東京地方裁判所 昭和36年(ワ)10051号 判決 1964年2月20日
原告 藤崎雅子
被告 藤崎滋
主文
別紙第一目録記載(一)の(1) 、(2) の各土地、並びに別紙第二目録記載の(1) ないし(20)の各物件は、当事者の被相続人亡藤崎徳治の遺産であることを確認する。
原告その余の請求はこれを棄却する。
訴訟費用はこれを三分し、その二を原告、その余を被告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、「別紙第一目録<省略>記載の土地、建物、別紙第二目録<省略>記載の各物件は被相続人亡藤崎徳治の遺産であることを確認する。被相続人亡藤崎徳治から被告に対し、昭和二六年中に金二九万四三二〇円、昭和二八年中に金二万一、七二五円、昭和三〇年中に金一六万六、九三〇円の生前贈与のあつたことを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、
一、本籍飯能市大字下久下三九九番地藤崎徳治は昭和三〇年一一月二八日死亡し、藤崎さて(死亡前原告)はその妻であり昭和三八年五月一二日死亡し、原告は右徳治、さて間に出生した長女、被告は徳治と先妻奈良能間に出生した長男で、原、被告はいずれも亡徳治の相続人である。しかるに被告は次項のとおり、徳治の遺産である物件について遺産であることを否認して徳治生前より被告の所有であると争い、更に徳治からその生計の資として受けた生前贈与を否認して争つている。
二、しかし別紙第一目録記載の各土地、建物、別紙第二目録記載の各動産は徳治の遣産であることは明らかであり、更に徳治はその生計の資として被告に対し別紙第三目録<省略>記載のとおりの物件を生前贈与したのであり、その価格は昭和二六年中合計金二九万四、三二〇円、昭和二八年中合計金二万一、七二五円、昭和三〇年中合計金一六万六、九五〇円である。すなわち、
(イ) 別紙第一目録記載中(一)の(1) 、(2) の土地は徳治が昭和一九年三月三一日買受け、爾来所有してきたものである。同目録記載(二)の(1) の建物は昭和一九年徳治が建築所有した建物を基礎とし、昭和二六年頃徳治がその所有の東京都目黒区洗足一四六二番地所在の宅地を売却した代金を資金とし、これに徳治の預金、さての金棒売却代金を加えて増改築し、更に昭和三〇年に至り、徳治、さてが被告の医業を援助して得た被告の医業収入によつて増改築したものである。そして昭和三〇年における増改築部分は付合により従前の建物所有者である徳治の所有に帰したものである。
同目録記載(二)の(2) 、(3) の建物は昭和三〇年に徳治、さて、被告三者協力によつて建築されたものであるが、(1) の建物に付合して徳治の所有に帰したものである。
同目録記載(二)の(4) の建物は昭和二六年以前に徳治が(1) の建物の付属建物として建築し所有してきたものである。
(ロ) 別紙第二目録記載の動産等は徳治が生前買受所有した物件及び預入した預金である。
(ハ) 別紙第三目録記載の医療品、器具、機械は、いずれも徳治が被告の生計の資として贈与したものであり、同目録(1) ないし(54)、(57)、(58)、(68)、(70)、(71)、(100) はいずれも昭和二六年一一月被告の開業に際して贈与したもので、その価額は同目録下欄のとおり合計金二九万四、三二〇円であり、同目録(55)、(56)、(59)ないし(67)は昭和二八年中に徳治が被告と共同して購入し被告の所有としたもので、その価額は同目録下欄のとおり合計金四万三、四五〇円であるから徳治の贈与分はその二分の一すなわち金二万一、七二五円である。同目録(72)ないし(80)、(82)ないし(84)、(87)ないし(99)は昭和三〇年中に徳治が被告と共同して購入し、被告の所有としたもので、その価額は同目録下欄のとおり合計金三三万三、九〇〇円であるから、徳治の贈与分はその二分の一すわち金一六万六、九五〇円である。
三、以上のとおり別紙第一、第二目録記載の物件はいずれも亡徳治の所有物件であり、遺産であり、別紙第三目録記載の物件はその全部又は持分二分の一を徳治が被告に生計の資として生前贈与したものであるのに、被告はこれを争うので原告は被告に対し本訴請求に及ぶものである。
と述べ、被告の主張に対して、本件土地及び一部建物の贈与を受けたとの点は否認すると述べた。証拠<省略>
被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、
一、原告主張の請求原因第一項の各事実、同第二項中、別紙第一目録記載の(一)の(1) 、(2) の土地、(二)の(1) 建物、がもと徳治の所有であつたこと、別紙第二目録記載の物件中(1) 、(2) 、(3) 、(8) 、(12)、(13)、(17)、(21)及び(14)の軸中一本がいずれも徳治の所有であること、別紙第三目録記載の医療品、器具機械はいずれも原告主張の頃購入したものであること、は認めるが、その余の主張事実はすべて否認する。
