東京地方裁判所 昭和39年(刑わ)1038号 判決 1965年6月26日
被告人 ジヨージ・テレンチェフことテレンチェフ・ジヨージ 外六名
主文
被告人テレンチエフ・ジヨージを懲役三年に、
被告人市橋巌を懲役二年六月に、
被告人堤信三を懲役二年に、
被告人小倉秀文を懲役一年六月および罰金二万円に、
被告人柏茂を懲役一年六月に、
被告人加瀬治郎を懲役一年および罰金二万円に、
被告人根岸安雄を懲役一年に、
処する。
被告人小倉、同加瀬において右罰金を完納することが出来ないときは、いずれも金千円を一日に換算した期間、当該被告人を労役場に留置する。
未決勾留日数中、被告人テレンチエフに対しては二百日を、被告人市橋に対しては三十日を右各本刑に算入する。
この裁判が確定した日から、被告人堤に対しては四年間、被告人小倉、同柏、同加瀬、同根岸に対してはいずれも三年間それぞれ右懲役刑の執行を猶予する。
訴訟費用中、証人柏田松男、同阿部才三(昭和三十九年十月二十日公判出頭分)、同山口洋一(同年十月二十六日公判出頭分)、同佐藤通次(同年十月二十六日公判出頭分)、同渡辺要吉に支給した分は被告人テレンチエフ、同市橋、同堤の連帯負担、
証人鬼沢道治に支給した分は被告人市橋の単独負担、証人遊座裕次、同崎山哲男、同菅藤雅徳、同片山謙治(昭和三十九年十月二十日、同年十一月十六日公判出頭分)、同藤坂善夫(同年十月十二日、同月二十日、同年十一月十六日公判出頭分)に支給した分は被告人テレンチエフ、同市橋、同根岸の連帯負担、証人佐藤通次(昭和三十九年十月十二日公判出頭分)、同松崎篁に支給した分は被告人テレンチエフ、同市橋、同根岸、同小倉の連帯負担、
証人テレンチエフ・ジヨージに支給した分は被告人小倉の単独負担、
証人野間政男、同山口洋一(昭和三十九年十月八日公判出頭分)、同阿部才三(同上公判出頭分)、同高木基一(同年十月八日、同月十四日公判出頭分)に支給した分は被告人柏、同加瀬、同小倉の連帯負担、
証人西村幸雄に支給した分は被告人テレンチエフ、同堤の連帯負担とする。
理由
(被告人らの経歴)
被告人テレンチエフ・ジヨージは、亡命ロシヤ人の長男として日本で生まれ、昭和二十六年に日本女性岡本黄菊と結婚し、昭和三十三年三月に日本の国籍を取得し、同年秋頃から企業調査を業としていたもの
被告人市橋巌は、高等学校を卒業後旧警察予備隊(その後、自衛隊となる)に入隊し、昭和三十七年七月末依願退職して同年八、九月頃から被告人テレンチエフに調査員として雇われ企業調査業に従事していたもの
被告人堤信三は、旧師範学校を卒業後小学校の教員、新聞記者、新聞経営等を経験し、戦時中は中国にも渡つたりしたが、戦後は神経痛等の治療を業とするかたわら昭和三十八年始頃からは新聞「政経モニター」の主幹となり、また、多くの会社の端株を持つて各会社から賛助金の援助を受ける等していたもの
被告人小倉秀文は、早稲田大学理工学部を卒業して凸版印刷株式会社に入り、昭和三十六年十二月から同社下谷事業部調査室長をしていたもの
被告人柏茂は、旧仙台高等工業学校建築科を卒業し、戦後海軍から復員して大日本印刷株式会社に入り、昭和三十六年六月同社技術部第三課副課長となつたが昭和三十八年三月から同社総務部第二課副課長待遇とされ、旧部下の野間政男副課長の下で勤務するに至つたもの
被告人加瀬治郎は、東京大学法学部を卒業後、凸版印刷株式会社に入り、昭和三十六年十二月同社総務部庶務課長となつたもの
被告人根岸安雄は、小学校中退後給仕をしながら実業学校機械科を卒業し、印刷工となり、昭和二十六年二月大日本印刷株式会社に入社し、昭和三十三年八月からは同社総務部秘書課に雇として勤務していたものである。
(本件の発端)
被告人テレンチエフ(以下、単にテレンチエフという、他の被告人についてもこれにならう。)はSIA秘密調査機関の機関長と称し、極東通信社その他の名称で調査員を使つて企業の秘密の調査等を業としていたが、昭和三十七年七月頃には、広く企業間に宣伝文書等を頒布して調査利用を呼びかけ業績の拡張を計つた。たまたま凸版印刷株式会社(以下、単に凸版印刷あるいは凸版という。)の被告人小倉は当時同会社の機密が競争会社の大日本印刷株式会社(以下、単に大日本印刷あるいは大日本という。)に洩れている疑いを拭い切れずその対策に苦慮していた矢先に右宣伝文書を手にし、SIAをしてこの点の調査をさせようと考え、その頃テレンチエフや同人の調査員大庭小二郎に会つて、凸版のどういう情報がどういうところに流れているのか、大日本印刷が凸版印刷に対してどのような諜報活動をしているのか確認のため調査をしてもらいたい旨依頼したことに端を発し、大日本印刷と凸版印刷との企業競争にまつわる本件各事犯の続発をみるに至つた。
(第一から第五までの犯行に至る経緯)
テレンチエフは、その頃(昭和三十七年八、九月頃)調査員として雇い入れた被告人市橋に企業調査対策機関長の肩書をつけさせ、当初は同人には右依頼の事実や自己の真意は明かさず、依頼主は細川印刷であると偽り、同人に大日本印刷の幹部に接近して同社から企業調査の依頼を受けることによつて潜入し同社の企業情報を収集するよう命じた。そしてテレンチエフは、小倉に対しては市橋を調査に使つていることを秘したうえ、同年九月下旬頃大日本印刷が市橋機関を使つて凸版印刷をスパイしているので同機関に潜入員を入れて大日本印刷の情報をとり、同時に市橋の対凸版スパイ工作を攪乱すべきであり、そのためには潜入員に信用を得させるため凸版印刷の適当な情報を潜入員を通じて市橋に流す必要があると小倉に持ちかけた。テレンチエフのこの話を真に受けた小倉は本社社長室長本田哲郎とも相談したりしたうえ、会社業務に支障を招かない程度の真偽とりまぜた凸版に関する情報をテレンチエフに提供したので、同人はこれを市橋に手渡すとともに同人に大日本印刷に対する接近の手段、方法につき種々具体的な指示を与えた。