東京地方裁判所 昭和38年(ワ)5834号 判決 1968年9月26日
原告 飯田レツ 外四名
被告 国
訴訟代理人 小尾和雄 外一名
主文
1 被告は、原告ら各自に対し、四四、〇〇〇円およびこれに対する昭和三八年七月二七日より各支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は、被告の負担とする。
事 実 <省略>
理由
一、原告らが、昭和三八年三月二〇日、被告との間に本件土地を、代金二二〇、〇〇〇円で被告から買受ける契約を締結し、即日、代金を支払つたことおよび本件土地は、原告ら所有の四一四番の一土地内に南北にわたり帯状に存在する土地であつて、原告らは、これを土地台帳および不動産登記簿に登載および登記されていない脱落地で旧畦畔たる国有地として被告から払下げを受けたものであることは当事者間に争いがない。
二、原告らは、本件土地は、原告ら所有の四一四番の一の土地の一部をなすものであり、国有地としての旧畦畔は、当初より存在しなかつたと主張するので、この点について判断する。
1(本件土地払下げ問題が生ずるに至つた経緯)
(一) <証拠省略>によれば、四一二番の一から六まで、四一三番の一から五まで、四一四番の一から四まで、四一五番の一から五まで、四一六番の一、二の各土地の大よその配置は、原告らが別紙図面において主張するところと同一であることが認められる。
(二) <証拠省略>を綜合すると、つぎの事実が認められる。
(1) 四一二番の二から五までは四一二番から、四一三番の二から四までは四一三番から、四一四番の二、三は四一四番から、四一五番の二から四までは四一五番から、四一六番の二は四一六番から各分筆された土地であり、四一二番の六、四一三番の五、四一四番の四(本件土地)および四一五番の五は、昭和三八年前後に旧畦畔たる無籍の国有地として国有財産台帳に登載の上所有権保存登記がされ、その際、各地番が附されたものである。
(2) 藤岡栄作は、家督相続により四一二番から四一五番までの各土地の所有権を取得したが、昭和二〇年一一月二二日、これらを飯田寅吉に売却した。
飯田寅吉は、昭和二八年一月一三日死亡し、即日、原告らおよび飯田基が共同相続によりその所有権を取得し、その後、昭和三五年四月一九日、原告らは、飯田基よりその共同相続による持分を取得した(四一四番の一の土地が、原告らの所有であること自体は、前記一で示したとおり当事者間に争いがない。)。
なお、四一六番の土地は、訴外大吉寺の所有であつた。
(3)(イ) 昭和三四年中、四一四番の二、四一五番の二および四一六番の一の各土地は、環状七号線道路用地として、各その所有者により分筆の上、東京都へ売却された。
(ロ) 昭和三六年二月ころ、原告らは、四一二番の四、四一三番の二、四一四番の三および四一五番の四の各土地を、六メートル道路用地として分筆の上、東京都へ売却した。
(ハ) 昭和三五年ころから昭和三七年ころまでの間に、原告らは、四一二番の二、三、五、四一三番の三、四および四一五番の三の土地を各分筆の上、他人へ売却した。
(4) 原告らは、昭和三七年八月ころ、原告らの所有に残された四一二番の一の土地(四一二番の土地からすでに分筆ずみの同番の二から五までを除いた土地。)につき、さらにその一部を他に売却するため、その部分の分筆手続を藤本測量事務所に依頼した。
右依頼により、同事務所所属の山本保測量士補は、分筆手続に着手しようとしたが、実測上は分筆に十分な地積が存するにかかわらず、不動産登記簿上、同番の一として残された地積は「九坪五合」にすぎないため、さらにこれを分筆することは不可能となり、結局、現地の実測と右登記簿上の食い違いは、四一二番の一と四一五番の一の土地の間に、国有地たる無籍の旧畦畔が存在し、それを事実上四一二番の一に含めていることによるものであり、右旧畦畔の払下げを受けないかぎり分筆手続をすすめることはできないことが判明した。
