東京地方裁判所 昭和39年(刑わ)4306号 判決
〔主文〕1 被告人らをいずれも懲役二月に処する。
2 ただし、被告人らに対し、この裁判確定の日からいずれも一年間、その刑の執行を猶予する。
〔判決理由〕(認定事実)
被告人ら三名は、昭和三九年九月当時、いずれも東京都千代田区代官町二番地所在の東京学生会館に在館していた学生であり、被告人伊藤は同会館自治会書記長、同岡部は同会館生活協同組合専務理事、同野田は同会館自治会会計担当委員をしていた。
東京学生会館は、学生のため物心両面にわたつて厚生援護を図ることを目的とする財団法人学徒援護会により、戦後間もないころから、宿舎難になやむ大学生のための学生自治寮として経営されてきたものであつて、その経費の大部分は国庫補助金によつてまかなわれていた(学徒援護会は、同会館のほかにも全国一〇カ所に同様の学生会館を経営している)。
学徒援護会は、昭和三十五年常務理事に下村康を迎えて以後、文部省の意向に従い、従来きわめて大幅に在館学生の手にゆだねてきた東京学生会館の運営の実際を同会がみずから行なうことにする方針を強く打ち出すようになつたため、これに反対する同会館の在館学生(以下館生という)と同会との間の摩擦が次第に激しくなつてきた。
やがて、数年前からの懸案であつた東京学生会館の新築移転の問題が具体化し、昭和三九年七月ごろその設計図が館生側に示されたところ、これには館生の自治活動に必要な諸施設が入つていなかつたうえ、そのころ援護会側から学生会館管理規程(全国の学生会館についての統一的な通則)を制定施行する意図がいよいよ明瞭に示されたため、これらを自治権の侵害であるとして反対する館生多数は、事態の進展に焦慮し、同年八月三一日および九月三日の両日、同理事者に対し多数の館生との集団交渉を要求したけれども、理事者の応じるところとならなかつたばかりでなく、九月三日には理事者の要請により警察官が同会館に出動するという事態を生じるに至つた。
そこで、同年九月七日午前一〇時ごろから、館生ら多数は同会館中庭で集会を開き、被告人伊藤らが代表として援護会常務理事近藤英男に会つて、さらに集団交渉を求めたが、同理事に拒絶されたところから、ここに、被告人三名は、他の館生多数との間に、理事者の意思に反して多数の館生が援護会事務室内に入り、集団の力で理事者らに圧力を加えることにより要求の貫徹を図ることについて、たがいに意思を相通じ、
(一) 同日午前一一時ごろ、約四〇名の館生とともに、学徒援護会理事長生悦住求馬の管理する東京都千代田区代官町二番地所在学徒援護会本部二階事務室に不法に侵入し、
(二) 同時刻ごろから、右約四〇名の館生とともに、右援護会事務室内で、前記近藤英男の執務する机をとり囲み、被告人伊藤から集団交渉に応じること、九月三日に警察官を導入した責任をとることなどの要求をし、周囲の館生が「学生をなめるな」、「誠意をもつて答えろ」などとどなつたりしていたが、午後零時過ぎごろ常務理事下村康が外出先から同室内に戻つてくると、館生たちは同理事の周囲に移動し、被告人岡部、同伊藤らが前同様の要求を執拗にくり返し、同理事が拒否の態度をとり続けているうち、次第に室内の館生の数がふえて、事務室内の空いている床部分ほとんど一杯に館生らが腰をおろし、また机の上に腰をかける者もあり、様相も次第に険悪になつて、館生たちは、口々に、「なまいきいうな」「やつちまえ」、「殺しちまえ」、「家に火をつけてしまえ」、「帰りはただでは帰れんぞ」などというような怒声や罵声を飛ばし、また、同理事の体を椅子ごと机に押しつけ、後からその肩や脇腹をこづき、被告人野田は同理事の額をこづき、このようにして館生たちは同室内に勤務する他の職員たちをも威圧するような態度をとり続け、もつて、援護会の終業時間である同日午後五時ごろまで、威力を用いて右近藤、下村両理事の業務および結局は同室勤務の他の援護会職員一〇名の業務をも妨害したものである。
(弁護人の主張について)
東京学生会館は、学生に低廉な宿舎を提供することとならんで、インターカレッジの総合的自治寮として自治訓練によつて民主国家にふさわしは人材を育成することを目的として、設置経営されてきたことは明らかであり(「財団法人学徒援護会十年誌」昭和四〇年押一三九一号の一八参照)、その運営の実際面においても、入館者の選考、館内の秩序維持、退館処分、日常事務などが、実質上、同会館自治会を主体とする館生の手に委ねられ、さらに、全国の各学生会館への予算の配分についても、全国学生会館自治会連合による実質的主体的な関与が行なわれ、このような意味で、館生が従来きわめて広範な自治を行なつてきたことは明瞭である。
ところが、前記のように、昭和三五年下村理事の就任以降、文部省の方針に従い、学徒援護会が次第に打ち出してきた諸方策は、従前館生に委ねられていた自治の範囲を根本的に縮小する方向にあり、特に、前記新館の設計図には自治委員会室、生活協同組合事務室、同組合従業員宿舎などが入つていないため、従前のような自治活動が事実上きわめて困難になるような内容を含んでいたし、予定された学生会館管理規程も、従来館生の手で行なわれていた入館選考、退館処分その他種々の事項の処理が館生の手から奪われることを内容とするものであつた。