このようにして、市橋は、昭和三十七年十月上旬頃から同月下旬にかけ、大日本印刷取締役企画部長柏田松男(当五十一年)に対し、自分は今度自衛隊を退職して企業調査の仕事を始めた、凸版印刷が多額の予算をつかつて大日本印刷をスパイしていることを聞き知つたが、大日本印刷も凸版に対し調査活動をすべきではないか、防衛のためでもよいから働かしてくれ、と言葉巧みに接近し、テレンチエフから渡された前記情報を本当に凸版印刷をスパイして入手した機密情報のように装つて右柏田に提供しようとしたりしたが、同人は数回におよぶ市橋の勧誘にもかかわらず容易にその要請に応ぜず、むしろ度重なる同人との接触を通じ或る種の秘密情報のルートなどをつかんでいる節もみられる等不気味さを感じ秘書課長佐藤通次を偽名で紹介する等して同人の手を借り穏便裡に市橋と手を切ろうと計り、佐藤は佐藤で凸版印刷の機密調査等はする必要がない、と強く断つたため、右被告人らの、大日本から調査の依頼を受けて潜入し情報を入手しようとするもくろみの実現は思うにまかせぬ状況にあつた。
第一、(テレンチエフ、市橋の柏田に対する恐喝未遂)
テレンチエフは、市橋から逐一右経過の報告を受けていたが、柏田らの態度が意に満たないところから、市橋の柏田に対する前記のような接触を種にして同人から報酬請求名下に金員を喝取しようと企て、テレンチエフおよび市橋は共謀のうえ、市橋がテレンチエフの指示にもとずいて同年十一月十日頃東京都中央区銀座七丁目四番地喫茶店「コロンバン」において右柏田に対し、あなたの方に取り入るために、対凸版の工作費用としてもう十三万六千円つかつている、こちらはサービス機関ではないから、正式に調査を依頼してくれないならこれを払つてくれ、もし払わないなら自分の方には何とでもする方法がある、大日本印刷から凸版印刷の調査を頼まれ十三万円つかわされているということを新聞紙や週刊紙に発表する、自分は佐藤やあなたのことも知つていますよ、等と言外に同人らの私行についても暴露記事の種になるような事実を握つているように暗示しながら開き直り、柏田をして右要求に応じなければ前記のような経緯から同人が市橋に凸版印刷の機密調査を依頼したかのように捏造された記事が新聞や週刊紙等に発表され、大日本印刷の取締役の立場にある柏田の私行をもあばかれ、あるいは同人および会社の信用を著しく失墜させられるような事態を招くに至るものと困惑畏怖させ、柏田から金員を喝取しようとしたが、同人が後記山口に頼んで市橋を遠ざけようとする等して支払に応じなかつたためその目的を遂げず
第二、(テレンチエフ、市橋の阿部に対する恐喝)
その後、柏田は相変らず市橋からつきまとわれるので困惑し、大日本印刷の技術部長山口洋一に頼み、その助力により市橋を遠ざけようとして、同人に山口を引き合わせた。市橋はテレンチエフの指示を受け、右山口にも前記と同趣旨の調査依頼方を求め、同人が手を焼いてからは、柏田に同様の依頼をうけて矢面に立つてきた同会社総務部長阿部才三(当五十二年)に対し強引に前記のような凸版に関する偽情報を提供し、あるいは凸版の労組にコネが出来た、それを抱き込むため二十万出してくれないか、と持ちかける等して同人をして市橋が本当に大日本印刷に協力しようとしている者であるよう装つて執拗に接近し、傍ら、会社の秘密や会社役員らの弱味をも握つているような素振りをしたり、これを週刊紙に持つて行けば金になることを匂わせ、柏田からの依頼の手前もあつて簡単に関係を絶ち切れない立場に置かれていた阿部をして事を荒だたせないため昭和三十七年十二月から翌三十八年三月はじめ頃までの間前後数回にわたり五万円づつの現金の交付を余儀なくさせていたが、再三の要求にも拘らず同人から前記二十万円の交付が得られないとみたテレンチエフおよび市橋は共謀のうえ、同年二月末頃から三月十日過ぎ頃にわたり前記「コロンバン」において市橋が阿部に対し、テレンチエフから渡された同人の産業スパイとしての暗躍を伝える新聞や週刊紙の切抜きのスクラツプブツクを示したりしながら、凸版にはテレンチエフという産業スパイの大物がついて大日本に対する謀略を始めたから放置しておくと大日本印刷は危い旨を繰り返し強調したり、その頃テレンチエフともども都内の盛り場を飲み歩いて同人に対する工作の偽装したりしたうえ、同月中旬頃前記「コロンバン」において市橋が阿部に対し、あなたの留守中テレンチエフに取り入るため工作費を三十万円もつかつたからなんとかしてくれないか、と執拗に要求し、阿部が容易に応じないとみるや、払つてくれないのなら自分にも考えがある、とすごみ、同人をしてこれまでの経緯や市橋の言動からもし同人の右要求に応じなければ勤務先の大日本印刷の幹部の私行上の秘密を握つた市橋によつてそれが世間に暴露され、ひいては、同会社の信用を著しく傷つけ、その営業や銀行からの融資等にも支障を来たす事態をも招来しかねないと困惑畏怖させ、よつて阿部をして同月十五日頃前記「コロンバン」において現金十万円を交付させてこれを喝取し
第三、(市橋の阿部に対する脅迫)
市橋は、大日本印刷側の者が、同会社を訪れて帰る途中のテレンチエフを尾行して失敗したことにかこつけて前記阿部から大日本印刷の機密情報を提供させようと考え、同年三月三十日頃の午後八時過頃東京都新宿区揚場町十五番地セントラルコーポラス一階ロビーに阿部を訪ね、同所において同人に対し、大日本印刷が勝手にテレンチエフの尾行をして失敗したため、テレンチエフは折角潜入した自分を大日本のスパイであると白い眼で見始め、自分は身の危険にさらされているが、これから助かるために大日本印刷の情報を提供してくれ、と要求し、阿部に拒否されるや、それならあなたが私を使つて凸版をスパイさせていたということを売込んで金にし自分の身を守りますよ、あなたが何もしてくれないならテレンチエフと組んで大日本印刷を攻撃して一ぺんに吹き飛ばしてやる、と極言し、阿部をして市橋がテレンチエフとともに会社の存立を危くするような謀略行為に出、ひいては自己の生活をくつがえさせる事態に追い追むかも知れないと畏怖させて脅迫し