(5) 原告らにおいても、飯田寅吉が藤岡栄策より前記(2) 認定のように土地を買受けたとき、同時に譲受けた買受土地の図面<証拠省略>を所持しており、右図面によれば、四一二番と四一五番の土地の間に畦畔の存在らしきものの記載がなされているばかりでなく、その他にも、四一二番と四一三番の土地の間、四一三番と四一五番の土地の間、四一三番と四一四番の土地の間、四一四番と四一五番の土地の間および四一五番と四一六番の土地の間に、各右同様の記載が存するため、この際、以上の記載部分中現に原告ら所有地に関係する部分、すなわち、四一二番の六、四一三番の五および四一五番の五の部分を、一括して払下げを受けようと考え、右手続方を、さらに、藤本測量事務所に依頼した。
(6) 山本保測量士補は、右依頼により公図について調査を行なつたところ、公図上、右関係部分に該当すると思われる個所には、薄ねずみ色の着色および二線引の記載があり、これは、いわゆる無籍の脱落地で旧畦畔たる国有地であることを示すものと認めたが、以上のほか四一四番の内を南北に通じ、これを両断する形の同様の着色および二線引の記載部分があることを知り、右部分中現に四一四番の一に囲まれた部分すなわち本件土地についても、この際、国有畦畔として払下げを受けるべきであると考え、原告らの了解をえた上、関係官庁たる関東財務局目黒出張所に対し、前記(5) の各土地に本件土地をも加えて、これらを国有脱落地として確認の上、原告らに払下げをするよう申し出た。
(三) 以上の認定に反し原告らとしては、本件土地の払下申請のことは考えていなかつた旨の原告飯田レツ本人尋問の結果部分は、採用できず、以上の認定に反する証拠はない。
2 (本件土地が旧畦畔たる国有地として認定され、原告らに払下げられた経緯)
(一) <証拠省略>を綜合すると、つぎの事実が認められる。
(1) 関東財務局目黒出張所は、前記I、(二)、(6) 認定の申出に基づき、公図について国有畦畔の有無を調査し、その結果、四一二番の六、四一三番の五および四一五番の五の部分については、何の問題もなく、これを無籍地たる国有旧畦畔と認定し、原告らに払下げた。
(2) 本件土地については、右出張所としては、公図上は、該当部分に薄ねずみ色の着色と線引きの記載が存在することを認めたが、東京都世田谷区税務事務所備付けの公図(以下税務事務所の公図という。)には、該当部分に何らの着色も線引きの記載も存在しなかつたため、一応国有畦畔の存在を疑つたものの、一般に公図そのものとしては、あくまで法務局備付けのものが正本であり、終局的にはこれによるべきものであるので、公図の記載を採用し、これにより国有畦畔の存在を認定した。
ついで、現地調査により、右着色部分の区画を公図上求積した藤本測量事務所作成の実測図<証拠省略>と公図写<証拠省略>を現地に当てはめて右着色部分の範囲を確定し、昭和三七年九月二七日、隣接地たる四一四番の一の所有者である原告らより供述書<証拠省略>境界確定の協議書および確認書を徴した上、同年一二月八日、これを国有財産台帳に、大蔵省所管の脱落地たる国有財産として登載し、昭和三八年一月一六日、四一四番の四として所有権保存登記手続を経由した(現地調査、境界確定の協議書および確認書の徴収、所有権保存登記の点は、当事者間に争いがない。)。
これと前後して、原告らは、本件土地の払下げ申請書を右出張所に提出した。
(二) 以上の認定に反し、原告らは、右出張所との間の国有畦畔払下げ申請に関する接渉、文書の提出、払下げ契約の締結にあたり、本件土地がその対象中に含まれていることに気付かなかつた旨の<証拠省略>部分は採用できず、他に右認定に反する証拠はない。
3 (旧畦畔たる国有地が存在したかどうかの判断)
(一)本件土地一帯の現況が住宅地であることは、<証拠省略>により明白であり、<証拠省略>によれば、四一四番の土地は、かつて水田であつたが、昭和六年ころには、すでに耕作が中止されていたことが認められる。