そもそも、入館選考、退館処分その他学生会館の管理運営に関する諸事項を処理する権限や、各学生会館に対する予算を配分する権限が学徒援護会に帰属すること自体については、法制的に疑問の余地はない。しかし、そのことを前提としたうえで実際の運営をどのように行なうかについては、種々の態様が可能である。館生の広範な自治に委ねた従前の方法によつても、個々の事項の面では特に著しい不都合が生じたものとはみられず(どのような管理体制のもとでも、時に若干の不都合な事例の起きることは免れない)、むしろ、近藤理事の指導のもとに、個々的にはおおむね支障のない運営が行なわれてきたものとみられる。これに対し、下村理事が加わつた後の援護会は、このような運営体制自体ないしその全体的効果を不適当として、その根本的な変更を実現しようとしたのであり、だからこそ館生との間に深刻な対立を生じるに至つたものであることは、容易に理解できるのである。
右のような援護会の方針ないしその背景にある文部省の文教政策について、それぞれの立場や角度からその政治的ないし政策的当否を論議する余地は、もとより充分に存在する。しかし、ここでは、どこまでも前記認定のような被告人らの行動について刑法的に正当化事由が存在したといえるかどうかという観点から、問題を考えるのでなければならない。
さて、学徒援護会は文部省を主管官庁とする財団法人であつて公的な団体であり、東京学生会館は館生の勉学の場でもあるから、会館内の個人的または集団的な学問研究活動とそこから生じる諸問題の解決は、建物など諸施設の使用上不都合を生じることのないかぎり、館生の学問の自由を保障するために館生の自治に委ねられなければならない。しかし、それ以上どのような範囲にまで館生の自治を認めるべきであるかについては、自治制度を採用したことが学徒援護会の目的とする教育的事業の一環である以上、教育目的や効果などを考慮しつつ館生を指導するという立場にある援護会に最終的な決定権があることを否定できないのである。もとより、民主社会における自治能力の養成、学生の自由で自主的な気風の養成という教育的観点からも、援護会が館生の自治活動を最大限に尊重すべきであることはいうをまたないけれども、館生は前記の意味における教育の一環としての自治活動をすることを承認して入館しているものといわざるをえないのであつて、主張しうる自治活動にはおのずから限界があることを認めなければならない。
ところで、近藤理事は、新館の設計図には種々の都合で表面上自治活動のための諸施設が含まれていないけれども、実際上は可及的にこれを取り入れるつもりであると館生側に話していたのであり、また予定された学生会館管理規程でも、自治組織の存在が認められ、文化体育等の団体活動の自由も承認されているのであつて、これらの事実その他諸般の情況に照らせば、被告人らの本件行為の段階において、前記のような館生の学問の自由を保障するために必要な自治活動まで侵害される危険がさしせまつていたものとは、けつしていうことができないから、被告人らの行為が憲法上の権利を守るためにやむことをえないものであつたとすることはできないのである。
そして、八月三一日、九月三日の両日の出来事を経て九月七日の本件当日に至つた経緯に照らすと、援護会の理事者らが前記認定のような態様での館生らの入室ないし交渉を承諾し容認する意思がなかつたことは明らかであり、また、当日の援護会職員の業務が保護の対象となりえないものというべき理由もない。その他本件に至るすべての事情を充分に考慮に入れても、結局、被告人らの前記認定のような行為について、構成要件該当性を否定し、あるいはやむをえない正当な行為であつたとしてその違法性を否定すべき事由は存在しないものといわなければならない。
(情状について)
本件のような事態を招くについては、援護会側と館生側との一般的な考え方の対立のほかに、下村理事の個性の問題が存在したことも、見逃すことができない。剛直にして寛容な近藤理事が館生たちの信頼をえていたのに反し、下村理事は館生たちとの精神的交流を欠き、館生たちの目には、ひたすら文部省の方針を押しつけようとしているものと映つたようである。本件当日の館生たちの行動も、近藤理事に対するものと下村理事に対するものとでは、格段の相異があつた。もし、もつぱら近藤理事が援護会の事務を掌理していたものとすれば、館生たちとの間に紛争が起きたとしても、その様相はかなり異つたものであつたと思われる。
右の事情をも含めて、本件に至る諸事情を考えると、被告人らの立場からすれば、従前からの態様の自治活動に対する切迫した危機感から本件のような行動をとるに至つたものとして、一面無理からぬところがあるのも事実である。しかし、正しいと信じる目的のためであればあるほど、その手段については徹底的に慎重な配慮が要求されるのである。被告人らとしては、このような行動が結局はどのような効果をもつものであるかについて、深刻な反省が必要である。その時々の政府の文教政策が歴史の批判にさらされているように、学生たちの行動もまた同様に歴史の批判を免れない。
本件の場合の館生たちの行動としては、ともかく下村理事の体に手をふれたことは許しがたいし、怒声、罵声の類もけつして単なる野次として許されるような性質のものではなかつたが、幸いにその行動は特に凶暴といえるようなものではなかつた。被告人ら自身は、被告人野田が軽く下村理事の額をこづいたほかは、なにも乱暴をしていないし、他の館生たちに乱暴をするようにあおつてもいない。被告人ら自身は、本来、粗暴でない真剣で真面目な青年たちであるとみられる。指導者の立場にあつたものとして本件の事態について責任を負うことはやむをえないが、当裁判所は、被告人らに対し、試行錯誤の過程を経た反省と成長を期待しつつ、主文のとおり判決する次第である。(戸田弘 北沢和範 永山忠彦)