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東京地方裁判所 昭和37年(ヨ)2111号 判決 1965年3月10日

申請人

肥後正彬

代理人

久保田昭夫

外一名

被申請人

オリジン電気株式会社

代表者

後藤安太郎

代理人

馬場東作

外一名

主文

本件申請を棄却する。

申請費用は申請人の負担とする。

事実

第一当事者双方の求める裁判

申請人訴訟代理人は「申請人が被申請人に対し雇傭協約上の権利を有する地位を仮に定める。被申請人は申請人に対し昭和三七年三月以降本案判決確定の日にいたるまで毎月二五日限り金一五、一八九円の割合による金員を支払え。申請費用は被申請人の負担とする」旨の裁判を求め、被申請人訴訟代理人は申請棄却の裁判を求めた。

第二申請の理由

一  当事者の雇傭関係

申請人は昭和三二年四月一日整流器等の製造販売を業とする被申請会社に雇傭され、整流器の組立、配線作業に従事し、当初本社工場第一製造部第二工作課所属、次いで昭和三六年四月一日被申請会社の機構改革により第一整流器部第一製造課第一組立職場小型配線班所属となり、成績優秀の故を以て同日から昭和三七年一月まで同班の副担任者に任ぜられたが、同年二月二〇日かぎり被申請会社から、申請人の勤務態度が不良であること及び同月一七日午前一〇時三〇分頃上長の就労命令を拒否し、上長に対し脅迫的言動に出たことを理由として、懲戒解雇する旨の意思表示(以下、本件解雇という)を受けた。

二  本件解雇の無効

しかしながら、本件解雇は次の理由によつて無効である。

1  不当労働行為

(一) 申請人の組合歴

申請人は昭和三二年七月二一日オリジン電気従業員組合(以下従組という)に加入し、昭和三五年六月二一日従組が全国金属労働組合東京地方本部オリジン電気支部(以下全金組合という)とオリジン電気労働組合(以下、労組という)に分裂した際、全金組合に加入し、同月同組合青年部役員、昭和三六年五月、昭和三六年五月同組合青年部副部長に選任され、同年七月同組合の青年部と婦人部の統合による青年婦人部の発足にともないその副部長に選任された。

(二) 申請人の組合活動

申請人は従組及び全金組合の組合員として、積極的に組合活動に参加したが、その主なるものを列挙すると左のとおりである。

(1) 昭和三三年一一月被申請会社が従業員に対し、高校又は大学卒業資格認定のための試験制度を発表した際、従組はこれに強く反対したが、申請人はその中心的役割を果した。

(2) 昭和三四年八月被申請会社が従業員の独身寮であつた青雲寮廃止を発表した際、従組はこれに強く反対したが、当時同寮に起居していた申請人は最後まで退寮を拒否して、反対運動の主導的役割を果した。

(3) 昭和三五年の春闘においては、申請人は数次にわたる組合大会で活発に発言するなどして積極的に活動した。

(4) 従組分裂後、被申請会社の全金組合に対する執拗な攻撃、分裂工作に対抗し、申請人は青年部役員として青年部所属組合員の脱退防止に努力した。

(5) 昭和三五年七月の夏季一時金要求の組合大会において、申請人は長時間にわたつて発言し活発に活動した。

(6) 昭和三六年春闘において、申請人は行動隊副隊長として積極的に活動した。

(7) 同年六月以後、申請人は全金組合、被申請会社と同業メーカーの従業員の組織する新電元工業労働組合及び東邦産研電気労働組合の各青年婦人部の連絡協議会である三社青年婦人部婦員会の責任者となつて、以来同委員会を指導している。

(8) 同年九月申請人は豊島区労協傘下労働組合の青年婦人部が所属する豊島青年婦人協議会の常任幹事となり、以来同協議会を指導している。

(9) その他申請人は安保闘争、政防法闘争の際には、組合員を率いてこれに参加した。

(三) 被申請会社の従組及び全金組合に対する態度

従組は昭和二一年二月に結成され、産別金属に加盟していたが、産別金属と全国金属の統一により、昭和三三年二月以来全国金属東京地方本部に加盟していた。被申請会社は産別金属又は全国金属に所属する労働組合の存在を快く思わず、活動家の職場からの排除、組合員に対する脱退勤誘及び不利益待遇を行うなどしてその弱体化工作を続け、昭和三五年六月二一日従組が分裂し被申請会社の支持で労組が結成されてからはその傾向が一層顕著になり、労組の育成強化に努めるかたわら、全金組合を誹謗し、その活動の妨害を続けている。

(四) 以上述べた申請人の組合歴、組合活動及び被申請会社の従組及び全金組合に対する態度に照らすと、本件解雇は、被申請会社が全金組合に所属する申請人の正当な組合活動を嫌い申請人を職場から排除し、一方、それによつて全金組合を弱体化することを真の動機とするものであるから、労働組合法第七条第一号の不当労働行為として無効である。

