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東京地方裁判所 昭和35年(行)78号 判決 1967年11月08日

原告 国

被告 中央労働委員会

補助参加人 実方信一 外五名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者双方の求める裁判

原告指定代理人は、「被告が、中労委昭和三四年(不再)第一四号及び第一五号不当労働行為再審査申立事件について、昭和三五年七月二〇日付で行つた命令を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告指定代理人は、主文同旨の判決を求めた。

第二請求の原因

原告指定代理人は、請求の原因として、次のように述べた。

一  本件命令が発せられた経過

1  原告は、被告補助参加人(以下単に補助参加人と称する。)実方信一、佐藤英子、水野延子、吉原タケ子、森谷セイ子及び斉藤和義をいわゆる駐留軍間接雇傭者として雇入れ、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定にもとづいて日本国に駐留するアメリカ合衆国軍隊(以下、軍という)の施設である在日米空軍立川基地に勤務させてきた(雇入れの日及び職歴は後述のとおり)が、昭和三三年六月二三日付で補助参加人実方、佐藤、水野、吉原及び森谷の五名を、また同年七月一一日付で補助参加人斎藤をそれぞれ出勤停止処分に処し、さらに、昭和三四年一月三一日付で「業務上の都合」により以上計六名及び訴外市川卓に対し解雇の意思表示(訴外市川卓に対するものを除いて、以下本件解雇という)をした。

補助参加人らの雇入日時及び職歴概要は次のとおりである。

実方信一は昭和二九年二月一五日事務員として雇われ、同年七月以降は倉庫夫、本件解雇当時にはサプライ・ウエアハウス・ブランチに勤務。

佐藤英子は昭和三一年一月一三日事務員として雇われ、昭和三三年以降は顧問、本件解雇当時には、サプライ・プロダクシヨン・コントロール・ブランチに勤務。

水野延子は昭和二七年一二月一八日事務専門員として雇われ、本件解雇当時には、メンテナンス・セントラルデーター・ブランチに勤務。

吉原タケ子は昭和三〇年一二月二一日事務員として雇われ、本件解雇当時にはサプライ・インベントリー・ブランチに勤務。

森谷セイ子は昭和三〇年一月三一日事務員として雇われ、本件解雇当時には、サプライ・インベントリー・ブランチに勤務。

斎藤和義は昭和二九年二月一一日印刷工として雇われ本件解雇当時には、サプライ・カタロギング・ブランチに勤務。

2  ところが、補助参加人ら六名及び同人らの加入していた全駐留軍労働組合東京地区立川支部(以下、組合という)は、同人らに対する前記出勤停止及び解雇が労働組合法七条一号の不当労働行為にあたるとし、原告の委任事務処理機関である東京都知事を被申立人として、東京都地方労働委員会に救済の申立をした。これに対し東京都地方労働委員会は、昭和三四年八月一七日付で

「一 被申立人は、申立人佐藤英子、水野延子、吉原タケ子、森谷セイ子および斎藤和義をそれぞれ原職またはこれと同等の職に復帰させ、暫定出勤停止後、原職またはこれと同等の職に復帰するまでの間に同人らの受くべかりし給与相当額を支給しなければならない。二 被申立人は申立人実方信一に対し暫定出勤停止後、人員整理による解雇の日までの間に同人の受くべかりし給与相当額を支給しなければならない。三 その余の申立はこれを棄却する。」との命令(以下、初審命令という)を発した。

3  そこで、東京都知事、全駐留軍労働組合立川支部及び実方信一は、いずれも右初審命令を不服として、被告に再審査の申立をしたところ(昭和三四年(不再)第一四号及び第一五号不当労働行為再審申立事件)、被告は、昭和三五年七月二〇日付で、補助参加人ら六名に対する解雇は、軍が同人らの積極的な組合活動に注目し、保安上の理由に藉口して行つた不当労働行為であるという理由により「一 初審命令をつぎのとおり変更する。(一) 東京都知事は、実方信一、水野延子および森谷セイ子をそれぞれ原職またはこれと同等の職(配置転換措置による職を含む)に復帰させ、暫定出勤停止後原職またはこれと同等の職に復帰するまでの間に同人らが受くべかりし諸給与相当額を同人らに支払わなければならない。(二) 東京都知事は、佐藤英子、吉原タケ子および斎藤和義に対し、暫定出勤停止後それぞれの人員整理による解雇の日(佐藤英子については昭和三四年一〇月一日、吉原タケ子については昭和三五年六月三〇日、斎藤和義については昭和三五年五月三一日)までの間原職に勤務していたものとして取扱い、その間同人らが受くべかりし諸給与相当額を同人らに支払わなければならない。二 その余の東京都知事の再審査申立を棄却する。」との命令(以下、本件命令という)を発し、右命令書の写は、同月三〇日東京都知事に交付された。

