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東京地方裁判所 昭和39年(ヨ)2138号 決定 1965年5月17日

申請人 矢代三千男

被申請人 東京栄光時計株式会社

主文

申請人が被申請会社の従業員(雇傭契約上の労務者)たる地位を仮に定める。

被申請人は申請人に対し昭和三九年一月以降本案判決確定の日にいたるまで、毎月二五日限り金一万八、七二〇円の割合による金員を支払え。

申請費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

理由

第一当事者双方の求める裁判

申請人訴訟代理人は、主文第一、第三項同旨及び「被申請人は申請人に対し昭和三九年一月以降本案判決確定の日にいたるまで毎月二五日限り金三二、一六六円の割合による金員を支払え。」との裁判を求め、被申請人訴訟代理人は「本件申請を却下する。申請費用は申請人の負担とする。」との裁判を求めた。

第二当裁判所の判断

一  当事者の関係

当事者間に争いのない事実及び疎明によつて認められる事実は次のとおりである。

被申請会社は昭和二四年一一月、大阪市に本店を有し国産、舶来時計の国内販売卸売及び輸出入を業とする栄光時計株式会社(以下、訴外会社という。)の東京支店として発足したが、昭和三七年二月一九日本店から独立し、訴外会社同様の事業を営む株式会社として設立された。東京支店の部内機構は、支店長の下に第一営業部、第二営業部、経理部、庶務部、貿易部、美術部などの部門にわかれ、各部に責任者(職制)として主任がおかれ、所属従業員の指揮監督、人事考課に当つていた。被申請会社設立の際、東京支店における訴外会社の従業員の雇傭関係はそのまま承継され、社長は訴外会社社長小谷稔がそのまま就任し、支店長原嘉一郎は専務取締役となり、前記のような東京支店の部内機構各部門の主任者その他の職制及び従業員の所属関係は、そのまま被申請会社に受継がれた(但し、東京支店の美術部は栄光美術株式会社として独立した。)。

申請人は昭和三四年四月一日訴外会社に雇傭され、東京支店営業部に所属し、前記東京支店の組織変更によつて被申請会社の従業員となつたものであるが、その間昭和三五年三月から昭和三六年五月までは東京都内担当の外交員、その後は新潟、山梨、茨城各県担当の外交員として勤務し、かつ訴外会社東京支店(組織変更後は被申請会社)の従業員をもつて組織された総評全国金属労働組合東京地方本部(以下、全金という。)栄光時計支部の組合員であつたところ、昭和三九年一月一三日被申請会社から懲戒解雇の意思表示(以下、本件解雇という。)を受けた。

二  申請人の主張

申請人は、本件解雇は無効であると争い、その理由として、被申請会社が全金系の労働組合員であること及び同組合員として組合活動に従事していたことを嫌悪して、本件解雇に及んだものであること(不当労働行為)、仮にしからずとするも申請人は懲戒解雇に値するような非行を行つていないこと(懲戒権の濫用)を主張する。

よつて、以下順次右各主張について判断する。

三  不当労働行為の主張について

1  訴外会社及び被申請会社の組合に対する態度

当事者間に争いのない事実及び疎明によつて認められる事実は次のとおりである。

(一) (旧全金組合の結成と訴外会社による対抗組織結成の動き)

(1) 昭和三六年一二月五日東京支店の従業員約八〇名中一九名は総評全国金属労働組合東京地方本部栄光時計支部(以下、旧全金組合という。)と称する労働組合を結成した上全金及び台東区労協に加盟し、執行委員長に針谷武、副執行委員長に折原和家子、書記長に吉久義勝、執行委員に申請人、深松(現姓は矢代)睦子ら(右役員はいずれも組合結成の中心的役割を果していた。)を選出した。そして、旧全金組合は同月七日東京支店にその結成を通告したが、原同支店長は既に同月六日旧全金組合の結成を覚知していた。