2  権利の濫用

被申請会社の就業規則第六七条によれば、懲戒処分の態様として譴責、過怠金、解雇が定められているが、仮に被申請会社主張のような解雇理由が存するとしても、被申請会社における過去の懲戒処分の実態に照らすと、本件解雇は成績優秀者として副担任者にまで任ぜられた申請人にとつて不当に重い懲戒処分といわざるを得ない。従つて、本件解雇は懲戒権の濫用として無効である。

三  以上述べたいずれかの理由により本件解雇は無効であり、申請人が被申請会社に対しいぜん雇傭契約上の権利を有することは明らかである。しかるに、被申請会社はこれを否定し、申請人に対し昭和三七年三月分以降賃金を支給しない。このため、被申請会社の賃金を唯一の収入源としていた申請人は生活に困窮し、その上、労働組合員として職場で組合活動をする権利を奪われ、これらによつて被る経済的、精神的損害は、本案の勝訴判決の確定を待つては到底回復することができない。しかして、申請人の本件解雇当時の三〇日分の平均賃金は金一五、一八九円で、毎月の賃金の締切日は二〇日、支払日はその月の二五日である。よつて、申請の趣旨記載の申請に及んだ。

第三被申請会社の答弁及び主張

一  答弁

1  申請の理由一の事実のうち、申請人が小型配線班副担任者に任ぜられたのが、成績優秀の故であつたことを否認し、その余は認める。なお、被申請会社は申請人の勤務成績が不良だつたので、昭和三七年一月、申請人の副担任者の地位を解任した。

2(一)(1) 申請の理由二の1の(一)の事実のうち、申請人がその主張の日従組に加入し、従組が申請人主張の日全金組合と労組に分裂した際、全金組合に加入したことは認めるが、その余の事実は不知。

(2) 同(二)の冒頭の事実のうち、申請人が従組及び全金組合の組合活動に積極的に参加した事実は不知、同(1)の事実のうち、被申請会社が昭和三三年一一月申請人主張のような高校又は大学卒業資格認定のための試験制度を発表したことは認めるが、その余の事実は否認する。同(2)の事実のうち、被申請会社が昭和三四年八月従業員の独身寮である青雲寮の廃止を発表したことは認めるが、その余の事実は否認する。同(3)の事実は不知。同(4)の事実のうち、被申請会社が全金組合に対し攻撃、分裂工作を行つたことは否認し、その余の事実は不知。同(5)ないし(9)の事実は不知。

(3) 同(三)の事実のうち、従組が昭和二一年二月に結成され、産別金属に加盟し、昭和三三年二月以来全国金属東京地方本部に加盟していたこと、従組が昭和三五年六月二一日分裂したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(4) 同(四)の事実は否認する。

(二) 申請の理由二の2の事実のうち、被申請会社の就業規則第六七条が懲戒処分の態様として、譴責、過怠金、解雇を定めていることは認めるが、その余の事実は否認する。

3  申請の理由三の事実のうち、被申請会社が申請人の雇傭契約上の権利を否定し、申請人に昭和三七年三月分以降賃金を支給していないこと、本件解雇当時の申請人の三〇日分の平均賃金が金一五、一八九円で、毎月の賃金締切日が二〇日、支払日が二五日であることは認めるが、その余の事実は否認する。

二  主張

1  被申請会社は次に述べる理由によつて、本件解雇をなしたのである。

(一) (無断欠勤等)申請人は昭和三四年九月一五日から本件解雇まで別紙一記載のとおり、無断で欠勤、遅刻、早退及び私用外出をした。

(二) (無断職場離脱)申請人は前同期間中別紙二記載のとおり、就業時間中、無断で職場を離脱して業務を放棄した。なお、被申請会社の昼休時間は午後零時から同四五分までである。

(三) (業務指示不服従等)申請人は前同期間中別紙三記載のとおり上司の業務上の指示に対する不服従、作業態度不良、作業遂行に対する非協力などの非行があつた。

(四) (谷本課長に対する暴言)昭和三七年二月一七日就業時間中である午前一〇時三〇分頃、第一製造課長谷本磯夫が、申請人が他の職場の従業員と約二〇分間にわたつて雑談していたので、申請人に対し就労を命じたが、その際たまたま同課長の手が申請人の上衣にふれた。すると、申請人は手でこれを振切り「汚らわしい。身体にさわるな。少しでもさわつたら承知しねえぞ」と大声を発したので、谷本課長が自己の席で話合うため来席を求めたところ、申請人はこれを強く拒否し、「いよいよ命のやりとりの時が来たな。いつでもやつてやるぞ」と身構えて同課長を脅迫した。

