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東京地方裁判所 昭和38年(ワ)6939号 判決 1967年6月15日

原告 庵島栄子

<ほか二名>

右原告三名訴訟代理人弁護士 猪俣浩三

同 藤本時義

同 伊藤和夫

被告 ライオン油脂株式会社

右代表者代表取締役 小林寅次郎

右訴訟代理人弁護士 酒巻弥三郎

同 平野静夫

同 柳沢弘士

被告 社団法人日本食品衛生協会

右代表者理事 小谷新太郎

右訴訟代理人弁護士 福田彊

被告 国

右代表者法務大臣 田中伊三次

右指定代理人 荒井真治

<ほか一名>

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一、当事者双方の申立

一、原告ら

1  被告らは連帯して原告三名に対し各金三〇〇万円ずつ及びこれに対する昭和三七年九月二〇日以降支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言

二、被告ら

主文同旨の判決

第二、当事者双方の主張

一、請求の原因

(一)  当事者

1 原告栄子は、訴外亡庵島弘敏(以下単に弘敏という)の妻、原告雅子、同真理子は亡弘敏の子である。

2 被告ライオン油脂株式会社(以下単に被告会社という)は、石鹸、硬化油、脂肪酸、合成洗剤、界面活性剤その他の石油系油脂系合成品等の製造並びに販売を業とする会社である。

3 被告社団法人日本食品衛生協会(以下単に被告協会という)は、飲食に基因する伝染病、食中毒その他の危害の発生を防止し、すすんで食品の品質その他の食品衛生の向上を図り、もって公衆衛生の増進に寄与することを目的とし、食品衛生思想の普及に関する事業、食品衛生に必要な調査研究に関する事業、食品の器具及び容器、包装等推奨に関する事業等を行う公益社団法人である。

(二)  本件事故の発生

1 原告の家では、以前から被告会社製造販売の中性洗剤ライポンF(以下単にライポンFという)を食器、野菜、果実等の洗浄に使用していた。

通常は、ライポンFの箱入(粉末)を購入し、ライポンFの円筒容器に小出して、炊事場の流しの横に常置して使用していたが、右円筒容器には、「厚生省内日本食品衛生協会推奨品」「厚生省実験証明済、毒性を有せず衛生上無害である」と記載してあるため以前から原告栄子はライポンFは無毒無害であると信じて使用していた。

2 原告の家では後記本件事故発生の少し前頃、地方より御中元として贈られた円筒容器入りワンダフルK(訴外花王石鹸株式会社製造販売の中性洗剤(以下単にワンダフルKという)を使用していたが、内容物を使い果した後、昭和三七年九月初旬頃、原告栄子は、ライポンF箱入粉末一、〇〇〇グラムを近くの化粧品店で購入し、前記のワンダフルKの円筒容器に右ライポンF粉末を小出して炊事場の流しの横に常置して使用していた。

従って、本件事故発生当時、右ワンダフルKの円筒容器内には前記ライポンFの箱から最初に小出したライポンFの粉末が約半分位残っていたものである。

3 亡弘敏は、昭和三七年九月一九日午後七時三〇分頃夕食、同八時三〇分ごろ入浴、同一〇時ごろ果物(梨とぶどう)を少量食べ、同一〇時三〇分ごろ就寝した。なお当夜は酒・ビール等のアルコール類は一切飲用しなかった。翌二〇日午前一時二〇分ごろ原告真理子(当時生後二月半)が泣くので原告栄子が起きて台所へ行き、習慣に従って、粉ミルク小匙五杯を約一〇〇ccの湯にとかして約一二〇ccのミルクを作り透明のガラス製哺乳瓶にて原告真理子に飲ませようとしたが同人は何故か嫌がって、飲まなかった。

