大判例

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東京地方裁判所 昭和38年(合わ)420号 決定

(主文 一、検察官が昭和三九年二月一日の公判で申請した証拠のうち

(イ) 被告人の検察官に対する供述調書(証拠番号4、9)はこれを採用する。

(ロ) 被告人の司法警察員に対する供述調書(証拠番号1、2、3、5、6、7、8)はこれを却下する。

二、検察官が昭和三八年一二月一八日の公判で申請し同日採用決定の上取調べた証拠のうち放火未遂被疑事件についての被告人の司法警察員に対する供述調書(証拠番号1、2、3)はこれを排除する。)

〔決定理由〕一、検察官は昭和三八年一二月一八日の公判期日において同年同月四日付起訴状第一の一、二、三の事実につき、別紙(二)記載の書証を刑事訴訟法第三二六条に基いて申請し、弁護人はこれに同意したので、裁判所はこれを採用し同日その取調を行なつた。そして検察官は昭和三九年二月一日の公判期日において同年一月二八日付起訴状の事実につき別紙(二)記載の書証を同法第三二二条に基いて申請した。

弁護人は昭和三九年二月一日の公判期日において右書証のうち被告人の司法警察員に対する供述調書は長島警部補が取調べた結果を録取した書面であるが、同調書の基礎となつた取調べには次のような無理な取調べが行なわれており、その供述は任意性を欠くものであり、また被告人の検察官に対する供述調書は右長島警部補の無理な取調べの影響が未だ脱却しない間に行なわれた取調べに基く供述を基礎としているから、これまた任意性を欠くものであると主張する。

すなわち

(イ) 被告人は戦時中左腰部及び左膝下部に被弾したことに因り身体に故障が生じており、木製椅子などに長時間座すれば耐え難い疼痛を覚えるものであるところ、長島警部補の取調は勾留当初から長時間に亘つて行なわれ、しかも被告人は木製の丸椅子に座せられたため、前記故障の部位に激しい疼痛を覚えた。それで被告人が姿勢を崩すと長島警部補にたしなめられたので、爾来きちんとした姿勢を保たねばならないことになり、その取調中の苦痛はひどいものであつた。その上被告人は長島警部補の再三の質問に対して黙つていると、同警部補は「金子、お前否認したら出られんぞ。否認しなかつたらこんなの軽いんだ。家族のことは心配いらない。警察でちやんと心配して目黒の民生委員にも話がしてある。このとおりだ」といつて名剌を示されたこともあつた。右のような取調をうけていたため、被告人は長島警部補に迎合して事実に反した供述をしてしまつたのである。そして長島警部補は被告人の自白採取の過程が右のとおりであつたため昭和三八年一二月二三日警視庁より東京拘置所に移監の前日被告人ために送別会を開いてくれたのみならず、被告人が金銭に不自由しては困るだろうから後で金銭を送つてやる旨約束し、同三九年一月一六日には被告人の右約束に基いた要求にこたえ金一、〇〇〇円送金している。

(ロ) 検察官の申請に係る被告人の司法警察員に対する供述調書は右の如き状態で取調べの結果採取されたものであつてその供述には任意性はない。

二、よつて按ずるに、

(イ) 被告人が昭和三八年一一月一三日石井八重子方に不法侵入の容疑で逮捕され爾来所定の手続を経て同年同月一五日警視庁碑文谷署に勾留され、同月一八日同署より警視庁に、翌一二月二四日警視庁より東京拘置所に各移監されたこと、被告人がその勾留中右石井八重子方に不法侵入の容疑のほかに放火容疑についても取調をうけ、前者については碑文谷署の太田警部補、後者については警視庁の長島警部補の取調をうけたことは一件記録上明らかである。