(2) 旧全金組合の結成は労働組合意識の低かつた東京支店の従業員に動揺を与えたので、同月七日夜貿易部主任沖田実、第一営業部主任村田健、第二営業部主任相原浩、経理部主任長谷川弘定ら職制が中心となつて、従業員約三〇名をダイヤモンドホテルに集め、旧全金組合に対抗する組織として「職場を守る会」の結成をよびかけ、出席者の署名を集めた(もつとも、同月九日開かれた団体交渉の席上、訴外会社は会社側が「職場を守る会」に示した態度について非難されたので、遺憾の意を表した。)。

(二) (旧全金組合の活動と訴外会社による同組合の御用化―拡大組合の結成)

(1) 旧全金組合は、年末一時金支給、宿直手当の支給、生理休暇の実施、更衣室の設置ほか六項目の要求事項を掲げて同年一二月九日から同月末まで約一〇回にわたつて訴外会社と団体交渉を行つた。そして右に例示した年末一時金の支給など四項目については労使双方合意に達したが、他の六項目(残業手当、交通費の支給、組合事務所、掲示板の設置など)については、継続して団体交渉を行うこととした。

(2) 東京支店の従業員中非組合員は前記のとおり労働組合意識が低く、社長、支店長らの意向によつてその動向が左右され易い状態にあつたが、小谷社長、原支店長は全金本部を訪ね、全金の性格、運動方針などを調査した結果、これら非組合員の多数を全金組合に加入させた方が労務対策上得策であると判断した。そして、同年一二月下旬から三回にわたり、社長らの意を体した佐々木克昭、白井恒雄、伴敬吉(いずれも勤続年限が長く職制に準ずる地位にあり、全金に対しては批判的立場にあつた。)が非組合員を代表して旧全金組合と交渉し、役員全員の改選を行うことを条件に非組合員多数を一括して同組合に加入させることを申出た。旧全金組合は、非組合員が佐々木らの意向に動かされているだけでなく自発的に加入の意思を有するかどうかに疑問を持ち、当初これに対し消極的態度を示していたが、結局組織拡大のため右申出を受諾し、かくて、昭和三七年一月一三日非組合員四四名が旧全金組合に加入した(これら非組合員加入後の組合を、以下拡大組合という。)。これと同時に前記条件となつていた役員改選が行われ、執行委員長に佐々木克昭、副執行委員長に倉本隆雄、書記長に白井恒雄その他会計一名執行委員五名、以上合計九名の役員が選出されたが、旧全金組合員(当時二一名)からは針谷武(旧全金組合執行委員長)が執行委員として選出されたに過ぎなかつた。その後拡大組合の組合員は七八名にまで増加した。

(3) しかし、拡大組合は、前年来旧全金組合が被申請会社に要求したままで未解決となつている事項(前記(1)記載)があつたのに、後記(三)の(1)のようにこれを春闘要求として提出するまで、組合ニユースを発行したり、被申請会社と一回団体交渉を行つて組合事務所に代るものとして営業所二階の支店長室内の特定の机及び椅子の使用許可を得た以外は特に目立つた活動をすることもなかつた。

また、拡大組合はその所属する全金、台東区労協に全く非協力的で伝達事項を組合員に連絡せず、集会等の行事にも参加しなかつた。このように、従前の非組合員によつて主導権を掌握されるようになつた拡大組合の活動は、旧全金組合に比し、低調なものとなつていつた。

(三) (拡大組合の分裂とその後の被申請会社の態度)

(1) (組合員の大量脱退と新労組の結成)。拡大組合は、昭和三七年二月一六日の組合大会で執行部提案による一律五、〇〇〇円賃上げ、未解決事項(前記(二)の(1)参照)の解決ほか一項目を春闘要求として決議し、同月二〇日これを被申請会社に提示して団体交渉を申入れ、三月一日を期限として回答を求めた。右申入に対し、三月一日被申請会社は団体交渉を同月一五日に開くことを回答すると共に、東京支店独立による被申請会社設立という組織変更を通告した。ところで、拡大組合の内部では、旧全金組合員と新加入者との間で意見の対立があつて組合運営に円滑を欠いていたが、右回答に接した後、翌二日までに佐々木執行委員長、白井書記長ら旧全金組合拡大の際の中心人物を含む五八名がいつせいに拡大組合を脱退し、同夜佐々木を執行委員長とする東京栄光時計労働組合(以下、栄光労組という。)が結成された。しかも、拡大組合においては、その後も一週間にわたつて脱退者が相次ぎ、結局残存組合員は七名(前記針谷、吉久、折原、深松及び宇田川陽子、橋本碵子並びに申請人。以上いずれも旧全金組合員)となつた(この七名による組合を、以下新全金組合という。)。以後栄光労組及び新全金組合の仲は漸次険悪となつていつた(栄光労組が結成後特に目立つた組合活動をしたものと認めるに足る疎明はない。)。

