東京地方裁判所 昭和38年(ヨ)2165号 決定 1964年4月27日
申請人 高野達男
被申請人 三菱樹脂株式会社
主文
一、申請人が被申請人に対し、労働契約上の権利を有する地位を仮りに定める。
二、被申請人は、申請人に対し昭和三八年七月一日以降毎月二〇日限り二二、八九〇円を支払え。
三、申請費用は被申請人の負担とする。
(注、無保証)
理由
第一、申請人が求めた裁判
主文同旨
第二、当事者間に争のない事実
一、被申請人会社(以下「会社」ともいう。)は、従業員約二、二〇〇名を擁し合成樹脂パイプ、板等の製造を業とするものであり、申請人は、昭和三八年三月東北大学法学部を卒業し、同月二八日試用期間を同日から三カ月、賃金は一カ月二二、八九〇円毎月二〇日払と定めて会社に雇傭され、本社営業部に勤務してきたものである。
二、会社は、同年六月二五日総務部長久野賢を通じて申請人に対し、申請人を本採用しない旨口頭で通告し、次いで同月二九日文書を以つて同月二八日付で申請人を本採用しないと意思表示した。
第三、争点
一、申請人の主張
(一) 申請人と会社との前記雇傭契約にいう「三カ月の試用期間」とは、申請人が将来の会社幹部の要員として後記長浜工場、本社営業部などの現場作業につき一応の知識経験を得させるための単なる見習期間の意味にすぎず、従つて本件雇傭契約はいわゆる試用契約の性質を有するものではなく、申請人は当初から本採用になつているのであるから、会社の本採用拒否の意思表示はその前提を欠きなんらの効力をも生じない。
(二) 仮りに本件雇傭契約が試用契約であるとしても、本件本採用拒否の意思表示は、次の理由から無効である。
1 およそ試用者を従業員として不適格として本採用を拒否するについては、企業目的上の合理的理由に基くものであることを要し、右適格性の判断は、もつぱら試用期間中に提供された当該試用者の労働力の評価によつてなされるべきものであるところ、申請人は入社以来他の同年度大学卒採用者とともに長浜工場における実習に参加してこれを無事に終了し、同年四月三〇日からは本社営業部フォーム課に配属されて誠実に勤務し、勤務上何らの欠陥もなかつた。会社が主張する後記本採用拒否の理由は、右労働力の評価と全く関係がなく、それ自体従業員として不適格の実質的要件をなすものではないのみならず、申請人には右理由に該当する事実もないのであるから、本件本採用拒否は合理的理由を欠き、無効である。
2 さらに本件本採用拒否は、申請人の思想信条を理由とする差別待遇であるから、憲法一四条一項、一九条、労働基準法三条に違反し無効である。すなわち、会社は後記のとおり申請人が入社時に提出した身上書に学生自治会役員の経歴を故意に記入せず、また面接試験の際学生運動には全く関心がない旨虚偽の回答をしたことを指摘し、この故に申請人が不誠実で信頼性を欠くものと認めて本採用拒否の理由とするものであるが、会社がその根拠として指摘する上記事実自体からみて、会社の本件採用拒否の真意は、学生運動の経験ないしこれに対する関心から憶測した申請人の思想信条を理由とするものであることが明らかである。
(三) 右(一)の理由により申請人はもともと本採用による労働契約上の地位を有していたか、または本件雇傭契約を試用契約のいかなる類型のものと解するにせよ、右(二)の理由により本採用拒否の意思表示が無効である以上、試用期間の経過とともに申請人は当然に本採用による労働契約上の地位を取得したものである。
(四) 保全の必要
申請人は、会社から受ける賃金以外に生活資源がなく、本案判決の確定をまつていては、生活が危殆に瀕する。
二、会社の主張
(一) 本件雇傭契約は試用契約であつて右契約に定める三カ月の期間は、申請人が主張するような単なる実習過程として設けられたいわゆる見習期間ではなく(ただし、会社の取扱規則上は、申請人のように毎年定期に採用する試用者を「見習」、その試用期間を「見習期間」と呼称している。)、その間試用者の従業員としての適格性につき会社内外の調査所見を取りまとめ、これを総合判断して本採用の可否を決するための試用期間にほかならないから、申請人の主張は当らない。
(二) 会社の申請人に対する本採用拒否の理由は次のとおりである。