第四、(テレンチエフ、市橋の大日本印刷に対する業務妨害)
テレンチエフおよび市橋は、前記のように阿部に対し市橋が執拗に接近して阿部から数回にわたつて金員の交付を受けていたが、同人が前記第三のように情報の提供を断り、また、その頃金員の交付をも拒否して、市橋との交渉につきしばらく冷却期間をおきたいと婉曲に会見の打ち切りを申し出ると、今後大日本との間に円滑な接触関係の発展は期待出来ないとみてとつたテレンチエフおよび市橋は共謀のうえ、大日本印刷の幹部社員を誹謗する文書を頒布して同社の営業上の信用を失墜させ、かつ、社内および同社の取引関係の攪乱を図ろうと企て、両名で原稿を作つて印刷に付した、「私は訴える」と題し、「大日印首脳グループの乱脈振り社の内外で謀略、陰謀、不正の数々」と副題をつけ、大日本印刷では柏田、阿部および秘書課長佐藤通次らが徒党を組み、秘密調査機関を使つて凸版印刷の秘密情報を入手し、あるいは凸版労組や同社反抗分子の買収による同社内外の攪乱工作を図り、また、大日印内部の反抗分子の摘発、馘首をして会社を自派グループで固める謀略工作を推し進めているが、同グループは社金の着服をはじめ数々の乱脈な行為によつて会社を喰い物にしている云々、元大日本印刷工作機関、等と大日本印刷の対外的信用を失墜するような虚構の事実を記載した文書約千枚を昭和三十八年四月中旬頃から同月下旬頃にかけて東京都中央区銀座東三丁目十一番地平凡出版株式会社等大日本印刷の印刷受註先および大日本印刷本社、各営業所等に郵送等の方法で頒布し、もつて虚偽の風説を流布して大日本印刷の印刷営業に関する業務を妨害し
第五、(テレンチエフ、市橋、堤の佐藤らに対する恐喝)
テレンチエフおよび市橋は、大日本印刷の幹部社員が右のような誹謗文書の頒布や、さらにそれが帝都日日新聞(同年五月九日付)に転載されて困惑畏怖しているのにつけこみ、同人らから、市橋が大日本印刷のためにした調査活動等に対する報酬の未払金取立にかこつけて金員を喝取しようと企て、当時テレンチエフのもとに出入していた被告人堤信三に対し、テレンチエフが、市橋を引き会わせ、同人は大日本から工作費用を取れずに困つている者で、同社を攻撃するビラを撒いたりしても払つてもらえずにいるが、証拠物件として写真やテープもある等と持ちかけ、堤に成功の際の謝礼を約して右費用の取立交渉方を依頼し、堤は場合によつては大日本印刷側の弱味につけ込むことも予想しながらこの話を引き受け、テレンチエフ、市橋および堤は大日本印刷の幹部から市橋の工作費名下に金員を喝取することを共謀のうえ、同年五月中旬頃数回にわたり同都新宿区市ヶ谷加賀町一丁目十二番地大日本印刷において前記佐藤通次(当三十五年)に対し、堤が、柏田や阿部らは市橋に凸版印刷をスパイしその内部攪乱工作をするよう依頼しながらその報酬の未払金百万円を支払わない、これは録音もあるし写真にも撮つてある、市橋に証拠物件を公開されたら困るだろう、市橋はいま金に困つているので凸版に売り込むと凸版は必ずこれを買取るだろう、総会屋もかぎつけているからこれが株主総会にでも出れば蜂の巣をつついたように荒れるだろうし、新聞、雑誌も書きたて、また、警視庁まで大日本印刷から書類を持つて行くようになり、大日本印刷は信用を失うようになるから、そうならぬように早く金で手を打つた方がいいんじやないか、もし、出さなければ市橋はまた大日本印刷を誹謗するようなビラを撒いたり証拠資料を公開したりするだろう、市橋がいろいろのことをやれば結局大日本印刷のためにならない、等と申し向け、なお、その間、同会社社長の子息の結婚式のあることも判つている旨ほのめかしたりし、その挙式の前日にあたる同月十九日を接渉の期限に切つたうえ、自分はあまり面倒なら手を引き、市橋に勝手にやつてくれという、むこうは急いでいるから、等といつて百万円を要求し、右佐藤および同人を介し大日本印刷常務取締役広野正澄、同刀禰太郎等同社幹部社員をして、社長令息の結婚式や、外国における社債発行等重要議案を決める株主総会(同年六月二十日)を間近かに控えた時期であり、右堤らの要求に応じなければこれ等の行事に不測の事態が起きるかも知れず、また、市橋によつて会社業務に支障を来たす行為を招くに至るものと困惑畏怖させ、会社から次善の解決を託され、金を与えて収拾するほかはないと考えた右広野をしてその頃知人遠藤洋吉に事情を話して仲介を依頼し、同人からさらに武井敬三、渡辺要吉を介して同月二十日頃同都港区芝新橋一丁目三十二番地新橋第一ホテルにおいて現金二十万円を交付させてこれを喝取し
第六、(根岸の窃盗、テレンチエフ、市橋の賍物収受、小倉の賍物寄蔵)
一、被告人根岸安雄は、市橋から、阿部等大日本印刷の上層部が根岸を敵対分子とみているから注意するようにと好意ある助言に託して接近され、求められるままに別紙犯罪事実一覧表(一)記載のとおり昭和三十八年九月下旬頃から同年十二月上旬頃までの間、六回にわたり同都新宿区市ヶ谷加賀町十二番地所在の大日本印刷内から同社総務部秘書課長佐藤通次保管にかかる大口受註報告書計千二百二十八枚(昭和39年押第1209号の六一、六二)専務取締役片山謙治保管にかかる東京工場採算検討報告書三綴(前同押号の八六)等を持出して窃取し