原告栄子が哺乳瓶の乳首をなめてみると塩味と苦味があったので電気を明るくしてみたところ、いつもと色が異っていたのでそれが粉ミルクの溶液ではないことが判明した。

そこで亡弘敏と原告栄子が台所へ行き何を溶かしたのか調べたが、その際亡弘敏は哺乳瓶の乳首をはずして一口口にふくんでそれを飲み込んでしまった。亡弘敏が飲み込んでから間もなく、何時も流しの左側調理台の上にある筈の前記ワンダフルKの円筒容器が流しの右側床の上においてあり、その容器の中に小匙が入っていたので原告栄子が同真理子のためにミルクを調合しようとした際半覚半睡の状態で右ライポンF入りのワンダフルK円筒容器とミルク缶とを間違えてライポンF粉末を湯に溶かしたことが判明した。

結局亡弘敏はライポンF溶液を一口飲んだことが明らかとなった。

4 亡弘敏が右のようにしてライポンFの溶液を一口飲んでから五~六分後に突然同人は異様なうめき声を発して嘔吐し、「咽喉がやけるようだ」と訴えた。そこで原告栄子、亡弘敏の父訴外庵島松太郎等が前記ライポンFの箱をだして、ライポンFが無毒無害であるかを再確認したところ右箱には「厚生省実験により衛生上無害であることが証明されています」と記載されてあったので、亡弘敏は、無害と書いてある上、一口ほんの少量飲んだだけであるから大丈夫だと言って口直しのためにカルピスをコップ八分目位一五〇ミリリットルと訴外三共製薬製造の胃腸薬を少量服用し、同日午前一時四〇分ごろ再び就寝した。

5 ところが寝床に入ってから五ないし一〇分位して亡弘敏は再び嘔吐し、その後同人と原告栄子は寝床に入って話をしていたが、同日午前二時五〇分ごろ亡弘敏は急に立ち上って、うめき声を発し、再び床の上にうずくまったので原告栄子は声をかけたが既に同人の応答はなかった。

そこで直ちに医師の来診を求めたが、右医師が同日午前三時五分頃来診した時には、既に亡弘敏は死亡していた。

右弘敏の死因は、ライポンFに含有されているA・B・S(アルキル・ベンゼン・スルホネート以下単にA・B・Sという)の中毒によるものである。

(三)  被告会社の過失

1 被告会社はライポンFを特に食器、野菜、果物類の洗浄用洗剤として製造販売していたのであり、洗浄の対象は野菜果物類という食品や人間の口に触れる食器であるから洗剤が対象物に附着したり或いは何らかの原因過程によって、口その他を経て人体内に入る可能性は容易に予想され、従って被告会社としては当該洗剤を一般に販売するにあたっては、先ず事前に人体に対する毒性の有無について充分に調査検討し、その毒性の性質程度等を明らかにした上で一般消費者に対し、適当な方法で洗剤の毒性の概要を伝え、洗剤が食器や野菜、果物類に附着したり等して口等から人体内に入ることのないよう使用方法について充分の指示と注意を与える外、万一飲用したような場合の応急措置についても指示を与えるべきであり、ライポンFを販売するに当っては、被告会社はいやしくも人体生命に対し、危険を生ずることのないように注意すべき法律上の注意義務ありと云うべきである。

2 本件ライポンFは最近において開発されたいわゆる中性洗剤であってその性質特に人体に対する毒性については昭和三一年八月被告会社の依頼に基づき国立衛生試験所において同所薬理試験部長池田良雄博士外三名がライポンFにつき動物(マウスラット)を用いて行った試験結果があり、これによると「ライポンFは毒性は大であるとは考えられない」との結論となっており「毒性なし」との報告ではない。

国内において右ライポンFに含有されているA・B・Sの人体に対する毒性につき試験した報告はなく他方諸外国の文献にはA・B・Sが人体に対して毒性を有すると指摘したものが多数あり、その後国内においてもA・B・Sの人体に対する毒性を指摘した研究が発表されるに至り、少くとも本件事故発生当時である昭和三七年当初においてはA・B・Sが人体に対して毒性を有するものであることは、被告会社を含めて関係者の間に知られていたことは明白である。