二  本件命令の違法性

本件命令は、次に記載するような理由によつて、その全部又は一部が違法である。

1  本件解雇は、補助参加人ら六名の軍に対する保安上の危険となるべき行為を軍において把握し、それを決定的根拠として行われた軍の解雇要求に基いてなされた保安上の理由による解雇であつて、本件命令において認定されたように補助参加人ら六名の組合活動を理由とするものではない。すなわち、被告委員会は、本件解雇を軍側が補助参加人ら六名の合唱班活動を中心とする組合活動の故に保安上の理由に藉口してした不当労働行為であると認定するが、本件解雇は、原告が、日本国政府とアメリカ合衆国政府との間に締結された基本労務契約の細目書IF節所定の手続に従つてしたものであつて、しかも、本件解雇が保安上の理由によるものであることは、(イ)原告が非組合員市川卓を補助参加人らと同一理由により同日付で解雇していること、(ロ)軍が補助参加人ら六名の合唱班活動を禁止したという事実がないこと、(ハ)更に補助参加人実方信一に対しては昭和三四年一月九日に人員整理による解雇予告(同年二月一一日発効)をしているのであるから、同人は同年二月一一日に当然人員整理により解雇されるわけであつて、軍としては、ことさら保安上の理由に藉口してまで同人の解雇を急ぐ必要はないはずであること、によつても明らかである。また、被告委員会は補助参加人らについてO・S・I(保安調査局)の調査等が行われた事情から軍側において補助参加人らの組合活動を注目していたものと認定しているが、O・S・Iは補助参加人らの所属部隊とは指揮系統を異にし軍の機密保持及び軍の安全を守るための特別任務を帯びて活動する特別調査機関であるのみならず、他方第五空軍司令部より調達庁労務部長あての昭和三五年一二月二七日付回答書に「当司令部の得た情報によれば原告実方信一、水野ノブ子、吉原タケ子、佐藤エイ子、森谷セイ子等が多摩労働者学校(東京都立川市芝崎町多摩労務管理ホール所在)およびヤエン会として知られた組織体の会合に出席したことがわかつている。多摩労働者学校は日本共産党(日共)の後援で、その指揮下にあり、ヤエン会は日共の前線組織体である。本件原告全部は在日米軍の保安に関連して調査された。」と記載されているところから推察すれば、軍は、補助参加人らほか一名に対するO・S・Iの調査等の結果、右事実のみならず、その他に補助参加人ら及び訴外市川卓の軍に対する保安上の危険となるべき行為を把握し、それを決定的な根拠として原告に対し補助参加人ら六名及び前記市川卓の保安解雇を要求したものと認むべきである。

2  本件命令は、原告が補助参加人実方信一に対しては昭和三四年一月九日付をもつて同年二月一一日限り、同森谷セイ子に対しては昭和三五年五月二八日付をもつて同年六月三〇日かぎりそれぞれ人員整理を理由とするいわゆる予備的解雇をしているのに拘らず、「本件保安解雇がなかつたならばこの両名は右人員整理に際し基本労務契約細目書IH節五の規定に従い先任順位にもとづき他の職場に配置転換する措置が講ぜられるべき筈のものである」という理由で予備的解雇の翌日以降にわたり救済を与えている。しかし、これは基本労務契約細目書IH節五の解釈を誤つたものである。すなわち

基本労務契約の細目書IH節五の規定は人員整理を行う場合にはできる限り整理人員を少数に止めるために調整を行うとの方針を定めたものであつて、このために行われる配置転換または転任についても、有資格と本人の同意とを前提として、できる限りA側(米軍側)において措置する旨を定め、さらにA側は、同一職種その他による欠員補充のためのかかる措置によつても、その資格要件その他の理由によつて欠員補充が充分できない場合には一般の新規採用手続によつて需要を充たすことができる旨を定めているのである。

そして右配置転換または転任は、必ずしも自動的に先任順の逆順によるわけでなく、あくまでその職場、職務内容、語学力等を考えに入れた適格性を重視して行われるのである。従つて前記H節の五は、労務者に先任権ないし転任権を与えたものではなく、人員整理の場合先任順位に違反して配置転換ないし転任を行つてもそのことによつて整理解雇が無効となるものでもない。また実方及び森谷よりも先任順位で後順位にある者が配置転換により救済を受けたからといつて、その配置転換を受けた者よりも先順位の者全員に対する解雇が当然無効となるものでもない。以上のように、仮りに補助参加人実方及び森谷に対する保安解雇が無効であるとしても同人らに対する予備的解雇は無効ではないから、同人らに対する予備的解雇を無効であると認めた本件命令は少くともこの限りにおいて取消されるべきものである。

三  よつて、原告は、本件命令の取消を求めるため、本訴請求に及んだ。

第三請求の原因に対する答弁

一  被告指定代理人は、次のとおり述べた。

1  請求原因一の事実は認める。

2  請求原因二冒頭の主張は争い、同1記載の事実中補助参加人ら六名に対する本件解雇が基本労務契約細目書IF節所定の手続に従つて行われたいわゆる保安解雇であることは認めるが、真に保安上の理由によるものであることは争う。同2記載の事実中、原告が補助参加人実方信一及び森谷セイ子に対しそれぞれ原告主張の日、その主張のような予備的解雇をしていること、本件命令が原告主張のとおりの理由で予備的解雇の日の翌日以降にわたり救済を与えていることはいずれも認めるが、その余は争う。

3  非組合員市川卓が補助参加人らと同じ理由により同日付で解雇されていることのみによつて本件解雇が不当労働行為でないとは断じ難く、軍が補助参加人らの合唱班活動を禁止しなかつたからといつて直ちに軍が合唱班活動を嫌悪していなかつたということはできない。また、補助参加人実方は原告主張の人員整理を目的とする解雇予告以前既に昭和三三年六月二三日付で保安上の理由により暫定出勤停止処分を受けて事実上基地外に排除され翌三四年一月三一日付で右理由により遂に解雇されるに至つたものであつて(本件命令は、右暫定出勤停止処分により事実上実方らを基地外に排除したことをも含めて不当労働行為と判断したものである。)、右暫定出勤停止期間中たまたま実方の所属する職場に人員削減の必要性が生じ、在籍中の故に実方にも形式上解雇予告の措置がとられたに過ぎない。それ故、原告の不当労働行為は右解雇予告以前既にその端を発しているのであつて、「解雇予告期間中に拘らず解雇したのは保安上の必要があつた証左である」とする原告の主張は当らない。