したがつて本件土地が旧畦畔たる国有地として存在していたかどうかということは、払下げ当時からみて三〇年以上以前の事実の認定に属し、しかも、土地の現況そのものからは、全く認定の資料はえられない。
(二)(1) かかる場合旧畦畔の存在の有無の認定に最も有力な手がかりを提供するのは、一般的には、法務局または地方自治体に備付けられている公図の記載である。
<証拠省略>により、本件土地につき四一四番の四の地番が記入される前の公図には、本件土地該当部分に薄ねずみ色の着色と細線による三線引きの記載があり、右三線引きは、両側の二線は薄い黒色、中の一線は赤色であつたことが認められる。公図上の記載に関する以上の認定に反する<証拠省略>部分は、採用しない。
税務事務所の公図検証の結果により、右公図の本件土地該当部分には、着色その他何らの記載がないことが認められる。
しかして、右両者の記載がなにゆえ異なるに至つたかについては、本件全証拠によつてもこれを明らかにすることができない。
(2) 公図および税務事務所の公図以外の証拠で、端的に本件土地該当部分に旧畦畔が存在するとし又は不存在であるとする証拠は、つぎのとおりである。
(イ) 存在するとするもの。 <証拠省略>
(ロ) 不存在とするもの。 <証拠省略>
しかし、これらの証拠は<証拠省略>中後記(三)の部分を除き、結局はその根拠を公図または税務事務所の公図に求めているものであり、たまたま公図を閲覧または複写したものは、畦畔の存在を肯定するものとして(イ)の範ちゆうに属することとなり、税務事務所の公図によつたものは、(ロ)の範ちゆうに属するに至つたと考えられる。
したがつて、公図および税務事務所の公図の記載に前認定のような相違が存する以上、これらの証拠そのものから、畦畔の存否をそのいずれかに決することは、許されない。
(3) 結局、畦畔の存否の認定は、公図と税務事務所の公図の優劣によるべきこととなり、当裁判所としては、公図の記載と税務事務所の公図の記載が異るときは、正本たる公図の記載によるべきであるとの<証拠省略>を採用し、本件においても、一応、公図の記載を採用すべきものと考える。
(三) <証拠省略>は、以上とややおもむきを異にし、四一四番の土地が水田であつた当時のことを見分しているが、その内に畦畔または通路等は存在せず、ただ「てび」と呼ばれる水よけの仕切りが存在したように記憶する旨証言し、証人椎崎稔は、別紙図面上から明白なとおり、本件土地が国有畦畔であるとすれば、四一四番の土地は、古くから国有畦畔により左右に完全に分離されていたこととなり、このような飛び地が一筆の土地として地番を同じくして存在することは考えられないから、少くとも国有の畦畔は存在しなかつたと考えるのが相当であると証言している。
<証拠省略>に関するものとして<証拠省略>は、国有の畦畔または土手敷を中間にして左右両側に同一地番の土地が一筆の土地として存在することはありうるが、かかる場合、一般の公図上は、右飛び地が同一地番に属することを示すため、飛び地にまたがつて「〇⌒〇」または「~」の符号が付されてこれらを結びつけているのが通例であり、また、一般の公図上各地番の境界を示す黒線の内側に点線または赤線が引かれて民有畦畔の存在を示していることがあると証言しており、<証拠省略>によれば、本件土地部分によつて東西に分離される形となつている四一四番の一の土地を結びつけるべき「〇⌒〇」または「~」の表示は見受けられず、また、本件土地部分に存在する三線引きの記載中中央の一線が赤色であることは、さきに認定したところである。
これらの証拠は、何らかの理由で、民有「てび」の存在が公図上に、国有畦畔と差別することなく記入されたのではないかとの推測を生ぜしめるに十分である。
