東京地方裁判所 昭和35年(ワ)596号 判決 1962年9月28日
原告 土橋一郎 外六名
被告 茂木直三 外一名
主文
一、被告らは各自、原告土橋一郎に対し金一、一八八、二八七円、原告土橋かほる、同土橋一夫に対し各金八八四、九九六円、原告法月トミに対し金六六、六六七円、原告法月光次郎、同法月明四郎、同法月照子に対し各金一一、一一一円および各これに対する昭和三五年二月六日から各完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。
二、原告らのその余の請求を棄却する。
三、訴訟費用はこれを三分し、その一を原告ら、その余を被告らの各負担とする。
四、この判決は原告土橋一郎において金四〇万円同土橋かほる、同土橋一夫らにおいて各金三〇万円、原告法月トミにおいて金二万円その余の原告らにおいて金五〇〇〇円の担保をそれぞれ供するときは各その勝訴部分に限り仮に執行することができる。
事実
一、当事者の求める裁判
原告ら訴訟代理人は「一、被告らは各自原告土橋一郎同土橋かほる、同土橋一夫に対し金三三六万円およびこれに対する昭和三五年二月六日から完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。二、被告らは、各自原告土橋一郎に対し金四二六、一五六円およびこれに対する昭和三五年二月六日から完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。三、被告らは各自原告土橋かほる、同土橋一夫、同法月トミに対し各金十万円訴外亡法月利平の遺産相続人たる原告法月トミ、同法月光次郎、同法月明四郎、同法月照子に対し金一〇万円および各これに対する昭和三五年二月六日から完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。四、訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、被告ら訴訟代理人は「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求めた。
二、原告らの主張
原告らは請求の原因として次のとおり述べた。
(一) 原告土橋一郎はその妻訴外亡土橋高子とともに肩書住所において飼料の製造販売、米穀配給、燃料小売等の営業をしていたもの、原告土橋かほるは昭和三〇年二日二日、原告土橋一夫は昭和三一年一二月二九日それぞれ原告一郎と右高子との間に生れた子訴外亡法月訓平および原告法月トミは右高子の実父母、原告法月光次郎、同法月明四郎、同法月照子はいずれも右訓平と原告トミの実子であり、被告佐藤興運株式会社は運送を業とする株式会社、被告茂木直三は被告会社に雇われて自動車の運転に従事する者である。
(二) 事件事故の発生
被告茂木は昭和三四年一〇月九日、被告会社の業務上被告会社所有の日野五四年型トラツク一台に鉄材約七トンを積んでこれを運転して東京方面から藤沢市内に入り、同日午後二時三〇分頃時速約四五粁で原告土橋一郎経営の工場の手前の同市大鋸三三五番地先路上に差しかかつた際無謀にも進行方向左側の歩道に追入し、街路樹、交通標識、および電柱等を折り倒したうえ、右工場前歩道に佇立していた前記土橋高子に右トラツクを衝突同女を顛倒せしめ骨盤複雑骨折および腸断裂ならびにシヨツクによる心臓衰弱により即死せしめ、かつ同所歩道に接して停車中の原告土橋一郎所有の小型貨物三輪車(神六-ぬ二九二六号)に追突してその車体に損傷を与えた。
(三) 被告茂木の過失
右事故は被告茂木の次のような重大な過失に基づいて生じたものであるから、同被告はこれによる損害を賠償すべき義務がある。
(1) 被告茂木は前記トラツクの運転を開始するにあたり、その制動装置その他の構造および装置に関する点検および整備を怠つた。すなわち、道路交通取締法施行令(昭和二八年政令第二六一号)第一七条第九号によれば車馬の操縦者は操向装置、制動装置、警音器、燈火その他の構造および装置が不完全で道路における交通に危険を及ぼすおそれのある諸車を運転してはならない旨定められているところ同被告は本件トラツクの整備点検を怠り右トラツクはサイドブレーキのアジヤストボルトが欠けサイドブレーキがその機能を発揮することができない状態にあることに気づかないままこれを運転したため上記事故に際しサイドブレーキを用いて事故を未然に防止することができなかつたものである。
