東京地方裁判所 昭和36年(特わ)610号 判決 1963年3月27日
判 決
学生
中村光男
(ほか六名)
右中村光男に対する住居侵入、昭和二五年東京都条例第四四号集会集団行進及び集団示威運動に関する条例違反、小川泰弘、塩川喜信、伊藤嘉六、松永毅士、金子厚三、由井一弘に対する同条例違反各被告事件につき、昭和三四年八月八日東京地方裁判所が被告人中村光男に対する住居侵入の点は有罪、各被告人の右都条例違反の点は無罪とする判決を言い渡し、これに対し検察官および右有罪部分につき弁護人からそれぞれ控訴の申立があつたところ、被告人小川泰弘、同塩川喜信、同伊藤嘉六、同松永毅士に関する部分につき東京高等裁判所において刑事訴訟法第二四七条、第二四八条に基き最高裁判所に対し移送許可の申請をし、最高裁判所においては右移送を許可したうえ、昭和三五年七月二〇日原判決を破棄して東京地方裁判所に差し戻す旨の判決をし、次いで被告人中村光男、同金子厚三、同由井一弘に関する部分についても東京高等裁判所において昭和三六年六月二〇日原判決を破棄して東京地方裁判所に差し戻す旨の判決をしたので、当裁判所は、検察官辰已信夫出席のうえさらに審理して、次のとおり判決する。
主文
被告人中村光男を罰金一万五千円に、被告人小川泰弘、同塩川喜信、同伊藤嘉六、同松永毅士、同金子厚三および同由井一弘を各罰金一万円に処する。
被告人らにおいて右罰金を完納することができないときは、いずれも金五百円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。
理由
(罪となるべき事実)
一、被告人中村は、当時東京大学の学生で日本反戦学生同盟委員長をしていた者であるが、昭和三三年四月一日午前一〇時二〇分頃右同盟に所属する学生約四〇名と共に、東京都港区赤坂榎坂町一番地所在のアメリカ大使館に対してエニウエトク環礁水爆実験中止要求等の集団陳情をおこなうべく、同大使館正門(第二ゲイト)附近に赴き、その場で四列縦隊に整例し互に腕を組み合わせてスクラムを組み、「原水爆実験反対」等と記載したプラカードを持つた右学生らの隊列外に出てその先頭に立ち、右学生らと共にワツシヨイワツシヨイと掛け声をかけながら同大使館正門に向つて駈け足で近づき、おりからその掛け声を聞いて同大使館警備員森巌が右学生らの侵入するのを防止しようとして急遽右正門に外部から向つて右側の門扉を閉め終り、次いでその場に居合せた同大使館の近松運転手と共に向つて右側の門扉を閉めかけ、すでに八分通り閉めた際、前記約四〇名の学生と共謀のうえ、前記門扉にぶつかつてゆき、遮二無二右学生ら数名と力を合わせて強引に同門扉を押し開いたうえ、同所より総勢の先頭に立つて右正門内に闖入し、もつて、故なく同大使館保安課長ウイリアム、エイチ・ウヱイドの看守する同大使館邸宅内に侵入し、
二、被告人小川は、当時東京大学の学生で東京都学生自治会連合会執行委員をしていた者であるが、学生約三、〇〇〇名が昭和三三年九月一五日全日本学生自治会総連合主催のもとに勤務評定に反対するため東京都千代田区紀尾井町清水谷公園から港区芝公園まで集団行進をするに際し、東京都公安委員会から「蛇行進、渦巻行進又はことさらな停滞等交通秩序をみだす行為は絶対におこなわないこと」という条件をつけられたのに、集団行為実施にあたり右条件に違反して同日午後四時四〇分頃から同日午後五時一〇分頃までの間同区虎の門交叉点道路上において蛇行進、渦巻行進をおこない、かつことさらな停滞をした際に、右集団の先頭に立ち、手を上下に振り、ワツシヨイワツシヨイと掛け声をかけて右集団を誘導し、蛇行進、渦巻行進をなさしめ、かつ行進をことさらに停滞させるなどして交通秩序をみだし、もつて、東京都公安委員会がつけた前記条件に違反した集団行進を指導し、
三、被告人中村は、当時東京大学の学生であつた者、被告人塩川は、当時東京大学の学生で東京都学生自治会連合会委員長であつた者、被告人伊藤は、当時東京大学の学生で全日本学生自治会総連合中央執行委員であつた者、被告人松永は、当時早稲田大学の学生で同大学第二政治経済学部自治会委員長であつた者、被告人金子は、当時法政大学の学生で同大学第二部自治会委員であつた者、被告人由井は、当時法政大学の学生で全国夜間学生自治会総連合中央執行委員、東京都学生自治会連合会副委員長であつた者であるところ、
(一) 被告人中村および同塩川は共謀のうえ、
(1) 同年一一月五日午後三時頃から同日午後五時二五分頃までの間、東京都千代田区永田町一丁目一番先の国会に通じる道路上において学生約三、〇〇〇名が東京都公安委員会の許可を受けないで、警察官職務執行法改正法律案の国会通過を阻止する目的でいわゆる警職法改悪反対等のための集会をおこなつた際、被告人塩川が右集団の学生達をその場に坐らせ、右反対活動中の国会議員を紹介し、「警職法改悪絶対反対」「警職法粉砕」等のシユプレヒコールの指揮をし、被告人中村が右学生達を学校別の隊列に整えるなどして右集会の主催者となり、
(2) 同日午後五時三〇分頃から同日午後六時三〇分頃までの間、前記学生約三、〇〇〇名が東京都公安委員会の許可を受けないで右警職法反対等のために前記道路上から同区日比谷公会堂前にいたる間の集団行集をおこなつた際、被告人塩川が集団の先頭に立ち、手を前後に振りながら、被告人中村が笛を吹き、メガホンを手に持ちこれを上下に振りながら、それぞれ右集団を誘導し、蛇行進をおこなわせるなどして右集団行進を指導し、
(二) 被告人伊藤は、同日午後九時頃から同日午後九時二五分頃までの間、同区永田町一丁目一番地先国会議事堂正門に通じる道路上において、夜間学生約六〇〇名が東京都公安委員会の許可を受けないで右警職法改悪反対等のための集会をおこなつた際、右集団にむかつて「ただ今から警職法改正反対の夜間学生総けつき大会を開催します」旨発言し、かつ各大学の代表者を右学生達に紹介して経過報告をおこなわせるなどして右集会の主催者となり、
(三) 同日午後九時二五分頃から同日午後一〇時一五分頃までの間、前記学生約六〇〇名が東京都公安委員会の許可を受けないで右警職法改悪反対等のために前記道路上から同区有楽町一丁目一三番地日本国有鉄道有楽町駅にいたる間集団行進をおこなつた際、
(1) 被告人伊藤は、「執行部から提案します。ただ今から有楽町まで行進します、六列のスクラムを組んで下さい、正々堂々と行動をおこしたいと思います」などと発言し、集団行進を企画し、スクラムを組ませるなどして右集団行進の主催者となり、かつ、同日午後九時三五分頃から同日午後九時四〇分頃までの間、同区霞ケ関一丁目一番地警視庁正門玄関附近から同区霞ケ関一丁目無番地丸の内警察署桜田門外巡査派出所前附近にいたる車道上においておこなわれた右集団の蛇行進に際し、集団の先頭部に位置し、集団に面して手をあげワツシヨイワツシヨイと掛け声をかけながら右集団を誘導するなどして右集団行進を指導し、
(2) 被告人松永は、右警視庁前附近路上から日本国有鉄道有楽町駅附近にいたる間、右集団の先頭部に立ちワツシヨイワツシヨイと掛け声をかけて右集団を誘導し、蛇行進をおこなわせるなどして右集団行進を指導し、
(四) 被告人金子および同由井は共謀のうえ、同月一四日午後九時二〇分頃から同日午後九時五〇分頃までの間、学生約一五〇名が東京都公安委員会の許可を受けないで右警職法改悪反対等のために同区永田町一丁目一番地先国会議事堂正門に通じる道路上から同区日比谷交叉点を経由して同区有楽町二丁目一七番地日本国有鉄道有楽町駅附近にいたる間の道路上において集団行進をした際、被告人両名が右集団の先頭部列外に位置し、ワツシヨイワツシヨイと掛け声をかけて右集団を誘導し、蛇行進をおこなわせるなどして右集団行進を指導したものである。
(証拠の標目) <省略>
(弁護人の主張に対する判断)