2  前記(一)ないし(三)に述べたように、申請人は長期にわたつて勤務態度が悪く、度々谷本課長及び第一組立職場担任者渡辺光夫から、別紙四及び同五記載の各時期に、同記載の各事項につき注意を受けていたが、勤務態度を改めないばかりか、ついに前記記載のような上司に対する反抗的脅迫的言動に出るに及んだ。そこで、被申請会社は昭和三七年二月一七日懲戒委員会の議を経て、申請人が懲戒事由を規定した就業規則第六六条第五号「素行不良で職場の秩序をみだした者」に該当するものとして、本件解雇に及んだのである。従つて、申請人主張のように本件解雇について不当労働行為又は権利の濫用の成立する余地はない。

第四被申請会社の主張に対する申請人の反論

一(1)  前記第三の二の1の(一)のような欠勤、遅刻、早退及び私用外出の事実は認める。但し、いずれも無断ではない(なお、別紙一の1の本社工場及び本社の従業員と申請人との遅刻回数、時間及びその月の平均に関する比較のうち、本社工場及び本社の従業員に関する部分は否認する)同(二)の事実は否認する。前記のとおり、申請人は昭和三六年四月一日から昭和三七年一月まで第一組立職場の副担任者として、その職務の遂行上他の職場へ行く機会が多かつたが、それは無断職場離脱といわれる筋合のものではない。同(三)の事実は否認する。同(四)の事実は否認する。もつとも、被申請会社主張の日時に、申請人と谷本課長が単なる口喧嘩をした事実はあるが、申請人のその際における発言内容は被申請会社主張の如きものではない。

(2) 前記第三の二の2の事実のうち、別紙四の6及び7の各欄記載の日時に同記載の事項について注意を受けたこと、同5欄記載の日時に作業帽不着用について、同9欄記載の日時に就業時間中の朝礼欠席及び作業帽不着用について、同10欄記載の日時に遅刻、就業時間中の朝礼欠席、作業帽不着用についてそれぞれ注意を受けたこと、本件解雇が懲戒委員会の議を経てなされたことは認めるが、その余の事実は否認する。

二  申請人は極めて仕事熱心で責任感旺盛であつて、このことは職場の同僚のひとしく認めることろであり、また、申請人が副担任者を命ぜられたことによつても裏書される。従つて、申請人の勤務態度が不良であるという被申請会社の主張は当らない。次に、申請人は時折作業帽を着用しなかつたことがあつたが、その理由は、申請人がこれを着用すると頭痛を感ずることによるものであつて、谷本課長に対しても注意を受ける都度、右の理由を申述べていた。更に、被申請会社では、従来遅刻を三〇分単位として年次有給休暇に振替える取扱いをしていた(三〇分単位の遅刻を一六回重ねると年次有給休暇一日として処理される)このため、毎日多数の従業員が遅刻し、従つて朝礼の出席状況も極めて悪いというのが実状である。それ故被申請会社が申請人についてだけ遅刻の多いことを取上げて本件解雇に及んだことは明らかに差別待遇といわざるを得ない。以上の次第であるから、本件解雇の理由についての被申請会社の主張は失当である。

第五  疎明≪省略≫

理由

一当事者間の雇傭関係

申請の理由一記載の申請人の雇傭日時、所属職場、担当職務、本件解雇に関する事実は、当事者間に争いがない。

二本件解雇の効力

1  申請人は、本件解雇は不当労働行為である旨主張するので、以下これを検討する。

(一)  申請人の組合歴、組合活動及び被申請会社の態度

(1) 申請人の組合歴

申請人が昭和三二年七月二一日従組に加入し、昭和三五年六月二一日従組が全金組合と労組に分裂した際、全金組合に加入したことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、申請人は昭和三五年六月全金組合青年部役員、昭和三六年五月青年部副部長に選任され、同年七月青年部と婦人部の統合により組織された青年婦人部の副部長に選任され、本件解雇当時までその地位にあつたこと、被申請会社も申請人が右のような組合役職にあつたことを知つていたことが疎明される。<証拠>中これに反する部分は採用しない。

(2) 申請人の組合活動

被申請会社が昭和三三年一一月従業員に対する高校又は大学卒業資格認定のための試験制度採用を発表し、昭和三四年八月従業員の独身寮の廃止を発表したことはいずれも当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すれば、申請人の組合活動として次のような事実が疎明される。

(イ) (高校又は大学卒業資格認定試験反対運動)被申請会社は、従前普通(全日制)高校又は大学卒業後被申請会社の詮衡を経て雇傭された従業員と、被申請会社に雇傭された後夜間定時制高校又は大学に通学して卒業した従業員とを、共に高校又は大学の卒業資格あるものとして同一基準の下に待遇してきたが、実際上、両者に実力の開きがあるところから、これに同じ待遇を与えることは不合理であるとして、昭和三三年一一月被申請会社に雇傭後夜間高校又は大学の卒業資格を得た従業員に対し試験を行い、これに合格した者にかぎり日頃の勤務成績をも考慮したうえ、普通高校又は大学卒業後被申請会社に雇傭された従業員と同一基準の下に待遇することとし、この旨を前示のとおり発表した。しかるに、受験対象者らはこれに反対し、組合(当時従組)大会、代議員会などでも関係者から強い反対態度の表明があつたので、従組も組合の問題としてこれを取上げ、青年部及び婦人部に直接関係ある事項として、右両部にその処理を任せると共に、被申請会社に対し直接善処方を申入れた。

