東京地方裁判所 昭和35年(ワ)7406号 判決 1962年8月24日
原告 ロバート・フロイド・ブラツク
被告 時田厚二郎 外一名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
原告代理人は「被告等は原告に対し、それぞれ金三七二万円およびこれに対する昭和三五年四月一六日より支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告等の負担とする」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、「被告吉村繁は浦和市において吉村組と称するトラツク運送業を営むものであり、被告時田厚二郎はダンプカー運転者として、右吉村組に使用されるものであるが、昭和三五年四月一五日、午後一〇時頃、被告時田は右吉村組の業務である砂利運搬のため被告吉村所有の五七年ニツサンダンプカー一(す)七六〇〇号を運転し、東京都千代田区丸の内二丁目六番地先の皇居外濠方面から中央郵便局方面に向つて幅一〇、九五米の道路を通行中、右道路と有楽町方面から鎌倉方面に通ずる幅一五、八米との交叉点において、折から右一五、八米の道路を有楽町方面から鎌倉町方面に向つて進行して来た原告の運転する四七年シボレー3(す)四六〇六号乗用車の右中央部に前記ダンプカーの右後方部を衝突させて原告に全治五週間の左額打撲傷を負わせたものである。被告時田は、原告の運転する自家用車が進行する右一五、八米の道路よりも狭い一〇、九五米の道路から右一五、八米の道路に入るのであるから、交叉点入口において一時停止するか又は警笛を吹鳴して除行し、広い道路にある原告車に進路を譲らねばならないに拘らず、これを怠り原告車が右交叉点附近に向い時速三〇粁で歩道から四フイートはなれたところを進行中であることに気づかず、慢然右交叉点に進入し、これを横断しようとしたので、原告は二九米手前の八重洲ビル入口附近でこれを発見するや直ちに急ブレーキをかけて、ハンドルを左に切つたが間にあわず、遂に原告運転の自家用車の右中央部が被告時田運転のダンプカーの右側後部に衝突したものである。右交叉点西北角には一且停止の標式もあり、また被告時田の運転するダンプカーは狭い道路より広い道路に出ようとするのであるから一且停止して、広い道路を通過する車の有無をたしかめ、そのなきことを確認してから進行すべきであつたのに、右被告時田においてこれを怠つたため本件事故を惹起したのであつて且つまた、本件事故は被告吉村の事業の執行につき生じたものであるから、被告時田、並びに同人の使用者である。被告吉村はそれぞれ原告が本件事故により被つた損害を賠償すべき義務がある。
原告が本件事故により被つた損害は右受傷のための治療費として金八、三〇〇円、その他諸雑費一、七〇〇円を各支出し、また原告は外国人芸能人の紹介を業とする日英米興業株式会社に勤務しており、本件事故当時来日していた歌手のドロシー・カフーンや投縄のジヨン・ブレデイーを日本の大都会のナイト・クラブのシヨーに売り込むことにより、一回の出演料三万円の二割の特別コミツシヨンを右勤務会社から受けとることになつていたところ、本件事故による病院通いのための休業や顔面の醜悪なる傷痕にわざわいされて、芸能人の売りこみは半減し、三ケ月にわたり計四五回の売りこみが不成就におわり、ために原告は四五回分の出演料一三五万円の二割である金二七万円の得べかりし利益を失つたものであり、加えて原告は本件受傷により精神的、肉体的苦痛を被り、これを慰藉すべき金額は三〇〇万円を必要とするから被告等は当然これが賠償の義務がある。また本件事故により原告の運転していた自家用車は破損し、その所有者である訴外大黒淳子に金二四万円を支払わねばならなかつたから被告等は右金員相当の損害賠償の義務がある。こゝに原告は合計金三七二万円および本件事故発生の日の翌日である昭和三五年四月一六日より支払済みに至るまで年五分の割合による金員の支払を求めるため本訴請求に及んだ次第である。」と述べた。