弁護人は、被告人らの本件各行為につき、都条例の適用がない、有責性がない、違法性がない等と主張し、とくにきわめて多岐にわたる違法性阻却事由をあげて結局被告人らはいずれも無罪である旨主張するのに対し、当裁判所は逐一これを検討した結果、弁護人の主張は理由がないものと判断したのであるが、その弁護人の主張の要点およびこれに対する当裁判所の判断は次のとおりである。
(一) 弁護人は、本件公訴事実中、被告人小川の行為は反動文教政策によつて民主主義に危機をおよぼそうとする勤務評定の実施に対しこれに反対しておこなわれた「勤評粉砕不当強圧反対全国学生総けつき中央集会」の集団示威行進に関するものであり、被告人中村、同塩川、同伊藤、同松永、同金子、同由井に関する都条例違反の各行為はいずれも反動的警察官職務執行法改正案の国会通過を阻止しようとしておこなわれたいわゆる警職法改悪反対運動の一部としてなされた集会又は集団行進であり、いずれも正当な大衆行動であつて正当行為に該当するから違法性が阻却されると主張する。
しかし、昭和二五年東京都条例第四四号「集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例」(以下都条例という)が集会、集団行進および集団示威運動(以下集団行動という)を規制する趣旨は、本件についての最高裁判所判決(昭和三五年(あ)第一一二号・同年七月二〇日大法廷)が判示するように、平穏静粛な集団であつても、ときに昂奮、激昂の渦中に巻きこまれ、甚だしい場合には一瞬にして暴徒と化し、勢いの赴くところ実力によつて法と秩序を蹂躙するような事態に発展する危険を内包するという集団行動の本質に着目し、集団行動がおこなわれることを事前に予知し、その実施が「公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合」(都条例第三条第一項本文)にはこれら集団行動を実施させないことによつて公共の安寧を保持し、その他の場合には集団行動によつてひきおこされることのあるべき不測の事態に伴う混乱に対処し、あらかじめ申請された集団行動の規模、日時、場所等に対応して相当な警備計画を立案し、これにもとづく警備体制をととのえることによつて公共の安寧を保持することにあるものと解される。
そうであれば、許可の申請がなされなかつたか、あるいはそれがなされたとしてもその申請書に集団行動の日時、場所、参加人員等に虚偽の事実の記載があるときは、これに対処して必要な警備をおこなうことが事実上不可能となり、公共の安寧を保持するための警備措置がとられないままに集団行動がおこなわれることになるわけであるから、一般に公共の安寧に危険があるものといい得べく、このような集団行動は違法性を帯びるにいたるものといわなければならない。次に、都条例第三条第一項但し書各号所定の条件は、後に(三)において説示するとおり、いずれも公共の秩序、公衆の衛生等を保持し、もつて社会公共の秩序維持をはかるという警察目的の必要上これを付するものであり、この条件に違反することはすなわち、社会公共の秩序をみだすことを意味するから、右条件に違反しておこなわれた集団行動は違法性を帯び、また、同条例第三条第三項は許可の取消および条件の変更に関する規定であるから、すでにみたと同様の理由により、この条項に違反しておこなわれた集団行動も違法性を帯びるものというべきである。
以上説示したところから明らかなように、都条例は、単なる形式的な許可不申請を違法とするにとどまるものではなく、許可不申請、条件違反等のもとにおこなわれる集団行動そのものを違法とするものと解すべきである。すなわち、都条例においてはこれら違法性を帯びた集団行動を主催し、指導し、あるいは煽動する行為が犯罪定型として規定されているのである。
したがつて、集団行動の目的とするところがたとえ正当であつたとしても、その集団といえども最高裁判所の判示したとおり法と秩序を蹂躙するような事態に発展する危険を内包していないとはいえないから、許可不申請、条件違反等のもとにその集団行動をおこなつたとすれば、その集団行動は違法性を帯びるものと認めるべきであり、かかる違法性を帯びた集団行動の主催者、指導者、煽動者の行為が違法性を帯びたものとして処罰の対象となることは、けだしやむをえないところであつて、右と見解をことにする弁護人の主張は採用することができない。
(二) 弁護人は、被告人小川について、都条例第五条によつて第三条第一項但し書の条件違反の行為を処罰することは、右第三条第一項但し書に示される条件が事実として特定されていないから犯罪の構成要件が定められていないものといい得べく、第五条、第三条第一項但し書の規定はこの点において白地刑法たるを免かれず、刑罰規定としての効力がなく、これに該当するの故をもつて被告人を処罰することは憲法第三一条に違反すると主張する。
しかし、一定の場合にある裁量行為を予定し、これに違反する行為を処罰の対象とするという立法形式は、その裁量行為が現実化した場合にその規定が補充されるのであるから、かかる規定が犯罪構成要件を特定しないとも、また、罪刑法定主義に反するものともいい得ないのである。他にもその立法例があり、道路交通法第七七条第三項、第一一九条第一項第一三号により警察署長が道路使用の許可にあたり危険防止その他交通の安全と円滑を図るために必要な条件を付することができ、その警察署長が付した条件に違反したものは処罰される旨規定されているのもその一例である。
都条例第三条第一項但し書所定の条件は、規定自体からは禁止の内容が事実として特定されていないものであるけれども、集団行動について許可の処分がおこなわれるに際し具体的な事実を特定してこれを条件としてつけられたときに禁止の内容が特定され、このときにおいて右第三条第一項但し書、第五条の規定は補充され、処罰規定として欠けるところのないものとなるのである。そして、集団行動をおこなうものは、具体的条件が明記された許可書を交付され、その付された条件の具体的禁止の内容を十分に知り得るのであるから、右規定をもつて可罰性の根拠としたところでなんの不都合もない筋合である。それ故、弁護人のこの点に関する主張は採用しがたい。
(三) 弁護人は、被告人小川について、都条例第三条第一項但し書各号により付せられる条件は、表現の自由を不当に制限し、大衆行動に対する警察官の干渉に口実を与えるのに役立つている。最近では鉢巻、たすきをも禁止し、場所によつては一切の旗、プラカードを禁止する。こうして条件は、しばしば集団行動を現実には不許可にすると同じ効果をもつ。また、右条件は、都公安委員会のする許可処分の付款にほかならないところ、本件についての最高裁判所判決のいうように、都条例の許可制度が実質的には届出制であるとすれば、その許可処分の内容は届出の受理および確認の行為にすぎず、これについては自由裁量の余地がないことは明白であり、一般に裁量の余地のない行政上の行為について付款を付することはあり得ないわけであるから、都公安委員会が集団行動についての許可処分をするについて付款を付することは許されない。にもかかわらず許可処分に付款を付することを規定する都条例第三条第一項但し書は、集団行動について一般的な禁止を前提とする規定と解さざるをえないものである。右の理由により都条例第三条第一項但し書は憲法第二一条に違反する。したがつて、被告人小川は、右のような違法な規定にもとづいて付された条件に違反して本件行為にでたからといつてその行為に違法性はなく、同被告人は無罪であると主張する。
