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東京地方裁判所 昭和35年(ワ)6270号 判決 1965年1月29日

原告 寺本勤

被告 国 外一名

訴訟代理人 河津圭一 外三名

主文

原告の請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

別紙記載のとおり

理由

原告の被告国に対する請求について

被告国は、本案前の抗弁として、原告の本訴請求は被告富川が東京地方裁判所裁判官として昭和三五年七月一一日原告に対し法廷等の秩序維持に関する法律により料した制裁としての過料の決定(およびその他の措置)が違法であることを原因とするものであるところ、右過料の決定については、原告が東京高等裁判所に対し抗告の申立をしたが、東京高等裁判所刑事第四部が同年七月二〇日右抗告を棄却する旨の決定をし、さらに原告が最高裁判所に対し特別抗告の申立をしたが、同年九月二一日最高裁判所第二小法廷において右特別抗告を棄却する旨の決定をし、当時右決定が確定した以上、右の確定裁判たる過料の決定(およびその他の措置)をあらためて本件民事訴訟において違法と認定することはできないものと解すべきであるから、本訴請求は、すでにこの点において失当たるを免れず、速かにこれを棄却すべきであると主張する。

しかしながら、憲法第一七条に由来する国家賠償法はその第一条においてひろく国の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは国がこれを賠償する責に任ずる旨を規定し、ここにいう公務員が裁判官であり、当該行為が裁判権及びそのためにする権限の行使である場合を、なんら除外してはいないのであるから、裁判官による権限の行使を違法として同法にもとずく国家賠償請求の訴があつたときは受訴裁判所は当然これについて審判すべき権限と義務を有するものというべきである。この場合当該裁判官のした権限の行使が裁判そのものであり、右裁判が当該手続において確定し、もはやこれを争うべからざるものとなつたとしても、右裁判を違法として国家賠償法にもとずく訴を提起することは、これにつきなんら実定法上の制限をもたないわが法制の下では、あえてこれを禁止すべき理由はないと解するのが相当である。けだしさきに確定した裁判と後の訴によつて求められる裁判とは、両者全くその目的を異にし、その対象を異にするのであり、さきの裁判において確定したところと後の裁判において確定すべきところとは全く次元を異にするものというべきであるからである。このことはさきの裁判が民事・刑事の裁判であること、あるいは法廷等の秩序維持に関する法律による制裁裁判であることにより別異に解する必要はない。もちろん一般に裁判権の行使、及び裁判作用の特殊性は国家賠償の審判にあたり十分に考慮されるべきこと、後の裁判においてさきの裁判において確定したところと別異の判断をするにはとくに慎重たるべきことが要求されることは、これを肯定すべきものであるが、これ事実上の問題たるに過ぎず、そのために右の結論を左右しない。原告の本訴請求においてその主張の制裁裁判が違法であるか否かは、本件訴訟のいわゆる先決問題たる判断事項に属するものであり、前記確定裁判はなんら内容的に本訴を拘束するものでなく、本件訴訟において当裁判所は独立にこれを判断しなければならないと解すべきである。被告国の右抗弁は採用することができない。

そこで、本案につき判断する。

原告が東京弁護士会所属弁護士、被告富山秀秋が被告国の東京地方裁判所判事補であるところ、昭和三五年七月一一日東京地方裁判所法廷において被疑者岡部武に対する暴力行為等処罰に関する法律違反等被疑事件につき同被疑者に対する勾留理由開示期日が開かれ、同裁判官がこれを担当して列席し、原告が弁護人として他の弁護人青柳盛雄らとともに出頭したこと、これに先立ち同年七月七日同裁判官が書面で原告を主任弁護人に指定する旨を命じ、右命令が原告に到達したこと、同裁判官が右開示期日の法廷において原告に退廷を命じ、ついて法廷等の秩序維持に関する法律によつて原告を拘束させたこと、同日同裁判官が午後五時頃原告に対する右法律にもとづく制裁裁判により原告を、右開示期日の法廷において裁判官の訴訟指揮に従わず、裁判所の職務執行を妨害し、裁判の威信を著しく傷つけたものとして、過料三万円に処する旨の決定を言い渡したことは、いずれも当事者間に争がない。

