東京地方裁判所 昭和39年(ヨ)5594号 決定 1964年9月25日
債権者
日本提灯輸出協会
右代表者会長
宮川一雄
右訴訟代理人弁護士
海野普吉
同
竹下甫
同
宮里松正
同
今永博彬
同
山田伸男
債務者
財団法人日本体育協会
右代表者理事
石井光次郎
債務者
財団法人
オリンピツク東京大会組織委員会
右代表者理事
安川第五郎
債務者
財団法人
東京オリンピツク資金財団
右代表者理事
石坂泰三
債務者三名訴訟代理人弁護士
中松潤之助
同
中村稔
同
勝本正晃
同
高島文雄
同
飯沢重一
同
松島泰
主文
本件仮処分申請を却下する。
申請費用は債権者の負担とする。
理由
一、債権者の趣旨および理由
債権者は「債務者らは、債権者がオリンピツク標章(五輪マークの下にTOKYO1964と横書したもの。第一次的にその下にさらにJOC―62―E―0128と横書したもの、予備的にその記載のないもの)を附した提灯および提灯類似物を装飾用ないし宣伝用に配布、使用するに際し、新聞雑誌ラジオおよびテレビ等を通じて、右提灯等の配布使用が違法行為であるかのような宣伝をし、あるいは右提灯等を使用しようとするものに対して、その使用をしないよう慫慂ないし強要する等その他一切の方法により、妨害をしてはならない。」との仮処分命令を求めた。
債権者の主張する申請の理由の要旨は次のとおりである。
(一) 債務者財団法人日本体育協会内日本オリンピツク委員会(以下JOCと略称する)は昭和三七年七月一四日、承認番号JOC六二E〇一二八をもつて、債権者に対しポスター、および提灯を含む宣伝物にオリンピツク標章をすることを承認した。右承認は使用承認期間を一応昭和三八年六月までと定めているが、現在も更新により存続する。なぜならば、(イ)標章使用の性質上当然オリンピツク開催時までを予定するものであり、(ロ)更新の条件として所定寄贈金の納入が定められ、(納入すれば当然更新される趣旨)、債権者が未納入であるにしても、その不履行はJOCが提灯の使用を待つように指示したためで債権者の責に帰すべきものではなく、(ハ)JOCは債権者が昭和三八年六月二八日なした更新申込に黙示の同意をなし、(ニ)昭和三九年三月頃まで提灯使用を時期尚早とする旨の指示をすることによつて使用承認の更新を裏付けているからである。
(二) オリンピツク標章の使用に法的制限はなく、JOCないし債務者らにその専用権があるべき根拠は全くないから、その使用は債権者の自由である。従つて債権者がその所有に属する提灯等に右標章(ただし、承認番号のないもの)を附して使用もしくは処分することは所有権行使の一態様として何人にも妨げられない筈である。債務者らはJOCがオリンピツク標章について著作権を有すると主張するが、(イ)五輪マーク、オリンピツク標章は、文芸学術美術に関する思想ないし感情を表現したものとは言えないから、著作権の対象とならないし、(ロ)五輪マークと標語の組合せによりなる標章についてJOCが著作権者にあたるとする根拠もない。
(三) 以上のように債権者はオリンピツク標章を提灯等に附してこれを配布、使用する権利を有するにかゝわらず、債務者らはその権威を利用し、新聞雑誌ラジオ等を通じて、承認の認可期限を無視したとか、JOCが著作権者であるとか、債権者を著作権法違反で告訴するとか宣伝して、債権者ないしその代表者を非難し、債権者の提灯等配布使用を不当に妨害している。そのため、債権者はその提灯等製作に投じた資金の回収を阻まれ、倒産するほかない損害を受けている。よつて債権者は第一次的に前記承認に基く契約上の権利にもとづき、第二次的にその提灯等の所有権にもとづき、右のような不法な妨害を禁止する仮処分を求める。
二、債務者らの答弁の趣旨および理由
債務者らは主文同旨の決定を求めた。その主張の要旨は次のとおりである。
(一) 債権者は法人格なき社団と称するが、債権者団体の実在性、債権者代表者の資格ともに疑わしく、当事者能力を認めがたいので、申請は却下されるべきである。
(二) 債権者はJOCが与えた使用承認が存続すると主張するが、JOCが昭和三七年七月一四日に与えた使用承認は昭和三八年六月までを期限としており、その後更新されなかつたものである。なお、右承認は提灯はオリンピツク標章を附することを認めたものではない。