1 会社は、大学卒業者の採用については将来会社幹部になるべきものとして特に誠実な性格の持主であることを重視し、この見地から学生時代に学外活動に重大な関心をもつて行動する団体の所属員であつた者や右のような学生運動の経験を有する者に対しては、会社業務に誠実に専念することを期待し難いので、これを採用しないとの方針をとつた。
2 会社は右採用方針を貫徹するため、採用希望者に提出させる身上書の学校関係欄に特に「学内諸団体委員部員の経験」の有無を記載する項を設けるとともに、身上書記載注意として、記載事項に虚偽があつたり事実の記載を怠つたときは採用を取消すことがある旨を記しておいた。
3 しかるに申請人は、昭和三五年東北大学川内分校在学当時同大学学生自治会役員に就任し、いわゆる安保反対斗争等の学生運動に携わつていたにも拘らず、上記身上書に右該当事実を故意に記載せず、更に面接試験の際、会社側の面接員が「学生運動をしたことがあるか」と質問したのに対し、「学資を得るため学友会生活部員の仕事が忙しく学生運動には興味がなかつた。」と答えて学生運動関与の事実を故意に秘匿した。
4 会社は、試用中の調査により申請人に上記該当事実があることを知つたので、以上のような詐術的手段を用いて入社を企図した不誠実さを理由に申請人を将来の幹部職員として不適格と認め本採用しなかつたのであつて、申請人の思想信条を理由としたものではない。
(三) 会社と申請人との間の雇傭関係は、試用契約の本旨に従い本件本採用拒否の意思表示によつて終了したのであつて、右意思表示の無効を前提とする本件仮処分申請は理由がない。
第四、争点の判断
一、本件本採用拒否に至るまでの申請人の雇傭契約上の地位
(一) 会社の就業規則によれば、新たに採用された者は「見習」又は「試用」としその取扱いについては別に定めることとされ、さらに会社の見習試用取扱規則によれば、「見習」とは「定期採用者を社員に本採用する前に期間を定めて業務を見習わせる者」、「試用」とは「不定期採用者で本採用前に期間を定めて試みに使用する者」と各定義され、なお見習及び試用期間は原則として採用後三カ月以内とし、右期間経過後本人の志操素行技能勤怠等について審査の上本採用の可否又は期間の延長を決定し、本採用を決定した者には見習又は試用期間が終了した月の翌月一日付で本採用の辞令を発行すると定められている。
右規則の文言によれば「見習」と「試用」とは単に採用の時期が定期のものであるか否かによる呼称上の区分にすぎず、いずれも新採用者で試の使用期間中にある者についての呼称である点に変りがないことを読みとれるのみならず、会社における実際の取扱においても、申請人のような大学卒の定期採用者には将来幹部要員として特別の教育実習が行われるほか、両者の間に格別の差異は認められない。そして、会社は約三カ月の見習期間後審査の上適格者を本採用することを明示して大学に新卒者の推せんを依頼し、申請人は大学の推せんを経て会社の求人に応募したのであるから、右のような雇傭条件は申請人において当然知つていたと認められる。
以上によれば、申請人と会社との間に成立した雇傭契約はいわゆる試用雇傭の性質を有し、三カ月の期間は法にいう試の使用期間とみるべきものであつて、それが単に将来の会社幹部として現場作業につき一応の知識経験を得させることを目的とした実習期間にすぎないとの申請人の主張は理由がない。
(二) ところで、右のような試用雇傭が本来の予定された継続的労働契約との関係でどのような法的意味を有するかは試用に関する双方の合意のいかんによつて必ずしも一律ではなく、右合意の意味内容は、前記会社の規則のほか会社における実際の取扱いや一般慣行等を総合して解釈せらるべきものである。新採用者に対する会社の実際の取扱いについてみると、前記就業規則には新採用者は採用の際労働契約書、履歴書、身上調書等を提出する定めになつているが、労働契約書については、身元保証人二名の連署を要するとの点で、会社従業員で組織する三菱樹脂労働組合(以下「組合」という。)と折合がつかないまま、会社は従前から新採用者と本採用者とを問わずこれを徴収していないこと、本採用の際交付する辞令は何某を当会社社員に採用するというような形式のものではなく、単に新配属職名を掲げてそこに勤務を命ずるという形式の辞令を発して、これを基本給通知書と共に本人に交付する方式をとつていること、試用者の本採用決定は勤務評定を伴なう各所属長からの上申に基いて行われるが、従来大学卒定期採用者で不適格を理由に本採用を拒否された者は、実際には申請人を除いて一名もなかつたこと、大学卒定期採用者については前年秋には履歴書、身上調書等を徴して書面及び面接による選考を経て採用を内定するのが例であつて、申請人の場合前年の一〇月一三日に採用内定通知を発していることが認められる。