二、右土地及び建物は被告が昭和二四年一月頃徳治から贈与を受けたものであり、その余の建物、医療器具等は被告が自から建築又は購入したもので、その事情は次のとおりである。
徳治は歯科医師であるが被告は昭和二三年九月千葉医科大学を卒業し、直ちに国立病院でインターンとなり同二四年七月頃からジヨンソン基地内日本人診療所に医師の待遇で勤務したが、同年一二月医師国家試験に合格し引続き同二六年一〇月頃まで右診療所に勤務し傍ら自宅において患者の診療に従事し給料、治療費などはすべて徳治に渡して開業の準備をなした。その間昭和二四年一月頃徳治は、被告が医大卒業後医局に残るか開業するか迷つた際に、被告に対し本件土地及び被告の母奈良能所有の土地を売却した代金で建築した本件土地上の建物(別紙第一目録記載(二)の(1) )などを贈与し右建物において開業することをすゝめた。そこで被告も自宅で開業することに決意し、徳治が昭和二五年に基地の歯科医師の勤務を辞した後も前示のとおり診療所勤務を継続して開業準備に努め、昭和二六年一一月に開業する運びとなつた。したがつて開業に当つてなした建物の改造費、医療器、機械の購入費はすべて被告が賄い、その後の医療器具等の購入、預金、建物の改造、新築はすべて被告の医業収入によつてなしたものである。徳治は昭和二五年以来歯科医師としての勤務をやめ開業もせず、専ら被告の開業を手伝つていたが、徳治、さてとも親として手伝つていたに過ぎないので医業収入について割前を要求する権利はない。したがつて別紙第一目録記載の不動産はすべて被告の所有であり、別紙第三目録記載の器具、機械もすべて被告が自からの収入で購入したものであり、徳治の遺産ではない。
と述べた。証拠<省略>
理由
一、原告主張の請求原因第一項記載の各事実は当事者間に争がない。
二、よつて先ず別紙第一目録記載の土地建物について判断する。
右目録記載(一)の(1) 、(2) の土地及び(二)の(1) の建物(改築前)がもと徳治の所有であつたことは被告の認めて争わないところである。右事実と各その成立に争のない甲第一ないし第四号証、同第六号証の一、二、同第八号証、乙第一ないし第五号証、同第七号証、証人阿部祐一、同玉井春吉、同山口文象の各証言、死亡前の原告藤崎さて本人尋問の結果の一部、原告雅子並びに被告の各本人尋問の結果の各一部を綜合すると次の諸事実を認めることができる。原、被告の父徳治は被告の母奈良能と結婚後東京都目黒区洗足一四六二番地の六宅地五〇坪二合八勺を買受け同地において歯科医を開業し、奈良能死亡後昭和七年原告の母さてと結婚し同地で生活していた。徳治は昭和一九年三月一〇日隠居後の住居用地として別紙第一目録記載(一)の(1) 、(2) の土地(以下本件土地という。)を買受け、所有権取得登記を経由し、同地上に建坪一三坪位の杉皮葺の平屋建居宅一棟を建築したが、昭和二〇年中戦災に逢い、洗足の家を去り、本件土地上の家屋に移り、遂次改築を加え、昭和二三、四年当時は瓦葺平屋建居宅、建坪二三坪となし、付属建物として建坪三坪七合五勺の平屋建物置(別紙第一目録記載(二)の(4) 。)を建築した。徳治は昭和二三年頃からジヨンソン基地診療所に勤務し家計を支えていたが、被告は昭和二三年九月千葉医科大学を卒業し、インターンとして一時訴外阿部祐一方において実習をなし、昭和二四年七月インターンの身分のまゝ医師の資格でジヨンソン基地に勤務し、同年一〇月医師の資格を取得し続いて右基地に勤務していた。徳治は、被告が大学を卒業した後昭和二四年一月頃被告が開業すべきか大学の医局に残るか迷つた際、居住の屋敷を贈与するから同地で開業するようにとすゝめ、被告も同地で開業することを決意した。徳治は昭和二五年七月ジヨンソン基地の勤務を辞し、家にあつて被告の開業準備に当り、被告は勤務により得た給料と自宅における内職の診療費などを開業準備を兼ねて徳治に渡し、昭和二六年一〇月開業のため右勤務を辞した。そして開業準備としてはその資金の点は暫くおき、建物の構造について手術室、診療室など婦人科開業に適するように改築をなし、家屋の所有名義も被告として登録した。被告は昭和二六年一一月右建物において藤医院の名称で開業した。爾来徳治は被告の経営を助け、医院の雑務を担当しながら家庭内の一切については依然父親としてこれを主宰し、医院収入の管理、処分、家財、医療器具の買入れ交渉などに当り、被告も明らかに反対せず、夫帰兄姉円満に生活していた。医院収入は徳治、さて等の援助もあつたが最低月額九万円を下らず、次第に繁昌した。昭和三〇年一月再び右建物の増改築及び新築をなすことゝなり、徳治は同年二月被告を註文者として訴外王井春吉と建築請負契約を結び、建築申告書にも家屋所有者は被告、敷地所有者は徳治と表示して記載して提出し、その建築資金は被告の医業による収入と、被告が医師としての資格に基いて得た金二〇〇万円の融資を以て当てた。徳治は昭和三〇年三月一〇日死亡したが、新改築後の右建物を含め、全建物について被告名義による所有権保存登記手続が同月一日に完了している。しかし本件土地の所有権移転登記手続は未了である。
