東京地方裁判所 昭和36年(ワ)9794号 判決 1963年7月26日
判 決
東京都板橋区大山東町五一番地
原告
東京都板橋区
右代表者、板橋区長
村田哲雄
右指定代理人、東京都事務吏員
泉清
ほか四名
東京都板橋区双葉町二三番地
被告
尾崎善四郎
右訴訟代理人弁護士
山本孝
同
三宅省三
右当事者間の建物明渡請求事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。
主文
一、被告は原告に対し、別紙目録記載の建物を明渡せ。
二、訴訟費用は、被告の負担とする。
三、この判決は、原告が金二〇万円の担保をたてることを条件に仮に執行することができる。
事実
原告指定代理人は、主文第一、二項と同旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、次のとおり述べた。
第一、(一) 原告は、被告に対し、昭和三一年二月一四日、別紙目録記載の建物(以下「本件建物」という。)を、附属部品、設備とも期間一年、使用料月額一万円(但し、昭和三三年二月一〇日以降は調理室の設備使用も認めたので、使用料月額一五、〇〇〇円に改訂。)の約で、板橋区民会館内サロンの業務委託に伴い、一時使用のため賃貸し、爾来、右契約を更新してきたが、昭和三五年二月一四日、原告は、近く区庁舎新築工事が予定されていたため、特に区庁舎改築に際し、本件建物を仮庁舎として必要と認めたときは、期間内でも明渡すことを約し、昭和三六年三月三一日までその使用期間を延長した。ところが、右区庁舎の新築工事は、同年一〇月から着手することが明確となり、本件建物を仮庁舎として使用することに決つたので、同年四月一日以降同年九月三〇日までは、右使用料を徴収し、明渡猶予期間としてその使用を認めた。
(二) 本件建物は、原告の所有する板橋区民会館中、一階の施設の一つであり、右会館は、区民の教養及び福祉の向上に資するため設置された区の営造物であり、その施設の使用管理については、板橋区民会館条例(昭和三〇年三月二三日板橋区条例第三号、以下単に「条例」という。)及びこれにより区長が別に定めた板橋区民会館サロン及び売店設備使用規則(昭和三一年二月八日板橋区規則第一号、以下単に「使用規則」という。)等の定めるところにより、その使用資格、目的、使用時間、使用方法等につき厳重な制限が附せられている。
右会館施設の一つである本件建物は、その一部がサロン、その一部は調理室として利用できるようになつており、調度品はすべて会館備えつけのものであり、サロンは、会館施設である公会堂、集会室、結婚式場等を利用する区民が気軽に利用できる喫茶室、軽飲食堂として、また調理室は、料理講習会の実習等に便利なように設備されているものである。
原告は、昭和三〇年二月、被告より右サロンの経営受託希望の申出があつたので、競願者を銓衡の結果、昭和三一年二月一四日付で被告にサロンの経営を委託しその使用を認めたのであるが、その経営者を特定人に固定せしめず、必要に応じて経営者を変更しうる余地を残すため、使用期間については原則として一年とし、毎年、板橋区民会館運営委員会条例(昭和三三年二月一五日板橋区条例第七号)に基き設置された同委員会の諮問を経て契約を更新してきたのである。ところで、前記使用規則によれば、サロン等の使用者がその経営に不適当と認められたとき、その他板橋区長が必要と認めたとき等公益上の必要があれば、区長は使用期間中でも解約し、本件建物の明渡を求めることができることになつておるほか、使用者は、その営業に関し、公益上種々の規制を受け、常に会館事務所長の指導監督に従い、会館の円滑な運営に協力しなければならないことになつている。
しかして、被告は、このことを充分承知のうえで本件サロン等の経営使用に当つたものである。
したがつて、本件建物の使用関係は、区民の利便のためにサロンを経営、奉仕すること自体が主であり、サロンの使用そのものは経営委託に附随して生ずる関係に過ぎないから、通常の建物の賃貸借とは著しく異なり、前記契約の趣旨、目的、態様等からして、一時使用の賃貸借契約であること明らかであり、借家法の適用になじまないものといわねばならない。
