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東京地方裁判所 昭和37年(ワ)9957号 判決 1964年4月03日

原告 成恵不動産株式会社

被告 株式会社日本勧業銀行

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金二〇〇万円及びこれに対する昭和三七年一二月一五日以降完済まで年六分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求めた。

原告訴訟代理人は、請求の原因として、「原告は、訴外学校法人小松原学園(以下訴外法人という)に対し、浦和地方裁判所昭和三七年(ワ)第一〇三号約束手形金請求事件の確定判決による二〇〇万円の手形金債権を有するところ、同訴外法人が昭和三七年三月二九日右約束手形の不渡にともなう取引停止処分を免れるため被告銀行浦和支店に、預託した二〇〇万円のいわゆる異議申立提供金の返還請求権を仮差押債権として同年一一月一六日浦和地方裁判所同年(ル)第一〇四号並びに同(ヲ)第一四二号債権差押並びに転付命令を得、同命令は同月一七日被告浦和支店に送達された。しかるに右異議申立にかゝる事故解消によつて同年四月六日右提供金が東京銀行協会を通じて被告浦和支店に返還されているにかかわらず被告はこれを原告に支払わないので、本訴状送達の翌日である昭和三七年一二月一五日以降商事法定利率による年六分の割合の損害金を附加して右預託金二〇〇万円の支払を求める、と述べ、

被告の抗弁事実をすべて認め、再抗弁として、

(1)  東京手形交換所規則並びに同事務取扱要領によると、右預託は、訴外法人を受益者とする信託行為であると解するを相当とするから、信託法によるべきところ、被告主張の相殺の特約によると、預託者の有する右預託金返還債権をその弁済期到来前においても被告銀行が反対債権をもつて相殺することができ、従つて信託の受託者が信託の目的の完遂前に信託財産による利益を享受することになる。仮りに右預託をもつて委任と解したとしても、受任者がこのように反対債権をもつて相殺することは委任事務完了後委任者に引渡すべき金銭をその完了前に自己のために消費したことになり、委任事務処理の目的に反する。そして、いずれにしても受託銀行の恣意により異議申立提供金を喪失させて預託者を取引停止処分に追い込むことがゆるされる結果となるから、かかる相殺はゆるされない。従つて被告主張の相殺の特約は無効であり、被告のなした相殺の意思表示は、右特約に基くと民法に基くとを問わず無効である。

(2)  原告は、昭和三七年三月三〇日前記提供金返還請求権を被差押債権として仮差押命令を浦和地方裁判所に申請し、同命令は被告のなした相殺の意思表示に先立つて同月三一日に被告銀行に送達された。ところで、仮りに被告の主張する相殺の特約が有効で、これに基く相殺が有効になされたとすると、その後に差押命令並びに転付命令が出されても転付の効力は生じないのであるから、相殺の特約はその実質において債権譲渡禁止の特約となるところ、債権が相殺前に仮差押されている場合においては、かかる債権譲渡禁止特約の存在を知らない善意の仮差押債権者に対しては右特約をもつて対抗することはできない。原告は特約の存在を知らずして善意で右仮差押命令を得たものであるから、特約をもつて対抗されない。」と述べ、

(3)  仮りに以上が認められないとしても、被告銀行の相殺は権利濫用として無効である。本件異議申立提供金の預託は、訴外法人の振出した約束手形の受取人が割引いた金員を持逃げされたことにもとづいて、訴外法人が不渡処分に対して、交換所規則にいう「信用に関せざるもの」としてなしたもので、別の手形不渡により取引停止処分に付されて本件提供金は被告銀行に返還されたのであるが、かかる場合は法律上は訴外法人が支払義務を負うべきものであるから、被告銀行としては異議申立をすべき筋合ではない。にも拘らず被告銀行は訴外法人に対する手形貸付債権の回収を図るために訴外法人から右提供金を預託せしめ、これと相殺したことは、一般債権者を害してひとり利益を受けるものである。」と述べた。

証拠<省略>

被告訴訟代理人は、答弁として、請求原因事実をすべて認め、抗弁として、原告主張の被転付債権が相殺によつて消滅したものと主張し、

「(1)  (被告銀行の自働債権と相殺)

被告銀行は、訴外法人に対し、昭和三六年七月二一日付手形取引約定書に基き、昭和三七年二月二七日、同年三月三〇日、同年同月三一日各弁済期到来の貸付金債権金七一〇万円の残債権金六六〇万円を有したが、これを自働債権とし、原告主張の預託金債権二〇〇万円を受働債権として、昭和三七年四月六日右預託金債権の弁済期到来と同時に対当額で相殺し、その意思表示は同月七日訴外法人に到達した。従つて、右相殺により右預託金債権はすでに消滅しているから、原告の請求は理由がない。

(2)  (被告銀行と訴外法人との間における相殺の特約)

前記手形取引約定書中には、「借主が他の債権者から仮差押仮処分等を受けたときは、借主の被告銀行に対する預金その他の債権の弁済期が到来していると否とにかかわらず、被告銀行は借主に対しこれら預金その他の債権と手形貸付金債権とを任意に相殺できる。」旨の特約があるところ、訴外法人と被告銀行との間には本件預託金の差入れに当つて差入証書をもつて預託金に質権が設定され且つ右相殺の特約が適用されることが確約されている。従つて被告銀行は、手形貸付金債権と預託金返還債務とを相殺する利益と期待とを持つていたというべきであり、この期待と利益は仮差押債権者に対抗し得べきものと考えられるから、前記(1) の相殺は右特約によつて有効である。