(2) 被告茂木は安全操縦に必要な操作を怠つた。本件事故現場は遊行寺坂と呼ばれる一〇%の勾配をなす三〇〇米の長急坂路であり、かつ交通輻輳の場所であるから、本件トラツクを運転してかような坂路を下るについては自動車運転者たる者は自動車の制動装置が十分にその能力を発揮しいつにても急停車しうるように配慮しつつ運転を行なわなければならないことはその当然の義務である。しかるに被告茂木はまず第一に本件トラツクのごときエアブレーキ車を運転して右のごとき長急坂路を下降する場合にはギヤーを二速ないし三速に入れて空気圧力の低下を防ぐことが必要でありまた主ブレーキのほかエンジンブレーキを使用することが絶対に必要であるのにギヤーをトツプに入れたまま時速四〇粁ないし四五粁の速度でしかもエンジンブレーキをかけずに走行した。第二に右のごとくエアブレーキの機能を十分に発揮しうるようにするために、空気圧力の低下をきたすごとき操縦方法は絶対に避けなければならないにもかかわらず被告茂木は遊行寺坂を下るにあたつてスピードが出すぎるとペタルを踏むといういわゆるバタ踏みの操作を反覆し、そのために空気圧力を低下せしめてエアブレーキによる制動を不能ならしめた。殊に本件トラツクのごとくTH型トラツクの場合においては空気圧力が3.8~4.0kg/平方センチメートルになると運転台の空気圧力計の合図灯に赤ランプが灯り、運転者に対して圧力低下を知らせる装置になつているところ、被告茂木は前記のごとき運転操作によつてエアブレーキの空気圧力が低下し合図灯に赤ランプが灯つたのにいつたん停車して空気圧力を上げてから発車するとか、ギヤーを低速に入れて空気圧力を高めるような措置をとることもなくそのままトツプギヤーで走行を続けた。そのためにこれらの制動装置を用いて本件トラツクを急停車せしめ事故発生を防止することができなかつたのである。第三に、被告茂木は遊行寺坂を下降中本件トラツクの制動装置が十分に機能しないことに気づくや、進行方向左側の歩道上の街路樹や電柱に右トラツクを衝突せしめてこれを停車せしめんとしたのであるが、本件事故現場の手前には、左折して大船方面にいたる県道があり被告茂木は毎日のように遊行寺坂を通つていたのであるから、右の県道の存在を十分に承知していた筈であり、したがつて上記の場合ハンドルを左に切つて右の大船方面への県道の方に走行することが最も安全かつ適切な方法で、同被告においてこの方法をとることができたにもかかわらずこの方法をとらず、上記歩道上には被害者高子が佇立していることに気ずかないまま右歩道に乗り上げる方法をとつた。このように被告茂木には、本件トラツクの運転につき幾つかの重大な過失があり、その結果本件事故を惹起するにいたつたものである。
(四) 被告会社の責任
被告会社には、被告茂木の選任監督につき次のような過失がある。すなわち被告茂木は本件トラツクのごとき大型車を操縦するようになつたのは、昭和三四年六月二二日被告会社に採用されてからのことであり、しかもエアブレーキ車の正しい使用方法や日野トラツク車の構造についても知識がないのに、被告会社はこれらの点について特別の教育指導を施すことなく本件トラツクを運転せしめた。のみならず本件トラツクには前記のようにサイドブレーキに故障があるほか車輌全般にわたつて整備不良および注油注脂不良等が存するのに、その整備点検に関する監督を怠り、かような故障車をそのまま運転せしめた。しかして被告茂木の本件トラツクの運転は、被告会社の業務に関するものであるから、被告会社は、被告茂木の上記不法行為により生ぜしめた損害につき賠償の責任をまぬがれることができない。
(五) 損害
(1) 被害者土橋高子は昭和四年一一月四日生れで事故当時満二九年一一カ月であり、きわめて健康で結婚以来病臥したことなく原告土橋一郎をたすけて冒頭記載の営業の経営にあたり、主として物品の仕入販売記帳および支払等の業務に従事しその傍ら炊事、洗濯、掃除、裁縫、育児その他一般家事労働に従事していたものであり、右高子の労働を評価すれば少くとも年額四〇万円の労働賃金に相当するものであるから、同人が原告一郎の妻であつた関係上現実に右相当の賃金の支払いを受けていなかつたにせよその生前右額の労働による所得を有していたものとみるべきであり、本件事故によつてこれを失つたものというべきである。しかして同女の生活費は最大限一カ月一万円とみることができるから、右所得からこれを控除すれば同女の一年間の純収益額は二八万円となるわけであり昭和二九年七月の厚生省発表の第九回生命表による日本人の平均余命からみれば同女は少くともなお四〇年間は生存しえた筈で、その間の労働可能年数は三〇年と見積ることができるから右三〇年間において同女が得べかりし収益の額は合計金八四〇万円となり右金額よりホフマン式計算により中間利息を控除すれば現在額は金三三六万円となる。したがつて同女は被告ら各自に対し右額の損害賠償請求権を有していたものというべく、同女の死亡によつて原告土橋一郎、同土橋かほる、同土橋一夫がその遺産を共同相続したので被告らは各自共同債権者たる右原告三名に対し上記金員およびこれに対する被告らへの本件訴状送達の翌日である昭和三五年二月六日から完済にいたるまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。