(ロ) 鑑定人石田正統(東京大学医学部講師)の鑑定書及び被告人の公判廷における供述によると、被告人は昭和二〇年頃拳銃弾を左腰部及び左膝下部にうけ、左下腿部の脛骨と胖骨との中間には現在なおゴマ粒大以下の十数ケの金属片が径五糎の範囲に散在していることが認められる。そして右下腿部の残留弾片が神経及び筋に影響があるか否かの点について、鑑定人石田正統はその鑑定書において、「右残留弾片は現在臨床的に症状はないが、その残留位置よりみて神経及び筋への影響はあるものと認める。被告人を木製の丸椅子に腰をかけさせた場合冬期室温五度前後の室では二時間半、その以外の場合には三時間を超えるときは、被告人は座することにかなりの苦痛を感じるとみるのが医学常識上相当である」旨述べており、鑑定人小木貞孝(東京大学医学部助手)はその鑑定書において「被告人の左下腿の貫通銃創痕は神経系統の障害を惹起していない。従つて被告人が所与の丸椅子に坐つた場合にうける苦痛は正常人のうけるそれと同程度と考える。しかし、被告人がその苦痛を過大に訴えるであろうことは十分に推察出来ることである」としながら、被告人が木製の丸椅子に長時間座した場合にうけた苦痛として主張する点について「神経学的障害について述べると上肢躯幹に運動障害はない。腱下肢に関しては股関節、膝関節、足関節に運動の制限なく、筋力にも粗大な左右差はない。歩行の異常については精神的所見の項で詳述した如くであり、神経学的障害によるものではないと考える。従つて結論としては知覚神経領域に神経学的障害は認めない。しかしこのように神経学的に説明され得ない知覚障害はヒステリーの場合にしばしば認められることがあり、被告人の場合はその精神状態を考慮するとヒステリー性の知覚異常と考えるのが妥当であろう」と述べている。この両鑑定によると、神経的障害によるか精神的の異常によるかは別として、被告人を木製の丸椅子に長時間座させた場合同人が少なくとも主観的に相当の苦痛を感じる可能性のあることは否定できないと考える(但し被告人の場合小木鑑定人が鑑定書で指摘しているとおり身体的苦痛を過大に訴え演戯的色彩の強い傾向のあることは、当裁判所も法廷における被告人の諸行動を観察したところによれば同意見であつて、このことはこれに関連する認定をする場合常に留意を要することであり、後記の認定においても十分斟酌している)。

(ハ) 一件記録によると、本件で問題となつている調書のうち、司法警察員長島警部補作成のものは昭和三八年一一月二三日、同年同月二四日、同年同月二九日、同年同月三〇日、同年一二月二日、同年同月五日、同年同月六日、同年同月九日、検察官作成のものは同三八年一一月二一日、同年同月二八日、同年同月二九日、同年一二月二日、同三九年一日八日に作成されたものであることが認められる。そしてこれらの調書が作成された日に被告人が取調官の面前にいたと認められる時間並びに警視庁に移監後最初の自白をするまでの間における同上の時間で長島警部補関係のものは、警視庁より取寄せた留置人出入簿によると次のとおりである。

(1) 昭和三八年一一月一八日

午後一時三〇分より同五時四五分(四時間一五分)

(2) 同年同月一九日

午前九時四〇分より同〇時四〇分(三時間)

午後一時四五分より同四時五〇分(三時間五分)

午後六時より同七時五〇分(一時五〇分)

(3) 同年同月二〇日

午前九時より午後〇時一五分(三時間一五分)

午後二時より同四時〇五分(二時間五分)

(4) 同年同月二一日

午前九時二〇分より午後〇時〇五分(二時間四五分)

午後一時三〇分より同四時一〇分(二時間四〇分)

(5) 同年同月二二日

午前九時四〇分より午後〇時三〇分(二時間五〇分)

午後二時〇五分より同四時一〇分(二時間〇五分)

(接見及び食事時間を含む)

(6) 同年同月二三日

午前一〇時より午後〇時五五分(二時間五五分)

午後一時三五分より同三時一五分(一時間四〇分)

(7) 同年同月二四日

午前九時三五分より午後二時一〇分(四時間三五分)

(8) 同年同月二九日

午前九時三〇分より午後四時五〇分(七時間二〇分)

(9) 同年同月三〇日

午前一〇時より午後〇時二五分(二時間二五分)

(10) 同年一二月二日

午前一〇時より午後五時五五分(七時間五五分)

(11) 同年同月五日

午前一〇時一〇分より午後四時四〇分(六時間三〇分)

(12) 同年同月六日

午後〇時〇五分より同四時〇五分(四時間)

(13) 同年同月九日

午前一〇時二〇分より午後二時(三時間四〇分)

そして被告人が前記日時に長島警部補より取調べをうけた際座していた椅子が領置してある木製の丸椅子であることは被告人の当公廷における供述に徴しこれを認めることができる。