3 しかるに被告会社はA・B・Sをその主要成分とするライポンFを一般に販売するに当って前記注意義務に反して一般消費者に対する注意指示を全く与えなかったばかりか却ってライポンFが人体に対して毒性を有することを知りながらその容器に「厚生省実験証明済、毒性を有せず衛生上無害である」或いは「厚生省実験により無害であることが証明されています」と記載してライポンFを販売していたものである。

4 右被告会社の過失と亡弘敏死亡の因果関係

亡弘敏がライポンFの溶液を誤って飲んだことに気が付いた時に、その現場に居合わせた原告栄子らは前記のとおり本件ライポンFの容器(箱)に「毒性を有せず衛生上無害である」或いは、「衛生上無害であることが証明されています。」と記載してあったため、これを信頼したので医師の診断を仰ぐ等必要な措置をとる機会を失い、その結果亡弘敏はライポンFに含有されているA・B・Sの中毒により死亡するに至ったのであるから、被告会社の過失と弘敏の死亡との間には法律上相当なる因果関係が存する。

(四)  被告協会の過失

1 被告協会はもと厚生省内に主たる事務所を置き、その理事ないし社員は厚生省の現職の局長、課長および退職した元厚生省高級職員、食品衛生関係の学者、食品衛生業界において指導的な地位を有する会社の社長、重役等によって構成され、第一項記載の目的の下に同項記載の事業を行う公益社団法人であり、その目的、構成員、行う事業内容からみて被告協会は厚生省の外郭団体と云うべきであり、厚生省自ら行い得ない事項例えば商品の推薦等を厚生省と緊密な連絡の下に厚生省に代って行っているものであるが被告協会のようなかかる公的な性格を有し且つ権威ある機関が多数の人々の飲食に関連して常時使用される本件の如き洗剤の推薦をするにはその影響するところが極めて広範且つ重大であることに鑑み、厳密周到な検査を重ねて科学的にその安全性を確信してから行うべきであり、万一安全性について疑問がある場合にはその使用方法、使用上の注意、万一の場合の措置等を被告会社及び一般消費者に対し、充分に注意指導していやしくも生命身体に危険を生ずることのないように配慮すべき法律上の注意義務があると云うべきである。

2 しかるに被告協会は注意義務に反し、本件ライポンFの毒性については、前記のとおり疑問があるにもかかわらず厳密な検査に基づかないで被告会社に対し「本品(ライポンF)は、毒性は有せず有毒な不純物を含まない。」との推薦状を与え、その後ライポンFの毒性が問題になってからもライポンFの使用上の注意や指導を与えることなく、被告会社が右推薦状に基づきライポンFの容器に「厚生省内日本食品衛生協会推薦品」と記載し、これに並べて「厚生省実験証明済、毒性を有せず衛生上無害である」或いは「厚生省実験により衛生上無害であることが証明されています。」と記載してライポンFの販売を続けることを放任した過失により、亡弘敏がライポンFの溶液を誤って飲んだ際に右推薦文言のとおりにライポンFが無毒無害であると信じたために同人は適切な措置をとる機会を失し、その結果、同人はライポンFに含有されているA・B・Sの中毒により死亡したものである。

(五)  被告国の過失

1 被告国は公衆衛生の向上及び増進を図る義務があり、その義務を遂行するために厚生省を設置し、右責任を遂行するため厚生省は販売の用に供する食品添加物、器具又は容器包装につき基準又は規格を定め、必要な製品検査を行う権限を有し、本省に環境衛生局その他を設け、飲食に基因する衛生上の危害の発生を防止する事務を司どっている。

ところで食品は、国民が一日たりとも欠かせない必要必須のものであるからその良否、有害無害は国民の生存に極めて密接重大な影響を及ぼすものであり、従って厚生省の右権限は同時に義務であると云うべきであり、その権限の行使義務の履行は細心の注意をもって行うべきは当然である。