(三) よつて、本件賃貸借は、昭和三六年三月三一日の期間満了により終了したものであり、すでに被告が明渡を約した猶予期限も経過したので、原告は被告に対し、本件建物の明渡を求める。
第二、(一) 仮に本件建物の使用について、借家法の適用があり、昭和三六年四月一日以降は期間の定めのない賃貸借と看做されて法定更新されたとしても、原告は被告に対し、本訴において本件建物の明渡を求めているから、本件訴状の送達をもつて解約の申入れをなしたものというべきところ、右訴状は、昭和三六年一二月二九日に被告に送達されたので、その後六ケ月を経過した昭和三七年六月二九日限り本件賃貸借は適法に解約された。しかして、右解約申人の正当事由は、次のとおりである。
(二) 本件建物は、前記の如く区の営造物である板橋区民会館の施設の一つであるが、昭和三六年一〇月から板橋区新庁舎の建設に着手することとなつたので、かねての企画どおり右会館中公会堂をその余の施設を仮庁舎として使用することとし、同年七月一五日に会館内の施設を使用している業者全員に対し、九月一五日までに明け渡すよう申入れたところ被告以外の他の美容、写真貸衣裳の三業者は、被告に使用許可した以前の昭和三〇年一〇月以来施設を使用していたしのであるが、全員快く明け渡したにも拘らず、被告のみはこれに応ぜず、その後、原告は、被告の営業を一部継続させるため倉庫或は調理室の半分の使用は認めてもよい旨申入れたが、被告は、補償金或はバラツクの建設等を要求して原告の申入を拒否した。
(三) そこで、原告は、やむを得ず、昭和三六年一〇月一五日に至り、本件建物に移転を予定していた収入役室及び金庫を区の総務課の使用予定場所に移さざるを得なくなり、その結果、総務課の入室場所がなくなり、同課は各所に分散し、板橋第一中学校の教室の一部を使用した状態で、公務に多大の支障をきたしている。
(四) 被告は、本件建物のほか、板橋区内に相当な住居を構え、千代田区において商事会社を経営しているので、本件建物を明渡しても何ら困らない。
よつて、原告は被告に対し、予備的に右解約申入による賃貸借終了を原因として、本件建物の明渡を求める。
と述べ、被告の本案前の抗弁に対し、
(一) 本件訴の提起は、地方自治法第一八〇条第一項の規定により被告主張のような板橋区議会の議決を経て区長に委任された権限内の事項であり、本件訴訟の目的価額が一〇〇万円未満のものであるので、区長の専決処分によりなされたものであるから、何ら違法ではない。
(二) しかも、右板橋区議会の議決は、区議会が地方自治法上認められた権限に基づき、その裁量によつてなしたものである以上、当然無効ということはあり得ない。
(三) また、右議決に基づき本訴を提起することと板橋区民会館条例、板橋区民会館サロン等の使用規則の改廃とは全く関係がない。
と述べ、被告の主張に対し、
一の主張は全部争う。
(一) 本件契約は、板橋区民の公共の利益を図るうえから、規則第五条に基づき使用期間を一年と定めたもので、原告において一年の期間を定めた実質的理由は、前記の如く充分に存在し、被告の主張は理由がない。
(二) 東京都所有の養育院跡の空地を被告を含む区民ら三四名が都議会に対する請願の形で払下許可申請をし、その後被告らが右請願を取下げたことはあるが、右払下申請の有無と本件建物の使用とは何ら関係がないし、原告が被告主張の権益を与えたこともない。右土地については、被告の請願書提出前から原告と東京都との間に払下げの交渉が進められ、すでに昭和二四年六月一八日払下げの確約を得ていたのであるから、都においてこの土地を被告に払下げ内定したことはない。原告としては、右土地に区民会館を建設するにつき区民との間に紛争を招くことを避けるため、被告らに対し請願取下げの交渉をしたに過ぎない。