そこで、青年部及び婦人部では、その頃被申請会社の当面の責任者であつた高橋教育課長に前記試験制度に関する説明を求めたが、その際、申請人は同課長に対し強く右試験実施に反対する意見を述べた。

(ロ) (青雲寮廃止反対運動)被申請会社は従業員の独身寮である青雲寮が朽廃し、立地条件、建築関係法規等の関係からその増改築が困難であつたので、昭和三四年八月一年以内に同寮を廃寮にして他の場所に独身寮を新築することを定め、前示の如く廃止の発表した。これに対し、寮生は廃寮に強く反対し、従組も寮生の自治会である寮生委員会からの共闘の申入に同調して、青年部をその反対運動に当らせることにした。しかして、申請人は右寮生であつて、最後まで反対の態度を変えなかつた一人であるが、右反対運動は、寮生委員会を中心として行われたもので、青年部が中心となつたわけではなかつたのみならず、申請人は寮生委員会でもなかつたので、右反対運動における申請人の主たる活動は、単に寮生の一員として寮生大会で廃寮反対の発言をした程度にすぎなかつた。

(ハ) (行動隊副隊長として行動)昭和三六年の春闘に全金組合はストライキを行つたが、その際、行動隊を組織し、青年部長がその隊長に、副部長である申請人がその副隊長となつた。

(ニ) (豊島青婦協常任幹事として行動)申請人は昭和三六年豊島区労協傘下の労働組合の青年婦人部で組織されている豊島青年婦人協議会(豊島青婦協)に全金組合を代表して常任幹事に選出され、東京信用金庫労働組合の激励、全逓合理化反対等のビラまき、東京都交通局合理化反対の会合への参加など同協議会の活動に参加した。

(ホ) (三社青年婦人部委員として行動)全金組合、被申請会社と同業メーカーの従業員の組織する新電元工業労働組合及び東邦産研労働組合の各青年婦人部は、連絡協議の機関として三社青年婦人部委員会を組織し、各組合から二名の委員を派遣し、闘争の報告その他日常の組合関係事項について相互に連絡をはかつていたが、申請人は昭和三十六年七月以後全金組合から派遣されその委員となつていた。

<証拠>中以上に反する部分は採用しない。以上に判示した事実の外、申請人の主張する組合活動についてはこれを疎明するに足りる資料はない。

(3) 被申請会社の全金組合に対する態度

<証拠>によれば、被申請会社の全金組合に対する反組合意図を推認させるものとして次のような事実が疎明される。

(イ) 昭和三六年五月全金組合に加入するよう勧誘された労組員の星野が、被申請会社本社の会議室で上司から約四時間にわたりこれを思いとどまるよう強く説得された。

(ロ) 昭和三六年七月試採用期間を終了した従業員三名が、被申請会社幹部に本採用後全金組合に加入する意向であることを表明したところ、本採用を拒否された。

(ハ) 同年七、八月頃生産性職場(男子二〇名、女子一〇〇名)所属のただ一人の全金組合員であつた一六才の女子従業員が食堂に配置転換されたが、右食堂の従業員は採用当初から食堂に勤務するものとして採用された男子又は三十才以上の女子のみであつて、従来、二十才以下の女子が配置転換された事例はなく、配置転換された前記女子従業員は定時制高校に通学していた関係上、食堂勤務となつてから労働過重のため退職した。

以上(イ)(ロ)(ハ)の事実の外、申請人主張のような被申請会社の反組合的意図を示すべき事実については十分な疎明がない。すなわち、<証拠>によれば、第一組立職場の担任者で労組の執行委員をつとめたことのある渡辺光夫が部下の全金組合員に労組に加入することを勧誘し、その結果、全金組合員の一人であつた山下好江が同組合を脱退し労組に加入したこと、更に、渡辺は部下の全金組合員の就業時間中の行動に特に注意を払つていたことが疎明されるけれども、他方、<証拠>によれば、職場担任者は被申請会社の最末端の職制に過ぎず、しかも、全金組合と労組は互に勢力を競つてその仲が険悪であつたことがうかがわれるのであつて、これらの事情を参酌すると渡辺の右のような行動が果して被申請会社の意を体していたものかどうか極めて疑わしいといわなければならない。