しかるに被告国は被告会社が昭和三一年九月ごろ「ライポンF」の商標をもってA・B・Sを含有する洗剤を毒性なしと表示して広く販売している事実及び当時A・B・Sの毒性については前記のとおり、国内では前記池田博士の試験結果の外には、存せず、しかもその結果は、毒性は大ではないと云うものであり、外国文献中には、有害であるとするものが多数あったこと、従って、ライポンFが一般に販売された場合には国民の生命身体に危害を及ぼすおそれのあることを知りながら又は、当然知り得たにもかかわらずその使用上の注意事項を国民に周知せしめる方法をとらず又被告会社に対しその販売の停止、製造の中止等の行政措置をしなかったばかりか、却って、その使用推奨を各都道府県知事に通達し、その後一部業者及び学者からA・B・Sが人体に危険性があると云う警告が発せられたにもかかわらず慢然とこれを放置したことは被告国の過失である。

2 又被告国は厚生行政に関する事務及び事業を遂行する方法として被告協会を設立し、同協会をして前記の事業を行なわせているのであって同協会の事業は、厚生省、換言すれば被告国の指導の下にその意思を体して行なわれているものである。

従って、被告協会がライポンFを推薦した行為は厚生省、すなわち被告国の指導と承諾に基づく行為であって被告協会の右推薦行為に過失のあることは前記のとおりであるから、この点において被告国にも過失があるものと云わねばならない。

3 更に本件ライポンFの容器に記載されている推薦文言は「厚生省内日本食品衛生協会推奨品」「厚生省実験証明済、毒性を有せず衛生上無害である」或いは、「厚生省実験により衛生上無害であることが証明されています」となっており、右文言自体からライポンFは被告国が無害であることを証明したものと一般消費者を信頼させるに充分である。

従って、このような表示をなしたライポンFの販売を放置し、一般消費者をして無毒なものと信頼せしめた被告国はその信頼に基いて発生した本件事故に対して責任を負うのは当然である。

(六)  損害

1 財産上の損害

亡弘敏は、死亡当時三二才の健康な男子であり、マルミ光機株式会社の社長として月収金七万円を得ていたので一年間の収入は金八四万円となる。

ところで総理府統計局発行昭和三六年度版日本統計年鑑によれば全世帯平均一ヶ月間の消費支出のうち東京都の昭和三五年度分は一世帯四・五三人で金三七、五三九円であるから一人当り一ヶ月の平均消費支出は金八、二八六円となるので一年間では金九九、四三二円である。

従って、亡弘敏の一年間の純収入は前記収入から右消費支出を控除した金七四〇、五六八円となり総理府統計局第一〇回生命表によると満三二才の男子の平均余命は三七・九三年であるから、同人は少くとも三五年間は、右収入を得たものと解されるので右期間中、毎年前記収入を得たものとして右各金額より、それぞれ年五分の割合の中間利息をホフマン式計算方法で控除した金額を合算すれば(複式計算法)、亡弘敏の得べかりし利益の現在値は、金一四、六六三、〇五二円となる。

従って、原告ら三名は、各々その三分の一である金四、八八七、六八四円の損害賠償請求権を相続した。

2 慰藉料

亡弘敏はマルミ光機株式会社の社長として一〇数名の従業員を使って光学機械の製作をしており、業績もようやく上向いて更に規模を拡張しようとしていた時に本件事故により死亡したものである。妻や子供である原告らは同人に対する期待や庇護愛情を一瞬にして奪われたものであり、原告らの受けた精神的苦痛は極めて大きく、これを金銭に換算すると原告栄子は金五〇万円、同雅子、同真理子は各金二五万円に相当する。

(七)  よって、原告三名は、被告らに対して各金三〇〇万円づつ(原告栄子は相続した損害賠償請求権金四、八八七、六八四円のうち、金二七五万円と慰藉料金五〇万円のうち、金二五万円、原告雅子、同真理子は相続した損害賠償請求権金四、八八七、六八四円のうち、金二七五万円と慰藉料金二五万円)およびこれに対する本件事故発生の日である昭和三七年九月二〇日以降右支払ずみに至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、被告らの答弁及び主張