(三) 原告は、本件の契約書自体において、特に一時使用の契約とする旨記載する必要を認めなかつたまでのことで、その使用関係が契約の趣旨、目的、態様等からして一時使用の契約であることを、被告は充分に了解し、契約の当初から一年の期間でサロン営業の採算がとれることを計算のうえで、本件建物を借受けたものである。
二の主張は否認する。
原告は、昭和三六年三月三一日で被告の本件建物の使用期間が満了するので、同年二月二四日開催の板橋区民会館運営委員会において、右期間満了と同時に本件建物の明渡を求めることとし、その旨を被告に申入れたのであるが、同年一〇月頃に予定されていた区庁舎の改築工事着手にあたり、公会堂を除く本件区民会館を仮庁舎として使用する場合は、被告において、明渡に協力するということであつたので、さらに九月末日まで明渡を猶予したに過ぎない。
と述べた。
被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、本案前の抗弁として、本件訴の提起は、原告の代表者である区長が独断でこれをなし、法令の定める要件を欠き違法且つ無効であるから、不適法として却下されるべきである。
(一) すなわち、本件訴を提起するについて、板橋区議会の議決を欠いている。地方自治法第九六条第一項(同法第二八三条により特別地方公共団体である特別区に適用される。)には、地方公共団体の議会の議決すべき事件として「重要な案件」が列挙されており、その第一〇号に訴訟提起の件が明示されている。法の趣旨は、地方公共団体の公共性から訴提起の可否、当否並びにその内容程度等を具体的に当該住民の代表者から成る議会をして検討せしめ、地方公共団体が公正にして妥当な行動に出られるよう要求しているものと解すべきである。しかるに、本件訴の提起は、板橋区長の単独の意思に基いてなされている違法の行為である。
(二) 板橋区長の専決処分に指定した昭和三一年八月三〇日付板橋区議会の議決は、無効であるので、本件訴提起の根拠を右議決に基づく委任に求めることはできない。すなわち、板橋区議会は、昭和三一年八月三〇日応訴等の区長専決処分に関する件として、
「一、板橋区を被告として提起された訴に対する応訴
二、板橋区が提起する訴であつて、
1 訴訟の目的価額が百万円未満のもの
2 訴訟の目的の土地が二百坪未満若しくは建物が五十坪未満のもの
三、前各号の訴訟事件についてする和解等を区長が専決処分することができる。」
旨議決した。
しかしながら、区議会がその提起すべき訴の内容について、具体的に審議することなしに区長の専決処分に委ねてしまつたことは、同法第九六条第一項第一〇号の趣旨に違反し、決して同法第一八〇条所定の「軽易な事項」とはいえない。
(三) もし、本件訴提起の根拠を右議決に求めることが許されるとなると、板橋区において施行されている板橋区民会館条例、板橋区民会館サロン等の使用規則等の法令が正式の改廃手続を経ることなく、事実上改廃される結果となり、板橋区長単独の恣意的行動のみによつて、板橋区民全体の利益が害される危険すら予測され、決して地方自治法の許容するところではない。
と述べ、本案に対する答弁として、
請求原因第一項(一)のうち、被告が本件建物を原告主張の日その主張のような賃料で賃借し、占有使用していることは認めるが、その他の事実は全部否認する。
本件賃貸借契約は、期間の定めのない借家法の適用ある賃貸借契約である。
(二)のうち、本件建物が原告の所有する板橋区民会館中、一階の施設の一つであることは認める。右会館の設置目的については知らない。その他の事実は全部否認する。
第二項(一)のうち昭和三六年一二月二九日、被告が本件訴状の送達を受けたことは認めるが、右訴状には解約申入の意思は認められない。
(二)のうち、昭和三六年七月一五日頃、原告より明渡しの申入れがあり、これを拒絶したところ、その後、調理室の一部だけ使用してもよい旨申入れてきたが、これも断つたことは認める。写真、美容、貸衣裳の三業者に関することは知らない。その他の事実は全部否認する。