次にO・S・Iの一般的性格が原告主張のとおりであるとしても、O・S・Iの調査対象に事実上組合活動が含まれ得る可能性があるばかりでなく、現に本件においては実方らの組合活動に対し現地部隊が注目した時期にこれと相前後してO・S・Iの調査が行われ、組合内部にもO・S・Iのスパイがいたとして問題となつた事実もあるから、単に、O・S・Iが補助参加人らの属していた部隊と指揮系統を異にする機関であるという形式的のことのみで、被告委員会の認定を非難することは当らない。また、原告は配置転換等につき先任順位より適格性の有無が重視されるというが、基本労務契約細目書IH節五には「………A側(軍側を指す)は、人員整理の対象になる労務者をもつて、その先任順にできる限り欠員をみたすものとする。………」との定めがあるばかりでなく、人員整理に際しては事実先任順位を尊重し配置転換ないし転任の措置がとられている。もとより、先任順で後順位のものが配置転換の措置を受け、前順位のものが退職しているような例外的な場合が絶無でないことはいうまでもないが、このような例外があるからといつて先任順位が尊重されず、適格性のみが重視されるということにはならない。次に、原告は、前記基本労務契約細目書IH節五の規定は、労働者に先任権ないし転任権を与えたものではないから、先任順位に違反して配置転換ないし転任を行つても、そのことにより人員整理による解雇が無効となるものではないと主張しているが、本件命令は実方及び森谷両名に対する予備的解雇を無効と認めているわけではないから原告の主張は当らない。

4  本件命令がなされたのは、請求原因一記載事実の外次のような事実及び経過があつたからであつて、右命令の判断に何ら違法の点はない。

(A) 補助参加人実方信一、佐藤英子、水野延子、吉原タケ子、森谷セイ子及び斎藤和義の加入している組合は昭和三一年一〇月二一日全駐留軍労働組合東京地区フインカム支部と同立川支部とが合同して結成されたもので、組合には、職場別に北分会(サプライ関係)、西分会(IEO関係)および東分会(メンテナンス関係)がおかれている。

(B) 補助参加人らは、非組合員市川卓とともにそれぞれ原告主張の各日時、その主張の如き暫定出勤停止処分の通知を受け、さらに昭和三四年一月三一日付で立川渉外労務管理事務所(以下、立川労管という)所長から解雇通知を受けたが、右解雇通知に先だち立川基地契約担当官から立川労管に対し、昭和三三年七月二日実方、佐藤、水野、吉原、森谷及び市川は基本労務契約細目書IF節1(以下保安基準という)のb項に該当し解雇を正当と認めた旨、また斎藤については同月二一日保安基準のc項に該当し、解雇を正当と認めた旨の通知があり、これに対し立川労管所長は実方ら六名について同月一五日保安基準に該当しない旨また斎藤については翌八月四日保安基準のc項に該当する旨の意見書を軍側に提出した。その後同年一二月二四日立川基地を所管する第五空軍司令部の契約担当官から調達庁に対し実方ら七名がいずれも保安基準のc項に該当すると判定した旨の連絡があり、調達庁は、翌三四年一月一六日付で軍側判定に同意する旨回答した。

(C) (1) 組合の前身であるフインカム支部は、昭和二九年二月情宣部に合唱班を設け、支部執行委員長訴外塚勝正、組合員訴外小林勝美、同富田晴一らが中心となつて合唱練習を行なうとともに合唱活動を通じて組合組織の拡大に努め、さらにストライキの際には青年行動隊の一員となつてピケ隊員の激励等に当たつていたところ、翌三〇年二月に小林が、同年三月には富田ら六名の合唱班員が保安上の理由で解雇(以下、保安解雇という)され、引きつづき昭和三一年四月頃に執行委員訴外今野貞美が保安解雇となり職場活動家訴外大森新次郎が保安上の理由で出勤停止処分をされるに及んで、同年七月全国初の保安解雇反対ストライキを行なつた。このストライキに際して、補助参加人実方、佐藤、水野、斎藤らが青年行動隊合唱班を再編成しピケ隊の激励に努めた。

(2) その直後たる同年八月、前記小林らが国を相手として東京地方裁判所に提起していた雇傭契約存在確認請求事件(東京地裁昭和三〇年(ワ)第三八九三号)について勝訴の判決があつたため、組合としても合唱班再編成を中心とする文化活動に自信を持つに至り、同年一一月二一日フインカム、立川両支部解散合同大会において「文化活動を充実させる闘い」として「労働者の階級意識を高め、あわせて団結を強化するためには、文化活動はきわめて重要な意義をもつ………(イ)自発的に学習運動を起こすように努め、学校、労働講座等には積極的に参加せしめる。(ロ)職場地域の各種文化活動を積極的に支援し、組合員相互ならびに家族との交流に十分なる考慮をしながら団結をはかる。」との方針が決定された。

(3) 右の方針に基き、補助参加人実方、佐藤、水野、斎藤らは組合北分会青年婦人部長松崎忠夫らと相談のうえ、文化活動を推進するため、まず合唱班を組合の正式な機関として組織することとし、また、これと前後して読書、演劇、生花、労音等各種のサークルが生まれ、職場内でのサークル活動が活溌に行なわれるようになつた。これらのサークルは、合唱班が主となつて昭和三一年一二月頃から翌三二年にかけて「日本のうたごえ」など外部団体主催の文化的諸行事に積極的に参加し、また、昭和三二年四月と同年一〇月に開講された三多摩地区労働組合協議会後援の多摩勤労者学校には、組合が受講をあつせんし、斎藤を除くその余の、補助参加人ら五名もこれに参加した。このほか合唱班は、昭和三二年三月のメイドの個人雇用切換え反対ストライキ、その後の人員整理反対ストライキの際に各ゲートに立つて説得活動を行なうほか歌唱指導などによりピケ隊員の激励に当つた。なお合唱練習は、諸行事参加の前などには昼休み時間を利用して基地内でも行われていた。