(2) (新全金組合に対する被申請会社の態度)。新全金組合は脱退により欠員となつた執行委員長に吉久、副執行委員長に折原、書記長に針谷、執行委員に申請人外三名を選出した後、文書又は口頭で前記(1)の要求事項その他について被申請会社にたびたび団体交渉を申入れたが、被申請会社は四月一〇日頃一回団体交渉に応じた以外は文書により回答するだけであつた。

(3) (新全金組合員に対する被申請会社の態度)

(イ) (拡大組合分裂直後の被申請会社の態度)。被申請会社は職制により新全金組合員に対し種々のいやがらせを行い、また、栄光労組員による新全金組合に対するいやがらせを黙認するなどした。その主要な事例を列挙すると次のとおりである。

(a) (職務上のいやがらせ)。昭和三七年三月三日経理部から営業部に配置転換された前記宇田川陽子は、新しい職務に不慣れであつたのに、村田第一営業部主任から些細なミスについてまでとがめられ、いやみをいわれ、同人はその後間もなく退職した。前記橋本碵子は同月八日及び四月三日些細な計算違について前記村田主任から強く叱責され、弁解の余地すら与えられなかつた。また右橋本及び前記深松睦子は、接客態度が悪いとの理由で同月三、四日頃前記村田主任から経理部所属従業員の面前で「いらつしやいませ」などといいながらお辞儀の練習をさせられ、更に、右深松及び前記折原和家子は同月四日ないし一〇日頃村田主任の命を受けた武田秀雄(仕入担当の責任者、栄光労組員)の指示で、他の従業員の面前で、模型の電話器を使つて、呼鈴の音まで真似て電話のかけ方の練習をさせられた。

(b) (退職要求、就労妨害、組合誹謗など)。(I)四月四日前記吉久義勝は佐々木、白井等栄光労組員数名に倉庫へ呼出され、全金に所属していることを理由に退職を迫られ、(II)同月七日前記深松は執務中栄光労組員数名から「髪型が悪い。」などといいがかりをつけて、新全金組合員であることを非難され、かつ退職を要求され、(III)同月一四日朝前記吉久、折原、針谷、深松及び申請人は栄光労組員らによつて出勤時入門を一時阻止され、前日台東区労協が配布した被申請会社の新全金組合員に対する処遇を非難したビラのことで口々に攻撃を受けたが、前記村田主任は以上(I)(II)(III)いずれの場合もこれを目撃しながら制止しようとしなかつた。また、同月一四日朝礼の際、前記吉久、折原及び申請人は前記台東区労協のビラに関し栄光労組員らから難詰され、「気狂い」などと罵倒されたが前記村田主任及び相原第二営業部主任はこれを笑いながら見ていた。同月一八日前記橋本、深松は長谷川経理部主任の指示で地下室の倉庫に行つた際十数人の栄光労組員に取囲まれ、約一時間半にわたつて、「全金組合が会社に悪い影響を与える」との理由で個人的な誹謗をも加えて執拗に退職を強要されたが、その間、村田主任も来合せてこれを目撃しながら、これを阻止せず、「そんなものに大勢かかつていてはだらしがない。早くしろ。」などといつて立去つた(橋本はこのような仕打ちにたえかね同日退職願を提出した。)。更に、吉久、折原は同日前記村田、相原各主任列席の朝礼が終るや、即時その場で栄光労組員らから前日針谷が退職したことについていいがかりをつけられて出て行けと罵倒され小突かれた末、室外に押出された。その直後、折原は金庫室に置いてあつた私物の風呂敷包みを持去ろうとすると、前記村田主任及び栄光労組員らから身体を押えられるなどして中味を見せることを強要され、これを拒み逃げ廻つているうちに、ガラス戸に突当つて手首に受傷し、着衣も破れた(吉久及び折原は、同月二五日懲戒解雇処分を受けた。)