ところで、原告は右退廷命令、拘束処分および制裁裁判がいずれも違法のものであると主張するので、これにつき考察するに、証人青柳盛雄の証言、原告本人尋問の結果(但しいずれも後記採用しない部分を除く。)検証の結果並びに本件口頭弁論の全趣旨をあわせると、つぎのとおり認めることができる。すなわち、富川裁判官は、右勾留理由開示期日の法廷において開廷を宣するや被疑者の人定質問のあとまず傍聴人に対し発言、拍手その他喧騒にわたる行為を禁止し、これに違反するときは制裁があるべき旨注意を与え、ひきつづき弁護人らに対しては、とくに原告を主任弁護人に指定したことにつき「この事件につきまして主任弁護人の制度をとります。この点について弁護人の方はあるいは反対の意見があるかも知れません。しかし刑訴法二〇七条および指定書記載各条の理由からいたしまして、被疑者の段階におきましても、公判を開く場合には主任弁護人の制度は準用されるものと考えてかように指定したわけであります」とその理由をあらかじめ述べるとともに「したがつて主任弁護人以外の弁護人が発言されるときは、主任弁護人を通じて裁判官の許可を求められるように」と念のために留意事項にふれたところ、原告は、すかさず異議があるから意見を述べるとまえおきして「いまあなたがいわれた主任弁護人を指定したという異例の措置に対して無論あなたのいわれる刑訴法三三条、刑訴規則二一条一項等そういうことは知つています。だがその前の条文もありますね」と発言し始めた。そこで、同裁判官は、その発言が右指定に対する異議を述べるためなのかはた意見を述べるにつきるものなのかを原告にただしたところ、原告は「意見です。意見があるでしようということをあなたがいわれたから」といつて、これに対する同裁判官の「意見をおききするとは申しあげておらない」という抑止にもかかわらず、「そのような独断的な訴訟指揮というのは民主的でないんで、しばらくわれわれのこういう異例の措置に対する意見をきいて下さい」とその発言を続けて「主任弁護人というような制度は刑訴法にあります。ところが他の事件は何ですか。窃盗とか何かに弁護人がたくさんついたときに、あなたはいちいち主任弁護人の指定をしていますか。これからするつもりですか」と次第に同裁判官に詰問する態度を示し、同裁判官が「弁護人のそのような発言に対してはお答えする必要がありません」と告げて原告のそのような詰問に応じない旨を明示したのに、なおも「どうですか。理由はないということですか」とその態度を改めようとしないので、同裁判官はその訴訟指揮権にもとづいて原告に対し「発言を禁止します」と命じた。しかし原告は裁判官の右訴訟指揮にかえつて抗するもののごとく「そういうようなわたしどものふにおちないことを押しつけるのはわかりませんよ」といい放ち、さきに原告に送達された主任弁護人指定命令書(謄本)を右手に持ち揚げて裁判官にこれを振つて見せながら「この主任弁護人の指定は、わたしこういう紙をもらいましたけれども何のことかわからない」といつて、右指定裁判の名あて人にほかならない原告みずからことさらに裁判官の面前で公然と裁判の軽視ないし不服従を示すかのごとき言動をし、これに対し「発言を中止なさらないのなら退廷していただきます」との同裁判官の警告にもかかわらず、さらに発言をつづけて「そういう権力をかさにきてわたしどもの納得のいかないことをいわれても困ります。もつと冷静になつてきいて下さいませんか。わたしどもいまだかつて弁護士稼業をしていてこのような主任弁護人の命令を受け取つたことはないんです」といい、再度の「弁護人は裁判官の訴訟指揮に従いますか、従いませんか」という警告に対しては、かえつて「わたしは合理的なもつと適正な訴訟指揮をあなたがされることを」期待するとして同裁判官の訴訟指揮の在り方にふれてその変更を求めるがごとき発言までに及んだので、同裁判官は、原告に対し訴訟指揮が弁護人の判断や意見に左右されるべきものでありえないこと諭すとともに「あなたには退廷を命じます。三分以内に退廷して下さい」と命じた。かようにして発言禁止からさらに退廷まで命ぜられたにもかかわらず、原告は昂然と同裁判官に対し「そういうことは、あとで歴史が審判するでしようけれどもね。こういう一方的な押しつけの、わたしこういう命令というのは、わたしは主任になりませんよ。あなたの主任命令は必ず取り消されますよ。わたしはあなたのそういう命令には従いません。ここでいつておきますがね」と揚言して憚るところがなかつたので、ついに同裁判官はその場で直ちに原告を拘束させた。かように認めることができ、証人青柳盛雄の証言および原告の本人尋問の結果中右認定に牴触する部分はにわかに措信しがたい。右事実によつて考えれば富川裁判官は右勾留開示期日にそなえてあらかじめ主任弁護人を指定したが、これについては弁護人らに反対意見のあり得ることを考慮した上での指定であり、そのために右公判において自らその理由を説示したのであつて、右指定の裁判に対する異議ならばともかく、単なる反対意見の開陳であるならば、いたずらに法廷を無用の見解表明の場に供し、勾留理由開示手続の進行を遅延させるほか格別の利益なしとして原告に右意見の陳述をさしひかえるよう求めたものであることが推認されるところ、原告がこれに応じなかつたため同裁判官は法廷の秩序維持のためその固有の訴訟指揮権にもとづき原告に対して発言禁止等の措置を命じたのに、原告はあえてこれに従わず執拗に発言をつづけ、裁判官の警告を無視して不穏当な言動にまで及び、発言禁止に重ねて退廷命令まで受けながら、なおもその発言をやめなかつたものであつて、これは右開示期日における裁判官の職務の執行を妨害したものであるとともに、これによつて裁判の威信を著しく害したものというべきである。この場合当初の主任弁護人の指定の当否は別途に争えば足り、爾後の同裁判官の訴訟指揮を難ずる理由とはならない。したがつて、これに対してなされた同裁判官の退廷命令、拘束処分および制裁裁判は相当であつて、その間違法を云為すべき余地はないといわなければならない。原告の右主張は理由がない。

そうすると、原告の被告国に対する本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく、すでに理由のないことが明らかである。

原告の被告富川秀秋に対する請求について

同被告の本案前の抗弁は窮極において被告国の本案前の抗弁と同趣旨に帰着するものというべきところ、裁判官のした裁判を違法として当該裁判官に不法行為による損害賠償を命ずる裁判を求める場合にあつても、かかる裁判官に法律上個人として損害賠償責任があるかどうかはしばらく別として、さきの裁判と後の裁判との関係については被告国の本案前の抗弁について判断したところと同一であり、さきの裁判の確定したこと、さきの裁判の特殊性等の故をもつて後の裁判を拒否し得べきものでないといわなければならないから、この点の右被告の本案前の抗弁は理由がないが、原告の同被告に対する請求は公権力の行使に当る同裁判官が職務行為としてした右制裁裁判及びこれに附随する退廷命令拘束処分等を違法として同裁判官に損害賠償を請求するものであることは主張自体から明らかであり、かような場合は国が自らその損害賠償の責に任ずるほか、当該職務の執行に当つた公務員は国の機関たる地位においても、個人としてもその損害賠償責任を負担するものではないと解するのが相当である。この点の原告の主張は採用することができない。仮りに当該公務員個人に賠償責任を認めるべしとの説に従うとしても、本件において同裁判官が原告に対してした退廷命令、拘束処分および制裁裁判を違法とし得ないことは原告と被告国との間の関係において判断したところと同様に判断し得るところである。しからば同被告に対する原告の本訴請求はその余の点について判断するまでもなくそれ自体失当として排斥を免れない。

結び

よつて原告の本訴請求をいずれも理由のないものとして棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 浅沼武 中川幹郎 荒木恒平)

別紙

事実

一 被告らの本案前の抗弁ならびにこれに対する原告の反論

(一) 被告国の主張

本件訴訟における審判の対象が東京地方裁判所裁判官たる被告富川秀秋のなした法廷等の秩序維持に関する法律に基づく原告に対する過料の決定およびそのための保全処置である同法三条二項による拘束が違法であるか否かの点にあることは、原告の主張自体によつて明らかである。しかし、右過料の決定に対しては、同法に基づき原告より東京高等裁判所に対し抗告がなされ、東京高等裁判所第四刑事部は昭和三五年七月二〇日右抗告を棄却する旨の決定をなし、右決定に対しさらに原告から最高裁判所に対し特別抗告の申立をしたところ、同年九月二一日最高裁判所第二小法廷において右特別抗告を棄却する旨の決定がなされているのであつて、これにより右過料の決定が違法でないことについては終局的に確定しているものである。

国家賠償法一条一項は「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員がその職務を行なうについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体がこれを賠償する責に任ずる」と一般的に規定していて、特に裁判官の行なう裁判を除外してはいないから、一見裁判官の行なう裁判は、すべて国家賠償法の対象となり、民事訴訟により常にその違法性の有無を判断することができるようにみえるけれども、しかし、そこには、裁判制度の本質よりする自ら一定の限界が存することが認められなければならない。上訴制度の認められている一定の訴訟手続において、ある審級に係属している事件につき、その事件を完結する終局的な裁判(終局判決ないしそれに準ずる決定)がなされた場合に、右終局的な裁判を違法として争うためには、その訴訟手続において認められている不服申立の方法としての上訴の手続のみによるべきものであつて、上訴することなく右終局的裁判が確定した場合および上訴手続によつても、ついにその不服申立が認められず、法律上さらに上訴をする余地がなくなつた場合には、原裁判の違法ならざることが終局的に確定し、再審ないし非常上告により原裁判が変更されない限り、当該訴訟の当事者はもはや他の訴訟手続においても原裁判の違法を主張することは許されない。けだし、確定した終局的裁判は国家の裁判権の行使としての公権的法律判断によつて紛争を終局的に解決し法的安定を実現するものであるから、それは本質的に不可争性のものでなければならないからである。