(D) (1) 補助参加人実方は、昭和二九年六月組合の前身であるフインカム支部に加入し、昭和三一年一〇月二一日以降組合北分会委員になつている。同佐藤は昭和三一年二月にフインカム支部に加入し、組合結成後は北分会に属している。同水野は、昭和二九年一二月にフインカム支部に加入し、直ちに職場委員となり、昭和三〇年三月から翌年一〇月まで支部委員となり、組合結成後は東分会に属している。同吉原は、昭和三一年一二月に組合に加入し、北分会に属している。同森谷は、昭和三〇年三月にフインカム支部に加入し、組合結成後北分会に属し、昭和三二年五月以降職場委員になつている。同斎藤は、昭和二九年七月にフインカム支部に加入し、同年九月職場委員、昭和三一年一一月北分会会計監査を経て、昭和三三年三月以降組合の会計監査になつている。

(2) 補助参加人ら六名はいずれも合唱班の班長として前記(C)(1)(3)(D)(1)の諸活動を積極的に行なつたほか、各種のサークルにも参加しており、そのうち実方、佐藤、水野は合唱班の、吉原は読書班の、森谷は生花班の、斎藤は演劇班の各幹事であつた。

(3) 右のほか、補助参加人佐藤、吉原および森谷はサプライ・インベントリー・ブランチにともに勤務していた当時、協力して組織の拡大強化に努め、昭和三二年頭初から補助参加人実方、斎藤の援助のもとにサプライ・ヘツドコーターに対し、合唱練習に参加するよう呼びかけ、同年三月頃には約三〇名の参加者をみるに至り、これらの者は組合にも加入した。補助参加人水野は、昭和二九年一二月メンテナンス・ユーアール・コントロールに属していたが、当時同職場では従業員一五名のうち組合員は三名のみであつたところ、水野が同職場の要求である給与の不均衡是正問題をとりあげ、職制の地位にある米人を通じて人事局と交渉したことから未加入者全員が組合に加入した。補助参加人斎藤は演劇班の幹事として観劇、合評会の開催、上演などの活動を通じて組合員相互の理解を深めるとともに組合未加入者に組合加入を働きかけ、自己の勤務するアドレスグラフでは職制の者を除き全従業員が組合に加入するに至つた。

(E) (1) 補助参加人水野は、保安解雇反対闘争の直後である昭和三一年八月頃、米人監督者マダツク某から「ユニオンの班長」とか「ストライキの班長」といわれ、また、昭和三三年六月の人員整理反対ストライキの際にも米人監督者ユージン・ジヨンソンから「ストライキのことで頭が一ぱいだから失敗するのだ」とか「お前は昨日ゲートではちまきをして歌つていた。」とかいわれた。

(2) 補助参加人佐藤、吉原、森谷らは、昭和三二年一一月頃から、昼休み時間中の合唱練習を米軍監督者ウイリアム軍曹、本間軍曹から監視されるようになつた。また、森谷は、仕事の関係で、実方ら組合活動家が多数いる第三倉庫に行く機会が多かつたが、本間軍曹から「倉庫の人と何を話していたか」と聞かれるようになつた。

(3) 昭和三三年の初め頃、補助参加人森谷が同斎藤と話していたところ、その直後監督者井上某から呼ばれ「何を話していたか。」と聞かれた。

(4) 昭和三一年一一月末頃から昭和三三年四月頃までの間に執行委員松崎忠夫ら数名の者がO・S・I(米軍特別調査機関)係官から、サークル活動、本件被解雇者の動向などについて調査された。

(5) 昭和三二年八月頃に当時北分会委員長であつた柴山弘が合唱班の歌と踊りの写真をとつた。同年一二月に至り組合は柴山をO・S・Iのスパイであつたとして除名し、同月一五日柴山の件ならびに前記(4)O・S・Iの組合活動調査の実態を朝日新聞等に発表した。

(6) 右新聞発表の直後である昭和三二年一二月二〇日に実方は、O・S・I係官と推測される大橋某から中央線国立駅前に呼び出され、情報を提供すれば報酬を与える旨申入れられた。

(F) (1) 補助参加人実方は、昭和三四年二月一一日発効の人員整理に際し、同人の原職場の倉庫夫中八八名が整理該当者となり、同人は先任逆順位第一〇位であつたことから同年一月九日付で、二月一一日をもつて解雇する旨の通知を受けた。

(2) 補助参加人森谷は、昭和三五年六月三〇日発効の人員整理に際し、同人らの原職場の事務員中一三名が整理該当者となり、仮りに同人らが原職にあつたとすれば、先任逆順位で森谷は第三位に相当するから当然整理されるとして同年五月二八日付で同年六月三〇日をもつて解雇する旨の通知を受けた。

二  補助参加人ら訴訟代理人は、請求の原因二1の事実について次のとおり述べた。

(一)  O・S・Iが補助参加人ら六名の属していたサプライあるいはメンテナンスの部隊とは指揮系統を異にするとしても、サプライあるいはメンテナンスの部隊を含む立川基地が第五空軍司令部の指揮下にあることはいうまでもなく、第五空軍司令部がO・S・Iと密接な関係を有していることは原告の引用した第五空軍司令部の昭和三五年一二月二七日付回答書が同司令部によつて発せられた事実に徴して明らかである。

(二)  次に、原告は、多摩労働者学校すなわち多摩勤労者学校を日本共産党の後援でその指揮下にあると主張しているが、事実に反する。同校は、国鉄労組、日本通運労組、自治労、日野ジーゼル、オリエント、全駐労を主構成団体とする三多摩労働協議会の後援により発足し、同校の講師も同協議会における厳重な審査を経て選ばれ、昭和三一年頃から数回にわたつて開講しているものであつて東京都多摩労政会館立川労政事務所内でその援助の下に開講されている。もし、多摩勤労者学校が日本共産党の後援でその指揮下にあつたとしたら立川労政事務所は会館の使用を許可することすらなかつたであろう。