二、テレンチエフおよび市橋は巧みに根岸を情報源としてつかみ、共謀のうえ、市橋が別紙犯罪事実一覧表(二)記載のとおり同年九月下旬頃から同年十二月上旬頃までの間、六回にわたり同都江戸川区小岩町四丁目千九百十九番地喫茶店「ルミエール」外一箇所において根岸から同人が大日本印刷から窃取したものであることの情を知りながら同社の大口受註報告書計千二百二十八枚(前同押号の六一、六二)、東京工場採算検討報告書三綴(前同押号の八六)等の交付を受けて賍物を収受し
三、被告人小倉秀文は、同年九月下旬頃同都台東区台東一丁目五番地所在凸版印刷においてテレンチエフから、根岸が大日本印刷から持ち出し窃取した機密書類であることを知りながら同社大口受註報告書千百九十七枚(前同押号の六一のうち千百九十七枚綴の分)を預りもつて賍物を寄蔵し
第七、(テレンチエフ、堤の佐藤らに対する恐喝未遂)
テレンチエフは、根岸その他の者を通じて不正に入手した大日本印刷の大口受註報告書、工場機械配置図、政治献金メモ等の機密資料を利用して同社幹部社員から金員を喝取しようと考え、自己のもとに出入りしていた堤に対し、右書類の持主から大日本印刷への売却依頼を受けており、二百万円で売れたら百万円もらえるから半分あげる、と話を持ちかけ、堤はこれを了承し、テレンチエフおよび堤は右書類の売却名下に金員喝取を共謀のうえ、昭和三十九年一月二十日頃堤が大日本印刷において前記佐藤通次に対し、前記第六(一)、(二)の書類その他の写真を示しながらテレンチエフの考えた筋書どおり、大日本印刷の大口受註報告書、政治献金メモ等の会社機密を入手した者が仲間割れしたためこれを売つて高飛びしようとしている、御希望なら資料を出すが金が欲しいといつている、二百万円で買つてやつたらどうだ、もし、そういうものが公表されたら会社の面子がなくなるだろう、自分はそんな馬鹿なことをするな、と止めてあるが、一株主としてお伝えする、あとは私が手を引けばどういうことになつても御了承願いたい、と申し向け、佐藤が容易にこれに応じないと見るや、同月二十七日頃テレンチエフおよび堤は右会社の専務取締役片山謙治宛に、会社の大口受註報告書、人事名簿、東京工場採算検討報告書、市ヶ谷工場機械配置図等会社機密書類の写真計十四枚ならびに政治資金情報と題する政治家数名の氏名と政治基金受領額を記載した紙片二枚を、これらの会社機密を買わなければこれが世間に公表され会社の営業に支障を来たし、かつ、政治献金の事実は大きな問題の導火線となる旨記載した手紙と共に郵送したうえ、同月二十九日頃堤が右会社において、その頃右片山から問題の善処方を依頼されていた前記佐藤に対し、再び、右機密書類および政治献金メモ等を二百万円で買つてくれ、もし買わないとこれらの機密は公表されるがそうなれば会社は大変だ、政界の大問題だし、警視庁の手が動く、責任上社長や幹部は総退陣になる、二流三流の新聞に出されるとうるさい、向うは命がけなんだ、自分がポケツトマネーを出して押えてあるのだが、自分が手を引いたらどうなるかわからないよ、等と執拗に申し向けて金員を要求し、佐藤および前記片山等会社幹部をしてこの要求に応じなければ右機密資料の保有者らによつて会社の信用を著しく傷つけ、業務に支障を来たす事態を惹起させられると畏怖させ現金二百万円を喝取しようとしたが、佐藤らがこれに応じなかつたためその目的を遂げず
第八、(柏の窃盗、加瀬の賍物故買、小倉の賍物寄蔵)
柏は、前記のような異例な人事異動を受け、これを行つた上司の措置を恨むと共に大日本印刷における前途に希望を失い、友人斎藤裕経営の斎藤工業株式会社に転職することとしたうえ、大日本印刷に対して報復しようと考え、社員名簿を調べて昭和三十八年六月十七日頃凸版印刷庶務課長加瀬を訪ね、右の事情を打ち明けて、凸版印刷による大日本印刷の不法建築の摘発を頼んだところ、加瀬は、柏を通じて大日本印刷の機密情報を入手しようと考え、その様な泥試合よりは、大日本印刷の工場設備、業務状況を凸版側につかませる方法による報復の方が得策であると柏を説き、さらに機械にくわしい旧部下の小倉と相談のうえ、同月二十日頃再び柏と会つた際小倉と共に同様のことをすすめて、柏を納得させ、相当の対価で加瀬に大日本印刷の機密資料を提供することを約束させた。
そこで、
(一) 柏は、前記斎藤工業で働く際の参考のためと加瀬に売り渡す資料として、別紙犯罪事実一覧表(三)記載のとおり、昭和三十八年六月下旬頃から同年七月三十一日頃までの間前後十九回にわたり、前記大日本印刷内から同社総務部第二課副課長野間政男保管にかかる同社市ヶ谷工場関係工事見積書四十六部等同社所有の機密書類合計三百七十四点(但し、同表番号10人事考課実施要領等綴中「大日本印刷戦後十五年の歩み」一冊を除く)を窃取し
(二) 加瀬は、凸版印刷において、柏から、同人が大日本印刷に勤務中同社から持ち出し窃取した機密書類であるかも知れないことを知りながら、
(1) 昭和三十八年七月二十日頃大日本印刷禀議決裁一覧表八十七枚(昭和39年押第20 1号9の三二)を
(2) 同年八月二十二日頃大日本印刷市ヶ谷工場機械配置図二枚(同押号の五六)、工事別工程表等二十五枚(同押号の六〇)、京都工場等の工場配置図及び敷地図面七枚(同押号の五〇)、人事考課実施要領等一綴(同押号の三四、但し、「大日本印刷戦後十五年の歩み」一冊を除く)、賃上回答説明書等一綴(同押号の三三)を相当の対価を支払う旨合意のうえ買い受け(同年十月二十九日頃代金として合計五万円を支払つた)、もつて賍物を故買し
(三) 小倉は、加瀬が柏の右資料提供に対する謝礼代金の支払に窮していることを知り、右市ヶ谷工場機械配置図二枚を複写してテレンチエフを通じて共同印刷に売り込ませて金にしようと考え、柏が大日本印刷から持ち出し窃取した機密書類であるかも知れないことを知りながら、同年十月下旬頃凸版印刷において、加瀬から右市ヶ谷工場機械配置図二枚(同押号の五六)を預りもつて賍物を寄蔵し
たものである。
