東京地方裁判所 昭和35年(刑わ)5451号 判決 1961年2月13日
判 決
被告
飯場監督
工藤敏夫
昭和二年生
被告
土建業山下こと
木下尚徳
昭和十年生
被告
自動車運転手中村正夫こと
東郷弘
明昭和十二年生
右三名に対する傷害、傷害致死被告事件並びに東郷弘明に対する窃盗被告事件について、当裁判所は審理の上次のとおり判決する。
主文
一、被告人工藤敏夫を懲役三年に、同木下尚徳を懲役一年に、同東郷弘明を懲役一年六月に各処する。
一、但し、被告人東郷弘明に対しては本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
一、訴訟費用中、証人深野千松に支給した分は被告人工藤敏夫の負担、証人平井邦芳に支給した分は被告人木下尚徳の負担、その余の訴訟費用は被告人工藤敏夫、同木下尚徳の連帯負担とする。
一、昭和三十五年十一月九日付起訴状記載の公訴事実中被告人工藤敏夫、同木下尚徳が被告人東郷弘明と共謀の上被告人東郷の行つた殴打により幸田昇に対し傷害を与えたとの点、被告人東郷弘明が被告人工藤敏夫、同木下尚徳と共謀の上、(イ)被告人工藤の行つた投石により小原長平を傷害により死に致したとの点並びに(ロ)被告人木下の行つた咬みつきにより鈴木定雄、被告人工藤の行つた殴打により山口定夫及び幸田虎雄に対し傷害を与えたとの点は当該被告人につきいずれも無罪。
理由
(罪となるべき事実)
被告人工藤敏夫は昭和三十一年頃から土建業柴山組に傭われて飯場の監督をしている者、被告人木下尚徳は土建業を営み主に右柴山組の下請をしている者、被告人東郷弘明は昭和三十五年四月頃から同年十二月頃までの間右柴山組で自動車運転手をしていた者であるが、
第一、被告人工藤及び被告人木下の両名は、昭和三十五年十月二十四日午後十一時四十分頃横浜市東神奈川にある株式会社日本製粉の工事現場でコンクリートを打ち終えたので、その慰労を兼ね、前記柴山組の組長である柴山仁及び被告人東郷と共に食事をするため、同被告人の運転する小型乗用車に同乗し、翌二十五日午前零時三十分頃東京都大田区羽田六丁目二十二番地の二割烹旅館「空港」に赴き、同旅館の前で一時停車し、まず柴山のみ単身下車して同旅館に向い、被告人等三名は附近で車を廻して(Uタン)後から来るため一旦同所を立去つた。而して右柴山は迎に出た前記旅館の従業員田沼静子の案内で同旅館へ入ろうとした際、同旅館より一軒おいて西隣りの「福栄寿司」で飲酒して帰宅の途上たまたま同所を通りかかつた幸田昇、潮田明、山口定夫等から「お泊りさんですか」等と冷かされ気まずい思いをしたばかりか、これを聞いた右田沼が柴山をその場に置き去りにしたまま旅館内へ入つてしまつたので、同旅館より引き返し、被告人工藤等の後を追つて、同番地四つ角で北方に到る道路へ右折した附近でエンジン故障のため停車中の前記乗用車に到り、車中の被告人工藤等に「おい来てくれ」といいながらその窓を叩いたが、この時幸田昇等三名も柴山の後について同所に来ていた。被告人工藤は右柴山の声を聞き、被告人木下は柴山の背後に上半身裸体で腹に晒を巻いた幸田昇等の姿を認め、何事かと思つて、いずれも直ちに車外に飛び出し、「どうしたんだ」と声をかけたところ、いきなり幸田昇等から「貴様は何だ」「足袋をはいてる、土方か」「何だ、お前もか」等と侮蔑的言辞を浴びされたのみか、被告人工藤が幸田昇から右眼を殴られたので、被告人工藤、同木下は幸田昇等の仕業に憤慨すると共に自分等の親方でしかも病身の柴山と幸田昇等との間に何か険悪な事態がおこつているものと考え、この上は互に相協力して幸田昇等に「力ずく」で対抗するの外ないものと犯意を共通にした上、被告人工藤は幸田昇に組みつき、被告人木下は潮田明等に向つてクランク棒(昭和三十五年証第千八百十五号の一)を振りまわし、以て相呼応して幸田昇等に立ち向い、幸田昇等が一時後退した隙に、被告人工藤は柴山を逃した。ところがこれと時を同じくして右幸田昇等と同じ漁師仲間であつて最前まで前記「福栄寿司」で同人等と飲酒を共にしていた鈴木定雄、幸田虎雄、小原長平、伊東吉太郎、伊東日出男、中山金太郎等が右騒ぎを聞きつけて前記抗争現場(上記四つ角)附近に近づき、そのうちのある者は幸田昇等に加担する状勢になつたが、被告人工藤、同木下はこれをいずれも幸田昇等の加勢がきたものと考え、右鈴木定雄等に立ち向つた結果、