本件過料の決定は、法廷等の秩序維持に関する法律に基づくものであつて、それは従来の刑事的行政的処罰のいずれの範疇にも属しない特殊の処罰であり、その手続は刑事裁判に関し憲法の要求する諸手続の範囲外にある極めて特殊な手続であるが、その制裁については、同法において抗告および異議の申立(五条)ならびに特別抗告(六条)による上訴の道が開かれている。本件においては、右手続における終局的裁判たる過料の決定につきなされた抗告および特別抗告が前記のようにいずれも棄却され、右過料の決定が違法でないことについては、今や終局的に確定しているのであるから、原告が本訴においてその違法を主張することは許されないものといわなければならない。

もとより、民事訴訟において、刑事判決の理由において認定された事実に反する事実を認定することを妨げないということは、古くから確立された判例であるけれども、それは事実の認定の面に関してのみ言えることであつて、民事訴訟において、確定した刑事判決そのものの違法を主張することを許しているものではない。その理由は次のとおりである。

(イ) 何らか不法の行為があつた場合、その責任は、一面全体社会たる国に対しその構成員たる立場に基づいて刑事的に、他面行為の相手方に対し私人たる立場に基づいて民事的に、同時に発生することがあり得る。また右各責任の要件たる社会的事実の存否は、訴訟上の一定の手続、一定の立証法則によつて認定せられるものであるところ、刑事と民事とでは事件の目的、性質が異るによつて、右の手続、法則も自ら別異である。したがつて、ある不法行為の同一の事実について刑事訴訟と民事訴訟とが並んで行なわれることのあるのは当然であるとともに、各訴訟は当事者、弁論の建前証拠法則証拠方法等を異にするがためにその裁判の事実認定において一致しないことのあるのも異とするに足りない。そしてそれが民事裁判において刑事裁判の認定に反する事実認定をなし得る所以である。

(ロ) しかし、右のことと、ある裁判がなされた場合に、別に民事訴訟を起してその別の手続で右裁判の当否を争い得るかどうかということとは全く別個の問題である。すなわち、この後者の問題は、右(イ)のように一個の実体の両面についてその法的評価を、それぞれに適応するように定められた別異の手続によつて行なうという関係ではなくて、右の一定の手続によつて現になされた裁判についてそれが当該手続上適法であつたかどうかを他の事件手続によつて吟味するという関係である。したがつて、それは実質上同一判断対象に対し重複して訴訟手続を発動し二重の国家判断をすることとなるものであるから、それが許されるべきものかどうかは、訴訟制度ないし裁判の目的、性質に照らして慎重にこれを検討しなければならないものと考えられる。しかるところその趣は民事判決と刑事判決とで全くは同一でないので、以下民事判決と刑事判決とに分けてこれを考えてみる。

(1)  民事事件の判決はこれによつてその事件の当事者間における一定の権利または法律関係の存否を確定するものであり、これに対して右判決を違法として国家賠償を求める訴は、右当事者と国との間において事件当事者間のそれとは別個の権利である国家賠償請求権につきその存否の確定を得ようとするものである。そこで民事判決に違法があるとする場合、事件当事者間における権利または法律関係の存否の確定の正しきを求めるためにその事件の手続内で不服申立(上訴)を行なうことのできるのは当然として、それと別個に右誤判という不法行為による損害の賠償を求めるために国を被告として民事訴訟を提起し、その手続において右裁判の適法違法につき審理判断を求めることは、右裁判の確定の有無にかかわらず、何ら背理となるものではないとの見解が生ずる。しかし、このような考え方には疑問がある。何となれば、右両個の訴訟はその訴訟物こそは別異であるが、審理の眼目は原裁判の適法違法を論ずるにおいて同一であるからである。すなわち問題の民事判決の適法違法は元来その事件の上訴審手続で審理判断せられるべき事項に属する。しかるに、後者の民事訴訟で原判決の適法違法を論ずべきものとする場合その資料とせられるべきものについて考えてみると、それは問題の性質上当然原判決以前の法廷資料に限られ、したがつて、それは必然右上訴審手続での判断資料の範囲も出ないこととなる。然るときは民事判決がその事件の手続上すでに適法として確定した場合において、その適法違法をさらに別訴により争うことを認めることは、国家機関(裁判所)が全く同一の権利または法律関係の存否について二重の審理手続を行ない、その結果相矛盾した国家判断をなすおそれを生ずることとなるものであつて、かようなことは法の容認し得ないところであると考えられる。おもうにある権利または法律関係の存否は訴訟上これについて利害関係の対立する者すなわち事件の当事者が裁判所に対して主張、立証を行ない、裁判所がこれを審理して要件事実の存否、法律の適用につき判断することによつて確定されるが、この場合訴訟には審級の制度があつて、当該裁判に不服のある当事者はその事件の訴訟手続上上訴によつてその是正を求めることができるし、また裁判の当否は右の審級制に基づく一定のルールによつて究極的に批判決着をつけられるべきものであり、それが訴訟の制度の建て方である。したがつて、すでにある判決が右審級制により不可争の段階に達して確定をみたうえは、その判決によつて定立された具体的規範内容はその事件についての最終的解決でなければならないとともに、その確定した裁判の公権的判断はその事件に対する国家判断としては唯一不動のものとみなされなければならないものというべく、これに反して後日別個の訴訟をもつて(その事件の当事者、訴訟物は異るにもせよ)さきの確定判決をさきの一定の当事者間の一定の事件につき一定の資料に基づいてなされた裁判としてこれを再吟味し、よつてこれを違法なりと判断するようなことがあるとすれば、その結果は明らかに国家判断の矛盾抵触を生じ、法的秩序、法的安定を紊ること著しいものがあり、これをもつて訴訟制度の精神に適合するものとは到底いいえないものと考えられる。(かように確定の民事判決についてその適法違法を他の事件の訴訟で再理しえないということと、すでに確定判決のある一定の権利または法律関係の存否についてその確定判決の既判力を受けない当事者間で別個の訴訟によりこれを抗争しうることとは、事柄を異にし、何ら矛盾するものでないことは多言をまたないであろう。)