(証拠の標目)
<中略>
なお、ここで前記認定した理由中、本件の主要な争点について簡単に補足して説明することとする。
被告人ら(およびその弁護人らの主張を含む)、特にテレンチエフおよび市橋は、判示各事実を通じ、種々の弁解をし、抗争するのであるが、要するに、
(一) テレンチエフおよび市橋は、大日本印刷との関係について、市橋が同社の柏田、阿部らに金員を要求したのは、同人らから凸版に関する情報収集の註文を受け、同社の情報を同人らに提供し、その報酬請求権があつたのでその請求をしたまでのものであり、金員の請求はいずれも正当な権利の行使である、また堤をして、大日本印刷の佐藤通次(広野正澄、刀禰太郎)等に多額の情報報酬金を請求させたのは、大日本印刷側でこれを拒否することにより堤は当然同社の株主総会にあらわれ、会社首脳の非違をあばき社長退陣等の足がかりとなる事態を作るに至るという筋書をねらつた謀略にすぎず、いずれも脅迫や恐喝をしたことにはならず従つてそのような犯意を持つたことも、共謀をしたこともない。
(二) 堤は、ことの真相を知らず、テレンチエフらに依頼されるまま同人らの手足になつて情報報酬請求権の存在を信じ(判示第五)、または情報資料の売却あつせん(判示第七)のためその指示どおり行動したにすぎず、恐喝の意思はなく、従つてテレンチエフらとの共同正犯でもない。
(三) 大口受註報告書等の窃取、その収受、寄蔵の関係について
(イ) 根岸は、持ち出した資料はいずれもすでに使用価値がなく窃盗の対象物としての財物性がない、また、持ち出すとき不法領得の意思がなかつた。
(ロ) テレンチエフおよび市橋は、収受物件は財物性がない、また、賍物性の認識はなかつた。
(ハ) 小倉は、受け取つた物件について賍物性の認識がなかつた。
(四) 判示第七の恐喝未遂につき、テレンチエフは、堤が勝手に資料を持ち出して犯行に使用したもので、テレンチエフ自身はまつたく無関係である。
(五) 判示第八の柏の窃盗、加瀬の賍物故買、小倉の賍物寄蔵の関係について、
(イ) 柏は、起訴事実指摘の禀議決裁一覧表は窃取の対象でなく、その素材の感光紙の窃取如何が問題になるに過ぎない、その他のものについては、大日本印刷側の所有または占有を認めることはできない。
(ロ) 加瀬、小倉はこの関係でも賍物性の認識がなかつた。
というのであつて、各被告人はいずれも当公判廷において右弁解にそつた詳細な供述をしている(なお、被告人らの検察官に対する供述調書中にも一部これに符合する記載がある)のであるが、これを客観的に裏付ける資料に乏しく、かえつて、本件証拠を綜合して認められる次のような諸点にかんがみ、右各弁解、主張を容れることは出来ない。すなわち
(一)の前段の正当権利行使の主張に関しては、そもそもテレンチエフが市橋を柏田、阿部らに接近させたのは、小倉から判示のような依頼のあつた後、凸版のため大日本印刷の情報を収集しようということで始まつたものであり、事実、テレンチエフは小倉に対し大日本印刷から入手した情報と称して種々の報告をして多額の報酬を得ていたものであること、市橋から接近された柏田は市橋との接触に困惑しながらも、自己の女性関係等につき何か握られているのではないかとおそれ、会社取締役の立場、面子からはつきりと断わることが出来なかつたもので、ソニー、川崎重工等に市橋を紹介して、その方へ振り向けようとした形跡も認められること、佐藤、山口、阿部らに後始末を頼んだのは、転任まぎわ、ことを荒立てずに手を切ろうとはかつたものと認められること、柏田は市橋にまつたく金を支払おうとせず、問題を会社との正規な関係のものとはしていなかつたとみられること、ことが大日本印刷の社内で大きな問題となるまでは柏田、佐藤、山口、阿部らの相互間で、被告人市橋らの主張するような調査依頼、諜報活動ないし工作といつたことが会社に利害関係のある共通の事柄として連絡、検討等がなされたと疑うに足りる具体的状況は見当らず、かえつて柏田から尾を引く市橋の接近を断うとした共通の態度が認められること、ただ、阿部に関しては、とにかく数回にわたつて金員を交付し、あるいは市橋から情報めいた記載のある文書を受領したり、その間、本心から出たものかどうかはともかく佐藤について悪口をいつたりして市橋の巧みな接渉誘引に口先を合せたような点がうかがわれ、市橋をして調査依頼を受けたとの口実を設けさせかねない言動が若干見受けられることは本件証拠を検討した場合否定し去れないのであるが、阿部の証言その他の証拠から、阿部は、市橋と接触するようになつたのは、柏田から、変なたかりにつきまとわれて困つているから追払つてくれ、自分の弱味を握つているらしいからこのことは皆にあまりいわないで欲しい、という依頼があつたからであり、市橋に最初の五万円を交付したのは昭和三十七年十二月二十八日の株主総会運営の最高責任者としての立場から市橋を総会屋の一人ではないかと思つたからであること、市橋が執拗に情報収集依頼の必要である所以を説いたのに対し、裏街道を行くことの非を指摘してたしなめている状況があること、その頃(昭和三十八年一月二十日頃)すでに市橋から、会社や会社役員に関しいろいろ知つており、週刊誌に持つて行けば金になる旨聞かされていること、同年三月はじめに当初予定した手切金二十万円の限度に達するものとして最後の五万円を渡していること等の諸情況を綜合すると、市橋、阿部間の会話を録音した録音テープ、市橋からテレンチエフに宛てて書かれた報告書等の存在ないしその内容等を被告人らの弁解に耳を傾けて十分考慮、検討してみても、阿部の前記のような付かず離れずの煮えきれない態度の継続は、むしろ市橋の一連の行動から、柏田の弱味をつかまれている立場、自己の就任早々の総務部長として最初の試金石を無難にやり遂げたいとの立場等を慮り、不測の事態の発生することを怖れるのあまりのものであると認めるのが相当であり、被告人らの弁解するような調査依頼ないし労組工作依頼と目し得る事実は到底認めることが出来ず、従つて、テレンチエフ、市橋らに報酬請求権があり、これを前提とした一連の交渉であるとの弁解も容れることが出来ない。