(三)  原告は、更に、補助参加人らが日本共産党の前線組織体であるヤエン会の会合に出席したことがあると主張するが、補助参加人実方、水野、吉原、佐藤、森谷はヤエン会という会を知らず、その会合に出席したことはなく、そのような会は日本共産党となんら関係はない。

第四被告及び補助参加人の主張に対する原告の認否

原告指定代理人は、被告主張にかかる第三の一4、第三の二の(二)の事実に対して、次のとおり認否した。

1  第三の一4(A)記載の事実中組合には、職場別に北分会(サプライ関係)、西分会(IEO関係)および東分会(メンテナンス関係)がおかれていることは不知、その余の事実は認める。

2  第三の一4(B)記載の事実は認める。

3  第三の一4(C)記載の事実について

同(1)の事実中昭和三〇年二月に訴外小林勝美が、同年三月に訴外富田晴一ら六名が保安上の理由で解雇されたこと、昭和三一年四月に今野貞美が保安上の理由で解雇され、訴外大森新次郎が保安上の理由で出勤停止処分を受けたこと、同年七月に組合が保安解雇反対ストライキを行つたことはいずれも認めるがその余の事実は不知。

同(2)の事実中昭和三一年八月前記小林勝美らが国を相手として提起していた雇傭契約存在確認請求事件について小林らの勝訴判決があつたことは認めるがその余の事実は不知。

4  第三の一4(C)(3)、第三の二の(二)記載の事実のうち、多摩労働者学校すなわち多摩勤労者学校であること、同校が昭和三二年四月と同年一〇月に開校されたこと、斎藤を除く実方ら五名がこれに受講したこと、昭和三二年三月にメイドの個人雇傭切替え反対ストライキがあつたことは認めるがその余の事実は不知。

5  第三の一4(D)記載の事実は不知。

6  第三の一4(E)記載の事実は否認する。

7  第三の一4(F)第三の二(二)記載の事実は認める。

第五証拠<省略>

理由

第一本件命令の成立

原告が補助参加人実方信一を昭和二九年二月一五日、同佐藤英子を昭和三一年一月一三日、同水野延子を昭和二七年一二月一八日、同吉原タケ子を昭和三〇年一二月二一日、同森谷セイ子を昭和三〇年一月三一日、同斉藤和義を昭和二九年二月一一日それぞれ雇入れ、在日米軍空軍立川基地における軍の役務に服させていたが、昭和三三年六月二三日付で実方、佐藤、水野、吉原及び森谷の五名を、また同年七月一一日付で斉藤をそれぞれ出勤停止処分に処し、さらに被告主張(本判決事実摘示第三、一、4(B)参照)のとおりの経過により、昭和三四年一月三一日付で以上六名及び市川卓を「業務上の都合」により解雇したこと、ならびに被告委員会が、原告主張のような手続的経過の末、前記雇傭関係につき国(原告)の委任事務処理機関である東京都知事に対し「右六名に対する解雇は、軍が右六名の正当な労働組合活動の故に保安上の理由に藉口して行つた不当労働行為である。」という理由によつて昭和三五年七月二〇日付で原告主張の如き形式内容の救済命令(以下本件救済命令と称する。)を発するに至り、その命令書の写が同月三〇日東京都知事に交付されたことはいずれも当事者間に争いがない。

第二本件命令の適否

一  原告は、まず、被告が本件命令において原告の前記実方信一ら六名に対する保安解雇を不当労働行為に当るものと判断しているのは、事実の認定を誤つた結果に基くものであつて、本件命令はその点において違法であると主張するので、この点について検討を加えることとする。

1  補助参加人六名の属する労働組合の組織

補助参加人ら六名の加入している組合が昭和三一年一〇月二一日全駐留軍労働組合東京地区フインカム支部(以下、単にフインカム支部という)と同立川支部(以下単に立川支部という)とが合同して結成されたものであることは当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第三号証、同第八号証の二によれば、組合結成にあたつては組合員の勤務場所が広い地域にわたるところから、これをサプライ、メンテナンス等の三つに区分し、各部分に勤務する組合員を分会員とする北、東、西の三分会を置いたが、北、東両分会はおおむね旧フインカム支部にあたり、西分会は旧立川支部にあたること、東、西各分会の組合員がほとんど中年以上の年令層に属するものによつて占められていたのに反し、サプライ職場の属する北分会には青年婦人組合員の大部分が集まつていたことをそれぞれ認めることができる。

2  補助参加人ら六名の組合経歴

前顕乙第八号証の二、成立に争いのない同第一号証の二八ないし三三(但し、乙第一号証の三一、三二は各一部)、同号証の三六、同第七号証、同第八号証の一、三、第九号証の一、二、三を前記第二の一1の事実と総合すれば、補助参加人ら六名の組合経歴が被告主張(本判決事実摘示第三、一、4、(D)参照)のとおりであることをそれぞれ認めることができる。乙第一号証の三一、三二のうち右認定に反する部分は乙第九号証の一、二及び前記第二の一1の事実と対照して容易に信用することができず、他に右認定を覆えすだけの証拠はない。

3  補助参加人ら六名の組合活動

(一) 前顕乙第一号証の二八、三〇、三六、第七号証、第八号証の一、成立に争いのない同第二号証の一によれば、前叙のとおり組合の前身であるフインカム支部には昭和二九年六月頃コーラス隊が設けられており、支部闘争の際には青年行動隊に属して活動していたが、その中心であつた小林勝美ほか六名が保安上の理由で解雇されたため(右解雇の事実は当事者間に争いがない。)コーラス隊は一旦消滅したけれども、支部執行委員今野貞美が保安解雇されたこと等に反対して昭和三一年七月保安解雇反対ストライキが行われた際(右保安解雇及びストライキに関する事実も当事者間に争いがない。)、補助参加人実方、佐藤、水野、斉藤らが青年行動隊合唱班を再編成し、ピケ隊の激励につとめた事実を認めることができる。

