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東京地方裁判所 昭和35年(ワ)5140号 判決 1962年6月25日

荒尾信用金庫

理由

被告荒尾信用金庫は、本件為替手形の引受の如きは信用金庫の目的の範囲外の事柄であるから、被告金庫に手形上の責任を生じ得ないと主張するので、先ずこの点について判断するのに被告金庫が信用金庫法に基き設立された法人であることは当事者間に争いがなく、証拠によれば、被告金庫の定款第二条には「事業」として次の事項が掲げられていることが認められる。

「第二条 この金庫は左の業務及びこれに附随する業務を行う。

一、預金又は定期積金の受入

二、資金の貸付(会員以外の者に対する貸付についてはその預金又は定期積金を担保とするもの及び地方公共団体又は銀行その他の金融機関に対するものに限る。)

三、会員のためにする手形の割引

四、金融機関の業務の代理」

これによれば、被告金庫は信用金庫法第五十三条及びこれに拠つたものと認められる定款第二条に定める範囲内で受信及び与信業務とこれに附随する業務をなし得るものであることはその主張のとおりである。

しかしながら、定款に特別な定めがない限り、銀行業務を目的とする法人にとつて手形行為の如きはその受与信業務とこれに附随する業務を円滑に遂行するための手段であつて、事業目的そのものではないから、手形能力の存否の如きは専らその事業目的の遂行に必要ないし有益であるかどうかの観点から決すべき事柄である。そうであれば、被告金庫は営利法人ではないけれども、右に認定したような銀行業務を目的とする法人であること、並びに今日の取引社会において商品流通および信用授受に占める手形取引の重要性を合せ考えるならば、その手形能力を全面的に肯定することが被告金庫の目的の遂行に有益であるにとどまらず、むしろ必要なものであることは多言を要しない。被告金庫は手形割引手形貸付をする場合に限つて手形能力を有し、為替手形の引受の如きはその能力外であるかのように主張するけれども、手形能力を肯定する根拠が右に述べたところに求められるべきものであり、しかも取引の安全の要請からできるかぎり抽象的、画一的に定められることが望ましいことに鑑みれば、裏書はできるけれども引受はできないというように、手形行為の種類もしくは効果によつて個々にその権利能力の存否を決しようとする考え方は到底採用できない。

のみならず、被告金庫の定款に「資金の貸付」および「これに附随する業務」とあるのは、その与信業務を金銭消費貸借のみに限定する趣旨ではなく、現実に金員を貸渡すことに代え、当座貸越契約を締結して小切手につき支払保証をなし、或いは一定の担保を徴して約束手形の保証をなし、もしくは為替手形の引受をする等の与信行為をも許容する趣旨に解するのが相当である。従つて、次に判断する員外貸付の問題を除けば、金融機関として与信業務をその目的の一とする被告金庫が為替手形の引受をすることは、まさに定款所定の目的を遂行するための一態様にほかならないから、一般的に為替手形の引受をする能力がない旨の被告金庫の主張は失当である。

そこで、いわゆる員外貸付の主張について判断する。本件為替手形の引受を求めた西部開発株式会社もしくは西山富男が被告金庫の会員でなかつたことは前記認定のとおりであるけれども、信用金庫は信用協同組合とは異なり、預金定期積金の受入はそれが会員からであろうと非会員からであろうとその間に何らの制約もなく、「資金の貸付」も預金、定期積金を担保とすれば会員以外の者に対しても随時なし得ることは信用金庫法第五十三条、被告金庫定款第二条第二号に明らかなところである。

このように、員外貸付の適法性が専ら一定の担保を徴したか否かに係り、全面的に員外貸付が禁じられたものでない以上、もはやこれによつて被告金庫の手形能力の存否が左右されるものと解すべき余地はない。けだし、権利能力の存否の如きは、元来抽象的画一的に定められるべきものであつて、個々の取引に当つて所定の担保を徴したか否かによつて手形能力が左右されるというようなことは取引の安全の要請からは到底忍び得ないところであり、いわゆる員外貸付が違法だからといつてかかる取引の安全を犠牲にしてまでも手形能力を否定しなければならない合理的な理由に乏しいからである。従つて、被告金庫はその員外貸付が違法であると否とに拘りなく手形能力を有するものであり、仮りに違法な員外貸付が即無効なものであるとしても、それは、原因関係上の抗弁事由となるにすぎないものと解する。

よつて進んで、吉田政彦による本件為替手形の引受の記載をもつて、被告金庫の引受行為として成立したものと認められるかどうかについて判断する。

前記認定のように、吉田政彦が被告金庫の代表理事である以上、たとえ被告金庫内部において、その手形行為の権限を制限したとしても、また吉田政彦がその代表権限を濫用したとしても、そのような事由は、悪意の第三者に対してでなければ対抗できない性質のものであるから、原告が悪意であるとの主張がなく、これを認めるに足る証拠もない本件においては、少なくも原告との関係では、その余の手形関係者の善意、悪意を論じるまでもなく、吉田政彦に被告金庫を代表して手形行為をする権限があつたものと認めざるを得ない。

そこで、吉田政彦が、内部的にも手形行為の権限がある理事長藤岡義勝の代表名義を擅に使用した本件引受行為の効力について考えるのに、自然人の手形行為については署名(手書)の代行さえ認められることからみれば、手形行為の効果が本人に帰属するためには、最少限度本人の表示と本人に代つて手形行為をする権限とがあれば足りるものというべく、ここにいう本人に代つてする権限は、署名代行の権限に限らず、代理権もこれに該るものと解するのが相当である。そうであれば、法人の手形行為は、機関による以外にはあり得ないが故に、必ず代表形式によることを要し、法人の商号のみを記載しただけでは足りないとする伝統的見解に立つとしても、最少限度代表形式による法人(本人)の表示と、法人に代つて手形行為をする権限があれば足りるものと解すべきであつて、表示された代表機関が自ら手形面上に署名捺印したことを要しないのは勿論、その代表機関から署名代行の権限等を与えられた場合に限らず、他の代表機関の有する固有の代表権限もまたここにいう法人に代つてする権限に該るものと解するのが相当である。

それ故、吉田政彦が被告金庫の代表理事であり、その代表権の内部的制限および濫用の点について原告に対抗できないものである以上、同人が代表理事(理事長)藤岡義勝の名義を用いて本件為替手形の引受をなしたことも、その引受行為の効力が被告金庫に帰属するについて何ら支障となるべきものではない。

以上判断したところにより、吉田政彦のなした引受の記載は被告金庫の行為として有効に成立したものと認められるから、被告金庫は本件為替手形の引受人としての義務を負担すべきものであることは明らかである。

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