨主張するが、その主張を認めるに足るだけの充分な証拠はなく、かえつて前記(二)に認定したところに照らせば、被告の主張するような默示の承認も期待し難い状況にあつたことは明らかであるから、その主張は採用できない。
なお默示の承認の点につき被告は仮定的に稲枝に表見代理が成立すると主張するけれども、右に判断したように默示の承認があつたと推認すべき事実の存在が認定できない以上、稲枝の代理権ないし表見代理の点につき判断するまでもなくその主張は失当である。
三、さらに被告は、参加人が昭和三四年四月末頃被告の借地権譲渡について承認を得る義務を免除したと主張するけれども、その主張するような言動が参加人にあつたとしても、これによつて直ちに被告の右義務を免除したものとは解されないから主張自体失当として排斥を免れない。
四、被告は、地主の承諾を得るためできる限りの努力を払つたにもかかわらず参加人の故意過失によつて承諾を得られなかつたのであるから、被告には債務不履行の責任はないと主張するけれども、建物の売買に際して売主の負担と責任において買主のため借地権の譲渡につき地主の承諾を得べき旨の約定がなされた場合は、反対の事情がない限り、地主の承諾を得られない場合にはそれによつて買主の蒙るべき損害を賠償すべき旨の一種の損害担保に関する合意を包含するものと解するのが相当でありこの種損害担保契約における債務者の責任は、損害の発生が債務者の責に帰し得ない事由に因るものであること(債務者の無過失)をもつて免責事由とすることはできず、ただ損害の発生が債権者の責に帰すべき事由に因る場合にのみこれを抗弁とし得るものと解するのが妥当である。然るところ仮に被告の主張するように参加人が稲枝を訪問しなかつた事実があつたとしても、それがために被告が本件借地権の譲渡につき地主の承諾を得ることができなかつたことを認めるに足る証拠はなく、その他被告の全立証および本件各証拠に照らしても、地主の承諾を得られなかつたことが参加人の責に帰すべき事由に因るものであることを認めるに至らないから、結局被告の前記抗弁もまた採用できない。
五、そこで参加人の蒙つた損害について検討するに先立ち、本件土地の所有権の帰属について考えるに、
(一) 本件土地についてもと株式会社勧業銀行の所有名義で登記せられていたところ、その後財団法人生和会に所有権移転登記がなされ、ついで昭和三四年八月八日ハリマヤに所有権移転登記がなされていることは当事者間に争いがなく、この事実ならびに証人与田勝蔵、同稲枝豊彦、同村重嘉勝の各証言、参加人本人尋問の結果を総合すると、
(1) 本件土地はもと株式会社勧業銀行の所有であつたものを、お茶の水女子大学附属中学校の運動場にあてる目的で、お茶の水P・T・Aが他の五筆の土地と一括して買受けたものであるが、同P・T・Aは法人格を有しない社団であつたので、お茶の水女子大学の前身である東京女子高等師範学校時代に設立されたその外郭団体である財団法人生和会の名義を借りて所有権移転登記をしたこと、
(2) したがつて、買受代金は勿論、土地の固定資産税等はすべて同P・T・Aおよびその後同P・T・Aが同女子大学附属高校と附属中学に分れた後は両P・T・Aの予算に計上支出され、土地の賃料収入も右P・T・Aの収入として取り扱われていたもので、右P・T・Aと生和会との間では他日本件土地等をP・T・Aにおいてどのように処分しても生和会としては異存ない旨が確認されていたこと、
(3) 前記六筆の土地のうち本件土地ほか一筆は飛び地となつていて運動場の敷地としては使用できなかつたので、前記附属高校および附属中学の両P・T・Aはこれを売却することにし、各P・T・Aから選出された連絡委員会の協議に基き昭和三四年八月七日ハリマヤに売渡し、翌八日その登記手続をしたものであるが、前示のとおり、登記簿上は生和会の所有名義となつていたので、右登記も、生和会から訴外会社に売り渡されたもののように表示されていること
がそれぞれ認定でき、これに反する証拠はない。
(二) 右の事実によれば本件土地は法人格のない社団であるお茶の水P・T・Aしたがつてその後身で同じく法人格のない社団であるお茶の水女子大学附属高校、同附属中学P・T・Aの所有(共有)するところであつたものというべく、権利能力なき社団の財産関係を総有と解すると否とにかかわらず、両P・T・Aがその構成員の意思に基いて本件土地を処分するものである以上、たとえ登記簿上は財団法人生和会の名義で所有権移転登記がなされていても、その処分権が両P・T・Aに留保されているかぎり自由にこれを第三者に売却できることは言うまでもないところである。而してハリマヤは前示認定のとおり本件土地を両P・T・Aから買受け、かつその所有権につきすでに対抗要件をも備えたものであるから、ハリマヤの経由した所有権取得登記が現在の権利関係に合致するものである以上、たとえ生和会からの移転登記であつても何人もその所有権の取得を争うことはできないものというべきである。