よつてこれらの点につき考察するのに、集団行動に対しある条件を付してこれを許可することは、その条件の内容いかんによつては、その行動の価値を無に帰せしめ、事実上不許可処分をしたと同じ結果となることもあるので、条件付与については、とくに慎重な考慮が必要である。ところで、集団行動は、本件に関する最高裁判所判決の示すとおり、平穏に秩序を重んじてなされる範囲においてのみ、純粋な表現の自由の行使として憲法第二一条により保障されているものと解すべきである。それ故、その範囲を逸脱して静ひつを乱し、交通の秩序維持を妨害するような行為については、憲法第二一条により保障されている表現の自由の行使の埓外のものであるから、社会公共の秩序維持の見地よりこれを制約したとしてもこれを目して表現の自由に対する不当の侵害とはいえないわけである。もつとも、いやしくも集団行動である以上、いかに平穏に秩序を重んじておこなつたとしても、集団行動の属性として当然ある軽い程度に静ひつを害したり、交通に不便を与えたりして周囲に迷惑をおよぼすことの生ずることはやむを得ないところであるから、周囲にその程度の軽い迷惑をかけることをも禁止することは表現の自由に対する侵害となるものと認められる。集団行動を許可するにあたり、周囲に対し右の程度の軽い迷惑をもかけてはならないというような厳しい条件を付することは、その集団行動そのものを否定し、これを不許可にするにひとしいものであるから、「公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合」(都条例第三条第一項本文)のほかは許されないものといわなければならない。
いま都条例の規定についてこれをみると、その第三条第一項但し書には「次の各号に関し必要な条件をつけることができる。」として「一、官公庁の事務の妨害防止に関する事項二、じゆう器きよう器その他危険物携帯の制限等危害防止に関する事項三、交通秩序維持に関する事項四、集合、集団行進又は集団示威運動の秩序保持に関する事項五、夜間の静ひつ保持に関する事項六、公共の秩序又は公衆の衛生を保持するためやむを得ない場合の進路、場所又は日時の変更に関する事項」が定めらているが、集団行動に対する右各号所定の条件は、いずれも公共の秩序、公衆の衛生等を保持し、もつて社会公共の秩序維持をはかるという警察目的の必要上これを付することが許されているもので、しかも憲法第二一条により保障されている表現の自由を侵害しない限度においてのみ付することができるものであると解すべきである。弁護人は最近では場所によつては一切のプラカード携帯をも禁止すると主張するが、かりに被告人小川に関する前記判示二の集団行動のような場合に、右第二号の危険物携帯の制限等危険防止に関する事項」として所論のようにプラカードの携帯を一切禁止するというような厳しい条件を付したとすると、それは表現の自由に対する不当な侵害であつて違法のものであり、同号は判示二の集団行動のような場合にかかる条件までをも付することができるという趣旨の規定ではないと解するのを相当とする。しかし、同じく判示二の場合、右第三号の「交通秩序維持に関する事項」として「蛇行進、渦巻行進又はことさらな停滞等交通秩序をみだす行為は絶対におこなわないこと」という条件を付したことは、許されて然るべきものであつたと認める。なんとなれば、同判示の場合、「蛇行進、渦巻行進又はことさらな停滞等交通秩序をみだす行為をおこなわなくとも、集団行動は、憲法第二一条により保障されている本来平穏に秩序を重んじてなさるべきものである表現の自由の行使であるかぎりにおいては、その目的を達し得るのであり、したがつて、「蛇行進、渦巻行進又はことさらな停滞等交通秩序をみだす行為は絶対におこなわないこと」というような条件を付したとしても、これを目して憲法第二一条の保障する表現の自由に対する不当な侵害とはいえないからである。また、右第六号の「公共の秩序又は公衆の安寧を保持するためやむを得ない場合の進路、場所又は日時の変更に関する事項」という規定の趣旨は、集団行動に対し、憲法第二一条により保障されている表現の自由の行使というかぎりにおいては、その侵害とならない範囲内で、たとえば暴徒化する危険のきわめて大きい反対派集団との接触を避けさせもつて「公共の秩序を保持するためやむを得ない場合」に申請の集団行動の場所又は日時を少しく変更したり、伝染病患者発生の家に近づけずもつて「公衆の衛生を保持するためやむを得ない場合」にそこを迂回させるため申請の集団行動の進路を少しく変更したりすることが許されるということであると解すべきである。したがつて、集団行動に対し同号による条件を付したからといつて、憲法第二一条の保障する表現の自由に対する不当の侵害ということはできないわけである。それ故、集団行動による表現の自由に対する不当な侵害と認められる程度に申請の路線、場所、日時等を大幅に変更することは、本号によつては許されないものといわなければならない。たとえば、被告人小川に関する前記判示二の場合についてみると、同判示事実認定の証拠および証人浜崎仁、同茂垣之吉の各証言によれば、当初申請された進行路線は、許可となつた路線とは大幅にことなるものであつたことが認められるが、申請者の意思を無視し、一方的にかかる路線の変更をおこなうことは表現の自由に対する侵害となるから、かかる路線変更を同号所定の「進路の変更に関する事項」として取り扱うことはできない筋合のものであつたのである。かかる路線の変更を都公安委員会の名において一方的におこなうことは、当初申請の路線に対する不許可を意味するものであるから、当初申請のままの路線では「公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合」(都条例第三条第一項本文)にかぎり許されるものである。もつとも、実際においては、本件路線変更は、同号により一方的におこなわれたのではなく、申請者側と交渉のうえその承諾を得ておこなわれたものであることは後記(四)において説示するとおりであるから、違法の措置ということはできなかつたわけである。
次に、都条例による許可が実質において届出制とことならない以上、これに付款を付することは許されないという主張についてみるのに、都条例においては前記のとおり、「公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合」(第三条第一項本文)以外には、表現の自由の行使たる集団行動を制限してはならないという厳格な規準を設けているが、この規準に反しないかぎりにおいては裁量の余地のある許可制をとつているものと認めるべきである。最高裁判所においては、右所定の場合以外は表現の自由の行使たる集団行動に対する許可が義務づけられている一面を指して、実質において届出制とことなるところがないと判示したものと解せられるのであるが、反面右所定の場合であると認めて不許可とする裁量の余地もあり、また許可にあたり表現の自由を侵害しないかぎり、公共の秩序維持のため条件を付することも許されるものと解されるものと解するのを相当とする。そして、都条例第三条第一項但し書各号の条件は、憲法第二一条により保障されている表現の自由に対する侵害とならない限度において限度においてのみ付することができるものと解すべきことは前に説示したとおりである。それ故、許可にあたり右のような条件を付したからといつて、所論のように憲法第二一条に違反するところはなく、また確認行為に付款を付したと解すべきものでもない。よつて、この点に関する弁護人の主張はこれを採用しない。
(四) 弁護人は、被告人小川につき、本件集団行進は勤務評定に反対しこれの実施に対して抗議をするためのものであつて、その行動の対象は主として主管庁たる文部省に向けられたものであつたのに、担当の係警察官から文部省前を通過する経路を拒否され、これに応じなければ集団行進そのものを許可しない旨いいわたされたため、やむを得ず追いつめられ予定していたコースを変更したうえ許可の申請をなし、その許可を得たものであるが、警視庁当局は、文部省への抗議という強い大衆の意思に対し、許可にいたるまでに右のように強権的干渉をおこなつたのに加え、行動に移つてからは計画的に抑圧し、挑発的態度にでたために当日の混乱がおこつたのであつて、集団が付された条件に反する行動をしたことは、かかる緊急な事態のためにひきおこされたものであるから、緊急避難として被告人小川の行為につきその違法性が阻却される。また、同被告人は、右集団行動に付せられていた条件を知らなかつたのであるから、条件違反につき犯意を欠き無罪である旨主張する。