(一)  被告会社

1 答弁

(1) 請求原因第一項(当事者)の事実中、原告らと亡弘敏との間の各身分関係は不知。被告会社が原告ら主張の如き目的を有する会社であることは認める。

(2) 同第二項(本件事故の発生)の事実中、亡弘敏が原告ら主張の日時場所において死亡したことはみとめるが、死因がライポンFに含有されているA・B・Sの中毒によるものであることは否認する。その余の事実はすべて不知。

(3) 同第三項(被告会社の過失)の事実中、被告会社がライポンFについて毒性を有することおよび一般に販売することによって人体生命に危険を生ずるおそれのあることを予期し又は、予期し得たとの事実ならびに原告ら主張の日時ごろライポンFの容器に原告主張のような記載のなされていたとの事実は否認する。

(4) 同第六項(損害)の事実中、亡弘敏および原告らが原告ら主張のような損害を蒙ったとの事実は否認する。

2 主張

(1) ライポンFは洗剤たる商品それ自体として毒性を有しない物質であり、従って、これを一般に販売しても通常の用法によれば人体生命に何らの危険を生ずるおそれは存しない。

およそ或る物質が毒性を有するか否かを決定するには同物質の用法ならびに使用量を特定することを条件とする。もしあらゆる用法用量について考察した結果、多少とも有害な場合が存し得る物質は、すべて有毒物質であると云うならばすべての物質は有毒物質と云わざるを得ないことになる。

ライポンFの有効成分たるA・B・Sは食塩、フクラシ粉、お茶等よりも数等度毒性が少く、しかもその通常の用法は、食器野菜類の洗浄であることは同容器その他に明記してあり、又洗浄の際、野菜等に残留して体内に摂取される量は極めて微量で人体に何らの危険を生ずるおそれのないことは多数の外国の研究資料ならびにヒト、マウス、ラット等について実験した結果明らかにされている。

従って、被告会社がライポンFの毒性を有せずと判断し、これを製造販売したことは何ら非難の余地はないものである。

(2) ライポンFは食器野菜類の洗浄の目的で洗剤として製造販売されたものであり、これを高濃度の水溶液として飲用に供すると云うことは一般人の全く予想し得ない行為であって、これを予想して予め防止する行為を被告会社に期待することは経験則上、不可能である。従って、ライポンFを食器野菜類の洗浄用洗剤として用法をその容器に明記して製造販売した被告会社には過失はない。

(二)  被告協会

1 請求原因第一項(当事者)の事実中、被告協会の目的ならびに行う事業が原告ら主張の如きものであることは認める。

2 同第二項(本件事故の発生)の事実中、亡弘敏が死亡するに至った経緯および同人の死因は不知。

3 同第四項(被告協会の過失)の事実中、被告協会の職員に元厚生省の職員であったものがある事実は認めるが、被告協会はいわば厚生省の外郭団体であり、厚生省自ら行うことのできない事項、例えば商品の推薦等を厚生省と緊密な連絡の下に厚生省に代って行っているとの事実は否認する。

4 被告協会が被告会社に与えた推薦状に「ライポンFは毒性を有せず有毒な不純物を含有しない」との文言のある事実はみとめるが、ライポンFの推奨は厳密な検査の結果、その所定の用途に供せられるかぎり安全無害であることを確認した上なされたものである。

(三)  被告国

1 答弁

(1) 請求原因第一項(当事者)の事実は認める。

(2) 同第二項(本件事故の発生)の事実中、亡弘敏が昭和三七年九月二〇日死亡した事実およびライポンFの容器に原告ら主張の如き記載がなされていた事実はみとめる。その余の事実は不知と述べたが後の口頭弁論(第四回口頭弁論)において、右ライポンFの容器の記載事項についての認否を訂正し、ライポンFの容器に原告ら主張の如き記載のなされたものがあったことは認めるが、本件のライポンF容器に原告ら主張のような記載があったとの事実は否認すると述べた。