被告以外の業者は、結婚式場の運営が停止されれば、その後全く営業の必要性がなくなるのに反し、被告の経営していたサロンは、公会堂の使用が継続され、区民会館内に人の出入がある限り、営業の必要性がある。原告は、その頃最小限度生活のできる程度の営業を継続するため、少くとも調理室だけは使わせて欲しい、もし不可能であれば、それに相当するバラツクを被告側で建てて寄附してもよい旨申入れたが拒否された。しかも、他の業者は、本店を他所に有し、区民会館は、いわば出店であるのに反し、被告は、ここが生活の本拠である。
(三) 原告の仮庁舎の計画並びに支障については全部否認する。総務課文書係と職員係とは板橋一中敷地内に存する仮設建物内にあるが、区民会館内にある文書係、職員係とは屋根付き道路で連絡しており、分散のため執務に支障を生じていることはない。また、板橋一中は、既に充分の収容能力を有する鉄筋校舎を有し、右仮設建物は取毀しを予定されているものであつて、生徒の授業等には全く影響がない。
(四)の事実は否認する。被告は、千代田区有楽町に単に名目だけ本店を置くユニオン商事株式会社の代表取締役であるが、右有楽町には現在事務所がなく、被告の現実の営業所は、区民会館内にあるものである。
一、本件賃貸借は、一時使用の賃貸借ではなく、借家法の適用ある賃貸借である。
(一) 本件賃貸借では期間を一年と定めているが、これは官公庁の慣例に従い、会計年度に合致させるために一応期間を一年としたのに過ぎず、期間が満了しても更新が可能であるから実質的には期間の定めのない賃貸借である。
(二) しかも、本件契約成立の際、一年という短期の期間を定めるに至つた相当な理由は、客観的にも存在しない。原告としては、一年後自己において使用する必要も存しないし、区民会館の存在する限り飲食物提供の場所を廃止することはできない。
もともと、被告は、昭和二七年六月一〇日、東京都に対し、当時空地であつた本件建物の所在する板橋区大山東町五一番地旧養育院跡地三一〇坪四合の都有地の払下げ申請をなし、右申請が受理されて払下げ実行の直前、原告は、本件土地に区民会館を建設することを計画していたので、被告に対し、その取下げを強く懇請し、区民会館完成の暁は、その内部の営業を一切被告に委せるという条件を附したので、被告は、昭和二八年一一月一二日やむなく右払下げ申請を取下げ、先願の利益を抛棄して、これを原告に譲つたのである。しかるに、原告は、右条件の履行を怠り、区民会館の開設後すでに美容、貸衣裳、写真等の業者と個別的に契約をしていたので、被告は、本件建物部分並びに売店の賃貸借契約のみで我慢したのである。
しかも、被告は、本件サロンの営業に当り人的物的に相当の準備と投資をなしたものである。すなわち、被告は、従業員として常時五人を雇い、その他パートタイマーとして一五人位使用していたが、物的設備としても、多くの備品、什器類を購入した。これらは、サロン営業上不可決のものであり、営業を停止すれば価値のないものである。このような莫大な投資がわづか一年によつて回収できるものではなく、継続して収益を挙けていつてこそ投下資本の回収が可能となるのである。
したがつて、右のような権益を有し、莫大な資本を投じた被告が一年後には使用させて貰えるかどうかわからないような契約を締結する筈がない。
(三) さらに、本件賃貸借契約書に一時使用とする理由は、何ら表示されていないことからみても、通常の賃貸借であること明らかである。
二、仮に、原告が本件建物の明渡請求権を有するとしても、原告の本訴請求は、原告には何ら利益をもたらさず、被告を困窮させることのみを目的とするものであつて、権利の乱用であるから、かかる請求は許されない。
本件において、被告には、債務不履行その他特段の不始末はないのに、原告は、昭和三六年二月二四日突然、本年度は「魚伝」と契約することになつたから、被告とは契約することができないと申入れてきた。ところが、被告から借家法の適用があるから一方的に契約の更新を拒絶することはできない旨反論されて、原告は、たまたま区役所新庁舎が新築工事にとりかかることを口実として、自己使用の必要性を主張し、本件建物を区の収入役室及び金庫として使用する予定なる旨告げてきたが、当時すでに右収入役室及び金庫となるべき場所は、他に確保されて移転中であつた。