しかし、判示二の事実認定の証拠および証人浜崎仁、同茂垣之吉の各証言によれば、判示二の集団行進は、その当初申請された経路のままでは、その実施予定日時における他の集団行動との競合状態、交通事情、官庁の執務状況等諸般の事情を考慮すると、「公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合」(都条例第三条第一項本文)として不許可となるような事情があつたが、路線を変更すれば許可しても差支ないような事情が認められたので、この点について申請者に対し、警視庁担当係官においてその路線変更を要望し、被告人小川および申請名義人である松田武彦らと協議し、結局申請者側において右要望を受け入れて承諾し、新しい路線を許可申請書に記載してこれを提出したところ、これに対し同判示の条件を付して許可が与えられたものであつて、右路線変更は、申請者側の意思を無視し強権をもつて一方的に付せられたものではないこと、その許可に付せられた右条件について本件当時同被告人は十分知つていたことおよび当日の混乱が警察官の挑発によつてひきおこされたものではないことが認められるから、同被告人が条件違反について犯意がなかつたということも、同被告人の行為の違法性が阻却される原由があつたということもできないのである。よつて弁護人のこの点に関する主張も理由がない。
(五) 弁護人は、都公安委員会は都条例における処罰の根拠規定たる第五条の前提である第一条、第二条による許否の処分、第三条による条件の付与、許可処分の取消又は条件の変更についての権限を一般的に放棄し、これを違法に警備公安警察に委譲しているが、都公安委員会がこれらの権限を行使することがない以上、本条例第一条ないし第三条の規定は存在しないものとして評価し得るから、これを前提とする第五条の規定も存在する余地がなくなり、右第五条の処罰規定は根拠を失うことになつて、同条によつて処罰の対象とされる行為は、罪とならないものとして無罪とされるか、罪とならないことが明らかなものとして決定で公訴が棄却されるか、あるいは犯罪後の法令により刑が廃止されたときにあたる場合に準じて免訴とされるべきものであると主張する。
よつてこの点につき考察すると、昭和三一年一〇月二五日東京都公安委員会規程第四号「東京都公安委員会の権限に属する事務処理に関する規程」と当審における証人浜崎仁、同茂垣之吉、同堀切善次郎の各証言とを綜合すると、集団行動に対する不許可処分、許可の取消処分および重要特異な事項についての許可処分は必ず都公安委員会みずからの手によつておこなわれていたが、その他の事項についての許可処分および右許可処分の際における条件の付与については、都公安委員会が警視総監以下の警察官にその事務を処理させていたことが認められるから、その集団行動についての許可事務および条件付与事務が、本来同委員会のみずから行うべき権限をこれら警察官に委譲した結果おこなわれていたものとみるべきか否かについて検討を加える。
都条例においては、その第一条により集団運動の許可、その第三条第一項但し書により条件の付与がそれぞれ都公安委員会の権限として定められていることは明らかである。ところで、警察法においては、都公安委員会は都警察を管理し(第三八条第三項)、都委員会の庶務は警視庁において処理し(第四四条)、都委員会の運営に関し必要な事項は都委員会が定める(第四五条)旨規定しており、前記「東京都公安委員会の権限に属する事務処理に関する規程(昭和三一年一二月東京都公安委員会規程第八号(い)により改正後のもの)」第二条には「警視総監は、別に定めるもののほか、左に掲げる法令又は条例に基く公安委員会の権限に属する事務のうち、重要特異な事項を除きその事務を処理することができる。」と規定し、その同条第四号に「集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(昭和二十五年東京都条例第四十四号)のうち、集会、集団行進及び集団示威運動の許可手続」をあげ、さらにその第三条は「警視総監は、前条の事務のうち必要ある場合は主管部長にその事務の一部を処理させることができる。ただし、定例軽易なものについては、課長又は自動車運転免許試験場若しくは警察署長に処理させることができる。」と規定し、その第四条において「この規定により事務を処理する場合は、すべて公安委員会名をもつてこれを行い、その結果は毎月とりまとめ公安委員会の承認を受けなければならない。」と規定して、その第一条に、これら事務の一部を警視総監に処理させることの目的として「事務の迅速、かつ能率的運営を図ること」をあげている。さらに「東京都公安委員会の権限に属する事務の部長等の事務処理に関する規程(昭和三一年一〇月二五日訓令甲第一九号、昭和三一年一二月訓令甲第二四号(い)により改正後のもの)」は、前記公安委員会規程を受けてその第二条第三号に「集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(昭和二十五年東京都条例第四十四号)のうち集会、集団行進及び集団示威運動の許可手続」を主管部長の処理事務事項として定め、その第五条には警察署長の処理事務事項として、その第一号に「集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例のうち軽易な集会の許可手続」を規定している。すなわち、ここでは「重要特異な事項」を除き「集会、集団行進及び集団示威運動の許可手続」を警視総監に、その事務の一部を主管部長に、そのうちの軽易な集会についてはこれを警察署長にそれぞれ処理させることができる旨を定め、その目的が「事務の迅速、かつ能率的な運営を図ること」に求められていることがうかがわれる。そこで、右各規程によつて許可手続の事務を警視総監以下の警察官に処理させることが違憲ないしは違法なものであるか否かについて考えるのに、警察法所定の都公安委員会と警視庁との各組織権限および都公安委員会と警視庁との関係に徴すると、都公安委員会がその責任において表現の自由を不当に侵害しないかぎり、その権限に属する事務の一部を警視総監以下の警察官に処理させることは許されるものと解する。それでは、その処理させることを許される事務はいかなるものであるか。まず、都条例に定める集団行動の許可事務を警視総監以下の警察官に処理させることが許容されて然るべきものであるか否かについて検討するのに、都条例においては「公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合」(第三条第一項本文)以外には都公安委員会は必ず集団行動について許可する義務を有するのであつて、そのかぎりにおいて都条例は実質上は集団行動に対して届出制をとるものといえるのである。そしてこのような場合には、都公安委員会がその許可の事務を警視総監以下の警察官に処理させる措置をとつたとしても、なんら表現の自由を侵すところはないので、この措置をもつて違法とすることはできない。