(一) 被告人木下は鈴木定雄のため左腕をつかまれた上腕時計までもぎ取られたので同人の右手指に咬みつき、
(二) 被告人工藤は
(1) 前記四つ角東南角附近から片手に持てる位の石塊二個を拾い、前記小原長平、伊東吉太郎、中山金太郎等の一群に向つてこれを投げつけ、うち一個を右小原長平の左側頭部に命中させ、
(2) 更に右四つ角東北角に立つていた道路標識(前同証号の二)を折り取つた上これを振つて前記山口定夫の顔面及び幸田虎雄の頭部を順次殴打し、
以て前記(一)の暴行により鈴木定雄に対し加療十日間を要する右環指咬傷、同(二)の(2)の暴行により山口定夫に対し加療約一箇月間を要する上顎左中切歯並びに下顎右中側切歯(計三歯)破折、幸田虎雄に対し加療約十日間を要する頭部打撲挫創及び右小指打撲の各傷害を与え、(二)の(1)の暴行により小原長平を左側頭部打撲挫創によつて惹起されたが機能障害に基づき同日午後一時四十分頃前同区糀谷二丁目百五十九番地高野病院において死亡するに到らしめ、
第二、被告人東郷は
(一) 柴山仁が前記第一で判示した経過で前記四つ角に来た際エンジン故障をクランク棒で調整中であつたため、被告人工藤等より遅れて同人等がいた場所に立ち廻つたが、所持していたクランク棒は被告人木下にとりあげられ、同人等と幸田昇等との間に喧嘩がはじまり、幸田側には更に大勢の加勢が駈けつけて来る状勢であつたので、自らはその場より逃走しようとしていた矢先、被告人木下から呼ばれたので引き返すと、同人が前記クランク棒を投げ出したのでこれを前記乗用車に格納するため拾つたところ、幸田昇から襟首をつかまれたので、これを振りきるため、右クランク棒を以て同人の右腕を殴打し、よつて同人に対し加療約七日間を要する上膊部打挫症の傷害を与え、
(二) 同年四月十六日頃静岡県加茂郡下田町大工町六百五十八番地旅館「住吉」において、隣室の投宿客村上哲夫の背広上衣内ポケットより同人所有の現金一万五千円を技き取つて窃取し、
(三) 同月二十三日頃東京都足立区梅田町二百十二番地新田政吉方において、金太一所有の背広上下及びトレンチコート各一着(時価合計一万五千円相当)を窃取し、
(四) 同年五月四日頃、同都豊島区駒込三丁目四百七十一番地「はじめ荘」内高田光明の居室において、同人所有のカメラ一台(時価一万五千円相当)を窃取し
たものである。
(証拠)省略
(二) 弁護人の主張に対する判断
(1) 弁護人平林正三は判示第一の事実につき「小原長平が死亡するに到つた原因は検察官主張の如く被告人工藤の投げた石があたつたためであるとの証拠は乏しい。逆に①酒を飲んだ漁師同志が喧嘩をして殴られて死亡し、その後に本件の喧嘩があつたとか②漁師仲間の投げた石が当つたとか③自分で転がつた等の可能性が存する。従つて取調べられた証拠の程度を以てしては小原長平の傷害致死の証明は十分でない」旨主張するので検討するに、前掲各証拠中伊東吉太郎の司法警察員並びに検察官に対する各供述調書によれば、同人は問題の当日小原長平の後四、五歩位の所を歩いていたのであるが、小原長平は突然倒れ、同人の周囲に人はいなかつたことを認めることができるから、同人の受傷は何人かが同人を殴打したことによるものでないことは明らかである。次に中山金太郎の司法警察員に対する供述調書には「黒い人影がみえ……この人影が物を投げたような格好(をした)。その……位置は……綿屋さんの前の軒下辺であ(つた)。