JOCは債債権者の申請に対し昭和三七年三月二八日オリンピツク標章の使用を承認したところ、債権者がその内容に反する行為をしたので、右承認を取り消したが、債権者より再度申請があつたので、昭和三七年七月一四日に、使用承認期間を昭和三八年六月までと定め、なお付帯条件として配布範囲の制限、標章の掲載使用にあたり図案、掲示場所掲示方法数量等につき事前の了承を得ること、協賛条件としての寄贈金などを定めて、再度承認したのである。その間宣伝物に提灯が含まれないことは債権者も了解していたものである。ところが、債権者には、提灯に標章を附することが許されているかの如く公言したり、協賛条件を履行しないなどの行為があつたのであるから、承認が更新されるはずがない。
(三) JOCはオリンピツク標章について著作権を有するから、その承認がなければ債権者はオリンピツク標章を使用することができない。
オリンピツク標章とは(1)いわゆる五輪マーク、(2)「より遠く、より高く、より強く」なるオリンピツク標語を言い、(1)(2)をともに、あるいはそれぞ独立に示されるもので、さらに(3)オリンピツク、オリンピアードという文字、(4)大会が開催される場所と年号が組合わされて広義のオリンピツク標章をなすものので、主要部分は五輪マークである。
五輪マークはピエール、ド、クーベルタンが一九一四年に創作し、同年公表し、一九二六年右(1)(2)が国際オリンピツク委員会総会で公認された際、これを同委員会に譲渡し、JOCは同委員会からオリンピツク標章の専用権を委譲されているものである。五輪マークとこれよりなるオリンピツク標章について著作権が成立するものであり、創作者クーベタンは一九三七年九月に死亡しているから著作権は一九七〇年末まで存続する。
したがつてその複製、販布および類似物作成に対し、JOCは保護される。
なお、不正競争防止法第一条第二号によつても、あるいはまた債務者オリンピツク東京大会組織委員会がオリンピツク準備特別措法によつて公法人とされ、したがつてその行動基準たるオリンピツク憲章も公法上の規則たる性質を有する意味においても、オリンピツク標章に法律上の保護が認められると考える。
(四) 債権者が妨害と主張する行為は、債務者らが債権者に対する使用認可について照会をうけた際などに、その事実に反する旨を旨げたこと、債権者の所為を違法と考えて告訴することに決めたこと、新聞等がこれを報道したこと、JOC関係者が従来の経緯を公表したことに尽きるのであり、その一部は債務者らの行為でないが、オリンピツク標章の保護の責任を負う債務者らの立場としてなさねばならぬ義務を果したにすぎない。これらは債権者の所有権行使の妨げとなるものではない。申請は却下されるべきである。
三、当事者能力に関する判断
当裁判所は債権者に当事者能力があると判断する。JOC自体もオリンピツク標章使用承認を債権者あてに与えており、債権者の定款、議事録などが架空のものとは認めがたく、これらによれば、債権者は一定の組織及び代表者を有し独自の活動を営む団体と認めることができる。JOCあてに債権者がその名称、代表者名の異なる文書を出しているという事実は、その経緯に照らすと、右判断を左右するに足りない。よつて以下申請内容について判断する。
四、使用承認の存続に関する判断
JOCが、債権者に対し、昭和三七年七月一四日承認番号JOC六二E〇一二八をもつてオリンピツク標章の使用を承認したこと、右使用承認期間が一応昭和三八年六月までと定められていたことは当事者間に争いがない、当裁判所は、右使用承認期間は形式上のものでなく実質的なものであり、その後更新はなされなかつたもので、現在は存続していないと判断する。その理由は次のとおりである。