右のような事情であつて、原告は、被告の立退きを求めた後において、他の業者に本件建物を使用させることが真の目的であるから、賃料も現在と異るわけではなく、新たに権利金をとるわけでもなく、全く原告にとつて利益となる点はなく、単に被告を苦しめることのみを目的としたものである。
したがつて、原告の本訴請求は許されない。
と述べた。
証拠≪省略≫
理由
一、まず、被告の本案前の抗弁について判断する。地方自治法第九六条が地方公共団体が当事者である訴訟に関することを議会の議決事項としているのは、当該訴訟が地方公共団体の権利義務に重大な影響を及ぼす虞れがあるので、議会の議決を経て、その事件に関する当該団体の意見、方針を決定すべきものとした趣旨に出たものであることは、被告主張のとおりであるけれども、右議決は、予め一定の金額物件を限り、その範囲内で地方公共団体の長に専決処分させることができるものと解するを相当とする。
板橋区議会において、昭和三一年八月三日応訴等の区長専決処分に関する件として、被告主張のように板橋区が提起する訴であつて、(1)訴訟の目的価額が百万円未満のもの (2)訴訟の目的の土地が二百坪未満若しくは建物が五十坪未満のものを、板橋区長の専決処分に指定していることは、当事者間に争がない。被告は、右議決が同法第一八〇条の規定に違反する旨主張するけれども、同条所定の「議会の権限に属する軽易な事項」には、当該地方公共団体の特殊性に応じて、議会が客観的に相当である限り適宜これを議決により地方公共団体の長の専決処分に委ねることを適当と認めた事項を含むものと解すべきところ、本件において右議決の内容が「軽易な事項」に該らないものとはいえない。しかして、本件訴訟物の価額が金四九四、九〇〇円であることは、訴状添付の区有財産評価額証明書より算定して明らかであり、また、本件訴訟の目的たる建物は、建坪合計三六、〇七二坪であるので、前記議決の第二項各号に該当し、板橋区長が右議決に基く専決処分として本件訴訟を提起したのは適法と解すべきである。被告は、本件訴提起の根拠を右議決に求めることは、板橋区において施行されている板橋区民会館条例(昭和三〇年三月二三日板橋区条例第三号、以下単に「条例」という。)及び板橋区民会館サロン及び売店設備使用規則(昭昭三一年二月八日板橋区規則第一号、以下単に「使用規則」という。)の法令を事実上改廃する結果となるので、到底地方自治法の許容するところではない旨主張するけれども、原告が本件訴において板橋区民会館内サロン、調理室の賃貸借契約終了を原因として、被告に対し明渡を求めることと、右条例、使用規則の改廃とは何らの関係がないものというべきである。したがつて、この点の被告の主張は採用の限りでない。
二、そこで、以下本案について判断する。原告が被告に対し、昭和三一年二月一四日、本件建物を使用料月額一万円(但し、昭和三三年二月一〇日以降は使用料月額一五、〇〇〇円に改訂。)の約で賃貸したことは、当事者間に争がない。
原告は、右賃貸借が一時使用のための賃貸借である旨主張し被告は、借家法の適用ある賃貸借なる旨強く主張するので、この点について検討する。
借家法第八条にいわゆる一時使用のための賃貸借というためには、賃貸借の目的、動機、期間、その他諸般の事情から該賃貸借契約を短期間内に限り存続させるものであることが客観的に判断されなければならないものと解すべきところ、いま、これを本件についてしらべてみるに、<証拠―省略>を総合すれば、次のような事実が認められる。