(2) 原告土橋一郎は本件事故により(イ)葬儀費用として別紙明細表<省略>記載の金額(ロ)死体処置料として金二〇〇〇円(ハ)前記貨物三輪車の破損修理費用として一〇、二〇〇円の各出捐を余儀なくされ、同額の損害をこうむつたから被告らは各自同原告に対し右金一二六、一五六円およびこれに対する前記昭和三五年二月六日から完済にいたるまで民法所定の年五分の遅延損害金を支払うべき義務がある。
(3) 前記高子の死亡により原告土橋一郎は夫として原告土橋かほる、同土橋一夫は子として訴外亡法月訓平原告法月トミは実父母としてそれぞれ著しい精神上の苦痛をこうむつたがその慰藉料額は原告土橋一郎については金三〇万円原告土橋かほる同土橋一夫訴外法月訓平、原告法月トミについては各金一〇万円が相当である。しかして右法月訓平は昭和三六年六月六日死亡し、原告法月トミ同法月光次郎、同法月明四郎、同法月照子がその遺産を相続した。よつて被告らは各自原告土橋一郎に対し金三〇万円、原告土橋かほる、同土橋一夫、同法月トミに対し各金一〇万円法月訓平の遺産相続人としての原告法月トミ、同法月光次郎、同法月明四郎、同法月照子に対して金一〇万円および各これに対する前記昭和三五年二月六日から完済にいたるまで民法所定の年五分の遅延損害金を支払うべき教務がある。
(六) 保険金について
原告土橋一郎が被告ら主張のごとく三〇万円の保険金を受けとつたことは認めるが右は仮渡金であるから被告らの損害賠償義務の確定までは填補の効力を生じない。
三、被告らの主張
被告ら訴訟代理人は答弁および抗弁として次のとおり述べた。
(一) 原告ら主張の(一)の事実中被告会社が運送を業とする株式会社であり被告茂木が被告会社に雇われて自動車の運転に従事するものであることは認めるがその余の事実は知らない。(二)の事実中被告茂木が時速約四五粁で運行したこと、本件トラツクを訴外土橋高子に衝突せしめ、また歩道に接して停車中の三輪車に追突せしめことは否認しその余の事実は認める。(三)の(1) の事実中本件トラツクのサイドブレーキのボルトが脱落していて、制動能力が不充分であつたこと、被告茂木が右トラツクの整備点検を怠つたことは否認する。(三)の(2) の事実中本件事故現場が遊行寺坂と呼ばれる一〇%の勾配をなす坂路であること交通輻輳の場所であること本件事故地点直前に左折して大船方面にいたる県道の存すること、本件トラツクがエアブレーキ車で原告ら主張のごとき構造機能をもつことはいずれも認めるが被告茂木の軽卒な運転として原告の主張する事実は否認する。
(四)の事実中被告茂木が原告主張の日被告会社に雇われたこと本件事故が被告茂木において被告会社の事業の執行中に発生したものであることは認めるがその余の事実は否認する。(五)の(1) の事実中二九歳の女子の平均余命が原告主張のとおりであること、土橋高子の通常の生活費が一万円であることは認めるがその余の事実は否認する。(五)の(2) のうち(イ)については別紙明細表認否欄記載のとおり。(ロ)(ハ)は否認する。(五)の(3) は争う。
(二) 本件事故発生にいたる経緯は次のとおりである。すなわち被告茂木は本件トラツクを運転して遊行寺坂に差しかかる前に自己の車を追い越した三菱ふそうトラツク八屯車にフエンダーを傷つけられ、サイドミラーを飛ぱされたのでかつとしてこれを追跡していたが自己の車の速力が鈍いため徐々に引き離されその中間にさらに自己の車を追い越した数台の自動車に割り込まれて前記トラツクを見失つた。しかし遊行寺坂を降り切った地点に交通信号があるので、そこで捕捉しうるかもしれないと考え、ブレーキを踏みながち時速三〇粁前後の速力で坂を下り、本件事故地点に近づいたとき前方の交通信号が赤となり先行車がいつせいに停車を始めたので自分もまた車のブレーキを踏んだが、その時右ブレーキはすでにエアーを消費し尽していて用をなさなかつた。そこで被告茂木は、すでに目前に前車があるためこれとの衝突を避けるべく、左側歩道に人のないのを見定めて、みずからの危険を睹して突差にハンドルを左に切り、本件トラツクの前動中心動を電柱、街路樹に次々と衝突せしめて停車した。しかるに不幸にも被害者は右電柱または街路樹の破片によつて強打され、即死するにいたつたのである。原告らは、被告茂木がギヤーを低速に切り替えなかつたことを攻撃するけれども同被告は前述のように三五粁前後の速力で運転していたのであるから、この速度では第三速へのギヤーの切替をすることはできずいわんや第二速、第一速への切替は不可能であつて要するにこの場合第三速以下へのエンジンブレーキの併用はできなかつたのである。