(一) 疎明によれば、(イ)JOCは、昭和三七年三月二八日、債権者の申請にもとづき、承認番号JOC六二E〇一二四をもつて、「件名オリンピツク協賛のためのポスター、使用期間昭和三七年三月より昭和三九年一〇月末日迄、使用物件ポスター、但しポスターに記入されている発売の文字はとること、なお配布対象は国内に限定する、条件オリンピツク資金財団と打合せの事」との内容でオリンピツク標章の使用を承認したこと、(ロ)同年四月一日付新聞に債権者が東京オリンピツク委員会から提灯百万個の注文を受けた旨が五輪マークの附された提灯の写真入りで報道されたことから、問題となり、JOCは前の承認を取り消したこと、(ハ)債権者は同年四月一五日付で五輪マーク入りの提灯はなく、東京オリンピツク委員会の注文もない旨の陳謝状をJOCに送り、同年五月一一日付新聞に右内容の取消広告をなしたこと、(ニ)その後債権者の再申請にもとづき、JOCは、昭和三七年七月一四日承認番号JOC六二E〇一二八をもつて「標章を使用する物件ポスターおよび宣伝物、使用期間昭和三七年七月一日より昭和三八年六月三〇日まで(一ケ年)、その他A本使用の物件の配布される範囲は団体にとゞめること、Bポスターならびに宣伝物に掲載するにあたつては、その図案、掲示場所、掲示方法等原案を事前に本委員会に提出して了承を得ること、C数量については貴方申請通りポスター五、〇〇〇枚とし、その他についてはその都度申し出ていたゞき了承を得ること、D協賛条件東京オリンピツク資金財団と十分連絡の上決定すること」の内容でオリンピツク標章の使用を承認したこと、(ホ)協賛条件については債権者が東京オリンピツク資金財団に昭和三八年六月三〇日までに金一千万円を寄附することに決つたこと、の各事実が認められる。右の経緯に照らせば、JOCの承認は特に期間を一年と定めたものであり、また提灯に五輪マークを附することは承認していなかつたものと認められる。この認定を左右するに足りる疎明はない。
(二) 右標章使用の承認(右に述べたように、提灯に五輪マークを付することはそもそも認めていなかつたのであるが)の更新に関する債権者の主張は肯認できない。この点に関する前出一の(一)(イ)記載の主張は前認定の承認の内容と異なる前提に立つもので採ることができず、同じく(ロ)(ハ)(ニ)記載の債権者主張の事実についてはその疎明がない。かえつて債権者が協賛条件であつた一千万円の寄附を果していない点について疎明がある状況である。
したがつてJOCの使用承認を前提とする債権者の申請は失当である。
五、著作権等に関する判断
なぎにオリンピツク標章についてJOCないし債務者らが法律上保護されるべき専用権を有する旨の債務者らの主張に関して判断する。当裁判所の判断は以下に述べるとおりであつて、あえて要約すれば、JOCないし債務者らが著作権その他の専用権を有するとは直ちに肯認しがたいけれども、著作権の主張については明らかに根拠のないものとも言えないというに帰する。
(一) まず著作権について判断する、疎明、とくにオリンピツク憲章によれば、(イ)いわゆる五輪マークは近代オリンピツクの創始者ピエール・ド・クーベルタンによつて一九一四年はじめて呈示されたものであること、(ロ)国際オリンピツク委員会が一九二六年に五輪マークと「より速く、より高く、より強く」なる標語とをオリンピツクの標章と定めたこと、(ハ)国際オリンピツク委員会は同委員会がオリンピツク標章の独占的所有者であると定め、各国内委員会(日本においてはJOC)にその使用の専用権を与えるとともにこれを保護するよう義務づけていること、前記クーベルタンは一九三七年九月に死亡したこと、の各事実が認められる。したがつていわゆる五輪マークが著作権法にいう著作物に該当するのであれば、債務者ら主張の権利取得の経過に必ずしも明確でない点がないのではないが、一応JOCが著作権者であるといえると思われる。(かしし前記標語についてはクーベルタンが創作したものと認めるに足りる疎明がなく、五輪マークと標語の組合せによつてはじめて著作物に該当するのであれば、疎明上、国際オリンピツク委員会の団体著作物と評価される結果、現在では著作権法による保護期間を経過したものというほかない。)