(2)  右に述べたことは、確定の刑事判決についてもいいうるところであるが、刑事判決については、以上のほかにさらに考慮されるべき事項がある。民事事件の訴訟物は当事者間における一定の権利または法律関係の存否であるが、これに対して刑事事件の訴訟物は国と被告人との間における処罰権(刑罰権)の存否である。そして民事事件のために民事訴訟手続があるのに対して、刑事事件については民事訴訟手続とはその性格、理想を異にする刑事訴訟手続が定められており、したがつて刑罰権の存否はその認定のために最適と定められたこの刑事訴訟手続によつてのみその認定がなされるべく、またその認定に対する不服はその手続内において上訴により処理されるべきものである。そして有罪の判決が右手続上不可争となつた場合においては刑罰権の存在はここに実体的に確定し、動かし得ないものとなるものであつて、この場合このすでに確定した有罪判決について、別に国を被告とし右裁判の違法を主張する民事訴訟により、本来刑罰権の認定を目的として構成されたものでない民事訴訟手続における当事者の主張立証に基づいて、その判決が刑事事件の手続上適法になされたかどうかを再理し、もつて右判決を違法(すなわち当該刑罰権の要件がなかつたもの)と認定するようなことは(それが右(1) に述べたように国家判断の矛盾抵触を生ずる関係にあることは勿論)制度の観点上手続的に不合理であるばかりか、何よりも国家と被告人との間において既に実体的に確定されている刑罰権の存在にもとることとなる点において甚しく不条理たるを免れない。すなわち、有罪判決の誤判を理由とする訴は(それが一審有罪、二審無罪で確定したときの一審判決の違法を論ずるような場合においては、通例その判決自体により被告人が一時受けた損害の賠償を目的とするものであるが)それが既に確定した有罪判決の違法を論ずる場合においては、有罪判決自体と受刑とによる心的物的損害に対する国家賠償を求めることをもつてその請求内容とし、したがつて、その損害の賠償をし、原状回復をするということは、その効果においてとりもなおさず科罰を取り消すことにほかならない。しかし、刑罰権の存否はひとり刑事訴訟手続によつてこれを定め得べきものであつて、確定の有罪判決が現存する以上刑罰権もまた厳存し刑罰権の存する以上処刑のなさるべきは当然の要請であり、また科罰はその本質上被告人自らこれを受忍すべきが理の当然であつて、科罰の受苦を他に転稼するようなことは科罰の本旨にもどりその容れることのできない観念であること明らかである。したがつて、有罪の判決があり、それが確定した場合においてその判決を違法とし、実質的にこれを無視し、科罰の回復をなすこととなるような民事判決は法の精神に合致しないものというべく、右のような民事訴訟は到底これを容認し得ないものといわなければならない。

(ハ) 以上確定有罪判決について述べた趣旨は法廷等の秩序維持に関する法律上の制裁裁判についても当てはまる。右制裁裁判は、その本質を刑罰権と解するにもせよ行政罰と解するにもせよ、それが科罰を目的とする公権的作用であつて、これにより実体的に国家の処罰権を確定するものであることにおいて有罪判決とその実質が同一であり、また右裁判に対する不服の処理についてはその科罰の原因が社会の紛争を解決し、秩序を保つための法廷の場における法廷に対する公然の事犯であることに鑑みて、そのための特別の手続が定められ原裁判の適法違法について同法の理想に基づいた審査手続が構成されている。したがつて、右制裁裁判に違法があるとする者は右所定の手続によつてのみこれが是正を求むべく、既に制裁裁判が確定した場合において自己の主観上右手続が不服審査手続として不充分であるというような理由により、右法の精神を度外視して、民事訴訟により原裁判を違法とする認定を求め、制裁裁判による受苦の回復を請求するようなことは到底認め得ないところである。何となれば、右のようなことが手続的に不合理であり、かつ、すでに確定の制裁裁判により実体的に確定した処罰権の存在と相容れないものであつて、これを容認し難い筋合のものであることは(ロ)(2) に述べたところと同様であつて、もし右手続とは異質の民事訴訟手続の審理によつて右確定制裁裁判を批判し、その効果を覆滅し得るものとするときは法廷秩序維持の裁判の目的は辱められ、法の精神は貫徹するに由ないこととなるからである。

右述のような理由により、原告は本件民事訴訟によつて本件確定制裁裁判の違法を主張することはできず、したがつて原告の本件訴は事実審理をまつまでもなく排斥さるべきことが明らかである。

なお、原告は、退廷命令および拘束処分についてもその違法を主張しているが、前者は過料の決定の要件たる「秩序を維持するがため裁判所が命じた事項」にほかならないし、また後者については、同法三条二項は「前条第一項にあたる行為があつたときは、裁判所は、その場で直ちに裁判所職員又は警察官に行為者を拘束させることができる」と規定していて、この拘束のための要件と過料の決定の要件とは同じものであるから、そうしてみれば前記のように右過料の決定の違法でないことが既にして確定している以上、その要件内容たる本件退廷命令およびその保全処置たる本件拘束は当然適法であるというべく、これを本訴において争い得ないことは前同様である。従つて右各処分が違法であることを原因とする原告の訴もまた失当たること明らかである。

(二) 被告富川の主張

原告の本訴請求が、昭和三五年七月一一日に東京地方裁判所において裁判官たる被告富川により法廷等の秩序維持に関する法律に基づいて言い渡された制裁裁判の当否を対象として提起されていることは、その主張自体から明白であるが、同法に基づく制裁は、従来の刑事的行政的処罰のいずれの範囲にも属しない特殊の処罰であつて、裁判所または裁判官の面前その他直接に知ることができる場所における現行犯的行為に対し、裁判所または裁判官自体によつて適用されるものであることは、すでに最高裁判所の判例として確立されているところであるから、本訴請求の適法性についても特段の考察を加える必要がある。

この法律に基づく制裁の裁判についてみるに、その手続の性格、裁判の効果等に特色があり、とくに本件との関係において、必要な限りにおいて法廷等の秩序維持に関する法律に基づく制裁の裁判について述べると、この制裁の裁判は、原則として、裁判所または裁判官の現認したところに基づいてなされ、証拠調の手続は例外的補充的に行なわれるにすぎない(四条)。要するに、裁判所等が、その威信の侵害に対して、広汎な裁量権を行使して迅速に自己防衛機能を果しうることが期待されているのである。この機能は司法の本質と密接不可分のものであり、またそのためにこそこの手続の特色が是認されうるのである。したがつて、この制裁の裁判に関しては、直接の被侵害者である当該裁判所または裁判官の認定が他の手続における以上に重要性を有することは否定しえないところであり、この趣旨は、さらに制裁の裁判に対する不服申立に関しても認められるのである。すなわち同法五条一項、四項および六条の規定において明らかなとおり、制裁の裁判に対しては、法令違反を理由とするものに限つて不服の申立を認め、事実認定の当否については不服を申し立てることができないのである。これは、特定の行為に対して制裁が科せられるべきであるかどうかは、その行為の行なわれた時と場所における具体的情況、雰囲気等に対する直接の体験を基礎として始めて適正を期しうると考えられたことによるとともに、さらには原審の裁判官を抗告審において証人の地位に立たせることが適当でないことが考慮された結果であることは、立法の経過に照らして明らかである。法のこのような明白な趣旨および同法制定の背後にある英米法における法廷侮辱に関する制裁手続の実情を考慮すれば(英米法においては裁判所侮辱に不服申立が認められるのは民事侮辱に限られ、本法のような直接侮辱については、これを許さない。)、この種の制裁の裁判の当否については、法令違反に関するものを除き、原則として、当該裁判所等の専権的判断に委ねられているものということができる。