(一)の後段(二)に関しては、テレンチエフらの主張を裏付ける証拠は乏しく、堤については、テレンチエフが堤に対し本件におよぶまでの経緯についてその全貌あるいは真相を必ずしも明らかにしなかつたこと、堤がテレンチエフに利用された面のあることは認められるけれども、まつたくの手足になつたと認められる情況はない、むしろ、堤は自らの自由意思にもとずきテレンチエフの依頼を引受け、自己の認識、了解した事情を前提として本件犯行におよんだものと認められ、しかも堤は大日本印刷側との交渉の方法や内容についてはテレンチエフから予め具体的な指示があると、盲従しないでこれにつきいろいろ確認して交渉に臨み、あるいは交渉の都度その経過を報告して情勢に応じテレンチエフと次の接渉の打ち合せをしたうえ、さらに相手の出方を計りつつ交渉を続けるという態度を続けていたものであつて、(判示第五の犯行に関しては、北島社長、同夫人に宛てた手紙を市橋あるいは市橋、テレンチエフと相談して書いており、また自己の判断にもとずいて二十万円を受取つて結末をつけており、判示第七の犯行に関しては、片山専務宛の手紙をテレンチエフと相談して書いている、市橋、堤の当公判廷における供述参照)、犯行につきテレンチエフ(ないし市橋)と事前の意思の連絡、通謀があつたと認めるのが相当であり、その言動そのものも、正当な請求権行使として許容出来る態様ではなく、また単なる資料売却のための平穏な行動の程度に止まる態様でもない。
(三)に関しては、
(イ) 根岸が、自己の持ち出した大口受註報告書綴は常日頃これを取り扱つて記載内容等を知つており、焼却あるいは断裁という特殊な方法によつて廃棄処分されるまでは総務課内のロツカーに厳重に保管されるべきものであつたことの認識を有していたことは証拠上明らかであつて、弁護人主張のような論拠でその財物性を否定し去ることは出来ず、また、これを第三者の手に渡すため無断搬出することがその権利者(所有者ないし占有者)を排除し、自己が完全な支配を取得する行為であることも、また、当然理解していたものと認められるので、根岸の所為が窃盗に当ることは疑いの余地がない。また、工場採算検討報告書は大日本印刷内の廊下に出されてあつただけでまだその支配を脱しない役員の机の中にあつたものであつて、これに財物性のあること、これを前同様の目的でほしいままに自己の支配内に移すことが窃盗になること、いずれも明白である。
(ロ) テレンチエフおよび市橋は、当時、根岸から大日本印刷に属する種々の書類を受け取り、金員を与えていたのであつて、特に本件大口受註報告書、東京工場採算検討報告書はその外観、記載内容を一瞥しただけでも、これらが社外に出ることの許されない大日本印刷の重要機密書類であると認め得るものであることは明らかであり、事実、テレンチエフは大口受註報告書を入手するとすぐこれを小倉に一晩貸し与えただけで数万円の報酬を得ているのである。テレンチエフおよび市橋に右各書類を収受する際その賍物性(および、その当然の前提としての財物性)の認識があつたことを否定することが出来ない。
(ハ) 小倉が右大口受註報告書について、当初テレンチエフから入手し得る旨の連絡を受けた際はせいぜい数枚程度のものと想像していたところ、現物があまりに厖大な量のものであるのを見て内心に動揺を覚えたこと(小倉の公判廷における供述)や、小倉が凸版印刷の中堅幹部社員であつて、右書類綴の外観や書類の記載内容等を一見して当然その所有者にとつての重要性、機密性を看取し得る立場にあり、その能力を有していた者であると認められ、小倉がテレンチエフから右物件の交付を受けたときその賍物性の認識があつたことは明らかである。
(四)に関しては、堤は、テレンチエフの指示の有無が罪責の存否に関係ない程度まで自己の客観的行動を認めているのであつて、故らテレンチエフを罪にしようとする供述態度とは認められないし、テレンチエフが自ら片山専務宛の封書を投函した事実を争わないのにその内容を知らなかつた、と供述するのは同被告人の職業柄からいつても当時の大日本印刷に対する関心からいつても不自然であり、またその封書に封入した大日本印刷の機密資料の写真等を堤がテレンチエフの隙をうかがつて手中にしたという主張も、職業的諜報活動に従事するテレンチエフを提がさらにその郵送までさせるほど、ほんろう出来たと認めることは困難だから採ることはできないのであつて、テレンチエフが堤と共謀して犯行におよんだものであることは、片山専務宛送付した大日本印刷の機密資料の写真、政治献金についてのメモの存在や堤の公判廷における供述によつて認められるその郵送にいたるまでの経過および北島社長夫人宛封書の送付状況または客観的に認められる堤の数次にわたる佐藤との交渉の際の言辞(録音テープ、同速記録参照)の内容が提一人の知識、案出によるものとは到底認められないこと、それに前述(二)の諸点と堤の公判廷における供述をも考え合せると、テレンチエフの弁解が容れられないものであること多言を要しない。
(五)に関しては、
(イ) 禀議決裁一覧表については、柏が大日本印刷において原本を技術部の加藤亮泉から借り出し、総務部備付の感光紙に複写してこれを持ち出したものであることは、争いがなく、弁護人主張のとおりである。しかし、柏は、当初からの意図のとおり大日本印刷内で、ほしいままに、同社の機密書類を同社所有の感光紙に同社の複写器を使つて複写し、これを社外に持ち出したものであるから、全体的にみて、単なる感光紙の窃取ではなく、同社所有の複写した右禀議決裁一覧表を窃取したものと認めるのが相当である。