被告等訴訟代理人は「原告の請求は棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、答弁および抗弁として、「原告主張の日時ごろ、その主張の場所において、被告吉村繁の使用人である被告時田厚二郎が被告吉村の事業の執行のため、ダンプ・カーを運転中、原告の運転する乗用車と衝突し、右事故で原告が顔面打撲傷を受けたことは認めるが、右事故が被告時田の運転上の過失によつて生じたことはこれを否認し、その余の事実は不知、被告時田は千代田ビル工事の砂利運搬のため、八重洲ビルと三菱本館の間を通ずる道路の中央線左側を時速一四粁の速度で東進し、本件交叉点に立ち至つた時、その入口において一旦停止し、左右の往来を確かめ、視界に人車のないことを確認してから除行しつつ右に施回したものである。然るに原告車は事故発生場所の制限時速五〇粁を越える時速六〇粁乃至七〇粁で疾走し、且つ酒気を帯びて正常の運転をなしえない状態にあつたため、前方注視義務を怠り、且つまた被告時田運転のダンプカーを前方に確認してからも適切なる制動措置をとらなかつたため本件事故を惹起したものである。即ち原告車はすくなくとも事故現場から二九米前方で被告運転車が十字路に踏み入れたことを認めているのであるから、かゝる場合には被告車は当然優先して通行しうるのであつて原告車は除行して被告車の通行を妨害しない様な措置を講ずべきであり、しかも原告車が制限時速内で走行している限り、その理論制動距離は二四米以内であつて安全な停止距離をのこしていたのであるから本件事故現場が雨でスリツプし易い状況にあつたことを計算に入れても本件事故を回避することは十分可能であつたにもかゝわらずその措置を怠つたものである。しかも原告運転車が原告主張のとおり時速三〇粁で歩道から約四フイートのところを走行していたとすれば、原告運転車は被告運転車の背後を安全に通過しうるはづであつたに拘らず、原告はその措置を誤り、急ブレーキをかけたため、車輪がスリツプして事故をおこしたものであつてこの点についても原告の過失は免れず、いづれにしても本件事故の責任は原告により、被告時田の運転に過失はない。
仮りに被告等が損害賠償義務を負うとしても、前記原告の過失は賠償額の算定にあたつて斟酌さるべきものであると述べた。
原告訴訟代理人は、被告主張事実に対し「被告時田が右交叉点において一時停止したことが認めるがその余の事実は否認する。狭い道路から広い道路に入ろうとする時は、通行順序の如何を問わず広い道路にある車馬に進路を譲らねばならないのであつて、本件事故は被告時田がこの注意義務を怠つたために生じたものであつて原告に過失はない」と述べた。<証拠省略>
理由
被告吉村繁が原告主張の如くトラツク運送業を営むものであり原告主張のころ、その場所において、被告時田厚二郎が被告吉村の事業の執行のためダンプカーを運転中原告の運転する乗用車と衝突したことは当事者間に争いない。そこで右事実と成立に争いのない乙第一、二号証、証人吉村富美の証言に、原、被告本人訊問(以上いづれも後記信用しない部分を除く)並びに検証の各結果を綜合すると次の事実が認められる。
被告時田はダンプ・カーを運転し、ビル工事現場の残土を運搬するため、東京都千代田区丸ノ内二丁目六番地先を皇居外濠方面から幅一〇、九五米の道路を東進して前記交叉点にさしかゝつた際、一旦停止し左右の人車の往来をたしかめたところ、右側に有楽町方面より鎌倉町方面にいたる幅一五・八米の道路を右交叉点に向つて時速概ね五五乃至六〇粁で走つて来る原告運転の乗用車をみとめ同車の速度を概ね時速四五乃至五五粁と目測し同車から右交叉点に達するまでにその前方を横断しきれるものと判断して前進を開始しハンドルを右にきりつゝ交叉点に進入し、他方原告も交叉点より約六〇米手前で一時停止している被告時田運転のダンプカーを認めたが自車の通過をまつてくれるものと判断してそのまゝの速度で進行をつづけ、更に約三〇米手前の八重洲ホテル正面入口附近に来た時、右ダンプカーが右交叉点に自車の進路の真正面の位置にまで進入して来ていることを認めてようやく危険を感じ、直ちにハンドルを左にきり乍ら急制動を一杯にかけたので、折柄アスフアルト路面は雨に濡れていたため右斜めにスリツプを始め、その間右のように交叉点に進入を開始してから概ね五・二秒経過してその前輪を右乗用者の進行してくる道路のほゞ中央附近にまで達していた右ダンプカーの右後方部にその乗用車の右中央部を衝突せしめ、さらに数メートル進行して漸く停止し、その衝撃により、乗用車は損傷し原告は前額部に負傷したことが認められる。