(三) これに反し、被告は、善意の第三者との関係では生和会をもつて本件土地の所有者とみるべきであるから、生和会から譲り受けないかぎりハリマヤが本件土地の所有権を取得すべき理由はないと争うけれども、生和会が登記簿上本件土地の所有者として表示されている間に生和会からその所有権を譲り受け、これについて登記を経由した善意の第三者が存在しない以上は、真実の所有者である前記両P・T・Aから本件土地を譲受けかつ登記をも備えたハリマヤの所有権取得を否定すべき理由はない。もつとも、前記P・T・Aが本件土地等を買受けるに際し、生和会の承諾を得その名義で所有権取得登記に及んだことは、それが典型的な通謀虚偽表示に該らないとしても、民法九四条二項の法意に照らして、(中間省略の形式でP・T・Aから生和会へ所有権の移転があつた旨の通謀虚偽表示と解すれば当然に)生和会が所有者としてなした各種の処分行為の効力は相手方が善意であるかぎりこれを否定できないものと解するのが相当であるが、同法条の趣旨は、善意の第三者が取得した権利は、通謀虚偽表示であるとの理由によつては害われないものであるというにとどまるから、この権利と抵触しないかぎり隠れた(真実の)権利者の有する権利が直ちに消滅するものではない。これを本件に即していえばたとえ生和会が被告のため借地権を設定したとしても、その借地権は正当な所有者から設定を受けたものとして有効であるけれども、それだからといつて当然に真実の所有者である前記P・T・Aの所有権が消滅するわけではなく、ただ後日虚偽表示の状態が解消されたとしても前記P・T・Aおよびその承継人であるハリマヤはこの借地権を対抗される結果となるにすぎない。これと見解を異にする被告の主張は採用の限りでない。
(四) なお本件土地の売却もしくはその所有権移転登記手続に際し財団法人生和会がそのいわゆる普通財産の処分に必要な定款所定の手続を経ていないとしても、元来本件土地は生和会の資産でない以上むしろ当然のことであつて、これを非難する被告の主張は失当である。
六、(一) すでに判断したとおり、被告は本件建物を参加人に売り渡すに際し、借地権の譲渡について地主の承諾を得ることを被告の負担と責任においてなすことを約したものであり、成立に争いがない乙第二号証(右売買契約書)によれば、これによつて被告は、借地権の名義変更をその費用でなすべきいわゆる名義書換に関する債務を負担したものと解されるところ、被告が地主の承諾(生和会であると前示P・T・Aであるとはたまた訴外会社であるとを問わない)を取りつけたことを認めえず、しかもその主張する免責の抗弁も採用できないから、被告は参加人に対し借地権譲渡につき地主の承諾を得られなかつたことによるその損害を賠償すべき義務があることは明らかである。
(二) ここにおいて参加人は本件口頭弁論終結時における本件敷地の借地権設定に要するいわゆる権利金(借地権設定の対価)は坪当り金七万七千円であるが少くも被告が斯る権利金の高騰を予測し得たと認められる範囲内で坪当金五万二千五百円の割合で計算した合計金百四十六万五百五十円の損害賠償を請求するというけれども、参加人は昭和三五年(ワ)第一、三四〇号建物収去土地明渡請求事件(原告ハリマヤ、被告参加人。以下別件訴訟と呼ぶ)における第一回口頭弁論期日(昭和三五年三月二二日)において地主である訴外会社に対し借地法一〇条に基き本件建物の買取請求をしたことは当裁判所に顕著な事実であるから、これにより、本件敷地を目的とする賃貸借契約(ただし、被告と地主との間に成立したもの)は消滅したものと解すべく、同時に被告の参加人に対する本件債務は確定的に履行不能となり、代つて損害填補義務を生じたものと解するのが相当である。〔けだし、買取請求権が行使されるまでは被告の相当の出捐によつて(名義書換料、権利金等名義はとも角)参加人に借地権を取得させる余地が残されて居るからである。〕それ故少くも右買取請求権の行使された時以後に地価したがつて借地権設定の対価の高騰したことを理由とする参加人の主張はその限りで失当であることは明らかである。
(三) のみならず、参加人は損害算定の基準として、新に借地権を設定する場合の対価であるいわゆる権利金をもつて計算するが、更地に新に借地権を設定する場合とすでに登記ある建物が存在する場合に借地権の譲渡につき承認を受ける対価であるいわゆる名義書換料とは必ずしも同額ではなく、むしろ一般には名義書換料の方が低額であることは明らかである。(けだし、更地と建物付地とでは、買取請求権の有無等から地主の保有する経済的価値には相当の隔りがあるからである。)それ故本件敷地について借地権譲渡の承諾を得られなかつた場合の損害の算定基準として更地に借地権を設定する場合の対価である権利金相当額を主張する参加人の見解は是認できない。