仮にかかる切替が可能でありまたサイドブレーキが完全であつたとしても、本件事故地点の傾斜度、荷重等を考慮して右各ブレーキの併用により制動距離がいくらとなるかを明らかにし、これと被告茂木がフツトブレーキが作動しないことを発見した地点と事故発生地点との距離とを比較して論じない限り上記各ブレーキの故障と本件事故発生との間の因果関係の存在は証明されない。また、原告は本件事故、地点直前の大船方面への県道に入ることが容易であり、かつ安全であつたのに、被告茂木はかような方法をとらなかつたことを同被告の過失のひとつとして主張するが同被告によるブレーキの故障発見地点との距離、自動車の速力、廻転半径等を考えるとき、かかる主張が全くの暴論であることは明らかである。被告には土橋高子の死亡に関する原告らの損害賠償請求について自動車損害賠償保障法第三条ただし書の免責を主張するものではないが前記三輪車の破損による損害賠償の請求についてはなお原告土橋一郎に被告茂木の運転に過失があつたことを主張立証する責任があるところ同原告の上記主張によつては被告茂木の過失を認めることができないと主張するものである。
(三) 被告会社は、被告茂木の選任監督につき過失がない。被告茂本は現役運転手としては年配組に属し、妻帯者であつて、しかも過去に交通違反や交通事故の経験は一回もない。被告会社が茂木を採用するにあたつては単に運転免許証のみにたよらず実地試験を行なつておりまた、本件トラツクを操縦させるについて被告会社に採用前に同種車の運転経験があることを確かめている。被告会社はまた運転手を酷使疲労せしめることなく、法定積載量以上の積荷をさせず常に運転手の交通法規違反を戒め本件トラツクについていえば前回の事故にこりて縁起をかつぎ車体検査費用の重複をいとわず車輌番号を訂正する等事故防止には細心の注意を払つているし、また車輌整備については特に留意励行し、東京都陸運事務所の抜打的立入検査においても、使用停止処分を受けた車輌は一台もない。もつとも整備不良、注油不良等の指摘を受けたことはあるが陸運事務所の検査に合格するような車輌は、現に使用中の車輌については、ほとんどないといつてよくブレーキ不良等事故発生に関係のある整備不良の事実は被告会社については全く存在しない。
(四) 被害者土橋高子の得べかりし利益について一言するに、死者の得べかりし利益の喪失による損害の填補は収益の十分なる可能性に対するそれであつて抽象的な収益能力を補償せんとするものではないことに注意しなければならない。労働能力を有し現実に労働をしている者であつても、例えば無償奉仕を一生の使命とする者のごとく右労働によつて収益を得る関係にない者については、死亡によつて得べかりし財産上の利益を喪失したということもありえないわけであり損害賠償の問題を生ずることはない。仮に労働能力の填補の観念を肯定するとしても本件におけるごとく営業活動としての労働のほかに家庭における主婦として家事労働に従事する場合においては、これらの労働を抽象的に一般被傭者の労働と同視してその価値を評価し、これをもつて直ちに得べかりし利益の額とすることは許されないのであつて被害者自身の生活費を控除するのはもちろん、被害者が自己自身のためおよび報酬を期待すべからざる家族に対する義務履行としてなされる労働部分を差し引いてその労働の価値を定めなければならないのである。
(五) なお原告土橋一郎は本件事故により自動車損害賠償保険金三〇万円を受けとつているから、右限度においてその損害は填補されている。
四、証拠<省略>
理由
一、原因関係
(一) 被告会社が運送を業とする株式会社であり、被告茂木が昭和三四年六月二二日被告会社に傭われ、自動車の運転に従事する者であること、被告茂木が昭和三四年一〇月九日被告会社の業務上被告会社所有の日野五四年型トラツク一台に鉄材約七トンを積み、これを運転して東京方面から藤沢市内に入り、同日午後二時三〇分頃、原告土橋一郎経営の工場の手前の同市大鋸三三五番地先路上に差しかかつた際進行方向左側の歩道に侵入し、街路樹、交通標識および電柱等を折り倒して停車したこと、その際工場前歩道に佇立していた訴外土橋高子が顛倒せしめられて骨盤複雑骨折および腸断裂ならびにシヨツクによる心臓衰弱によつて即死したことはいずれも当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第三、第四号証と証人広木啓司の証言、原告土橋一郎、被告茂木直三各本人尋問の結果および検証の結果をあわせると、右土橋高子の受けた傷害は、被告茂木の運転する前記トラツクが上記のように歩道に進入して同女に接触これを顛倒せしめたためであることおよび右トラツクはさらに右歩道に接して停車中の原告土橋一郎所有の小型貨物三輪車(神六-ぬ二九二六号)の後部に追突し、その車体の左後部に損傷を与えたことを認めることができ他に右認定を左右する証拠はない。