(ロ) (申請人に対する被申請会社の態度)。申請人は被申請会社から次のようないやがらせを受けた。すなわち、申請人ら外交員は従来自由に経理部に出入りしていたが、昭和三七年三月頃申請人のみが原専務から必ず長谷川経理部主任の許可を得てから入室するようにいわれた。前記四月二四日の朝礼の際、申請人は村田主任から背中を小突かれ、「何をぐずぐずしている。早く出張に行け。」といわれ、同月二六日の朝礼の際、栄光労組員から「あと二人だ。明日から来るな。」などといわれた(前記のとおり、同月二五日吉久及び折原が解雇され、新全金組合員は申請人及び深松を残すのみとなつていた。)。その後も、申請人は前記相原主任から極く短時間の無断外出をきびしくとがめられて事実確認書を作成させられ、また、事前の電話連絡によつて代休をとつたところ(被申請会社では、従来このようにして代休をとることが認められていた)、村田主任から予めわかつているならば文書で連絡するようにと叱責された。このほか申請人が上司や栄光組合幹部に挨拶しても、同人らは答礼せず、申請人を無視する態度を示していた。

(四) 以上判示のように、被申請会社の前身である訴外会社が、旧全金組合弱体化のため、これに対抗する組織の結成を意図し、同組合の抗議に会うや大量の非組合員をこれに加入させることによりその御用組合化(拡大組合の結成)を図つたこと、拡大組合分裂及び全金系ではない栄光労組結成後もこの動きに同調しないでなお新全金組合に留つていた組合員に対し、被申請会社が職制により種々いやがらせをさせたり、栄光労組組合員と新全金組合員との対立を利用し、前者の後者に対するいやがらせを黙認したことなどの事実に照らせば、被申請会社は、申請人が全金傘下の労働組合員であることの故にこれを嫌悪していたものと認めるのが相当である(もつとも、訴外会社と被申請会社とは法律上別個の人格であつて、前者の不当労働行為意図すなわち被申請会社の不当労働行為意図とするわけにいかないことは多言を要しない。しかし、被申請会社は訴外会社東京支店が独立することにより設立されたものであつて、訴外会社の社長が社長に、東京支店長が専務取締役に就任したほか、内部の機構、各部門の主任者その他の職制、従業員の雇傭関係はそのまま引継がれたこと前示のとおりであるから、訴外会社東京支店と被申請会社との間には、使用者として事実上の同一性が存続するものと認むべく、従つて、訴外会社の東京支店における対組合態度等は、当然被申請会社の不当労働行為意図の存否判断の資料として考慮し得るものと解すべきである。)

2  本件解雇理由の存否

(一) 被申請会社は本件解雇の理由として、次の事実を主張する。

(1) (謝礼金の受領)申請人は、昭和三七年一一月二三日、甲府市の山光時計店の秋山社長から、当時入手困難とされていた一四AFキングセイコー二五石一〇箇の納入方を強く依頼され、同月二九日同店にこれを優先的に納入し、同年一二月二三日秋山からその謝礼として金一万円を受領した。

(2) (無断職場離脱)昭和三八年二月一日から同月八日まで甲府市内の県民会館で開かれた結婚展示会に山梨県時計眼鏡商組合連合会(以下、連合会という。)の出品にかかる時計部門の管理のため、申請人は被申請会社から同会場に派遣され、現場では同連合会専務理事神田一勇の指示を受けて勤務していた。ところが、申請人は同月三日(日曜日)午前九時から午後四時までの開場時中、被申請会社にはもとより、神田にも無断で会場に勤務せず職場を離脱した。