ところでいわゆる五輪マークが著作権法第一条に規定する「美術の範囲に属する著作物」に該当するか否かは、はなはだ問題であるが、それが比較的簡単な図案模様に過ぎないと認められるので、直ちにこれを肯定するに躊躇せざるを得ず当裁判所は消極に解するものである。いわゆる五輪マークがオリンピツクのしるしとして一般に広く認識され、国際的に尊重されていることは周知の事実であるけれども、これはオリンピツク行事が意義ある国際的行事として広く知られるようになるにつれて、その象徴として認識されるに至つたものと考えられ、五輪マーク模様それ自体の美術性によるものとは考えられないから、右事実によつて著著作物に該当するに至るとも認めがたいのである。(なお、五輪マークと標語とが組合わされた場合にも、事情は右と同様であつて、標語自体の文芸性を認めるのは困難であり、また組合せによつて文芸および美術の範囲に属する著作物となるとも考えがたい。)
(二) しかしながら(イ)著作権法にいう著作物をどう理解するかは論義の分れるところであつて、著作物の範囲が次第に広く解釈される傾向に進んでいること、(ロ)五輪マークが世界五大州と各国の国旗、すなわち世界の国々を表現し、オリンピツクを象徴する独自の模様として一般に認識されるに至つていること、の二点を考慮するとき、(当裁判所は前記のように消極に解するけれども)著作権に関する主張は相応の根拠を有するものと考えられるのである。
(三) 次に債務者らのその余の専用権の主張について判断する。不正競争防止法に関する主張は、JOCが営業をなすものでなく、同法が保護の対象として予定する営業上の利益を有するものでなく、有すべきものでもないことに鑑み、これを採り得ない。またオリンピツク憲章が公法上の規則にあたる旨の主張は、かりに債務者オリンピツク東京大会組織委員会が公法人であるとしても、国際オリンピツク委員会の規約にすぎない憲章が、公法上の規則になる根拠がないから、到底採り得ない。その他債務者らが専用権を有すると解すべき根拠は見当らないのである。
六、妨害行為に関する判断
以上に述べた認定と判断とを前提として、つぎに債務者らに仮処分をもつて禁止すべき行為があるか否かについて判断する。
(一) 債務者らが債権者のオリンピツク標章使用に関して、すでになしまたはなすと予想される行為は、疎明によれば次の如きものと認められる。
(1) オリンピツク標章の使用を希望する者は、JOCの認可を受くべき旨、および認可のない使用をしないようにとの要請
(2) 債権者の使用はJOCの認可なしに行われている旨の言明
(3) 債権者と債務者らとくにJOCとの交渉経緯の説明
(4) JOCがオリンピツク標章について著作権を有する旨の見解の表明
(5) 債権者のオリンピツク標章使用が著作権法に違反する旨の見解の表明
(6) 右見解にもとづく債権者に対する告訴
これらが問合せに答える通知、債務者らの内報えの記載、あるいは一般報道機関の報道となつてあらわれていることが認められる。
(二) 前項のうち(2)および(3)については、四において判断したとおりの理由により、本件において批難の余地はないし、また(6)については、見解の正否を問わず、仮処分の対象とすべき行為ではない。問題となりうるのは(1)(4)(5)に関連する行為であるが、当裁判所はこれらも仮処分によつて禁ずべき限りでないと考える。なぜならば、JOCが著作権者である旨の主張は前述のとおり相応の根拠を有するものであり、また債務者らは国際的行事の主催者側団体としてオリンピツク憲章にしたがう必要から発表要請しているのであつて、見解要請の表明は言論、思想の自由に属すると考えられるからである。たとえ言論による見解の流布という形をとつていても、全く根拠のない見解を、しかも相手方に損害を考える目的もしくは不法な手段で流布するような場合には、不法行為となるし、仮処分による禁止の対象となることもありうると考えるけれども、本件の場合、債務者らの見解流布は、その内容、目的、手段のいずれにおいてもこのような不法なものとは認めがたいのである。
(三) 債権者の提灯使用に関し、債務者らが言論以外の手段で妨害する具体的なおそれは、主張上も疎明上も認められない。
七、結論
以上の理由により、本件申請を却下することとし、申請費用について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり決定する。(裁判長裁判官安岡満彦 裁判官小堀勇 花田政道)