而して、法の右のような趣旨は、制裁の裁判の当否を本件のように他の手続において攻撃する場合においても当然考慮されなければならない。すなわち、本件は、制裁の裁判に関する事実の認定の当否を民法上の不法行為責任または国家賠償責任の追求という形式をかりて達成しようとするものであつて、もしこのような請求が許されるとするならば、この法律が上級審裁判所さえ行使できないものとした権限を、他の裁判所において行使できることになり、この法律において特殊な考慮が払われている趣旨を全く没却するに至り、その不合理なことは明白である。もとより、この制裁裁判に関連して、当該裁判官を相手方とする民事上の責任または国家賠償責任に関する請求が許されない旨の明文の規定は存しないが、一国の司法体系はこれを合理的に調整して解すべきものであつて、単に規定の不備を理由としてその本来の趣旨を没却することは不当である(他の手続における当否の判断は、制裁の裁判そのものの効力を左右しないからさしつかえないと解することは、形式論理上可能であるが、この結論が法の期待する他の要請を無にすることとなるにおいては、妥当な解釈といえない。)この点に関しては、とくに西欧諸国において裁判作用による不法行為の成立を認めないのが原則であること、また同じく司法行為といつても当該手続内で特に不服申立方法が設けられ、確定の公定力が与えられる裁判について(とくに本件においては原裁判に対する抗告および特別抗告がすべて棄却されて、その適法性が確定されているのである。)、その当否をその裁判官等を相手方として他の手続において別個に検討する余地を認めることが、司法の系列的組織を害し、甚だしく不当な結果を招来することを考えれば、裁判作用全般について、当該裁判官または国を相手方とする本件のような請求を許さないものと解すべきである。とくに本訴においては、他の裁判所のなした裁判作用そのものが審判の対象となる点において、他の裁判所の審判の対象に対して別途の法律評価を加える場合と本質を異にする。従来わが国において強制執行手続における裁判、勾留に関する裁判などについて裁判官の不法行為責任を認めた判決例があるが、これらは、その当否はしばらくおき、いずれも行政的性格を有する裁判所の判断作用に関するものであり、本件のように純粋に司法的性格を有する裁判とその性格を異にするものである。

なお、本件制裁裁判がすでに上訴の手続を終了して確定していることは明らかであり、本訴請求は、確定裁判の当否そのものをさらに別個の手続において攻撃することに帰する。この点に関しては、すべて被告国の主張を援用する。

よつて、原告の本件訴は不適法であるから、これを却下すべきである。

(三) 原告の反論

(イ) 被告らは、一定の訴訟手続において裁判を違法として争うためには、その訴訟手続において認められている不服申立の方法としての上訴のみによるべく、その裁判が確定した以上は、再審ないし非常上告により原裁判が変更されない限り、他の訴訟手続においても原裁判の違法を主張することは許されない旨を主張する。

しかしながら、被告らの主張するようなことは現行法の建前として何ら理由のないことである。もし原告が法廷等の秩序維持に関する法律による監置処分の決定を不服とし、その決定の取消変更を求めて民事訴訟を提起したというのであれば、これは不適法である。また決定が確定したのちに再審等によることなく原決定の取消変更を求めるのであれば、被告ら主張のようにこれは不適法である。ところが本件訴は監置処分の取消変更を求めるものでなく、逆にその確定したことを前提とし、右決定による処分により原告が違法に権利を侵害せられたとしてその損害の賠償を求めるものである。とくに再審により原裁判の取消がなされない限り、原決定の違法は判断し得ないと被告らは主張するけれども、それは当該手続についてのみそういえるだけのことであつて、これとは別個の手続において原裁判に関与した裁判官が職務に関し犯罪を犯したという事実があるか、不法行為が存するか否かの事実を判断し、またはその法的評価をなすのは再審の前になし得るというのが法律の建前である。すなわち民訴法四二〇条一項四号、刑訴法四三五条七号によれば、裁判官の職務に関する犯罪を認定した確定判決は再審の理由とせられるというのであつて、再審があつて始めて裁判官の犯罪行為を判断し得るのではない。もつともこの場合はその犯罪行為認定の確定判決により直ちに原判決が違法であることを宣言するものではないが、すくなくとも原裁判に関与した裁判官の違法行為の存否は判断し得るのである。本件においても、単に原決定を違法とする宣言を求めているのではなく、原決定に関する不法行為の存否の判断を求めているのであるから、これが再審による取消の後に訴求し得るものとなす理由はなにもないのである。

性質を異にする二つの訴訟手続において前訴訟の判断が後の訴訟を拘束するという法理は存在しない。刑事訴訟と民事訴訟とにおいて別個の事実を認定することは一向に差支えない。もつとも判例中には民事手続において形成判決のなされたときは刑事手続においてはこの形成の法律関係に拘束されるとなしているもの(盛岡地裁昭和三〇(わ)二三二号、昭和三一(わ)一七四号)があるが、この結論に従うとしても本件には何ら消長はない。刑事手続と民事手続とは事実の認定についてのみ異つた判断が許されるという考えもまた誤りである。事実の認定は法的評価の前提にすぎないのであるから、相異つた事実認定が許されるということは、当然事件についての異つた法的評価がなされうることを意味するのである。判例の立場も刑事手続と民事手続において異つた法的評価を禁止しているわけでもない。理論的にも別個の手続において事実認定については異つた判断は許されるが、法的評価については許されないとして両者間に区別をつける何らの理由はない。一の事件につき他の事件の事実認定のなされた裁判が当該手続にとつて事実認定の一資料にすぎないと同様、他の事件の法的評価は当該訴訟において一つの参考意見となるにすぎない。

本件においては、被告富川は誤つた事実認定を基礎に原告に対し法廷等の秩序維持に関する法律を発動したのである。このことは、被告富川の下した決定理由中には必ずしも具体的事実が明確にされていないが、同被告が誤つた事実認定から出発していることは明らかである。事実誤認は同法における上訴審の審判の対象となり得ないものであるため、上訴審では再検討されてもいない。

(ロ) 被告らは、また、裁判作用による不法行為の成立を認め得ないと主張する。

憲法一七条は、何人も公務員の不法行為により損害を受けたときはその賠償を請求し得るとなし、国家賠償法も同様の規定を設けている。その間裁判作用による不法行為に関する免責規定は何ら定められておらず、またそのようなことは予想されていない。それは被告らの主張するような法の不備でなくして、きわめて当然のことである。けだし、警察官が職権を乱用して違法に逮捕することが不法行為として損害賠償の対象になりうるが、裁判官による違法な拘禁は国家賠償の対象たり得ないとして区別する理由は何もないのである。国家賠償法は憲法一七条を承けた規定であるが、憲法は国民主権主義に基づき主権者たる国民が公務員の不法行為により損害を受けた際救済しようとするものであつて、公務の種類により損害賠償請求権に区別をつけることは始めから予定していない。立法によつては、ドイツ民法のように裁判による不法行為は裁判官が刑事手続により処罰されるべき場合にのみ賠償を請求し得るとして裁判作用による不法行為について特則を設けている例はあるが、わが憲法はこのような差別を許さないのである。従来の裁判による不法行為の成立を原因とする訴訟の多数の判例も司法作用だからとして国家賠償法の適用を区別したものは全くないのであつて、裁判官たりとも職務を行なうについて故意または過失により違法に他人に損害を加えた場合に国がこれを賠償する責任を負うのは国家賠償法制定以来確定された判例であり、法廷等の秩序維持に関する法律の適用につきこれを除外する理由は毛頭ないのみか、裁判官自身が原告でかつ審判者である特異な制裁裁判においては却つて他の一般の裁判作用より特に国家賠償法の適用が必要であるといえる。