ところで前記のとおり一時停止中の時田が原告の車を認めたとき、両者の間隔はどの位あつたかについて考えてみるに、検証の結果によると、原告の進行する道路の歩道の幅は四・七米あり従つて、その線まで時田の車の先端を進めそこから約一米後方の運転台より見透せば視野をさえぎるものはないことが認められるのみならず、夜間では車体を確認するよりはるかに前もつて前照灯の光りにより相手の車の存在を発見できるのであるが、被告時田はその距離を二〇〇乃至三〇〇メートルであつたと供述しているけれども、検証の結果によれば、被告時田が一時停止した地点から発進し事故地点まで進行するには約五・二秒を要することが実験せられており、右の距離をこの時間内に原告運転の乗用者が衝突地点まで到達するためには時速一五〇乃至二〇〇粁以上の速度で走行していなければならない計算となるところ、原告がかゝる異常な速度で走行した証拠もなく、この点に関する被告時田の供述部分は措信できず、又乙第一号証によると、事故直後警察官の実況見聞に際し被告時田はこの距離を四五メートルと告げていることになつているが、後に説明するとおりの原告の速度によるとこの距離は約三秒で走行する筈で、そうすると被告車の接触個所は、後部でなくもつと前方でなければならないこととなることより考えて真実に合わない数字と言わねばならず、結局原告が同被告の車を発見したのと概ね同じ頃被告時田も原告を発見したもの従つて相互の距離は概ね六〇メートルであつたと推認せざるをえない。そしてこの六〇メートルを都内の制限速度である時速四〇粁で通過するには約五・四秒を要することとなるが、被告時田のダンプカーが進行を始めてから交叉点の中央即ち原告の進行する道路の中心線にその後部まで達せしめる即ち本件衝突地点より右ダンプカーの一車身約六メートル前進した地点まで進行せしめるには、前記実験の結果より概ね六秒を要するものと推認すべく、従つて原告が制限速度で進行したのでは危険で多少の減速乃至制動をしなければ通過できなかつたのに、これを通過できると判断して、敢えて交叉点に進入した被告時田には目測の誤りがあつたといわねばならない。他方原告は被告時田が本件交叉点に進入して来たことを二九米手前の八重州ビル入口附近で認めるや直ちに急制動措置をとつたと供述するのでこの点について考えてみるに、かりにそうだとすると、完全に停止するまでの距離は三〇数メートルを要しており、(この距離は本件衝突がなければ更に長くなる筈で、これについて原告本人は五〇メートル位だらうと供述している程であるが)、これに基づいて成立に争のない乙第三号証の二によつて計算すれば概ね時速五五乃至六〇粁と推測され、この推測は、六〇メートルの距離を二、三秒で走るという原告の供述によつて、当時原告が相当高速度の運転をなしつゝある感覚、勿論この数字は時速七〇乃至一一〇粁を意味するもので目測としても不正確なものではあるが少くとも感覚としてはそのような意識をもつていたことがうかゞわれることとも一致し、「これは都内一円の速度制限四〇粁を超過するものであつて、このこと自体責められるべきであるが更にこのような速度で市街地を走行している運転者が次の瞬間には何れかが他方の進行を妨げ進路を譲らなければならないと思われる関係にある車両を発見した場合、そうすることに何らの危険も障害も困難も伴はない限り交通取締関係法規上の優先順位或は通行区分等の諸制限の如何に拘らずとりあえず直ちに制限速度にまで減速し、状況の変化をみて更に必要ならば制限速度以下に減速し或は制動をなし、ハンドルをきる等の措置を構じて危険を未然に防止すべきであるのに、被告時田の車が前方約六〇メートルで交叉点に進入しようとして一時停止しているのを認め乍ら原告はこれらのいづれも容易な措置を全くとることなく進行を続け、剰えその後約三〇メートルを走行する間被告時田が交叉点えの進入を開始してもこれに気づかず或はこれを無視して前記認定のとおり自車の進路の真正面にまで進入して来るに及んでようやく危険を感じ始めて急制動の措置を構じたことは、運転者として前記の注意義務を怠ること甚しいものがある。」