(一) 原告は、区民の教養及び福祉の向上に資するため板橋区民会館を設置し、その施設の一つとして、本件建物であるサロン及び調理室を所有管理しているが、サロンは、会館施設である公会堂、集会室、結婚式場等を使用する区民が利用できる喫茶室、軽飲食堂として、また、調理室は、料理講習会の実習等に利用できるように設備されたものであり、右会館内施設の使用については、前記規則に基いて行われていること、被告は、本件契約の締結に当り、原告より右条例、使用規則の説明を受け、これを了承のうえ契約したものであること。
(二) 原告は、昭和三一年二月一四日被告に対し、サロン及び売店を貸与し、左の条件で右板橋区民会館内サロン、売店の営業を行わしめる旨の契約をしたこと。しかして、右契約条件の大綱は、次のとおりである。
(1)サロンの営業は、喫茶、和洋軽飲食類の販売に限定され、これ以外の品目を販売したり、斡旋的業務を行う場合には、会館事務管理事務所長の許可を受けなければならない。また会館以外の仕出しをしたり、公会堂客席内で中売りをすることはできないこと。
(2)サロンの使用料は、月額一万円、売店の使用料は一、二階とも月額三千円とし、三ケ月分宛所定の期日に前納すること。
(3)被告は、サロン室備付部品である電蓄一台、湯沸器一台、ウインドケース三台、ソフアー八台、テーブル九台、椅子四〇脚、時計一個、売店ウインドケース二台を使用できることとし、他にサロン経営のため料理講習会に支障なき限り、調理室の北側半室及び附属設備である冷蔵庫一台、瓦斯レンヂ一台、流し台一台、盛付台一台、つり戸棚一台等を使用できること。
(4)契約期間は、契約の日より一ケ年とし、使用時間は、午前九時より午後九時までとすること。
(5)被告は、会館設置の本旨に鑑み、常に会館管理事務所長の指導監督に従い、予め取扱品目の品種、価格を届出でるとともに、毎月所定の営業実績報告書により従業員及び営業の状況を報告し、もつて会館の円滑な運営に協力しなければならないこと。
(6)被告は、その権利を譲渡し、又は転貸し、或は他人をして経営させることはできないこと。
(8)区長は、(一)被告がサロン又は売店の経営に不適当と認められたとき、(二)被告が規則及び契約事項を遵守しないとき、(三)その他区長が必要と認めたときは、その使用承認を取消し、明渡を命じ、必要あるときは、保証金(金三九、〇〇〇円)を没収することができること。(使用規則第一二条)
(三) その後、原告は、右契約の存続期間を一年毎に更新し、昭和三三年二月一〇日以降は、調理室全部の設備使用を認めたので、使用料をサロンとも月額一五、〇〇〇円、保証金を合計金五四、〇〇〇円に改訂し、昭和三五年二月一四日に更新された契約の覚書第一一項には、特に、区庁舎改築に際し、原告がサロン又は売店を仮庁舎として必要と認めた時は、使用規則第一二条第三号により速やかに明渡すことと定められたが、右更新の契約は、期間満了の際、他の業者と期間を同じくするため昭和三六年三月三一日まで延長されたこと。
(四) 前同日、更新された契約条件は従前どうりであるが、期間の点だけ同年四月一日より同年九月末日までの六ケ月間とし前同様の覚書条項が附されたこと。
(五) 被告は、契約の締結前昭和三〇年二月、被告が東京レクリエーシヨン協会の理事をなし、都議会食堂等にも参画し、経験上識見を有するので、区民会館内サロン及び売店の営業受託をしたい旨予め上申していたが、原告は、他にも同様の受託希望業者がいたので、右競願者等を銓衡の結果、被告は、使用規則第三条第一、二号所定の経験、所得のうえで、使用経営者の資格を有しないけれども、区長が特に適当と認めてこれと契約をしたものであること。