次に、証人丸田要の証言中には、「従組分裂以前から、被申請会社が分裂後労組に加入した従業員と全金組合に加入した従業員の昇給について差をつけ、前者を後者より優遇していた」旨述べている部分があり、同証言により真正に成立したものと認められる甲第三四号証にも同趣旨の記載があるが、いずれも、<他の証拠>との対照上採用することができない。また、<証拠>によれば昭和三七年一〇月中被申請会社の高橋教育課長において従業員に対し暴行を加えた事実が疎明されるけれども、その原因は不明であるのみならず、右事実は本件解雇後に発生したものであつて、これだけでは、本件解雇の根底に被申請会社の反組合的意図があつたことを疎明するに足りるものではない。更に、<証拠>によれば、昭和三六年九月被申請会社は、同年七月行われた中学卒業の新入社員歎迎会の幹事であつた全金組合員四名に対し懲戒処分(譴責)を行つたことが疎明されるけれども、前記荒井満寿男の証言によると右懲戒処分は、前記歎迎会開催についての全金組合と労組との紛争に端を発して全金組合員である幹事らが女子労組員を脅迫したためなされたものであることが一応認められるから<前掲証拠>中それぞれこれに反する部分は採用しない。)、右処分を以て被申請会社が特に全金組合員に対し差別的取扱をしたものと解することはできない。最後に、<証拠>中には、「渡辺担任者において、昭和三六年七月三日全員が全金組合員であつた小型配線班員の一部を大型配線班に繰入れようとしたこと(別紙三(申請人の非行)の7欄参照)は被申請会社の全金組合に対する分裂策であり、申請人の副担任者解任もまた右同様全金組合分裂策であると共に申請人の同組合からの孤立化を図るものである」とする部分が存するが、これら繰入、解任がいずれも被申請会社の業務上の必要に基く措置であつたことは後記三の(3)説示((二)及び(1)参照)のとおりであつて、被申請会社の全金組合対策とは関係がないものというべく、また、成立に争いのない甲第六、七号証の記載も、そのことだけからは被申請会社の反組合的意図を疎明するに十分でない。

しかして(イ)ないし(ハ)の事実から推せば、被申請会社が全金組合の存在を快しとしなかつたことは否定しうべくもなく、従つて、その意味では反組合的意図がなかつたとはいい難いが、さればといつて、これらの事実だけでは、被申請会社が申請人主張のように従組の分裂を策し、労組を育成強化し、かたわら、全金組合を誹謗しその活動を妨害したものということはできず、他にこれを疎明するに足りる資料のないことは、前述のとおりである。

(4) 被申請会社の申請人の組合活動に対する態度のみならず、申請人は前記のとおり従組及び全金組合に所属し、前記(1)のような組合役職にあつて、前記(2)のような組合活動に従事していたとはいえ、<証拠>によれば、青年部(後に青年婦人部)は常任執行委員会の補助機関である専門局(六局)のひとつとして設けられた青婦対策局の下部組織で、その副部長は組合規約上の役員(正副執行委員長、書記長、会計、執行委員、会計監査、代議員の七役)ではなく、必要に応じおかれるものにすぎないことが認められるから、申請人の占めていた青年部(青年婦人部)副部長の地位は組合の中でもさして枢要な地位とは認められない。また、前記(2)の(イ)ないし(ホ)の組合活動のうち、一応被申請会社の注目をひいたものと推認されるのは、(イ)の高校又は大学卒業資格認定試験反対の活動及び(ロ)の青雲寮廃止反対運動だけであるが、いずれも本件解雇より二年以上も前のことにすぎない。また、(ハ)ないし(ホ)については、<証拠>によれば、被申請会社も申請人が前記のように行動隊副隊長、豊島青婦協常任幹事及び三社青年婦人部委員となつたことを認識していたものと推認されるが(<証拠>中これに反する部分は採用しない。)、これらの地位における申請人の活動が会社の注目の対象となつたことを疎明するに十分な資料はない。かえつて、<証拠>によれば、申請人は団体交渉に出席したときでもほとんど発言したことなく、全金組合員としての存在は被申請会社からさして重視されていなかつたことがうかがわれるのみならず、後記(ニ)のように、被申請会社が申請人に将来の節度ある勤務態度を期待して申請人を副担任者に任命した事実さえある。これらの事情を総合して考えると、被申請会社が全金組合である申請人をその組合活動の故に嫌悪し、企業外へ放遂する意図までも有してたたことは、結局十分な疎明がないといわなければならない。