ちなみに、原告が交叉点の手前六〇メートルで被告の車を発見した際制限速度である時速四〇粁に減速してさえおけば、三〇メートル手前で急制動をかければ衝突地点より約一〇メートルも手前で停止してしまうことは前記乙第三号証の二により明らかで、従つて急制動はおろか、アクセルペダルを離してえられるエンジンブレーキのみによつても或は多少の緩制動によつて従つてスリツプすることなく安全に同被告の通過後を通り抜け、衝突を十分にかつ容易に避けることができたと推認できる。まして本件の場合、路面は雨に濡れたアスフアルトで、ハンドルをきつて急制動をかければ横滑り状態となつてハンドルをとられてしまうこと必定で、このことは誰が考えても容易に予測しうる状況にあつたのだから、原告としては万が一にもこのような事態にならないよう尚更万全の措置を予め構じておくべきであつたと言はねばならない。又原告本人は右のような速度制限を超過することなく時速約三〇乃至四〇粁で走行していたとも供述しているが、かりにそうだとすると、前記乙第三号証の二によつて衝突後の停止位置から逆算すれば、原告は被告時田の車に概ね一〇乃至一五メートルにまで接近して始めて急制動を構じたこととなり、その時機を失したこと甚しいものと言わねばならないが、この速度だと六〇メートルを通過するのに五・四乃至七・二秒を要することから考えるとむしろ、急制動をますます必要としなかつたことが明白であるので、この供述部分はその前後の供述と自己矛盾するので信用できない。
以上の認定を覆えすに足りる証拠は何もない。ところで、「不法行為による損害賠償義務の発生には、加害行為と損害の発生との間に相当因果関係が存在しなければならないのであるが、この相当因果関係というのは、第一に、その行為がなければその損害が生じなかつたであろうと認められ、かつ、第二にそのような行為があれば通常はそのような損害が生じるであらうと認められる場合をいうのである。本件において、前記のような被告時田の目測の誤りによる交叉点えの侵入行為がなければ本件衝突事故が生じなかつたであらうことは明白であるが、他方、右の行為があつても通常は原告において速度制限を遵守し、時機を失することなく適切な減速乃至せいぜい緩制動をなすことによつて本件事故は生じなかつたであらうと認められること前段認定のとおりである。換言すれば速度制限さえ遵守すれば交通取締法規上本来なら同被告の車に進路を譲る義務なく制動措置を構ずる必要のなかつた原告に同被告の行為のため義務なき制動をかけさせる結果を生ぜしめたということはいえても、従つて同被告はその時、原告がかゝる措置を構ずることを期待しえても、更にそのうえ、原告が慢然と速度制限超過の無謀運転を継続したまゝ適切な制動の時機を失するであらうことまでも予見することを同被告に期待することは今日の大都市における交通事情に鑑み不可能であつたといわなければならない。即ち同被告の行為が道路交通取締法第一八条違反の刑事責任を追求されることがかりにあつても本件衝突並にそれにより生じた損害は相当因果関係の範囲外であると認めるのが公平の見地から適当と考える。けだし、交通取締法規の解釈では危険を一二分に考慮すべきであるが、不法行為の賠償責任における相当因果関係は通常の予見可能性の範囲に限定すべきだからである」。
そうすると、原告の本訴請求中これが相当因果関係の範囲内にあるものとしてその損害の賠償を求める一般の不法行為上の損害賠償を求める部分はその余の点につき判断するまでもなく理由がなく自動車損害賠償保険法第三条に基づく請求は、前記のとおり被告時田の目測の誤りによる交叉点への進入は本件損害と相当因果関係なく、かつ本件衝突は原告の過失に基づくこと前記認定のとおりであるから、被告らの抗弁に理由があり、その余の点につき判断するまでもなく理由がないので全てこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 三好徳郎)