次に許可の際に条件を付する事務が警視総監以下の警察官によつて処理されて然るべきものであるか否かについて検討すると、都条例第三条第一項但し書各号所定の条件は、憲法第二一条により保障されている純粋な表現の自由に対する侵害とならない限度のものであると解すべきことは、前に(三)において説示したとおりであるから、右条件を付するについての事務を警視総監以下の警察官に処理させたとしても、憲法第二一条により保障された表現の自由に対する不当な侵害とはならず、したがつて違法の措置とはいえないわけである。ただ、都条例第三条第一項但し書各号の条件に名をかりて表現の自由を不当に侵害するような措置が警視総監以下の警察官によつてとられた場合には、それは都条例の規定が違法であるのではなく、その個々の措置そのものが違法となるに過ぎないのである。ところで本件において条件違反のかどで起訴されているのは判示二の被告人小川関係のみであるが、その「蛇行進、渦巻行進又はことさらな停滞等交通秩序をみだす行為は絶対におこなわないこと」という条件が表現の自由を不当に侵害するものでないことは、前に(三)において説示したとおりであるから、右条件を付する事務が警察官によつて処理されたとしても、違法の措置ではなかつたのである。
以上のとおりであるから、都公安委員会が本来同委員会みずからが行うべき集団行動についての許否、条件付与、条件の変更、許可の取消等の権限を警視総監以下の警察官に委譲していたというような違法の措置があつたとは認めることはできないので、弁護人の本項の前掲各主張はいずれもその前提を欠き理由がないものといわなければならない。
(六) 弁護人は、都条例はその第二条において、集団行動開始の七二時間前までに許可の申請をすることをその主催者に対して義務づけているが、右の時間的制約は旧憲法下の治安警察法の規定に照らしても不当に長時間であり、事実上集団行動を一般的に事前に規制し表現の自由を侵すものであつて、憲法第二一条に違反するものであるから、この点において無効たるを免れないと主張する。
よつてこの点につき考察するのに、都条例第二条の集団行動をおこなう日時の七二時間前までに申請書を提出しなければならないという規定を、旧憲法下の治安警察法が政事に関する集会につきその第二条第二項において「発起人ハ到達スヘキ時間ヲ除キ開会三時間以前ニ集合ノ場所、年月日時ヲ会場所在地ノ管轄警察官署ニ届出ツヘシ」と定め、屋外の集団行動につきその第四条において「屋外ニ於テ公衆ヲ合同シ若ハ多衆運動セムトスルトキハ発起人ヨリ十二時間以前ニ合同スヘキ場所、年月日時及其ノ通過スヘキ路線ヲ管轄警察署ニ届出ツヘシ」と規定していたのと較べると、都条例の時間的な面における制限がきわめて厳しいように考えられる。しかしながら、旧憲法下における表現の自由は、治安維持法をはじめとする一連の治安立法のもとに極度に制限されており、現実の集団行動に対しても常に強力な治安警察権力が対処し、集団行動がおこなわれたとしても容易にこれを抑圧することができたので、集団行動は許可を要するものとするものとはされておらず、単に集団行動を取締当局が直接に監視する態勢を調えるための時間的余裕を残してその届出さえあればこと足りるとされていたものである。したがつて、治安警察法による届出義務違反又は不実届出は単なる形式犯として把握され、その処罰も同法第二〇条、第二一条により二〇円以下又は三〇円以下の罰金が科せられたにすぎない。
そうであれば、表現の自由を最大限度に尊重する憲法のもとに、「公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合」(都条例第三条第一項本文)にかぎつて集団行動を規制し得るものとする都条例の規定を、治安警察法のそれと比較して論じることは適切でない。ここでは、都条例が集団行動を規制しようとする趣旨、現在の交通、通信事情、警察の機構、能率等諸般の事情によつて、この規定の適否が検討されなければならない。
都条例が集団行動を規制する趣旨は、前記(一)において説示したとおりである。それで「公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合」(都条例第三条第一項本文)として不許可とすべきか否かについての判断をするためには、集団行動の規模、態様、目的、日時、場所、経路、その時の交通事情等を綿密に検討する等の措置をとらなければならない。また、その場合に該当しないとして許可すべきときであつても、集団行動によつてひきおこされることのある不測の事態に対処して事前に適切な警備計画を立案し、公共の安寧を保持するに足りる警備体制をしく等の措置をとらなければならない。そして右のいずれの場合においても、その措置をとるために要する時間、許可の申請を受理してからこれに対して許可その他の処分をするまでの間の事務処理に要する時間を考慮し、また交通事情の面からは、近時における自動車交通量の激増、人口の膨脹稠密化、道路の不整備等の悪条件のもとにおける集団行動実施にともなう交通警察上の適切な措置をとるために要する時間等を考慮するならば、通信機関の発達、警察機構の整備、警察機動力の強化などの諸点からいえば七二時間という時間が長きに失すると思われるような事情のあることは否定し得ないところであるとしても、あながち右七二時間という時間をもつて、表現の自由を不当に侵害するものであるとも、ひいてまた、この規定のために都条例が憲法に違反するにいたるとも解することはできない。よつてこの点に関する弁護人の主張はこれを採用しない。
(七) 弁護人は、都条例第二条に定める七二時間前までに集団行動の許可の申請をおこなわせることが、本件についての最高裁判所判決があつたために合憲とされるとしても、右最高裁判所判決が都条例を合憲とした理由は、同条例が実質的に届出制を採用し許可が一般に義務づけられているためであつたことをおもえば、第二条の時間的制限にしたがつた許可申請があつた場合と同じく、七二時間を待つていては集団行動の目的が達せられないような緊急突発的なものについても、当然にその行動が許されるとするのでなければ、これら緊急な場合の集団行動による表現の自由は不当に侵害されることになり、ひいては法のもとの平等にも悖ることになるのである。したがつて、七二時間の余裕をおかない場合における集団行動についての申請、許否、実施等についての規定を欠く都条例は、このような緊急突発的集団行動についてはその適用の余地がない。表現の自由という憲法上保障され極度に尊重される基本的人権の行使をなんらの規定もなく一般的に公共の福祉に反するものとしてはばむことは、法益衡量の点からいつて許容されないことである。それ故に、緊急性についての判断は、集団行動をおこなうもの自身によつてなされなければならない。また、通達例規によつて本来不許可が予想されるような集団行動でないかぎり現場許可が担保されてはいるが、右は警視庁の内部における秘扱いの内部規定にすぎず、内部的に本条例を運用する基準とすることができるとしても、これをもつて条例の補充規定ないし解釈の根拠とすることはできない。現実の運用は警察官の権限を拡大し、許否の判断そのものをも現場の警察官に委ねようとしていることが明らかであるから、右通達例規は緊急な集団行動についての救済となる筈もなく、したがつて昭和三三年一一月五日の昼間および夜間、同月一四日の夜間における集団行動のように、緊急の必要から突発的におこなわれ七二時間前に許可の申請ができないことの明らかな本件各集団行動の場合には、都条例の適用はないものというべきである。したがつて、これらの点における被告人小川を除く被告人六名の行為は無罪であると主張する。
しかし、都条例が集団行動を規制する趣旨は、すでに前記(一)において説示したとおりであり、七二時間の時間的制約の点についてもこれをもつて違憲とすることができないこと前記(六)において説示したとおりである以上、緊急突発の際における集団行動といえども、本条例が規制の対象とする集団行動に該当するものといわなければならない。もつとも、申請後七二時間を経過してはその集団行動を実施する目的をうしなうにいたる場合も考えられることは勿論であるが、その場合であつても、その集団行動が、最高裁判所判決の指摘するとおり、ときに実力によつて法と秩序を蹂躙するような事態に発展する危険を内包していることは一般の集団行動の場合となんらことなるところがないのであるから、主催者の一方的判断によつて許可の申請をすることなくただちに行動を開始するときは、すなわち都条例が集団行動を規制する趣旨に反し、その集団行動自体が違法性を帯び、都条例第五条に該当する行為は処罰の対象となるものといわなければならない。