(二)  申請人の副担任者任命の経緯

<証拠>によれば、申請人の副担任者任命の経緯として次のような事実が疎明される。申請人は前記のとおり当初第一製造部第二工作課に所属していたが、昭和三六年四月一日からの機構改革により第一整流器部第一製造課第一組立職場に所属することに内定した。同職場では、担任者渡辺光夫の下、小型配線班外四班を設け、各班に一名の副担任告をおくことになつたが、小型配線関係では申請人が最先任者であつたので、当然小型配線班の副担任者となるべき順位にあつた。しかし、申請人は従来遅刻が多く、作業中作業帽を着用せず、また、日程も厳守しないでいたずらに上司に反抗するなど日頃の勤務態度から見て、必ずしも副担任者として適任ではなかつたが、渡辺担任者は、申請人が副担任者という責任ある地位につくことによつてその勤務態度も改善され、将来への途も開かれるものと考え、申請人に今後の勤務態度を改めることを誓約させたうえ、申請人を小型配線班の副担任者に推薦した。その際、第一製造課長谷本磯夫は、当初申請人の日頃の勤務態度から申請人を副担任者にすることに難色を示していたが、最後には渡辺担任者の意見を容れた結果、申請人は前記小型配線班副担任者に任命された。

申請人本人の供述中以上に反する部分は採用しない。

(三)  申請人の解雇理由

(1) (無断欠勤等)申請人が昭和三四年九月一五日から本件解雇までの間別紙一のとおり、欠勤、遅刻、早退及び私用外出したことは当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すれば、すくなくとも、右遅刻は事前の届出又は許可なく行われたものであること、しかも、申請人の遅刻回数、時間は、申請人の勤務していた本社工場及び本社従業員に比し著しく多く、昭和三五年及び同三六年の二年間における申請人と他の従業員六九八名(右二年間の平均人員)との遅刻回数、時間及びその月平均の比較は別紙一の2末尾記載のとおりであること、被申請会社では、始業時刻である午前八時から毎日平均約一五分間朝礼を行い、その際、必要な業務上の連絡事項を伝達していたが、申請人は朝礼出席が従業員の義務とされていたにもかかわらず、右のような多くの遅刻の結果、朝礼に出席しない日が他の従業員に比し多かつたことが疎明される。<証拠>中以上に反する部分はいずれも採用しない。

(2) (無断職場離脱)<証拠>によれば、申請人は別紙二の1ないし39記載のとおり就業時間中(午前八時から午後四時三〇分まで。但し、当事者間に争いのない午後零時から同四五分までの昼休を除く)、上司である谷本課長又は渡辺担任者の許可を得ないで自席を離れ業務に従事しなかつたことが疎明される。この点に関し申請人は副担任者としてその職務遂行上他職場又は他班と連絡のため自席を離れることが多かつたから、右離席は無断職場離説による業務放棄ではない旨主張し、<証拠>中にはこれにそう部分が存するけれども、これらは前掲証人斎藤松男の証言中「被申請会社では各課の進捗係及び各職場の準備班が作業日程の樹立、材料、部品の注文その他各職場又は各班相互の作業上の連絡に当つており、副担任者を含め従業員は原則として作業上の連絡のため自席を離れる必要がない」旨の証言に照らしたやすく採用し得ず、他に申請人の前記主張を疎明するに足りる資料はない。それ故、前記離席はすべてこれを無断職場離脱による業務放棄と認めるのが相当である(別紙二40記載の離席の事情は後記(4)判示のとおりである。)。

(3) (業務指示不服従等の非行)<証拠>を総合すれば、申請人の業務指示不服従等の非行として次のような事実が疎明される。

(イ) 昭和三五年三月一四日申請人は担任者から日程に定められたとおり作業するように指示されたが、正当な理由なくこれを拒否した。

(ロ) 昭和三六年三月一八日申請人は作業中雑談をしていた。その際、谷本課長(当時第一製造部第二工作課長)から注意を受けるや、「そんなことでやかましくいうな」といつて、ペンチで床をたたいて反抗的態度を示した。

(ハ) 昭和三六年六月二〇日申請人の所属する小型配線班の仕事が手空きになつたので、渡辺担任者が業務上の必要に基き同班の副担任者である申請人に同班員を大型配線班の作業の手伝に派遣するように指示したが、申請人は正当な理由なくこれを拒否し、かえつて渡辺担任者に対し、「全金組合を分裂させるものだ」といつて反抗的態度を示した。

(ニ) 同年七月三日渡辺担任者がもつぱら業務遂行の円滑を図る目的のため、小型配線班と大型配線班の人員配置の一部を変更しようとしたところ、申請人がこれに協力しないので人員配置の変更が実施できず、作業に支障を来たした。そこで、渡辺担任者が申請人に改めて協力を依頼したところ、右人員配置変更は、右のようにもつぱら業務上の必要に基くものであるのに、「被申請会社の全金組合の分裂策だ」と称してこれを拒否した。その結果、渡辺担任者の意図した人員配置変更は実現しなかつた。