(3) 同第五項(被告国の過失)の事実中、被告国及び厚生省の所管権限が原告ら主張のとおりである事実、被告会社が昭和三一年九月頃ライポンFの商標をもってA・B・Sを含有する洗剤を毒性なしとの標示をして販売していた事実、当時A・B・Sの毒性については、国内では原告ら主張のとおり、池田博士の試験結果以外に存在しなかった事実、厚生省が中性洗剤の販売をみとめ、使用推奨を都道府県知事に通達し、国民に使用上の注意を与えなかった事実、一部業者および学者がA・B・Sが人体に危険性があると警告した事実はいずれも認めるがその余の事実は否認する。

(4) 同第六項(損害)の事実は否認する。

2 主張

(1) 前記池田博士の試験結果は、「毒性は大であるとは考えられない」と云うのであり、又当時知られていた外国文献中には、特にA・B・Sを有害であるとした意見はなく、むしろ洗浄の目的に使用した場合、その毒性が問題にならないものであることを明らかにした意見が多かった。そのため、厚生省は中性洗剤の洗浄効果がすぐれていることに着眼してかねて国民衛生上問題となっていた野菜果実類の農薬等による汚染、寄生虫卵の付着等に対する対策として「通例の使用方法では無害であり、野菜類食器等の洗浄に使用して食品衛生上充分の効果をあげること明らかである」としてその使用の推薦方を都道府県知事に対し、通達したものである。

その後、新洗剤を発売しようとする業者(訴外ミヨシ化学株式会社)および一部学者(東京医科歯科大学医学部柳沢文徳博士外)からA・B・Sは「人体に危い点がある」「無害ではない」との見解が述べられたに対しては、昭和三七年一月一一日厚生省食品衛生課長が新聞記者に対し、「通常の使用方法で心配はない。しかし水洗いは充分にした方がよい」との談話を発表し、又同年四月以降は科学技術庁振興局を中心としてA・B・Sの毒性についての研究を進め且つ、食品衛生調査会に対してもこの問題について諮問したがその結果も「中性洗剤を野菜果実類食器等の洗浄に使用することは洗浄の目的から甚だしく逸脱しない限り、人の健康を害するおそれはない」と結論されたものである。従って、厚生省としては、ことさらライポンFの毒性を国民一般に周知せしめ又はその販売の停止、製造中止等の行政措置をとる必要をみとめなかったのである。

(2) ライポンFの容器にかつて原告ら主張のような記載がなされていたことはあるが、その記載事項のうち、「厚生省内日本食品衛生協会」と云う表現は推奨開始当時偶々被告協会の所在が厚生省内にあったことによるものであるが、この「厚生省内」や「厚生省指定」「厚生省実験証明済」等の文言はいずれも穏当ではなく、誤解を生ずるおそれもあると思われたので厚生省では、被告会社に対し、昭和三六年一月ごろから数回に亘り、右字句の削減方について注意を与えその結果これらの記載は抹消されて本件事故の際原告方で使用していたライポンFの容器には、「ライポンFは食品関係の専用洗剤として日本食品衛生協会の厳密な審査により、最も優秀であることが証明され、推薦第一号を得ています。ライポンFは上記の要領で野菜や食品洗いに使用する場合人体には害はありません」との記載がなされているだけとなっていたものである。

三、自白の撤回に対する原告らの異議

被告国は、ライポンFの箱の記載事項についての認否を第四回口頭弁論で訂正したが、右は自白の撤回に該当するものであり、原告らは右自白の撤回に異議がある。

第三証拠≪省略≫

理由

一、亡弘敏がライポンFの溶液を飲んだ結果死亡したものであるかどうかは別論として、同人が昭和三七年九月二〇日午前三時五分ごろ死亡した事実は当事者間に争いがなく(被告協会については明らかに争わないので自白したものと見做す)、≪証拠省略≫によると次の経緯により亡弘敏がライポンFの溶液を飲んだ事実が認められる。