被告らの右主張は何ら法律上の根拠を有しないものであつて、現行憲法下の法律体系に適しない立法論というほかないものであるから、速かに本訴の実体につき審理をすべきである。

二 当事者双方の本案の申立

原告は、「被告らは各自原告に対して金四五万円およびこれに対する昭和三五年八月七日から支払ずみまで年五分の金員を支払うべし。訴訟費用は被告らの負担とする」との判決ならびに右第一項につき仮執行の宣言を求め、被告らは、主文同旨の判決を求めた。

三 請求の原因

(一) 原告は東京弁護士会所属弁護士、被告富川秀秋は被告国の東京地方裁判所判事補であるところ、昭和三五年七月一一日東京地方裁判所法廷(東京簡易裁判所第一号法廷)において、被疑者岡部武に対する暴力行為等処罰に関する法律違反等被疑事件につき同被疑者に対する勾留理由の開示期日が開かれ、同裁判官がこれを担当して列席し、原告は弁護人として他の弁護人らとともに出頭した。

(二) 同裁判官は右期日に先だち同年七月七日に書面で被告を右事件の主任弁護人に指定する旨の命令をし、これが原告に送達されたが、右指定は左の理由により違法、不当のものである。

(イ) 主任弁護人指定に関する刑事訴訟規則はいずれも被告人に関する規定であつて、被疑者に関するものではなく、また被疑者につき準用することもできないものである。

(ロ) 従来の刑事訴訟の慣例として被疑者につき主任弁護人を指定した例は一つもない。

(ハ) 主任弁護人を指定することができる者は第一次的には被告人または弁護人であり、裁判長のなしうる主任弁護人の指定は、第一次的に指定することのできる者がその指定をしない場合に限られる。したがつて、裁判長はその指定の前に第一次的に指定することのできる者にその指定をうながすか、あるいはそれらの者の意見をきいて指定を行なうのが妥当であり、またそのように行なうのが従来の刑事訴訟の確立した慣例である。しかるに前記指定は、事前に何らの連絡もなく、一方的になされたものであつた。

(三) 同裁判官は、右期日が開かれるや、被疑者岡部に対する人定質問を経て傍聴人に対する注意を与えたのち、弁護人らに対し、主任弁護人に関する規定は被告人に対するものであるが、被疑者に対しても準用しうるものであるから、原告を主任弁護人に指定した旨を述べた。そこで原告は、右指定につき裁判所の再考を促すべく、その許可を得て発言し始めたが、たちまちにしてその発言が異議の申立であるか、単なる意見の開陳であるかにつき同裁判官から釈明を求められたので、意見の開陳である旨を答えたところ、「意見であるならばきくに及ばぬ」旨を告げられた。さらに原告は、暫く弁護人の意見をきいてもらいたい旨を述べたが、同裁判官において「弁護人は訴訟指揮に従わないのか」とたたみかけてきたので、「訴訟指揮には従う。いまから述べることは適正、妥当な指揮を要請するための意見である」旨を述べた。すると、同裁判官は、原告に対し「弁護人の発言を禁止する」と命令し、原告が「それではあまりにもひどい。もう少し意見をきいてもらいたい」と述べたが、さらに続けて「弁護人に退廷を命ずる。三分間以内に退廷せよ」と命じた。原告はやむなく机上にひろげた書類をかばんに入れはじめたところ、さらに同裁判官は原告に対し「寺本弁護人を拘束する」と告げた。原告は静かに退廷したのち、約三時間にわたり最高裁判所庁舎地下室においてその身体の自由を拘束されたが、同日午後五時頃にいたり、右拘束にひきつづいて法廷等の秩序維持に関する法律による制裁裁判に付せられ、同法廷において補佐人として弁護士青柳盛雄外二名の立会を得て同裁判官から、原告が右開示期日の法廷において裁判官の訴訟指揮に従わず、裁判所の職務執行を妨害し、なお裁判の威信を著しく害したものとして、原告を過料三万円に処する旨の制裁の決定を言い渡された。

(四) 以上の経緯により同裁判官が原告に対してした退廷命令、拘束ならびに過料の制裁決定は、すべて不当かつ違法である。

(イ) 退廷命令の違法

裁判所法七一条二項は「法廷における裁判所の職務を妨げ又は不当な行状をする者に対して退廷を命じ」ることができる旨規定しているが、原告に右構成要件に該当する行為はなかつた。原告は同裁判官の行なつた違法な主任弁護人指定処分を撤回してもらうべく、その処分に対する弁護人の意見を述べ始めたのであつて、この意見陳述は公判廷における弁護人の権利である。原告の陳述はすでにした陳述と重複するものでもなく、事件に関係ない事項にわたつているものでもなく、その他不相当なものでなかつた。ところが、同裁判官はすぐさま「意見ならばきく必要がない」とさえぎり、つづいて「弁護人は裁判所の訴訟指揮に従わないのか」と威圧的に弁護人の権利行使を妨害しようとし、原告の「訴訟指揮には従います。ただ公正適切な指揮を求めて意見をのべているのです」との釈明にもかかわらず、直ちに原告に対し発言禁止を命じた。右発言禁止命令は、訴訟関係人の本質的権利を害し、明白に刑訴法二九五条に違反した訴訟指揮であるばかりか、余りにも権力的であつたので、原告はつづいて「まあもう少しきいて下さい」と同裁判官の理性に訴えようとした。原告のこの態度は弁護人としての当然の権利議務を行使しただけで、裁判所法七一条二項にいう「不当な行状」には全く当らないし、何ら「裁判所の職務の執行を妨げ」もしなかつた。にもかかわらず、同裁判官はそこで即座に原告の退廷を命じたのであるが、もとより理由なく命じたもので、右退廷命令は明らかに違法である。

(ロ) 拘束処分の違法

原告は右退廷命令に従うべく机上の書類をかばんにしまい退廷の準備をしていたとき(三分以内に退廷すべきことを命ぜられてから約三〇秒経過したにすぎないやさき)、拘束処分に付せられたが、その間客観的に裁判所の命じた事項を行なつており、裁判所の執つた措置に従つていたこと以外に、何ら拘束処分に価する行為(法廷等の秩序維持に関する法律二条一項にあたる行為)はなかつたのであるから、同裁判官の原告に対する右拘束処分は明白に違法であり、しかも常軌を逸したものである。