(二) そして、成立に争いのない乙第一号証の一三、五九、乙第二号証の二、乙第三号証によれば、被告主張にかかる前記事実摘示第三、一、4(C)の(2)の事実を、また、前顕乙第一号証の二八ないし三〇、三六、同第二号証の一、二、同第三、七、八号証の一、同第九号証の二、成立に争いのない同第一号証の一四、二二、同第一一号証の二、三によれば、同じく(C)の(3)及び(D)の(2)の各事実(ただし、訴外小林勝美らの訴訟及び判決に関する被告の主張事実、多摩勤労者学校開講の各日時、受講者、昭和三二年三月のストライキに関する被告の各主張事実は、いずれも、当事者間に争いがない。)をそれぞれ認めることができる。他方、前顕乙第一号証の二九、三〇、三一、三二、同第三号証、同第八号証の一、二、同第九号証の一、二、三、同第一一号証の二、成立に争いのない乙第一号証の五八によれば、補助参加人佐藤、吉原及び森谷は、サプライ・インベントリー・ブランチにともに勤務していた当時協力して組合組織の拡大強化につとめ、昭和三二年頭初から補助参加人実方、斉藤らの援助を得てサプライ・ヘツドコーター従業員に対し合唱練習に参加するように呼びかけた結果、約四〇〇名中僅か一〇名程度しか組合員のいなかつた同職場の従業員の中から同年三月頃には約三〇名の参加者をみるに至り、これらの者は組合にも加入するにいたつた事実、補助参加人水野は、昭和二九年一二月メンテナンス・ユーアール・コントロールに属していたが、当時同職場では約一〇名の従業員中組合員は三人だけであつたので、同人が、同職場の要求である給与の不均衡の是正問題を取り上げ、組合の力をもつて是正すべきであると説得したことからその後新規採用により約一五名となつた同職場従業員の九〇パーセント(被告は、未加入者全員と主張するが、その証拠はない。)が組合に加入した事実、補助参加人斉藤が演劇班の幹事として観劇、合評会の開催、上演などの活動を通じて従業員に組合加入を働きかけ、その勤務するアドレスグラフ職場だけでも約一五名(被告は職制以外の全従業員と主張するが、その証拠はない。)を組合に加入させた事実をそれぞれ認めることができる。

4  補助参加人六名の組合活動に対する軍の態度

(一) 前顕乙第一号証の三〇、第八号証の二によれば、被告主張の前記第三、一、4、(E)の(1)の事実(ただしユージン・ジヨンソンが「ストライキのことで頭が一ぱいだから失敗するのだ」といつたという事実を除く)を認めることができる。

(二) 前顕乙第一号証の二九、三一、三二、同第八号証の一、同第九号証の一、二によれば、被告主張の前記第三、一、4、(E)の(2)の事実を認めることができる。成立に争いのない甲第八号証の記載も右認定を左右するに足らず、他にこの認定を覆えすだけの証拠はない。

(三) なお、被告は昭和三三年初め頃補助参加人森谷が同斉藤と話していたところその直後監督者井上某から呼ばれ「何を話したか。」と聞かれたと主張し、前顕乙第一号証の三二の一部には右主張にそうものがあるけれども、前顕乙第九号証の一と対比し、にわかに信用することができず、他に右主張事実を認めるだけの証拠はない。

(四) 前顕乙第一号証の三三、三六、同第二号証の二、同第九号証の三、成立に争いのない乙第一号証の五七によれば、昭和三二年八月一三日から同三三年四月末頃までの間、組合執行委員松崎忠夫ほか二名が、それぞれO・S・I(保安調査局)係官からサークル活動、本件被解雇者の動向等について調査された事実を認めることができる。

(五) 前顕乙第二号証の二、同第七号証、同第八号証の一、成立に争いのない乙第一号証の三五、七四、七五、七六によれば、昭和三二年八月頃当時組合北分会委員長であつた柴山弘が組合事務所横の広場で水野らコーラス班の行つていたフオークダンス練習の写真をとつたこと、同年一二月に至つて組合は柴山をO・S・Iのスパイであつたとして除名し、同月一五日柴山の件ならびにO・S・Iによる前記松崎、斉藤らに対する調査の件を朝日新聞、読売新聞、産経新聞等に発表したことを認めることができる。

(六) 前顕乙第一号証の二八、同第二号証の二、同第七号証によれば補助参加人実方が昭和三二年一二月二〇日大橋と名乗る不完全な日本語を話す男から中央線国立駅前に呼び出され、情報を提供すれば報酬を与える旨申入れられた事実を認めることはできるが、前顕乙第一号証の二八、同第七号証中、大橋と名乗つた男が二世でO・S・I係官であると推測されるという部分はたやすく採用することができず、他に右推測を正当視できるだけの証拠はない。