賃上回答説明書等綴、人事考課実施要領等綴、人事関係資料綴の所有関係については、これ等は柏が係長、副課長在職中配布された古い書類であつて、特に引継等はなされず、会社側の取扱いに若干不注意な点があつたことは、その主張のとおりである。しかし、これらは、右のような役職者のいわば地位に対して配布されたもので、<秘>、社外秘等取扱いに慎重を期するよう表示されており、柏が個人として会社から全く自由な処分をまかされていたとは考えられないので、会社の所有であつたというべきである。
又、右賃上回答説明書等の書類と建築工事関係書類の占有関係については、柏と野間の地位の交替があつてから特に引継等がなく、具体的な保管方法等に特別の変化がなかつたことはその主張のとおりである。しかし、右地位の交替は、逆転的な交替であり、依然両名共同室内に勤務し、柏担当の建築工事関係の仕事の内容が変らず、同課室外にあつたロツカー二個内に収められてあつた書類等は野間は自身その合鍵があつてその保管に不便がなかつたため従前の上司である柏に対する遠慮から同人にも従来どおり鍵をもたせてこの方を合鍵とみていたにすぎないのであり、柏が部長から直接命ぜられて作成していたもの等ロツカー以外のものについては、これらは、総務部二課内の通常保管すべき場所におかれていたもので、いずれも当時の同課の責任者野間副課長の意思を無視して、その保有状態を変えることを許されていたとは認め難いから、いずれも柏の直接の上司である野間副課長(当時課長は空席)に保管責任があつたと認むべきである。
(ロ) 加瀬の主な目的が情報としての内容を知ることにあつて物自体を入手したかつたのではないことは、弁護人主張のとおりであろう。
しかし、加瀬、小倉共初から柏の大日本印刷における地位、資料を提供するに至つた事情等を知つていたこと、資料自体大日本印刷の機密に属する内容のものであること、機密の文書、図面等を大日本印刷の社外に持出し外部の者に渡すことは社則違反であることは右被告人らに容易にわかつていたと認められること、従つて複写等は社内で行われたと考えるのが筋道であること、複写物も社外持出が許されないことは原本と同断であること、機密文書、図面等が退職社員の手中にあることを大日本印刷が容認したといえる具体的情況のないこと、資料提供につき事前に報酬が約されていたこと、小倉も加瀬から相談を受けて、今後入手を希望する資料あるいは提供を受けた資料に対する対価等について種々加瀬に助言を与えていること、等を綜合すると、加瀬、小倉共少くとも柏が会社所有のものを不正に持ち出してきたのかも知れないといういわゆる未必の故意程度の認識はあつたものと認めるのが相当である。
(法令の適用)
一、被告人テレンチエフの判示各所為中、各恐喝未遂の点はいずれも刑法第二百四十九条第一項、第二百五十条、第六十条に、各恐喝の点はいずれも同法第二百四十九条第一項、第六十条に、業務妨害の点は同法第二百三十三条、罰金等臨時措置法第二条第三条、刑法第六十条に、賍物収受の点は同法第二百五十六条第一項、第六十条にそれぞれ該当するので、業務妨害罪につき所定刑中懲役刑を選択し、以上は同法第四十五条前段の併合罪なので、同法第四十七条本文、第十条により最も重いと認められる判示第五の恐喝罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で同被告人を懲役三年に処し、同法第二十一条により未決勾留日数中二百日を右の刑に算入し、
一、被告人市橋の判示各所為中、恐喝未遂の点は刑法第二百四十九条第一項、第二百五十条、第六十条に、各恐喝の点はいずれも同法第二百四十九条第一項、第六十条に、脅迫の点は同法第二百二十二条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、業務妨害の点は刑法第二百三十三条、罰金等臨時措置法第二条、第三条、刑法第六十条に、賍物収受の点は同法第二百五十六条第一項、第六十条にそれぞれ該当するので、脅迫罪および業務妨害罪につき所定刑中いずれも懲役刑を選択し、以上は同法第四十五条前段の併合罪なので、同法第四十七条本文、第十条により最も重いと認められる判示第五の恐喝罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で同被告人を懲役二年六月に処し、同法第二十一条により未決勾留日数中三十日を右の刑に算入し、
一、被告人堤の判示所為中、恐喝の点は刑法第二百四十九条第一項、第六十条に、恐喝未遂の点は同法第二百四十九条第一項、第二百五十条、第六十条にそれぞれ該当し、以上は同法第四十五条前段の併合罪なので、同法第四十七条本文、第十条により重いと認められる判示第五の恐喝罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で同被告人を懲役二年に処し、
一、被告人小倉の判示各所為(賍物寄蔵)はいずれも刑法第二百五十六条第二項、罰金等臨時措置法第二条、第三条に該当し、以上は同法第四十五条前段の併合罪なので、同法第四十七条本文、第十条により重いと認められる判示第六の三の賍物寄蔵罪の懲役刑に法定の加重をした刑期範囲内および罰金刑については同法第四十八条第二項により合算した額の範囲内において同被告人を懲役一年六月および罰金二万円に処し、
一、柏の各窃盗は包括して刑法第二百三十五条に該当するので、所定刑期の範囲内で同被告人を懲役一年六月に処し、
一、加瀬の各賍物故買は包括して刑法第二百五十六条第二項、罰金等臨時措置法第二条、第三条に該当するので所定刑期および金額の範囲内で同被告人を懲役一年および罰金二万円に処し、
