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東京地方裁判所 昭和35年(特わ)203号 判決 1960年12月14日

判決

本籍 福岡市東小性町十四番地

住居 東京都渋谷区代々木本町七百四十三番地

京極料理教室内

俳優

島 田 敬 一

明治三十七年五月十五日生

本籍、住居共右に同じ

俳優

島 田 外 起

明治四十年三月三日生

右の者等に対する出入国管理令違反被告事件について、当裁判所は検事伊藤卓蔵関与の上審理を遂げ、次のとおり判決する。

主文

被告人島田敬一、同島田外起をそれぞれ罰金五千円に処する。

被告人等において右罰金を完納することができないときは、二百五十円を一日に換算した期間、当該の被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は全部被告人両名の負担とする。

理由

(犯罪事実)

被告人両名はいずれも日本人であるところ、昭和二十八年十二月上旬頃から昭和二十九年八月中旬頃までの間に、中華人民共和国におもむく意図をもつて、有効な旅券に所要の出国の証印を受けないで、本邦内から本邦外へそれぞれ出国したものである。

(証拠の標目)

本件は到底捜査の行きとどいた事件とは認め難いけれども、左記証拠を彼此総合して一応判示事実を認定できる。(以下略)

(弁護人等及び被告人等の主張に対する判断)

弁護人等及び被告人等の主張に対する判断の要旨をかいつまんで述べれば、左記のとおり。

一、公訴事実が不特定である旨の主張について、

本邦から中華人民共和国へは一ケ月もあれば往復するに充分で、従つて公訴事実主張にかかる期間中には計算上数回の往復が不可能でないこと所論のとおりであるけれども、起訴状に記載すべき公訴事実は抽象的事実ではなく、経験的な実際的具体的な事実で足りるものであり、当時の客観的情勢の下では短期間内にいわゆる中共へ数回の密行を繰り返えすことは事実上至難なことであつたと認めるのが常識上自然で、従つて当時八ケ月間に一回出国したものと記載して訴追しても、極めて不充分ながら公訴事実としてはなお特定されたものと解するのが相当である。

畢竟場所や手段、方法等の記載を欠くけれども、本件起訴状をもつていまだ事実を特定せず、全く無効なものであるとまではいうことはできない。所論は独自の見解であつて、採用できない。

二、公訴の時効が完成している旨の主張について、

しかしながら公訴の時効の停止を認めるかどうか、認めるとして、如何なる事由のあつた場合にこれを認めるかは法律が適宜これを規定することができる事項であるところ、現行刑事訴訟法は犯人が国外にいる場合にはその期間公訴の時効はその進行を停止する旨規定し、何等の条件をも附していないのである。右が時効制度の本旨に反するものと断ずることはできないばかりでなく、法律は解釈上所論のような結果の生ずべきことをも予測した上、なお且つ前記のとおり規定したものと解するのが相当であり、これをもつて直ちに所論の如く不合理な規定であると解することはできない。所論は独自の見解という外なく、採用できない。

三、旅券法第十三条第一項第五号、出入国管理令第六十条第二項、第七十一条は憲法第二十二条第二項、第三十一条に違反し、無効である旨の主張について、

出入国の自由が国民の憲法が保障する基本的人権の一であることは弁護人の指摘を待つまでもなく、明らかなところであるけれども、国民とその構成する日本国との間には各般の関係において密接不可離の特別の関係があるものであることもまた否定することのできない事実である。されば今日の段階において、国民が本邦を出国せんとする場合に国がその事実を確知する必要がないものとはいえないのであり、従つて国が、出国を制限する目的からでは全くなく、右述のような目的を達するため、手続的に、法律の規定をもつて、出国しようとする者が旅券の発給を受け、且つそれに出国の証印を受けなければならないものとし、更に極めて合理的理由のある場合、その者の出国を差し止めるため、明確な基準を定めて旅券の発給をしないことができるものとし、それぞれその違反に対し相当の制裁を科することができるものとすることも、いずれも公共の福祉の立場からして憲法上も許されないことではないと解するのが相当である。