以上にみた労働契約書提出時期についての建前と慣行、本採用に際しての辞令の形式大学卒定期採用者の採用内定から本採用に至るまでの実情等を前記見習試用取扱規則の規定内容と照らし合せて考えてみると、少くとも大学卒定期採用者については、新採用が決定して入社すると同時に試用に関する合意を付款とした本来の継続的雇傭契約が会社との間に成立したとみるのが相当である。即ち、所定の試用期間は会社においてその間新採用者の社員としての適格性を調査判断するために設けられたもので、新採用者を従業員として不適格と判断できる合理的事由が存在すれば、会社は右期間内でも本採用拒否を決定できると共に、試用期間(本件の場合正確に言えば「見習期間」が満了した月の末日まで。以下同様である。)が経過するまで本来の雇傭契約の効果の発生を停止する約定(さらに、試用期間の延長を相当とする合理的事由がある場合にこれを延長し得る旨の約定をも包合するが、この点は本件の争点に関係がない。)について双方の合意があつたものと解すべく、これを換言すれば、会社は申請人との間に本採用を不適格とする合理的事由の具備を要件とする試用期間内の解約権を留保すると共に、申請人が上記事由を具備することなしに、又はこれを具備しても右解約権を行使されることなしに試用期間を経過することを停止条件として、本採用の雇傭契約を締結したものであつて、本件本採用拒否は右約定に基く停止条件付雇傭契約解約の意思表示にほかならないものと解されるから、もし右意思表示が上記約定の実質的要件を欠き無効である場合には、申請人は試用期間の経過と共に当然に本来の雇傭契約に基く本採用の社員たる地位を取得するものと言わなければならない。
二、本件本採用拒否の理由
(一) 会社が申請人の本採用を拒否するに至つた経緯は、次のとおりである。
1 会社は大学卒業者採用の一般基準としてそれらの学卒者が将来会社幹部となるに適しい学識技能を具備すべきことは勿論会社のために誠実な志向性格の持主であることを重要な条件とし、かかる見地に立つて学生時代に学外の政治活動又はこれに準ずる学生運動の経験をもつ者は会社の業務に誠実に専念することを期待し難いものと目し、過去に学生自治会の役員の経歴を有し又は学生運動に携わつた経験を有する者は採用しないとの方針を決めていた。
それで会社は、採用志望者から徴する身上書中の学校関係欄に「学校又は自治会運動文化部等学内諸団体委員部員の経験(名称期間)」の記載項目を設け、また昭和三七年九月二八日の採用面接試験の際に会社の田端総務課長から申請人に対し「学生運動をしたことがあるか。」と特に発問した。これに対し申請人が提出した身上書の右該当欄には「放送部(一年時)学友会生活部員(一ないし四年時)」とのみ記入されており、また面接試験の際における上記発問に対し申請人は「学資を得るため学友会生活部員の仕事に忙しく、学生運動には興味をもたなかつた。」と答えた。
2 しかるに会社は、その後申請人の試用期間中に申請人が昭和三五年頃東北大学川内分校在学中学生自治会常任委員に就任し安保改定反対等の政治活動に従つた事実が判明したとし、前記身上書の記載及び面接における応答は申請人が故意に学生運動関与の事実を秘匿して入社を企図したものであると判断した上、申請人が誠実性に欠け将来の幹部要員として信頼できないとの理由を掲げてその本採用を拒否するに至つたものである。
(二) そこで、まず会社が主張する本件本採用拒否理由の当否について検討する。
1 会社は、申請人は昭和三五年東北大学川内分校在学当時同分校学生自治会の常任委員に就任したことがあるにもかかわらず右経歴を身上書の該当欄に記載しなかつたと主張するけれども、申請人が右のような経歴を有する事実についてはこれを確認するに足りる疎明がない。従つて、身上書にその記載のないことを捉えて申請人の不信性を認める資料とするのは当らず、この点に関して会社の本採用拒否はその理由を欠くものと言うべきである。