しかして被告会社は自己のために上記自動車を運行の用に供した者であり、その運行によつて前記土橋高子の生命を害したものというべきであるから、これによつて生じた損害を賠償すべき責任があることは、自動車損害賠償保障法第三条本文の規定によつて明らかである。よつて次に被告茂木に同様の責任があるかどうか、および被告らが上記小型貨物三輪車の損傷によつて原告土橋一郎に与えた損害について賠償の責任があるかどうかを検討する。
(二) 前掲当事者間に争いのない事実と証人柔原武夫、同広木啓司の各証言、被告茂木直三本人尋問の結果および検証の結果をあわせると、次の事実を認めることができる。すなわち、被告茂木は、上記のように本件トラツクを運転しながら東京方面から藤沢市内に入り遊行寺坂にさしかかる前後から来た三菱ふそうトラツクが同被告の運転する本件トラツクを追い越し、その際本件トラツクのフエンダーを傷つけられさらにサイドミラーを飛ばされたので、思わずかつとなつて右トラツクを追跡したが、同トラツクの方が速力が速やかつたうえ、他の自動車にも追い越されたので、その姿を見失つた。しかし、遊行寺坂を降つた先に交通信号のある箇所があるので、あるいはそこで右トラツクを捕捉しうるかもしれないと考え、絶えず前方を走る自動車に注意しながら、時速約四五粁で遊行寺坂にさしかかつた。遊行寺坂は約一〇%の勾配をなす長さ約三〇〇米の坂道で自動車の交通はきわめて頻繁であり、(この事実は当事者間に争いがない。)終り約二五〇米はほぼ一直線に藤沢橋の方に降つており、坂を降り切つたところから約一〇〇米先交通信号の存在する交叉点が存在するが、被告茂木は、同坂にさしかかつたのちもエンジンブレーキを使用せずギヤーをトツプに入れたまま、坂路降下に伴なう加速に対しては専らフツトブレーキを踏むという操作を断続的に反覆してこれを防止し、依然平均時速四五粁の速力を保つたまま坂を降つてきたところ、本件事故発生地点から四〇数米手前の地点にさしかかつた際、前記交叉点の交通信号が赤となり、先行車が次々と停車するのを認めたので、自己も停車すべくフツトブレーキを踏んだが利かずさらにもう一度踏んだけれども同ブレーキが全く作動しないことを確認した。ところがすでに前方一七、八米の地点に米を積んだ日通のトラツクがあり、その前にはさらに小型車や観光バスが停車していたので、このまま進行すれば右トラツクに追突して事故を生ずるのは必至であり、他方進行方向左側の幅員二・五米の歩道上には通行人も見当らないように思えたので、被告茂木は本件トラツクを左側歩道上に車道に沿つて点在する街路樹、電柱等に衝突させてこれを停車せしめようとして突差にハンドルを左に切り、本件トラツクを右歩道に進入せしめ、街路樹五本、電柱一本、交通標識一本と順次衝突して次々にこれらを倒したほか、上記のように原告土橋一郎所有の小型貨物車に損傷を与え、歩道上に佇立していた被害者土橋高子を轢き倒し、歩道左側にある看板に接触、これに損傷を与える等して、最初に接触した街路樹の位置から約四〇米近く前方の歩道上にある電柱のところまで走り、右電柱に突き当つてようやく停車することができた。このように認めることができる。被告茂木直三本人尋問の結果中右認定に反する部分は信を措き難く、他に右認定を動かすに足る証拠はない。しかして本件トラツクが空気圧力の作用によつてブレーキを作動せしめるいわゆるエアブレーキを用いた車で、空気圧力が低下してブレーキの作動能力に危険を生ずるような状態になつたときは運転台の空気圧力計の合図灯に赤ランプが灯る構造になつていることは当事者間に争いがなく、証人桑原武夫の証言と被告茂木直三本人尋問の結果によれば、同被告が遊行寺坂を降下する際、速力を調節するためにフツトブレーキを踏む操作を断続的にくりかえし、そのためエアを消耗し、上記合図灯にはすでに赤ランプが灯つていたにもかかわらず、被告茂木はこれを無視してそのまま走行し、上記地点において急停車しようとして始めてフツトブレーキが全く利かないことを発見し、上記のような応急措置をとつたものであることが認められるところ(被告茂木本人尋問の結果中同被告が赤ランプが灯つていることに気がつかなかつた旨の供述部分は、桑原証人の証言と対比して直ちに信を措き難い。)