(ホ) 被申請会社は電々公社から警報盤八〇台の発注を受けたので、うち二〇台を小型配線班において製作し、残り六〇台は申請人の製作した見本をそえて外注に出した。ところが、申請人の製作した見本に誤りがあつたため、同年一二月二六日被申請会社で行われた公社係官による立会検査で、外注品六〇台は不合格となつた。しかし、公社係官は検査の終了した午後四時過頃、同日中に右六〇台の不良箇所を修理すれば、合格品として引取る意向を示したので、第一整流器部長斎藤松男は関係者に残業のうえ右六〇台の不良箇所を修理させるよう渡辺担任者に命じた。そこで、同担任者は申請人に右修理のため午後六時まで残業を命じたところ、申請人は正当な理由なくこれを拒み、更に渡辺担任者が申請人に小型配線班員に斎藤部長の命令を伝達することを命じたが、申請人はこれをも正当な理由なく拒んだ。このため、渡辺担任者は急拠他班の従業員の協力を求めて、漸く同日中に不良箇所を修理した。

(ヘ) 被申請会社は従業員に対し工場における作業の安全な遂行のため、作業帽を着用することを指示していた。当初作業帽は従業員が被申請会社から費用の半額の支給を受けて購入していたが、昭和三六年四、五月頃からは被申請会社が現品を支給していた。そして、被申請会社は同年八月頃勤務服装基準を定め、男子従業員は工場において必ず作業帽を着用しなければならない旨を明記した。しかるに、申請人は後記(5)判示のように谷本課長及び渡辺担任者の度々の注意にもかかわらず頭痛を理由にほとんど作業帽を着用せず、谷本課長から頭痛について医師の診断書の提出を命ぜられながらこれに従わないで、かえつて、「自分の無帽の実績は破れまい」などと高言していた。

(ト) 申請人は副担任者就任後も前記のように遅刻も多く、業務遂行に関し非協力的な態度を示し、また作業帽を着用しないなどいぜん勤務態度改善のあとがみられなかつた。そこで、遂に渡辺担任者は昭和三六年末限り申請人を副担任者から解任し昭和三七年一月から外注の係に配置転換させることとし、昭和三六年一二月二七日申請人にその旨を伝え承諾を得たので、同月二九日第一組立職場全員にこの旨を発表した。しかるに、申請人は従前の態度をひるがえし、大声で「俺は承知していない。勝手なことをするな」「みんなよく聞け。ナベさん(渡辺担任者の通称)のいつていることはうそだ。いつも、このように自分勝手なことをする」と虚構をまじえた発言をして渡辺担任者にくつてかかり、一時その場を混乱させ、右配置転換を拒否する態度を示した。

(チ) 昭和三五年一月五日渡辺担任者が前記(ト)の行動についてその意図をただしたところ、申請人は前記配置転換は全金組合に対する切崩しだといつて取合おうとせず、小型配線班にいすわつたまま終日仕事をしなかつた。

(リ) 同月六日前同様申請人が配置転換に応じないまま仕事をしないので、渡辺担任者が申請人に話合いを求めたところ、申請人は、「俺の仕事をやめさせると女子従業員は全員やめてしまうぞ」「後任の鈴木は副担任として不適任である。もし鈴木を副担任者にしないのなら、自分も配置転換に応じてもよい」などと従業員として不穏当な言を吐いていぜん前記配置転換に応じようとしなかつた。

(ヌ) 申請人は被申請会社従業員の陸上競技部のキヤプテンであつたが、昭和三七年二月六日マラソン競技の練習に選手として参加するとの理由で外出許可を求めた。しかし、谷本課長は申請人がかねて脊椎分離症で長期欠勤し、以後作業中身体の不調を訴えるのが常てあつたことから、マラソン選手として出場できる健康状態ではないと判断し、申請人の右申出を許可しなかつた。すると、申請人は「競技の監督として出場し、レースには参加しない」との条件で再び外出許可を求めたので、同課長もそれならばということで外出を許可した。しかるに、申請人は自らの右申出条件に反し当日のレースーに参加した。

以上の事実が疎明される。<証拠>中これに反する部分は採用しない。

(4) (谷本課長に対する脅迫的言動)<証拠>を総合すれば、次のような事実が疎明される。昭和三七年二月一七日午前一〇時過頃申請人は職務上の連絡のため第二組立職場の担任者に会うため同職場に赴いたが、担任者、副担任者とも不在であつたので暫時戻るのを待つ間に同職場の佐々木と立話を交わしたり、退職の挨拶に来た星野カズコに応待するなどして約二〇分が経過した。この時、たまたま職場巡視中の谷本課長がこれを見とがめ、申請人に対し直ちに自己の職場へ戻つて就労するよう命じたところ、申請人は大声を出してこれを拒んだので、同課長が場所柄を考え、自席へ同道して注意を与えるため、「二階へ来い」といつて手を差出した際、その手が申請人の着衣にふれた。すると、申請人は同課長に対し身構えて「けがらわしいさわるな」と大声を上げ、更に「馬鹿野郎。いよいよ命のやりとりをするときがきたな」と脅迫的言辞を弄して同道を拒み、重ねて同課長が申請人に同道を求めたが、これにも応じなかつた。そこで、谷本課長は一旦自席に戻り渡辺担任者を通じて申請人に来席を求めたが、申請人は「執行委員長と話をしろ」とか「被申請会社のやり方は全金組合の分裂を策するものだ」とかいつて遂にこれを応じなかつた。以上の事実が疎明される。<証拠>中これに反する部分は採用しない。