2 次に面接試験における応答についてみるのに、その際の問答の内容は前認定のように極めて簡単な具体性に乏しいものであつて、問答に用いられた「学生運動」とか「興味をもたなかつた」と言うような表現だけでは、それが具体的にいかなる行動やどの程度の関心を意味するものか必ずしも判然としない。一方申請人が東北大学川内分校に在学中の昭和三五年当時同分校学生自治会がいわゆる全学連の一翼として安保改定反対等の学生運動に関与し、また同年末の同自治会役員選挙に当り申請人が立候補者の推せん人の一人として名を連ねていることは認められるけれども、申請人が他に学生運動に従事し又はこれに特別の関心をもつていた事実を認めるに足りる疎明はない。
面接試験における問答の態様と申請人の学生自治会関与の程度とが以上のとおりであるとすれば、申請人の面接試験における上記応答内容をもつて申請人の不信性を表明したものと断ずるのは早計の譏りを免れないのみならず(採用志望者としていわゆる学生運動関与の事実が選考上不利に作用するものと憶測するのは自然の情であり、この点に関し進んで正確な回答を期待することは、むしろ酷とも言えよう。)、本件本採用拒否は前判示のとおり条件付雇傭契約の解約、即ち解雇の性質を有するものであることを考えるならば、仮に申請人の前記応答に多少事実と齟齬する点があつたとしても、この一事をもつて雇傭関係を継続し難いほどの不信性が表明されたものとはとうてい首肯し難く、本採用拒否の合理的理由とすることはできない。
3 他に申請人が試用期間中勤務成績、勤務態度、労働能力等の点において従業員として不適格と評価さるべき事由の疎明はない。そうだとすれば、前判示のように合理的理由に基かない本採用拒否の意思表示は、試用契約の本旨に反し無効というべきである。
(三) 1 さらに疎明によれば、会社の本件本採用拒否の真の意図は、上記主張のような身上書の記載、面接応答における申請人の不信性を理由とするのではなくして、申請人の東北大学在学当時同大学学生自治会が全学連の一翼として安保改定反対等の政治活動を行つた事実と一私人からの不確かな伝聞資料とによつて軽々に申請人が自治会常任委員として右政治活動に積極的に関与したものと即断し、この前提に立つて申請人を過激な共産主義的思想の持主と憶測した上、その故をもつて申請人を企業の埒外に排除するにあつたことを推認するに十分であり、前認定の会社の学生運動経験者不採用の方針や申請人の本採用拒否に合理的理由を欠く事実も右認定を裏づける資料とすることができる。
2 申請人が仮に前記会社が憶測するような政治思想の持主であつたとしても、右思想が申請人の言動として外部に現われ、その言動が会社の企業経営上現実に有害危険な影響を及ぼした事実についてなんら疎明のない本件において、前認定の意図に基く会社の本件本採用拒否は、申請人の信条を理由とする差別的取扱として、憲法一四条一項、労働基準法三条に違反し無効というべきである。
三、以上いずれの理由からしても、本件本採用拒否は無効であり、他に申請人を従業員として不適格とする合理的理由についての疎明は存在しないから、申請人は前判示のとおり約定の試用期間が経過した昭和三八年七月一日をもつて当然本採用の社員たる雇傭契約上の地位を取得したものというべきである。しかして、当時の申請人の賃金月額が二二、八九〇円でありその支払日が毎月二〇日であることはいずれも争がないから、会社は昭和三八年七月一日以降毎月二〇日限り一カ月二二、八九〇円の割合による賃金の支払義務がある。
四、保全の必要
申請人は、他に特別の資産を有せず労働者として会社から受領する賃金を唯一の資源として生計を維持しているものであることが認められ、本案判決の確定をまつていては、その生活に回復し難い損害を蒙るべきことは明らかであるから本件仮処分はその必要がある。
五、結論
よつて申請人の本件仮処分申請は凡て理由があるから、保証を立てさせないでこれを認容することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり決定する。
(裁判官 橘喬 吉田良正 三枝信義)