エアブレーキ車を運転して本件遊行寺坂のような坂路を降下する場合殊に交通頻繁で、先行車の停車に伴い自車もいつでも急停車しうるように配慮しつつこれを降る必要のある場合においてはギヤーを二速か少なくとも三速に落して、エンジンブレーキを用いて速力を調節すべく、フツトブレーキを断続的に踏んでエアの消耗をきたすような方法によつて速力を調節することは厳にこれを避け、殊に空気圧力の状態、前記赤ランプの点灯の有無については常に注意し、赤ランプが灯つたときは停車または減速して空気圧力の回復をまつてから進行する等の措置を講ずべきことが自動車運転者としてとるべき当然の注意義務であるにかかわらず、被告茂木はこれを怠たり前記のようにトツプギヤーのままエンジンブレーキを全く使用せず、フツトブレーキをいわゆるバタ踏みをして速力を調節する方法をとつたためエアーを消耗し、さらに赤ランプの点灯によつて危険状態にあることを知りながら前記のような空気圧力の回復措置をとらずにそのまま進行したため、急停車の必要を生じたときにフツトブレーキが全く作動しない状態に陥り、やむをえず前記のように歩道に乗り上げて自車を停車せしめる措置をとり、その結果本件事故を惹起したのであるから、被告茂木に過失のあることは、きわめて明らかであるといわなければならない(なお原告らは、本件トラツクのサイドブレーキのアジヤストボルトが脱落していることに気づかないままにこれを運転したことをもつて被告茂木に過失ありと主張しているが、本件事故発生後右サイドブレーキのアジヤストボルトが消失していることが発見されたことは桑原証人の証言によつて明らかであるけれども、右アジヤストボルトが当初から欠缺していたか、または衝撃によつて脱落する程度に緩んでいたことについてはこれを認めるに足る確証がないのみならず、仮に右サイドブレーキが完全に作動していたとすれば本件事故を防止しえたかどうかについてこれを断定するに足る証拠はない。また原告らは、本件事故地点の手前には左折して大船方面に至る道路があるから被告茂木はハンドルを左に切つて右道路の方向に進行すべきであつたのにこれをしなかつた過失があると主張するが、検証の結果によれば前記認定にかかる被告茂木がフツトブレーキの作動不能を確知した地点は右大船方面に左折する道路の数メートル手前であり、しかも右道路は被告茂木の進行する道路に対して鋭角をなして左に走つているのであるから、たとえ同被告が右道路の方向へ転ずべく、ハンドルを操作しても、完全に左折して該道路の方へ走行することはできず、むしろその曲り角にある家に衝突することが必至であると認められるから、同被告が原告ら主張のごとき方向転換をはからなかつたことをもつてその過失とすることはできない。)
以上の次第であるから、被告茂木が本件事故によつて与えた損害につき民法第七〇九条による賠償の責任があることは明らかである。
(三) 次に被告茂木は、被告会社の事業の執行中その過失によつて本件事故を惹起したものであること上記のとおりであるから、被告会社もまた使用者としてこれによる損害の賠償義務を負担するものであるところ、被告会社は、被告茂木の選任および監督につき相当の注意を払つたから、民法第七一五条ただし書の規定によつて賠償の責任がない旨抗弁するのでこの点を検討するに、証人大野大栄の証言および被告茂木直三本人尋問の結果によれば、被告会社は被告茂木を採用するにあたり単に運転免許の有無を確めるにとどまらず実地試験をも行なつていること、同被告に交通違反や事故の前歴のないことを確認していること、運転手に対しては一般的に交通法規違反を戒め、また事業開始に際しては始業点検を行なつていること、被告茂木に本件トラツクを運転させるについては、一応同種車の運転経験の有無を確めていることをそれぞれ認めることができるけれども傷害事故を生ずる危険の大きい自動車による運搬を業とする被告会社において右程度の措置をとつたことだけでは被告会社が被告茂本の選任監督について相当の注意を払つたものとはなし難く、他にかかる事実を認めるに足る証拠はないから、被告会社の上記抗弁はこれを採用することができない。
二、損害額
(一) 土橋高子の受けた物質的損害