5  補助参加人六名及び訴外市川卓に対する保安解雇の理由

補助参加人六名及び訴外市川卓が、いずれも「業務上の都合」によるものとして解雇されたのは、保安基準C項に該当するという理由にもとづくものであつたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一一号証、乙第一号証の九八、一一一、同第四、第五号証、第六号証の一によれば、実方信一ら七名に対する保安解雇の理由は、(一)斉藤和義は、昭和三三年一一月当時、立川市内において、F節Ibの破壊的容疑団体(軍において破壊的団体と主張するもの)の構成員と同居しており、常時密接に連携していると認められること、(二)実方信一ら六名は、昭和三二年内において約五ケ月間立川市内において、基本労務契約細目書IF節Ibの破壊的容疑団体の構成員をもつて組織する集団に参加し右構成員と常時連携していた事実があり、その政策の影響を受け保安上危険と認められることにあつた事実、及び(二)の集団は、当初破壊的容疑団体の構成員を養成するための秘密養成機関であつたが昭和三三年一一月当時には公開されていたけれどもその経営指導者は公開の前後とも破壊的容疑団体の構成員であつた事実が認められる。しかし、それ以上に、実方信一ら六名について保安基準cすなわち、日本国政府とアメリカ合衆国政府との間に締結された基本労務契約細目書IF節Ic項に該当するものと認められるべきいかなる具体的な行為があつたかということに関しては後記7のほか、原告から何らの主張も立証もされないのである。

6  補助参加人実方信一、森谷セイ子に対するいわゆる予備的解雇

原告が、実方信一に対しては、昭和三四年一月九日付で同年二月一一日をもつて、森谷セイ子に対しては昭和三五年五月二八日付で同年六月三〇日をもつて人員整理を理由にいわゆる予備的解雇の意思表示(以下、予備的解雇という)をしたことは当事者間に争いがない。

7  補助参加人六名に対する保安解雇と不当労働行為

原告は先ず、実方信一ら六名に対する本件解雇が保安上の理由によるものである根拠として(一)原告が非組合員市川卓を実方らと同一理由により同日付で解雇していること、(二)軍が実方ら六名の合唱班活動を禁止したという事実がないこと、(三)実方に対しては本件解雇の日である昭和三四年一月三一日以前の同月九日に人員整理による同年二月一一日発効の解雇予告をしているのであり、実方に対する予告期間中に本件解雇がなされたことを挙げる。しかし、

(一) 非組合員に対して同一理由同日付で保安解雇がされたからといつて組合員に対する保安解雇が真実保安上の理由によるものであるということは、必ずしもできない。

(二) 前顕乙第三号証、同第八号証の二、同第一一号証の二及び弁論の全趣旨によれば、軍が補助参加人ら六名のコーラス班活動を禁止したことのない事実を認めることはできるが、このことから軍が実方ら六名のコーラス班活動を嫌忌していなかつたということは、これまた必ずしもできない。

(三) 原告が本件解雇に先立ち、昭和三三年六月二三日付で補助参加人実方信一を出勤停止処分にしていたことは当事者間に争いがないから、実方の本件解雇はこの当時既に予定され所定手続を経て実行されるに至つたものであり、その間原告が在籍中の実方に対し一般的整理解雇の予告をしたからといつて必ずしも本件解雇が整理解雇をまてないで急遽行われたものとは認め難く、従つて本件解雇の実行がたまたま一般的整理解雇の予定された時点で行われたということを根拠として本件解雇が真に保安上の理由によつてなされたものということはできない。

そして、原告の挙げる(一)ないし(三)の根拠を総合して考えてみてもこれだけでは本件解雇が保安上の理由に基づいてなされたものと断定するわけにはいかない。

次に、原告は、「軍において、軍の機密保持及び軍の安全を守るための特別調査機関であるO・S・Iの調査等の結果により、補助参加人斉藤を除く補助参加人五名が多摩労働者学校およびヤエン会として知られた組織体の会合に出席した事実、多摩労働者学校が日本共産党に後援され、その指揮下にあり、ヤエン会は日共の前線組織体である事実のみならず右五名に訴外市川、補助参加人斉藤をも含めた七名の軍に対する保安上の危険となるべき行為を把握しそれを決定的な根拠として原告に対し右七名の保安解雇を要求し、原告はこれにもとづき本件解雇に及んだものであるから、本件解雇は補助参加人ら六名の正当な労働組合活動の故になされたものではない。O・S・Iは補助参加人らの部隊とは指揮系統を異にするので、その調査結果により軍が補助参加人らの組合活動に注目するということはあり得ない。」旨主張する。しかし、なるほど、成立に争いのない甲第一七号証の一、二によれば、O・S・Iは、第五空軍司令官もしくはその麾下にある第六、一〇〇支援中隊司令官の何れの指揮下に属するものでもなく、第五空軍司令官を指揮する太平洋空軍司令官に直属するものであることが認められるから、補助参加人らの属していた部隊に対して直接責任を負うものではないことは明らかであるけれども、他面同号証の一によれば、要求があれば第五空軍またはその支援部隊に対して調査に基く取調べ上の意見の提供をしていることが窺われるのみならず、右意見が提供される際組合活動に関する調査の結果を通報されることがないという証明はない。また、多摩労働者学校が多摩勤労者学校と同一のものであることは原告の自認するところであるけれども、多摩勤労者学校が日本共産党に後援されその指揮下にあること、及びヤエン会が日本共産党の前線組織体であることについてはなんらの立証がなく、しかも、日本共産党が基本労務契約細目書IF節Ibの破壊的団体に該ることは原告の主張しないところである。従つて、補助参加人六名について保安基準c項に該当するものと認めるべきいかなる具体的行為があつたかという点に関しては以上見たかぎりでは結局主張立証が不十分というのほかなく、他にかかる行為の存在を認めるに足りる証拠はない。

もつとも、補助参加人らに原告主張の基準に該当する事実が認められないからといつて当然に本件解雇が不当労働行為に該当するということはできないことはいうまでもないが、前記第二の一3認定の補助参加人ら六名の組合諸活動は事の性質上極めて軍側の注目をひきやすいものであることに、前記第二の一4(一)及び同(二)認定の諸事実(軍の態度)を考えあわせれば、本件解雇は補助参加人ら六名の第二の一3認定(殊にその(二))の組合諸活動の故によつてなされたものと認めるのが相当であり、しかも、特別の事情の認められない本件においてはこれらの組合活動は正当なものと推認さるべきであるから、本件命令が本件解雇を労働組合法七条一号の不当労働行為に該ると判断したことはもとより正当であつてこの点について本件命令に違法の廉はないというべきである。

