大判例

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東京地方裁判所 昭和38年(刑わ)4656号 判決

判決理由〔抄録〕

そもそも一般には、乗合自動車運転業務に従事している者は停留所で停止している乗合自動車を発進させる際には車掌の発車合図を耳にしてもこれのみに頼らないで乗降客の安全(ことに下車客がこの自動車の車体のそばから安全な――すなわち自動車が発進してもその車体または車輪がこの客の身体に触れたりまたは乗り上げたりすることのないような――地点にまで離れてしまっているかどうかということ)と乗降口の扉が完全に閉ざされているかどうかということとを運転手自身で確認し更に自動車の側方ことに乗降口附近の安全を運転手自身で確認しなければならないという業務上の注意義務を負担している。しかし一方において運転手は、ことに大型自動車を運転している場合には、自動車を発進させる前にはこの自動車の進路前方ことにこの自動車の車体直前に人ことに幼児等がいないかどうか(その死角に入りこむことがないかどうか)に警戒を払いそのため顔を前方に向けていなければならないのであるから、冒頭記載の確認は――この自動車に車掌が乗務している場合には――ドア警告灯の確認とバックミラーによる確認とだけでこと足るといわなければならない。しかも夜間に際しこの自動車の灯火以外には附近に屋外灯の全くない地点で自動車を発進させるときには、運転手がバックミラーに視線を向けても下車客の安全(すなわち下車客がこの自動車の車体のそばから前記の安全な地点にまで離れてしまっているかどうかということ)と自動車の側方ことに乗降口附近の安全とを運転手自身で確認することはできないけれどもこのようなときには以上の確認は車掌に全面的に委ねられているといわなければならない。従って運転手としては車掌の発車合図を耳にしたならば、これは車掌がかかる確認を十分にした上で発した合図にほかならないと考えこの合図に基き(この合図に信頼を寄せ)――あとはただドア警告灯を確認した上でバックミラーを眺めつつ――自動車の発進を開始して可なりといわなければならない。ただし、例外として、車掌がかかる確認を十分にしていないのに発車合図をし更にこのことを運転手自身が知っている場合と車掌がかかる確認を十分にしないまま発車合図をするという可能性が多分にありこのことを運転手自身が認識している場合とにおいては、運転手としてはこの発車合図に全幅の信頼を寄せることなく運転手自身において適当な措置(たとえば、車掌の発車合図を耳にしたときと自動車の発進開始のときとの間に相当の時間的間隔を置くというような措置)をとらなければならないという業務上の注意が必要である。これをこの事件にあてはめて見ると、大門和子が本件自動車から下車したときと被告人白石が発車合図をしたときとの間に時間的間隔がほとんどなかったこと及び大門和子がどういう態勢で(すなわちハイヒールを履いてハンドバックとふろしき包みとを持って)下車したかということを被告人荒井自身が認識していたならば、あるいはまた被告人白石が性急な性質の持主であり乗降客の乗降後直ちに発車合図を送ったことがこれまでにあり従って住宅前停留所でも同様の挙に出るかも知れない可能性があるということを被告人荒井自身が認識していたならば、被告人荒井が被告人白石のした前記発車合図を耳にしてもこれは以上の例外的場合にあたるから被告人荒井において適当な措置をとる必要があったといわなければなるまい。しかしながら住宅前停留所での発車のときに被告人荒井がかかる認識をしていたという点についての証拠は全然ないから(附言するに被告人荒井がかかる認識をもっていなかったということが明らかにされても、かかる認識をもっていなかったという点に被告人荒井の過失を求めることができないのはいうまでもない。ただし、乗合自動車に車掌が乗務している以上乗降客の扱いは専ら車掌に委ねられている道理であり従って運転手としては下車客がいついかなる態勢で車外に出たかという点にまで気を配っていなければならないという必要はあるとはいえないし、又この車掌がどういう性格の持主であるかという点やその客扱いに粗雑な節があり発車合図をする際の確認に不十分な点があるか――あるという可能性が存在するか――どうかという点までも運転手自身において注意をしていなければならないという必要は――たとえ自己の運転する自動車に乗務する車掌に関することであっても、この車掌が自己の所属する会社の社命により乗務している以上は――あるとはいえないからである。)この事件は以上の例外的場合にあたるとはいえない。そうすると被告人荒井は前記のとおり被告人白石の前記発車合図を耳にした後前記ドア警告灯をべっ見した上で左右バックミラーを眺めつつ前記発車合図に従って本件自動車を発進させたのであるから、被告人荒井が大門和子が本件自動車の車体のそばから前記の安全な地点にまで離れてしまっていないことを認識していないにせよ(かかる認識を被告人荒井が抱いていたということはこの事件ではいえない。)、被告人荒井のこの発進において業務上の注意義務に違反した点は少しも見当らないといわざるをえない。

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