ただ旅券法第十三条第一項第五号の規定が旅券の発給をしないことができる場合の一として、「日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞があると認めるに足りる相当な理由がある場合」を想定していることが、果して違憲でないかどうかについては学説上も相当疑問視する向が多いのであり、又事実清明な心をもつて見た場合、右の如き概括的規定が充分合理的で、いたずらに濫用、殊に政治的濫用の虞の全くない明確な基準を設定したものといえるかどうかは、不発給の場合、すみやかに通知すべしとあるばかりで、調査等に必要な相当な期間以上に右通知を怠つた場合に対する明確な規定を欠くことなどの点を併せ考えると、基本的人権の本質に鑑み、深き疑なきを得ないところであるけれども、かような趣旨の規定を置く実際的な必要が絶無でもないと考えられることその他を考察すると、不完全ではあるけれども、前記旅券法の規定もいまだ直ちにこれをもつて憲法上の出国の自由を侵害し、違憲無効なほど、不合理、不明確な規定であるとは断ずることができないのである。畢竟個々の具体的な場合における運用そのものに問題があり、それはあくまでも基本的人権の本質をわきまえ、これに則つて運用される必要があるものとしなければならない。

すなわち叙上の趣旨よりして所論の前記各法条そのものはいまだ憲法第二十二条第二項に違背し、無効なものであるとは認められない。又前記管理令第七十一条の罰則は各種の違反の態様と照らし合せて考えると、必ずしも不当に重いものと認めることはできない。所論はこれまた結局独自の見解であつて、採用できない。

四、正当な、期待可能性のない行為である旨の主張について、

しかしながら具体的な当面の問題についてどう対処するのが正当かについては見解の相違があり得るのであり、被告人等の行動をもつて所論のように絶対に正しいものであつたと断ずることは相当ではない。被告人等はいずれも本件法規違反の事実を充分知りながら、なお且つ密出国したものであり、しかも当時中共等におもむくにつき旅券の発給を受けることが至難の実情にあつたとしても、証拠を検討しても被告人等の所為に全くいわゆる期待可能性がなかつたものと認めることはできない。さればこの主張も採用できない。

(法令の適用)

法律に照らすと、被告人等の判示所為はそれぞれ出入国管理令第六十条第二項、第七十一条、罰金等臨時措置法第二条に該当するから、所定刑中いずれも罰金刑を選択し、その金額の範囲内において被告人等をそれぞれ罰金五千円に処し、被告人等において右罰金を完納することができないときは、刑法第十八条により、二百五十円を一日に換算した期間、当該の被告人を労役場に留置し、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文により全部被告人両名にこれを負担させることとする。

(量刑の理由)

被告人等が自己の行為の正当なことを確信していたとしても、前記のように、その行為は違法なものであつて、有罪と認めるべきであるから、被告人等が法令の定める相応の刑責を免れないこと当然である。ただこの種法令は特にその執行、運用において中正妥当であつて、国民一般の信頼を受けるようにされなければならないものであり、本件当時の旅券法の運用に相当問題点があるふしの認められるのは遺憾である。なお被告人等は本来極めて純粋且つ真面目な性格の、相当にすぐれた芸術家であつて、中共への渡航も演劇研究が主たる目的であつたこと、本件の犯行自体はともかくとして、被告人等に特に日本国の利益又は公安を害しようとの意図もなく、又結果的にも著しくこれを害した事跡の認められないこと、前科のないこと、従つて本件が出国手続の違反という形式犯的なものと認めて然るべき事案であること、犯行後すでに約七年を経過し、その社会的影響の微弱化していること、当時と今日とでは国の内外にわたり政治的、社会的事情に相当の変化の認められること等、被告人等に有利な事情も量刑上斟酌されなければならないものと考える。以上その他諸般の事情を総合し、被告人等に対し特に前記のとおり量刑するのを相当と認める。

よつて主文のとおり判決する。

昭和三十五年十二月十四日

東京地方裁判所刑事第二十二部

判事 中 浜 辰 男

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