成立に争いのない甲第一号証と原告土橋一郎本人尋問の結果によると前記土橋高子は訴外法月訓平と原告法月トミの間の長女として昭和四年一一月四日に出生し、高等女学校卒業後昭和二九年四月一七日原告土橋一郎と結婚し、本件事故当時原告土橋かほると同一夫の二子を有していたこと、原告土橋一郎は、もと沖電気株式会社に勤めていたが、昭和二四年頃同会社をやめ、飼料や燃料の小売販売業を営みのちに米殻の販売をもあわせ営むようになつたこと、前記高子は原告一郎と結婚後から同原告の商売を手伝つていたが時日の経過につれ原告一郎の上記営業において高子の関与する範囲が大きくなり、子供の世話や家事はほとんど原告一郎の母アサにまかせ高子は主として店の仕事に関係し、原告一郎が商品の仕入れや注文取り、配達等を行ない米殻の販売や飼料燃料の店頭販売、商品の出納、計量、金銭の出納、記帳、電話の応待等の事務は高子がこれを行なつていたことをそれぞれ認めることができ、他にこれを動かすに足る証拠はないところで原告らは、高子の労働を評価すれば年額四〇万円の労働賃金に相当するところ同人は原告一郎の妻である関係上現実に右相当の賃金の支払いを受けていなかつたけれども、その生前右額の労働による所得を有していたものとみるべきである旨主張するに対し、被告らは、不法行為による損害賠償として死者の得べかりし利益の喪失による損害の填補が認められるのは、右死者がその労働によつて収益を得る十分な可能性を有したにもかかわらず死亡によつてこれを喪失した場合に限られ、単なる収益能力の喪失というだけではこれが填補を求めることを得ず例えば無償で労働している者が死亡しても、その労働の価値に相当するものを自己の得べかりし利益の喪失としてその損害を求めることができないのであり、前記高子による原告一郎の仕事の手伝いは、仮にかかる事実があつたとしてもこの種の労働にすぎない旨抗争するけれども、上記のごとき土橋高子の労働を単なる無償奉仕労働と同一視することができないことは明らかであつて、高子が右労働に対して原告一郎からなんらの対価の支払いを受けないのは、単に高子が同原告の妻であり、両者が互にその労働を分担し、相協同して事業を営み収益を挙げ、これによつて一家全体の生活を営むという形をとつているがためにほかならないと考えられ、したがつて現実に賃金等の支払いを受けていないというだけで高子が右労働によつてなんらの収益を得ていなかつたと断ずることはできない。むしろ、本件の場合におけるごとく、妻が夫の営業に関与し、自己の労働によつてその営業を助けている場合においては、その労働の価値を全銭的に評価し、その額に相当する収益を得ていたものと考えるのが相当である。ところで、かような評価の方法としては、妻が具体的に行なう労働の内容を把握し、同種労働を行なう同一経験年数を有する一般女子労務者の平均賃金によつてこれを定めるという方法が考えられるけれども、当裁判所は、かような方法は必ずしも妥当ではないと考える。なんとなれば、本件におけるように、外部的形式的には夫が営業の主体であり、妻は一般従業員と同じくその補助者にすぎないとしても、その実は共同経営者の場合と同じく、その労働自体が一般従業員におけるように拘束的労働たる性質をもたず、その反面労働のもたらす収益も固定せず企業収益の多寡に応じて増滅することが当然に予定されている場合においては、妻の労働の価値も一般労務者の平均賃金によつてこれを律せず、当該企業から生ずる収益に照らしてこれに寄与した夫の労働と妻の労働の価値を評価し、右企業収益中妻の労働によつて得られたと認められる部分をもつて右妻の収益となすのが相当であると考えられるからである。そこでこの見地に至つて土橋高子が本件事故当時その労働によつて幾何の収益を得ていたかをみるに、高子は家事をほとんど原告一郎の母アサにまかせ、主として店の営業にたづさわつていたことは前記のとおりであるけれども、企業における原告一郎と高子の地位の相対的比重や経験年数の相違等を考慮するときは、企業収益に対して原告一郎と妻高子の各労働が寄与する割合は六対四と認めるのが相当である。ところで成立に争いのない甲第五号証によれば、原告一郎の昭和三三年度の所得金額は六二六、五四九円であることが認められ、右は専ら原告一郎の上記事業による所得であると考えられるから、上記割合によつて高子が得ていた収益を計算すると、年額二五〇、六二〇円(銭以下四捨五人)となる。よつて他に特段の事由の認められない本件においては、高子は、死亡当時その労働により右金額の収益を得ており、将来もそれだけの収益を得ることができたものと認むべきである(鑑定人河合真志は、右高子の労働の価値を年額四〇万円と鑑定しているが、右鑑定の結果は、主として高子の死亡により原告一郎の営業上の収益が減少したと認められる額を推算し、これをもつて右高子の労働の価値に相当するものと推定し、他面高子の労働時間を月三〇〇時間と推定したうえ同種労働を行なう同一経験年数の一般労務者の平均賃金とその労働時間との対比から右高子の賃金額を想定し、これをも参酌して結局年額四〇万円と認めたものであるが、かくては上記原告一郎の事業所得金額の約三分の二が高子の労働に基づくものであるという結果になり、上に述べた理由に照らしてたやすく採用し難い。)