右認定に反するさて、原、被告の供述部分は措信できず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。
右認定諸事実から考えると、別紙目録第一の(二)の(1) 、(4) の建物は徳治が当初建築所有したものであるが、被告が医師の資格を得る見込のついた昭和二四年初頃右建物を被告に贈与することを約し、遅くとも昭和二六年一〇月に建物所有者を被告と表示して登録をなした時までには贈与の約定を履行したものと認めるのが相当であり、この点被告の抗弁は理由があり、同目録(二)の(2) 、(3) の建物は徳治、さてが協力した医業よりの収入もその建築資金に充当されたとはいえ、その所有権は被告に属するものとして建築されたものと認めるのが相当である。したがつてこの点に関する原告の請求は理由がない。しかし本件土地については、建物につき名義変更がなされたにかゝわらず、その手続がなされなかつたのであるから、その所有権は将来これを被告に移す意思があつたとしても現在は依然徳治に残つているものと認めるべきで、この点に関する被告の抗弁は肯認できずこれを徳治の遺産と主張する原告の請求は理由がある。
三、次に原告主張の別紙第二目録記載の物件について判断する。
先ず、同目録記載(1) 、(2) 、(4) 、(8) 、(12)、(13)、(14)中一本、(17)、(20)の各物件につきこれを徳治の遺産とすることは、被告もまた認めて争わないところである。そこでその余の物件について判断すると原、被告、並びに藤崎さての各供述に照せば右物件中(21)の預金を除くその余の物件は、徳治生存中、徳治の判断に従つて購入した徳治のための衣類、家庭団欒または家事の便宜のための物件であり、当時藤崎家の家政は徳治を主宰者として送られたものと認め得るので、他に特段の事情の認め難い本件では、いずれも徳治の所有物件であり、したがつて徳治死亡後はその遺産となつたものと認めるのが相当である。しかし右目録(21)の預金については被告本人尋問の結果に照せば、徳治は被告の医業の会計を担当し、その収入中自由診療分を税金対策上原告、並びにさて、徳治の各名義を使用して分割預金し、必要に応じ名義人名にかゝわらず、随時いずれかかの通帳から払戻しを受けて支払つていたものであり、右預金もその一つであることを認めることができる。そうすると右預金は元来被告の自由診療収入の一部であり、税金対策上被告以外の者の氏名を用いて預金したものの一部と解し得るから、いまだ徳治の所有に帰せしめた金員、または預金と認めることは相当でない。そして右認定を動かしてこれを徳治に帰するものとなす原告の主張を認め得る証拠はない。
以上のとおりであるから、別紙第二目録記載の(1) ないし(20)の物件に対する請求はこれを正当として肯認し、(21)の預金についてはこれを失当として排斥すべきである。
四、次に原告は別紙第三目録記載の物件について、それぞれ昭和二六年、同二八年、同三〇年に徳治が被告にこれを生計の資として生前贈与したことを主張し、その価額につき確認を求めるので、この点について判断するに、およそ確認訴訟の対象は権利、義務の存否、又は法律関係の存否に限られており、事実についての確認は証書真否確定等特に法律の認める場合に限られることは明らかである。しかるに右請求は徳治から被告に対して生計の資として生前贈与をなした物件の価額の確定を求めるものであることはその主張自体明らかである。もつとも民法第九〇三条によれば、相続人中に被相続人から生計の資として生前贈与を受けたものがある場合は、その贈与物件価額はこれを相続財産の価格に加算して各相続人の具体的相続分を決定する旨を定めてある。したがつて贈与物件価格は相続人の遺産に対する具体的相続分の有無限度を決定する要件となることは明らかである。しかし右価格が定まつたとしても、右価格はあくまで事実であつて、相続人たる原告は右価格自体についてなんの権利義務関係、法律関係に立つことの判断にならないこともまた明らかである。
よつて右請求は事実の確認を求めるものであるから確認訴訟として許されないものであり、棄却を免れないものである。
五、以上判示したとおりであるから原告の本訴請求は別紙第一目録記載(一)の(1) 及び(2) の土地、別紙第二目録記載(1) ないし(20)の各物件に対する範囲においては正当であるからこれを認容し、その余の請求は失当であるからこれを棄却するものとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九二条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 小河八十次)