東京地方裁判所 昭和36年(ワ)5138号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔事実と判断〕原告は、昭和三四年七月一三日被告朴から本件土地を代金二三七万円で買い受け、内金七〇万円を支払い、残金一六七万円は被告朴が同年一二月二〇日までに本件土地上にある被告朴所有の本件建物を収去して、本件土地を更地として引渡し、かつ所有権移転登記手続をするのと引換えに支払うことを約した。原告は、右売買契約に基いて被告朴に対し、残代金一六七万円と引換えに本件土地の所有権移転登記手続および本件建物の収去と本件土地の明渡を求め、本件建物占有中のその余の被告等に対し、土地所有権に基いて本件建物を退去して本件土地を明渡すことを求めた。本件建物占有中の被告のうち、被告酒井、黒木は、原告と被告朴との間の本件土地売買契約は、被告両名を本件建物から退去させる目的で通謀して信託的に譲渡したにすぎないから、信託法一一条により無効である、また原告は本件土地について所有権取得登記を経ていないから、被告両名にその所有権を対抗することができない、本件土地建物はともに被告朴の所有であつたものを、被告朴が本件土地のみを原告に売却したのであるから、民法三八八条の精神から本件建物のため法定地上権が設定されたことになり、原告は本件建物を収去させることはできない等の抗弁を主張したほか、原告が現に被告両名の正当な賃借権に基いて居住する本件建物を収去させることは、権利の濫用であると抗争した。
判決は、右権利濫用の抗弁について、まず大要次のような事実を認定し、後記のように判断して抗弁を容れた。「本件建物は被告酒井の先代広作が賃借して医院を開業していたが、昭和二二年頃被告朴がこれを買い受けて所有権を取得すると、自己使用の必要あることを理由に明渡を求め、昭和二五年中に東京地方裁判所に家屋明渡の訴を起した。右訴訟については、昭和三〇年九月一五日被告朴敗訴の一審判決があり、控訴したが昭和三六年三月六日やはり被告朴敗訴の判決があつて確定した。一方、被告朴は昭和二四年九月二〇日頃村上喜一郎から本件土地を買い受けて所有権を取得したが、その所有権移転登記を経ないまま、右のように第一審で敗訴したので本件土地によつて利益を得ようと考え、不動産取引仲介業者である原告と交渉した結果、原告との間で売買契約が成立した。右契約の際、被告朴は、本件建物の一部に住んでいる被告酒井及び黒木とは現在訴訟中で賃借権を主張されている旨告げたところ、原告はさような関係なら本件建物は無償でも買わないと言つて本件土地だけを買い受け、本件建物は被告朴が収去すべき旨約されたのであつたが、そのため村上喜一郎から直接原告に中間省略による本件土地の所有権移転登記をしてはどうかとの話合いがされたにかかわらず、わざわざ被告朴にも不動産取得税等の負担がかかつてくるような方法で、昭和三四年一一月一日いつたん被告朴のための所有権取得登記を経由したのであつた。また原告は、その後被告朴および一部居住者たる被告佐藤等に対し処分禁止の仮処分を申請して執行したが、当取被告酒井、黒木は一時本件建物から出ていたので、これに対しては仮処分をしなかつたけれども、被告朴が前記のように控訴審でも敗訴の判決を受けて確定し、そのため被告朴のした仮処分に対する事情変更による取消申立事件の判決言渡期日の迫つた昭和三六年六月七日、原告は、被告酒井、黒木を相手方として占有移転禁止の仮処分を申請して、同月九日右両被告の住んでいない本件建物について仮処分の執行をした。」
「以上のような事実関係のもとにおいては、原告は、被告朴から、被告朴と被告酒井間の本件家屋明渡訴訟において第一審で被告朴が敗訴したことを聞かされており、原告も被告朴も本件建物を収去することを条件として本件土地を原告に売り渡すとすれば、当然自己使用の必要性は消滅して、被告朴としては、右訴訟の控訴審においても敗訴し、結局被告酒井等に対して本件建物からの退去を求めることが不可能であると予想していたものであるが、若し原告が、本件建物を収去することを条件として本件土地だけを買い受ければ、結局被告酒井、黒木も本件建物から退去しなければならないことになり、そうすれば、原告は、不動産の取引業者として本件土地を他に高価(本件訴訟の和解の段階では、本件土地の坪当り更地の価額は金三〇万円以上になるようなことであつた)に転売することができるものと計算していたものと推認することのできるところである。成る程、純法理的には、土地建物の所有者が、建物を収去することにして土地だけを売却した場合、建物の賃借人は土地の買受人に対して建物の賃借権をもつてしては建物退去による土地の明渡を拒絶できず、土地買受人の建物賃借人に対する建物退去による土地明渡の請求は原則として正当な権利行使であると見られる場合が多いであろう。しかしながら、権利者の権利の行使もしかく無制限に許容されるものではなく、ある場合には公共の福祉の面からある場合には正義衡平の面等から種々の制肘を受ける場合のあるのは止むを得ないところである。本件においては、前記認定のように被告朴が本件土地建物の所有者である限り、被告朴としては訴訟においても敗訴し、到底被告酒井及び黒木を本件建物から立ち退かせることは不可能であるにも拘らず、本件建物を収去することにして他に売却すれば更地価額とまで行かないまでも相当多額の金二三七万円で売却できるところから、その利益を得るために本件土地だけを売却し、原告は本件土地だけを買い受けることによつて被告酒井の本件建物賃借権が消滅し、結局被告朴が求められなかつた被告酒井の本件建物からの退去を求めることができることとなり、その結果、本件土地を更地として他に転売すれば相当多額の利益が得られるために、敢えて火中の栗を拾わんとして本件土地を買い受けるに至つたものであつてみれば、原告の被告酒井及び黒木に対する本件請求を正当な権利行使であると速断することはできない。民法第一条は、権利の行使、義務の履行は信義に従い誠実にこれをなすことを要求し、法律生活における関係、人間における権利の行使、義務の履行の善意性を命じ、個人の利己的な立場のみからする権利の行使をいましめているところ、本件において、自己の利益追求のためとはいえ、他人(被告酒井)の賃借権を害する意思が原告に存在しているのみならず、原告の本件請求を認容するとすれば、一旦土地建物の所有者が訴訟に敗訴したに拘らず、敗訴者から土地だけを買い受けた者が訴訟に勝つこととなつて法律的にも社会的にも到底納得できないような結果となつて現れ、正に正義衡平の理念に照して首肯できないところとなる。」