(六) しかして、被告は、一年の契約期限満了前、その都度、投下資本回収等を理由に継続使用の承認申請をなし、原告は、他の業者とともに毎年区長の諮問機関である板橋区民会館運営委員会(当初総務委員会が審議していたが、昭和三三年以降は運営委員会が条例に基き設置された。)の審議を経て、更新に関する契約を締結してきたこと、昭和三六年二月末頃開催された同委員会において、被告はサロン経営者として不適当と認められ、次期サロンの営業を魚伝(仲宿会館)に行わせることが決定したので、原告は被告に対し、右契約を更新しない旨通知したこと、しかし、当時すでに原告は、同年一〇月以降板橋区新庁舎の建設に着手することになり、右会館中公会堂を除くその余の施設を工事期間中仮庁舎として使用する計画であつたので、魚伝は契約期間が短いこと等を理由に営業を辞退したこと、一方、被告は、借家法の適用を主張して更新の契約を求めたので、原告は、本件建物を使用貸借とし、設備だけの賃貸借に改めることを提案したが、被告の強い反対に遭い、不調となつたが、被告は、仮庁舎使用の際には明渡しに協力する旨約したので、結局、契約期間を同年九月末までの六ケ月間にすることとして従前どおり契約したこと。
(七) 同年七月頃、原告は、仮庁舎としての部屋割も決め、本件建物を収入役室及び金庫に使用することに確定したので、被告に対しその旨通知し、九月一五日限り営業を停止して建物を明渡すよう催促したが、被告は、営業の補償等を要求してこれを拒絶したこと、原告は、被告との契約前より個別的に契約をしていた会館内の美容、貸衣裳、写真の三業者に対しても、前同様の申入れをしたところ、これらの業者は、それぞれ快く明渡を完了したこと。
が認められ、被告本人尋問の結果中、右認定に反する部分は、前掲各証拠に照らしてにわかに信用できない。
被告は、本件建物の賃貸借は、被告がした区民会館敷地の払下申請取下の条件の履行としてなされたものであり、もともと期間の定めのない賃貸借である旨強調する。<証拠―省略>によれば、昭和二七年六月被告が板橋区ピース通り商店街居住者一同の代表者となり、都議会議員内田定五郎を紹介議員として、東京都議会に対し、本件建物の所在する板橋区大山東町五一番地旧養育院跡地三一〇坪四合の都有地払下の請願をしていたが、昭和二八年一一月一二日これを取下げたことは認められるけれども、前掲<証拠―省略>によれば、原告は、昭和二四年頃より東京都に対し、右土地の払下方交渉をしていたが、当時、すでに東京都より学校敷地として譲渡して差支えない旨の内諾を得ていたこと、そこで、昭和二七年三月頃右土地に区民会館を建設することを区議会で議決したが、その後被告らより前記請願書の提出されていることを聞き及んで、支障となるので、前区長渋谷常三郎は、前記内田定五郎を通じて被告らに対し、公共優先の立場から請願の取下方を交渉していたところ、被告らより何らの条件の申出もなくこれを取下げたこと、そこで、原告において右土地の払下げを受け、区民会館の建築工事を施工し、昭和三〇年四月竣工のうえ開館したが、間もなく区民が結婚式場を利用するようになつたので、原告は、前記美容、貸衣裳、写真等の業者と個別的に契約し、会館施設を使用させていたが、被告からこれに対し、何ら苦情の申出もなかつたことが認められ、被告本人尋問の結果中、右認定に反する部分は信用できない。仮に、前記内田定五郎が、被告に対し請願取下の交渉過程において、区民会館完成の暁は、会館内営業の一切を被告に委せる旨言明し、請願取下を勧告したとしても、同人は、何ら権限のないことを約束したに過ぎず、原告との間の本件契約には全く影響がないものというべきである。
以上認定の事実に徴してみれば、本件契約は、単純な私人の建物のみの賃貸借契約とは異なり、原告区の公共営造物たる板橋区民会館内の施設の一つとして設置されたサロンを、一般区民の利用に供する目的をもつて、被告にその営業を行わせ、右営業に附随して本件建物であるサロン、調理室並びに前記備品、設置等を一括使用させることにしたが、被告に独占的に使用させるものではなく、原告は、営業内容、方法、使用時間等特にその取扱品目、価格、衛生面等につき、公共目的達成のため種々規制、干渉していることが認められるので、むしろ、被告の建物使用関係は、原告の区民会館事業の一部門を構成するサロンの営業に従属し、右営業と不可分にされた賃貸借というべきである。