(四) そこで右日時における被告の損害填補義務について考えるに、本件建物の売買に際し、売主である被告が買主である参加人に対し、借地権の名義書換を被告の負担と責任においてなすべき旨を約した場合には、借地権の譲渡につき地主の承諾が得られなかつた場合に買主である参加人の蒙るべき損害を補填すべき旨の合意を包含するものと解するのが相当であることは既に述べたとおりである。けだし、地主の承諾が得られるか否かは専ら地主の一存に係ることがらであつて、被告が経済的に合理的な限度でその最善を尽したとしても果して名義の書換を受け得るかどうかは明らかでなく、被告はこの点で極めて不安定な地位に立たされているわけであるから斯る債務を負担するに際しては当然承諾を得られない場合には損害の填補責任が生ずることをも考慮しているものとみるのが妥当だからである。
而して、本件のように建物の売買に伴い売主が買主に対し借地権の名義変更について担保責任を負う旨を約したような場合には、特に借地権の取得を主たる目的とし(たとえば大規模な増築をし或は建物を取毀し改築するため等)たような特別な事情がある場合は別論として、そうでない限り通常売主は買主が建物を所有し利用するため建物に従たる権利としての借地権の移転を担保したものと解されるから、特別な事情のない限り借地権の移転につき地主の承諾を得られず従つて買主が建物を買受けた目的が結局害われるに至つたときは、瑕疵担保責任と同様その売買代金額を限度として損害補填の責に任ずる趣旨と解するのが相当である。
(五) なお附言すれば賃借権たる借地権は、当然にはその譲渡を地主に対抗できないものであるから、その財産的価値は斯る譲渡不自由性を前提として算定せらるべきである。それ故賃借権たる借地権の譲渡を前提としてその財産的価値を評価するにあたつては、更地に斯る借地権の設定を受ける場合に通常支払われるいわゆる権利金相当額をもつて直ちに賃借権たる借地権の価格とすることは不適当であり、むしろ今日一般にいわゆる名義書換料を提供すれば地主の承諾を得られる実情にあるとすれば、斯る借地権は通常換価にあたつて名義書換料の負担を伴うものとして、権利金相当額から名義書換料相当額を控除すべき筋合である。したがつて、成立に争いない甲第二号証(ハリマヤから参加人に対する別件訴訟すなわち当裁判所昭和三五年(ワ)第一、三四〇号建物収去土地明渡請求事件における鑑定人深田敬一郎作成の本件敷地の賃借権、本件建物の価格等に関する鑑定書)記載の評価意見のように、本件借地権の価格を単純に更地価格の七七パーセントにあたる金百七万八千六百円と算定し、これといわゆる復成式方法を用い、これから使用経過年数に応じた減耗率を控除して算定した建物の価格である金八十一万二千百円を算術的に合算して直ちに本件建物の借地権付価格とする見解は本件損害額の算定に関するかぎり適切でないから採用できない。(一資料たりうることは勿論である。)
七、右に判断したように、被告は参加人に対し本件売買代金額の限度で損害を補填すべき責任を負うものであるが、その算定にあたつては建物の買主が借地法一〇条に基き買取請求権を有する場合には、右買取代金相当額を控除した残額をもつて、被告が補填すべき参加人の損害と解するのが相当である。
而して、別件訴訟において参加人のなした買取請求の結果、本件建物の買取代金を金百十万円と認め、これと引換に参加人はハリマヤに対し本件建物を引渡すべき旨を判断したことは当裁判所の職務上明らかな事実であるから、これによれば結局被告は参加人に対し、借地権の譲渡について地主の承諾が得られなかつたことによる損害賠償として金四十五万円を支払うべき義務があるものと認められる。
よつて参加人の本訴請求は右に認定した限度で理由があるから右金員およびこれに対する請求の拡張申立書による支払の催告が被告に到達したことの明かな昭和三七年四月二日の第一八回口頭弁論期日(これ以前に送達された証拠はない)の翌日である同月三日から完済に至るまで年五分の割合による民法所定の遅延損害金の支払を認容し、その余の請求は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九三条を適用し、仮執行宣言の申立は、別件訴訟との関連を考慮し、これを付するのは適当でないと認められるので、その申立を棄却し、主文のとおり判決する。
(裁判官 石田哲一 野口喜蔵 山本和敏)
要約書<省略>