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東京地方裁判所 昭和37年(ワ)2403号 判決 1965年1月30日

原告 金森弘吉

右訴訟代理人弁護士 瀬崎信三

被告 高野実

右訴訟代理人弁護士 古屋貞雄

主文

被告は原告に対し別紙目録記載の家屋を明け渡せ。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、主文と同旨の判決および仮執行の宣言を求め、その請求の原因として次のとおり述べた。

原告は、別紙目録記載の家屋(以下本件家屋という)を昭和十九年末頃から被告に期間の定めなく賃貸(昭和三十七年当時賃料一ヶ月金七千円)していたものであるところ、被告に対し、昭和三十七年八月二十八日被告に到達した内容証明郵便をもって、本件家屋の賃貸借契約の解約の申入をした。右の解約の申入は次のような正当事由に基づくものであるから、同日より六ヶ月後の昭和三十八年二月二十八日の経過とともに右契約は終了した。

原告は本件家屋を左のとおり自ら使用する必要がある。

(1)  医師である原告は、本件家屋において医院を開業することを念願し、昭和二十四年被告に対し右家屋の明渡を求めたが拒絶されたので、止むなく北海道北見市に赴き、同所の芝浦精糖株式会社の診療所に勤務して現在に至るものであるが、もはや年令的にも体力が低下し、経済的にも、子供達の教育のためにも、この先永く北海道に在住することは至難である。東京に戻り、医院を開業することが原告の生活を維持するために不可欠である。

(2)  本件家屋は原告の唯一の所有家屋であり、原告が医院を開業するには同家屋を使用する以外に方法がない。近隣に原告の母および兄の家屋、甥の土地があるが、それぞれ各所有者が自ら使用することを必要とするものであり、また、原告が右の家屋または土地を使用して医院を開業するには不適当である。

これに反し、被告は夫婦二人子供二人の住居として本件家屋を使用中のものであり、同所において営業等をしているものではないので、原告の窮状に比すれば、他に移転することもさまで困難ではない状況にある。

よって、被告に対し本件家屋の明渡を求めるため本訴に及ぶ。

被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として次のように述べた。

請求原因事実中、本件家屋を被告が原告から賃借したことおよび原告から解約申入の内容証明郵便がその主張の日に被告に到達したことおよび被告が妻と二人の子供と共に本件家屋を住居として使用している点は認めるが、その余は不知。原告に本件家屋の賃貸借の解約申入の正当事由があること、および右の賃貸借契約が終了したとの点は争う。被告は、原告から本件家屋を戦時中に賃借し、空襲下その安全を守りぬき、且つ一切の修理をなし、生活の本拠として使用し現在に至ったもので、本件家屋の管理者、保護者の役割を果しながら、かつ、賃料を支払って来たものである。また、被告は、その受ける給与は少額であり、かつ、疾病で長期療養中であるため、被告の妻しづ子が本件家屋において近隣の児童、学生に英語の個人教授をし、その収入をもって家計を補っているものであるから、この地を離れて他へ移転することになればその収益を失い、生活に重大な影響を受ける。

さらに、本件家屋は原告の所有ではあるが、もと原告の母キクが建築したもので、事実上同人の管理に属し、右キクは本件家屋と同番地に延六十余坪および延三十五坪の家屋を所有し、かつ、同人の孫名義の約五十坪の空地を所有している。右六十余坪の家屋は訴外キクが二人の孫と居住しているに過ぎないから右家屋を増改築することにより、原告が希望する医院の開設は可能であり、また、右約五十坪の空地に医院を建築することも可能である。さらに、本件家屋に隣接する前記三十五坪の家屋は、賃借人訴外足立格平が昭和三十九年に明渡したので、原告がこれに移転し、開業することが可能であったにもかかわらず、訴外キクらは親族の訴外吉岡承一をして居住せしめたものであって、原告の医院の開業は、原告の母を中心とする親族間で協力すれば、実現可能であるにもかかわらず、あえて被告の生活の本拠である本件家屋のみを原告の使用の対象として明渡を求めるものであり、原告に本件家屋の賃貸借契約の解約申入をする正当の事由はない。

証拠≪省略≫

理由

(一)  本件家屋が原告の所有に属し、原告が昭和十九年末頃同家屋を期間の定なく被告に賃貸したことおよび原告が被告に対し昭和三十七年八月二十八日被告に到達した書面をもって右の賃貸借の解約の申入をしたことは、当事者間に争いがない。