してみると、本件において特に契約期間を一年としたのも、(官公署において、建物等の使用期間を一年に限定することは通例行われるところであるけれども、)原告において、サロンの営業を特定人に固定させないで、公共上必要に応じて営業者を変更させる余地を残したものであることが窺われ、被告に営業及び本件建物の使用を永続的に認めたものでないこと明らかである。
もつとも、本件契約は、その後五回に亘つて更新し、昭和三六年九月三〇日まで延長されたことは前示認定のとおりであるけれども、右は自動的に期間の更新がなされたものでなく、被告より継続使用の申請があり、他の希望業者と併せ銓衡のうえ区議会内の運営委員会の諮問を経て区長において相当の理由があると認めたので、(使用規則第五条但書)その都度新たな契約を締結してきたものであつて、当初の使用目的、態様が更新によつて変更を受けたものとは解することができない。特に、昭和三五年二月一四日及び昭和三六年三月三一日更新された各契約において、被告は、区庁舎改築に際し、原告がサロン又は売店を仮庁舎として使用することを認めて解除したときは、契約期間内でも速やかに明渡すことあるべき旨を約していることは、すでに認定したとおりである。
しからば、本件建物の賃貸借は、契約書自体には一時賃貸借なる旨を明記しなかつたけれども、前記契約の動機、目的、態様等、特にその公共性からすれば、借家法第八条のいわゆる一時使用のため建物の賃貸借をなしたこと明かなる場合に該当し同法の適用が排除されるものと解するを相当とする。
ところで、被告本人尋問の結果によれば、被告が本件サロンの営業に当り、相当の資本を投じ、テレビ、電気冷蔵庫等可成りの備品その他什器類を備付け、従業員約五名を使用して、サロン、売店及び結婚式披露宴の営業収益年間合計三〇〇万円位の利益を得ており、サロンの営業に専心していたことは認められるけれども、他に右認定を覆えし、被告の主張を肯認するに足りる証拠はない。
なお、原告は、昭和三六年四月一日以降は単なる明渡猶予期間である旨主張するけれども、右期間内も従前どおり使用料を徴収していたことは原告の自ら認めるところ、前掲甲第一号証の一、二と第二号証の一、二と対比してみても、契約期間以外全く従来の契約を踏襲し、差異のないことが認められるので右契約もまた期間を六ケ月に限つた一時使用の賃貸借というべきである。
さすれば、本件契約は、期間の満了により昭和三六年九月三〇日限り終了したものというべく、被告は原告に対し、本件建物を明渡すべき義務があるものといわねばならない。
三、被告は、原告の明渡請求権の行使が権利の乱用である旨主張するけれども、原告が被告主張のような意図の下に本件明渡請求をしているものと認めるべき証拠は存しないばかりか、前示認定のとおり、区民会館運営委員会において、昭和三六年四月以降サロンの営業を魚伝に行わせることを決めたが、同店はすでに辞退しており、むしろ、前掲証人(省略)の証言及び原告代表者尋問の結果を併せ考えれば、原告は、昭和三六年一〇月以降区民会館を仮庁舎として使用することになつたが、被告が本件建物の明渡を拒否したため、仮庁舎として使用予定の収入役室及び金庫をやむなく総務課に予定していた場所に移転させ一部は隣りの板橋一中を使用したり等していたが、昭和三七年一二月二八日頃新庁舎の工事も完成したので、昭和三八年三月二〇日頃まで区民会館内の補修工事が施行され、同年四月一日から再開されることとなつたが、他に東京都の生活館が設置されることとなつたので、原告は近く条例等を改正し、会館内のもと結婚式場及び結婚披露宴等に充てられていた部屋を、青少年の教育上、図書館の閲覧室及び書庫として拡張使用することを計画し、したがつて、この際、本件建物内で行われたサロン等の営業も廃止してこれに充てるため本件明渡を求めていることが認められる。したがつて、被告の右抗弁もまた採用できない。
四、よつて、原告が右契約の終了を原因として被告に対し、本件建物の明渡義務の履行を求める本訴請求は、他の判断を俟つまでもなく正当であるのでこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第五部
裁判官 土 田 勇
目録≪省略≫