(3) (宿泊料の詐取)被申請会社は従業員出張の際宿泊料の実費を負担するのを例としていたが、申請人は前記派遣による出張期間中二月三日夜甲府市内に宿泊しなかつたのに、宿泊した旨被申請会社に対し虚偽の報告をして、同日の宿泊料金一、五〇〇円(被申請会社の甲府市内の指定旅館談露館の基準料金)を請求し、これを詐取した。

(4) (虚偽の報告による代休)申請人は前記(2)のとおり二月三日(日曜日)勤務に従事しなかつたのにかかわらず、同日に日曜出勤した旨被申請会社に虚偽の報告をして、これに代えて五月一日に代休を請求し、その承認を得て同日出勤しなかつた。

以上の(1)ないし(4)の事実は、疎明によりこれを認めることができる。

(二) 被申請会社は、前記(一)の(1)の非行は懲戒解雇事由を規定した就業規則第四七条第一二号に、同(2)の非行は同第一八号に、同(3)及び(4)の非行は同一号に、それぞれ該当する旨主張するので、この点について考察する。

前記(1)ないし(4)の非行は、昭和三八年一二月一三日神田一勇が被申請会社に前記(1)及び(2)の非行を通報したのが端緒となり、被申請会社が調査した結果判明したもので、いずれも被申請会社の社内規律を乱し、特に(1)及び(2)の非行はその信用にかかわるおそれなしとしないものであることを認めざるを得ない。しかし、以下述べるような理由により、これらも未だ申請人を懲戒解雇すべき事由にはあたらないというべきである。

(1) (謝礼金受領について)疎明によれば、連合会の専務理事である前記神田は会員に対する被申請会社の紹介者として、会員の被申請会社に対する要望等を取次いでいたが、右非行の約一年後である昭和三八年一一月一五日の業者の会合の席上、会員と雑談中、はじめてこれを知らされたのであつて、会員としても右非行をそれ程重大視していなかつたことがうかがわれるのみならず、神田もそのまま不問に付そうと思つたが、前記のような同人の立場上、被申請会社を通じて申請人に厳重注意を促す意味で、右非行を被申請会社に通報したものであること、山光時計店へ納入した前記時計は被申請会社から正規の手続を経て出庫されたものであること及び申請人は同時計店秋山社長から当初依頼を受けた際「入手困難とされている時計を一業者に優先的に納入することはできない」として断り、その場で秋山が予め謝礼として現金を交付しようとしたがこれを固辞した程であつて、事後に受取つた前記謝礼金一万円も決して申請人が積極的に請求したものでないことが認められる。なお、山光時計店は申請人の重要な得意先(申請人の得意先六〇店中上位三店に入り、取引高は一箇月約六〇万円)で、申請人も外交員の立場上、前記秋山社長の要求をむげに断り切れなかつたことも推察に難くないところである。なお、これがため被申請会社自身が信用を失墜し業務に支障をきたす等実害を受けたことを認むべき疎明はない。

(2) (無断職場離脱について)疎明によれば、申請人は東京都内在住の妹が病気であるとの連絡を受けたので二月二日夜前記神田に断つて帰京したが、翌三日は無断欠勤したもので、神田も前記(1)の非行を被申請会社に通報するに当り、ことのついでに一〇箇月以上以前の右非行を書きそえたに過ぎず、同人としても、当時は申請人の右非行をことさら取上げてとがめ立てする意図はなかつたものと認められる。そして、右非行により、特に被申請会社が信用を失墜し、業務に支障をきたすなどの実害を受けたものと認むべき疎明もない。

(3) (宿泊料詐取について)問題となつている宿泊料は一泊分に関するもので、これにより被申請会社の蒙つた損害の程度も極めて僅少である。のみならず、都外担当の外務員らにはこの種非行が相当あり得ると考えられるに拘らず、被申請会社においてはこれまで旅費関係で従業員を処分した事例が認められない。

(4) (代休について)疎明によれば、申請人は昭和三八年五月一日吉久及び折原と被申請会社間の地位保全仮処分申請事件の証人として出頭したもので、当時申請人には二月三日以後にも未だ代休を請求していない日曜出勤があり、いずれにせよ、申請人は五月一日に代休をとることは可能であつたことが認められる。

