東京地方裁判所 昭和35年(ワ)4869号 判決 1962年4月09日
原告 中村基光
右訴訟代理人弁護士 山崎保一
同 松浦勇
被告 菅沼稔
右訴訟代理人弁護士 杉山賢三
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
理由
(争のない事実)
一、訴外電力設備株式会社及び成田政記が昭和三四年一一月三〇日共同して訴外三洋工事株式会社に宛て原告主張の約束手形(以下「本件手形」という。)を振り出したこと、三洋工事が拒絶証書作成義務を免除して湯河原開発興業株式会社に対して本件手形を裏書譲渡し、更に湯河原開発興業が原告に対して本件手形を裏書譲渡したこと、湯河原開発興業の商業登記簿上には被告と成田政記とが共同代表である旨登記されているにかかわらず、前記裏書に際しては被告が湯河原開発興業の取締役社長として単独に裏書をしたことは、いずれも当事者間に争がない。
(裏書の責任)
二、原告は前記裏書につき被告が代表権限を越えたから手形法第八条により被告は本件手形の裏書人としての責任を負担すると主張する。
(一) 証人成田政記の証言の一部≪省略≫によれば、湯河原開発興業の定款には代表取締役一名を選任し、これを社長とする旨の定があり、当初から被告がその代表取締役に選任されていたこと、成田政記は取締役(通称、専務取締役)に選任されたが、本件手形裏書より以前の昭和三四年一〇月二五日取締役を辞任していること、被告は共同代表の登記があることを知らず単独代表として取引していたこと等を認めることができる。
証人成田政記の証言のうち以上の認定に反する部分は信用し難く、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。
この認定事実によれば、少くとも本件手形裏書当時においては、湯河原開発興業の代表者は被告のみであり、従つて被告が単独でその取締役社長としてした本件手形の裏書は適法な代表権限に基いてしたものということができる。
(二) してみると、被告と成田政記とが共同代表である旨の登記はいわゆる不実事項の登記ということになるが、原告はこのように不実事項の登記がある場合、このような登記をした会社自体はもちろんのこと、その代表取締役である被告個人といえども、商法第一四条の類推適用により善意の第三者たる原告に対しその登記が不実であることすなわち被告が共同代表者ではないと主張することは許されない旨主張する。
しかしながら、商法第一四条の規定は、登記の記載を信頼して取引をした者が相手方からその登記事項の不実であることを主張され不測の損害を被ることのないように善意の第三者を保護するためのものである。ところが、原告は被告のみを湯河原開発興業の代表者と信じその裏書を得たことは、成立に争のない甲第一号証によつて明らかであり、裏書を得るまでに同会社について詳細に調査を遂げたことは、後に認定するとおりである。そして、被告が湯河原開発興業の取締役社長としてなした本件手形の裏書が適法な代表権限に基くもので、その裏書の責任は湯河原開発興業が負担すべきものであることは、さきに述べたとおりであるから、原告としてはその責任を問えば足りる。原告にはそこになんらの見込違いもなく、不測の損害も生じていない。このように登記を信頼したのでもない者に商法第一四条ないし第一二条の規定を類推適用する余地はないものといわざるを得ない。後になつてたまたま不実の登記を発見した原告が商法第一四条の保護を求めるのは、同法条を逆用するとのそしりを免れないであろう。
(三) 従つて、被告と成田政記とが共同代表であることを前提とする第一次の請求原因はその余の判断を加えるまでもなく失当である。
(不法行為の責任)
三、次に予備的請求原因について検討する。
(一) 証人福島功、成田政記の各証言及び被告本人尋問の結果によれば、次の事実を認めることができる。
原告が社長をしている株式会社聯合広告社は清和産業株式会社に対し広告料の債権をもつていたところ、たまたま同会社から本件手形を割引いてくれるなら、その内から広告料を弁済するとの申し入れを受けた。
原告は同会社の代表者田々宮与三郎に対し保証の意味で資力の確実な第三者の裏書を求めたところ、田々宮から湯河原開発興業に裏書して貰うからといつて被告を紹介して来た。そこで原告は社員の福島功を湯河原開発興業の所在するところへ四、五回派遣して、被告に本件手形の裏書を依頼した。
他方、原告は福島をして電力設備株式会社(本件手形の振出人)を訪問させてその代表者である成田政記から振出人らんに署名捺印をしてもらう、とともに、同人や三洋工事株式会社(本件手形の裏書人)のみならず湯河原町役場等について湯河原開発興業及び被告の資産状況を調べさせた。そしてその資産状態が良好であると聞き、現に湯河原開発興業のホテルの建設現場に三洋工事株式会社の飯場があり、建築材料も搬入してあり、敷地は整地されてあつたことを見とどけ、更に被告の居宅が立派だつたことから、被告及び湯河原開発興業の信用状態が良好であると判断した。
被告は湯河原開発興業のホテルの建築を成田政記の経営する電力設備株式会社に依頼しており、成田から電話で本件手形に福島のいうとおり裏書して貰いたい旨頼まれ、福島からの再三の依頼を断りきれず、昭和三四年一二月自宅において福島功の持参した本件手形に湯河原開発興業の取締役社長として裏書をした。
(二) 原告は「湯河原開発興業に資力がないにもかかわらず被告が福島功に対し、湯河原開発興業の資産状況について、鉄筋四階建のホテルを建設中でもあり、資力があるから、一旦裏書するからには原告に迷惑をかけない趣旨のことを申し述べたので、原告はそれを信用し裏書を得て割引いた。」と主張するが、前掲福島功の証言によつても被告が福島に対しそのようなことを申し述べたことを認めるのに十分ではなく、その他この主張を認めるに足りる証拠はない。
(三) 従つて、被告が福島を欺罔する行動があつたとはいえないから、それがあることを前提にする予備的請求原因もまた、その余の判断を加えるまでもなく失当である。
四、よつて原告の本訴請求はいずれも失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 古関敏正 裁判官 三淵嘉子 竜前三郎)