以上(1)ないし(4)判示の事実の外、被申請会社の主張する解雇理由たる事実を疎明するに足りる資料はない。

(5) (谷本課長及び渡辺担任者の注意)<証拠>によれば、次のような事実が疎明される。申請人は谷本課長及び渡辺担任者から別紙四及び五記載の各日時に、同記載の各事項について注意を受けた。特に、谷本課長はかねてから被申請会社の幹部及び従業員の間で申請人の勤務態度について非難、悪評が多かつたので、昭和三七年一月二二日(別紙四の10欄)二時間にわたつて申請人に対し勤務態度を改めるようにさとし、今後改善のあとがみられなければ上司と相談のうえ申請人の処遇について考慮する旨を告げたところ、申請人は今後勤務態度を改め、作業にも協力することを誓約した。<証拠>中これに反する部分は採用しない。

(6) (本件解雇の経緯)<証拠>によれば、次のような事実が疎明される。被申請会社は昭和三七年二月一七日午後零時四五分から午後三時二五分まで開かれた懲戒委員会(被申請会社側委員荒井総務部長、高橋教育課長、斎藤第一整流器部長、全金組合側委員門田委員長、労組側委員石川組合長)に諮問した上、前記のような申請人の日頃の不身な勤務態度及び谷本課長に対する脅迫的言動に照らし、申請人を被申請会社従業員の懲戒事由を定めた就業規則第六六条第五号「素行不良で職場の秩序をみだした者」、第一二号「その他前各号に準ずる程度の不都合な行為のあつた者」に該当するとし、「懲戒解雇に関する同第六七条第三号により申請人を懲戒解雇とするのが相当であるが、申請人の将来を考慮し、もし申請人が同月一九日までに任意退職の申出をすればそのような取りはからいをする」ことを決定し、その旨申請人に伝えた。しかるに、同日まで申請人から任意退職の申出がなかつたので、被申請会社は本件解雇に及んだ。

(7) (解雇理由についての考察)以上疎明された事実によれば、前記(1)ないし(3)のとおり申請人の日常の勤務態度は極めて悪く、反抗的且つ非協力的であり、しかも前記(5)のとおり度々上司から注意を受けたにもかかわらず、また前記(二)のとおり勤務態度を改めることを約して副担任という責任ある地位についたにもかかわらず、なお改善のあとが見られないのは情状において重いというべきである。その上、前記(4)の谷本課長に対する脅迫的言動の如きは、いやしくも上司に対する言動として余りにも常軌を逸するものであつて、<証拠>によれば、谷本課長も短気な性格で、前記(4)の事件の際の申請人に対する態度に多少冷静さを欠くところがあつたと認められないではないが、これを考慮にいれてもなお申請人の右言動を是認することは到底許されない。そして以上(1)ないし(4)の事実はこれを総合考察すれば、被申請会社の職場秩序維持の見地から到底看過できない重大な秩序紊乱であつて、このように職場秩序を乱した申請人は、前記就業規則第六六条第五号に準ずる行為のあつた者として同条第一二号に該当し、同第六七条第三号により懲戒解雇に値するものといわざるを得ない。

(四)  不当労働行為の主張に対する判断

以上のとおり、被申請会社は申請人の組合活動にあまり注目しておらず、他方申請人は懲戒解雇に値するものであつたという事実に、前記(二)及び(三)の(5)とおり、被申請会社は勤務態度良好でなかつた申請人に対し、その反省を期待して副担任者に任命するという異例の措置をとり、しかも、その前後を通じ、上司から度々注意を与えたに拘らず申請人の勤務態度が改まらなくても、副担任者解任という以上にはなんら責任追及の措置をとらないでいたところ、申請人が前記(4)の谷本に対し脅迫的言動に及んだため、ついに懲戒委員会に対する諮問を経て本件解雇を決定するに至った事情をも参酌すれば、本件解雇の真の理由は、全金組合である申請人の組合活動にあつたものではなく、前記(三)の(1)ないし(4)判示のような申請人の職場秩序紊乱行為にあつたものと判断するのが相当である。従つて、申請人の不当労働行為の主張は採用し難い。

2  次に申請人は本件解雇が懲戒権の濫用である旨主張するが、前記1の(三)において判断したとおりの申請人は懲戒解雇に値するものと認められるのみならず、本件解雇が申請人主張のように被申請会社における過去の懲戒処分に比し特に均衡を失していることを疎明するに足りる資料もないから、右懲戒権の濫用の主張もまた採用できない。

三以上の次第であるから、申請人の本件申請は理由がないからこれを棄却し、申請費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。(裁判長裁判官川添利起 裁判官園部秀信 松野嘉貞)

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