(5) 以上の諸事情を参酌すると、(1)の謝礼金受領を以て、就業規則第四七条所定の懲戒解雇事由一二号(職務を利用して不当な利益を得又は得ようとしたとき)に、(2)の職場離脱を同一八号(前号に準ずる程度の不都合な行為をしたとき)に、(3)及び(4)の宿泊料詐取及び虚偽報告による代休取得をそれぞれ同第一号(業務に関し会社を詐り又は故意若しくは重大なる過失により会社に損害を与えたとき)に、それぞれ該当するという被申請会社の主張はたやすく肯認し難く、仮に処分するとしても、たかだか右(1)は同規則第四六条所定の減給、昇給停止、出勤停止事由第二号(不正不当の行為をして従業員としての体面を汚したとき)に、(2)は同規則第四五条所定の譴責事由第一号(勤務に関する届出又は所定の手続を怠り若しくは遷延せしめたるとき)に、(3)及び(4)は前記第四六条所定の減給等の事由第六号(その他前各号に準ずる程度の不都合のあつたとき)に、それぞれ該当するにすぎないものと認むべきである。しかも、疎明によれば、申請人が外交員として取扱つた取引高は一箇月約六〇〇万円から一、〇〇〇万円で、少くとも平均以上の実績を上げており、これまでなんらの懲戒処分を受けていないばかりか、昭和三八年七月及び一二月(又は一一月)成績良好として被申請会社より表彰されたことさえ認められるから、前記(1)ないし(4)の非行の累積を総合考察しても、未だ懲戒解雇に値するとはいえない。

3  不当労働行為の主張に対する判断

以上のとおり、被申請会社は新全金組合を嫌い、その組合員であることの故に申請人を嫌悪していた反面、被申請会社の主張する本件解雇の理由たる非行が懲戒解雇に値しないものであつて、これを総合して考えれば、本件解雇は、申請人が新全金組合員であることを決定的動機としてなされたもの、或いはすくなくとも申請人が新全金組合員でなければ敢行されなかつたものと認めるのが相当であるから、本件解雇は不当労働行為として無効と解すべきである。従つて、申請人は右解雇に拘らず、依然被申請会社の従業員(雇傭契約上の労務者)たる地位を有することについて疎明があつたものといわなければならない。

四  保全の必要性について

疎明(甲第二九号証の一、二、三)によれば、本件解雇当時申請人は被申請会社から、毎月本給一万八〇〇〇円、勤務手当七二〇円合計一万八七二〇円を受けていたことが認められ、被申請会社の賃金計算が毎月二〇日締切り二五日払であることは被申請人の争わないところであるから、本件解雇の意思表示により、以後従業員としての取扱を受けず、昭和三八年一二月二一日以降分の右賃金支払を受けない結果(もつとも疎明によれば被申請会社は昭和三八年一二月二一日から本件解雇の日である昭和三九年一月一三日までの賃金一万五、八四〇円として申請人に小切手を送付したところ、申請人はその受領を拒絶したことが認められるが、労働基準法第二四条の賃金通貨払の原則に照らし、労働協約に特段の定めのあることについての疎明のない本件においては、小切手によつては有効に賃金支払のための提供をしたものということはできない。)、労働者である申請人が生活上回復しがたい損害を蒙るおそれがあることは、特段の事情の認め難い本件においては、むしろ見やすい道理であつて、本件仮処分申請はその必要性において欠けるところはない。ただし、申請人は昭和三八年一〇月ないし一二月の間の平均賃金を金三万二、一六六円と主張し、本件仮処分の内容として昭和三八年一二月二一日以降分につき毎月二五日かぎり右平均賃金相当の金員の支払を命ぜられたい旨申立てているけれども、申請人が右平均賃金算出にあたり加算している出張手当及び残業手当は、いずれも被申請会社の命により現実に出張又は残業したことに対する対価であり、本件解雇後、これらの労務に従事していない申請人に対しては、前記月額金一万八、七二〇円の支払を命ずれば足りるものといわなければならない。

五  よつて、申請人の本件申請は主文第一、二項の限度で相当としてこれを認容すべく、申請費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 川添利起 園部秀信 松野嘉貞)

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