ただ、その集団行動をおこなうことによつて守られる法益と、集団行動によつて危険にさらされる公共の安寧秩序とを比較し、公共の安寧秩序を犠牲にしてなおかつ守られるべき法益を是認しなければならない場合であつて、その集団行動以外にとるべき方法がなく、その手段方法が相当であつて、行為全体を通じて社会的相当性が認められる場合にかぎつて、超法規的にその行為の違法性が阻却される場合があり得ると認められるのであるが、本件において弁護人はこの点につき主張するところなく、また本件のいずれについても右の場合に該当するとは認められない。
したがつて、弁護人の本項主張は、爾余の点について判断を加えるまでもなく採用するに由ないものである。
(八) 弁護人は、集団的な形態での国会陳情が規制の対象とされるようになつたのは昭和三四年のいわゆる安保闘争以後のことであり、それ以前の集団的国会陳情は請願権の一つの形態として一般の集団行動と区別され、都条例の規制の除外例として扱われてきたのであるから、昭和三三年一一月五日の昼間および夜間の各集団行動については、都条例による規制はおこなわれるべきでないものである。しかるに、本件においては、これら集団的な形態での国会陳情に対し、取締当局が大衆行動のもりあがりを抑制しようとして、これに緊急的な必要性を一方的に認め都条例を利用適用したものであるが、憲法はこのようなことを否定しているものといわなければならない。それ故、本件に対し都条例適用の余地はなく、被告人塩川、同中村、同伊藤、同松永の各行為はいずれも無罪であると主張する。
しかし、都条例において集団行動を規制する趣旨がすでに前記(一)において説示したとおりである以上、請願権の行使によるものであると否とにかかわらず、その集団の行動の形態、手段、方法が本条例に定める集会、集団行進あるいは集団示威運動に該当するかぎり、これら集団行動に対し都条例が適用されることは当然のことであつて、従来、請願のための集団行動に対して条例の適用される場合がなかつたからといつて、本件においてこれを適用した取締当局の措置をもつて憲法に反するものとすることはできない。
したがつて、この点に関する弁護人の主張は理由がない。
(九) 弁護人は、被告人中村、同塩川の昭和三三年一一月五日昼間の集会および集団行進、被告人伊藤の同日夜間の集会、同被告人および被告人松永の同夜間の集団行進、被告人金子、同由井の同月一四日夜間の集団行進は、いずれも被告人ら学生が、同月四日夜おこなわれたいわゆる国会抜打会期延長に抗議して警察官職務執行法改悪反対を主張し、その運動の一環として国会に陳情しようとし国会周辺に近づいたところ、これをおりからその附近を警備していた警察官によつて実力で阻止されたためやむなくおこなわれた集会あるいは集団行進であり、しかも右のような事情から緊急におこなわれたものである。したがつて、右被告人六名の本件各行為は、いずれも法を運用すべき警察官みずからが犯罪行為をおこなわせたものであるから、警察官の犯罪誘発による行為として社会的危険性がなく、実質的違法性を欠く故に超法規的に違法性が阻却されるものである。そのほか、都条例を適用執行すべき警察官みずからが法の正当な適用を拒否した場合にあたるのであつて、このようなときには行政機関は国民に対し行政上の許可申請義務違反を主張することは許されず、結局刑罰法規の根拠を欠くことになるので、被告人らはいずれも無罪である。かりにそうでないとしても、被告人らの行為は緊急状態における行為として責任あるいは違法性が阻却され、被告人六名はいずれも無罪であると主張する。
よつてこの点につき考察するのに、判示三の(一)の事実認定の証拠および旧一審証人仲井富、同今井稔の各証言によれば、昭和三三年一一月五日午後一時頃から約二、三千名の警察官が国会議事堂正門に通じる附近の道路を阻止し、その頃前夜の国会におけるいわゆる抜打会期延長がおこなわれたことに抗議すると共に警察官職務執行法改正案の国会通過を阻止することを目的として国会に陳情しようとして集つた多数の学生、勤労者などを国会議事堂に近づけず、却つて、学生に対し警察官が学生はチヤペルセンターのまわりに集つているからみんなこんなところに集まらないでチヤペルセンター前に集まれといつて学生をチヤペルセンター前に追いやつたなどのこともあつて、同日午後四時頃には数千名の学生が右チヤペルセンター前に集合し、この集合が判示三の(一)のとおりの集団行動をおこなうにいたつた事実が認められる。また、判示三の(二)、(三)の事実認定の証拠および当裁判所の証人小野寺正臣、旧一審証人長瀬有三郎の各証言によれば、同日午後七時前後頃、前同様の目的をもつて集つてきた学生達を国会議事堂正門に通じる附近道路を警察官が阻止したため学生達はチヤペルセンター前に集合し、さらにその場において一部の約二〇名位の学生が警察官に向つて国会陳情にきたんだから通せなどと要求したが、警察官はその要求を受け入れず依然として国会議事堂への通行を阻止し、午後八時頃には右学生の数は約三、四百名に達し、この集合が判示三の(二)、(三)のとおりの集団行動をおこなうにいたつた事実が認められる。さらに、判示三の(四)の事実認定の証拠および旧一審証人吉岡哲美の証言によれば、同月一四日午後八時頃、前同様の目的をもつて集つてきた学生達約一〇〇名を警察官約三〇〇名でチヤペルセンター前道路に押しつけて包囲し、国会ならびに首相官邸へ陳情にゆくのだから道路を通してほしいと要求する学生達を阻止し、さらに学生数名が代表として警察官と右要求について交渉したが警察官はこれに応じなかつたため、学生達は右警察官のとつた行為を暴挙と解して、これに抗議し、あくまでも警察官職務執行法改正案を成立させようとしている背景を国民に訴えるため判示三の(四)の集団行進をおこなうにいたつた事実が認められる。
そこで右のような事情のもとにおこなわれた昭和三三年一一月五日昼間および夜間ならびに同月一四日夜間の本件各集団行動が、警察官が実力によつて被告人らの国会陳情行為を阻止したためにおこなわれ、その誘発行為によりおこなわれたものとなし得るか否かについて検討すると、都条例において規制の対象とする集団は、単なる多数人の集合というのみでは足りず、これら多数人の集合が、一定の目的のもとに統一され意思結合体として有機的行動能力をもつにいたらしめられた集団である。主催者、指導者によつてその集団が一個の意思結合体として有機的機能を発揮するにいたらないかぎり、多数の人間が一定の場所に集まつたからといつて、都条例による規制の対象とはならないから、警察官の言動にしたがつて多数人が一定の場所に集合したからといつて、その集合が都条例に違反するところとなるものではない。そして、警察官の前に認定したような行為は、多数の学生を一定の場所に阻止して集合させたというにとどまり、被告人らの本件犯罪の実行行為を教唆あるいは幇助したということはできない。また、かりにこれら警察官の行為が被告人らの犯意を誘発したといい得るとしても、これによつて被誘発者の犯罪構成要件該当性、有責性もしくは違法性を阻却するものではない(昭和二七年(れ)第五四七〇号・同二八年三月五日最高裁判所決定参照)と解すべきである。また、集団行動の開始前七二時間前までに許可の申請をしないで集団行動をした場合には、一般に違法性があるものであり、ただその行為が社会的相当性を有する等の要件を具えるかぎりにおいて、超法規的に社会的に相当の行為として違法性が阻却される場合があることは、さきに(七)において説示したとおりであるが、右各集団行動は、その前認定の各目的に照らし、七二時間を経過しては、その集団行動の目的が失われるという性質のものではなく、ひいて被告人らの行為が緊急状態における行為であるとは認められない。それゆえ、被告人中村、同塩川、同伊藤、同松永、同金子、同由井の判示三の(一)ないし(四)の各所為についての弁護人の本項の主張は、いずれも理由がない。