それと同時に私の前を歩いていた二人のうち右側の人が道路上に仰向けに倒れたのです。……そばによつてみると小原長平さんでした。」との記載があり、この記載は被告人工藤の司法警察員に対する昭和三十五年十一月五日付、検察官に対する同月九日付各供述調書及び同人の当公廷における供述を綜合して認められる同被告人の投石行為の時期、場所、目標、方向、強さ、八十島信之助他一名作成の鑑定書によつて認められる小原長平の傷害の部位程度、実況見分調書によつて認められる同人の倒れた位置、前記伊東吉太郎の供述調書によつて認定した事実、被告人木下の当公廷での供述によつて認められる同被告人が見たところの被告人工藤が「白いもの」を持つた位置及び時期等とよく合致し、これ等の事実と綜合すれば、判示第一の(二)の(1)で認定したとおり被告人工藤の投げた石塊のうち一箇が小原長平の左側頭部にあたつたものと認めるのが相当である。その上、弁護人主張の可能性のうち①は、鈴木定雄、伊東吉太郎、中山金太郎の各司法警察員並びに検察官に対する供述調書に鑑みればかかる可能性の存する余地はなく、②は、証人田沼静子、被告人木下の各供述によれば、漁師仲間も石を投げたことは窺われるが、その投げた方向は、小原長平のいた所とは逆の方向であつて、しかもその投石の時期等を考えると、同人に仲間の投げた石のあたる可能性は皆無に等しく、③については証人八十島信之助が死体解剖の結果に照らしこの可能性を明瞭に否定している(同証人の供述25問答)。以上によれば小原長平の左側頭部打撲挫創は被告人工藤の投石行為によるものであつて、右認定に合理的疑いをさし挿む反対証拠は存しない。よつて前記弁護人の主張は採用できない。
(2) 弁護人木島敏雄は、被告人木下は判示第一の事実につき、被告人東郷は判示第二の(一)の事実につき適法な自首をしたから、同被告人等の刑は減軽さるべきである旨主張するので検討するに、刑法上の自首は犯罪事実が捜査機関に認知されていないか認知されていても犯人の何人たるかが特定される以前になされなければならないと解すべきところ、一件証拠によれば被告人木下、同東郷は昭和三十五年十月二十九日蒲田警察署に自ら進んで出頭したものであることは認めうるが被告人工藤は判示第一の犯行直後逮捕されその日に犯行の詳細及び共犯者として三名の者がいることを自供し、被告人木下、同東郷両名につきその通称(虚構の氏名ではない)、住居、職業、年令、犯行当日の服装等についてほぼ正確な供述をなしていること並びにこれ等の資料に基き同月二十七日大森簡易裁判所裁判官から被疑者を通称及び人相で表示して逮捕状が発せられていることが認められる。そうとすれば前記二十九日以前に犯人の何人たるかは特定されていたものといわざるをえない。よつて、本件自首は刑法第四十二条第一項所定の自首に該当しないから、弁護人の主張は採用できない。
(累犯となる前科)
(一) 被告人工藤敏夫は昭和三十二年十月九日台東簡易裁判所において賍物牙保罪により懲役十月及び罰金五千円に処せられ、昭和三十三年八月八日懲役刑の執行を終えたものである。右は、検察事務官作成の同被告人に対する前科調書及び法務省矯正局指紋係作成の指紋照会回答書によりこれを認める。
(二) 被告人木下尚徳は昭和三十二年四月十六日東京地方裁判所において傷害罪、薬事法違反により懲役八月に処せられ、昭和三十三年五月八日その刑の執行を終えたものである。右は、検察事務官作成の同被告人に対する前科調書及び法務省矯正局指紋係作成の指紋照会回答書によりこれを認める。
(法令の適用)