また拘束は、本人を拘束して、後に迅速なる制裁裁判を行なうに支障なからしめる必要がある場合に限られるものと解すべきところ、原告は一定の住所と事務所(東京都港区芝琴平町二一番地東京合同法律事務所)をもつ弁護士であつて、制裁裁判への出頭を確保するについて拘束を行なう必要はさらになかつたのであるから、右拘束は違法である。

(ハ) 制裁裁判の違法

同裁判官は、原告に対し右過料金三万円の制裁を科する理由として、原告が裁判官の訴訟指揮に従わず、裁判所の職務を妨害し、なお裁判の威信を著しく傷つけたといつているが、右に該当する言動はもとより原告になかつたのであるから、右過料制裁は違法である。

(五) 同裁判官の右各違法行為により原告のこうむつた損害はつぎのとおりである。

(イ) 退廷命令による損害

退廷命令処分に付されたことによつて、原告は前記被疑者に対する固有の弁護権を侵害され、かつ右退廷命令は公開の法廷で行なわれたため同時にその名誉を侵害された。右弁護権の侵害および名誉の侵害による各精神的損害は多大でかつ算定困難であるがすくなくとも弁護権の侵害による損害を金一〇万円、名誉の侵害による損害は金五万円を各下ることはない。

(ロ) 拘束処分による損害

拘束処分により原告は約三時間にわたり身体の自由を侵害され、また右拘束処分は公開の法廷で行なつたため原告は著しく名誉感情を害された。右身体自由の侵害および名誉の侵害による各精神的損害は弁護士である原告が弁護人として公判に立会つているさい、裁判官としての被告富川から科せられた処分によること、および右処分が弁護人に対する異例の処分であること等を考慮するとき、いずれも各金一〇万円を超えることは明らかである。

(ハ) 制裁裁判による損害

制裁裁判に付され、過料を言い渡されたことにより原告は深い精神的打撃をうけた。右裁判により原告の受けた精神的損害はすくなくとも金一〇万円に相当する。

右(イ)ないし(ハ)により原告のこうむつた精神的損害はすくなくとも合計金四五万円を下らない。

(六) 被告富川は被告国の公務員たる判事補としてその公権力の行使につき原告に対し故意または過失により前記各違法処分をなして損害を生ぜしめたのであるから、被告富川は民法七〇九条により、被告国は国家賠償法一条により、連帯してその賠償にあたる責任がある。

そこで、原告は、被告らに対し右損害額合計金四五万円およびこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和三五年八月七日から支払ずみまで民法所定年五分の遅延損害金の支払を求める。

四 請求の原因に対する被告らの答弁ならびに主張

(一) 原告が東京弁護士会所属弁護士、被告富川が被告国の東京地方裁判所判事補であるところ、昭和三五年七月一一日午後一時東京地方裁判所法廷(東京簡易裁判所第一号法廷)において被疑者岡部武に対する暴力行為等処罰に関する法律違反等被疑事件につき同被疑者に対する勾留理由の開示期日が開かれ、富川裁判官がこれを担当して列席し、原告が弁護人として他の弁護人らとともに出頭したこと、同裁判官が同年七月七日に原告を主任弁護人に選任する旨の命令をし、これが原告に送達されたこと、同裁判官が右開示期日の法廷において原告に退廷を命じ、ついで原告を約三時間にわたり拘束させたこと、同日午後五時頃原告に対する法廷等の秩序維持に関する法律に基づく制裁裁判の法廷において、補佐人弁護士青柳盛雄立会のうえ、同裁判官が原告を、右開示期日の法廷において裁判官の訴訟指揮に従わず、裁判所の職務執行を妨害し、なお裁判の威信を著しく傷つけたものとして、原告に対し過料三万円に処する旨の決定を言い渡したことは、いずれも認めるが、その余の原告主張事実はすべて争う。

(二) 右開示期日の開廷がなされるや、同裁判官は、先ず被疑者岡部に対する人定質問をおこない、ついで傍聴人に対し発言拍手その他喧騒にわたる行為をしないよう注意を与え、ひきつづき弁護人らに対し「次に弁護人の方に申し上げておきますが、私はこの事件につきまして主任弁護人の制度をとりました。この点については弁護人の方は、あるいは、反対のご意見があるかも知れません。しかし、私としましては、刑訴法二〇七条および指定書に記載の各条の理由から、被疑者の段階においても、公判を開く場合には主任弁護人の制度が準用されるものと考えて、かように指定したわけであります。したがつて、主任弁護人以外の弁護人が発言されるときは、主任弁護人を通じて私の許可を求められるように……」と述べたところ、まだその言葉が終らないうちに、原告は「その点異議がありますから私の意見を申します。今あなたがいわれた意見ですがね、主任弁護人を選定したという異例の措置に対して無論あなたのいわれる刑訴法三三条、訴訟規則二一条一項という条文、それから三〇二条ですが、こういうことは知つています。だがその前の条文もありますね、大体これは……」と発言し始めた。そこで同裁判官は、主任弁護人の指定についてはすでに述べたように反対の意見もありうることを十分考慮したうえで裁判官による裁判(命令)がなされているのであるから、右発言がこれに対する単なる意見の開陳であるならば、これを許すことは無意味であり、徒らに勾留理由開示の手続を遅延させることになると考えたので、原告に対し、右発言は異議であるか、意見であるかをただしたところ、原告において「意見です。今あなたが意見があるでしようということをいわれたから、私がこれから意見を……」と意見を述べ出そうとしたので、「意見をお聞きするとは申し上げておらない」と告げた。

ところが原告は「そういう独断的な訴訟指揮というのは民主的でないんで、しばらくこういう異例の措置について意見を聞いて下さい。こういうような主任弁護人というような無論制度はあります。ところが、ほかの事件は何ですか。窃盗とかなにかに弁護人がたくさんついたときに、あなたは一々主任弁護人の指定をしていますか。これからするつもりですか。これから約束できますか。」と次第に同裁判官に対し詰問するような発言を始めたので、同裁判官において「弁護人のそのような発言に対してはお答えする必要はありません」と述べたところ、なおも「どうですか。理由がないということですか。」と詰問をつづけて居たので、同裁判官はやむなく原告に対しその発言を禁止した。しかし、原告は、裁判官の右訴訟指揮に従わず、「そういう私どものふにおちないことを押しつけるのはわかりませんよ。主任弁護人のこういう紙をもらいましたが、何のことかわからない」といいながら、原告に送達されていた主任弁護人指定命令書謄本を右手に高く持つて裁判官に振つてみせ、裁判官の「発言を中止なさらないのなら退廷をしていただきます」との警告にもかかわらず、なおも「そういう権力をふるつて私どもの納得のいかないことをいわれては困る。もつと冷静になつて聞いて下さい。私ども弁護士稼業をしていまだかつてこういう主任弁護人の命令、寺本勤を主任弁護人に指定するというような命令を受け取つたことはないんですよ。」と発言をつづけようとした。そこで、同裁判官は「発言を禁止します。弁護人は裁判官の訴訟指揮に従いますか、従いませんか」と原告にただしたところ、原告において「私は合理的なもつと適正な訴訟指揮をあなたがなされるよう……」と裁判官の訴訟指揮を非難したので、ついに原告に対し「訴訟指揮が弁護人の判断によつて左右されることは私のできないところです。したがつて、あなたには退廷を命じます。三分以内に退廷して下さい。」と退廷を命じたが、なお原告において「こういうことはね、歴史が審判するでしようけど、一方的な押しつけのこのような命令は必ず取り消させます。私は主任にはなりませんよ。あなたの命令には従いませんよ。ここでいつておきますがね……」と興奪して述べ、その発言を続けようとしたので、ここにやむをえず原告を拘束すべきことを命じるにいたつた。