二  原告は、次に、仮りに補助参加人実方及び森谷に対する保安解雇が無効であるとしても同人らに対する前記予備的解雇は無効ではないから、同人らに対する予備的解雇を無効であると認めて同人らに予備的解雇の翌日以降の救済を与えた本件命令は、その限りにおいて違法であると主張する。

しかし、労働委員会による救済命令は救済申立のあつた使用者の行為が不当労働行為にあたるや否やを判断した上、これにあたる場合その行為もしくはその結果を現実に排除して労働者のためにこれがなかつたと同一の事実状態を回復させる行政処分であり、右不当労働行為の有効無効を判断するものでないのみならず、右不当労働行為の後にこれと別個に行われた行為の私法上の効力を判断することを要するものでもない。従つて、仮りに、不当労働行為たる解雇に続いて予備的解雇がなされたとしても、労働委員会が右不当労働行為たる解雇の救済として、予備的解雇があつたに拘らず復職命令及び復職命令履行に至るまでの賃金相当額給付命令を選択することは、不当労働行為救済方法を定めるについての自由裁量の範囲を何ら逸脱するものではないというべきである。

そして、これを本件についてみると、前顕乙第六号証の一、成立に争いのない甲第二、一〇号証、乙第一号証の六四、六六、六七、一〇四、同第一二号証の一〇、一四、二二の二、二六、二七、二八、三八、三九、四一、四二、四三によれば、(イ)補助参加人実方及び森谷に対してなされた前記各予備的解雇は、基本労務契約細目書IH節に基き軍が立川地区において要求した人員整理の趣旨を体して講じられた措置であり、競合地域(指定された一組織体または組織体の一群)を閉鎖する必要があるからではなく、競合地域内の競合職群(職務、責任、給与その他職務遂行上必要な要件が十分に類似している一競合地域内のすべての職種で、一の職種の在職者を他のいずれの職種の在職者にも異動させることができるもの)における人員の総数を減少させる必要があるので行われたものであること、(ロ)基本労務契約細目書IH節(人員整理)7(手続)b(名簿の作成)によれば、「競合地域および競合職群別に、勤続年数の長さ順に労務者を列記した在職者名簿を作成するものとする。勤続年数が同一であるために、一方の労務者が勤務に留まり、他方の労務者が解雇される結果となる場合には、年少の労務者を解雇に選ぶことにより順位をつけることとする。」と定められていること、(ハ)補助参加人実方信一の原職場原職種である第二三一三サプライグループ・マテリアル・フアシリテイズ・デビジヨンの倉庫夫八八名を含む総計三四四名につき人員過剰を理由とする軍の人員整理要求を受けて原告側の作成した在籍者名簿には右実方が先任逆順位第一〇位を占め、補助参加人森谷セイ子の原職場原職種であるマテリアル・クオリライズ・デビジヨン・インベントリー・ブランチの事務員一三名を含む総計五二五名につき予算の削減を理由とする軍の人員整理要求を受けて同じく原告側の作成した在籍者名簿に森谷が先任逆順位第三位を占めていること、(ニ)そこで、原告としては、補助参加人実方、同森谷に対する本件解雇が無効であつて依然在職したとしても当然整理基準に該当すると判断し、実方が昭和三四年一月二〇日原告側に対してした配置転換願及び森谷が昭和三五年五月三一日原告側に対してした配置転換の申立をいずれもただ軍に通知しただけで、両名に対しそれぞれ予備的解雇に及んだこと、(ホ)ところが、在籍者名簿上、いずれも補助参加人実方より先任逆順位において上位にある(換言すれば、先順位で整理を受くべき)訴外大野一及び飯塚七郎がそれぞれ整理されずに配置転換されたに止まり、同じく、補助参加人森谷よりも先任順位において上位にある訴外翆川孝子も配置転換(但し、労務管理事務所を通じて他職場に配置転換するいわゆる広域配転)を受けたに止まること、(ヘ)補助参加人実方及び同森谷に対する予備解雇発効日と指定された日の前日である昭和三五年六月二九日当時他職場にはなお事務員の空席が三つあつたこと、をそれぞれ認めることができる。このような事実関係のもとにおいて、前記実方、森谷が配置転換(広域配転を含む)もしくはその機会を与えられた事実がない(弁論の全趣旨に徴してもこのような事実のあつたことを窺うことができない)のは、実方、森谷に対して行われた本件解雇の結果であつて、もし本件解雇がなかつたら右両名は当然配置転換を受け、予備解雇されることはなかつたであろうと認めるのが相当である。そうであるとすれば、本件解雇が不当労働行為に該当すること前記のとおりである以上、被告がその結果を排除するため、予備的解雇があるに拘らず右補助参加人両名に復職命令及び復職命令履行に至るまでの賃金相当額給付命令を発したのはむしろ当然であつて、その裁量の範囲を逸脱するものではなく、また、裁量を著しく誤つた違法もないといわなければならない。原告は、被告が本件命令により実方、森谷両名に予備的解雇の日の翌日以降の救済を与えたのは同人らに対する予備的解雇を無効と認めたからであるとして右救済の違法を主張するが、被告が本件命令によつて予備的解雇を無効と判断しているものでないことは前説示のとおりであるから、右主張はその前提において失当であつて採用のかぎりでない。

第三結論

よつて、本件命令の取消を求める原告の本訴請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九四条後段を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 川添利起 園部秀信 西村四郎)

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