法律に照らすと、被告人工藤、同木下の判示第一の所為中小原長平に対する傷害致死の点は刑法第二百五条第一項第六十条に、鈴木定雄、山口定夫、幸田虎雄に対する各傷害の点及び被告人東郷の判示第二の所為中(一)の幸田昇に対する傷害の点はいずれも刑法第二百四条罰金等臨時措置法第二条第三条(被告人工藤、同木下についてはなお刑法第六十条)に、被告人東郷の判示第二の所為中(二)乃至(四)の各窃盗の点はいずれも同法第二百三十五条に該当するところ、傷害罪につきいずれも所定刑中懲役刑を選択し、被告人工藤、同木下には前示懲役刑の前科があるので同法第五十六条第一項第五十七条(傷害致死の罪については同法第十四条の制限に従う)を適用してそれぞれ累犯の加重をなし、以上各被告人の判示各所為は同法第四十五条前段の併合罪であるから同法第四十七条本文第十条(なお被告人工藤、同木下に対しては同法第十四条)に従い、被告人工藤、同木下については最も重い傷害致死の罪の刑に、被告人東郷については犯情最も重い判示第二の(二)の窃盗の罪の刑にそれぞれ法定の加重をなし、なお被告人木下について同被告人は刑法所定の自首には該らないがいわゆる自首をしている等犯情憫諒すべきものがあるので同法第六十六条第七十一条第六十八条第三号により酌量減軽をなし、以上の各刑期範囲内で被告人工藤を懲役三年に、被告人木下を懲役一年に、被告人東郷を懲役一年六月に処するが、被告人東郷については諸般の情状を考慮して今回に限り右刑の執行を猶予するのを相当と認め、同法第二十五条第一項第一号に則り本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文第百八十二条を適用して主文第三項掲記のおり被告人等に負担させる。
(本件公訴事実中無罪の部分に対する判断)
(一) 昭和三十五年十一月九日付起訴状記載の公訴事実中、被告人東郷が被告人工藤、同木下と共謀の上、被告人工藤の行つた投石により小原長平を傷害により死に致し且つ被告人木下の行つた咬みつきにより鈴木定雄、被告人工藤の行つた殴打により山口定夫及び幸田虎雄に対し傷害を与えたとの点について検討する。
(1) 被告人等の小原長平等に対する暴行は、判示第一で認定した経緯により起つたいわば突発的な喧嘩闘争のさ中に行われたものであるから、いわゆる事前共謀の余地はない事案であり、一件証拠を精査しても斯ような形での共謀を推測させる証拠はない。そうとすれば、被告人東郷が検察官主張の如く被告人工藤、同木下と共謀の上判示第一の犯行をなしたというには、被告人東郷が犯行現場にいたというだけでは足りず右現場における同被告人の個別的具体的行動を全体的に観察してその中に他の被告人等と互に相呼応し相協力して相手方に暴行を加えようとした意思の発現を認めるに足るものがなければならないと考える。
(2) よつて被告人東郷の個別的具体的行動の中に右の如き意思の発現を認めることができるか否かについて按ずるに、
(イ)被告人東郷が検察官主張の日時場所で行つた主要な行動及びその推移は、一件証拠によると、①柴山仁並びに幸田昇等が判示第一で認定した経過で前記四つ角に来た際、エンジンが故障していたので、車の前部でクランク棒を使用してエンジン調整中であつたが、被告人工藤、同木下と幸田昇等との間に口論が始まり騒々しくなつたので、被告人工藤等のいる車後部の現場に廻り、その状態を見たが、この時被告人木下に自己の所持していたクランク棒をとりあげられたこと、②次いで被告人木下、同工藤と幸田側の者との間に判示第一で認定したとおりの喧嘩が始まり、幸田側には更に大勢の加勢が加わる状勢であつたので、逃走しようとしたところ、相手方の一人に腕を引張られたが、これに対抗せずその場からの離脱を図つたこと、③その矢先被告人木下から「中村、中村」と呼ばれたので、同人のいる地点に引き返すと、同人が前記クランク棒を投げ出したので、これを車にしまうため拾い上げたところ、幸田昇に襟首をつかまれたので、これを振りきるため、同人の右腕をクランク棒で殴打してその場を脱し、直ちにクランク棒を車の中に投げこんで犯行現場の四つ角を北方へ逃走したこと、④数分後車が心配になつたので戻つてみると、車の附近に相手方三人がいて「あの野郎だ」と叫んだので、再び羽田空港方面へ逃走して帰宅したことが明らかである。