(ニ) 被告人は長島警部補より取調べをうけた際途中で左下腿部に痛みを感じて姿勢を崩すと同警部補よりたしなめられて姿勢を崩すことができなかつた旨主張する(第三回公判調書一五三、二四五、第四回公判調書一八七問答参照)に対し、長島警部補はこれを否定し却て自由な姿勢をとらせた旨主張する(第四回公判調書一五四、一九一問答参照)。そして被告人は右取調中長島警部補より右一(イ)ので摘示したように家族の面倒をみてくれるなど利益の誘導をうけた旨主張する(第三回公判調書一四〇、二二一問答参照)に対し、長島警部補はこれを否定している(第四回公判調書二五、四九、八六問答参照)。

被告人には性格としてさきに認定したようにことを過大に訴える傾向のあることは否定できないが、前記(ロ)、(ハ)で認定の事実並びに長島警部補には後記(ホ)で認定のとおり取調官として異常の行動のある事実などを併せ考えると、長島警部補の証言を全面的に措信することは困難で、被告人の供述を単なる言い掛りとしてこれを否定し去ることはできない。

(ホ) 一件記録によると、長島警部補が昭和三九年一月一六日被告人に対して金一、〇〇〇円を現金書留で送付したことは明白である。この送金がなされた経緯について、被告人は前記一の(イ)で摘示したように被告人が昭和三八年一二月二三日警視庁より東京拘置所に移監される前日長島警部補との間に送金をうける約束をした旨主張するに対し、長島警部補は「被告人が正月を迎え、同房の者の暮しをみて被告人の困つている窮状を訴えてきたので同情のあまり送金したに過ぎない。このような次第でこの送金と被告人に対する取調べ―延いてはその自白―とは何らの関係もない」旨主張している。

ところで、被告人が長島警部補にあてた書信三通(とくに最初の文面に注目の要があろう)並びに被告人の当公判廷での供述等を併せ考えると、被告人の供述は全部事実とはいえないとしても大綱的には事実に合致しているものと認める。

およそ犯罪の捜査にあたる者が被疑者に対し金銭を贈与するが如きことはまことに異例のことである。そしてこの金銭が贈与された経緯が前段認定のとおりであるとすれば、被告人に対する取調べが終始相当であつたとは到底認められない。けだし若し相当だとすれば被告人に対し筋のとおらぬ金銭などを贈与する理由はないからである。これらの事実に思いをいたすと、本件で問題となつている長島警部補の面前調書の基礎となつている取調についての被告人の主張には全く誇張などがないとはいいきれないがこれを全然虚偽の主張として排斥することのできないことはさきに認めたとおりである。

(ヘ) そうとすれば、長島警部補作成の被告人の供述調書の基礎となつた被告人の供述が果して任意になされたかについては疑があるといわねばならない。

もつとも、検察官は右調書の任意性を立証するものとして被告人の供述を録音したテープを提出しているが、このテープは否認から自供へ移る過程を録音したものではなく、これによつては右結論を覆すまでの心証は惹起しない。

(ト) 被告人の検察官に対する供述調書については、被告人の当公判廷における供述を参酌しても任意性を疑うまでの事実は認められない。なお、司法警察員の取調べについて前記(ニ)及び(ホ)で認定した事実は司法警察員の取調に附帯したものであつて、検察官の取調にはこのような事実は認められないばかりか、一件証拠を検討しても、司法警察員の取調べをめぐつて起つた右事実が弁護人の主張のように検察官の面前調書の任意性を否定するまでの影響を及ぼしたと認めることはできない。

三、よつて、検察官より証拠申請のあつた証拠のうち被告人の(イ)司法警察員長島警部補に対する供述調書はすべてこれを却下し、(ロ)検察官に対する供述調書はすべてこれを採用し、検察官の証拠申請により既に採用した証拠のうち被告人の司法警察員長島警部補に対する供述調書はこれを排除するのが相当であると認め、主文の通り決定する。(八島三郎 新谷一信 山本博文)

別紙(一)

証拠資料

証拠番号

供述者

標目

作成年月日

1

被告人

司法警察員に対する供述調書

昭和38年11月23日

2

同年同月24日

3

同年12月5月

4

検察官に対する供述調書

同年11月21日

5

同年同月28日

6

同年12月2日

別紙(二)

証拠資料

証拠番号

供述者

標目

作成年月日

1

被告人

司法警察員に対する供述調書

昭和38年11月29日

2

同年12月2日

3

同年同月9日

4

検察官に対する供述調書

同年11月29日

5

司法警察員に対する供述調書

同年同月30日

6

同年12月2日

7

同年同月5日

8

同年同月6日

9

検察官に対する供述憑書

昭和39年1月8日

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