(3)  仮りに相殺の特約について右主張が進められないにしても、被告銀行のなした相殺は民法上の相殺として有効というべきである。」と述べ、

原告の再抗弁事実はすべて認めるが、法律上の主張は争う、」と述べた。

証拠<省略>

理由

原被告双方主張の各事実はすべて当事者間に争がない。

よつて被告主張の相殺の効力について判断する。

一、東京手形交換所規則第二一条に不渡手形の返還をした銀行が「信用に関せざるもの」と認め、不渡手形金額に相当する現金を提供して異議を申立てる旨の規定があり、また、「手形不渡届に対する異議申立等取扱要領」六、Bに、第一、手形義務者と手形債権者との間の紛争が解決して信用上の問題が解消し、不渡手形の返還を受けた銀行も取引停止処分に付する必要がないと認めて、不渡処分の取止め請求書を交換所に提出した場合、第二、手形義務者が別の手形の不渡のため取引停止処分を受けた場合、第三、手形義務者が取引停止処分を止むなしとする場合、第四、三年を経過した場合、の四つの場合に手形交換所から異議申立金が返還される旨の規定が置かれている。

さて、冒頭認定の事実によれば、訴外法人は被告銀行に対して異議申立提供金として不渡手形金額相当額を提供し、取引停止処分猶予のため異議申立をすることを依頼し、被告銀行は右規定第二一条に基いて異議を申立てた後右取扱要領六B第二の場合の処置をした結果、異議申立提供金が被告銀行に返還されたものであるところ、訴外法人と被告銀行との間に一種の委任契約が成立しているものと認められる。原告は信託法の信託であると主張するが、受託者たるべき被告銀行が受託財産たるべき提供金を自らの自由意思と自らの計算により積極目的をもつて、管理処分して委託者のため有利な経済活動を図るものではないのであつて、提供金はそのまま東京銀行協会を通じて手形交換所に提供し、消極的に一定の事由ある場合に手形交換所から返還を受けてさらにそのままこれを預託者(委任者)たる訴外法人に返還する関係に在るに過ぎないのであるから、原告の主張は相当でない。

ところで、もし銀行がいつでも交換所に対し提供金の返還を請求し得るものであり、銀行が望むならば、随時、提供金の返還を請求し、預託者(委任者)に対する返還債務を発生させ、自由に相殺できるものであるとすれば、銀行が提供金の返還を自己の都合により請求し、預託者を取引停止処分に追い込むことになるから、銀行としては預託者に対する委任契約上の義務に反することになる。この意味におては原告の主張は考慮すべき余地があるが、本件においては、被告銀行にかかる恣意処分はなく、取扱要領六B第二の場合により返還債務が発生した後すなわち委任事務終了の後に相殺したものというべきであるから、受任義務違反をいう原告の主張も相当でない。

二、次に、仮差押債権者と第三債務者の地位を考えてみる。仮差押の効果として、債務者は被差押債権につき取立、弁済の受領その他債権を消滅させるような一切の処分を禁止せられることになり、その結果第三債務者もこの禁止に反する債務者の行為に応じてはならない制約を受けることになるが、これは債務者に対する仮差押のいわば反射的効果として、第三債務者が蒙る制約であるというに過ぎないのであつて、第三債務者は仮差押があつたからといつて、自己に何らの責任のない、他人の行為の介入によつて、仮差押債権について仮差押前から有する抗弁権その他正当に保護せられるべき利益を害せられるべきものではない。民法第五一一条は、支払の禁止を受けた第三債務者に対し、その後に取得した債権による相殺につき差押債権者に対抗することを得ず、と規定するが、これによつてみても、支払の差止の前に取得された債権についての相殺は、少くともその弁済期が被差押債権の弁済期以前に到来する場合において、差押債権者に対抗することができることは明らかである。

これを本件についてみれば、原告のなした仮差押は昭和三七年三月三一であつて、自働債権は昭和三六年七月二一日の手形取引約定書による手形貸付によつて右仮差押前に発生しており、受働債権は昭和三七年三月一九日の異議申立提供金の預託による委任契約によつて発生していて、しかも前者の弁済期は、後者の弁済期より以前に到来しているのであるから、被告銀行のなした同年四月六日の相殺は有効である。被差押債権たる異議申立提供金返還請求権は同月七日相殺の意思表示到達によつて消滅し、原告が右債権につき転付命令を得たときにはすでに右債権は存在しなかつたというべきである。

従つてこの点については相殺予約の性質やこれに対する原告の抗争について一々判断するまでもなく、被告のなした相殺は有効であると認められる。

三、さらに、原告の権利濫用の主張について判断するのに、被告銀行が当初から異議申立事由がないことを知りながら訴外法人から異議申立提供金を預託させ、被告銀行の訴外法人に対する手形貸付債権の回収のため相殺を企図したと認めるべき証拠はなく、他に権利濫用の相殺ということのできる事情を認めるに足る証拠はない。従つて原告の右主張は採用することができない。

四、よつて原告の本訴請求はいずれよりするも理由がないので、これを棄却することとし、訴訟費用については民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 立岡安正 岡山宏 秋元隆男)

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