一、被告人根岸の判示所為は包括して刑法第二百三十五条に該当するので、その所定刑期の範囲内において同被告人を懲役一年に処し、
一、被告人小倉、同加瀬が右罰金を完納出来ないときは、刑法第十八条第一項により、いずれも千円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置することとし、
一、後記の事情を考慮し、刑法第二十五条第一項第一号によつて被告人堤に対しては四年間、被告人小倉、同柏、同加瀬、同根岸に対してはいずれも三年間それぞれ右懲役刑の執行を猶予することとし、
一、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文、(連帯負担部分につき、第百八十二条)を適用して主文末項掲記のとおり各被告人に負担させることとする。
(一部無罪の理由)
柏に対する公訴事実中「同人が人事考課実施要領等一綴中の『大日本印刷戦後十五年の歩み』一冊を同綴の他の書類と共に窃取した」との点、および加瀬に対する公訴事実中「同人が柏から右賍物を故買した」との点は、
証人高木基一の当公判廷における「これは、大日本印刷から写真愛好の同社の一般従業員個人に配布されたものである」旨の供述に照らし、これが会社の所有で野間副課長に保管されていたと認めるに足る適確な証拠はない。従つて、右の点は、証明がないことに帰し、無罪であるが、いずれも一罪として起訴された一部であるから、特に主文において無罪の言渡をしない。
(量刑の事情)
本件は、産業の発達が企業間の競争の激化を助長している産業界の現状を背景に、利欲の追求、誤つた企業競争意識、上司に対する憤まん等が、大胆にも法の枠をふみにじり、背徳をあえてする行為となつて現われたもので、産業界はもとより広く世人に与えた衝撃には軽視出来ないものがある。しかし、各被告人の犯行関与には消長があり、従つて、その責任にも自ら軽重があるものと認められるので、以下個別にこれを検討することとする。
テレンチエフは、企業調査を職業としているものであり、それが性質上とかく法の枠を踏み外す危険性を帯びている点に心し、その職業倫理にもとらぬよう心懸けるべきであつたのにかかわらず、判示のように情報調査依頼者をあやつりつつ、大日本印刷側のものの弱みにつけこみ、市橋や堤を巧みに動かし、数次にわたる恐喝をくり返し、業務妨害におよび、相被告人根岸を犯行に引き込む等、その犯行態様は執拗にして陰険悪質であり、不法利得も多く産業スパイ事件と呼ばれた本件の中心人物として暗躍、犯行を反覆した責任は重大であつて、実刑は免れない。
市橋は、テレンチエフの配下となつてまもなく、自己の役割の異常さに気付くべきであつたのにかかわらず、道を誤り、終始テレンチエフの指図に盲従し、その分身のように行動して同人の不当な企みの実現を助け、あえて判示各犯行におよんだものであり、犯行態様は陰険、執拗である、果した役割の質量および招来した結果等を考慮するときは、刑の執行を猶予するのは相当でない。
堤は、豊富な人生経験を重ね、十分事理をわきまえ得る年令にありながら、年若いテレンチエフにおどらされ、利用されて、政界、財界の裏面通気取りで本件各恐喝の所為に出たものであつて、犯行態様は悪質であるが、現在六十三才の老令にあり、また、これまで本件以外に過ちを犯したことのないこと、本件に加担の動機も判示のようにテレンチエフから巧みに勧誘され、利益分配の話につられた比較的単純なもので、テレンチエフとのつながりは市橋との比ではなく、さらに二度目の恐喝は未遂に終つていることを考えると、この際は被告人に社会にあつたまま自己の所業につき反省させるのが相当であると考える。
小倉は、同人のテレンチエフに対する当初の調査依頼の動機が会社のためを思うことに出たもので自社の機密防衛が目的であつたことは首肯出来るとしても、テレンチエフの巧妙な作戦によつて次第に深入りし、同人らによる本件各犯行の誘因をつくるとともに、自らもあえて判示各犯行におよんだものであつて、一流会社の中堅社員としてあるまじき所為である点、責任は重いものがあるが、右のように、テレンチエフにつけ入られたと思われる面もあり、現在十分反省し、また、将来に期待の持てる能力の持主であること等を考慮し、懲役刑の執行を猶予するのを相当と考える。
柏が長年の間大過なく勤務したと思われるのに大日本印刷から異例の左遷、冷遇を受けたことには同情の余地もあるとはいえ、これを判示のような背信行為によつて報復しようとしたことは許し難い。
しかし、右のような無理な人事の結果、大日本印刷側の書類の保管責任者に遠慮が生れて過誤なきを期し難かつたこと、柏にはこれまでにいわゆる前科前歴はなく、現在は本件を深く悔悟して、斉藤工業株式会社において責任ある地位に迎えられ、真面目に勤務していることその他家庭の事情等を考慮すると刑の執行を猶予するのが相当である。
加瀬は、相当の教養がありながら本来あるべき執務の筋道を忘れ、柏を正しくたしなめることをしないで、むしろ同人の犯行を事実上、そそのかし、さらに小倉の犯行を加えさせることになつた責任は軽視できない。
しかし、加瀬もいわゆる前歴等はなく、現在凸版印刷の中堅社員として真面目に勤務し、将来に富む点を考慮し、懲役刑の執行を猶予するのを相当とする。
根岸は、市橋の巧みな接触によつて犯意を生じ、秘書課員として会社の機密に接し得る立場を利用して本件犯行に出たものであり、会社を裏切つてテレンチエフらの犯行に協力する結果を招いた責任はやはり重大であるが、犯行の動機や被告人の年令、反省の態度等を考慮し、刑の執行を猶予するのが相当であると考える。
そこで主文のとおり判決する。
(裁判官 吉沢潤三 佐野昭一 小川英明)
犯罪事実一覧表(一)、(二)、(三)(略)