しかし高子の生活費が月平均一万円を要することについては当事者間に争いがないから、同人が生存によつて得べかりし純利益は右収益から生活費を控除し年間金一三〇、六二〇円となるところ、高子は死亡当時満二九才であつたことは前記のとおりであり満二九才の女子の平均余命が少なくとも四〇年であることは当事者間に争いがなく、そのうち三〇年はなお労働能力があつたものと認めて差し支えないから、同人はなお三〇年間は右額の収益を得べかりしものというべく、これを一時に請求するものとしてホフマン式計算方法により法定利率年五分の計算で中間利息を控除するときは、その額は金二、三五四、九八八円(銭以下切捨て)となること(130,620円×18.02931362(利率年5分期数30の単利年金現価率)= 2,354,988円94504440)が計数上明らかである。よつて右高子は、死亡当時被告らに対し、それぞれ右金額の損害賠償請求権を有していたものというべく、同人の死亡によつてその夫である原告一郎、同かほる、同一夫が各三分の一ずつの相続分に応じてこれを相続したから、右原告らは、被告ら各自に対し、各金七八四、九九六円の損害賠償債権を有するわけである(原告らは、相続によつて承継取得した債権は相続人の間で相続分に応じて分割されることなく、共同相続人らの合有債権となるものと主張しているが、当裁判所はこの見解をとらない)。
(二) 原告一郎の受けた物質的損害
原告本人尋問の結果とこれにより成立を認めうる甲第六号証の一から三六までおよび第七号証の一、二によれば、原告一郎は、前記のようにその所有にかかる小型貨物三輪車を破損せしめられたため、その修理代として金一〇、二〇〇円を支出したこと、高子の死亡により葬式費用等として別紙明細表一から三六まで記載のとおりの各支出を余儀なくせしめられたこと(このうち右明細表一から三まで五から一〇まで、十三、十四、二八、二九、三三、三四、三六は当時者間に争いがない。)を認めることができるが、同原告が同明細表三七から四〇まで記載の支出をしたこと、および死体処置料として金二、〇〇〇円の支出をしたことについては、これを認める証拠がない、しかして右明細表の各項目中四、一一、一二、三三の各支出は、葬式費用としては認め難いが、その余は右費用として相当な支出と認められるから、結局原告一郎の受けた物質的損害は、自動車修理費用一〇、二〇〇円と葬式費用九三、〇九一円をあわせて合計一〇三、二九一円となり、同原告は被告ら各自に対し右金額の損害賠償請求権を有するわけである。
(三) 慰藉料
土橋高子の死亡により原告一郎は夫として、同かほる、同一夫は子として、訴外法月訓平および原告法月トミは実父母として、それぞれ精神的に大きな苦痛を受けたことは推察に難くないところ右苦痛に対する慰藉料の額は諸般の事情に照らし、原告一郎につき金三〇万円、原告かほる、同一夫につき各金一〇万円、訴外法月訓平、原告法月トミにつき各金五万円を相当と認める。しかして法月訓平が昭和三六年六月六日死亡し、その妻原告法月トミその子原告法月光次郎、同法月明四郎、同法月照子がそれぞれ右訓平の遺産を相続したことは被告らの明らかに争わないところであるからこれを自白したものとみなすべきである。それ故被告ら各自に対し、原告一郎は金三〇万円也、原告かほる、同一夫は各金一〇万円、原告トミは六六、六六七円、原告光次郎、同明四郎、同照子は各金二、一一一円の慰藉料請求権を有するわけである。
(四) 被告らは、原告一郎が自動車損害賠償保障法による保険金三〇万円を受けとつているから、同一郎の有する債権額から右金額だけ控除すべきである旨主張し、原告一郎が右金額を受領したことは原告らの認めるところであるけれども、原告らは、右は仮渡金にすぎない旨抗争しているところ、右三〇万円が仮渡金でなく原告らに対する損害賠償の支払いとしてなされたものであることについてはなんらの立証がないから、被告らの右抗弁は採用することができない。
三、以上の次第で、原告らの本訴請求中、被告ら各自に対し、原告土橋一郎に金一、一八八、二八七円、原告土橋かほる、同土橋一夫に各金八八四、九九六円、原告法月トミに金六六、六六七円、原告法月光次郎、同法月明四郎、同法月照子に各金一一、一一一円および各これに対する被告らへの訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和三五年二月六日から完済にいたるまで年五分の割合による金員の支払いを求める部分は正当としてこれを認容し、その余は失当としこれを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条、第九三条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 中村治朗)