原告らの家では従前から野菜、食器洗いにライポンFを使用していたが昭和三七年九月ごろは訴外花王石鹸株式会社製造販売に係る中性洗剤ワンダフルKの空の円筒容器にライポンFの粉末を小出して右円筒容器を台所に常置して使用していた。昭和三七年九月二〇日午前一時二〇分ごろ原告栄子は同真理子(当時生後二月半)が夜中に目を覚まして泣き出したので同人のミルクを作るために台所へ行きミルクを調合しようとしたが半覚半睡の状態であった原告栄子はミルクと間違えて台所に常置してあった前記ワンダフルKの円筒容器に入っていたライポンFの粉末を約一〇〇ccのぬるま湯に小さじ五杯分を溶かして約一二〇ccのライポンFの溶液を作成してしまった。

同人は右間違いに気付かずに右溶液を哺乳瓶に入れて原告真理子にこれを飲ませようとしたが同人が受け付けなかったので不審に思い電気をつけて見ると色もミルクとは異っていたので何を調合したのかを調べに再び台所に引き返したのであるがその際亡弘敏も目を覚まして台所へついて来たが同人は哺乳瓶の乳首をはずしてひとくち程口に含んでこれを飲みこんでしまったものである。

二、そこで亡弘敏の死因がライポンFによるものであるかどうかの点について判断する。

鑑定人原三郎の鑑定の結果(以下単に原鑑定という)によるとライポンFの組成分は硫酸ナトリウム七〇パーセント内外、A・B・S三〇パーセント内外であると認められるところ、成立に争いのない甲第一八号証(以下これを平瀬鑑定という)によると亡弘敏の死因はライポンFに含有されているA・B・Sによる中毒死であるとされており、≪証拠省略≫によると平瀬鑑定の結論は亡弘敏の屍体解剖に基づき同屍体の内臓臓器にみられる組織学的変化と、ライポンFを致死量経口投与した場合のマウス、およびウサギの内臓臓器にみられる組織学的変化とを比較考察した結果両者の類似性から亡弘敏の死因をライポンFに含有されているA・B・Sによる中毒死であると推定したものであることが認められる。

ところで平瀬鑑定においてマウスに対しライポンFの致死量を経口投与した場合に現れたとされているマウスの内臓臓器の組織学的所見は≪証拠省略≫によって認められる中性洗剤の毒性についての特別研究として行われた慶応大学薬理学教室における実験結果と一致しないものであるが、それはそれとして、原鑑定によれば解剖学的、発生学的、生理学的に動物分類学上最もヒトに近縁の動物として霊長類に分類されているサルに対し体重一キロ当り二、〇〇〇から五、〇〇〇ミリグラムという大量のライポンFを経口交付した場合においても実験に供したサル(体重二ないし四キログラムのアカゲザル、タイワンザル、カニクイザルの雄雌とりまぜて六匹)はいずれも死亡するに至らなかったものであることが認められ、更に同鑑定によればサルの外、マウス、ネコ、ウサギを用いて毒物学的見地からライポンFの毒性を考究した結果、ライポンFの経口嚥下によって人の生命を害することはないという結論が得られたものであることが認められるので前記認定のとおり、亡弘敏の飲んだライポンFの量は極く少量(平瀬鑑定によれば亡弘敏の屍体におけるA・B・Sの胃中存在量は〇・五二五グラムであり、ちなみに同鑑定によるとマウスに対するライポンFの五〇パーセント致死量は体重一キロ当り約五・〇から六・〇グラムである)であることを併せ考えると動物に対する毒性および致死量と人間に対するそれとは一概には同列に論じ得ないものであるとしても亡弘敏の死因がライポンFに含有されているA・B・Sによる中毒死であるとする平瀬鑑定および証人平瀬文子同河野林の各証言はにわかに採用し得ないものである。

又証人河野林の証言中亡弘敏の死因はライポンFによるショック死であるとの点は前掲原鑑定に照しそのまま採用することはできず他に亡弘敏の死因がライポンFによるものであることを認めるに足りる証拠は存しない。

してみれば亡弘敏の死因がライポンFによるものであることを前提とする原告らの請求はその余の事実について判断するまでもなく理由がないのでこれを棄却する。

三、むすび

よって民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 地京武人 裁判官 中村健)

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