(三) 弁護人は、被告人伊藤、同松永、同金子、同由井の本件各行為がおこなわれた当時においては、夜間における集団行進あるいは集団示威運動については一般に許可されることがなかつたのであるが、夜間の集団行進あるいは集団示威運動であることを理由に集団行動を禁止することは違法であり、これに対する不許可が一般的である場合には、許可をうけることなく夜間の集団行進あるいは集団示威運動をおこなつたとしても、右は自力救済的意味をもつ行為であり、その違法性は阻却されるから、右各被告人は無罪であると主張し、また斉藤弁護人は右に付加して、都公安委員会が夜間の集団行進等を一般に公共の安全に危険性ある行為として一般的に禁止することは都公安委員会において集団行進等についての許可義務を懈怠しているものというべく、かかる場合に被告人らに対し申請義務の遵守を要求することは法の理念たる正義に反し、かつ信義則に反するものであつて、実質的には申請を拒否するにひとしく、一種の脱法行為ともいい得るのであるから、被告人らが本件申請をしないでそれぞれ本件行為にいでたとしても、その行為については違法性が阻却されるものであるし、他面かかる状況のもとにおいて被告人らに許可申請の手続をすることを期待することは不可能であるから、期待可能性を欠き責任を阻却すると主張する。
しかし、証拠として提出された不許可処分一覧表と当裁判所の証人浜崎仁、同茂垣之吉、同堀切善次郎の各証言を綜合すると、夜間における集団行進あるいは集団示威運動は、昭和三三年一一月以前の相当期間内において大多数のものにつき不許可の処分がなされたが、許可された事例も絶無ではなく、また不許可処分がなされる場合には都公安委員会が開かれたうえ、同委員会においてその集団の主催団体、その主催団体のおこなつた過去における集団行動の実績、交通事情、その集団行動が社会的に及ぼす影響等を十分考慮して検討をしたのちに処分を決定していることが認められ、決して単に夜間の集団行進あるいは集団示威運動であることの故のみをもつて機械的に、一律に不許可処分としたものとは認められないので、本件当時夜間の集団行進あるいは集団示威運動であることを理由に一般的にこれらの集団行動を不許可にしていたとすることはできない。
そうであれば、弁護人もみずからこれを認めるように、許可の申請をすらしないでおこなつた所論各夜間の集団行動は、前記(一)において説示した都条例による規制の趣旨に照らし違法性を帯びるものであるといわなければならない。弁護人の本項の主張は、すべて前提たる右事実関係において当裁判所と見解を異にしているので、進んで判断を加えるまでもなくこれを採用しない。
(二) 弁護人は、都条例が都公安委員会の許可を受けないで集団行動をした場合に可罰類型として定めるものは集団行動についての主催、指導、煽動の行為であるが、許可申請義務の違反がこれらの行為について可罰性付与の契機となるのであれば、集団行動における申請義務者たる主催者のみが処罰の対象となるにすぎない筈であるのに、指導者、煽動者をも処罰の対象として規定する所以は、それらの行為が単に内部的影響力をもつにすぎないものと解しないで、対外的影響力をもつような性質のものであると観念されたからにほかならないものと解すべきである。しかるに、集団行動をなす場合の集団は常に一定の目的、思想、主義、主張のもとに集つた集団としての目的意思と秩序とをもつものであり、集団行動における主催者、指導者は集団の意思にしたがつて選ばれ、集団の意思にしたがつて行動する機関であつて、それは集団の秩序の代弁者であり、その秩序保持機関にすぎず、その機能は内部的には集団の秩序の保持であり、外部的には集団に加えられる外部からの攻撃に対する防衛であるから、これら指導の性格は明らかに対外的影響力をもつものではなく、都条例第五条の指導とは概念をことにする。また、かかる集団行動をなす場合の集団の本質に照らすならば、都条例にいう主催、指導、煽動と、集団行動の秩序の中にある主催、指導、煽動とは全く無縁な行為であつてこれら行為は都条例第五条に定める行為類型にあたらない。かりにそうでないとしても、主催、指導、煽動として右第五条に規定するものは、無内容かつ不特定の概念であるから、同条によつてその行為者を処罰することは憲法第三一条に違反し許されない。また、都条例が集団における対外的影響力すなわち集団の構成員が外部に呼びかけ訴える個々の行為を抽出してそのいくつかを主催、指導、煽動に区別しこれを処罰の対象とするものであるとすれば、それはすでに集団行動に対する規制の問題ではなく、個人の表現の自由を剥奪するものであつて憲法第二一条に違反し、かつこのような趣旨のもとにあつては主催、指導、煽動という行為の定義づけの根拠は全く不明確なものといわざるを得ず、その違法性、可罰性を明確にし得る内容をもたないために、処罰の実質的根拠を欠くから都条例第五条は憲法第三一条に違反し無効であると主張する。
しかし、集団の主催者、指導者、煽動者がそれぞれの地位において、集団に対し弁護人のいう内部的影響力のほかに一定の作用をなす力をもつことを否定することはできない。すなわち、主催者は集団行動を最も効果あらしめるために行動の規模、態様、方法等を企画しその実施の衝にあたるものであつて集団行動の一定の性格と意味とを付与し、指導者は企画された行動の態様、方法にしたがい言語挙動等によつて集団を指揮しその行動を一定の方向に指向させるものであつて、集団を統一し、その行動力を効果的に発揮させ、煽動者は、集団の構成員に対して言語挙動等により一定の行動にいでることの決意を生ぜしめ、あるいは既存の決意を助長させるような勢のある刺戟を与えるものであつて、集団の行動をより活発ならしめあるいは時としてこれを過激ならしめ、それぞれ集団行動に対して大きく作用するところがあるのである。そこでこれらの作用が弁護人のいういわゆる外部に対しての影響力をもつものであるか否か、もつとすればそれはいかなる影響力であるかについて検討を加える。
集団行動をなす集団が一定の目的、思想、主義、主張のもとに集つて目的意思と秩序をもつ有機的結合体であることから、主催者、指導者等がその構成員全体の統一された意思を無視しこれとかけ離れた独自の意思で集団を動かすことはおこなわれ得ないことではあろうが、集団行動における主催、指導、煽動等の行為は、集団行動における現実の手段、方法、態様および内容を決定づけ、その成果を大きく左右するものである。ところで、集団行動が本質的には外部に対して集団の思想、意思等を言語あるいは挙動等によつて表現するものである以上、行動の手段、方法、態様等は、対外的に直接影響をもつことがらであつて、これらのことが主催、指導、煽動等の行為によつて左右されるからには、とりもなおさずこれらの行為が外部的に影響力をもつものとして評価されなければならない。
さらに外部的影響力ということを除外したとしても、都条例が集団行動を規制する趣旨からいつて、前に(一)において説示したとおり、無許可、条件違反等のもとにおこなわれる集団行動はその集団行動自体が違法性を帯びるものと解すべきであるから、その違法な集団行動の中にあつてその集団行動そのもののあり方を大きく左右する主催者、指導者、煽動者は、その故のみをもつてしても処罰の対象となるものといわなければならない。