(四) <証拠省略>によれば、不動産登記簿上、四一四番の土地は、地目田の際「八畝二一歩」すなわち「二六一坪」の地積とされ、宅地への地目変更に際して、丈量増により「二六六坪六合九勺」に変更されているところ、昭和三四年、同番の二「一一八坪四合八勺」が環状七号道路用地として実測の上分筆されたので、同番の一として残存した地積は、登記簿上、「一四八坪二合一勺」となつたことが認められる。
ところで、<証拠省略>からも明白なとおり、本件土地は同番の一の内にあつてこれを二分する形となつているところ、昭和三五年六月ころ、このことと関係なく、同番の一(同番の三の分筆は前記認定のとおり昭和三六年二月ころであるから、ここにいう同番の一は、右分筆前のものである。)および本件土地部分を含めてこれを同番の一として測量したものとしての実測図<証拠省略>が存在し、これによれば、そのいわゆる同番の一の地積は「一三七坪八合八勺」であり、登記簿上の「一四八坪二合一勺」を相当下廻つているのみならず、このようにして実測された同番の一および二の地積の合計は、計数上「二五六坪三合六勺」となり、地目田の際の「二六一坪」にも満たない結果となることが認められる。
このことは、四一四番の土地に関しては、本件払下げ問題の発端となつた前記I、(二)、4認定の四一二番の土地の場合と全く事情が異なることを示しているものといいうるであろう。
(五) <証拠省略>によれば、四一四番の三として東京都へ売却された土地部分は、明らかに、公図上、本件土地の南端の延長部分として同様に着色され、線引きされた部分を合んでいると認められるにかかわらず、その部分を含めて同番の三として分筆、売買が行なわれ、原告から、東京都に対し、売買による所有権移転登記が行なわれている。
右移転登記手続に関連して、国有畦畔云云の問題が生じたとの立証はない。
(六)(1) 以上を綜合し、当裁判所は、前記(二)、(3) において認めたとおり、本件土地該当部分に関する公図の記載すなわち、公図上、本件土地該当部分に薄ねずみ色の着色および三線引きの記載が存在すること自体は、これを認めるが、その意味内容は、民有「てび」の存在を示すにすぎず、本件土地は、四一四番の一の土地は四一四番の一の土地と別個に存在するものではなく、右土地の一部を構成するものであり、したがつて、前記I、(二)、(2) において認定したところにより原告らの所有に属するに至つていたものと判断する。
(2) この場合、公図上の本件土地部分に関する記載と四一二番の六、四一三番の五等の記載が同一であるかどうかは、それがいかように判定されるにせよ、前記(一)から(六)までの認定の経緯よりして右(1) の認定を覆えすには足らないと考えられ、他に右(1) の認定に反する証拠はない。
(七) 果して然らば、本件土地を四一四番の一の土地とは別個の国有畦畔であるとした被告の認定は、誤りであり、引いては、本件土地の所有権の帰属につき誤りを犯しているものというべきである。
三、本件土地売買契約は、本件土地を被告の所有地として売買することを原告らも承認してこれを行つたものであることは、前認定のとおりであるが、それにもかかわらず、以上認定の経緯よりして、原告らに責めらるべき点の認められないことも明らかであるから、少くとも、本件土地売買契約は、目的物の帰属という売買契約の要素に錯誤があつたものとして無効というべきである。
よつて、被告に対し、本件売買契約における売買代金を、不当利得として平等の割合により原告ら各自に四四、〇〇〇円あて返還することおよびこれに対する訴状送達の日の翌日たることの記録上明白な昭和三八年七月二七日より各支払ずみに至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告らの請求を、正当として認容し、民訴法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 矢口洪一)
目録<省略>