右に述べたところにより明らかなように、原告は、右主任弁護人指定に関し意見の陳述を許さないとした裁判官の訴訟指揮に従わず、意見の陳述をつづけ、裁判官を詰問したため、裁判官から発言を禁止されたにもかかわらず、なおも発言をつづけ、そのため裁判官から退廷を命ぜられながら、これに対し「一方的な押しつけのこのような命令は必ず取り消させます(中略)あなたの命令には従いませんよ」という暴言をはき、よつて法廷等の秩序維持に関する法律に基づいて、拘束を命ぜられ、つづいて前記過料の制裁を科せられたものであるから、前示退廷命令、拘束ならびに過料の決定にはいささかも違法の点はない。

(三) 公権力の行使に当る公務員の職務行為に基づく損害については、国又は公共団体が賠償の責に任じ、職務の執行に当つた公務員は、機関としての地位においても、個人としても、被害者に対しその責任を負担すべきものではないから、原告の被告富川に対する本件損害賠償の請求は理由のないものとして排斥すべきである。

五 右に対する原告の反論

(一) 被告富川に対する請求権の根拠は民法七〇九条である。同被告の本件不法行為が職務行為の外形をとり、ないしは職務行為にあたるとしても、右事実は何ら同被告に対する本件請求を妨げるものではない。

一般に法人の機関の不法行為は法人の行為を組成する一面とその個人の行為たる一面との二面の存在を有するものであり、不法行為責任も団体の責任と個人の責任の二つを生ずる。そして両者に対する損害賠償請求権は競合し、その間の関係は不真正連帯と解される。そして法人の機関の行為の二面性はおよそ法人の本質に基づくものである以上、私法人たると公法人たるを問わず、したがつて国の機関たる公務員の行為についても当然認められるところである。

(二) 国家賠償法一条は、憲法一七条の規定を承けてこれを具体化したもので、同条の精神を明確にし、公務員の行為に基づき国が負担する自己責任を定めたものである。したがつて、国家賠償法一条は、公務員個人の責任とは本来無関係な規定であり、公務員個人の責任を排除したものではない。公務員個人には当然民法の不法行為の原則規定が適用されるのである。

(三) しかるに、公務員の職務行為による損害の賠償請求について公務員の責任を否定する学説判例があるけれども、これらはいずれも承服しがたいものである。

戦前明治憲法下のわが国においては、絶対主義的天皇制のもとに公権力の行使については国家無責任の原則がとられ、官吏の職務行為と認められる限り当該官吏個人に対する請求も認められていなかつた。かかる制度が諸国の立法に例をみない程国家の絶対的専制的地位を認めたものであることはいうまでもない。しかし、敗戦によりわが国は、民主主義的司法国家として発足し、日本国憲法一七条により国は公権力の主体としての特権的地位を捨て、私人と同一の責任を負うに至つた。すなわちさきの国家の絶対的地位を抛棄させ、その結果国家無責任の原則の拡張であつた官吏個人の無責任制も廃止し、公務員個人の責任は民法の規律の下におかれることになつた。したがつて旧憲法下の法制上必要最少限の例外規定であつた公証人法六条、旧戸籍法四条、旧不動産登記法一三条および民訴法五三二条は、いずれも日本国憲法一七条の規定の下に制定された国家賠償法付則により当然不要の規定として廃止され、一般法である民法の規定に解消されたものであつて、右規定廃止をもつて公務員個人の損害賠償責任が一般に免責されたものと解すべき余地は全く存しない。

また、実質的にみて、国家賠償法により被害者は経済的に充分満足を受けるから、公務員の責任を問う必要はないという見解もある。

しかし、現行法上損害賠償の方法として金銭賠償以外に謝罪広告が認められていることからも明らかなように、とくに、本件のように精神的損害に対する賠償が中心になつている場合において、単に国の責任のみを認め、加害者たる個人の責任を認めないときは、被害者の保護としては不充分といわなければならない。不法行為の被害者は本来加害者に対し損害賠償請求権を有するものであつて、何らの理由も必要もないのに加害者たる公務員の免責を認めることは、不当に公務員を保護し、被害者の権利を奪うものというべきである。

しかのみならず、違法行為を行なつた公務員を職務行為の名の下に保護しようとすることは、まさに旧憲法下の天皇制絶対主義国家における官吏の絶対的地位を現在においてそのまま認めようとすることであり、国民により選定され、罷免される公僕としての公務員とははるかに遠い特権官僚の地位を固めようとする企てである。旧憲法下においてさえ学説の多くが故意重過失の場合公務員個人の責任を肯定し、判例も形式上職務行為に属するものについても職権を乱用し、故意に他人の権利を侵害する場合については官吏の責任を認めていたのに対し、現在の判例によればこのような場合でも国家賠償法が適用される結果、公務員個人は免責されることとなるべく、その不当性はあまりも明瞭である。かように公務員個人の責任を否定する判例は、公権力の行使による損害につき国民の権利の擁護、拡張を目的とした憲法一七条の精神に反し、同条の下に規定された国家賠償法一条を不当に解釈して国民の正当な権利を奪うばかりでなく、公務員に不当の特権を認めることにより憲法一四条の法の下の平等の原則にももとり、とうてい許されない。

なお、判例と同様の結論をとる学説によれば、国家賠償法はドイツ法と同じく公務員の行為について国のいわゆる代位責任を定めたものとされる。しかし、ドイツにおいては一九一〇年のライヒ責任法が明文をもつて国の代位責任を規定し、これがワイマール憲法を経てボン憲法に引継がれたのに対し、わが国の国家賠償法においては、ドイツ法と異り、国が公務員に代つて責任を負うと解すべき条文上の根拠を欠く。また、国家賠償法が国の当該公務員に対する求償権を規定していることをもつて判例を支持する理由とする向があるが、しかし同様の規定である民法七一五条三項にもかかわらず使用者責任が被用者責任を排除しないことからみて、右支持理由はあたらない。

以上の理由により、原告は、被告国および被告富川の双方に対しそれぞれ損害の賠償を請求する次第である。

六 証拠<省略>

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