(二)  そこで、原告が被告に対し右の解約を申入れるにつき正当の事由が存在したか否かについて判断する。

≪証拠省略≫によれば次の事実が認められる。

原告は、昭和十五、六年頃慶応義塾大学医学部を卒業し、直ちに軍医として従軍し、昭和二十年に復員した後は、病院等に勤務したが、学位を得るための研究の傍ら医院を開業しようとして、昭和二十四年頃被告に本件家屋の明渡を求めたが、拒絶された。そこで、原告はやむをえず、昭和二十五年頃からは、家族とともにアパートの一室に居住して、勤務の傍ら研究を続け、昭和三十二年頃学位を得るとともに、芝浦精糖株式会社北見精糖所の従業員診療所に勤務することとなり、その頃北海道北見市に赴任し、現在に至るものである。しかして、原告は、北海道に赴任する当時から東京において医院を開業することを切望していたところ、本件解約申入当時すでに四十才の半ばを過ぎ、この期を逸すれば医院を開業することは年令的に容易でなくなり、右の開業については、医療器具等を購入するほか、他に土地家屋を入手し得るほどの経済的余裕は原告にはない。したがって、その唯一の所有家屋であり、医院開設に適する本件家屋を自ら医院として使用するのが原告の年来の計画を実現する最も確実な方法である。さらに、北海道北見地方の風土は原告の体に合わず、健康保持のためにも早く東京に戻ることを必要としており、かつ、子弟の教育も東京で受けさせたい(その後昭和三十九年長男は東京の大学に入学した)希望を有していたものである。

≪証拠省略≫中右の認定に反する部分は措信できないし、他に右の認定を覆すに足る証拠はない。

さらに、≪証拠省略≫を総合すると、原告の母キクは本件家屋に近接して階上、階下合わせて約九室を有する家屋を所有し、これに同女と同女の長男(戦死)の子二人および原告の兄訴外吉岡承一とその家族(昭和三十五年頃から昭和三十九年五月末まで)が居住し、右の家屋の四室は他に間貸しをして同女らの生計の資としていること、原告の妻と原告の母きくとはその関係が円満を欠き、同居することは困難であること、同家屋の南側には約五十坪の空地があるが、右はキクの長男の子訴外金森重道の所有地で、貸駐車場として使用し、将来は同人の家屋を建築する予定であること、本件家屋の北側に隣接して存在する三十余坪の家屋は訴外吉岡承一の所有で、昭和三十九年五月末までは賃借人が居住(以後は右吉岡が明渡を受けて居住)していたものであることが認められ、右の使用状況等からみると、被告が主張するように原告が当然自己所有家屋以外の右の土地家屋を使用して医院を開業するのが相当とは認めがたく、他にかく認めるに足る証拠はない。

一方、被告側の事情についてみると、≪証拠省略≫によれば、次の事実が認められる。

被告は、戦時中原告から本件家屋を賃借して、妻および二人の子とともにこれに居住し、数回にわたり自費で本件家屋を修理し、かつ、部屋および廊下の一部(合計二坪余)の拡張等の改造工事を加えた。被告は、昭和三十二年以降全国金属労働組合副中央執行委員長となり、同組合の専従としての収入は一ヵ月約四万円で、大学生および中学生の子を有する家庭としては経済的に楽ではなく、かつ、被告は病身であるので、昭和三十四、五年頃から被告の妻倭文子が本件家屋の八畳の室を使用して近隣の子弟に英語を教え、生計を補っているものである。

右の認定に反する証拠はない。

以上認定の諸事実を総合して考えると、本件家屋の賃借人である被告においても、本件家屋を必要とする事情にあることは認められ、かつ、本件家屋の修理等のため相当の出費をしたことが推認されるのではあるが、原告が医師として、年来の医院開業の希望を実現し、かつ健康を保持するため、北海道から復帰して本件家屋を医院として自ら使用することを必要とする事情においてまことに無理からぬものがあると認められ、両者の前認定の諸事情を比較衡量した結果、原告は被告に対し本件家屋の賃貸借につき前記のとおり解約を申入れるについて正当な事由を有していたものと認められる。

右のとおりであるから、原、被告間の本件家屋の賃貸借は、原告の前記解約の申入が被告に到達した日から六ヵ月後である昭和三十八年二月二十八日の経過により終了したものというべく、被告は原告に対して本件家屋を明渡す義務がある。よって、原告の請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し、仮執行の宣言の申立については相当でないと認めてこれを却下し、主文のとおり判決する。

(裁判官 外山四郎)

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