以上の事実によれば、被告人東郷が被告人工藤、同木下の両名において相手方に暴行を加えている傍に暫時いたことは明らかであるが、同被告人の行動を全体的に観察すると同被告人は相手方に対して攻勢に出たことは一度もなく、むしろ突然の険悪な事態に驚き逃走するのに汲々としていた事情を看取できる。もつとも、③の事実によれば、被告人東郷は被告人木下の投げ出したクランク棒を拾いこれで幸田昇の右腕を殴打して居り、この事実は一見被告人東郷が懐いていた被告人工藤、同木下と共同して幸田昇等に対抗する意思の発現と認め得る資料のようであるが、この一連の行為殊に殴打の所為はこれを仔細に観察すれば、被告人東郷がその場より離脱しようとしていた際、幸田昇に襟首をつかまれたので、これを振りきるため、行われたものであつて、その本質はあくまで受動的でしかも自らの急場を脱するためのみのものであり、このことは同被告人の行動全体からみて否定できないこと並びに被告人東郷が被告人木下の投げ出したクランク棒を拾つたのは、自動車運転者としての職掌柄これを車にしまいその紛失を防ぐためであつて、幸田側に対する攻撃のためと積極的に考えうる証左のないこと(現に被告人が直後車にしまつていることは前記認定のとおり)を窺知するに足り、これ等の事実を彼此対照すれば、③の事実も検察官主張の事実を肯認する資料としては十分でないといわねばならない。
(ロ)幸田昇の司法警察員並びに検察官に対する供述調書中には、被告人東郷も積極的に暴行を加えたのではないかを疑わしめる記載があるけれども、同供述調書を他の一件証拠と対照しこれ等を全体として精査すると、自己に不利益な言動を隠し被告人等の行動を誇大に供述している感がないではないし、被告人等の当公廷での供述態度等に鑑みると前記(イ)の事実認定の資料とした同人等の供述こそ直相に合致していると考えられ、幸田調書には全面的の信頼を措き難い。従つて同調書は前記認定を左右するに足る証拠とはなし難い。又被告人東郷の司法警察員に対する同年十月三十日付供述調書には「けんかの原因は知りませんが、親方や主人が相手の連中と殴り合いをはじめたので私も一緒に加勢してやつたのです」との記載が存するが、被告人東郷の行動を全体的にみると、同被告人は終始一貫逃走するのに汲々としていて加勢というような攻撃的の雰囲気をいささかも感じられないことは前記認定のとおりであつて、これ等被告人東郷が当日行つた行動からその意思を付度すると、右は被告人の真意を述べたものか疑わしいので、この供述を以て共謀の存在を認めるのはいささか早計と考える。
(ハ) 他に被告人東郷が検察官主張の如く判示第一の事実に他の被告人等と共謀して加担していたと認めうる証拠はないから、被告人東郷に対する右公訴事実については結局犯罪の証明がないといわねばならない。
(二)同日付起訴状記載の公訴事実中、被告人工藤、同木下が被告人東郷と共謀の上被告人東郷が行つた殴打により幸田昇に対し傷害を与えたとの点について検討する。前記(一)で説示したとおり、判示第一の犯行について被告人工藤、同木下と被告人東郷との間に共謀の事実は存在しないのであるから、右犯行の際に被告人東郷が単独でなした判示第二の(一)の幸田昇に対する傷害について被告人工藤、同木下が刑事責任を負ういわれはない。そうとすれば、同被告人等に対する右公訴事実については結局犯罪の証明がないといわねばならない。
(三) よつて、被告人三名に対する右各公訴事実については、刑事訴訟法第三百三十六条により、主文第四項記載のとおり、無罪の言渡をなすこととする。
公判出席検察官 検事 西村常治
弁護人 弁護士平林正三、同木島繁雄
昭和三十六年二月十三日
東京地方裁判所刑事第九部
裁判長裁判官 八 島 三 郎
裁判官 大 北 泉
裁判官 佐 藤 文 哉