したがつて、主催者、指導者に集団の秩序保持機関としての機能があるからといつて、都条例第五条に定める主催者、指導者に該当しないとすることはできず、主催、指導、煽動の行為概念がすでに説示されたとおり明確なものであつてみれば、都条例第五条はまさにこれらの行為を違法類型として規定しているのであるから、それが特定しない概念であるとも、無内容であるとも、あるいは集団秩序の中にある同一義語の行為とは無縁であるとも、すべていいえないところであるから、これと見解をことにして都条例第五条を解釈しようとする弁護人の主張は理由がないものである。
また、弁護人の本項の仮定的主張については、主たる主張に対して判断したところから明らかなように集団行動の中の個々の行動といえども、それがすでに説示したような都条例第五条の主催、指導、煽動の行為に該当するにいたるときはすべて可罰的となるものであるから、この点についての弁護人の主張もまたこれをいれるに由ないものである。
(三) 弁護人は、被告人中村の住居侵入の点について、
(1) 大使館事務所は、一般に公開された公共的性質を有し、一般官公署の庁舎と同様、人の看守する建造物ではあつても住居邸宅であるということはできないから、被告人中村が立ち入つたアメリカ大使館区域内の事務所前庭も、人の看守する邸宅としての保護を受くべきではない。したがつて、同被告人の行為は刑法第一三〇条住居侵入罪の構成要件に該当しないものである。
(2) また、同被告人らがアメリカ大使館内に入つた際は、正門向つて右側の門扉け完全に開かれており、大使館側のなんびとからも制止を受けずに通行したものであり、かりに警備員森巌らの制止を受けたとしても、同人らは右大使館の管理人ではないから、本件行為は看守者の意思に反してなされた侵入行為ではなく、さらに同被告人らが立ち入つた場所は、同大使館正門から事務所のある前庭までのところであるが、すでに述べたとおり大使館は公の官署であつてその事務所は、一般に開放され本件のような陳情を受認すべき立場にあるのであるから、一般的承諾または推定的承諾があつたとみるべきで、「故ナク侵入シ」た場合にあたらず、違法性がないものである。
(3) かりに、右の主張が理由がないとしても、同被告人の本件行為は、原水爆実験の禁止を要求するためのものであり、請願権、表現の自由等にねざす憲法上の保護を受けたきわめて正当な陳情行動であつて、それは法的になんらの非難に価しないことはもとより、積極的に正当な大衆行動であつて、正当行為として刑法第三五条により違法性が阻却されるものであり、そうでないとしても、人類の生存を守るためのものであり、憲法上の諸権利を守るための行為であるから、その侵害された法益との権衡を考えれば、刑法第三七条が準用され犯罪の成立が阻却される場合である。
と主張する。
よつてこれらの点につき考察するのに、
(1) 旧一審証人森巌の証言によれば、本件大使館区域にはアメリカ大使の住居のほか、事務所、随員の居住する住居等の建物も存在し、その一廓内には大使およびその家族以外の人も居住することが認められ、大使館区域は外国使臣たる大使がその随員をしたがえて執務する事務所たる公館と、その住居が主たるもので、他に随員が居住していても単に多数人が個別的に居を構えて居住する囲繞された一廓とは趣をことにするといわなければならず、また、囲繞地も刑法第一三〇条にいわゆる住居、邸宅等に含まれるものと解すべきであるから、本件大使館前庭は、同条の住居、邸宅に該当するものであつて、この点に関する弁護人の主張は理由がない。
(2) 右証人森巌の証言および旧一審証人松本顕雄の証言によれば、同被告人らが本件大使館正門内に立ち入つた状況は、判示一認定のとおりであつて、警備員森巌らの必死の制止にかかわらず強引に立ち入つたものであることが認められる。さらに右森巌の証言および旧一審証人広瀬義治の証言を綜合すると、同人らはビルデイングの清掃管理等を目的とする日本不動産管理株式会社に籍をおく者であるが、同社とアメリカ大使館との契約により、同社から派遣されてアメリカ大使館の警備員として同大使館に詰めていたものであること、右広瀬は警備員の長として同大使館の看守者である同大使館安保課長ウイリアム・エイチ・ウエイドらから、外来者に対する取扱いとして、陳情等の目的の来訪者は正門傍の詰所にいる警備員が一々その来意を尋ね、電話で館内の保安課に連絡してその指示を受け、許可された者にかぎり門内に入らしめるよう命ぜられており、その命にしたがつて日常の勤務につき部下の指揮監督をしていたものであり、本件当日も森巌は日頃の指示にしたがつて被告人らの闖入を制止しようとしたこと、それにもかかわらず被告人らは判示のように実力を行使して門内に闖入したものであることが認められる。それ故、被告人らの本件行為は到底事前の包括的承諾又は推定的承諾のあつた場合と認めることができず、却つて、正門入口に配置されている警備員の制止をきかず判示一のような態様で押し入つた被告人らの行為は、正当の事由なくして看守者の明示的意思に反し「故ナク侵入シタ」ものといわなければならないので、この点についての主張も理由がない。
(3) 同被告人ら学生達が判示一のようにアメリカ大使館邸宅内に侵入した意図目的は、原水爆実験禁止の陳情のためであつて、その意図目的自体は法的にも道義的にもなんら非難さるべきものではない。しかし、目的の適法性正当性必ずしも住居の侵入を正当づけるものではない。とくに本件の場合、外交館舎の不可侵は国際礼譲からばかりでなく、国際法上も接受国によつて遵守されなければならない原則であるにもかかわらず、これを無視し世間一般の常識をもつてしては陳情行為とは認められない前示のような態様によつておこなわれた本件侵入行為は、目的の適法性正当性にかかわらず刑法第一三〇条の罪を構成し、これを正当行為とすることはできないし、また、刑法第三七条が準用されるべき場合でないことも明らかである。よつてこの点についての弁護人の主張もまた理由がない。
(法令の適用)
被告人中村の判示一の住居侵入の所為は刑法第一三〇条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号、刑法第六〇条に、判示三の(一)の(1)、(2)の各所為はいずれも昭和二五年東京都条例第四四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(以下都条例という)第一条、第五条、刑法第六〇条に、被告人小川の判示二の所為は都条例第三条第一項但書、第五条に、被告人塩川の判示三の(一)の(1)、(2)の各所為、被告人金子、同由井の判示三の(四)の所為はいずれも都条例第一条、第五条、刑法第六〇条に、被告人伊藤の判示三の(二)および(三)の(1)の各所為、被告人松永の判示三の(三)の(2)の所為はいずれも都条例第一条、第五条にそれぞれ該当するところ、以上の各罪の刑についてはいずれも所定刑中罰金刑を選択し、被告人中村の住居侵入罪および各都条例違反の罪は刑法第四五条前段の併合罪であるから同法第四八条第二項を適用して右所定の各罰金の合算額の範囲内において同被告人を罰金一万五千円に処し、被告人塩川および同伊藤の各二個の都条例違反の罪は刑法第四五条前段の併合罪の関係にあるから同法第四八条第二項により右都条例所定の二個の罰金の合算額の範囲内において、その余の被告人についてはいずれも右都条例所定の罰金額の範囲内において、被告人小川、同塩川、同伊藤、同松永、同金子および同由井を各罰金一万円に処し、被告人らにおいて右罰金を完納することができないときは、刑法第一八条第一項、第四項を適用しいずれも金五百円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。訴訟費用については各刑事訴訟法第一八一条第一項但書を適用して被告人七名のいずれにもこれを負担させないこととする。
よつて主文のとおり判決する。
昭和三八年三月二七日
東京地方裁判所刑事第一三部
裁判長裁判官 飯 田 一 郎
裁判官 浅 野 豊 秀
裁判官 大 関 隆 夫